2020年01月15日

やさしい、ありがたい。

珍しくFacebookに仕事の宣伝など書いてみたりした。
転職と近況報告に乗せて、今度、家の見学会をする記事など貼ってみたわけだ。
ちなみにこれ。最近の僕はこんな仕事をしてるわけだ。長野県の小さな工務店で家の勉強をしつつ、のんびり生きている。
https://www.lhouse.co.jp/event/200118-27/

仕事の話、特に自転車屋を辞めてしまったのに、昔のお客さんや、旅の頃知り合った人、山小屋の友、故郷の友、インターネット上でしか僕を知らない人、たくさんの友達が反応してくれた。
普段は反応してくれない人も反応してくれた。

日本全国から応援してもらえているような気持ちがした。
ありがとうございます。

ーーー

子どもが産まれたおかげか分からないけど、最近の僕は元気だ。
驚くほどポジティブだ。
ネガティブしている暇や余裕がないという意味では、昔の方がある意味では豊かだったのかもしれないとは思う。
前に進む以外のことにも没頭出来た。
外から見れば全く無意味なことにもいくらでも没頭出来た。

いろんなことが変わって行く。
特に僕の場合、いろんなことをやめて生きてきた。
大道芸人も小説家も、医者になりたかったことも、自転車屋も、山小屋も、冒険家も。
改めて考えるといろいろやったな。20代って本当パワーも時間も可能性も溢れていて、何でもトライできた。
まあ、今も相変わらず新しい仕事にトライしているけど。

いろいろ変わったけど、僕が今までの自分でずっと変わらず良いところだなと思えるのは、昔の友に胸を張って、今はこれを頑張ってるよ、ってのを言えるってことだと思う。
そう大したことじゃないことも多いけど。
それでも、まあ、我ながら頑張ってるとは思う。

妻は僕のことをいつも何かしていて忙しそうと言う。
実際は別に何もしていない。
暇だからランニングしてみたり、本を読んでみたり、とても暇ならギターを触るし、寝る前にも暇なのでこうして文も書く。
仕事については暇だからしてるってわけじゃないけれど、それでも、仕事していないと暇するし、お金も必要だし。

基本的に僕はだいたい暇してる。予定があることもたまにはあるけど。
暇なので何かしている。
それが妻にはたえず忙しく何かしているという風に映るらしい。

確かに暇を見つけては何かしてるとも言えるのかもしれないけれど。
前提としては暇があるので何かしてる。
僕は暇人だと思う。

みんな忙しく生きてるなと、よく思う。
本を読むにしたって、ランニングするにしたって暇じゃないと出来ない。
実際、僕は1日の中の時間的な面では仕事には恵まれて生きてきている。
朝6時半に家を出て、10時に帰るなんて生活は一度もしたことがない。

ーーー

暇な僕だけど、煙草を吸うのに関しては忙しいとよく思う。
昔はくわえタバコしながら本も読めたけど、最近は家の中は禁煙なのでベランダで吸う。
右手の人差し指と中指の間に煙草をはさむ。
左手があくので、それで本を持てば良い気もするのだが、煙草を吸うと喉が渇くのでお茶やコーヒーを持ちたい。
はたまた飲み物がなくても、今度はスマホなんかいじってみたり。
そもそも本って片手で持ちにくいし、日光の下で文字を読むと目が痛くなる。

なので、煙草を吸う時って煙草を吸うことに忙しい。
その理屈で言えば、他のこともそうだろうって話なのだが、ながらで何か出来そうです意外と他のことが出来ないという煙草を吸うという営みは忙しさを感じる。

なので、煙草を吸うときには煙草を吸うのに忙しい。
考え事などしたりしているのだろうが、実際には右手の煙草を吸って吐いて、つまり息をする以外出来ていないわけだ。

ニコチン中毒のせいだか分からないが、なんとしても煙草を吸う時間ってのは取りたい。
何かしていても中断して煙草をしなくちゃいけない。

煙草を吸うのに関しちゃ、本当に忙しいなと思う。

ーーー

煙草を吸うとき、僕は何をしているんだろう。
煙草を吸っているといえばそうだけど。
何を眺めているのだろう。
何を考えているのだろう。

分からない。
何にせよ煙草を吸うのに関しては忙しい。

ーーー

話はどんどん逸れてしまったけど。
みんな、元気にしてるだろうか。
僕が期待していたよりも、予想していたよりも、人間って優しいと思う。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月09日

ぐるぐるまわって頑張る

うっかりしていて、子ども手当ての申請に必要なマイナンバーの提出を忘れていた。
二ヶ月分、損するかもしれない。子ども手当てって結構大きいから痛い。
というか、そんなの申請しなくても、税金から控除して欲しい。

ちょろり草もすっかり更新していない。
最近は会社の方で住宅に関する情報サイトを立ち上げるということで、そっちの記事を書くのに追われている。
アフリカの小説をそろそろ書こうかなと思いつつ、どんどんと時ばかりが過ぎてしまっている。

そう、アフリカから帰国してもうすぐ三年が経つ。
早い気もするし、まだ3年かという気もする。
自転車屋の店長は何だかんだの2年だった。最初の約束と給料が違ってしまったし、将来性の見えない会社だったので、まあ、仕方がない。
お客さんには悪いことをしたけど、子どもも産まれたし許してもらいたいなと思いつつ。

自転車には旅を通しても多くを教えてもらったし、自転車屋の仕事でも多くを学んだ。
まさか自転車屋で習得した情報サイトの作り方やマーケティング、接客技術がこんなに役に立つとは思わなかった。
でも、確かによく考えると、規模の小さい小売りって本当に広くたくさんのことを見られる。特に店長をすると集客からスタッフの教育、マネジメント、売上や仕入れの管理までする。
自分の仕事が目に見えて売り上げにつながったり、お客さんの来店になる。

住宅会社に転職して改めて思うのは20代のうちにそんな風にマネジメントの仕事までやらせてもらえるチャンスって滅多にないということだ。
店長してた頃と違って、正直、すごく気楽だ。
店長ってくたびれる。面白いのは面白いけど。

仕事する上で大事なのは仲間だな、と思う。
自分が頑張るのはもちろん大事だけど、一人で頑張れる範囲って決まっている。
能力の有無の問題もあるけど、それは割と些細なことで。仕事へのモチベーションの問題って本当に難しい。
稼ぐ理由がない人間と仕事するのって大変だ。
頑張って売り上げを増やそうなんて言ったって、売り上げを増やしてどうするの?って話になってしまうとどうしようもない。
さらに、売り上げが増えても給料が増えない会社だとなおさらどうしようもない。
どうしようもないだらけになると、どうしようもない。
どうにかしようのある場所を求めて動くより他ない。
改めて、どうして自転車屋っていうのはあんなに儲からないんだろうと思う。

でも、まあ、それも天命だったようにも思う。
確かにあの頃の僕にはあまりお金は必要なかった。
お金ってそんなに優先順位は高くなかった。
だから、あの会社に入ったんだろうなと思う。
お金にしても休みにしてもそうだろう。

やっぱり、人間求めないものは手に入らないのだ。
もらえるなら欲しいっていうものは手に入らない。
本当に欲しくて、手に入れるための努力をするものが手に入るのだろう。
そういう意味ではアフリカの小説は今年も書けないかもしれない。そろそろ書けた方が良いようには思うけれど、書ける気があまりしないのだ。どうしても書きたいっていうのがないんだろう。

お金についてはこれから先、手に入るようになるだろう。
欲しいと思っている。
別に自分のもので欲しいものってあまり無いんだけど。
子どものためにお金が欲しい。
案外子育てってそんなにお金かからないとかって聞くけど。東京の大学とか行くってなるとかかるらしいけど。義務教育の間はそんなにかからないらしい。本当か分からないけど。
とりあえず、冬の暖房代はかかりそうだけど。一人ならある程度は寒さも我慢するけど、やっぱり子どもがいるとね。しかも、しばらくはほぼ一日中家にいるだろうし。
それにしても、長野県、寒い。

ーーー

ぼんやりと、野球のことを思い出す。
勝ちたいなら勝てるチームに入らないといけない。
勝てないチームで頑張ってもダメだ。
今回の会社は勝てるチームだろうか。少し不安もある。

ドラッカーのマネジメントを高校野球のマネージャーが読んだら、っていう本もあったけど。
あれってやっぱり無理がある気はする。
モチベーションの低い人間が集まってるチームで、いかにマネジャーが頑張っても、なかなかモチベーションって上がらない。
どんなに吹き込んでも、真摯にお願いし続けたって、人間、まずは自分のことが第一だ。
自分にとっての利益が見付からないと、モチベーションって出ない。

その点、うちの会社は上層部が頑張っている。
コンサルタントみたいな人がいるのだが、とにかく全員に自分の人生の理想のイメージを持つように教育し続けている。仕事の理想じゃなくて、自分の人生だ。
確かに理想が作れたら、その理想に向かって進んでいける選択肢ってのが自分の利益なのだ。
仕事を頑張ることが自分の利益に結び付くと、モチベーションになる。

その辺、すごいなー、と思いながら勤務している。
僕ならそんなこと教育しようなんて絶対に思わない、すぐ諦める。やる気のない人間は永遠にやる気がないって。
ダメな人間はダメって。
別に人生、仕事が全てじゃないから仕事にやる気がないからってダメな人間ってわけでもないけど。
でも、少なくとも仕事に関してはダメな人っている。

勉強でも自転車でもなんでもそうだけど。
やる気の問題って大きい。
そして、時間の有限性が分かっているかどうかって大きい。

やる気があって時間が有限だと分かっていれば、工夫するのだ。
どの程度、工夫できるかっていうのは、センスの問題もあるだろうが。それでも、工夫しようとしていれば、少なくとも工夫などせず、漠然と生きている人よりは遥かに早く効率よく進むはずなのだ。
頑張ることを頑張ってはいけない。
頑張らないようにするための工夫を頑張るべきだ。
でも、その工夫を頑張らないように頑張って、それもまた頑張らないように頑張る。グルグル回って結局何かしらは頑張らないといけないんだけど。
テコの原理で一番楽に動きそうなところを見付けて押してやるのが大事なんだろう。

そうは言っても、アフリカの小説を書くなんかは地道に頑張るより他ないのだろうが。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月06日

幸先のいい新年。

建築の仕事に移って、何だかんだで二ヶ月過ぎて年も明けた。
自転車屋のころは年末年始も盆もゴールデンウィークもなく働き続けていたが、ゆっくりと年末年始を妻の実家で産まれたばかりの子どもと過ごした。
30を過ぎてからの未経験の仕事への転職だったので、難儀することも多いはずだったが、赤ちゃんのことを考えると必死だったということもあるのか、すんなり新しい仕事に馴染みつつある。

ーーー

帰省から長野県に戻っても、長い休みが2日ばかり余裕があって松本に山小屋時代の友人を訪ねた。
お酒の流れで一泊させてもらっていたら、小説家の先生から松本にいるのかい?と連絡をもらえた。
それで一夜明けて、久しぶりに先生と飲むことになったのだが、先生の来る夜まで時間が余った。一度、家に戻るにしても、案外、松本から茅野は遠い。

松本が素晴らしいところと言えば、丸善とジャズバーと古本屋カフェがあること。あとは時間があまれば松本城を眺めていれば良い。他にも良いところはあるのだろうが、僕は結局そこくらいしか行かないし、そういう店が存続していける土壌があるというだけで松本は価値ある街だと思っている。

ーーー

先生が来るまでの時間で丸善に行って、二級建築士の設計製図のテキストを買った。
建築士は非常に意地悪な資格なので、建築の専門の学校を出ていないと実務経験を7年以上しないと受験資格さえもらえない。
さすがに7年ってのは意地悪過ぎると思う。一番長い教育機関の小学校でさえ6年なのだから。

なんと馬鹿な話だろう。試験の意味がない。金出して学校に行かない人間は試験で満点取ろうが、いや、受験さえさせてくれない。そんな試験は試験の意味がないじゃないかと思うし、逆に学校さえ出ていれば良いなら卒業試験でやってしまえば良い。学校を出ていても合格しない人もいる。

日本はスタンプラリーが好きな国だ。
大学でもなぜかテストよりも出席日数が大事だ。
スタンプ集めていない人間はダメで、逆にスタンプさえ集めていれば、「君は努力家だからね、OKだよ!」なんて話になる。

努力ってしない方が正しいと僕は思うのだ。
出来るだけ少ない努力で結果を出すための工夫を考えるのが大事だと思うのだ。
本当にスタンプラリー制度はやめた方が良い。

子どもが産まれたから、あまり世間の悪口を言ったりするのは控えようとは思うのだが、変なものは変だと思うのは大事だと思う。

ーーー

二級建築士の資格を取るかどうかは別の話として。
図面が読み取れないと仕事にならない。二ヶ月で何となく読めるようにはなったものの、きちんと図面の向こうの意図が読み取れないとプロフェッショナルへの道は遠い。
実際、営業職だと図面が読めなくても間取り図くらいまで書ければOKという人も多いようだが、仕事を面白くするにはプロフェッショナルになった方が良いと僕は考えている。

全部自分でやろうとしてはいけないと言う人もいる。
それはその通りでもある。人生長くない。全てを学ぶには人生は短すぎる。ましてや30過ぎてからの転職だ。
それでも、だからと言って諦める必要もない。

やってみたいことは何歳から始めてみたって良い。手遅れなんてことはない。
たしかに僕は30歳を過ぎた。でも、二十代の人と僕と、どっちが長生きするかなど分からないのだ。
特に年金がなくなるであろう世代だ。65歳を過ぎても働き続ける時代は来るだろう。年金制度がきちんとしていなかったら、定年退職って制度は成立しないのだから。

ーーー

まあ、理屈は抜きにして、図面を眺めるってのは結構楽しいことなのだ。
個人的には図面と見積もりを並べて眺めるのが好きだ。
ロフトやスキップフロア、勾配天井、ウッドデッキなんかのオプションの値段と図面を見比べるのは楽しい。
そういう技があるのかって喜びもあるし、いずれ建てる自分の家に採用したらいくらくらいになるだろうとか。

自転車のカスタムなんかの勉強をするのと同じだ。
いや、自転車のカスタムの方がマニアックかもしれない。10万円のホイールと30万円のホイール、材質やベアリングの理屈の上での性能差と、実際に使ってみて体感する性能差、そのカスタムの価値。
自転車はそういう意味では本当にマニアックだ。
固けりゃ良いわけでもないし、しなやか過ぎても良くない。また、人によって好みのポイントも違う。軽くするにしてもどこを軽くするかで随分意味も違う。
机上の空論の構造力学だけでは駄目で人間が気持ち良く感じる構造を突き詰めないといけない。
その点、家は割とシンプルではある。

自転車屋って改めてマニアックで難しい仕事だったんだなと思うことは多い。

ーーー

小説家の先生が来るまでのんびりと設計製図の本を読んだら、案外、予想以上に分かりやすくて、新年早々賢くなれた気がした。

先生とUFOの話と東京の話とFXの話を延々と、そして例の如く小説、文学の話はほんの少しだけして。
こちらは賢くはなれないかもしれないが。
先生が教えてくれることは本当に本には載っていないことばかりだし、そういう知識、経験を持っている人は日本に何人いるんだろうというような人で。
本当にありがたい。
東京を離れて5年近く経っても、何だかんだ年に一回くらい会える。

小説のことはあまり教えてくれないけれど。
でも、改めて考えると小説を書く上で大事なことって文章的な技法とかじゃなくて、生き様や考え方、触れるもの、経験することなんだろうと思う。

幸先の良い新年だった。
ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月06日

意識高い系?

転職してから一ヶ月。
特に住宅のことが分からないのに、なぜか妙なまでに意識の高い新入社員っていう人になりつつある。

実際、最近の僕はちょっと意識高めな気はする。
自分で言うとアホみたいだが。

それでも、実際、子どもが生まれて、頑張って稼がなくちゃと思っている。
稼ぐと決めたら稼ぐ。
基本的に僕は極端な性格だ。
自転車で旅しようと決めたら世界で一番遠いということで南米に行こうってなる。
好きなことをして生きていようと思ったら、自転車屋を全力でしてみる。
稼ごうと決めたら、家が一番高い売り物だから家を売れる人間になってみようと思う。

まあ、我ながら随分と極端な人間だなとは思う。
でも、ちょうど良い塩梅ってのがいまいち分からないし、中途半端なことってモチベーションが出ないのだ。モチベーションが出ないと全く出来ないのだ。すごくムラっ気があるのだ。

そんなわけで、稼いでやるぜ!家を売れる男になってやるぜ!家マスターになってやるぜ!という意気込みで入社している。
それに対して、周囲の人は、まあ、地方の工務店の人々だ。
経営陣は割とバリバリしているのだが、従業員は基本的には長野県の地元の人で、地元の会社に入っただけという人も少なくない。本当のところは分からないけれど。

そう、普通は意識高い系の人は大手住宅メーカーに行くのだ。
大手住宅メーカーは給料が良いからね。
でも、残業地獄らしい。

僕は基本的にやる気はあるのだが、事前の下調べというのが苦手で、地方の工務店と大手住宅メーカーというものの違い自体よく分かっていないままに入ったのだ。
つまり、僕は残業地獄をある程度予想して、それでも稼ぎたいと思って入社したわけだ。

そしたら、入社前の話どおり、本当に残業はない。
むしろ、定時できちんと帰ることが誉められる会社なのだ。
もちろん、仕事は終わらせないといけないので、残る人は残るが、新人の僕には残ってやる仕事などあまりない。
会社としては定時上がりを推奨している。定時で上がれるように工夫して仕事しなさい、家に帰って家族と過ごしなさいというわけだ。

まあ、良い会社に入らせてもらえた。

でも、おかげで意識高めの人みたいな立ち位置になってしまってはいる。

ーーー

でも、改めて考えると、まあ、意識が高い人間なのかもしれない。
自分で言うと、やっぱりアホみたいだが。

意識の高さというと日記だろう。
ちょろり草はたまにしか書かなくなったが、何かしら文章は相変わらずほぼ毎日書いている。
文を書くことで気分が安らぐ。
バランスが取れる。

かれこれ文をこうして書くようになったのは高校生の頃からだ。
その頃は、勉強のためだった。
勉強の息抜きでもあったけど、その日を振り返り、明日以降、改善できることはないかと。日々の記録、考察を書きたかったのだ。
当時は医者を目指していたこともあって、熱心に勉強していたし、そのストレス解消ということもあって日記を書いたのだ。

その後、医学部に落ちて、文学に人生の慰めを見出した。
その後、旅に出た。
気付くと延々と文を書いていた。

大した文じゃないにせよ、こうして延々と18歳の頃から、日常的に文を書き続けてきた。
ちょっと頭がおかしいのかもしれないと時々思うこともある。別に悪いことじゃないにせよ、こんなに延々と日記を書き続けている人はちょっと知り合いにはいない。プロで文を書いている人は別にして。

そう考えると、まあ、意識の高い人間なのかもしれないなとは思った。

意識高いって何なのかよく分からないが、内省するとか、自問自答するとか、人生に意味を求めるとか、そういうことなら、まあ、毎日細々と文を書き続けていれば、気付けばそれなりに意識の高い人になってたのかもしれない。

別にそれが良いことなんだか、悪いことなんだか知らないけれど。

ーーー

まあ、意識高い人だろうとなんだろうと。
自転車屋やめて始めた新しい仕事だ。
妻と子どもとどこか旅行にでも行きたい。
稼いでやろうじゃないか。
金の亡者じゃないけど、30代は仕事を頑張って、稼げる男になってみようじゃないか。

まあ、新しい仕事は楽しい。
覚えることも多い。
意外とこれまでの仕事の知識や経験も、ふとしたところで役に立ったりする。

楽しいことは良いことだ。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月28日

HELLO WORLD.

子どもが産まれた。
無事に産まれた。

産まれてくるのを見ていたら、人間も馬や牛と同じように出て来るんだなと思った。当たり前だけど、普通にお母さんのお尻から出て来る。頭から世界に出て来る。血や羊水にまみれて。
嗚呼、命。

命の誕生は神に感謝するものかと思っていたが。
もちろん、神にも感謝はするが、やはり産むのは人間なのだ。そして、産まれるのは人間だ。
妻と息子にこそ一番感謝の気持ちがある。

女の人は、まあ、本当にすごい。
しみじみ思った。
30過ぎて、母親の偉大さが骨身に染みた。
赤ちゃんも大きいが、胎盤というのも結構な量だ。
ドサっと血だらけの肉片である。

赤ちゃんも、まあ、立派なものだ。
産まれて少しして、もうおっぱいを飲んでいた。
産まれてきて、へその緒を切ってもらって、母親が産後の処置をしてもらってる間に、赤ちゃんも綺麗にふいてもらって、服を着せてもらって、少ししたら、もうちゃんとおっぱいを吸うのだ。おっぱいに顔を近付けてもらうとちゃんとおっぱいを吸って飲んでいる。

それにしても、痛みは壮絶だった。
うちは和痛分娩、麻酔で痛みを取る方法を採用したのだが、麻酔なんか本当に効いているのかと言わんばかりに妻は喚いていた。
息を吸って、吐いてと。頑張れしか言えない。
まあ、壮絶である。
破水が先だったし、陣痛促進剤も使ったからなのかもしれないけど、麻酔ありの和痛分娩でも本当に壮絶なものだ。

麻酔、本当に効いていたんだろうか。
効いていたとしたら、麻酔なしで産んだら本当に死ぬんじゃないだろうか。

ちなみに完全な無痛分娩は、母親は痛くないのだが、出産の時間がかかるので子供への負担は大きいというリスクと、母親も出血量が増えてしまうというリスクがあるそうな。
妻は痛そうで大変そうだったが、息子がとても元気そうだったので和痛分娩で良かったと思う。

もう世界に出て来たのだ。
一人の人間として。
我々の所有物ではなく、一人の人間として世界に降りたのだ。

誕生日おめでとう。
世界は良いところだろう。
楽しいことをしていこう。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 22:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

THE DAY is coming.

妻が破水して、子どもが産まれるということで、仕事を少し早く上がらせてもらって、長野県から奈良県へと車を飛ばした。ほとんどアクセル全開の時速120キロ前後だったので、警察に捕まったらどうしよう、でも、間に合わないともっと困るしな。それにしても、軽自動車だとこの速度で走り続けたら火を噴くんじゃないかと心配もしたが、まあ、さすがは日本の車だ。

軽自動車はうなりをあげて走ること4時間半。
子どもはまだ産まれないので、妻の実家でのんびり待っている。

男は、まあ、気楽なものだ。
仕事後に長距離移動して疲れた、と言っても、まあ、たかが知れている。
24時間運転しろと言われるとさすがにしんどそうなものだけど。
それでも、出産と比べれば、まあ、知れたものだろう。
何ヶ月もお腹が大きくて、つわりもあって、最後は激痛なのだから。
ちょっと男の人生の中だと大きな病気は別として、思い付かない苦行だ。

ーーー

子どもが産まれるって。
まあ、不思議なものだ。

特に僕ら男には、実に不思議なものだ。
女性には叱られるだろうが。
男って本当にノーダメージだ。
せいぜい里帰りの時期やツワリの時期に、自分で家事をしなくちゃいけないくらいのものだろう。

実の父親が分からないなどということも世の中ではあるそうな。
そのくらい男って本当に実に役立たずだ。

それでも、産まれてくる子どもは間違いなく自分の子どもなわけだ。
男の場合、本当にある日突然に特に苦労なく子どもがやってくる。

ーー金銭的な苦労は男がするじゃないか。
そういう人もいるかもしれないが、金銭的な苦労は女の人も一緒にすることになる。
ーーだれが稼いできてると思っているんだ。
今の時代、男より稼げる女はいくらでもいる。

新たな命を神に感謝するとか言うけれど。
妻に感謝だろう。

無事に産まれてくると良い。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

成功哲学と住宅と。

31歳の転職。
20代の頃と違って、手取り足取り仕事を教えてもらえない。
未経験歓迎とは言っても、最低限の社会人的能力は備えているだろう、ということもあるし、周囲も良い年こいたおっさんにアレコレ言いにくい。
教えてもらいたいことは自分で考えて教えてくださいと頼む、そりゃ社会人の常識ではある。
それでもさすがに職種が全く違う。
また厄介なのが自転車みたいにカタログもない。
正直何が何だかわけが分からない。
教えてもらえるうちが花とは言うが、まあ、正にその通りである。

それでも、今の会社に移ってきたのは正解だったと思う。
この会社、経営者が他にもいくつか会社をやっている中にコンサルティング事業がある。
それで、社内で成功哲学のような教育をしてくれる。

人生を成功したいか。
正直、僕はそういうのってあんまり思わない。
でも、まあ、それは僕の言葉の中でのことだろう。

最近の僕はお金を稼ぎたくなった。
成功哲学の影響もあるのだろうが。

お金がなくて出来ないことっていうのが悲しくなったのだ。
僕は自転車屋さんの仕事ってとても好きだった。
でも、残念ながら会社の経営、財務がこけてしまった。真相は定かではないが、特別損失が膨らんでしまったとか何とか。真相究明する気も起きなかったし、意味も感じられなかったので、真相は謎のままだ。もしかすると、本当は会社は特に経営にこけてなどいなかったのかもしれない。
それでも、僕の給料はもうほとんど上がらないという状況だったのは間違いない。

まったくね。
どうして、歳を取るとお金をたくさん稼がなくちゃいけなくなるんだろう。
どうして歳を取ると、年相応の経済力なんてものが必要になるんだろう。
いや、本当はそんなことないのかもしれないのに、僕が勝手に思い込んだことかもしれない。

でも、妻が妊娠して働けなくなって、もうすぐ子どもだって産まれてくる。当然、赤ちゃんは働けない。
僕が稼いでくるしかないのだ。

遠い将来の老後の貯蓄までの話はしなくたって、赤ちゃんが安心して大人になるのに必要なお金、もしかするとそんなのって案外なければないなりに子どもは大人になるのかもしれないけどね。

とにかく僕はお金を稼いでみようと思ったわけだ。
貧乏を我慢するっていうのは半分僕の趣味でもあるけど、僕一人じゃなくて妻と子どもにまでそういうことをさせるのは僕の趣味ではない。

ーーー

成功哲学の良いところは、ただ漠然とお金が欲しいっていうことから変わったことだろう。

成功哲学ではとにかく成功するためのイメージを持って、それに向けての階段をイメージして、自分の足元まで伸ばして登っていくってものだ。
単純にそれだけのことだ。世の中に流布している成功哲学の大半がそれだけのことだ。

でも、それを本気でやるってのは難しい。

遠い将来のビジョン。
例えば子どもが大人になって手を離れたら、妻と二人でサンチャゴデコンポステーラを歩きたい。アラスカのデナリ国立公園に行ってみたい。
子どもが手を離れる前に家族で行ってみたって良い。
また自転車を持って海外を走りに出掛けたい。
それはこれまでの突撃隊長的なやり方じゃなくて。
妻と二人で楽しくしたいのだ。

100マイルが走れるようになったらUTMBにも出てみたい。

自転車でブルベだってやりたい。

もちろん、子どもが困ることなく、医者になりたいと言って一生懸命勉強したら、医学部に行かせてやれるだけのお金を作っておきたい。

そういうのを成功哲学では成功者って言うのかもしれない。

でも、別に僕の場合、それは成功でも失敗でもなく、人生のうちにやっておきたいいくつかのことっていうだけだ。
やっておきたいことだから、やれる方法を考える。

成功哲学は、ただ漠然とお金が欲しい。もう貧乏は嫌だ。っていう気持ちと夢とをお金でつないでくれる考え方なのかな、という気もする。

ーーー

まあ、少々くたびれるのは事実だけど。

でも、住宅の勉強は楽しい。
久々に三平方の定理を使ってみたりして。
数学が生まれて初めて実用的に僕の生活の中で役に立っている。
嬉しい。
まあ、大した数学は使わないんだけど。どちらかと言えば算数か。
でも、何だか嬉しい。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月07日

転職して一週間ほど。

新しい仕事にボチボチ慣れていってみている。
と言っても、はっきり言って、何の仕事もしていない。
詳しいことは分からないが、まずは会社の雰囲気に慣れてね、ということみたいだ。
優しい会社で助かっている。

ーーどうしてこの会社に来たの?

ということを何回か会社のいろんな人に聞かれた。
はっきり言ってお金のためだ。

別にこれは恥ずかしいことじゃないと僕は思っている。
家族が出来て、家族で幸せに暮らすためにきちんとした収入が欲しい。

まあ、一番は自転車屋で稼げれば一番良かった。
ただ、自転車屋で店長職をしているのと、
住宅業界で未経験一年目で給料は同じなのだ。
それでいて年間休日は20日以上違う。
まあ、残業なんかは増えるのだが。

住宅業界で三年もいれば自転車屋で店長職をしているより1.5倍は収入は良くなってしまう。

さすがに1.5倍違うと随分暮らし向きも変わる。

ーーー

人生はお金ではないとは思う。
仕事のやりがい云々というのも、どうかなという気はする。

生きているだけで幸せ、これも一つの真理ではある。

どうしてお金がそんなに必要か。
孤独にならないようにお金が欲しいんじゃないだろうか。
お金がなかったり、貧乏だったりすると、社会の目が厳しい、ような気がしてしまう。

すごく良い車とは言わずとも、一家に一台は普通車は欲しい。
性能的な問題というよりは、世間の目なんだろう。

世間の目を気にせず生きられるようになれば、それは強い。

別にお金がなくたって、家族で近くの公園にサンドイッチを持って出かければ幸せだろう。
異国へ家族旅行など行かなくたって幸せに生きていける。
実際、自分もそうだった。
家族でお出掛けなんてほとんどしなかった。
日曜はだいたい野球だった。
そんなもんで良いのだ。
良い車に乗って、遠くに出かける必要などない。

でも、家族が増えるに際して、お金がないのが不安に感じられる。
それは僕の心が貧しいからなのかもしれない。

ーーー

自転車屋を辞めてから、めっきり自転車に乗ってない。
寂しいことだが。
まあ、仕方ないことでもあるのだろう。

冬が来るから、乗るなら今のうちだろう。
でも、何となく乗る気が起きない。

周りに自転車の仲間はいない。
ついこの前まで毎日自転車に触れて生きていけたのに。

ーーー

そうは言っても新しい仕事も楽しい。
全く新しい業種だから勉強することも多い。
新しいことをしていく。

人間、何をするかって三つだ。
できることをする。
したいことをする。
しないといけないことをする。

できることをする、日々をルーチンワークにはめていく。
それが一番楽ではある。
でも、人生、長いのだ。
昨日まで上手くいっていたことが上手くいかなくなることだってある。
できることだけやっていると、上手く行かなくなった時にニッチもサッチも行かなくなる。

しないといけないことをする。
これは必要なことだ。
でも、しないといけないことってモチベーションはなかなか上がらない。
モチベーションの低いことは効率も悪い。

したいことをして生きていけるようにしないといけない。
しないといけないことをしたいことに寄せて行くって大事だ。

ーーー

困ったら人と話そう。本を読もう。勉強しよう。
そして、どうしてもダメなら自転車でも乗ってみよう。

それで人生たいてい上手くいく。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月01日

茅野。いいところ。

茅野での新しい暮らしが始まっている。
今日は新しいお仕事初日だった。
最初の2時間は緊張していたが、みなさん良い人で割と早くなじめた。
長野の人は穏やかで良い。

とりあえず、今日は特に何の仕事もせず。
パソコンの設定したりなんやかんや。
とりあえず、みなさんの名前と顔を覚えられて良かった。

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山小屋と自転車屋こそしてきたものの、普通の会社って初めてだ。
通勤手当だとか有給だとか、ゴールデンウィークに盆、正月。まさに夢のようだ。

自転車屋を辞めたことについて悲しいところも多かったが、新しく住む茅野という町は実に素晴らしい。
給料、休日ももちろん大事ではあるが、それだけじゃ人間つらい。住環境、遊ぶ環境ってすごく大事だ。

少しふらふらっと出掛けると標高1000メートルになってしまう。
先日は妻と森の中の珈琲屋さんに出掛けた。
本当に森の中に珈琲屋さんがあるのだ。

夏場ならその気になれば、そのまま八ヶ岳にも登れてしまう。登山口まで車で30分も掛からない。自転車だと小一時間か。
八ヶ岳という山はこれまで北アルプスと比較するまでもないと思っていたが、眺めていて非常に美しい。
北アルプスのスケールの大きさというのも素晴らしいのだが、いかんせん、奥深い、町から遠い。
それに対して八ヶ岳は近い。
そして形が良い。
茅野はまさに八ヶ岳の裾野にある。

そして、茅野の良いところは隣の原村に雰囲気の良いカフェが多いということもある。
実際にはカフェなどそんなにしょっちゅう行くものではないが、良いカフェがある町って、良いカフェが好きな住人がいるということでもある。
とても文化的なのだ。
東京の富裕層の住みそうな別荘地も多い。

八ヶ岳山麓。
なるほど、スローライフを求めて移住者が来る町である。
まあ、僕はスローライフとかはあまり求めてなかったんだけど。
山小屋で何シーズンか過ごせばスローライフもお腹いっぱいになるのだ。
でも、スローライフ、嫌いじゃない。
スローライフまでは求めていなかったが、長野県に住みたいと考えたのは事実だ。

山麓ということで言えば、前は榛名山の山麓だったが、山麓のスケールが違う。
八ヶ岳山麓とは実に広い。
逆を言えば平地がほとんどないのだが。
なだらかな坂でずっと諏訪湖の盆地へと下っていく。
このなだらかな坂というのが実に長い。
スケールが大きい。
それでいて、盆地の箱庭感。

でも地元の人は、狭くて閉塞感があると言う。
まあ、それも納得はする。
生まれてから死ぬまでこの盆地の中で住むとなると確かに閉塞感のようなものを感じるのかもしれない。

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31歳にして思うのが、転々と生きることが出来るというのは楽しい。
どこでも生きていけるということ。

ほとんどの人が故郷の町や仕事の都合で生きる町を決める。
実際は僕も仕事の都合で住む町が決まる。
さすがに住む町を決めて、そこで都合良く仕事が決まるってことはなかなかない。
それでも、ある程度はあっちに住みたい、こっちに住みたいと移っていく。

転々としていると地の人が生きているのを見る。
一口に日本と言っても案外いろんなことが違う。
もちろん、ベースは同じだ。
前に書いた良いカフェがあるかどうかという話もそうだし、群馬県の場合は良い車に乗っている人が多かった。外車に乗っている人が多い。日本車にしてもちょっと良い車っていうのが多い。なぜかは分からなかったけど。
一括りにその地域の人の特性を決めたりするのは良くないが、人間、集団で生きる生物だから、やはりその土地の傾向っていうのはあるのだろう。

また面白いのが海外になると、さっぱり違うようで、今度は逆に同じ人間なんだなーと感じるところの方が増える。
アフリカも南米も行く前って随分怖い。
特に僕らは黒人って怖いって感じる。
これが行ってみると、全くもって普通の人々だ。
お酒と煙草があればそれだけで仲良くなれる。
アフリカでもタバコは体に悪いという思想が浸透しつつあるが、やっぱりタバコをスパーっと吸っていると、ミスター、1本ちょうだい、と話になる。

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そういえば、タバコの話といえば。
今度こそタバコをやめるかもしれない。
別に子供のためじゃない。一応、少しは子供のためでもあるけど。どちらかと言えば、仕事のためだ。今の時代、やっぱり営業職はタバコを吸わない方がイメージが良い。
と言いつつ、自転車屋の店長してる頃は裏の公園でスパスパ吸っていたのだが。

子供の発育にタバコは悪いと世間では言う。
ただ、僕はそうは思わない。
僕らが子供の頃って、家の中でタバコを吸うお父さんってたくさんいた。
じゃあ、僕らの友達で、そういうタバコを吸うお父さんがいたせいで大人になっても呼吸器系がおかしい人っているだろうか。
ちょっと聞いたことがない。

むしろ、100歳近いじいさんが美味そうにタバコを吸っているってのは見かける。
まあ、最近は減っただろうけど。

そういえば、シンセイ、ワカバ、ゴールデンバットがなくなってしまった。
安いタバコを美味そうに吸う老人って、素晴らしく平和だったのに。

煙草は文化だ。

でも、今度ばかりは煙草をやめるかもしれない。
金のために。
まあ、タバコ吸ってても稼げるなら、やめることはないだろうけど。
30代は稼げる父親を目指すのだ。

でも、茅野は空気が乾いていて、煙草が実に美味しい。

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人生がドンドンと進んでいく。
気付くともうすぐ40歳。

何か凄いことが出来ないだろうか。
いまだにそんなことを考えたりもする。どこの高校生だい、って話だけど。でも、割と僕は今でも何かすごいことをやってみたいと思っている。
別に偉くなくても大したことじゃなくてもいいので、何かすごいことを。

子供が生まれるから保身に走っている気もするけど。
そりゃ、子ども、家族は大事だ。
それは当たり前であり、当たり前のことは当たり前にやらないといけない。
その上で何かすごいこと。

とりあえずは、100マイル走れるようになると楽しいだろうなと思うのだ。
ランニングで、ね。

本当は今年のうちに100キロを目指していたけど、まだ難しそうかな。
50キロくらいはもう走れるだろうか。

まあ、無理はせずに。
のんびり100マイルを目指そう。
コースもなにも考えちゃいないけど。

まずは仕事か。
当たり前のことを当たり前に。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月28日

茅野に移った。

長野県茅野市に引っ越した。
引っ越して改めて群馬って都会だったのか、と思う。
そういえば、山小屋の勤務を終えて群馬に住み始めた頃も群馬って都会だなと思ったっけ。

でも、故郷倉敷の方が群馬の高崎よりも人口が多い。まあ、やたらと広いからというのもあるが。

最寄りのスーパーは車じゃないとちょっと遠い。
茅野のスーパーにはイナゴが普通に売っていて驚いた。
魚はやっぱり多くはない。
道はとにかく少なくて狭くてクネクネしている。
通勤時間帯だけはすごく混む。
市役所は人口が少ないからか、待ち時間も少なく、親身に丁寧に教えてくれた。
特に助かるのは子育て周りのことを保健所の人がとても丁寧に教えてくれるし、困ったらいつでも連絡下さい、とのこと。
牛丼屋なんかでも見てると、接客効率が悪そうに思った。

高崎は都会だった。人々は早かった。
東京はもっと都会で人はすこぶる早く動いていた。

物理的な動きではなく、脳みそが休まる暇がないような早さ。

それはそれで良いことなのかもしれないが。
長野の少しゆとりのある感じの方が個人的には好みだ。

群馬も良かったけど、群馬は何だかスキがなくて。
あるいは僕も店長職、管理職として気負いすぎているところもあったのかもしれない。

群馬と東京を並べるのも無理はあるかもしれないが、関東平野はやっぱり早くてスキがない。

そんな風に思っていたら、いざ、仕事が始まると長野だって大して変わらないのかもしれないけれど。

でも、やはり長野は山小屋の思い出がある。
山小屋も死ぬほどキツかった。でも、やっぱり精神的にスローでゆとりみたいなものがあった。
隙間。

夜にランニングに出たら星が綺麗だった。
茅野の田舎道は歩道が狭かったり、無かったり、デコボコだったりして、車が来るとはねられそうで怖くて、裏道はクネクネ曲がって分かりにくくて。
まだ11月に入ってないのに寒くて。
でも、星がとてつもなく綺麗。
昼に走れば八ヶ岳も綺麗なんだろう。

長野県が終の住処になると良いなと思う。
いろんなところに住むのも楽しいんだけど。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 22:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする