2017年06月07日

やっぱり書けない。

なかなか書けない。
アフリカの感覚が日毎に失われていくのが分かる。早く書いた方が良い気はするのだが、書けない。最近の悩みと言えばそれに尽きる。

まあ、悩みと言えばいくらでもあるにはある。
たとえば、今年は結婚する。
結婚するし、仕事も変える。前のチャリ屋に戻る予定だ。勤務地は変わるだろうが、まあ、前のチャリ屋を考えている。
そうなると北関東なんかになるので、引越しにもなる。
子どもも欲しいと思っているので、経済的な話もアレコレ考える。
子どもができると自転車で遠出もあまり出来なくなる。たまにはする予定だ。
書き物の時間なんかのことも考える。

でも、まあ、どれも何とでもなる。

ただ、何ともならないのは書けないって問題だけだ。
生きている中で何ともならないのは苦悩。
金はなければないなりに暮らせば良い。一生懸命働いていれば、生きていくに困らないだけの金は手に入る。高く望めばキリはない。
大事な人が死んだりするのは天命なので、こればかりはどうしようもない。
時間がないのはストレスだが、時間は誰にも等しくある。別の何かに使っているだけだし、その何かはやはり自分のための何かなのだ。決して自分にだけ時間が少ないわけではない。

たいていの問題は金と時間の問題だ。
金と時間があればクリアできることが多い。
それでも、金はあるだけしかないし、時間もまた平等だ。

ただ、書くってのに関してだけは、金の問題でも時間の問題でも命の問題でもない。

ーーー

「しっかり稼いで、良いもの食ったり、良い思いしないと人間ダメさ。欲望がないと」
これもまた一つ大事な考え方ではある。
そのために頭を使う必要はある。体を使う必要はある。

目標、欲望が無ければのんべんだらりと人生は過ぎる。
のんべんだらりの人生も全く悪くはないーーそう、昔と違って素直にそんな風にも思えるようになった、30歳にもなればいくらか落ち着いてくるってやつなのかもしれないーーけれども、やっぱり楽しいことをしてみたい。

のんべんだらりの人生について考えることがある。
若い頃は、そういう人生大根おろしみたいなのは良くないと思っていた。生きるからには活力を持って何事かを成し遂げねばならない。ただ漠然と生きるのは死んでいるのと同じだ、と。
野心があった。

やっぱり結婚なのだろう。
暇がなくなる。
一人の時間自体はいくらか作れるものの、結婚の一番の違いは、会いたい時に会える人が一人、自分の人生の中にいるってことだろうと思う。
友情は変わらず続くこともあるけれど、友情はやはり友情だ。
お互いの時間が合わないといけないし、住んでいる場所なんかもある。

人間、暇になると、誰かと話したくなる。
お茶でも飲みたくなる。
お酒でも良い。
飯を食いに行くでも、遊ぶでも。
遊ぶってのは基本的に誰かと会うってのが基本だ。自転車なんかは黙々一人で遊ぶこともあるけれど、何だかんだで共通の趣味の友人がいたりする。
一人遊びのようでもやはり完璧な孤独ってのはなかなかない。誰にもその話をせず、完全に一人きりでの楽しみとして遊ぶってのは難しい。

結婚していないと、ふと暇な時、誰かと話すって難しい。
結婚はそれが出来てしまう。
それが出来るのはとても良いことだけれど、やはり暇な時間こそ自分のしたい何かを突き詰める時間だ。
野心につながる。

暇な時間がないと野心は持てないのか。
どうなんだろうか。

ただ、結婚して楽しい家庭を作るってのも目標だし、ある意味では野心だ。
どの動物にもある野心だ。
子どもを産み育てる。
虫なんかみたいに育てない生き物も中にはいる。赤ちゃんの頃から自分の力で生きる。
でも、やはり子孫を残すってのは本能だし、生きている中で一番の大仕事だ。

ーーー

子どものことを考えると悩みもあるにせよ、まあ、なかなか楽しそうではある。
子どもと遊ぶってのも楽しいだろうが、やはり家庭を守るために頑張るってのは楽しいだろう。
自転車でパタゴニアを走るのは、世界でも有数の難ルートだが、それでも、パタゴニアを走るよりも大変だろう。
やっぱりそういうプロジェクトってのは楽しいだろう。

結婚して何年も経つと夫婦の愛が冷める日も来るかもしれないけれど、そうは言ったって結婚しようと思う程度には気に入っている相手と自分の子ども、そういうのを守るために日々頑張るってのは楽しいだろう。

ーーー

首都圏なんかでは割と結婚せず趣味に生きる人も多い。
まあ、それはそれで楽しいのかもしれない。

楽しいことにはキリがない。
だから、独り身で楽しく生きる。
それも良い。

ただ、僕の場合、自転車旅はもう十分にやった。
もちろん、行きたいところはまだまだある。
でも、軽く飽きてしまうほどにはやり尽くした気がする。
世界一周なんかしたいはしたいけど、南米、アフリカ。まあ、そうは言っても、それぞれの中では一番安全なエリアを走ったのだけども。
でも、まあ、世界一周しなくても満足出来る程には走った。

多分、そのどちらも走っていなかったら、僕はまだまだ結婚よりも自転車で走っていたいと思うかもしれない。

まあ、一口に言えば十分燃え尽きた。

酒も、まあ、浴びるほど飲んだ。
独り身ならバーにも行くけど、奥さんがいてくれればバーには行かなくても良いくらいだし、家でも飲まなくても良いくらいだ。たまに奥さんと二人で少し飲むくらいで良いだろう。

遊ぶのも体力がいる。
本当に。
酒を飲むにしたって、次の日しんどいことも、金のことも、あれこれキツい中で、それでも頑張って遊ぶのだ。

じゃあ、結婚したら、もう遊ばないのか。
まあ、いくらかは遊ぶだろう。
いや、きっと結構遊ぶ気もする。
やっぱり僕は遊ぶ楽しさを覚えてしまっている。
寂れた峠道の話を聞けば、やはり自転車で探検しに行きたくなるだろう。

でも、やっぱり本音はくたびれてしまった。
愛してくれる人の待つ家に帰る。
そういう暮らしを望んでいる。
何も遊ばなくってもすべてが満たされるような日々を望んでいる。

ケジメを付けるというよりは、疲れをいやしたい。

そこから改めて書いて生きていたい。

書けないって悩みは本当、どうにもならない。
こればかりは自分が書くしかないし、書けるか書けないかってのは本当に誰のせいにも何のせいにも出来ない。自分のせいですらない。

まあ、素直にアフリカの話が書けないってことを延々書いてしまっても良い気もする。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 08:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月25日

無意味なブログ。

ちょろり草を書かなくなった。
深い意味はない。
気付けば書かなくなった。
最近は自転車と本なんてブログを書いていることが多い。

ちょろり草って、まあ、本当に無意味な文だったなと改めて思う。
実に素晴らしい。

無意味な文を毎日書くって難しいと思う。
自転車と本なんかは、まあ、そんなに難しくもない。自転車と本ってテーマがある。
ちょろり草はテーマなんてない。
意味もなければテーマもない。
ある意味で言えば心の発露なんだろう。
かと言って別に芸術性なんかもない。

ちょろり草って何だったんだろうと考えると、ある意味、すごく哲学的な営みだったのかな、などと思う。

僕は人のブログを読むって習慣がない。
だから、正直、ちょろり草の読者の気持ちってのは全く分からない。
実に一ミリも分からない。

たまにそういうのを理解したいと思って人のブログを読もうと考えたりもするけど、毎日書く人は少ないし、文が短かったり、別に興味の湧くようなブログって出会ったことがない。

唯一好きだったのは小説家の森博嗣のモリログアカデミーというブログだ。今は終わっているけど。
これは面白かった。
単に愛犬の話と趣味の鉄道模型みたいなやつを今日はどれだけ作ったとか、実に無意味な話ばかり毎日延々書いている。何かあれこれ思うことも書いてた気もするが、覚えているのはブツクサと日々のことをだらだら書いていただけだ。

無意味なことを毎日ブツブツ話してくれるブログって確かに楽しいのかもしれない。

ねむい。
そんなこんな。
posted by ちょろり at 21:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

アフリカの話が書けない。

アフリカの話を書こうと狙っているのだけれど、出だしが掴めないでいる。
バラバラのエッセイにしてしまっても良いのだけれど、単純にそれは嫌いなのだ。それはブログで良い。一本アフリカを書くと決めればアフリカを書こうと決めれば、やはりアフリカを捌き切らないといけない。

正確に言えばアフリカを書くのではない。
アフリカを書くなら、それはもっと別な人がやる方が良い。
あくまで一つの視点からのアフリカであり、アフリカがある上での一人の人間の生き方だ。
あくまで個人的でないといけない。

最初に狙ったテーマとしては女だ。
女、アフリカ、山小屋、その辺りをうまく絡めればこれは面白いんじゃないかと思った。セックス・オン・ザ・チャリリカなんていう馬鹿なタイトルまで決めていたし、ある程度の構想も練った。
ただ、どこか引っ掛かった。

単なる写真集にして、言葉を少なくしたものも一つ書いてはみた。
これは電子書籍化しても良いように思ったが、レイアウトなんかの技術面で上手く行かなかった。
印刷すると高いし、電子書籍での写真のレイアウトは厄介だ。
そもそも電子書籍にするなら、Webページでも良いような気がしたり、結局、引っかかることが多くて上手く行かなかった。

考えてみると文を書くのに関しては一年以上苦戦している。
アフリカ編はちょろり草じゃなく、じてぼんの方でやった。
あれは案外成功だったんじゃないかと思う。
ちょろり草と違って、万人向けの読み物としてある程度成立しているんじゃなかろうか。
ちょろり草はちょろり草でいいのだけど、やはりちょろり草はノートだ。メモ帳だ。それこそがちょろり草の良さではあるのだけど。
アフリカに関してはじてぼんでやったのは、正解だったんじゃないかなと思っている。
そう、ある意味では、アフリカの旅日記に関してはじてぼんの連載である程度完成しているように思う。
臨場感もある。
ただ、今思えば間違っていたこともいくつかはあるが、臨場感という意味では良いのだろう。

文を書いて、自転車に乗っていた日々。
やはりあれは僕の人生の黄金時代だったんだろう。
もう何年か続ければ上手くいくような気もする。

でも、僕もやっぱり疲れちまったのかもしれない。
正直、へとへとだ。
貧乏にも疲れてしまった。
お金持ちになりたいとは思わないけれど。
奥さんと子供が欲しい。それも楽ではないけれど。

ある意味ではアフリカで学んできたことだ。
人間、生きてるだけで素晴らしい。
結婚して子供を作って、日々何か働いて。
特別な趣味や仕事に誇りなど、大それたものがなくたって、ただ生きて、家族を持って暮らしていく、それこそ人間、生き物の本来の姿なんじゃないか。

ある意味では僕の直感は正しかったのかもしれない。
今行かないと、もうアフリカには行けないかもしれないという直感。

どうしてもうアフリカには行けないのか。

上手くは言えないけれど、いろんなことは神様が決めてるんだと思う。
俺も努力はする。
でも、アフリカなんてのは、ああ、行きたいじゃいけないんだと思う。

あくまで地球の上に生きる生き物で、遥か届かない大きな力で世界は動いているし、自分もまたそういった世界の一部なのだ。

まあ、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 07:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月07日

アフリカを思い出せない。

アフリカのことを考える。
遥かに遠い世界。
アルゼンチン、パタゴニアも良かったが、アフリカのようには考えない。
アルゼンチンはものすごく良い。ご飯が美味しいし、ブエノスの町並みは美しく、パタゴニアに行けば自然も抜群に良い。
ブエノスアイレスっていう街は人生で一番好きかもしれない。とにかく美しい。しかも、美しさだけでなく、どこか危うさのような緊張感のようなものがある。

アフリカで良かったのは、村だろう。
村の面白さはアフリカの方がダントツで良い。

アフリカの良さはまず黒人だ。
黒人って良いのだ。
彼らは非常に生真面目というか、なんというのだろう。アフリカの村の黒人ってのは良い。

ブエノスアイレスは街は美しいし、タンゴもあるし、便利でもある。治安は良くないので、それゆえの緊迫感のようなものも程よく街の雰囲気に合っている。
でも、そこ止まりだ。

アフリカは都市部はハッキリ言って何とも思わなかった。
まあ、世界中どこにでも金持ちはいるんだね、ってだけの話だ。最貧国マラウィでも、やはり首都などになれば、金持ちっているんだな、ってところだ。
別段綺麗ってほどでもない。
市場は盛り上がっているけれど、リスクが大きすぎてあまり行くもんじゃないと思う。

自転車じゃないと行かないような村。
ボールペンを喜ぶ村。

年末に結婚するかもしれないって話がある。
まあ、分からないけど。
良い人がいるのだ。
アフリカを考えると、どうなんだろう、という気分にはなる。
良い人なので結婚したいなとは思うのだが、やはり思うところある。

アフリカのことをよく考えるけれど、よく思い出せない。
何かを思い出せていないように思うけれど、思い出せていないことなのか、あるいはそんなものないのか。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 06:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月13日

お金って良いよねー?

金を使うっていうのが好きだ。
金もないクセにね。

でも、金が無い中で使う金ってのが一番面白いんじゃないかなって僕は考えるんです。

どうしてお金を使うのが好きって、僕の作れないものが手に入って、僕の知らなかった遊びを知れるからね。
それがいちばんの理由です。

でも、それ以外の理由でもお金って使う。
例えば、僕の一番好きな食べ物はもやしです。
もやしって最高の食べ物だと僕は思うんですよね。
まず美味いじゃないですか。モヤシにペッパー、ソルト、チーズやると、あれより美味いものって世の中にあるのかなって思うほど美味しくなるじゃないですか。
しかも、安いクセにしゃきしゃきしてて、量もいっぱいあるから、目の前にすると、ウヒョーって思うじゃないですか。
てんこ盛りのモヤシってキラキラしますよ。
しかも、腹一杯食べても気持ち悪くならない。油物とかご飯って食べた後気持ち悪くなったり、眠くなったりするけど、もやしってそういうのがない。
で、栄養なんかなさそうなクセに実はある。

そんなわけで、モヤシを買う時って新しい出会いなんかの要素ってゼロなんですよね。
自分じゃ作れないにせよ、豆を買ったら育てれちゃう。
でも、モヤシってたまらない。
繰り返し繰り返し食べちゃうわけですよ。

余談だけど、山とか海外でのストレスの一つに多分モヤシってあると思ってる。モヤシなんか食べなくても何ともないとは理性では思うけど、体はモヤシ大好きで。ストレスになってるんじゃないかなって。
山小屋でモヤシ育てたら国立公園だから絶対ダメだけど、割とみんな食べた瞬間感動するんじゃないかな。

モヤシって良いんですよ。
新しい出会いとかの感動はないですけどね。

まあ、ね。
モヤシはどうでも良いんですけどね。

お金があるって良いですよ。
お金が使えますからね。

でも、お金を持つためにお金を持つと本末転倒なんですよ。
言葉にすると当たり前ですけどね。
使わないとお金って貯まるでしょ。
でも、使わないと本末転倒。

でも、貯金ってのもスキルでしょ。
まあ、それはそれで良いし、すごい。

でも、あんまり生きてる中で本末転倒ってしない方が良いなって。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 08:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お金って良いよねー?

金を使うっていうのが好きだ。
金もないクセにね。

でも、金が無い中で使う金ってのが一番面白いんじゃないかなって僕は考えるんです。

どうしてお金を使うのが好きって、僕の作れないものが手に入って、僕の知らなかった遊びを知れるからね。
それがいちばんの理由です。

でも、それ以外の理由でもお金って使う。
例えば、僕の一番好きな食べ物はもやしです。
もやしって最高の食べ物だと僕は思うんですよね。
まず美味いじゃないですか。モヤシにペッパー、ソルト、チーズやると、あれより美味いものって世の中にあるのかなって思うほど美味しくなるじゃないですか。
しかも、安いクセにしゃきしゃきしてて、量もいっぱいあるから、目の前にすると、ウヒョーって思うじゃないですか。
てんこ盛りのモヤシってキラキラしますよ。
しかも、腹一杯食べても気持ち悪くならない。油物とかご飯って食べた後気持ち悪くなったり、眠くなったりするけど、もやしってそういうのがない。
で、栄養なんかなさそうなクセに実はある。

そんなわけで、モヤシを買う時って新しい出会いなんかの要素ってゼロなんですよね。
自分じゃ作れないにせよ、豆を買ったら育てれちゃう。
でも、モヤシってたまらない。
繰り返し繰り返し食べちゃうわけですよ。

余談だけど、山とか海外でのストレスの一つに多分モヤシってあると思ってる。モヤシなんか食べなくても何ともないとは理性では思うけど、体はモヤシ大好きで。ストレスになってるんじゃないかなって。
山小屋でモヤシ育てたら国立公園だから絶対ダメだけど、割とみんな食べた瞬間感動するんじゃないかな。

モヤシって良いんですよ。
新しい出会いとかの感動はないですけどね。

まあ、ね。
モヤシはどうでも良いんですけどね。

お金があるって良いですよ。
お金が使えますからね。

でも、お金を持つためにお金を持つと本末転倒なんですよ。
言葉にすると当たり前ですけどね。
使わないとお金って貯まるでしょ。
でも、使わないと本末転倒。

でも、貯金ってのもスキルでしょ。
まあ、それはそれで良いし、すごい。

でも、あんまり生きてる中で本末転倒ってしない方が良いなって。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 04:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月09日

幸福な日々がどこか悲しい。

日本に帰って幸福な日々が過ぎている。
出国前から仲良くしていた女の子とお付き合いをさせてもらい、のんびりと桜などを眺める。
自転車に関する文章の仕事をもらえたので、それをしながら、だいたい女の子と過ごす。

僕の人生で女の子と一緒に過ごすってのは珍しい。モテない。顔が悪いとか、性格にクセがあるとか、単に女の子が苦手とか。まあ、いろいろあるけれど。とにかく珍しい。

でも、倉敷には長くいないので女の子に申し訳ない気がしている。
来週にはまた山に入る。
その後の予定は立っていない。
以前の自転車屋さんからお誘いはもらっている。自転車の文の仕事と合わせて働けば結構良い条件の職場になるだろう。
女の子も付いて行って良いようなことを言ってくれている。
でも、それで良いんだろうか。

幸福な日々なのにどこか悲しさがある。

アフリカを走っていたのが遥か昔のように感じる。つい先月まで地平線を走っていたなど嘘のようだ。

帰国してから自転車屋さんで働いていた頃お世話になった人たちから連絡があった。

正直、僕は日本の生活に馴染めないでいる。
たった三ヶ月のアフリカが僕の心の根元みたいなところに何かを打ち込んだらしい。
何かが引っかかる。

向こうで世話になったやつらに電話しようと思ったが、クレジットカードも限度額いっぱいの借金漬け状態で、国際電話をかける余裕がない。

ボツワナでは、先日、地震があったらしい。
フェイスブックでつながっている人たちは元気らしい。あとは分からない。

アフリカの人々ってのは安心だ。
多分、何があっても変わらず元気に日々を過ごしてるだろう。
彼らにも心配や不安も時にはあるのかもしれないけれど、根の明るさというか、生きる力が桁違いに強い。
もしかすると、村で話をした人のうち何人かは何かの病気や事故で死んでしまっている人もいるかもしれない。
アフリカはフェアだ。
生きてりゃ死ぬかもしれない。
もちろん、みんな元気で生きていて欲しい。

日本はとにかく不自然で気持ちが悪い。
まあ、深く気にしないに限る。

ま、そんなこんな。

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posted by ちょろり at 23:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月01日

生きてるだけで楽しい日々。

日本に生きていると遠い未来の不安にくたびれてしまいやすいのかもしれない。
最近の僕はまだまだアフリカの名残で生きているから、呑気なものだ。金はなくとも、これからの予定もやりたいことも特になくても、呑気なものだ。
今日が良ければ、まあ、良いじゃん。って。

それでも、日本でカルチャーショックを受けている。

日本人は、まあ、死なない。
青信号で横断歩道を渡っているとトラックが突っ込んできて死んだなどの事故があると、トラックが全面的に悪いとなる。
日本ではそれば当たり前と言えば当たり前なのだが。
信号が青だろうと何だろうと車が突っ込んで来る可能性なんてのはあるのだ。
そして、突っ込んで来られてぶつかって死ぬのは歩行者だ。
死にたくなければ歩行者の方が注意すべきなのだ。

でも、死なないのが当たり前になっている日本では、突っ込んで来たトラックの方が悪くなる。
そりゃ、悪いのはトラックではある。
でも、トラックの方は死んでいない。
人間、死んだらそれまでなので、死なないように生きるってのはとても大事だ。
自分が生きるには、時には人を押しのける必要もある。
自分が生きている限り、自分が生きているということは最も重要だ。自分が死ぬと、自分という目や耳で感じている世界はまるごと全て終了だ。

まあ、不運というのはどんな場合にもあるから、注意していても死ぬことはあるにせよ、普通に生きていれば死ぬことはない世界。
これはやっぱり生物として異常だ。
生きてる限りは死ぬのもいつだってあり得る。

死なないのが当たり前になると、明日や明後日が心配になるのかもしれない。
今日死ぬことはない、きっと明日も明後日も。
いつかは死ぬのは知っているけれど、ずっと遥か先、日本人にとって死ぬって遠い。

100パーセントやってくる明日の心配に、100パーセントやってくる明後日の心配、そのまた翌日の心配。
いくつもドミノのように積もった心配は結構な量になるんだろう。

ーーー

その点、アフリカはあっさり死ぬ。
病気も貧困もあるから死ぬ確率が高い。
大人になるまでに死ぬ子供が圧倒的に多い。
実際、走っていて、
「ああ、ここで病気に掛かったら死ぬかもなー」
と思うことはある。
大使館の医療案内によれば、首都でさえロクにレントゲンのような高価な医療機器がなかったり、あっても途中で停電したりすることもあったり、メンテナンス不良でロクに動かないということがあり、手術などは国外搬送とのことだから、村なんかで病気になると、まあ、死ぬかもなー、ってのは思う。
黄熱病の予防接種をするにしても、エイズ蔓延国で注射を打つのが恐ろしい。

それでも、病院に行って払うお金があるだけ、遥かに僕は死の確率は低いし、大人という点で子供よりは体力だってある。

子供たちは裸足で走り回り、ガラスを踏み、土には寄生虫なども住んでいる。

僕はの感覚では死かすこぶる近い環境だ。

さらに大人になっても仕事がない。
明日のことを考えることは出来ない。とにかく今日を生きねばならない。

だからこそ、今生きていて、とりあえず安酒を何とか一杯買える金があれば、とりあえず飲んで、アルコールが喉を通り胃に落ちた瞬間の快楽が全てなのだ。
もちろん、全員がアル中ではないにせよ、来るか分からない明日より、今、正に喉を通る快感こそ命なのだろう。月に一万円の給料でも百円のビールは買える限りは買うのだ。一日働いても千円にもならないのに、酒は飲む。

その世界では驚くほどに暗さがない。
驚くほど明るい。
ヤケッパチとは違う。
ヤケッパチってのは絶望の反動で起きるものだ。
彼らは絶望していない。
来るか分からない明日の不安はない。
今、金がなければ、「チクショー、金がないぜ」で終わる。

さすがに、ほとんどの人に明日は来るにせよ、来月までに知り合いが誰も死なないというのは何とも言えない。
友人が死ぬかもしれないし、友人の親だったり、子供、隣の家の誰か、或いは自分。

我々の感覚では恐ろしさに対して何か備えるだろう。死なないように何とかする工夫だ。
しかし、今日の酒すら分からないのだ。
何かを備える余裕などないのだ。
それも、突然にデング熱だとかエボラ出血熱みたいな先進国でさえ治療の難解な病が流行したりするのだから、備える方法もない。

そして、エイズもある。
一夫多妻制が多いのもあり、娯楽も少ない環境では愛を交わす悦びは強い。歯止めが効かない。

でも、そういう側面があるんだけど、意外と死なないのも事実だ。
変な話だけど生きてりゃ生きてるのだ。
死んだら死んでるけど、死んだ時には死ぬかもしれないということはもはや思わないからだろうか。

僕自身、アフリカを走っている間は不思議と死のリスクをさほど感じなかった。
日本に帰ってから、死のリスクは常に存在していたのかもしれないとボンヤリと思った。

ーーー

麻雀に負けたら金がすっかりなくなった。
電車代もなくなったので、負け分を千円引いてもらった。
クレジットカードの支払いもあるので、マイナスだ。次の支払いの金がない。金が入るあてはない。

別に明るいビジョンはない。
明日死ぬことはないから明日の不安もあるはずなのだが、今吸うタバコを迷わず買う。
次のタバコが買えない。
30手前にして、実家に転がり込み、冷蔵庫の中を漁って食う。

「アフリカはどうだった?」
「ああ、とても楽しかった」
それ以上の話もない。
楽しかったのは間違いない。
ただ、それより先が何を話せば良いか分からない。
何か話したい気がするのだけれど、分からない。
それで小説はネタを書き上げたものの筆を止めて、正に売文稼業と呼ぶべき記事の執筆を続ける。
昼前に起きて6時間ほどで一万字ともう少し書く。
誰かに呼ばれていることが多くて出掛けて、帰って2時間ほどで三千字ほど書いて眠る。

働いてはいるが、その金がいつ入るんだかアテはない。
それでも、一日、隙間の時間に文を書けば、アフリカの友の一ヶ月分の給料になる。

でも、その文章は多分、あまり意味がない。
誰かが読むのかもしれない。
けれど、その文には秩序がない。
いくらか読み応えもあり、情報もある。
だけれど、バラバラなのだ。
インターネットの海を流れるだけなのだ。
なぜって、その文を書いていて僕の胸に流れるのはある種の虚しさみたいなものだからだ。
別に手抜きはしていない。いくらか有用性もあるはずだ。
だけれど、不思議と空虚なのだ。

きっと草むしりだ。
なかなか僕の草むしりは上手だ。
綺麗な芝が出来上がる。
それもなかなかのハイペースだ。
サッカーの試合なんかしたりするかもしれない。有用ではあるのかもしれない。
でも、やはり草むしりなのだ。

草むしりのことを僕は嫌いではない。
毎日、草をむしってきた。
今の仕事の草むしりよりも、遥かに人目に付かない。
ちょろり草という草をむしる。
ぐるぐるむしる。
一周するとまた少し違う草が生えていて、それをせっせとむしる。
でも、それが僕は好きだった。

今の仕事の草むしりも嫌いじゃない。
でも、少し微妙なのだ。
あまり好きではない。
本音は他の文を書きたいと思う。
ただ、金がないのだ。
やはり金の心配をしている。
間違いなくやってくる明日、明後日、月末のクレジットカードの支払い日の心配が積もっていて、僕の心には暗さがある。
何かを避けるために備えようとしている。

きっとちょろり草は本当に一円にもならないから好きなんだろう。
その芝では誰もサッカーもしない。
ただ、生えてきて、またぐるりとしたら草を抜く。

ーーー

そんな考えは暗いし、せっかくの良い体験の直後の時期にもったいないと思う。
でも、どうしても抜けられないのだ。

きっとカルチャーショックというのもあるのだろう。
アフリカで一番大変だったのは、最初の一ヶ月、適応するまでだった。
全てが違い過ぎた。
こんなので人間生きていけるのかと思った。
レストランという看板はない。掘っ建て小屋のような場所でハエだらけの中、メニューなどなく、その日にあるものを出してもらって食べる。
すぐにギブミーマネー、チップくれ。
言葉も分からない。
水道なんてない。
大都市に着いてもチェーンの一本も買えない。
眼鏡の予備も買えない。
全てが分からなかった。
分かる度に、「え、マジで、ここでこれ食うの?」みたいな具合だが、それを一つずつ納得していく。
納得せざるを得ないのだ。帰りの飛行機は三ヶ月後だったし、クレジットカードの限度額の問題でネットで別の帰りの航空券を買うことも出来ないし、航空券を買える航空会社のオフィスなどない。
適応して三ヶ月暮らして、帰りの飛行機が出発する空港まで辿り着くしかなかった。

それが気付けば帰りの飛行機に乗る頃には、その世界が名残惜しいほどに楽しくなっていた。

そして、帰国したら、またとんでもなく違う世界だ。
しかし、そこはほんの少し前まで自分が生きていた世界ですぐに適応できるはずの世界だ。
それが不思議と適応出来ない。

いや、もうじき適応出来るはずだ。
ただ、適応出来なくても生きていける世界ではある。適応しなくても、そう滅多に人が死なない世界だ。

価値観の崩壊だろう。
出発前の価値観を思い出せない。

この国で僕は何が出来るだろう。
何をすれば良いだろう。
何がしたいだろう。
或いはこの国以外のどこかで何か出来るだろうか、したいだろうか。

アフリカを自転車で走った日々の中では、僕はただ生きていたかった。死にたくなかった。
多分、パタゴニアの時もそうだった。
人と話すのも楽しかったし、景色を眺めるのも楽しかった。
ただ、何より生きているのが楽しかった。
その日も生きて夜眠るのが嬉しかった。

日本ではただ生きているだけでは楽しさが感じられない。
何か楽しいことが起きないと楽しさが感じられない。
テントではない、安全な壁に屋根に囲まれ、得体の知れない虫も入らない、象もライオンも心配いらない。窓を閉めれば寒さも防げる。水道をひねれば安全な水が飲める。
柔らかな清潔な布団。
でも、そこに眠る時に喜びはない。

でも、アフリカに行く前も、多分同じだった。

一口に言えば自転車旅の日々みたいに、ただ、生きているだけが楽しい日々なんてのは存在しないのだ。
ただ生きているのがありがたい日々。

でも、アフリカの連中は自転車旅なんかしてなくても生きてるだけで楽しそうに生きていた。そう見えたんじゃない。多分、本当にそうだと思う。お金が欲しいのは間違いないし、自分たちの暮らしの貧しさは嫌なのかもしれない。でも、妙に楽しそうなのだ。
すれ違うだけで見知らぬ僕に親指立ててグッドみたいなポーズをしてくる。
多分、ただ生きていて、生きている人間に会って一緒にいるだけで何かが楽しいのだ。出来れば音楽かサッカーの試合が流れていて、お酒が飲めたらより良いんだろう。
多分、人間って本当はそれが普通のはずなんだ。
多分ね。
日本での日々を考えると、何をしたとしても、ちょっとそんな日々は想像できない。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 06:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

早速日本にへこたれる。

日本に帰国して一週間と経たずして、日本は嫌だなぁと少しへこたれている。

倉敷に戻って、お金もないのでライティングの仕事を始めた。
以前、激安で書かされたところがあったのだが、その時の文章を高く評価してくれて、これまでの人生で最高の給料、まあ、僕の人生最高の給料は低いんだけど、文だけで飯が食えるほどの金額で契約してくれた。
でも、山小屋に行くので、そんな美味しい話も山小屋に行くまでのほんの半月の話なのだが。
ちなみに山小屋に行くより遥かに楽で儲かる。

その仕事は海外でも出来るので、実は延々と海外を走ることも可能だ。

でも、そんなに美味しい話でずっと飯を食えるってことはないのだ。
人生、美味しい話にはウラがある。
別に今回の話自体にはウラなどなく、単に自転車に関しての知識をプロショップでの職務経験があり、なおかつ一万字の原稿を数時間で書けるという能力を評価してもらってのことだ。

そう、日々、ちょろり草をぶつぶつと眠る前に書いていた僕はいつの間にか一万字程度の文章はさほど苦もなく書けるようになっていた。
内容の縛りなんかがキツイと大変だし、縛りが無くとも当然疲れるし楽ってわけでもないんだけど。
案外、ペンキ屋さんに行く方が爽やかな良い汗もかけて気持ち良かったりもするんだけどね。

文で飯を食えるってのは、文を書いている限りは一つの夢だ。
金のために文を書くのは、ちょっとダーティーかもしれないが、金を出すだけの価値があると認められているわけだから、やはり嬉しいのだ。

それでも、やはり美味しい話にはウラがあると思う。
一つに自転車の知識など、ほんの5年ほど現場を離れていればついていけなくなってしまう。
まあ、そこは勉強すれば良いだけだが。
ウェブマガジンの原稿のライティングなど、数年後には仕事として成立しなくなる可能性も高い。
少し古い考え方かもしれないが、広告収入なんて形のないものを売っているかどうかさえよく分からない商売は水物だと思うのだ。

それに何よりも金のために文字を書くっていうのは分が濁る。
文は大事にして生きてきたのが、いくらかのお金のために失われてしまう可能性がありうる。

そうは言っても、金がないと生きて行くのも大変だ。
ふむ、ねむい。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月27日

故郷に帰る。

帰宅した。
故郷。
長かった。

アフリカも長かったけれど。
それよりも遥かにいろんなことが長かった。

旅の前にも故郷には帰っていたが、何となく地に足が付かなかった。
思えば怖かったのだ。

前回、南米を旅して帰った時には、
「海外にはもうよほどのことがない限り行くまい」
と思った。
アルゼンチンは素直に言えば怖かったのだ。

アフリカは怖くなかったのかと言えば、やはり怖かった。
でも、南米よりは怖くなかった。
アフリカの方が安全だからというわけではない。

多分、世界中、安全な場所などないと思うのだ。
日本だって危険だ。
そりゃ、夜に歩いたって不安はない。
でも、お金の不安だとかはある。
具体的にいえば、年金と保険と税金。
日本にいなくて無収入でも、そういうのはかかる。
それも毎月、旅行先の現地での生活費の半分近くの金額だ、

お金がなくても生きていけるってのは、あれは嘘だ。
お金がなくても生きていける国もあるけれど、お金がないと生きていけない国もある。
地域に限らず、やはり何かしら互換性のある資産を持たねば生きていけないというのは事実だろう。
やはり人間は人間と支え合って生きている。

アフリカを特別とは感じない。
確かにお金はない。
でも、恵まれていないとは思わない。
お金のある国、日本で生まれたから恵まれているのではない。
両親が愛を持って育ててくれバックアップしてくれているからこそ恵まれているのだ。
アフリカにだってそういう人はいる。
日本にだって、親の不和や不運で恵まれない人はいる。
もちろん、経済が発展している国の方が金銭的な余裕のある家庭に生まれる確率は高い。

でも、豊かさに関していえば、金銭だけではやはり測れないと思う。
ある意味では日本は遥かに貧しい。

帰国して友人に会った。
未来に希望はない、別に不満もないけど。
仕事から変えれば眠るだけでプライベートの時間はほぼ全くない。
新しい地に移って知人も飲む仲間もいない。
不満とまではいかないが、そういうものをそれぞれ持っていた。

アフリカには一切存在しない悩みだ。
いや、未来に希望はない、ってのはアフリカにもあるか。
それでも、毎日帰って眠るだけしか時間がないなんてのはアフリカにはほとんどない悩みだし、新しい地に知人がいなくても飲む相手話す相手は誰かしらいるのがアフリカだろう。

もちろん、アフリカの全てを見てきたわけではない。
だから、間違っているかもしれない。

でも、日本人は金銭的豊かさがあるから、自分たちの抱える貧しさの側面について知らないんじゃないか。

アフリカも貧しさはあるが、日本にも致命的な貧しさがある。
どちらの貧しさも改善するのが難しい。
アフリカは経済発展を遂げるのが難しい。
日本は経済を下向かせずに、労働量を落として人々の生活を上向かせるのが難しい。

でも、僕が思うには、世界をフラットにするのは難しいし、それは不自然なことで、いくらか凸凹している方が自然だ。
お金を独占している国を肯定するわけではない。
ただ、仮に全てをフラットにしようと思うと、資源の差などどうしようもできない問題がある。
世界が全て平等ってのは無理があるし、仮に世界が努力して実現したとしたら、様々なところで無理が起きると思うのだ。

だからって一部の地域だけ飢餓や病気でどんどん人が死ぬってのは、やはり問題だ。

いくらかの貧富の差はいいと思うのだ。
ただ、どこまでを許容するかって問題だと思う。

極端にお金のない国ってのもまずいし、極端にお金がありすぎる国ってのもまずいと思う。
マラウィもまずいし、日本もまずいと思う。

まあ、話が長くなるので、またのんびり。

ーーー

故郷に帰る。
長かった。
そういう話だ。

まあ、帰ったばかりなので今は安らいでいるということもあるのかもしれない。
でも、旅の前にはなかった。

ずっと昔のような、いや、昔にもなかったかもしれない。
この土地に住もうか。
そんな気持ちがあるからだろうか。

しかし、反面、行きたい地域は増えている。
西アフリカ、インド、中央アジア、南米、北欧、東欧、イスラム諸国。
かつては異国に恐怖を覚えたが、今回は変な自信がついた。
相変わらず怖いけれど、多分、頑張れば行きたいところに割とどこでも行けるんじゃないか、って。

行きたいけれど。
別段、焦ることはない。

故郷に帰った。
強くそう感じる。

旅をする僕を応援してくれている人には申し訳ないが。
旅を焦る気持ちがなくなった。

一つにしたかったことをやりきったからかもしれない。

でも、本当のところはわからない。
ただ、満足したからってわけでもない。

ねむい。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 02:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする