2017年03月19日

限りはあれど急がなくて良い時代。

てんぷらを揚げながら、ウィントフックで帰国を待ちつつ、写真と文の整理、執筆をする日々。

小説は書き始めたもののなんとも微妙だ。
写真をまとめての旅行記の方は悪くない。
今回は完全に分けて、旅行記は旅行記で書いて、自転車としてのレポートはじてぼんにまとめて、小説は小説で書こうと決めた。

今回の旅はすこぶる珍しく、明確に得たものが一つある。
ポレポレ、ハクナマタータだ。
スワヒリ語で、のんびり行こう、ノープロブレム。
そして、サムデイ、ネクストタイム。
いつか、また次回。

とにかく焦り過ぎ、急ぎ過ぎなのだ。
今回を最後の旅にするかどうかとか、帰国したら結婚しようかとか、山小屋はずっとは続けられないだろうとか。
要は急いでいるから、そうなってしまうのだ。

確かに、現実問題として、どれかをやることにはなる。
来年以降も旅をするなら、やはり結婚は難しい。
結婚するなら山小屋を続けるのは難しい。

でも、だからと言って決めつける必要はないのだ。

結婚したって、まだ人生は長い。子供が大きくなったところで、ふと夫婦二人で世界一周に出掛けるかもしれない。

山小屋と旅の日々を続けていたって、ふと結婚することだってあるかもしれない。

「これが最後だから、いつまでにやらないといけないから、だから何かだけを選ばないといけない。何かを捨てなければいけない」
っていうのは間違いなのだ。

確かに人生に限りはある。
今、出来ることは一つだ。
今することはどれか選ばないといけない。
ただ、他のやりたいことを捨てる必要などない。
人生はまだ長い。
サムデイ、ネクスト。
いつか、また今度。
胸の中にやりたいことはやりたいことで置いておけば良い。そういうのをたくさん貯めながら生きていたって良いのだ。

そりゃ、タイミングはある。
タイミングを逃すと美味しくないこともある。
若い頃の経験は歳を取ってからの経験より貴重かもしれない。
順番は大事かもしれない。若い頃にしたほうが良いことも多いかもしれない。
のんびりしていれば、ベストなタイミングを逃すかもしれない。
ただ、そりゃ、もう縁だろう。
現実には今出来ることは一つなのだ。

一度に全てをやるってのは無理かなと思う。
やりたいことを全部くっつけてやるってのは無理があるんじゃないかなと思う。
例えば、結婚して新婚旅行は五年かけて自転車世界一周しながら文を書いて生きていく。
やっぱりそういうのは虫が良いと思う。
もちろん、不可能ではない。
ただ、やっぱりくっつけてしまうと、別のことになってしまうんじゃないだろうか。
それにくっつけてしまうには労力がいるし、やっぱりそういうことをしている人が少ないのは難しいからだったり、リスクが大きすぎたり、やっぱりあれこれ上手く行かないからなんだろう。

平たく言えば、自転車は一人きりで乗っていたいってのもあるんだろう。
奥さんと二人じゃ意味が違う。
もちろん、楽しいだろう。
でも、結婚するなら日本で暮らして子供を育てたいし。
やはり自転車で走るなら、勝手気ままに一人が良いってのがあるんだろう。

やっぱり無理くりくっつけて一度にやってしまうってのは出来ないんだろう。
やっぱり別物になってしまうのだろう。

ただ、別に焦らなくたって、人生は長いのだ。無限ではないけれど、決して短くない。
順にやっていけばいい。
どれが出来て出来ないかは分からない。縁次第だろう。
ポレポレ、ハクナマタータなのだ。

フランク氏と話していてそう思った。
「自転車でナミブ砂漠もいいよ。またいつか、次のときにやってみたら良いよ。君はまだまだ若くて時間もあるんだからね。人生いろんなことが起きるからね」

人生って割と何でもありなんだ。
もちろん、何でも出来るわけではないけれど。
一度に出来ることってのは限られてはいるけれど。
こうじゃないといけないなんてことはないし、いつまでに、何歳だからとか、そういうのはないのだ。

多分、年齢もあるんだろう。
三十を手前にして。
二十代って忙しいと思う。
急に大人にならないといけないし、若い感性が残っている間にやっておいた方が良いことも多い。
二十代に関しては急ぐ必要ってあるのかもしれない。
ただ、少し落ちつく30くらいからはせかせか焦らず、どっしりと順に自分の好きなことを進めていけば良い。
焦ったり急いで、自分を追い込むようなことはせず、好きなように生きていけば良い。

まあ、多分だけどね。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 08:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月18日

フランク氏に何を感じているのか?

すっかりサッパリ自転車乗りじゃなくなった日々をウィントフックで過ごしている。
朝からビールを飲みながら、小説を書いてみる。
あまり良い作品にならない。分からない。良い作品になるのかもしれないが。
でも、最後の滞在をのんびり小説を書きながら過ごすのは良い。

じてぼんの方にも書いたのだが。
フランク・レナガード氏というフランス人サイクリストのおじいさんがやって来た。
彼は砂漠も走っていた。すごすぎる。

全く。
自転車旅ってのはキリがない。
フランク氏はとても雰囲気の良い人、僕の好みの雰囲気の人で一緒にいて心落ち着く。

フランク氏は若い頃から年に一度海外を走りに出掛け、帰国したら仕事を探して、またお金がたまれば出掛けるという暮らしなのだそうだ。
今回は南アフリカのヨハネスブルグから始めてナミビア、ボツワナと回ってヨハネスブルグから帰国予定とのこと。
ヨハネスブルグは危なくないか聞くと、日中は問題なかったよとのこと。
そんなわけで世界のいたるところを走っていて、完全に自転車仙人みたいな人だ。

ヨーロッパの人にはフランク氏のような生き方っていうのも広く受け入れられているやり方なのだろうか。

それにしても、ヨハネスブルグが危なくないってのは信じがたい。ただ、フランク氏が言うには、フランスも危ないところが多いからね、と。
確かに僕ら日本人は少し危ない感じだとすぐに怖い怖いになる。
ダルエスサラームにしても、僕は半々、もちろん都市は苦手なので怖いけれど、特別飛び抜けて危ないとは思わなかったのだが、案外日本人バックパッカーたちはあの雰囲気は危ないと思う、とよく言う。
昔、ブエノスアイレスの市街から出る道がすこぶる怖かった思い出があるからか。ダルエスサラームはそこまで感じなかった。

ただ、案外、その感覚はさほど間違ってないのかなと思う。
自分が感じてみて危ないと思うかどうか。
どうしたって日本と比較すると海外はどこの国も危ない。
夜道を女の子が独り歩きできるのが普通の国なんてないと思う。

ヨハネスも案外、行ってみれば、メインの通りはそんなに危ないわけでもないのかもしれない。
サッカーワールドカップがあって、かなり治安は改善したとも聞く。
ただ、ヨハネスはリアル北斗の拳なんて話も聞く。
行ってみないと分からないけど。
なぜだか南アフリカって全く興味が出ないのだ。
海沿いなんかすごくきれいらしいし、ワインの産地でもあるらしいんだけど。

フランク氏と話していると、何か思うところがある。
何なのか分からない。
フランク氏も奥さんがいた頃は自転車旅行はやめていたらしいが、今はもう亡くなってしまったのだそうだ。

「自転車旅行は楽しいけど、一人きりだから時々寂しいと僕は感じるよ」
と言うと、
「そう?僕は寂しさは感じないな。走っている時にはいろんな景色や人があるし、夜は疲れてすぐ寝ちゃうからね。寂しさを感じる暇がない」
確かにそう言われると、走ってる時はそうかもしれない。

ねむい。
フランク氏から僕は何を感じてるんだろう。

そんなこんな。
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2017年03月14日

感覚とは曖昧か。

最終目的地、ナミビアウィントフックに到着して、自転車ブログはしばらくやめにすることにした。帰国まで書かない方が良いかな、と。
やはり自転車ブログに自転車以外のことは蛇足だし、いらないことを書けば文が濁る。
やはりちょろり草とは純然で良いと感じる。蛇足ってのがない。ちょろり草は僕が書いている限りはすべての文が蛇足にならない。

ーーー

そう、文が濁るっていうのを最近よく感じる。
書けないものは書かないのが良いんだな、と。
だから、じてぼん、自転車の方はしばらくは書かない、多分。
異国にいるのに走ってない日々には自転車のことは書けない。テーマがズレる。
日本なら良い気もする。
変な話だけれど。
一口に言えば、僕は不器用なんだろう。

何となく、アフリカの話も数年は小説にしない気がする。
いや、書き始めてはいるけれど、何回もボツになり、完成はずっと先なんだろうと思う。

何も得られなかったのではなく、得られたと確信しているからなんだろう。
このネタは熟成させたい。
間違いない引き出しだ。

なんとも変な感覚。
ちょろり草的な感覚。

ーーー

今日はへんてこな日本人の旅人に会った。
旅人とは総じてへんてこな人間だけれど、旅人としてはへんてこ、へんてこな人間が旅人でそれのへんてこだから普通人間の気もするけれど、へんてこな人だった。

仲良くしてる人とへんてこな人だねぇと話した。
アメリカ人も顔をしかめて、へんてこで苦手だと言った。アメリカ人が目の前でそういうことを言わず、裏で言うのは珍しいように思ったが、グローバルで通じるへんてこさがその旅人にはあるんだろう。

その旅人のへんてこさというのは、一口に言ってしまえば、自己顕示が強いのだ。自分はこれこれをして、すごいんだということを偉く押してくる。
「彼は陣取りゲームのように人と話す、相手を服従させるかのように」
アメリカ人はそう表現していた。

まあ、それでも、バックパッカーにせよ、僕にせよ、旅の武勇伝などは多かれ少なかれ誰かに語る。
その度合いが少し変わっているというだけなのだが、やはりへんてこな感じがする。

そうは言えど、広く知られていない事実を語るとき、人はへんてこというレッテルを貼られることが多い。
僕の小説の先生も、近年、UFOに関して話し過ぎて、元々変人、小説書きだの絵かきだの音楽家だのはやはり変人、普通の人が普通にできることをしていたって芸術家とは呼ばれないから当然なのだが、それが輪にかけて変人扱いされた。
ただ、一足踏み込んで勉強してみると、先生の語るUFOの話というのは、たしかに広くは知られていないし、事実かは分からないにせよ、ある程度の数の人々が信じている、認めている事象であり、そういうことを知るとそんなにへんてこな話でもなかったりする。

だから、一見、へんてこな人と思っても、案外、僕らが知らないだけで、きちんと確立している考え方、理屈を持っているかもしれない。
少なくとも一人の人間が信じるに値する程度の何かというのは存在するのだ。

だからって、ほいほい何でもついて行ったり関わったりすると危ない。

やはりラインってのは重要だ。
へんてこな人だと感じれば、やはりへんてこな人、自分のフィーリング、勘ってのは曖昧なようで案外アテになる。

ーーー

別の宿に泊まっている友人が遊びに来ていて、夜タクシーで戻るからとタクシーを拾いに道に出かけた。
歩いても十分そこらの宿なのだが、やはり海外の都市は日没後は基本的には出歩けない。歩ける街もあるそうだが、やはり基本は歩けない。背負う必要のないリスクであり、犯してしまったときの代償が大きすぎる。
特にウィントフックはリスクのある街だ。ヨーロッパのツーリストもいくらかは夜に飲み歩いているので、すこぶる危ないとまではいかないにせよ、貧富の格差の大きい国はリスクがある。
特にその宿までには鉄道をまたぐ橋がある。
橋というのは危ない。
貧しい路上生活者にとって、雨を防げる橋というものはありがたいものなのだ。

ちなみにすべての路上生活者が危険なわけではない。
屋根や塀の中で眠る我々が路上生活者を怖がる以上に、屋根も塀も持っていない彼らははるかに日々にリスクを背負っている。
我々以上に夜を恐れているのは彼らなのだ。

ただ、夜と親しいのも彼らの方だ。僕も野宿をいくらかはしているから分かるが、夜の恐怖に近いほどに夜に親しくなる。
夜に誰かと会えば、夜に親しい人間のほうが有利なのだ。

話はそれたが、タクシーを拾いに三人で出たところ、長い棒を持った黒人が歩いていた。
それがどうもおかしい気がした。
別段、こちらに向かって来ているわけでもなく、棒を振り回しているわけでもないのだが、杖をついているわけでもなく、しかし、棒をゆらゆらと揺らしている。
理由は分からないが、強烈に違和感があった。
「あれ、変じゃないですか?」
おーちゃんが言ったので、
「僕もそう思います、変ですよね、逃げましょう」
三人とも走って宿まで逃げた。

何事もなく宿まで戻り、宿の人の知人が車で僕らの友人を送ってくれた。

何事もなかったので、実際は変な人間だったのかは分からない。
逃げながら振り返ってもこちらを追いかけて来てもいなかったので、危ない人間でもなかったのかもしれない。

ただ、事実は、あんな棒をあんな風に揺らしながら持って夜歩く人間というのを僕もおーちゃんもアフリカで見たことがなかったし、変な感じがした。
「日本なら気にしないと思うんですけどね、改めて考えてもやっばり変だったと思いますよ」
と二人で話した。

ーーー

旅をするときのリスク管理っていうのは難しい。
日本の外務省なんかのハザードマップなんかは割とあてにならなかったりすることもあるそうだ。日本の体質として、安全重視すぎる面もあるし、それよりも他国の判断が揃うのを待つということもあるらしく、危ない地域に日本人だけ知らずに観光でいるということが過去に数回起きたこともある。
旅人の話もアテになるのは半分ほどだ。
危ないにも質があるから、危ないかどうかは人によったりすることもある。
ボツワナの自然保護区は通常の観光客には特に危険ではなくとも、自転車乗りには相当なリスクのある道だし、タンザニアの大都市ダルエスサラームは危険都市とは呼ばれるが、被害は主にタクシー強盗なのでタクシーを使わない自転車乗りにはさほど危ない街でもない。ただ、交通戦争と呼ぶにふさわしいほどに車が多く、信号がなく、交通ルールみたいなものが存在しないので交通事故のリスクは高いので、やはり危ないが。

とにかく生で見て感じないと危険の度合いは分からないのだ。
事前情報は重要だし、最低限知らねばならないことも多いが、あくまで予備知識であり、必要があれば通過しないといけないこともあるし、中止する判断が必要な場合もある。
スリルを楽しんではいけないが、いくらかのリスクを取らねば自分の行きたい場所、見たいものには辿り着けない。

だから、リスク管理、生で見たときのフィーリングは大事なのだ。
奇妙に感じれば、理由はなくとも何かがおかしいのだ。

リスクの存在とは忘れてはいけない。

ーーー

ただ、アフリカというのはよく人が死ぬようだ。
病気だけじゃなく、お祭りみたいなのがあるとはしゃぎ過ぎて死んでしまう人なんかは珍しくない、祝日明けに誰かが死んでしまっていて出社して来ないなんていうことが時々起きるのだ、それも自分の職場だけじゃなく知人の職場でも時々起きるらしいのだ、と現地で働く日本人が言っていた。
実際、棺桶屋さんというのをタンザニア、マラウィではよく見掛けた。
通りの家具屋さんに家具と同列で何種類かの棺桶、きれいな装飾のものや地味なものやらが並んでいたりする。

日本なんかでも葬儀屋なんかはよく見掛けるが、どちらかといえば大多数は老人向けで、変死や事故死というのはやはり数は少ないと思う。
実際、会社の同僚が祝日明けに不意に死んでしまったなど滅多にない。
何でもかしこでも発展しすぎてて、人が死ぬということから距離が遠くなってしまったからなのかもしれない。
何にせよ、我々には身近な人の死っていうのはあまり多くない。

もちろん、アフリカで人の命が軽いなどということはないのだろう。
ただ、彼らには死というのはさほど遠いものではないものなのかもしれない。

生きていれば、人間いつかは死ぬ。人間が死ぬということは決して不自然なことではない。
そりゃ、日本人にだって分かることだが、彼らはもしかするとそういうことをより身近に感じて生きているのかもしれない。

夜の近さだの、死の近さだの、リスクの勘だの、えらく曖昧な話になったが。

ま、そんなこんな。
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2017年03月06日

旅の終わりに途方に暮れる。

20170305

本日は自転車は走らず。休養日。
スーパーに行き、キャンプサイトにて昼前からワインを一本飲んだら存外酔っ払って、一人で吐いて、ベンチで眠っていた。

なぜだか全くやる気が起きない。
やはりアフリカは終わったという感じがする。
残り200キロでウィントフックに着く。宿泊できるキャンプサイトなどがある町の位置を考えると三日に分けることに。道路脇キャンプも可能なようだが、残り少ない最後で失敗するのは嫌だ。

油断ではないが、やはり安心してしまっている。
残りの200キロは難所がない。
ウィントフックからしばらくナミブ砂漠散策に出る予定だが、そちらはスーパーハードルート。ただ、とりあえずはウィントフックまでなのだ。ナミブ砂漠編は言うなればサイクリング、別段、明確な目的地はない。一応、観光で行ける砂漠の最深部デッドフレイというところを目指す予定だが、走ってみて砂漠がどの程度厳しいか次第と、帰りをヒッチハイクできそうか次第で、どの程度奥まで行けるか決めるだろう。別に最深部に行かなくとも砂漠を走れたら満足なので、気が済んだ辺りで引き返す予定。

22日のフライトなので、輪行の準備、ダンボールを探しに出たりタクシーの手配なんかに三日余裕が欲しい。18日にはウィントフックに戻りたい。
8日にウィントフック到着予定で、一日休んでから砂漠なので、3月10日から18日が砂漠の予定。
3月10日は誕生日なのだが、何が悲しくて誕生日に砂漠に向かって自転車を出発させるんだか。
それでも、そこを逃すと、もう人生で砂漠を走る機会はないかもしれない。

可能ならやはり最深部まで行きたい。

ーーー

帰国のフライトまでに最終目的地の町まで到着しないといけない。
そういう緊迫感は非常に大事なのだが、もはやそういうのがない。砂漠はいつでも引き返せるように走る。
もちろん、まだ終わってはいないが、あとは安全策で帰国までのんびり過ごせば良いだけだ。
砂漠を走らずウィントフックでちんたら過ごしたって良い。
ただ、やはり砂漠は走りたいので、走りに行くのだろう。
まあ、そんな具合なので完全にやる気がない。やる気がないのは危ない。危ないのは分かってはいても、やる気を出そうにも、もうくたびれていてなかなかやる気は出ない。

やはり砂漠となると難しい。引き返すのも予定通り出来ない可能性もある。
そこらへんを考えると、やはりウィントフックで10日間ダラダラ過ごして、車のツアーで砂漠に行くのが良かろう。
ただ、わざわざ金を払って、未舗装の道を揺れる車で乗り物酔いしてまで砂漠が見たいかと言えば、そうでもなかったりする。

ーーー

そう、ウィントフックに着けばすでに目的は達成してしまうのだ。
砂漠の先に目的地があれば良かったのだが。あくまでプラスアルファ、やる気も出ないわけだ。

砂漠自体は楽しみにはしていたのだが、もはやボロボロなのだ。
タンザニア、マラウィと途上国で疲れ果て、下痢して、ザンビアからは無人地帯が長くなり、ボツワナでは象の恐怖にさらされ。
ナミビアは本当に精神的に助かった。
国境の時点で完全にこれまでとは別格のまともな先進国に近い感じがあった。
そして、やる気を失っている。

やる気がないのは本当に危ないのだ。
危険地帯とか以上にやる気をなくした状態での普通の地帯の方が危ない。
やる気がなくぼんやりしていて、車にはねられたらそれで全ておしまいなのだ。

ーーー

どうしてやる気がこうも起きないのか。
旅の終わりを感じ始めているからだろう。
旅の終わりを感じ、疲れが一気に出てきたのかもしれない。
旅の終わりっていうのは、いかんともしがたい。
帰国できる嬉しさもあるが、心から切望し、全てをかけたプロジェクトが終わる。
これは何とも言えない気持ちなのだ。

「次はどこ走りに行くの?」
「いつ旅に出るの?」
旅に出るのは簡単なことではないのだ。出てしまうまでが大変なのだ。出てしまってからももちろん大変だが、出てしまえばあとはやり切るだけ。
出ようと決意し、資金などの工面をし、仕事を辞めて出る。
人生で何度も出来ることではない。

多分、これが最後になる。
もしかすると、またいずれ行くかもしれないが、今のところ予定は立たない。

自転車で異国を走るのがすごいのではない。
自分の好きなこと、やりたいことのために多くを犠牲にする決意をして実行する、それこそが凄いのだと僕は思う。

どっしり疲れの中に沈んでしまっている今は、とてもじゃないが次の明確なプランなど考えられない。

じゃあ、どうするのか。
これから先。
どうしようか。

全く、人生というのは果てしなく長い旅だ。目的地もよく見えない。
どう進めば良いのか、足下を照らす灯りも暗いし、僕の目もどうにも霞んでいるのか、途方に暮れる。
久しぶりに誰かに手を取ってもらいたい、足下を照らしてもらいたいなどと思う。だが、それは誰かに頼むことじゃなく、自分でせねばならないことなのだ。

ーーー

ウィントフックまで無理をせず、200キロをのんびり三日に分けて走り、心身ともに回復させてからナミブ砂漠に挑みたい。

まあ、そんなこんな。
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2017年03月05日

先進国の安心感と言い値の人間味。

自転車の日々の詳しい話はじてぼんをよろしく。
http://jitenshatohon.seesaa.net/

ナミビアに入ってから先進国って良いなーとしみじみ思っている。正確にはナミビアは準先進国だが、タンザニア、マラウィとThe途上国から、ザンビアからスーパーが増え、ボツワナは都市部に限らず村でも、衛生観念がかなりしっかりしてきて、そこからのナミビア、完全なる先進国と感じさせられるわけだ。

物価は安くない。日本より少し安いくらいの感覚だろうか。宿なんかは安くても三千円ほどとのことで相変わらずナミビアもオールキャンプだろう。かれこれ半月以上キャンプ続きだな。

しかし、キャンプサイトが非常にクオリティが高い。清潔なのはもちろん、全て良い。これで千円なら喜んで毎日キャンプだ。
まあ、ボツワナもキャンプサイトはすごく良かったんだけど。
ナミビアの安心感はすごい。

ーーー

先進国の安心感とは何かと言えば、まず衛生面と、金さえあれば物が手に入ることと、プライスとクオリティーのバランスの安心じゃないかなと思う。
「何それ?なんでそれがこの値段でこっちがこの値段なわけ?」
そういうことが減る。
いくらか払えば、それなりのことが手に入る。
キャンプサイトに千円払えば、セキュリティもいるし、芝は整えられているし、水も安全だ。Wi-Fiも日本並みに飛んでくれることが多い。
数年前の情報ではWi-Fiは有料が多いとのことだったが、今は無料でサクサクのほうが普通になりつつあるようだ。

もちろん、手放しで全てを信じ切るのは危険だが。
妥当なお金で買える妥当な安心ってのは本当にありがたい。

ーーー

衛生面については本当に助かる。別段、綺麗好きというわけではないけれど、どこでもかしこでも家畜の糞が落ちているのは嫌だ。
ハエがぶんぶん飛んでいたり。
悪臭も嫌だ。
我慢すれば我慢できるし、慣れれば慣れるとは言えど、やはりいざ先進国に入ると、清潔って良いなぁとしみじみ思う。

ーーー

プライスとクオリティのバランスってのは、要は資本主義経済が回っているかどうかだと思う。

例えばミネラルウォーターだ。
マラウィの村なんかではもはや売ってすらいない。
売っていても値段もまちまちだ。
ただ、マラウィにもスーパーはあり、そこでは値段は統一されている。

売り手がある程度いて、買い手もいくらかいると、経済競争が起きて、値段が妥当なところで安定する。
安くしすぎれば品質が維持できなくなるし、高ければ別の店に負けてしまう。

買い手が少なければ、売り手も商売にならないので増えない。
売り手が少なければ、値段は言い値になってしまう。

旅人の間では、途上国では値切れるだけ値切らないといけないとは言うが、まさにそんな背景があるし、僕は値切るのが嫌いなので、毎回値段が変わるのを、ふーん、と思いながら納得することになる。
もう、そういうのは、しゃーないからね。
彼等の暮らしが人間として貧しいなんてのは思わないけれど、金銭的には苦しいっていうのは分かるし、僕にとっては些細な金額差でも彼等にはありがたいとまでは言わずとも、やはり欲しいお金なのだろう。

煙草なんかでも平気で三倍くらいの値段を言ってきたりすることもある。さすがにそういう時は嘘付くなと言うけれど。

ーーー

日本なんかでも、正直、こいつは乞食か、と思うほどケチなやつがいる。
そんなカスみたいな値段をケチるためのカロリーの消費や、人からあの人はケチねとレッテル貼られることを考えれば、本当アホかと思う。

僕なんかはお金に関してはテキトーな人間で、もちろん決して太っ腹ではないし、器がでかいとかいうわけでもないので、
「あ、金欠だ、やばい、ケチろう」
くらいはよく思うけれど、たいていのことは、
「まあ、数回飲みに出ればなくなる金だし良かろうて」
みたいなテキトーさ加減だ。

それで、国境の両替も毎回、
「明らかに損したなー」
などと思いながら、
「まあ、たかが千円ちょっとくらいの話だし、手間無く手渡しでお金が手に入ったし、どうでも良いか」
なんてことになる。
今回の旅で四回国境を越えて、恐らくトータル五千円以上損してると思う。

そう言いながら宿はケチってキャンプなのだが。

まあ、キャンプについては、ケチってるのはもちろんだが、それよりも得体の知れないベッドより、自前のマットと空間の方が安心出来るし安いからというのもある。

飯は美味いもののためならいくらか出したって良いけれど、宿はどうせ寝て起きるだけなのだ。
温泉なんかあれば話は別だが。

ーーー

そんなわけで、僕はあまり、
「あいつケチだなー」
とは思われないが、
「あいつ、本当、いつも貧乏だなー」
ってのは思われていると思う。

ケチと貧乏は違う。

むしろ、いくらかケチじゃないと金持ちにはなれない。
貧乏人はだいたいにケチじゃない。金もないクセに、やたらと人に酒をおごったりしたがる。
そして、本当の金持ちはピンポイントで金を使う。
おごるにしても、あげるではなく買っている。おごった相手から必要な信頼や恩、その人の能力や将来性なんかを買っているのだ。

ーーー

どんどん金がどうこうの話に流れたが、先進国の安心の話だ。

安心はするし、やっぱり先進国は良いなーとは思うが、ハッキリ言って先進国は嫌いだ。
恩恵だけ喜んどいて、嫌いとはなんだって話だが。

値段なんか売り手の言い値くらいがいろいろとちょうど良いのだ。
「さっきと言ってることが真逆じゃないか」
と思うだろうし、実際そうなのだが。

言い値の方が人間味があるし、いかんせん我々は人間なのだ。

手塚治虫のブラックジャック先生が正に好例で、べらぼうな高い金を取ると人々に噂されるが、相手に応じて決める。
世の中には百万円が高いと感じる人と安いと感じる人がいる。

ブラックジャック先生は、相手が良い人間だと思ったからと言って、その人にとって安い金額にしてあげるということはない。まあ、たまにそういうのもあるけれど、基本的にはその人にとってはそれなりの金額を要求する。
百万円が高いと感じる人には百万円だし、一億じゃあまりに高すぎでどうにもならないという人にはそこまでは要求していない。
何とか無理すればそのくらいは払えるだろうという金額だし、命は安くないということを徹底している。

そういう点、言い値の世界というのは何かと都合が良いのだ。
金持ちの観光客には高く言う。
いつも馴染みの村のやつにはいつもの値段か、あるいは金持ちの外人から儲けたからこれで飲みに行こうぜとむしろおごる、そのくらいでちょうど良いのだ。
気に入らないやつからは多く取ったって良かろうし、取れるところからは取るってのは一向に問題ないと思う。

その点、かっちりといろんなことが決まった先進国は人間味がない。
医者が言い値で診察したら違法だ。

それこそ自転車屋での値切りにしたって、
「なんでオレの倍以上稼ぐやつに、オレは値引きしてやらないといけないんだ」
なんて機材オタクで値引きかたなんかも詳しい金持ちには思うことは多かった。
むしろ、そんなやつは多く払って、目を輝かせてロードバイク乗ってみたいという子どもなんか安く売ってあげれば良いのに、と。

ただ、資本がしっかり回る先進国では人間味よりも、多く買ってくれるお得意様にこそ値引きしてあげないといけない。
初心者に優しくしたって大して金にならない。

まあ、長い目で見れば初心者は売上の可能性を大きく持っているのだが。

ーーー

まあ、何にせよ言い値の方がやはり世界はいろいろ都合が良い。
飲み屋にしたって、周りの気分を悪くするようなやつからは高く取りたいし、常連で他の客も良い気分になれるような人は安くしてあげたい。
ただ、言い値じゃなく値段は決まっている世界では、そういうことをすると何かと問題になる。オレも安くしろだの、あれこれ文句を垂れるやつが出てくる。
大きなお世話である。
売り手と買い手の間で人間としての同意があっての言い値なんだから、そんなもんは他人が文句を言えるものでもない。

ーーー

まあ、そうは言うものの、やはりいざ途上国から先進国に入ると、楽なのである。
物価は上がれど、欲しいものが手に入る。
最低限の常識みたいなものが共有されている。

二泊分の金を払ったのに、二日目に宿に戻ると自分のものが捨てられて掃除されていて、
「チェックアウトしたと思ったのよ、ごめんね」
なんていうクレイジーなことは起きない。ダルエスサラームで一度そんなことがあったのだ。
こちらとしては、外出時には鍵を預けろと言うのでそれに従っただけだし、二泊分の金を払えば、二晩はその部屋は自分のために置いてもらわないといけないし、ましてや部屋に勝手に入って物まで捨てているなんて馬鹿なことが起きるわけがないというのが常識だ。
「お前はアホか!」
と言ってみたって、向こうにはそれは常識ではない。
誰が何泊分払って、どの部屋はいつまでどの人が使うかなどロクに書き留めていないし、確認もしない。入る時に金をいくらか受け取り、鍵を返されればチェックアウト、朝の決まった時間に掃除出来る部屋は掃除しないと叱られるので掃除する、それが常識なのだ。

モシの町で日本人のオーナーが女性従業員に、
「お客さんに送る文面は友達に送る文とは違うんだよ。スワヒリでも英語でも良いから新聞を読みなさい。そしたら、友達に送る文と違う文の書き方なんかも分かるようになるから」
と教えていたのにしても、我々日本人としては常識のことでも、彼等には常識じゃなく、ビジネスをする上ではそれを教えていかないといけないわけだ。

常識のズレはとにかく面倒くさい。
口頭でいかに確認しても駄目なものは駄目だ。紙に書かせたって駄目な物は駄目だ。慣れれば、ああ、やっぱり予想通り駄目だったねで済むし、駄目になるだろうという予測のもと動けるので良いのだが。まあ、何かと面倒くさい。

ーーー

先進国の安心感ってのは、本当に大きい。ありがたい。
ただ、旅の味みたいなものも薄れてしまったというのも事実ではある。
安心感だけで言えば旅などせず、日々慣れ親しんだ中で普通に働いて生きているのが一番なんだから。

ま、そんなこんな。
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2017年03月02日

謎の不安と焦り。

自転車の詳しい日々はじてぼんをどうぞ。
http://jitenshatohon.seesaa.net/

ボツワナ、ハンツィなる町。
残り五百キロで目的地ウィントフックと迫っている。
不思議と不安を覚える。
何に対する不安か分からない。飛行機のことか。
いや、分からない。

五百キロというのは日本で言えば東京〜大阪だ。遠いようで別段そんなに遠くもない。
かと言って近いようで近くもない。小さな国マラウィだって600キロ程度は走った。まあ、ワンスパンといったところか。

数字としてはその程度のもので、楽勝っていうわけじゃないにせよ、不安を感じるべきことは特にないはずなのだ。
しかし、不思議な不安がある。

本当に不思議な不安だ。

旅が終わるのは、正直、嬉しい。
普通に働いて、普通に暮らすってのが僕は結構好きなのだ。
海外も楽しいけれど、やはり日本が好きだ。
日本の何がそんなに良いんだか。
多分、日本で出来ることって、まあ、アフリカなんかの途上国では難しいにせよ、だいたいどこの国でもその気になれば出来る。

愛着。
多分、そんなものだろう。

ふと、かつて故郷のことを狂ったように愛していたことがあったのを思い出す。
やたらと故郷の町を素晴らしいと信じ込んでいた。
実際、故郷、倉敷とは良い町ではある。贔屓目なしにして、故郷じゃなく旅行で行っても良い町だなと思えるだろう。
それでも、ずっと若い頃、アルゼンチンに行った前後くらいは狂信的なまでに倉敷を愛していた。
それからは狂信的とまでじゃなくなったが、やはり故郷というのを折りに触れては考えた。

山小屋に行ったり、東京に出て自転車屋で働いてみたり、そんなことを五年ばかりして、今回の旅の前に久々に故郷に一ヶ月ほどいた。
幻想に抱いていたほどの町ではなくなっていた。
正しく言えば、他の町でもそれなりに楽しいことを探して行きていけるようになったのかもしれない。

今はさほど強く故郷にはこだわりはない。
それでも、日本にはこだわりはある。
やはり日本が良いと思う。

日本の良いところと言えば、母語がしゃべれることだろう。
そして、市民権を持っている。
もしも、カナダ国籍(まあ、どこの国でも良いが何となくね)を取得できて、起きたら英語がぺらぺらの母語になっていて、仕事の探し方なんかも分かれば。それならどうかと言われるとカナダに住みたいかもしれない。
まあ、要は言葉が喋れて、その国の文化に馴染みさえあれば、割とどこの国でも良いのかもしれないとは思う。

その点、中国ってすごいと思う。
まあ、どこにでも中国人はいて働いて生きている。
世界中どこにでも住める。もぐりこんでしまえる環境をどこにでも作っている。
日本ってのはその点ダメダメで、言語がどうこうとかじゃなく、日本の常識、愛着を捨てきれない。
どこかの企業に入って海外駐在とかじゃない限り、つるりと海外に住んで働いてなんて出来ない。
そりゃ、カウチサーフィンみたいにお手伝い程度のことはできるだろうが。

やはり、その点では僕も日本人で日本への愛着みたいなものが捨てられないのだろうか。

まあ、一口に言えば面倒くさいだけでもある。
どうしたって海外に住んで働きたければ、まあ、何かしらの方法もあろう。
それでも、その土地の文化、制度、言語に馴染む苦労なんか考えると、まあ、楽しかろうが、その労力で日本で何かすれば良い気がしてしまう。
どうしたって海外に住みたい、そういうのがないと海外には住めない。
そして、海外でも日本でもつまるところ同じ人間ではある。

ーーー

それにしたって何の不安だろうか。
謎だ。
もうトラブルが起きる要素もほとんどない。

あるいは旅が終わる不安だろうか。
再びこういう旅に出るのはずっと先になると思う。
出発前は数年は旅と山小屋の生活を繰り返そうと思っていたのだが、アフリカを走るとくたびれてしまったのやら。
いや、多分何かを急いでいるんじゃなかろうか。
きっと僕は何かを急いでいる。
固い暮らし?そういうのとは少し違うと思う。
ただ、僕はどこか急いでいて、早く帰国して、早く何かをやりたいと考えているのだ。
何をだろう?
僕は何を急いでいるのだろう。
日本に帰って、何かそんなに急いでやりたいこと?

日本に帰国したら、まず食べたい。いつものバーに行って飲みたい。仲間と会って話をしたい。
「ああ、何とか生きて帰れた。今日も何とか僕は生きてるみたいだよ」
って。

確かにそれは故郷、あるいは愛着を持ったいくつかの町、場所でしか出来ないことだろう。

もしかするとそれを恐れているのかもしれない。
旅に終わりが来て、旅を遠ざけて、居心地の良い、愛着のある、悪く言えばぬるま湯から出られなくなる自分。
そんな風に考える必要もないだろうが。

ーーー

ただ、やはり自転車で旅をしている時の自分が一番好きだ。
自転車で旅をしている時の自分は本当に素敵だ。自分を愛せる。自分が今日も生きていることを本当に喜べる。
日本でも別に自分が嫌いということはない。
でも、自転車で延々と遠くに向けて走ってる自分が一番好きだ。

きっとそれが失われるのが悲しいのかもしれない。
そして、それはもしかするともう一生失われるのかもしれない。

もうじき29歳になる。そう、案外若い。いや、案外歳食ってるか。
まあ、何にせよ20代のうちに地球の反対側アルゼンチン、パタゴニアと、人類の機嫌の土地アフリカを走れた。
年齢なんか気にしたって仕方がないとは思う。何年生きてきたかよりも、これから何年どう生きるかだ。過ぎた年数、年齢などは気にしても仕方がないことだと僕は思っている。

だけど、手応えがある。多分、これからはまた違う新しいやり方をしていく。やるだけやった。

そんな気がする。
だから、多分、僕はもしかするともう死ぬまでこういう旅の日々は失うのかもしれない。

それが不安なのか。

いや、分からない。
何かが不安なのだ。
とりあえず、早く無事にウィントフックに着いてしまって、少し落ち着いて考えを整理しながらナミブ砂漠を走りたい。

やはり何か焦っている。
焦るのは良くない。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 06:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月26日

マウンで完全にやる気をなくす。

やる気が全く起きないので、マウン滞在を、ああ、こりゃ、ワンモアナイトだな、と伸ばすことに決めた。
体調が悪くもなく、用事があるわけでもなく、近くに散歩に良い場所があるわけでもなく。完全に宿に引きこもっているだけで4泊するなんて初めてだろう。3泊は結構するときにはする。一日じゃ足の疲れが抜け切らないってことはある。

日程には余裕はある。チパタ〜ルサカをバスで千キロ弱ワープしたとは言えど、下痢で休んだ時間を合わせて考えると、今回のルートは思ったより短かったらしい。
きちんと計算はしていないが、タンザニアで二千、マラウィで七百、ザンビアが五百、ボツワナが今までのところで六百ほど、残りナミビアまでが800で、オマケの砂漠編が600ほど。
トータルで五千ちょっと。三ヶ月だし六千まではやはり行けるか。一応、マラリアなんかの安静期間の必要な病気にかかった時の為に余裕は作ったのだが。

まあ、アフリカは滞在してのんびり過ごすようなタイプの町がないので、距離は意外と伸びたのだろう。
日程的にはケープタウンまで行けたのかもしれない。

自転車のやる気だけが出ないのではない。そんなのは町で休めば治る。
自転車をこぐやる気はもちろん、旅行を続けるやる気も、日本に帰って何かするというやる気もなくなっている。
何かが全てバカバカしく崩壊してしまったような。

別に落ち込んでいるとかいうわけではない。
単に全てのやる気がないだけだ。

山小屋に戻るのも、自転車関係の仕事に戻るのも、ペンキ屋も、かと言ってぶらぶらと放浪するのさえも、何もかもやる気が起きないのだ。
強いて言えば、牛丼屋に行きたいくらいか。好きな女の子と動物園に行きたいくらいか。檻の中の象を眺めたい。何の危機感もない、緊張感のない、それでいて生きた象。

その中で幼い頃に行った王子動物園などに強烈に行きたいと感じた。
神戸といえば、三宮のカレー屋に行きたい。場所はもう分からぬ。幼少の頃行ったわけではない。自転車屋の出張研修で一泊した時に、晩御飯で何となく入った。魔王なんかの良い焼酎が安く飲めた覚えがある。またそのカレーが焼酎との相性が抜群に美味しかった。
そこで焼酎が飲みたいと思わせる店ってのは珍しい。
ウイスキーなら好きなバー、日本酒なら魚が美味いけれど値段的にはそれなりに手頃な居酒屋。魚が美味くないところは駄目だ。もちろん、そんなに肥えた下はもっていないが、チェーンの居酒屋みたいなのは駄目だ、ビニールにパックされてカチコチに凍ったようなのは。もしかすると、個人の美味しい居酒屋も存外、そんな魚なのかもしれないが、せめてそういうのを感じさせないように飲ませてくれるところ。
石川の小さな町の商店街の寿司屋は美味かった。

ただ、相手はどうする?
好きな女の子を誘っていくか。
いや、のんびり一人でやりたいか。
気心知れて、現在も何か話す話題のある友人か。昔話とかじゃなく、これからのことだとか、今のことだとか、気を張らずに社交的などうでも良い世間話などじゃなく。何かを切実に話したい。

何かを切実に話す?
何を?
そんな話題があるのか?
誰と?

まあ、確かにそのまま話してみたって良いのかもしれない、僕は何かを誰かと切実に話したいのだ、と。

雨季の夜は空がよく雷で光る。雲がランプシェードみたいな具合で綺麗だ。
それでも、あまり夜空は見ていない。
「アフリカは夜空が綺麗なんだぜ」
などと話すような思い出はマラウィの湖岸くらいか。マラウィ湖は改めて考えると本当に素晴らしかった。あの国は自転車で走るには完璧なまでに良い。あの湖は綺麗で、意外と飽きることがなかった。
まあ、もう行くことはなかろう、あそこは貧乏過ぎていろんなことが大変過ぎる。具体的に何が大変かと聞かれると答えに困るが、大変なのだ。食べ物には困っていなくとも貧乏なんてのは、生で見てみないと分からない。
その点、ボツワナは農業なんかはあまりしてなさそうだが、どうやって庶民は食っているのだろうか。

この体験を活かして何かするか。
何だかそれは急に馬鹿馬鹿しいことのように思えてくる。
苦労はした、努力もした、満足もしている。
ただ、それだけのことだ。
ただ、通り過ぎていっただけのことで、何かが手に入ったとかそういうわけではないし、そういうことを求めてもいなかった。
何かが欲しければ買うのが良い。きっとこの旅の予算なら中古車だって買えただろう。車ならエクストレイルかロードスターかミニクーパーが欲しい。エクストレイルなら自転車を積んだりも楽だろう。ロードスター、ミニクーパーは走っていて楽しいだろう。
それで通勤するのだ。
毎日の同じ道を同じ時間に。その稼ぎの中からローンも返していけば良い。
究極的に言えば、仕事など何をしたってさほど大差ないのだ。はっきり言って、上司と同僚次第だ。それさえ良ければ、さほど会社に行くのも嫌ではなかろう。
そこそこ妻とも愛はあって、時々はデートにも出掛ける。

そういうのだって、アフリカの経験を活かした生き方だ。アフリカを走って、どこか一つ人生に納得したところがあるのかもしれない。
僕が生の体で生の目で見ておきたかったものを見た。他に行きたいところだってないこともないけれど、アフリカ、パタゴニア、僕が何かを納得するためには十分な体験だったのかもしれない。

何かに納得するってのは、何とも説明が難しい。
別に飽きたとかとはまた違う。
いや、飽きたってのもいくらかはあるだろう。特にまだ帰国もしていないし、働いてもいない。海外ってのは働き始めて時間がなくなると、ああ、行きたいな、なんて感じるものだろう。
そして、旅して二ヶ月くらいってちょうど気分的にくたびれる頃でもある。これよりもうしばらく期間が経てば治って、またやる気も出て来るらしいが。
何にせよ、飽きたってのとはまた別として、何となく納得してしまっている。

変な話だが、
「あ、オレの人生ってこんなもんかな」
みたいに思う。
全力を尽くしてやったことだけど、通り過ぎてしまえば、やはりただの過去になる。
すごいすごいとは言われても、実際はさほどすごいことでもなかったりする。
本気で真面目にアフリカに行きたいと考えれば、割と誰だって旅費と期間くらいは作れるのだ。
家族があったりすれば、そりゃ大変だろうが。

何かに納得するは、退きどころを悟った、なんかともやはり違う。
別に退くつもりはない。
好きな女の子と暮らすためにサラリーマンなんかになる可能性もあろうが、別にそれは退くとは違う。

でも、確かに何となく無理をしなくても良くなるってことかもしれない。
ある程度やりたいことはやったし、あとはカッコつけず、無理せず生きたって、もう十分だろうと思える程度には遊んだわけだ。
カッコなんか気にせず、西成でホームレスしたけりゃしたって良かろう。何の仕事をするにしても、無理してあれこれ体裁を整えたり無理をしなくたって。
自分ってこんなもんだろう、ってのが分かったのかもしれない。カッコを付けずとも、自分ってこんなもんだから、まあ、分かる人には分かるだろうし、分からない人に無理して理解してもらう必要はない。どうせ蓋を開けたって、まあ、こんな人間だ。
別に悪い意味じゃなくて、自信みたいなものもいくらかはあるのだろう。どう見られようと、別段恥ずかしい生き方はしていないから、無理にカッコつけたりしなくて良いんだ、と。別に何をしたって、オレはオレなのだ。
バーでも開いてみたけりゃ開いてみたって良い。だらだら酒飲んで。かっこいいとかそんなのじゃなくて、やりたければやれば良い。
あまり深い心配や周到な計画なんかしないで、何となくやってみたいことをしてみりゃ良い。

ただ、何となく、いろんなことが面倒くさいのだ。

「またアフリカに行きたいと思うか?」
どうかな、僕の場合は今のところNOかな。
まあ、アフリカ、面白いし、いろいろ気楽で良い。
刺激も多い。
だけど、また来たいかと言えばNOかな。
そりゃ、タダで仕事もやめなくて良いとかならどこだって何回でも行きたい。
海外旅行なんて体験自体がすごいわけじゃない。
海外旅行に行くための準備、情熱、そういうのが凄いのだ。
短期間だが仕事も辞めずお金もあげるから、と言われると、まあ、僕なら海外なんか行かずにMacBookでも買うかな。
やはりあくまでのんびりチャリをこぎに来ているだけなのだ。短期でサファリと世界遺産を眺めに行くだけなら、迷わずMacBookかな。
それにアフリカって、時間キッチリで詰めると面白くないと思う。ダラダラ過ごす。現地のやつと全く無意味な話したり。単にスーパー行って食材買って帰ってきたり。
ちなみに海外でスーパーに行くってすごく楽しい。この野菜あるんだ、この調味料使ってみたいなとか。あの料理やってみようかなとか。
ちなみに最近は天ぷらをやりたい欲求が止まらない。まあ、油ものは、さすがに使用後の油の処理だとか洗い物やらキッチン周りに油がはねたりと旅先では面倒だからやらないけど、天ぷらが食べたい。さつまいも、しいたけ、ピーマン、出来ればエビ。何ならカツ丼とか作りたい気もするが、カツ丼はあれこれ必要なものも増えるし、流石に面倒くさい。天ぷらなら卵と小麦粉くらいだ。
でも、串かつなんか食べたい。

なんだかいろんなことが馬鹿げているような気がする。
日本で真面目に働いているのも、世界の中の小さな国の常識のメインロードを歩くためにあくせくしてるみたいで馬鹿げてるような気がするし。
かと言って、仙人みたいにぶらぶらしているのも。

freedom is not free.
自由ってのは暇じゃない。

そう、自由って大変だ。頭を使わないといけない。
何も決まっていないから、何をするか考えないと。
あれこれやらないといけないことがあるって、ある意味では、それさえやっとけば良いわけだから、それ以外は暇なのだ。

マウンの町とはヒマだ。
まず、宿が中心地から遠い。スーパーまで遠い。
ザンビアのリビングストンなんかはスーパーも近くて、バス停周りにさほど治安にも気を使わなくて良さそうな気軽に散歩できるマーケットもあったし、途中にアイスクリーム屋なんかもあった。まあ、アフリカのマーケットって古着だとか、文房具、野菜、鍵や工具みたいな普通の日用品しかないので大した暇つぶしにもならないし、基本的に何かにおうから毎日出掛けて行くようなものでもないんだけど。
土産物も伝統的なお面とか、象やキリンの木の置き物とか、どうすれば良いんだみたいなものしか売っていない。飯もウガリと肉ばかりでバリエーションがない。
その点、アジアなんかハンドメイドの小物とか眺めていて楽しそうだし、ご飯も面白そうだ。
アフリカは旅行者の娯楽みたいなものは本当に少ない。いや、サファリツアーなんかは多いけれど。散歩して町並みを楽しんで、見付けた飯屋に入ってみるとかそういう娯楽はあまりない。
基本的にはサファリツアーを楽しむくらいで、あとは現地人を眺めて話したり交流してみて、なるほどアフリカと味わうみたいなのがアフリカだろう。

マウンはそんなアフリカの中でも絵に描いたような退屈な町だ。いろんなツアーがあって、ショッピングセンターはあるし、国際空港だってあるけど。
スーパーで缶詰買って、
「缶切り欲しいんだけどどこに置いてる?」
と聞くと、少し探して、
「缶切りは売り切れてるわね」
なんて。
そんなに缶切りが売れるわけないだろ、って。
まあ、マウンってそんなところ。

逆に言うとそんな町が今の気分にはちょうど良いのかもしれない。
何とも言えないやる気のなさ。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 05:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マウンとアンドレ。

アフリカはボツワナ、マウンにいる。
アンドレなるアメリカ人がいて、朝に一本、昼過ぎに一本、日暮れに一本とガンジャを巻く。
彼は非常にナイスガイで、ガンジャに誘ってもくれるし、ビールなんかくれる。もちろん、断ったって嫌そうになどしない。
ドレッドを編んだ黒人で、イケメンで、優しい男だ。

「アンドレは旅が終わったらどうするの?アメリカに帰るの?」
「どうかな、決めてないな、お前はどうするんだ?戻ったら働くのか?」
「そうだね、お金がないからね、また働いて貯めないと」
「そうだな、金は何をするにも必要だからな、どこか行くにも飯を食うにも。おれは次はヨーロッパに行きたいな、ドイツで働いている友達がいる。ロサンゼルスはクレイジーな町だからあまり戻りたくないな。ゆくゆくは熱すぎす寒すぎない快適なビーチに近い土地でバーでも開きたいな」

宿の隣を流れる川は大河などと言うほどの川幅でもないが、大雨がふれば簡単に溢れてしまいそうだ。川岸に防波堤などもない。
それでも、川沿いにはいくつか宿がある。サファリ、世界最大の内陸の三角州、塩湖と素晴らしい観光資源に囲まれたリッチだ。さらにはボツワナにはダイヤモンドや銅もある。
マウンの町は大都市というわけではないが、観光客も訪れるし、貧しい町ではない。先進的なショッピングセンターもある。
そのいくつかの観光客向けの宿の中でも、小ぢんまりとしているのがMotsebe backpackersだ。
ボツワナ防衛軍の基地の近くにあり、キッチンのリビングのある母屋に、いくつかミリタリーからの払下げらしいテントがあり、それが客室である。
プールはあるが、水は循環させていないし、あまり清潔には見えない。
立地も分かりにくい。
未舗装の路地の奥にある。

アンドレは何もしない。
僕も何もしない。
サファリなど興味がない。象の群れなんか写真でも撮りたい気もするけれど、まあ、そんなのはプロの写真家に任せておけば良い。Googleで象、大群とでも画像検索すれば良い。
それよりは僕は日本で気の合う女の子と二人で動物園のくたびれた象でも眺めたい。折の中でくたびれている。ボツワナの路上に現れる象のように僕を見付けて突然機敏な動きなど起こさない。退屈しきっている象。
まあ、道路で野生の象に何回も遭遇しているからってのもあるだろうが。
そう、神戸の王子動物園か須磨水族館なんか行きたい。幼い頃以来行っていない。

アンドレはぼんやりとノートパソコンをいじって、あとはビールと煙草とガンジャで一日を過ごす。
彼はとても居心地の良い人間だ。
僕の行動を見てよく微笑みかけてくれる。やたらめったら一人でご飯を作って食べていたり、ヨーグルトを3つ食べたり。

だが、38歳。
ぶらぶらしている。
まあ、ロクデモナイ人間ではある。
旅行者の鏡とは、到着したらせっせとツアーをブッキングして、2つばかりツアーを済ませたら次の町へと飛行機で飛ぶ、そんなのだろう。
「何しに旅行しに来てるの?ガンジャやって、ビール飲んで、ぼんやりしてじゃもったいないじゃないの」
でも、別に観光しなくたって、何かを見なくたって、自宅で出来るのと変わらないことをしていたって、やっぱり旅行とは旅行なのだ。
普段の場所を離れて、時間を過ごしたい。
自分の素性など誰も知りはしない。
誰かから厄介な連絡もない。
その中で、何もせず特に宿から出ることもなくぼんやり過ごす。
それもまた旅行だろう。

宿は、たいていに不機嫌そうにしているおばさんが二人と、気の良い若い青年二人が働いている。おばさんが掃除洗濯なんかをして、若者二人は食事を作ったり、予約の電話やメールなんかを受けているらしい。家族なのだろうか。
まあ、絶対に一人で全て出来る程度の仕事内容だ。なので、大抵四人とも暇そうにしている。一緒に昼からビールを飲む。売り物だろう。或いは宿泊客のをねだったり。
食事も突然にくれる。スタッフの分を作るついででくれるのだ。不意に全員の分の材料代をねだってきたりする。彼はなかなかに料理が上手い。

川には時にはカバもいるそうだが、僕もアンドレも興味はない。近くに散歩するような場所もない。

だけれど、ある意味、旅の真髄かもしれない。
アンドレってのはそういうのを感じさせてくれる男だ。
もう何泊かしても良いなと思いつつ。明日の朝の天気次第かな。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:55| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月22日

アフリカの人間味。

20170221

じてぼんもよろしく。
http://jitenshatohon.seesaa.net/

写真は宿のプール。
ボツワナはこういう立派なリゾート宿しかないので自転車旅行だとつらいのだが、今日はまさかの部屋泊まりになった。

宿のバーでのんびり飲んでいた。
キャンプでさえ8ドルと高いリゾートホテルで、当然、バーも高いのだが日没までテントの中は暑いのだ。ビール一本で先進国レベルの快適な空間、いや、先進国でもプールサイドのバーなどなかなかないだろう、さらにWi-Fiもある、そんなわけで、宿のバーは使う。何も飲まずとものんびり座っているくらいなら許してもらえるが、僕自身、接客などをしていて、そういう人はお客様であれど、やはり常識のない貧乏性の悲しい人間だなと思うので最低限の礼儀のお金は使う。

雨が降ってくる。雨季は困る。
「あなた、今夜は部屋に泊まりなさい」
バーのおばちゃんが言う。
「え、良いよ。雨でもなんでもテント暮らしだったからさ、へっちゃらだよ、ハクナマタータさ!」
ハクナマタータはスワヒリ語でノープロブレムだが、ボツワナなので当然違うのだが。
「ハクナマタータじゃないわよ、今夜は一晩中降り続けるし、多分強くなるのよ」
「いやー、お金もないし、大丈夫だよ、ありがとうね」
「キャンプの料金で良いから、ほら、付いてきなさい」

そんなわけで一泊70ドルする高級な部屋を使わせてもらうことになった。

ーーー

アフリカ人の親切っていうのは本当に恐ろしいほど底抜けだ。
他に泊まら客もいないので使わせてくれたというのもあろうが、それにしたってやはり驚かざるを得ない。
ボツワナは本当に宿が高くて、全て野宿だと思っていたので、本当に助かる。ただ、部屋は使って良いにせよ、ベッドは使って良いのだろうか。

不思議な人々だ。
タンザニアでも急に朝食をごちそうしてもらったり、最貧国マラウィでもビールをごちそうしてもらったり、昼ごはんを作ってくれたり、ザンビアでも野宿させてもらったし、そういえばやはり朝食やコーヒーももらえた。ボツワナではチェックポイントでコーヒーを頂き、ナタではいきなりカウチサーフィン、そして今夜はただで宿を。

ーーー

文明と共に失ってしまったことがたくさんあると僕は思う。
アフリカの土地柄というのもあろうが、都市になれば薄らぐ。人間味みたいなものがアフリカには溢れている。

言い方は雑だが、雨が降って部屋も空いているのだから、「あんた今夜は部屋で眠ると良いよ」なんてのは人間の親切心としては、冷静に考えれば別段変なことではない。
それでも、日本で僕はそれはやれない。
自転車屋で会社にバレないよう時々こっそり若い子の修理なんかはタダでしてあげたりしていたが、やはりサラリーマンをしていて大手を振ってオフィシャルにそれは出来ない。

でも、本来当たり前のことなのだ。
可愛そうだと思い、自分に損がなく出来る範囲のことはしてあげる。
何も変なことではない。

ーーー

厭世的な考えなどではなく、文明の進歩とともに明確に人間は何かを失ってしまっていると僕は思う。
別にロハスな暮らし、シンプルライフやらBライフだとかそんなことは興味はない。
コンクリートジャングル、エアコン万歳だ。
帰国してお金出来たら、ipad PRO買ってやろ、とか考えたりしてる。

でも、あまりに何かを失いすぎるのなら、ipadは買わなくたって良いだろう。

例えば、時々、自転車の記事を書く仕事なんかもするのだが。
書けないことがたくさんある。
フルカーボンのホイールは、まず普通の人には必要ないし、そんなに効果のあるものではないだとか。
もちろん、効果はある。ただ、それはレースで勝つための効果だ。
ある程度のトレーニングを積んだ人間同士が戦い、最後に差を付けるのが機材差であり、実力差を埋めるほどの性能はない。
普通に趣味として楽しむならせいぜいアルミの10万円くらいのホイール、別に5万円くらいのものだって何ら問題はない。

でも、そういうのはオフィシャルな場では書けない。
自転車屋で働いている時はいくらかは言う。
「ええ、値段は高いですけど、そこまで物理的には速くはなりませんよ。ただ、心の加速はすごいですけどね。まあ、ロマンアイテムですよ。買ってもらえたら僕としてはすごく嬉しいですよね」
などとストレートに話すこともあるが、全てのお客さんではない。
やはり買ってもらえたらありがたいのだ。

だから、良心が痛まないように嘘じゃない本当でもない言い回しを覚えていく。
実は、文を書くだけでも専業にすればそれなりの金にはなるのだが、書きすぎると明らかに大事な何かを失うように感じるので、あまり書かない。
そう言いながら、多分、帰国すればそっちの仕事もやっていく。

そうやって僕は大事な何かを失っていく。

ーーー

やはり天秤みたいなものはあると思う。
僕は貧乏旅行っていうのがハッキリ言って嫌いだ。自分もいつも貧乏旅行のくせに嫌いなのだ。
出来る限り旅人はお金か何かをその土地に落としていかないといけないと思っている。
思い出なんかでも良い。そういえばチャリに乗った日本人がいきなり道路に現れて一緒にキャンプサイト作ったね、とか。
何でも良い。少なかろうが何でも良いので、可能な限りのものを旅人は落としていかねばならない。
あくまで自論だが。

イスラム教が旅人に親切にするのは、商人の宗教だからで、商人の基本は旅人だ。その土地で手に入らない物を運び売る。
自分たちが旅人だから旅人に優しいというのもあるが、それ以上に旅人は何かをもたらしてくれるということに根差しているんだろうと思う。

本当の貧乏旅行とはとことん値切り続けて、大事なものを失ってしまっている旅行だ。
やはり、旅をするにはある程度のお金は必要だし、タダであれしたこれした、ってのはよろしくない。
ケチれば何かを失う。

そう言いつつ、ただで部屋に泊まらせてもらうのだが。

ーーー

アフリカの人々には圧倒される。
ギブミーマネーもそうなのだが、とにかく素直なのだ。
変なプライドとかなく、素直に思ったように動く。
道行く人々はみんな必ず手を上げて挨拶をする。そりゃ、人にあったら挨拶するのは当たり前だ。

ーーー

「アフリカの人ってのは本当によく喋るね、喋るのが好きだよね」
「全くなぁ、あいつらはよく分からんな」
先日、お世話になったキャンプサイトのルーペルトとコスタとそんなことも話した。
夕方に近所の知り合いが訪れて、延々と喋って帰っていった。何しに来たのか謎だったが、とにかくやたらと喋っていて、ルーペルトもやれやれと言う顔をしていた。

とにかく集合する。
だらだら話す。
話さなくても誰かと一緒にいようとする。
人間を大事にしている。
家の中にいない。外にいる。日陰と腰掛けるものを大事にする。そういうのは、物価が急激に上がったボツワナでも同じだ。

日本は真逆だ。
人と目を合わせない。
無言で誰かといるというのを凄く嫌がる。
一人で部屋にいたい。
外には用事がなければ出たくない。
直接誰かに会うより、インターネット越しに会話したい。

何かを失っている。
あるいは何かを手に入れているのか。
とにかく違う。

帰国後に書きたいものがぼんやり見えてきている。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

良き若者に会えてる。

面白いガキがいっぱいいて嬉しい。
これは本音だ。

ーーー

僕の考えでは国なんてのは子どもが作るのだ。
なぜって子どもが十年後の国を作るなんてのは言わずもがな、今を作っている大人たちは我が子のために生きている。

だから、親と子の衝突ってのも出てくる。

ーーー

親と子ってのは必ずフィーリングが違う。
僕の育った時にはインターネットは電話回線のツープルルツープルルなんて音を聞きながら接続を待ったし、親の世代は肩からショルダーバッグみたいなケータイ、今の子は小学生からスマホを持つ。

そんな最新の話じゃなくとも、飯の時にテレビを見ると親父が不機嫌になる、それどころかガチギレした時代。
それが今やベビーカーにタブレット付けて、こどもちゃれんじの動画を、おしゃぶり代わりに子どもをあやす道具に使っている。

便所の水洗だってね。

いくらでもあげられるけれど、人の一世代ってのは、いろんなことが変わる。
親と子は必ず衝突する。

ーーー

今の僕はガキなのか大人なんだかわからないところだけれど、自分より若い子がいくらでも面白いことを平気でトライしてるのを見ると、ウキウキしてくる。
「オレだってまだやるぜ、ガキに負けるかよ」
なんて素直に思えて、そういうのは凄く嬉しい。

ーーー

アフリカは今は日本人は少なめだ。
今の時期は南米ってのが今の旅行者のブームだそうな。
そういうことを教えてくれる若者、そう言いながら自分はアフリカいるっすけどね、なんて笑う表情。チャリやってみたいっすとか。

まあ、たまらんですよ。
アフリカのローカルの人もたまらんけれど、今の日本の若者もたまらんです。

オレもまだ良き若者でいられてるのかな。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 06:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする