2019年11月18日

成功哲学と住宅と。

31歳の転職。
20代の頃と違って、手取り足取り仕事を教えてもらえない。
未経験歓迎とは言っても、最低限の社会人的能力は備えているだろう、ということもあるし、周囲も良い年こいたおっさんにアレコレ言いにくい。
教えてもらいたいことは自分で考えて教えてくださいと頼む、そりゃ社会人の常識ではある。
それでもさすがに職種が全く違う。
また厄介なのが自転車みたいにカタログもない。
正直何が何だかわけが分からない。
教えてもらえるうちが花とは言うが、まあ、正にその通りである。

それでも、今の会社に移ってきたのは正解だったと思う。
この会社、経営者が他にもいくつか会社をやっている中にコンサルティング事業がある。
それで、社内で成功哲学のような教育をしてくれる。

人生を成功したいか。
正直、僕はそういうのってあんまり思わない。
でも、まあ、それは僕の言葉の中でのことだろう。

最近の僕はお金を稼ぎたくなった。
成功哲学の影響もあるのだろうが。

お金がなくて出来ないことっていうのが悲しくなったのだ。
僕は自転車屋さんの仕事ってとても好きだった。
でも、残念ながら会社の経営、財務がこけてしまった。真相は定かではないが、特別損失が膨らんでしまったとか何とか。真相究明する気も起きなかったし、意味も感じられなかったので、真相は謎のままだ。もしかすると、本当は会社は特に経営にこけてなどいなかったのかもしれない。
それでも、僕の給料はもうほとんど上がらないという状況だったのは間違いない。

まったくね。
どうして、歳を取るとお金をたくさん稼がなくちゃいけなくなるんだろう。
どうして歳を取ると、年相応の経済力なんてものが必要になるんだろう。
いや、本当はそんなことないのかもしれないのに、僕が勝手に思い込んだことかもしれない。

でも、妻が妊娠して働けなくなって、もうすぐ子どもだって産まれてくる。当然、赤ちゃんは働けない。
僕が稼いでくるしかないのだ。

遠い将来の老後の貯蓄までの話はしなくたって、赤ちゃんが安心して大人になるのに必要なお金、もしかするとそんなのって案外なければないなりに子どもは大人になるのかもしれないけどね。

とにかく僕はお金を稼いでみようと思ったわけだ。
貧乏を我慢するっていうのは半分僕の趣味でもあるけど、僕一人じゃなくて妻と子どもにまでそういうことをさせるのは僕の趣味ではない。

ーーー

成功哲学の良いところは、ただ漠然とお金が欲しいっていうことから変わったことだろう。

成功哲学ではとにかく成功するためのイメージを持って、それに向けての階段をイメージして、自分の足元まで伸ばして登っていくってものだ。
単純にそれだけのことだ。世の中に流布している成功哲学の大半がそれだけのことだ。

でも、それを本気でやるってのは難しい。

遠い将来のビジョン。
例えば子どもが大人になって手を離れたら、妻と二人でサンチャゴデコンポステーラを歩きたい。アラスカのデナリ国立公園に行ってみたい。
子どもが手を離れる前に家族で行ってみたって良い。
また自転車を持って海外を走りに出掛けたい。
それはこれまでの突撃隊長的なやり方じゃなくて。
妻と二人で楽しくしたいのだ。

100マイルが走れるようになったらUTMBにも出てみたい。

自転車でブルベだってやりたい。

もちろん、子どもが困ることなく、医者になりたいと言って一生懸命勉強したら、医学部に行かせてやれるだけのお金を作っておきたい。

そういうのを成功哲学では成功者って言うのかもしれない。

でも、別に僕の場合、それは成功でも失敗でもなく、人生のうちにやっておきたいいくつかのことっていうだけだ。
やっておきたいことだから、やれる方法を考える。

成功哲学は、ただ漠然とお金が欲しい。もう貧乏は嫌だ。っていう気持ちと夢とをお金でつないでくれる考え方なのかな、という気もする。

ーーー

まあ、少々くたびれるのは事実だけど。

でも、住宅の勉強は楽しい。
久々に三平方の定理を使ってみたりして。
数学が生まれて初めて実用的に僕の生活の中で役に立っている。
嬉しい。
まあ、大した数学は使わないんだけど。どちらかと言えば算数か。
でも、何だか嬉しい。

まあ、そんなこんな。
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2019年11月07日

転職して一週間ほど。

新しい仕事にボチボチ慣れていってみている。
と言っても、はっきり言って、何の仕事もしていない。
詳しいことは分からないが、まずは会社の雰囲気に慣れてね、ということみたいだ。
優しい会社で助かっている。

ーーどうしてこの会社に来たの?

ということを何回か会社のいろんな人に聞かれた。
はっきり言ってお金のためだ。

別にこれは恥ずかしいことじゃないと僕は思っている。
家族が出来て、家族で幸せに暮らすためにきちんとした収入が欲しい。

まあ、一番は自転車屋で稼げれば一番良かった。
ただ、自転車屋で店長職をしているのと、
住宅業界で未経験一年目で給料は同じなのだ。
それでいて年間休日は20日以上違う。
まあ、残業なんかは増えるのだが。

住宅業界で三年もいれば自転車屋で店長職をしているより1.5倍は収入は良くなってしまう。

さすがに1.5倍違うと随分暮らし向きも変わる。

ーーー

人生はお金ではないとは思う。
仕事のやりがい云々というのも、どうかなという気はする。

生きているだけで幸せ、これも一つの真理ではある。

どうしてお金がそんなに必要か。
孤独にならないようにお金が欲しいんじゃないだろうか。
お金がなかったり、貧乏だったりすると、社会の目が厳しい、ような気がしてしまう。

すごく良い車とは言わずとも、一家に一台は普通車は欲しい。
性能的な問題というよりは、世間の目なんだろう。

世間の目を気にせず生きられるようになれば、それは強い。

別にお金がなくたって、家族で近くの公園にサンドイッチを持って出かければ幸せだろう。
異国へ家族旅行など行かなくたって幸せに生きていける。
実際、自分もそうだった。
家族でお出掛けなんてほとんどしなかった。
日曜はだいたい野球だった。
そんなもんで良いのだ。
良い車に乗って、遠くに出かける必要などない。

でも、家族が増えるに際して、お金がないのが不安に感じられる。
それは僕の心が貧しいからなのかもしれない。

ーーー

自転車屋を辞めてから、めっきり自転車に乗ってない。
寂しいことだが。
まあ、仕方ないことでもあるのだろう。

冬が来るから、乗るなら今のうちだろう。
でも、何となく乗る気が起きない。

周りに自転車の仲間はいない。
ついこの前まで毎日自転車に触れて生きていけたのに。

ーーー

そうは言っても新しい仕事も楽しい。
全く新しい業種だから勉強することも多い。
新しいことをしていく。

人間、何をするかって三つだ。
できることをする。
したいことをする。
しないといけないことをする。

できることをする、日々をルーチンワークにはめていく。
それが一番楽ではある。
でも、人生、長いのだ。
昨日まで上手くいっていたことが上手くいかなくなることだってある。
できることだけやっていると、上手く行かなくなった時にニッチもサッチも行かなくなる。

しないといけないことをする。
これは必要なことだ。
でも、しないといけないことってモチベーションはなかなか上がらない。
モチベーションの低いことは効率も悪い。

したいことをして生きていけるようにしないといけない。
しないといけないことをしたいことに寄せて行くって大事だ。

ーーー

困ったら人と話そう。本を読もう。勉強しよう。
そして、どうしてもダメなら自転車でも乗ってみよう。

それで人生たいてい上手くいく。

ま、そんなこんな。
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2019年11月01日

茅野。いいところ。

茅野での新しい暮らしが始まっている。
今日は新しいお仕事初日だった。
最初の2時間は緊張していたが、みなさん良い人で割と早くなじめた。
長野の人は穏やかで良い。

とりあえず、今日は特に何の仕事もせず。
パソコンの設定したりなんやかんや。
とりあえず、みなさんの名前と顔を覚えられて良かった。

ーーー

山小屋と自転車屋こそしてきたものの、普通の会社って初めてだ。
通勤手当だとか有給だとか、ゴールデンウィークに盆、正月。まさに夢のようだ。

自転車屋を辞めたことについて悲しいところも多かったが、新しく住む茅野という町は実に素晴らしい。
給料、休日ももちろん大事ではあるが、それだけじゃ人間つらい。住環境、遊ぶ環境ってすごく大事だ。

少しふらふらっと出掛けると標高1000メートルになってしまう。
先日は妻と森の中の珈琲屋さんに出掛けた。
本当に森の中に珈琲屋さんがあるのだ。

夏場ならその気になれば、そのまま八ヶ岳にも登れてしまう。登山口まで車で30分も掛からない。自転車だと小一時間か。
八ヶ岳という山はこれまで北アルプスと比較するまでもないと思っていたが、眺めていて非常に美しい。
北アルプスのスケールの大きさというのも素晴らしいのだが、いかんせん、奥深い、町から遠い。
それに対して八ヶ岳は近い。
そして形が良い。
茅野はまさに八ヶ岳の裾野にある。

そして、茅野の良いところは隣の原村に雰囲気の良いカフェが多いということもある。
実際にはカフェなどそんなにしょっちゅう行くものではないが、良いカフェがある町って、良いカフェが好きな住人がいるということでもある。
とても文化的なのだ。
東京の富裕層の住みそうな別荘地も多い。

八ヶ岳山麓。
なるほど、スローライフを求めて移住者が来る町である。
まあ、僕はスローライフとかはあまり求めてなかったんだけど。
山小屋で何シーズンか過ごせばスローライフもお腹いっぱいになるのだ。
でも、スローライフ、嫌いじゃない。
スローライフまでは求めていなかったが、長野県に住みたいと考えたのは事実だ。

山麓ということで言えば、前は榛名山の山麓だったが、山麓のスケールが違う。
八ヶ岳山麓とは実に広い。
逆を言えば平地がほとんどないのだが。
なだらかな坂でずっと諏訪湖の盆地へと下っていく。
このなだらかな坂というのが実に長い。
スケールが大きい。
それでいて、盆地の箱庭感。

でも地元の人は、狭くて閉塞感があると言う。
まあ、それも納得はする。
生まれてから死ぬまでこの盆地の中で住むとなると確かに閉塞感のようなものを感じるのかもしれない。

ーーー

31歳にして思うのが、転々と生きることが出来るというのは楽しい。
どこでも生きていけるということ。

ほとんどの人が故郷の町や仕事の都合で生きる町を決める。
実際は僕も仕事の都合で住む町が決まる。
さすがに住む町を決めて、そこで都合良く仕事が決まるってことはなかなかない。
それでも、ある程度はあっちに住みたい、こっちに住みたいと移っていく。

転々としていると地の人が生きているのを見る。
一口に日本と言っても案外いろんなことが違う。
もちろん、ベースは同じだ。
前に書いた良いカフェがあるかどうかという話もそうだし、群馬県の場合は良い車に乗っている人が多かった。外車に乗っている人が多い。日本車にしてもちょっと良い車っていうのが多い。なぜかは分からなかったけど。
一括りにその地域の人の特性を決めたりするのは良くないが、人間、集団で生きる生物だから、やはりその土地の傾向っていうのはあるのだろう。

また面白いのが海外になると、さっぱり違うようで、今度は逆に同じ人間なんだなーと感じるところの方が増える。
アフリカも南米も行く前って随分怖い。
特に僕らは黒人って怖いって感じる。
これが行ってみると、全くもって普通の人々だ。
お酒と煙草があればそれだけで仲良くなれる。
アフリカでもタバコは体に悪いという思想が浸透しつつあるが、やっぱりタバコをスパーっと吸っていると、ミスター、1本ちょうだい、と話になる。

ーーー

そういえば、タバコの話といえば。
今度こそタバコをやめるかもしれない。
別に子供のためじゃない。一応、少しは子供のためでもあるけど。どちらかと言えば、仕事のためだ。今の時代、やっぱり営業職はタバコを吸わない方がイメージが良い。
と言いつつ、自転車屋の店長してる頃は裏の公園でスパスパ吸っていたのだが。

子供の発育にタバコは悪いと世間では言う。
ただ、僕はそうは思わない。
僕らが子供の頃って、家の中でタバコを吸うお父さんってたくさんいた。
じゃあ、僕らの友達で、そういうタバコを吸うお父さんがいたせいで大人になっても呼吸器系がおかしい人っているだろうか。
ちょっと聞いたことがない。

むしろ、100歳近いじいさんが美味そうにタバコを吸っているってのは見かける。
まあ、最近は減っただろうけど。

そういえば、シンセイ、ワカバ、ゴールデンバットがなくなってしまった。
安いタバコを美味そうに吸う老人って、素晴らしく平和だったのに。

煙草は文化だ。

でも、今度ばかりは煙草をやめるかもしれない。
金のために。
まあ、タバコ吸ってても稼げるなら、やめることはないだろうけど。
30代は稼げる父親を目指すのだ。

でも、茅野は空気が乾いていて、煙草が実に美味しい。

ーーー

人生がドンドンと進んでいく。
気付くともうすぐ40歳。

何か凄いことが出来ないだろうか。
いまだにそんなことを考えたりもする。どこの高校生だい、って話だけど。でも、割と僕は今でも何かすごいことをやってみたいと思っている。
別に偉くなくても大したことじゃなくてもいいので、何かすごいことを。

子供が生まれるから保身に走っている気もするけど。
そりゃ、子ども、家族は大事だ。
それは当たり前であり、当たり前のことは当たり前にやらないといけない。
その上で何かすごいこと。

とりあえずは、100マイル走れるようになると楽しいだろうなと思うのだ。
ランニングで、ね。

本当は今年のうちに100キロを目指していたけど、まだ難しそうかな。
50キロくらいはもう走れるだろうか。

まあ、無理はせずに。
のんびり100マイルを目指そう。
コースもなにも考えちゃいないけど。

まずは仕事か。
当たり前のことを当たり前に。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月28日

茅野に移った。

長野県茅野市に引っ越した。
引っ越して改めて群馬って都会だったのか、と思う。
そういえば、山小屋の勤務を終えて群馬に住み始めた頃も群馬って都会だなと思ったっけ。

でも、故郷倉敷の方が群馬の高崎よりも人口が多い。まあ、やたらと広いからというのもあるが。

最寄りのスーパーは車じゃないとちょっと遠い。
茅野のスーパーにはイナゴが普通に売っていて驚いた。
魚はやっぱり多くはない。
道はとにかく少なくて狭くてクネクネしている。
通勤時間帯だけはすごく混む。
市役所は人口が少ないからか、待ち時間も少なく、親身に丁寧に教えてくれた。
特に助かるのは子育て周りのことを保健所の人がとても丁寧に教えてくれるし、困ったらいつでも連絡下さい、とのこと。
牛丼屋なんかでも見てると、接客効率が悪そうに思った。

高崎は都会だった。人々は早かった。
東京はもっと都会で人はすこぶる早く動いていた。

物理的な動きではなく、脳みそが休まる暇がないような早さ。

それはそれで良いことなのかもしれないが。
長野の少しゆとりのある感じの方が個人的には好みだ。

群馬も良かったけど、群馬は何だかスキがなくて。
あるいは僕も店長職、管理職として気負いすぎているところもあったのかもしれない。

群馬と東京を並べるのも無理はあるかもしれないが、関東平野はやっぱり早くてスキがない。

そんな風に思っていたら、いざ、仕事が始まると長野だって大して変わらないのかもしれないけれど。

でも、やはり長野は山小屋の思い出がある。
山小屋も死ぬほどキツかった。でも、やっぱり精神的にスローでゆとりみたいなものがあった。
隙間。

夜にランニングに出たら星が綺麗だった。
茅野の田舎道は歩道が狭かったり、無かったり、デコボコだったりして、車が来るとはねられそうで怖くて、裏道はクネクネ曲がって分かりにくくて。
まだ11月に入ってないのに寒くて。
でも、星がとてつもなく綺麗。
昼に走れば八ヶ岳も綺麗なんだろう。

長野県が終の住処になると良いなと思う。
いろんなところに住むのも楽しいんだけど。

まあ、そんなこんな。
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2019年10月24日

さようなら群馬。

群馬最終日。
荷物を引っ越し屋に渡して、Sさんご夫婦に挨拶に出掛けた。
あまりにもちょくちょく、しかも突然に押しかけるので迷惑かなとも思ったが、僕はSさん夫婦の所に遊びに行って話を聞くのが好きなのだ。
Sさん夫婦は浮世離れしていて、そして正しいことを言う。
もちろん、世の中に絶対的な正しさなどないのだが、少なくともSさん夫婦の話というのは僕にはとても正しいことのように感じる。

生きるとはイージーじゃないけれど、ただ食事のために生きては寂しい。
それでも、日々生きていくためにはやはり先立つものはお金であり、仕事に忙殺され、良い音楽を聴くだったり、自転車を楽しむだったり、本に触れるということから離れてしまいがちになる。
もちろん、それは悪いことじゃないし、僕も次第にそうなっていくだろう。

Sさんも昔は一流企業の一流サラリーマンだったので、仕事に忙殺されていたことだろう。
ただ、今は老後に入り、数年に一度異国を自転車で旅して暮らす。
家は素晴らしい木材を使った家だ。しかし、豪邸というわけではない。シンプルに二人が老後を暮らすために不足なく、なおかつ余分なのがなく。
クラシックかジャズが流れている。
Sさんの昔のことは詳しくは知らない。
それでも、Sさんはただの元一流サラリーマンでもなく、ただの遊び人でもない。
だから、それは単なる小洒落た作り物のカフェで過ごすような時間とも違う。
何がすごいかと説明するのも難しい。
ただ、Sさん宅でSさん夫婦と会話をして過ごす時間というのは僕にとって本当に素晴らしい時間だった。人生の真理とまでいうと大げさな話になるかもしれないが、人生のゴールとは何か、何を求めて人は生きるのかというと、ああいう時間を過ごせる老後に辿り着くっていうのは一つあるんじゃないだろうか。

仙人ハウスとでも言うべき時間が流れる。

と言っても、話す内容は別段大したことでもなく、毎回同じような話なのだが。

ーーー

話の流れでS夫人に僕が大学をやめた理由を話したところ、つまり僕は狭い教室の中でたくさんの人が前を向いて密集している空間っていうのがどうしても気持ち悪くて駄目だった、ある意味、精神の弱い登校拒否的な理由で大学を去ることになったのだということを話したところ。
ーーあら、わたしは福田くんは旅なんかもドンドンして、今回の転職にしても、バイタリティを持って自由な思想でドンドン強く進むようなタフな人だから、大学を辞めたのも色々考えた上なのかと思っていた。
と言われた。

Sさん夫婦の時代は頭の良い人、向上心ある人が学生運動したり、大学を中退するというのは少なからずいたので、僕もそういう、言うなれば『良き中退』の人と思っていたようだ。

残念ながら僕の時代は、賢くて頭が良くてバイタリティがある人がポジティブな理由で大学を中退することって少ない。
まあ、稀にそういう人もいなくはないが。
それでも、僕の時代は、大学が無意味で腐ってると思う人も、一応は学歴だけは卒業のところまではする。

辞めるのは、僕のように残念な人だけだ。

ーーー

でも、S夫人が僕のことをそんな風に立派な賢い人と思っていたのは、面白かった。

僕の中では僕は僕だ。
二十歳の頃から変わらず。
でも、当たり前だが、外から見ると二十歳の僕と今の僕じゃ随分違うんだろう。
今の僕は自分の好きなことを通して自転車屋のプロショップの店長までした。そして、次の人生のハードルのために新しい仕事を探してトライする。
結構バイタリティに溢れた、タフで健全な人間というふうにも見えるのだろう。

これは大発見だった。
言われてみると確かにそういう風にも見えるのかもしれないと。

でも、まあ、実際には僕は僕で。二十歳くらいのころ、人生の悩みを憂鬱に考え、大学に行けなくて辞めざるをえなくて、やけっぱちに日本を飛び出した僕と。今の僕。僕の中では同じ僕だ。まあ、確かにいろいろ変わってはいるけど、本質は同じだ。

でも、Sさん夫人が僕のことをバイタリティあふれる人間だと思ってくれていたのはとても嬉しいことだし。

これを機に根暗は辞めてバイタリティあふれて、人生を進んでいく人間になってしまっても良い気もする。

まあ、現実は僕はとてもネガティブで後ろ向きに後ずさる人間ではある。
とてつもない速さで後ろに進むもんだから、逆にバイタリティあふれるのかもしれない。
自分では怖いと感じることから後ずさって後ろに進んでいるつもりでも、傍から見れば後ろ向きも前向きもなく、積極的に人生を動かしているように見える。
まあ、実際、全力で走ってはいる。

前向きだろうが後ろ向きだろうが、自分のために自分で考えて全力で何事かをし続けているって大事だ。

まあ、せっかくだから、これからは後ろ向きじゃなくて、ポジティブな感じで全力で生きていく方向にしていこうかな。

ーーー

自転車屋をやめると、あまり自転車を乗らなくなってしまうかもしれない。
段々と仕事ばかりになってしまうのかもしれない。

なので、また小説を頑張ってみようかなと最近思っている。
もちろん、仕事は大事だ。
父親だから稼がないといけない。
仕事が一番。

でも、父親としての人生も、夫しての人生も大事だが、自分の人生もやはり大事だ。
そりゃ、欲張りな話ではあろうが。
それでも、子供には子供の人生があり、妻には妻の。僕には僕の。
妻と子供を大事にしないといけないけれど、自分も大事だ。そして、自分の人生のためのことは自分がしないといけない。誰かがしてくれるわけじゃない。もちろん、助けはあるにせよ。

だからこそ、小説をまた一笑懸命やっていったほうが良いんじゃないかと思う。仕事と家族優先だけど。

ーーで、福田くんはどんな小説が書きたいの?
S夫人にそう言われて、答えに窮した。
書きたいものが分かっていれば、書いている。
そう、別に実際に書くという作業自体はさほど難しくない。
何を書きたいかが分かるってのが一番大事で、難しい。

まあ、のんびり行こうじゃないか。
とはいえ、ぼんやりのんびりしてるとあっという間に随分歳が過ぎてしまうので怖いが。

さて、なんの話書くかな。
短編くらいからリハビリしてみるか。

ーーー

新しい土地にもSさん夫婦のように、人生に光を導いてくれる人と出会えると良い。
そう、都合良く良い人と出会うのは難しいにせよ。
でも、多分、だれかそういう人が現れてくれる気はする。
何だかんだ、これまでは毎回そういう人が現れてくれた。
きっとそういう人に出会えるだろう。まずは信じるって大事だ。信じること、望まないことは訪れないから。

さようなら群馬。
群馬の二年間も実にてんこ盛りで楽しかった。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

イメージとパッションで人生を。

人生はイメージとパッションだ。
想像力と情熱。
イメージを持って、パッションで進んでいく。
困った時には、毎回、そのフレーズで切り抜ける。

正直、見知らぬ土地で、未経験の仕事で。
初めての子ども。
正直なところ、一歩間違えると不安でウツになっちゃいそうだ。

でも、簡単なことなのだ。
家族で楽しいことをしよう。
子どもと妻で、どこか旅行に出掛けよう。
何か遊ぼう。
そうなると時間とお金はある程度必要になると思うのだ。

じゃあ、お金を稼ごう。
休みもある程度ある会社で。
休みとお金が高い仕事ってきっと難しいだろう。
しかも、それが未経験の業種で見知らぬ土地で。

でも、それさえ出来てしまえば、子どもと妻と三人でどこか綺麗な山に登ってみたり、遊園地や動物園に行けたり。
少年野球の応援に行ったりキャッチボールをしたり。
いろんな楽しいことが出来る。

そして、新しく難しい仕事にトライする。
それはきっととても楽しいことだ。
厳しくて大変かもしれない。
でも、そういうことが出来るようになれば、多分気持ちが良いはずだ。

難しいことを高いレベルでやっていけるように勉強も必要だろう。
そのためには日々コツコツでも勉強をする習慣を身に着けよう。
ランニングとあわせて、なにか自分のために勉強をコツコツ継続出来るよう。

そういう日々はきっと素敵だ。

そういうイメージに向かって情熱を持って生きていけば良い。
そうすれば、楽しく過ぎていくはずだ。
いろんなことが色彩を帯びて駆け抜けて行ってくれるはずだ。

怖いのは怖いけどね。
そりゃそうだ。
引っ越しはウキウキもするけど、心配も多い。
新しい暮らし、仕事、新しく加わる家族。

アフリカ、南米に自転車旅しに行ったときの飛行機。
日本を離陸する瞬間、着陸する異国の土地が見えた瞬間。
正直、思うのは、
ーーああ、やっちゃった。今回はヤバイかもしれない。怖い。
である。
ウキウキもするけど、怖いのほうがはるかに大きい。
特にアフリカは、飛行機から見ると冗談抜きでサバンナ。テレビで見るアレだ。その中を細く道が伸びていて、掘っ立て小屋みたいな家の集まった集落が時々ある。
自転車でそこを走っていくと思うと、
ーーああ、やばいな。今回はやばいかもしれないな。
が正直な気持ちである。

でも、それを走りきれたら素敵だな、とも思うわけだ。
逆に怖いからこそ、そんな大地を走りきれたら、僕ってすごいんじゃないか、って。
怖いからこそ、ウキウキもするわけだ。

まあ、全部リセットして帰国できる飛行機が待機してたら、帰国してしまうかもしれないけど。

冗談抜きで本当に怖かった。
そして、本当に楽しかった。

スリルを楽しんでいるとうわけじゃないのだ。
怖いものは怖いし、可能なら怖いものなど避けて生きていきたいと思う。
でも、その向こうに素晴らしい世界が待っているなら。
いや、世界は平等か。
そのトンネルをくぐり抜けた向こうに素敵な自分が待っているとしたら。
ウキウキして自転車をこぎはじめようじゃないか。

ま、そんなこんな。
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2019年10月19日

知は力なり、なのか。

気付けば、宅建士の試験が明後日になった。

正直、工務店では宅建士は使わないので少しモチベーションは下がってしまっているのだが、受験料も払ったので取得するつもりでいる。
受検を申し込んだときには、まだ次の仕事が決まっていなかったので、とにかく資格を取るため動いたものの、工務店になったわけだ。

ーーー

さて、宅建士、受かるのか。
もちろん、独学である。
自転車屋と山小屋しかしたことがないので、不動産業などさっぱり分からない、さっぱり未経験だ。

勉強期間は約3ヶ月。

自信のほどは半々だ。
こういうときは落ちるのが相場のようにも思うが、何となく受かる気はしている。

実際、勉強していて、まあまあ解けるようにはなったけれど、やはり難しい問題はつまずくし、引っかけ問題にも簡単に引っかかってしまう。

特に暗記が苦手なので暗記が必要な問題はよく間違える。

それでも、何回も間違えていると段々と覚えてくるものだ。

まあ、合格するだろうとは思うけれど、合格しない可能性もそれなりにある。
それなりに自信はあるけれど、落ちるかもしれないなっていうのが本音だ。

やっぱり途中から、
「工務店じゃ使わないからなー」
などとモチベーションが落ちてしまって、勉強時間が減ったのが痛い。

ーーー

大学までの勉強がはじめて人生の役に立ちそうだな、と思う。

直接的に学んだ数学などが役立つわけじゃないが。
試験勉強は実に死ぬほどやった。
試験勉強なんか試験以外で人生の役に立つことはない、って思いながらもやった。

現実には、人生では学校以外でも、大人になっても資格試験とかってあるし、そういうのって人生の役に立つのだ。

ーーー

これまでの人生で大学までの勉強が役に立ったことって正直なかった。
僕は学生時代は数学が出来たのだが。
数学が出来たおかげで人生役に立ったことってない。

数学が出来ると、人から、
「頭が良いんですね」
など、お世辞もあろうが、ほめてはもらえる。

ただ、数学を使ったことって本当にない。

数学に限らず様々な学問がそうだろう。
それにしても、数学が役に立つことって、本当になかなかない。

統計学なんか使って集客の分析なんかかけてみたところで、これ、統計学を知らない社長さんの会社では重宝してもらえない。
現場では統計学よりも肌感覚である。
実際、それで良いと思う。
アレコレ、MBAのマーケティングだとかの知識をこねたって、現場ではいかに人の心を掴むかが全てだ。

たぶん自転車を作ろうって話になると、微積や流体力学なんかが役に立つのだろうが、組み立てる、修理するのにはそんなこと全く必要ない。

ーーー

勉強など無意味なのだろうか。

どうだろう。
分からない。

以前は、
ーーいや、勉強、学問は大事だ。学ぶって大事だ!
と思っていた。
でも、どうなんだろう、って最近思うのだ。

今も学ぶってことは好きだ。
最近はユヴァル・ノバのサピエンス全史なんて読んで(オーディオブックだから聞いているが正確)人類史みたいなことを勉強してみているけど。勉強ってほどでもないけど。

勉強ってのはあくまで好きでやるものなのかな、と僕は思うわけだ。

ーーー

宅建士の勉強だって、必要だからやるっていうのも事実だけど。
半分好きで勉強してるところもある。
別に宅建士がなくたって、ファイナンシャルプランナーがなくたって仕事って出来る。
もちろん、持ってないと出来ない仕事も存在はするし、ある程度必要だから勉強するという側面は間違いない。
でも、別に生きていく上でどうしても宅建士の資格を持ってないと働けない、明日死ぬってことはない。

勉強すると、単純に豊かになる。
何事もそうだろう。例えば宅建士じゃなくて法律なんかだと分かりやすいかもしれない。
別に仕事に使わなくたって、ぼくらの生きる世界を司っている法律を知っていれば、知っているよりは豊かに生きれるんじゃないだろうか。
別に裁判に勝つため、証書を作成するためではなく。
どういう法律が僕らの世界にあって、僕らの行動を制限したり、守ったりしてくれているのか。
そういうのを知って生きているって豊かなことのように僕は思うわけだ。

ーーー

フランシスベーコンは、知は力なり、と言ったけど。

力として使うことも出来ることもあろうが、知は豊かなり、じゃないだろうかと最近の僕は思う。

かと言って知がないから豊かじゃないとは思わない。
昔、塗装屋さんで働いていた頃、それこそ勉強とは無縁の人と一緒に働いていた時、学問や知ってのは生きる幸福とは直接的には関係ないんだな、って僕は思った。
その人たちは魅力的だった。
生きること自体を純粋に生きているような感じがした。

それこそアフリカでは純粋にただ生きるって素晴らしいって思ったものだ。

自分で知は豊かなりとか言ったのに、別に知は力でも豊かでもなく、単純に趣味なんじゃないかな、とか思ったりする。
好きな人は好きでやれば、って。

ーーー

そうは言っても、知は力なり、っていう言葉って強い。

実際、今の日本の社会をはじめとする多くの社会では知があって学歴や資格があると収入が高くて、安定した暮らしを過ごしやすい傾向にある。

でも、同時に意外と高収入の人でも、学歴がなかったり、勉強は好きじゃないって人もいる。
特に資格の勉強や学校の勉強についてはそうだろう。
ただ、その仕事、お金に直結することについては調べたり、体験的に修得しているんだろうけど。
世にいう実学とかいうことになるんだろうか。

ーーー

知は力なりが強いのは、世界がそれを望んでいるからだ。
別に望んでいるのは、神様でもないし、地球や自然でもないし、宇宙人でもない。
かと言って人間でもない。
国家だったり、あるいはもっと大きな集団が望んでいるのだ。

ーー学問、文化が発展すれば人類はより良くなる。
そういう幻想に基づいているわけだ。
幻想というと失礼ではあるが。

これ、誰が言い出したというわけでなかろう。

実際、学問、文化が発展して人類はより良くなっただろうか。
案外、そうでもない気がする。

たとえば、石油からプラスチックが作れるようになって便利になったような気はする。
でも、別にプラスチックがなければ、ないなりに人間は生きていただろう。
むしろ、プラスチックゴミの問題も出てる。
さらに言えば、石油も限りがある。プラスチックって開発されて使ってしまうと便利で、プラスチックなしの暮らしって想像すら出来ない。なんせアフリカでもみんなに広く愛用されている。
安い、軽い、木材みたいに腐らない。
確かに便利ではある。
それゆえに今からプラスチックのない世界に戻るのって難しい。
プラスチックを捨てずに生きていこうと思うと、プラスチックゴミの問題や、石油資源の問題都向き合わないといけなくなる。
多分、それをクリアしたら、それゆえに生まれた問題に向き合わなくちゃいけなくなる。

これに対して、そもそもプラスチックが発明されていなかったらどうか。
案外、幸せだったんじゃないだろうか。

プラスチックだとパッとしない、分かりにくいというなら、物理学の集大成ともいうべき原子力のことを考えると分かりやすいかもしれない。
確かに便利だ。莫大なエネルギーを作れる。
ただ、遥かに厄介だ。

アインシュタインが悪いわけじゃないけれど、原子力エネルギーは見つからない方が人類は平和で幸せだったんじゃなかろうか。
アインシュタインが見つけなくても、きっとドイツの学者が発見していただろう。
その人が発見しなくたって、だれかがいずれ発見していたかもしれない。

原子力はいずれ発見、開発される流れに人類は進んでいたんだろう。
もちろん、アインシュタインすごいし、偉いのだけど。

ーーー

何が言いたいかって難しい話だけど。

知は力なりってのを最近の僕は疑ってるってことだ。
もっと正確に言えば、知は力なりという今の世界の根本的な常識を疑ってるわけだ。

まあ、そうは言っても子供が産まれるし、子どもはこの世界を生きていくんだから、この世界の常識に合うように、この世界からはみ出されて悲しかったり苦労したりしないで欲しいので、これはこれとしてやっていくのだが。

ーーー

なんかどんどんと話はそれていくけど。

とりあえず、宅建士の試験頑張ろ。
明日は前日なのに一日遊びに出掛けるんだけど。

まあ、大学受験の時もそうだった。
受かる人間は直前まで勉強しなくたって受かるのだ。前日ギリギリまで勉強しないとどうにもならない人って、そもそも間に合っていないのだ。
まあ、滑り込みセーフとか、最後まで諦めないとか、言いようは色々あるけど。

ーーー

自転車屋をやめて時間や気持ちに余裕が出来ているからか、最近はそういうどうでもいいようなことを、若い頃のようなことを考えることが多い。

ま、そんなこんな。
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2019年09月26日

箱庭、茅野。

来月から茅野という土地に住むことになったので、妻君とアパートを探しに出掛けた。妻君の腹はもう随分と大きくなっていて、留守番しているのが良いかとも思ったが、妻君としては見知らぬ土地、本当に全く一度も行ったことのない土地なのだから住む前に一度は自分の目で見て家を決めたいということで、二人で出掛ける。

茅野という土地は長野県にある。
長野県という土地は山ばかりである。
ボコボコと山ばかりある中に少しへこんだような形で盆地がある。長野の人は平、タイラと呼ぶらしい。
盆地は大きく分けて三つで長野市のある平、松本市、伊那市のある松本平、そして諏訪市、岡谷市、茅野市のある諏訪平といった具合だ。
さて、その諏訪平に住むことになるのだが、諏訪平は三つの盆地の中では比較的小さい。その上、諏訪湖という大きな湖がある。
湖とは景色は良いけれど、車が当然通れない。湖の反対に行くにはぐるりと湖沿いに行くことになる。人が住む平らな土地は少なく、湖周りの交通の便は良くない。
しかしながら、この諏訪平というのはミニマルで箱庭といった様相があり、非常に文学的な雰囲気のある土地である。
箱庭的美しさというのは、長野県の三つの平にいずれもあるが、諏訪平は一番狭いからか非常に箱庭感がある。
その中でも茅野とは八ヶ岳に向かって少しずつ登っていく土地であり、坂の美しさがある。少し行くと、気付けば坂を登っているので、箱庭的美しさのある諏訪平、そして美しい八ヶ岳を見られる。
そのまま映画を撮りたいと思わせるような土地である。

群馬から一つ目の山、軽井沢を越えて佐久に行き、そこから二つ目の山、八ヶ岳を越えて諏訪平に着く。
この二つ目の山を越えるには高速道路がない。随分遠回りをしないと高速ではいけないし、当然、平らな土地で行ける道はない。非常に不便である。しかしながら、途中で白樺湖がある。
白樺湖はさほど大きな湖でもない。
今の時期は紅葉もしていない。
しかし、標高が1400mほどあり、周囲の山の形も美しい。
長野の山は同じ県内でも場所によって随分と形が違う。険しい北アルプスに対して、八ヶ岳は緩やかで優しいカーブがある。八ヶ岳より東の群馬側になると妙義山で有名なギザギザの形の山になる。
こうも分かりやすく山の形、雰囲気が変わるというのも珍しい。

妻君と二人、何軒か見て回ったが、想像以上に賃貸の相場が高い。
このくらいの町の規模なら、普通もう少し安いように思うのだが、全くもって安くない。
群馬の市街地と同じくらいか、ちょっと高いかくらいだろうか。
群馬も大都会ではないが、仮にも関東平野である。東京までのアクセスも決して悪くないので、新幹線通勤で東京の本社に通う人も住んでいる。そう、新幹線が通っているのだ。新潟、長野、金沢につながる主要高速道路、新幹線とがある。企業もスバルなどの大メーカーもある。単純に人口だけ見ても諏訪平の岡谷市、諏訪市、茅野市を合計しても高崎の方が倍くらいはある。まあ、高崎も広いので都会じゃない土地もあるのだが。
そう考えるとなぜ茅野の賃貸がこんな値段するのだろうと思うのだが、なぜか高い。

高い、高いと文句を言っていても仕方ないので、何軒か比較して相場を掴んでいく。

それにしても、この土地は面白い。
狭い箱庭的な土地なので、少し場所が変わるだけで随分と環境が変わる。まず標高が変わる。特に茅野は東側は八ヶ岳に向かってゆるやかに登っていくので、直線距離で数キロ離れるだけで気温が1〜2度くらい変わってしまう。気温だけじゃなくて空気の感じも違う。眺めも違う。
西の岡谷、諏訪方面の方が諏訪平の中心なのでそっちの方が平らで家や店も多い。

狭い平なので道は細く曲がりくねっている。
その上、電車の線路もあるし、川も流れているので、行きたい方に道がつながってくれない。くねくねと曲がってしまう。
狭い平も全てが真っ平らなわけでもなく、小さな丘みたいになっている場所もある。
また長野県というのは道路を作るのに予算を出さないのか、主要国道も狭い。
言うなれば町全体がどこか古い。

これ、悪い意味じゃない。
狭い平に大きな湖、細くて曲がりくねった道、鉄道と川、そして八ヶ岳に向かって緩やかに登る地形。
映画撮るならここじゃないか、と思わせるような箱庭感がある。

残念ながら古い町並みなどはあまり保存されているわけでもないらしい。
でも、僕としては逆にそこが好きでもある。
僕の故郷は倉敷、町並み景観が保存された観光地である。そういう町も良いけれど、どこか気取ってる。
最近の倉敷はもう分からないけど。
何だか観光客も昔より増えてしまって、大きなショッピングモールが駅の反対に出来てしまって。町並みを保存しているエリアもハリボテみたいになってしまっていた。
町並み保存地域から少しのところにマンションが建ち並んでもいる。
たまに帰省する度に思うのだが、故郷はどんどんと気品を失ってしまう。
それは過去の記憶が美化されてしまっているせいかもしれない。
それでも、僕らが学校をサボって麻雀をしていた神社も謎の観光客が増えた。神社に観光ってなんだそりゃって気はする。
そこの神社は高校生が学校をサボったり、御百度参りするおばちゃんがいたり。そういう地方の町の普通の神社であるべきだと思うのだが。
まあ、散歩するにはとても良いところなので観光コースになっても不思議ではないのだが。
それにしても、どうも気品を失っていくように僕には感じられる。
そんなこと言うのは年寄りになっていっている証拠なのかもしれないが。
それでも、昔の思い出の町云々だけじゃなく、やはり気品に欠ける気がする。
まあ、元々気品などない観光客にこびた観光地、そんなもんだったのかもしれないけど。

そう考えると、僕は変に町並み保存した観光地よりも、自然と残っている古くさい、少しうらぶれたような町の方が好きなのだ。
それこそ、狭い平の箱庭みたいな町の、さびれた景色など素敵だと感じるわけだ。

諏訪湖のわきの安い民宿に泊まって、妻君と新しく生まれてくる子どもと暮らす家も決まった。
子どもとしては茅野ってどうなんだろう。

長野出身の知人の話を聞くと、
「山に囲まれて閉じ込められているみたいで嫌だった。大人になったら東京に出たいと思った」
という話が多いけど。
僕と妻君にはとても素敵な土地のように映るのだが。

そりゃ、茅野の極寒の冬をまだ体験していないからだろうか。
注意しないと水道管が凍結して破裂するらしい。

「僕らが小学校の頃は校庭にプールの水をまいて、それが凍った上でスケートの授業なんかしたんですよ。最近は暖かくなったから出来なくなったみたいですけど」
そんなこと、日本国内でありえるのか、などと驚きつつ。

大人になって選んで行くには良い土地だろうと僕と妻君は思うのだが。
住む土地を選べずに生まれてくる子どもにとっては、寒くてつらいかもしれないが。

妻君と二人での旅行はこれで最後になってしまった。
これからはしばらく家族三人での旅行になるのだろう。もちろん、喜ばしいことだけど。
若い時代が過ぎ去って行く。
人生が急に加速して過ぎ去って行く。

最近の僕はランニングで走るようにしている。
そんなにストイックなわけでもない。
むしろ、客観的に見ればイージーな部類だろう。週に2日ほど五キロずつ走る。月に8日走れば一応四十キロだ。まあ、サボることもあるんだけど。

自転車でどこか遠くに、たっぷり時間をかけて行くことは当面できない。
子どもが生まれると一日中かけて、ゆっくりロングライドするのも難しくなるだろう。

それでも、僕は走るべきだろう。
理由なんかないけど。
何でも良いから走るべきだろう。
そんなにハードじゃなくても良い。フルマラソンで何時間を目指すとかでもなくて良い。
汗をかいて、息を切らせて、一生懸命走るべきだろう。

自転車でも良いんだけど、自転車は時間がかかるので、当面難しそうだ。

一日に30分とかで良い。
毎日とかじゃなくても良い。
週に何日とか決めなくても良い。
体が走りたいと思った時、走りたいと心が感じた時、汗をかきたい、息を切らせて動きたい時。

理由などないけど、何かしらの形で僕は走り続けるべきだろうと思うのだ。

ま、そんかこんな。
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2019年09月22日

ふとJAL123便の事故についてインターネットで検索などしてみたりする。

ふとJAL123便の事故についてインターネットで検索などしてみたりする。

JAL123便が群馬に墜落したのは1985年。
僕が生まれる前のことだ。
そんなわけで僕の世代はこの事件のことを全く知らない。
政治家が悪いことしたんだか、アメリカが悪いことをしたんだか。
そもそもそんな陰謀などの存在すら知らず、飛行機が落ちていっぱい人が死んだ大惨事としか知らない。
JAL123便については、非常に不可解な点が多く、様々な推論が飛び交っているが、真実は謎のままだ。

日本政府って時々、結構な悪事を働く。

フクシマの原発についても安全を確保するために必要な事実を公表しない。
今でも日本国内の食品の安全性について国は必要な調査、対策をしているかといえば僕ら国民には真実は分からない。

最近だとドカンと消費税が上がるのに、オリンピックに合わせてキャッシュレスを進めるという建前で5%戻って来るよ、などと言っているが、甚だ色々胡散臭い。
悪事の予感しかしない。

ゲノム編集食品について表示義務なしでOKなどということにもなりつつある。

ーーー

JAL123便についての真相は謎のままだが、ある意味では平和な時代の悪意に満ちた事件だったのかもしれない。

というのも、フクシマについては原子力という人間の手に負えないものの暴走についての隠蔽である。

ゲノム編集食品についても、これは完全に人間の手に負えないものだ。

キャッシュレス決済についても、お金がなくなり、お金の概念のみで人々が信用をやりとりする時代の幕開け、これもある意味で人間の手に負えないものじゃないだろうか。

その点、JAL123便の事故は人為的な悪意の犯罪。言うなれば何かしらの利権をめぐる問題。人間の領域を越えていない問題だったんじゃなかろうか。ある意味では人間の領域の泥臭い悪事の証拠隠滅だったとも言えるんじゃないか。
まあ、真実が謎なので本当のところは分からないし、もしかすると、人間の領域を越えた問題だったので、こうして真実が表に出ないままなのかもしれない。

ーーー

JAL123便についての真相は謎ではあるが、概ね有力なのは日本が核兵器をコッソリ作って輸出していたのを隠蔽するためか、松下の作っていたOSトロン(WindowsとMacよりも優秀だったそうな)を妨害するためか、自衛隊か米軍がミサイルを撃って撃墜し、その後、自衛隊か米軍の特殊部隊によって証拠隠滅のため生き残った乗客を火炎放射器で皆殺しにしたといった説がある。

もちろん、それらは仮説、推測であり、真実は今なお謎ではあるが、事件から30年以上経った現在でも、当時のことについての情報を政府はもちろん、テレビ局なども公開しないし追求しようとしない。胡散臭いテレビ番組なんかでも絶対に触れない。

こういう個人のブログで諸説飛ぶ程度までなのだ。
そんなわけで、今僕の書いているものも特に信憑性はない。
それにしても、30年経ってもずっとそんな具合ってことは、まあ、何かあるのだろう。
ネス湖のネッシーでも真相究明されてるのに、そんな大事件の真相が究明できないってことはなかろう。究明しない理由があるか、公表しない理由があるのだろう。

核兵器の輸出云々については、そんな危険なものを積んでいたとしたら飛行機を撃墜などというリスキーな方法じゃなくもう少し別の方法で闇に葬る気はする。
松下の開発していたOSトロンについても、たしかにWindows、Macより優れたOSだったらしいが、わざわざ民間旅客機を派手に落として処分するだろうか。
ましてや、何百人もの乗客、中には著名人もいたのに、それを皆殺しにするとなると、一体どういった事情があったのか。
何か裏の目的があるにしたって、あまりに目に付くやり方だ。

民間機に対して外部からミサイルなりをぶつけて落とすなど、バレないわけがない。
救助が遅くなったのも誰の目にも明らかに不審にしか映らない。
ましてやほぼ全員死亡するなど明らかにおかしい。

JAL123便の事件とは実に謎に包まれた事件であり、テレビ局などのマスコミも絶対に触れないタブーだ。

ーーー

そんな事件なのでインターネットを掘り進めても真相には辿り着くわけもないので、深追いはしない。

まあ、どこの国も多かれ少なかれ悪いことはしている。

ーーー

それにしても、僕らの国、日本っていうのは悪事し放題の国だなとは改めて感じる。
消費税を10%にする、ゲノム編集食品解禁、かなり深刻な問題なのだが国民は何も出来ない。
デモ行進も起きない。
学生運動もない。

先日、親しくしているおじいさんに、
「最近の若い人が選挙に行かないのは問題だよ。選挙以外に民意を反映する方法がないのに、こんなに投票率が低いんじゃ、民意はほとんど反映されない」
と言われたが。

この辺り、僕らの世代っていうのは、もう国家に大して手を上げられないように徹底的に教育されてしまっていると言っても良かろう。
ちなみに僕自身、選挙にはいかない人間なのだが。

ストレートに言えば、金持ちが政治をしたって金持ちに有利な国にしかなるわけがないし、政治家になれば金持ちになるというシステムである以上、何をどうしたって金持ちのための国にしかならないじゃないか。
って話なのだ。

そう、ゆとり世代、さとり世代というやつである。
すぐに諦めてしまう。
国家や偉い人に弱い。
拳を上げて反抗できない。

そして、僕らの世代は一番元気な働き盛りの年齢にいまなっている。

ーーー

さて、このゆとり、さとり世代についてだが。
僕は、僕らの世代のことをコンドーム世代と呼びたいと考えている。ちなみに僕らはゆとり世代一年生くらいだ。高校の数学から複素平面がなくなった世代だ。余談だが複素平面をなくすなんて、文部省は頭がおかしいんじゃないかと思うのだが。

さて、コンドーム世代。

僕らの世代より若い人はセックスの時にコンドームを付ける人が多い。
僕らより少し上の世代の人はコンドームなしでセックスして、中絶なんかの話もあった。

まあ、まったく有意な統計データもない、僕の個人的な感覚の話ではあるのだが。
他人のセックスのことをそんなに嗅ぎ回っているわけでもないが、まあ、男として生きていると、他人のセックスの話を無駄にあれこれ聞く時期ってのはある。

単純にゆとり教育の一環として性教育について進歩したとも言えるが、それ以上に国民をより従順にする教育制度が成功したとも言えるんじゃなかろうか。

ゆとり世代、さとり世代、今は何世代なのかは分からないけれど、着実に僕らは諦める国民として教育され、反社会的なこと、国に疑問を抱くことはいかがわしいという風になってきているんじゃないだろうか。

フクシマ問題についてあれだけ国際的に批判されても相変わらず日本は原発を辞めようとしない。
国民も黙っている。

千葉県の停電についても、今のご時世に首都東京のすぐ隣の県でライフラインが断たれて何日も復旧しないなど、やはりおかしいことだらけである。
やっぱり国民は黙っている。

まあ、僕も黙っているんだけど。

ーーー

ところで東海地震、南海トラフ地震はどうなったのだろうか。
あと数年で来る、どうしようと騒がれていたのに。
台風一発で何日も復旧しないのに、太平洋側の広域に被害の発生する大地震が起きたら、これ、為すすべないんじゃなかろうか。

ーーー

アレコレ考えてみても、特に建設的な話はないのだが。

ま、そんなこんな。
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2019年09月20日

人間、なりたいものになる。

人間、なりたいものになる。
最近、思う。

自転車屋を退職するに際して切に思う。
自転車屋をやりたいなら、さっさと開業してしまうべきだったのだ、と。
そして、それは今からでも遅くはない。今すぐにでも開業に向けて何かを始めれば良い。
でも、つまるところ、僕は本当のところ自転車屋をしたいわけでもないのだろう。
本当にしたいならアレコレ理由を付けずにやってたのだろう。

自分の周りを見ても山岳ガイドをしながら、雑誌の記事を書く人もいるし、写真で食っている人、映像で食ってる人、文章で食っている人はいる。
彼らがなにか特別だったのかと言えば、存外そんなわけでもないと今更気付く。
それで食っていこうと決めて、それを仕事に出来る会社に入っただけのことだ。
あるいは独立したか。

ーーー

たしかに僕が自転車をやってきたのは稼ぐためではない。
単純に好きということと、小説の引き出しになりそうだと思ってのことだった。
だから、自転車で飯を食おうってのは元々なかった。
偶然、仕事になったので、仕事としてやるからには一生懸命やろうっていうことで一生懸命やってきたということなのだ。

小説に関しても飯が食いたいならライトノベルを勉強しただろう。
あるいは編集者や雑誌屋なんかの就職を探したろう。

改めて考えると、小説家になれなかったことも、自転車屋を開業できなかったことも納得してしまう。
小説家については一冊くらいは大手の出版社から出してもらえるような文を生きてる間に書きたいとは思っているけど。

ーーー

今度の転職は工務店の営業マンだが。
これは稼ぎたくてやる仕事だ。
なぜその仕事にしたのか。稼ぎたいのだ。
家を売るって一番稼げる仕事だと思う。
単純に単価が高い。

人生の三大支出は住宅、教育、老後資金と言われている。
この中で住宅というのはかなり異質で商品一つで三代支出の一つになりうる。
現実には賃貸に住む期間もあるし、固定資産税だの修繕費だのも含まれるが、家の購入費っていうのが大半だ。
あとの教育については学校は小中高大と分かれるし、老後資金もアレコレ分かれる。

衣食住と人間の必要なもので考えても、衣食は細々と買うが、家は一発でドカンと買う。

ものすごく単純な理屈だが、家が売れれば一番儲かる。
それゆえに販売も一番難しいとも言えるのだが。

それでも、医者などの特殊なスキルなしで、年収一千万が実現するのは家を売るか、株などのお金でお金を膨らませるかの二択である。

ーーー

なぜお金が欲しいのか。

今まではお金って必要なかった。
多分これからもそこまでたくさんのお金は必要ない。
何だかんだで日本でまじめに正社員してる限り餓死することはないし、子供を学校に行かせることもできる。

強いて言うなら、これまでしたことがなかったことだからやってみたいっていうのが大きい。

目標は家とスバルのフォレスターを買うこと。
そんなのそこまで大金持ちじゃなくても出来るのだろうが。
正直なところ、僕には他に思いつかない。
ブランド物の服が欲しいわけでもないし、豪邸が欲しいわけでもなく、レクサスが欲しいわけでもない。
マウンテンバイクが積める大きい車、家族でキャンプに行ける車があれば良い。

じゃあ、年収一千万円を目指して何にお金を使うのか。

正直、分からないんだけど、何か寄付でもしたいと思ってる。
世のためになるようなことってわけでもなく。
国立公園の整備とか。マウンテンバイクのトレイル整備のためとか。あるいは誰でも使える音楽室を作るとか。冒険家のために出資するとか。
僕の友人でユーラシアをオートバイで横断したいってやつがいるんだけど、そういうやつに200万くらいホイッてあげちゃうような感じか。
別にオートバイでユーラシア横断なんかやってる人はいくらでもいるんだろうけど、でも、何だか面白そうじゃない。
世間でいう立派なことに寄付したいわけじゃなくて、面白そうな人が面白そうなことをするのに寄付したいわけだ。

面白い遊びをする誰かが喜ぶような何かにお金を使って、面白い遊びをお裾分けしてもらいたいなんて思うのだ。

言うなれば昔の貴族みたいなものか。
パトロンになりたいわけだ。
センスある若者にお金を出して、面白いことを味わいたい。

まあ、そんなこと言ったって、まずは自分の家族の生活ありきで、よほど稼がないと難しいんだろうけど。

ーーー

まあ、要は別にお金の使い道は決まってはいないのだ。
単純にたくさんお金を稼ぐと面白そうだな、っていうだけのことだ。
もちろん、大前提として家族でキャンプに行きたいとか、家族が安らげる家が欲しいっていうのが第一で、その余ったお金でやる程度のことだから夢見たって仕方ないけど。

でも、やるからにはお金が余って困るかもしれないって心配をするくらいじゃないといけないと思うのだ。

子供の教育に注ぎ込むかっていうと、そういうのはあまり考えてない。
子供はかわいいけれど、人生って理不尽だ。
才能のあるやつが面白いことをする。
才能って天性のものだとは思わない。努力や運、きっかけ、なによりも人柄だろうと思う。
なので、息子がそういう才能溢れる人間でお金を出せば面白いことをしそうだなと思えば注ぎ込むかもしれないけど、才能がなければそれはそれで良いと思うし、それならお金は別の人が使った方が楽しいような気がする。

いざ育っていくと、自分の子供にじゃぶじゃぶ使ってるのかもしれないけど。
はたまた妻君がそういうことに使って、それを横で眺めているしか出来ないのかもしれないが。

まあ、なってみないと分からない。

でも、個人的には面白い人が集まる面白い場所なんか作るのに使いたいと思ってはいる。

もしかすると、自転車で南極点を目指すのかもしれないけど。

ーーー

人間、なりたいものになるのだ。
どういうものになりたいと思うか。
思いつけるか。
そして、それをどれだけ強く思えるか。

大人になるにつれて、いろんなことが出来るようになって、いろんなことが出来なくもなっていく。

何に使うんだか分からないけど、とりあえずたんまりお金を稼いでみたいと思ってる。

ま、そんなこんな。
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