2018年05月18日

旅せずに生きる方法も、旅しながら生きる方法も、自分にはどうも分からない。

旅せずに生きる方法も、旅しながら生きる方法も、自分にはどうも分からない。

旅せずひとところに留まる暮らし、それに付随する難しさ、それがどうすれば良いのか。
旅しながら生きるには、お金の問題がある。

これが不思議なもので。
旅してるか、旅してないか、生きている限りはどちらかのはずなわけで、現実、旅しながら生きても来たし、旅せずに生きても来ている。
どちらも分からないのに、かれこれどちらもしながら生きて来ている。

苦手なことってのは実に不思議なことだと思う。
やってみたことがあればこそ、苦手と感じる。
さらに言えば、それなりにやり続けるからこそ苦手だと思う。

ただ、人間って普通は嫌いなことって避ける。
だから、苦手っていうのは矛盾の上にある。

使い古されたフレーズになるけど、
無知の知、
ってやつになるのかもしれない。

分からないってのを知るのが一番楽しい。

旅しながら生きるも分からないし、旅せずに生きるも分からない。
三十にして自分はどっちも分からないんだなって気付く。

生きづらいとも言えるけど、悪くない人生なのかもしれない。

ま、そんなこんな。


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2018年05月16日

アフリカ篇を書きたい。

アフリカ篇を書きたい。
ただ、何を書けば良いんだか分からない。
アフリカのことを話したい。
何を誰に話せば良いのか分からない。

高崎の町はひどく孤独だ。
高崎の町が孤独なのではなく、三十歳という年齢が孤独なのかもしれない。
旅の日々は随分と遠くなった。
今ではもうほとんど思い出せない。
そんなに年月は経っていないはずだ。一年と少し。その間に僕は随分といろんなことを失った気がする。
今の暮らしは良い暮らしだろう。
大学を辞めて以来、初めてのそれなりの給料。店長職としては多くないにせよ、暮らして行くに困らない程度の給料。
自転車で旅をして自転車屋の店長をする。
外から見れば良い人生なのかもしれない。
だけれど、箱の中身は随分と寂しく悲しい。
逆にどうしてそんなに箱の中身は寒々しい色をしているんだろうと思う。
外に出てごらん、すっかり春が来て暖かくなっているよ。
しかし、箱の中は鼠色でどこか寒々しい。

学生時代を思い出すことが多い。
Yとギターを弾いていた。麻雀もよくやった。たいていいつもウイスキーを飲んでいて、部屋の中は煙草の煙で満ちていた。
3DKもあるのに随分と安い家賃のアパートで隣には中国人のファミリーが住んでいて、よく喧嘩をしているような声が聞こえた。
二階の部屋だったけれど、窓を開けてもすぐに隣の家の壁だった。
いつも金はなくて、もやしと米と卵ばかり食べていた。そのくせコーヒーは美味しい豆を探し歩いて、貧乏の中にコーヒーだけ良いものが浮かんでいるようだった。
千円のジャズのレコードを探して、古本屋の百円の小説コーナーを探していた。
土日には大道芸をしに出掛けた。
数ヶ月に一回鬱病の女の子から死にたいという相談を受けて、半月ばかり大学に行かない期間が出来て、単位を落としていった。
じゃあ、その女の子がいなかったら大学を卒業していたのか。
多分、無理だったろう。
ーーその女の子とはもう関わらない方が良いよ。
何人かの友人はそう言った。
実際、僕がいなくなったって、その女の子は困ることはなかっただろう。別に付き合ってもいなかったし、女の子が僕のことを好きなわけでもなかったし、僕も好きかと言えばそうではなかったと思う。
ただ、そのくらいの年齢の頃ってある程度近しい関係の異性なら誰でも好きと言えば好きだし、好きじゃないと言えば好きってわけでもない、若い男女ってそんなもんだろう。セックスはしたかったのは間違いない。
女の子が僕に死にたいという相談をする理由は単純に僕はそういうことを話しやすい人間だったらしい。死にたいと言われても、死んじゃ駄目だよとも思わなかったし、死んだ方が楽とも思わなかった。本人が死にたいならそれもまた選択肢だと思った。ただ、死ぬと悲しいから死んで欲しくはなかった。
そういう自殺に対する曖昧なスタンスが心を病んだ女の子にとって話しやすかったんだろう。
確かに僕も時々、死にたいなんて誰かに相談したくなることがある。
特に最近は仕事で疲れていて絶望的な気持ちになることが多い。
ただ、昔と違って生きるか死ぬか迷ってみたって、生きている限りは生きているわけだし、死ぬとなれば死ぬ、考えてみても仕方がないと思うのであまり考えないし、ましてや誰かに相談するでもない。死んだ方が楽かどうかと言えば、死んだら楽も苦しいもない。
先日、新潟で日本海を眺めたのだが、そこの波の作る泡を見て、こんな泡から生き物は始まったのか、なんてふと思ったりもした。春の新潟の海は暗い。基本的に日本海ってのは一年中暗くて、波がどこか乱暴でささくれている。どこか海が固い。四月の日本海にはシャベルカーが雪をすくっていた。陸地の除雪した雪を海岸に捨てるらしい。
その海岸はゴミも多くて、そこをショベルカーが動いていて、少し離れたところに原子力発電所があった。
海の泡から生き物が生まれるなんて百年や千年どころじゃない時間がかかるのだろう。
生き物が陸地に上がって、人間が生まれて、あれやこれやして今に至って僕がいる。
長い時間かけた進化の中で、自殺を考える人間が出て来たって自然と言えば自然だろう。
女の子には死んでもらいたくなかったし、元気になればどこか遊びに出掛けたかったけれど、女の子は病院で貰う薬のおかげで終始頭がぼんやりとしてしまうようになり、家の二階からジャンプして両足骨折して入院した頃、僕と女の子は縁を切った。僕にも女の子にもそれが良かった。多分、女の子は僕に限らずほとんどの知り合いとの関係を切ったんだと思う。僕が医者でもそういう治療をすると思う。
その子は長く心を病んでしまっていて、誰か、特に昔から知っている人と会ったり話したりすると、社会から落っこちてしまった劣等感みたいなものを感じざるを得なかっただろう。
祖父が村の長老まで長生きしたけれど死んで、僕は大学を辞めて旅に出掛けた。

その頃の僕はきっと何かを探していたんじゃないかと思う。
何かを求めていたんじゃなくて、何かを探しているのが好きだったんだろう。
南米を自転車で旅して、山小屋に住み込んで働いて、自転車屋で働いて、アフリカに自転車持って行って。
それらは探すっていう行為の一環だったのだろう。

何を探し当てたんだか今でも分からないけれど、多分見付けてはいた。南米にせよアフリカにせよ。
ただ、それは帰国すると砂になって、風に吹き飛ばされてしまう。
それが何だったのか、今はもちろん、手に入れていた時でさえ分かっていなかっただろう。
ただ、何かを見付けて、手の中に握っていた期間はあったように思う。

アフリカの話か。
何を書けば良いのだろう。


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2018年05月11日

嘘が正義なのか。

怒られるのが仕事っていう仕事は嫌だ。
自分のミスじゃないミスで怒られたりクレームを受けたり。
上から叱られ、下は反発し続ける。
不思議とお客さんと売り上げは減らない。
売り上げが落ちないのだから社内でどうしてそんなに上からも下からも文句を付けられないといけないのか不思議でしょうがない。

でも、まあ、それが中間管理職ってものなのだろう。
売り上げを立てても、もっと売るために上手くやれ、売り上げが立たなければ当然叱られる。
部下は部下で売り上げが立たなければ暇で何もしない。売り上げが立てば疲れた、休みが欲しい、給料を上げて欲しい。

そういう負のスパイラルが日本の会社の構造ではある。
それなりに売れてて、みんな幸せなら良いじゃんってのはない。
お金をもっと欲しい、もっと働いて、もっと売って。

そういうのは嫌だけれど、やっぱりオレも金が欲しい。
人並みの家に住んで、人並みに服や好きなものを買って、人並みに外出して、車くらい所有して。

それなりの幸福も欲しいけれど、せめて人並み。
人並みをしようと思うと、負のスパイラルの中に生きるしかない。

ーーー

いくつかの悩みがあるのだが、文を書く悩みってのがここ一年ばかりある。
馬鹿正直に何でも書くな。
大人になる程言われる。

たしかに歳を取るごとに分かったが、多くを語ってロクなことはない。
足元をすくわれることになる。
或いは人に嫌われたり、マイナスの評価になることがある。
言葉を外に出すっていうのは、マイナスのことがたくさん起きることでもあり、それが形として残るというのは厄介なことでもある。

ーーー

それでも、文を書いて、誰かに読める形にするってのはとても大事なことだ。
言葉を人と闘わせることは大事なことだ。

昔、小説を熱心に書いていた頃、それを思った。
作家でごはんというアマチュア小説書きたちが作品を投稿するサイトがあるのだが、そういうところに定期的に投稿していた。
基本的に作品を投稿するってのは、誉められることもあれど、否定されることもある。否定されずとも、一生懸命書いたものが自分の思っていたほど評価されないってことはとても悲しいことだ。

そういう意味では今みたいに何か書いても、誰に読ませるでもなく、そうしているうちに段々と書かなくなり、書かなくなれば上手く書けなかったという悲しみもなく。

悲しみのない世界は平和だろうか。
少なくとも悲しみはない。
悲しいことになるかもしれないリスクがない。

ただ、そういう日々には何もない。

ーーー

嘘つきのことを考える。
馬鹿正直に言葉を出さないで、嘘をつく人間のことを考える。

自転車業界には嘘つきが多い。
メーカーを始め、ショップ、自転車愛好家なんかも何故か嘘つきが多い。
巡航速度40kmとか明らかに分かる嘘をつく自転車愛好家から、高いものを使えば速くなるだとか、実際には自分も使ってないものを良いと言ったり、良いと思っていないものを売ったり、そういう人間が多い。
仕事としてやっているからどうしたって売らないといけないという都合がある。

真っ赤な嘘ならまだ良い。
嘘だと言える。

悪質なのは嘘でもないけれど、真実でもないことを言うということだ。
この手のことがものすごく多い。

そうやって指摘すると、
ーーじゃあ、何が嘘なんだい? 具体的に言ってくれ。
などという話になる。

そういう時に、こいつらには良心とか正直な心、道徳心みたいなものがないんだろうか、と思う。

たいていどの業界でもそういうことはありふれていて、具体的に指摘できなくてブツブツ言っていると負け犬ということになる。

ただ、負け犬だから勝ち犬だか知らないが、人を騙したり、嘘や嘘みたいなことを言って自分の利益を取る人間なんてのは長い目で見て絶対いいことにならないと思うのだが、今のところ僕よりは良い生活をしている。
長い目で見てどうなるんだか知らない。
もしかすると、僕は自分で分かっていないだけで彼らよりもずっとひどい嘘つきで、怠け者なのかもしれないから、もっとひどい生活が待っているのかもしれない。

ーーー

良い仕事って何なのか。
単純に人の持っていないものを提供できるかどうかってことになるんじゃないだろうか。
自転車屋なんて仕事なら、お客さんは自転車に関しての詳しい知識、経験を持っていなくて、それを求めてくる。それを提供できるかどうかだろう。

嘘でも人を満足させることは出来なくもない。
だけど、嘘ってのはやっぱり嘘なのだ。
嘘を本当にしてしまうってのも一つの方法かもしれないけれど。
それでも、嘘は嘘だろう。

嘘が正義で得する世界は僕は遠慮願いたい。
あるいは僕こそが嘘なのかもしれないが。

そんなこんな。


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2018年04月22日

ジャズを聴いていると不思議と悲しくなる。

ジャズを聴いていると不思議と悲しくなる。
失われた時代を思う。

そんなこと言ったって、ジャズの時代なんか実際には僕にはなかった。
ジャズを聴くのは好きだけど、演奏出来る機会なんかもなかった。代わりにクラシックギターを弾いた。

だから、ジャズを聴いて失われた時代を思うなんてのはすごく不思議なことなんだけど。

それでも、昔はとにかくジャズを聴きながら文を読み書きし続けたから、その時代のことを思っているのかもしれない。

ーーー

最近、ジャズギターを始めたのだけど、辞めることにした。
今日、ジャズギターの先生のライブがあったので聴きに行ったところ、辞めることに決めた。
先生は上手かったし、ジャズって素敵だと思った。
でも、自分がジャズギターをやることはない、誰かとセッションをすることはないと感じてしまったのだ。
何故って分からない。

一つに歳を取ったせいもあるのかもしれない。
ジャズよりもクラシックの方が心震えるようなことが増えた。

ただ、単純に自分は一人で何かを作るタイプだったのかもしれないなんて思わされてしまったのだ。
何人もで一つのことをするじゃなくて、あくまで一人で自分が思うように自分のしたいことをし続ける。
音楽以外のことは分からないけれど、音楽に関しては誰かとやるって向いてない気がしてしまった。

ーーー

何だかその体験はとても悲しいことのように感じた。
理屈じゃなくて、そんな気がしてしまうって何とも言えない。
理屈で説明できることは何となく納得したり、あるいは改善したりも狙える。
ただ、フィーリングで感じてしまったことって、もうどうにも出来ない。
だれかと一緒に音楽をするって俺には無理だ。
それはとても悲しいことだった。

ーーー

それでも、仕方のないことだ。
違うと思ったことってやっぱり違うのだ。
人生、我慢も大事とは言うけれど、我慢なんてのはしない方が良いと思うのだ。

そりゃ、したいことのために必要な我慢は大事だ。
でも、したいことと違う我慢は駄目だ。
僕は今でもそう思う。

ーーー

ちょっとばかし、仕事の休みが少なくて疲れてるせいもあるのかもしれない。

ただ、ゆったりとギターでも弾きたい。
だれか一緒に弾いてくれるって言うんなら、僕が唯一二人で重奏をした男が良い。
それでも、彼も忙しいし随分遠くに住んでいる。

だから、春の暖かな夜に願うことは一人でゆっくりとギターが弾きたい。それだけ。

そんなこんな。


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2018年04月17日

2018年04月14日

遠い世界。

歳を取ったんだか、日々が忙しいのか。
日記を書かなくなった。

ブラックバードが夜の死の中で歌ってる。
壊れてしまった羽で飛ぼうとしながら。
この瞬間のために生きてきたのだ。
ブラックバードよ飛んでくれ、闇の中の一縷の光を求めて。

ビートルズのブラックバード、翻訳は僕なのであまり正確ではないかもしれない。
アフリカを走っていた頃よく聴いていた曲だ。

この曲は非常にシンプルだ。
伴奏はギターだけの弾き語り。
ギターはきちんと弾こうと思うと割と難しいようなこともするのだが、何となく弾くだけなら初心者でも弾ける。ただ、弾きながら歌うのは難しい。
歌も歌で激しい抑揚もない。
歌詞も実にシンプルだ。絶望の中を生きてきた黒い鳥が今こそ飛ぶ時だっていうだけのことを繰り返すばかりだ。
歌詞は暗いが、曲は優しく暖かだ。

ブラックバードとは日本名ではクロウタドリという鳥のことらしい。
30センチほどで体は黒く、クチバシは黄色い。
ヨーロッパなんかでは公園なんかにいるそうだ。
鳴き声が綺麗な鳥だと言う。

アフリカの強い日差しの中でブラックバードを聞くのは実にヘンテコなことだったと思う。
南米を走っていた時にはグレングールドの後の方の演奏のゴルドベルグ変奏曲だったが、こちらは割としっくり来る。パタゴニアの荒野で聴くにはグールドの孤独な美しいピアノ演奏っていうのは、まさにピッタリだった。ソニーのCDウォークマンを持って行っていたのでブエノスアイレスで三枚ほどタンゴのCDも買ったし、他のCDも2枚あったけれど、結局グールドばかり聴いていた。

旅の最中に聴く音楽とは不思議なもので、日本では大してきちんと聴いていたわけでもない曲を聴く。
アフリカでは知り合ったヨーロッパ人の旅人がすすめてくれた南アフリカのソウェトゴスペルコラールというグループの曲も好きだった。
ただ、自転車に乗って聴いていたのはブラックバード。

ーーー

かつては文を書くのが日々の唯一の癒しだった。
文を書くと正直あまり良いことが起きない。
何でもかんでも書くもんじゃないよ、と言われたり、アレコレ文句を言われたりもする。
沈黙は金とは言うが、黙して喋らないというのは確かに害がない。
しかし、害がない代わりに何も誰にも喋らないと、思考は頭を回っているだけでしばらくすると消えてしまう。
書いたとしたって消えてしまうには違いないし、特に反応なんかもあまり帰ってこないので、喋るほどは思考にコダマがあるというわけでもない。
それでも、文を書くと考えがコダマする。

世界はめまぐるしく変わった。
正確には僕がめまぐるしく変わったのかもしれない。それでも、世界っていうのはあくまで主観的なものだろう。木が生えて、動物が生まれて死んで、人間に関しては利害をめぐって戦争したり貿易してみたりの規模のことから少額訴訟にちょっとした買い物の細かい契約やら、五分の遅刻の嘘の理由やらあれこれ小競り合いをしたりと、そういう変わらないこともあるけれど、世界は刻一刻と変わり行く。
あくまで世界は主観的なものであって、変わっていく。
昔と違って暑くなった、でも、平均気温はグラフにするとさほど大きな変化はない、冬は寒くなった、ここ数十年一番の大雪、そんなことが毎年言われる。

そういうのってあまり関係ない。
風呂の水をじゃぶじゃぶ使ったって水道代もガス代も知れている。エアコンはつけっ放しにしていてもあまり電気代は変わらない。
地球は相変わらず痛んでいる。

小説を読んでも映画を観ても、あまり感動しなくなる。
どこかで聴いたような話。
音楽もビルエバンスを聴いていた頃よりはいくらか聴くプレイヤーもジャンルも増えたけど、どこか上の空だ。

マネジメントや会計なんかの本を読んでみても、それがどこに通じるんだろう。
売るための方法を考えて、たくさん売って、それからどうなるんだろう。
僕は静かに自転車を売っていたいだけなのだが。

どうしてアイツはギターを弾くのを辞めてしまったんだろう。
それはきっと君が大道芸をやめたのと同じような理由さ。別に飽きたわけでもなく、単純にやる気が起きないんだ。
何かをし続けるには縁が必要だ。
気付けばずっと自転車に関係する生き方をしているようにね。

小学校の教師をやめた男が偉そうにして、人の言うことに耳を貸さない。

ーーー

どこのことを考えているのか自分にも分からないけれど、とにかく遠い。
それは遠い。
遠い世界の中の僕はこの世界の僕を探しているのかもしれない。


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2018年04月11日

葉桜など眺めたこと。

葉桜など眺める。
桜を眺めるのは嫌いじゃないけれど、好きでもない。そりゃ、桜は良い。桜ってのは文句無く良い。そりゃ、間違いない。
幼稚な反逆心ってわけでもないけれど、桜を眺めるのは芸がない。
葉桜を眺めるってのは芸がある。
そんな馬鹿な考えを持っているのだけれど、現実問題としては、花の桜はチヤホヤするけれど、葉桜などありがたみもなく通り過ぎる。
そもそも葉桜は毛虫がいるから、葉桜には近づかない。
それでも、今日は葉桜を眺めた。


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2018年04月09日

雲まで届くような塔を。

自転車屋をして死んでいく自分の人生を考えると何とも悲しいような気持ちがした。
自転車屋に限らずどの仕事もいずれ死に行くのは変わらず、目先の給料や名誉、ステータス、やりがいなんかはいくらかは違うにせよ、ベルトコンベアでコンビニ弁当の具財を並べていたって、大手企業でそれらしいことをしていても、本質的には人生に大差ないような気がする。

そんなことを言っていても仕方がない。

お酒を飲んでも、自転車をこいでも特に何も満たされない。
夜の桜に妙な寂しさを感じたりする。
咲き始めは冬の終わりを喜べるか、散る頃には一つの季節が通り過ぎる、年月が進むのを感じ、少し北に行くとまだ満開の桜に出会って、その頃にはもう美しさじゃなく寂しさを感じる。

何とかせねばならない。
自分の人生は自分でなんとかするしかない。
しかし、どうやって。

個人拠出型年金の話など持ち上がったりして、話している相手の方は良い話だと思っているのだが、私の方はどうもそんなに長く生きる気もしないし、生きたとして、そんな時にお金があって何に使うんだろうなどと考える。お金があれば人生に憂いがないか。お金がなくて困ることはあるが、お金があるからって幸福とはまた関係ないことのように思う。

暖かな土地でビールを飲もう。
それがいい。
それから先はビールを飲んでから考えよう。
それでいいのか。

例えるなら雲まで届くような塔を作っていたい。
誰のためでもなく、何のためでもなく。
ただ、なにかを積み上げるように終わることなく作り続けなくちゃいけない、雲まで届来そうになった頃に随分と高くなったなと見上げたい。

そんなこんな。


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2018年03月28日

良いもの、人気のあるもの。ジャズギターなど始めてみる。

定住するとあっさり完全にウツ状態になってしまったが、ジャズギターなんか習い始めた。
元々クラシックギターはいくらか弾けるのだが、ジャズはからっきし分からない。
音楽は人生を豊かにしてくれる。
そんなわけで30歳からのジャズギター。

学費は結構かかる。
教室も隣の町まで30分ちょっとかけて自転車でえっちらおっちら行く。
それでも、きちんとやって、一年ほどで基本的なところさえ習得出来れば先の人生ずっと楽しめる。

当面は五線譜で弾けるようになる練習らしい。
とにかくジャズギターはまずは理論らしい。その上で五線譜を読めるのは重要らしい。
和音の複雑なクラシックと違って単音だけなので、五線譜も頑張れば、まあ、読めそうだ。
コードについてはギターは基本的に押さえ方のパターンは同じで指の位置を平行にずらせば良いだけなので、さほど難しくもないだろうと思っている。
問題は五線譜をすらすら読めるようになるのと、コード理論、アドリブ理論だ。

ーーー

群馬にはジャズのレコードを大きい音で流してくれて、お酒が飲めるバーはないかということも聞いてみたが、ないらしい。
ライブハウスみたいなのはあるらしいけれど、良いレコードを長して聴くのを楽しむってのはないらしい。
まあ、そんなご時世なんだろう。

先生も、地方のライブハウスって、言ったって大して上手くもないアマチュアが演奏してて、その知り合いが聴きに来てるくらいで、そういうのってどうなのかなと思うこともあるなんて言っていた。

まあ、ジャズを聴きながらコーヒーと本をたしなむなんて時代は終わったんだろう。

ーーー

良いものはいつまで経っても良いってのは間違いない。
ただ、良いものを人々が聴くかどうかってのは、時代に左右されるんだろう。

人々は良いものを求めていないのか。

J-POPを安易に否定するのも良くないが、J-POPは音楽自体の良さというより、世間的に人気のある、話題性のあるアーティストがやってるかどうかってところになるような気がする。
良いかどうかじゃなくて、人気があるかどうか。

J-POPに限らず、いろんなものがそうだろう。
良いかどうかじゃなくて、人気があるかどうか。

人気がある=お金になるっていう図式になってしまっている以上どうにもならない問題かもしれない。
良いものがお金になるとは限らないのだ。

自転車を売って生計を立てているが。
やはりこれも良いものとお金になるもの、人気のあるものってのは違う。

大道芸の時なんかが実に分かりやすかった。
難しい技、良い演技よりも、凄さが分かりやすくてインパクトがあり人目を引くものってのが人気があり、お金になった。

結局、お金がないと食ってはいけない。
仕事としてやるからにはお金を稼がないといけない。
そうなると、良いものを売っている店はなくなっていかざるを得ない。

ーーー

東京が良いところはそこかもしれない。
単純に人口が多いのといろんな人がいるので、良いものを求める人も少なからずいるし、良いものを売る店っていうのもある。
観光地なんかもそういう風潮がある。
街並みが良くて、歴史のある町ってのは、そういう傾向がある。

お金持ちが多い=そうなるわけでもない。
良いものが好きな人が多いかどうかってのは、生活感じゃないだろうか。
やっぱりベッドタウンってのは生活感だ。
生活に便利っていうものと良いものは少し遠い。
むしろ、良いものって、なくても生活自体は成り立つっていうタイプのものの方が多い。
生活の中に文学は必要ないし、音楽もなくたって良い。

焼肉屋やラーメン屋でもジャズが流れていたりすることもあるけれど、あれは鑑賞するための音楽としてではなくBGMとしての音楽だ。
良いものとしての音楽じゃなく、生活の一部としての音楽だ。

ーーー

お金持ちは良いものが好きみたいなイメージもあるが、はっきり言って金戦力と良いものが好きかってのは相関性は高くないと思う。
たとえば、僕の働く自転車屋で考えてみても、お金持ちだから良い自転車を買うって人もいくらかはいるにせよ、お金持ちじゃなくとも自転車が好きだから良い自転車を買うって人の方が明らかに多い。
100万円近い最高級クラスとなると、お金持ちの比率も高くなるが、20〜40万円あたりのそこそこ良いロードバイクというところについてはお金持ちかどうかはあまり関係ないように思う。好きな人が好きだから買っている。
最高級クラスではないものの、十分に値段の高い自転車だが、お金持ちだから買うってのはちょっと違う。

あとは時代の問題もあるのだろう。
昔はお金持ち、ステータスの高い人ってのは、ある程度良い趣味を持っていないと少し恥ずかしいような文化もあったのだろう。
最近は高いものを所有していれば、恥ずかしいことはないって時代なのかもしれない。
はたまた趣味が良いってものを選ぶのを代行するビジネスみたいになっているのかもしれない。
高いもの=趣味の良いものみたいな。

ーーー

良いもの=高いわけでもない。
ただ、安いもので良いものってのは探すのが難しい。
基本的には良いものって安くはない。
例えば、良いジャズのCDや良い小説は高くはないけど、すこぶる安いってわけでもない。小説は100円で買えることも多いけど。小説ってのは実に例外かもしれない。
服なんかは高いもの=良いかっていうと、全くそうとも限らなくて、趣味の悪い人は値段の高い服も趣味悪く着る。良い服を着こなすってのは難しいってのもある。

ーーー

お金があればなんとかなってしまうという時代だからかもしれない。
お金が全てじゃないけれど、お金はある意味では全てだ。
お金じゃ買えないものも存在はするけれど、お金で買えるものが増えた。例えば時間だってそうだ。昔はいかにお金を積んでも時間を買うのは難しかった。今は新幹線を使うだとか、コンパクトでどこでも仕事が出来るパソコンを買うだとかで時間って作りやすくなった。
技術革新ってのは、要はお金で買えるものが増えるってことだ。

お金はある意味で全てになりつつある。
結婚だって、お金って大きい。
昔から結婚する上でお金って大きかったに違いない。
それにしたって、昔よりもお金がかかる時代にはなってるだろう。
正確に言えばお金のかからない生き方ってのを人々が嫌になってしまっているのかもしれない。
冷暖房だとかを見たって、昔の人より今の人の方がよく使っている。
いろんなものが省エネになっているはずなのに、電気代とかってあまり変わらない。

給料が少々増えてもあまり意味がないって自論がある。
給料が少ない頃には、身丈にあったそれなりの生活をしてやり過ごす。
ただ、給料が増えれば、その分使うようにもなる。
実のところあんまり意味がないのだ。

ーーー

まあ、ジャズギターでもしてみる。
ジャズギターやってりゃ平和だ。
誰かとセッションする日は来るんだろうか。
ギターってジャズの中では弱いのだ。あってもなても問題ない楽器みたいな立ち位置なのだ。
ピアノ、ドラム、ベースは間違いなく必要だ。管楽器もあればあったで歓迎される。
ギターは本当にどっちでも良い。

まあ、それはそれで良いのだ。
アドリブなんかのかけ方が分かれば楽しいじゃないか。
人生が豊かになるじゃないか。

ま、そんなこんな。


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2018年03月26日

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明日にでも死ねる男を私は待ってるの。
おれは明日を待たず今死ねるよ。
違うの明日にでも死ねる男よ。
はるか未来に死ぬはずなのに、今日死なず、明日死んでも良い男?なおかつ。明日、実際には死なない男のこと?
そんな難しく言われたって分からないよ。

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