2017年02月22日

アフリカの人間味。

20170221

じてぼんもよろしく。
http://jitenshatohon.seesaa.net/

写真は宿のプール。
ボツワナはこういう立派なリゾート宿しかないので自転車旅行だとつらいのだが、今日はまさかの部屋泊まりになった。

宿のバーでのんびり飲んでいた。
キャンプでさえ8ドルと高いリゾートホテルで、当然、バーも高いのだが日没までテントの中は暑いのだ。ビール一本で先進国レベルの快適な空間、いや、先進国でもプールサイドのバーなどなかなかないだろう、さらにWi-Fiもある、そんなわけで、宿のバーは使う。何も飲まずとものんびり座っているくらいなら許してもらえるが、僕自身、接客などをしていて、そういう人はお客様であれど、やはり常識のない貧乏性の悲しい人間だなと思うので最低限の礼儀のお金は使う。

雨が降ってくる。雨季は困る。
「あなた、今夜は部屋に泊まりなさい」
バーのおばちゃんが言う。
「え、良いよ。雨でもなんでもテント暮らしだったからさ、へっちゃらだよ、ハクナマタータさ!」
ハクナマタータはスワヒリ語でノープロブレムだが、ボツワナなので当然違うのだが。
「ハクナマタータじゃないわよ、今夜は一晩中降り続けるし、多分強くなるのよ」
「いやー、お金もないし、大丈夫だよ、ありがとうね」
「キャンプの料金で良いから、ほら、付いてきなさい」

そんなわけで一泊70ドルする高級な部屋を使わせてもらうことになった。

ーーー

アフリカ人の親切っていうのは本当に恐ろしいほど底抜けだ。
他に泊まら客もいないので使わせてくれたというのもあろうが、それにしたってやはり驚かざるを得ない。
ボツワナは本当に宿が高くて、全て野宿だと思っていたので、本当に助かる。ただ、部屋は使って良いにせよ、ベッドは使って良いのだろうか。

不思議な人々だ。
タンザニアでも急に朝食をごちそうしてもらったり、最貧国マラウィでもビールをごちそうしてもらったり、昼ごはんを作ってくれたり、ザンビアでも野宿させてもらったし、そういえばやはり朝食やコーヒーももらえた。ボツワナではチェックポイントでコーヒーを頂き、ナタではいきなりカウチサーフィン、そして今夜はただで宿を。

ーーー

文明と共に失ってしまったことがたくさんあると僕は思う。
アフリカの土地柄というのもあろうが、都市になれば薄らぐ。人間味みたいなものがアフリカには溢れている。

言い方は雑だが、雨が降って部屋も空いているのだから、「あんた今夜は部屋で眠ると良いよ」なんてのは人間の親切心としては、冷静に考えれば別段変なことではない。
それでも、日本で僕はそれはやれない。
自転車屋で会社にバレないよう時々こっそり若い子の修理なんかはタダでしてあげたりしていたが、やはりサラリーマンをしていて大手を振ってオフィシャルにそれは出来ない。

でも、本来当たり前のことなのだ。
可愛そうだと思い、自分に損がなく出来る範囲のことはしてあげる。
何も変なことではない。

ーーー

厭世的な考えなどではなく、文明の進歩とともに明確に人間は何かを失ってしまっていると僕は思う。
別にロハスな暮らし、シンプルライフやらBライフだとかそんなことは興味はない。
コンクリートジャングル、エアコン万歳だ。
帰国してお金出来たら、ipad PRO買ってやろ、とか考えたりしてる。

でも、あまりに何かを失いすぎるのなら、ipadは買わなくたって良いだろう。

例えば、時々、自転車の記事を書く仕事なんかもするのだが。
書けないことがたくさんある。
フルカーボンのホイールは、まず普通の人には必要ないし、そんなに効果のあるものではないだとか。
もちろん、効果はある。ただ、それはレースで勝つための効果だ。
ある程度のトレーニングを積んだ人間同士が戦い、最後に差を付けるのが機材差であり、実力差を埋めるほどの性能はない。
普通に趣味として楽しむならせいぜいアルミの10万円くらいのホイール、別に5万円くらいのものだって何ら問題はない。

でも、そういうのはオフィシャルな場では書けない。
自転車屋で働いている時はいくらかは言う。
「ええ、値段は高いですけど、そこまで物理的には速くはなりませんよ。ただ、心の加速はすごいですけどね。まあ、ロマンアイテムですよ。買ってもらえたら僕としてはすごく嬉しいですよね」
などとストレートに話すこともあるが、全てのお客さんではない。
やはり買ってもらえたらありがたいのだ。

だから、良心が痛まないように嘘じゃない本当でもない言い回しを覚えていく。
実は、文を書くだけでも専業にすればそれなりの金にはなるのだが、書きすぎると明らかに大事な何かを失うように感じるので、あまり書かない。
そう言いながら、多分、帰国すればそっちの仕事もやっていく。

そうやって僕は大事な何かを失っていく。

ーーー

やはり天秤みたいなものはあると思う。
僕は貧乏旅行っていうのがハッキリ言って嫌いだ。自分もいつも貧乏旅行のくせに嫌いなのだ。
出来る限り旅人はお金か何かをその土地に落としていかないといけないと思っている。
思い出なんかでも良い。そういえばチャリに乗った日本人がいきなり道路に現れて一緒にキャンプサイト作ったね、とか。
何でも良い。少なかろうが何でも良いので、可能な限りのものを旅人は落としていかねばならない。
あくまで自論だが。

イスラム教が旅人に親切にするのは、商人の宗教だからで、商人の基本は旅人だ。その土地で手に入らない物を運び売る。
自分たちが旅人だから旅人に優しいというのもあるが、それ以上に旅人は何かをもたらしてくれるということに根差しているんだろうと思う。

本当の貧乏旅行とはとことん値切り続けて、大事なものを失ってしまっている旅行だ。
やはり、旅をするにはある程度のお金は必要だし、タダであれしたこれした、ってのはよろしくない。
ケチれば何かを失う。

そう言いつつ、ただで部屋に泊まらせてもらうのだが。

ーーー

アフリカの人々には圧倒される。
ギブミーマネーもそうなのだが、とにかく素直なのだ。
変なプライドとかなく、素直に思ったように動く。
道行く人々はみんな必ず手を上げて挨拶をする。そりゃ、人にあったら挨拶するのは当たり前だ。

ーーー

「アフリカの人ってのは本当によく喋るね、喋るのが好きだよね」
「全くなぁ、あいつらはよく分からんな」
先日、お世話になったキャンプサイトのルーペルトとコスタとそんなことも話した。
夕方に近所の知り合いが訪れて、延々と喋って帰っていった。何しに来たのか謎だったが、とにかくやたらと喋っていて、ルーペルトもやれやれと言う顔をしていた。

とにかく集合する。
だらだら話す。
話さなくても誰かと一緒にいようとする。
人間を大事にしている。
家の中にいない。外にいる。日陰と腰掛けるものを大事にする。そういうのは、物価が急激に上がったボツワナでも同じだ。

日本は真逆だ。
人と目を合わせない。
無言で誰かといるというのを凄く嫌がる。
一人で部屋にいたい。
外には用事がなければ出たくない。
直接誰かに会うより、インターネット越しに会話したい。

何かを失っている。
あるいは何かを手に入れているのか。
とにかく違う。

帰国後に書きたいものがぼんやり見えてきている。

そんなこんな。
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2017年02月17日

良き若者に会えてる。

面白いガキがいっぱいいて嬉しい。
これは本音だ。

ーーー

僕の考えでは国なんてのは子どもが作るのだ。
なぜって子どもが十年後の国を作るなんてのは言わずもがな、今を作っている大人たちは我が子のために生きている。

だから、親と子の衝突ってのも出てくる。

ーーー

親と子ってのは必ずフィーリングが違う。
僕の育った時にはインターネットは電話回線のツープルルツープルルなんて音を聞きながら接続を待ったし、親の世代は肩からショルダーバッグみたいなケータイ、今の子は小学生からスマホを持つ。

そんな最新の話じゃなくとも、飯の時にテレビを見ると親父が不機嫌になる、それどころかガチギレした時代。
それが今やベビーカーにタブレット付けて、こどもちゃれんじの動画を、おしゃぶり代わりに子どもをあやす道具に使っている。

便所の水洗だってね。

いくらでもあげられるけれど、人の一世代ってのは、いろんなことが変わる。
親と子は必ず衝突する。

ーーー

今の僕はガキなのか大人なんだかわからないところだけれど、自分より若い子がいくらでも面白いことを平気でトライしてるのを見ると、ウキウキしてくる。
「オレだってまだやるぜ、ガキに負けるかよ」
なんて素直に思えて、そういうのは凄く嬉しい。

ーーー

アフリカは今は日本人は少なめだ。
今の時期は南米ってのが今の旅行者のブームだそうな。
そういうことを教えてくれる若者、そう言いながら自分はアフリカいるっすけどね、なんて笑う表情。チャリやってみたいっすとか。

まあ、たまらんですよ。
アフリカのローカルの人もたまらんけれど、今の日本の若者もたまらんです。

オレもまだ良き若者でいられてるのかな。

そんなこんな。
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2017年02月13日

素敵な夢の中で生きていたい。

帰国後のことで悶々悩んで眠れない。
どうせ山には行くので、その先のことまで考えなくたって良いのだろうが。

前働いていた自転車屋さんが今でも声を掛けてくれる。帰国したらぜひ戻って来て欲しいと。
仕事なのでアレコレ嫌なことなんかもあったけれど、僕はその会社が好きなのだ。
何より社長が良い。面白いこと、金になること大好きなおっさんなので、新しいことでもどんどんやらせてくれる。
それに良いチャリ屋なのだ。きちんとしてる。

別に自転車屋ということで言えば日本中どこにでもチャリ屋はあるし、まあ、給料さえ目をつむれば、たいていはどこでも入れるだろう。
30歳、即戦力、断る理由もなかろう。
ただ、チャリ屋と一口に言ったって、中身は実に様々だ。
「レースに勝ちましょう!」
みたいなところに入ったって、そんなのは正直困る。
レースに勝ちたけりゃ、理論を学んで正しいトレーニングを継続するだけだ。
それはそれで楽しいが、さほど興味はない。
レースに勝ちましょうなんて言ったって、所詮草レースだ。良いとこ、日本のプロレースだって、本場ヨーロッパには遠く及ばない。イングランドで草野球する人相手に「バリバリトレーニングして勝ちましょう」なんて店やったってしょうがない。イングランドならサッカーでもするべきだ。
まあ、そんなのもちろん個人の自由だが。

自転車が良いのは勝敗を決めるスポーツとしてだけでなく、旅はもちろん、日々の足として使い、それはやはり文化だし、移動ってのは正に人間が生きてるってことだと僕は思うのだ。
だからこそ、アフリカまで走ってしまうほどに自転車にハマったんだと思う。
野球は好きで、たまに草野球の試合なんか出たいけど、せいぜい東京ドームやら甲子園まで行ってビールのみながら試合眺めるぐらいだろう。いや、それすらしていない。

自転車にはこだわるだけのものがあるのだ、多分ね。

その点、自分のやり方で仕事をさせてくれ、しかもきちんとした自転車をきちんと売り、組み、修理するプロショップ。
しかも、そこから辞めて一年経っても声を掛けてもらえる。
しかも、社長はまだまだ何か新しいことを企んでいる。

そういう職場はやはり良い。

ただ、故郷倉敷に帰りたい。
かくかくしかじかの理由で故郷に帰りたい。
故郷倉敷で好きな女の子と結婚して、暮らしたい。

ただ、やはり人間は自分の仕事に誇りを持つのが大事だ。
今更未練がましく普通の生き方など、中途半端過ぎる。
ただ、倉敷にだって誇りを持てる仕事もあるかもしれない。

冷静に考えれば単なるチャリ屋のおっさんになるというだけのことでもある。
目を開けばもっと何でもあろう。

ただ、単なるチャリ屋のおっさん、なかなか良い人生の気もする。
単なるチャリ好きが単なるチャリ屋のおっさんになる。
良い話だと思う。

それに多分、単なるチャリ屋のおっさんではとどまらないと思う。
素敵なチャリ屋のおっさんになれると思う。

大して自信の持てることは少ないけれど、チャリに関して面白いことをするってのは自信がある。

まあ、それにチャリ屋って小説読み書きする時間も多くて良いってのもある。
そこの会社ならチャリの文の仕事ももらえるし。

故郷をうんぬん以外で言えば、やはりチャリ屋が良いのだ。
ただ、故郷には大事な待ち人がいるのだ。

まあ、改めて考えると、帰国してからのんびりと山で考えれば良いことだし、今悩んでもどうしようもないことなのだが。

それにしたって、昔なら、
「どっちが良い小説を書ける可能性が高いか」
ってことしか考えなかったし、そのためだけにいろんなことを決めてきた。

それが今や生活の安楽、収入を手に入れるための仕事、小説以外での生きがいを感じられる仕事などを考えるようになった。

つまらんことだ。
何のためにアフリカまで来たのか。
「オレも昔は自転車でアフリカなんか走ったんだぜ」
そんな下らない武勇伝作りなのか。

確かに小説を書くには良い生活ありきだ。
書くだけの時間的余裕、物事に何かを感じられるだけの精神的ゆとり、そして新しいことを考えれるだけの日々の刺激。
別に贅沢じゃなくて良いのだが、小説を書くに最低限必要な良い生活ってのはある。収入うんぬんも含めてだ。

それにしたって今の悩みは低俗だ。
もちろん、人生でのとても大事なことには違いないが。なんというかレベルが低すぎる。

世界一周に出掛けるか。それとも自分で店、会社を始めるか。そのくらいならまだしも。
いや、今の悩みのままでも良いにせよ、結局女を取るか、仕事を取るか、なんて話なのだ。

まあ、それはそれで小説のネタになりそうな人間的な悩みで良いのだが。

やっぱり素敵な夢を見て生きていたい。
素敵な夢の中で生きていたい。

アフリカよりももっと楽しいことをし続けられるような。

まあ、どうしたものやら。
やっぱり今考えてもどうにもなるまいか。
今はアフリカを楽しむのに全力でいれば良いだけだろう。

ケビンと話がしたい。
まあ、ケビンは女の人に厳しいから、
「ふくさん、女なんて一時の気の迷いっすよ!もちろん、女は大事っす!でも、女はまだまだこの先いくらでも現れるっす!」
と言われそうだけど。

それか、
「そりゃ、ふくさんが良いと思った方向が間違いないっす!別にどっちにしたって、あんた、間違いなく面白いことして生きるだろうから!」
って言うかもしれない。

そうだな、小説のためを考えればケビンだな。ケビンとたまにふと会って遊べるところ。
ケビンはやっぱり間違いない。
友人は何人もいるけれど、ケビンみたいに、
「こいつとつるんでいれば間違いない。小説にせよ何にせよ、間違いなく良い何かを作れるような刺激をくれる」
そういう人は本当にケビンだけだろう。
あとはコーメーという男か。
コーメーも間違いない。

ただ、そういう友情は無理せずともいつまでも続くし、いつまでも交流があろう。
良い年こいた男同士で、こいつと遊びたいから、なんて。
でも、やっぱり、ケビンとコーメーは別格だな。

ケビンとコーメーと僕で会社でも始めれば、一番面白いのかもしれないな。

ま、そんなこんな。
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2017年02月12日

言語の強さ。

ザンビアの小さな村の正にアフリカという感じの漆喰の壁と床にトタン屋根の汚い宿でのんびり煙草を吸っていると、
「あなた!外に出て誰かと話しなさい!」
と宿のおばさんに言われた。
まあ、もちろん、優しい感じでだが。

てくてくと村のバーへと連れて行かれ、放り込まれる。
まずしい村だろうと音楽は全力で爆音で流す。飲み物は冷えてなかろうが、水道などなかろうが、でかいスピーカーで最大音量で音楽は流す。
これは最貧国マラウィでもだ。

そして、今日のバーは無駄にカウンター以外の壁三面がガラス張り。
月収百ドルは良いサラリーという国だが人々は一ドルのビールを飲む。ビールが飲めない人は50円のコーラかファンタ。もちろん、金はないから何本もは飲まない。
バーにはテレビがあるのだ。しかも、日本で言うスカパーのようなDSTVというサッカーやMTV、アニマルプラネットなんかのチャンネルが見れるのだ。
人々はサッカーを見にバーに集まる。
もちろん、話好きなので話す人もいるし、黙々とテレビを見る人もある。
サッカーの試合が終わるとみんなバーから出ていく。

「おばさん、バーに行ってみたけど別に話はしなかったよ」
「あら、そう?じゃあ、またどこか行ってみて誰かと話してみると良いわ」
「えー、もう疲れてるから良いよ。おばさんと少し話したら寝るよ」
「そう?まあ、それもいいわ」
「おばさんはいくつ言葉しゃべれるの?英語とあとは?」
「あとはトンガとペンバとなんたらとなんたらと」
5つ以上喋れるらしい。
「ザンビアはそんなに言葉があるの?」
「そうよー、いっぱい言葉があるのよ。まあ、ほとんどはトンガだけどね」
「みんな英語はしゃべれるんだ?」
「英語は学校で習うのよ。英語がしゃべれないと、しゃべれない言葉の人と会うと困るからね」
「なるほどねー」

語学の苦手な日本人には、ほんと凄いな、と感心させられる。
アフリカの人も英語はもちろん上手くない。ただ、一通りの会話は成り立つし、困らない程度の英語は出来る。
僕なんか日本人筆頭で、一通り読めるし、テストなら点も取れるが、全く聞き取れない。

いかんせん、言語ってのは強弱がある。
日本語、中国語、ハングルっていうのはすこぶる強い。
中国語の強さはいわずもがなだ。歴史がある。
ハングル、日本語ってのも独自の文字を持っている。さらに日本語の文字はかなり古いものも残っているし、竹取物語なんかは世界最古の物語の一つだとかなんとか言われたりもする。

タンザニアなんかもスワヒリしか話せないが、スワヒリも強い。
アフリカで一番広く使われている言語はアラビア語で、次がスワヒリ語だ。アフリカの言語の数は千を越えるとも言われる。
とにかく広く長く使われている言語というのは強い。
ただ、スワヒリはアルファベット表記だ。独自の文字はおそらく持たない。

アルファベット表記の言語はルーツがギリシャ語、ラテン語系という場合と、文字を持たず口語のみの言語だったかのどちらかだろう。あるいは、文字はあったが滅んだかだ。
アラビア語もアラビア文字があり、すこぶる強い言語だ。ロシア語なんかも独自の文字を持つ。

別に言語論など詳しくないのであくまで観察と推測で書いているが。
言語の強弱は何で決まるのだろう。
一つは戦争じゃなかろうか。
戦争で負ければ、勝った国の言語、文化をしいられる。
日本語が強いのは完全にこれだ。戦争に強くはなくとも、負けるということがなかった。日本が負けたのは唯一日米太平洋戦争戦争だけだ。太平洋戦争は歴史も最近だし、敗戦国の言語を潰すような非道徳的なことはされない時代だ。

戦争の理由じゃなく、言語として優れているかというのも一つ大きな理由だ。
もちろん、戦争に負けなければ言語は残るのだが、例えばザンビアみたいに多くの言語がある国では消えていく言語もあるだろう。
単純に話者がいなくなると言語は絶滅の危機に瀕する。
ただ、言語として優れていると残る。ラテン語などは基本的に今は使われていないと思うが、ヨーロッパの知識人なんかはラテン語は読める。
それはラテン語に優れた文章が残っているからだ。
文章として残っているというのはまず大事だし、その文章が多くのものを伝える表現出来るかというのも大事だ。メソポタミアの楔形文字などは文章こそ残っているが、読めるのは一部の学者くらいだろう。もしかすると、楔形文字も多くのことを伝えられるかもしれない。ただ、恐らく厄介なのだ。アルファベットのように明確にそれぞれの文字を解読できて、なおかつ文字数もあるというのはすこぶる強いのだ。
確かにアルファベットというのは実に優秀だ。多すぎないし少なすぎない。少なすぎるとたくさんの文字数を組み合わせて意味を作らないといけない。面倒だ。
多すぎると書くのも読むのも難しい。漢字なんかまさにそれだ。代わりに漢字は組み合わせを覚えなくとも、一つの文字でかなりの意味を示せる。文字の暗記はいるが、単語の暗記が少なくて済む。
アルファベットは単語の暗記をしないと単にアルファベットが読めても全く意味にならない。

文字が強くなくとも、話し言葉としての強さというのも大事だろう。
中国語なんかはその点最強だ。音の流れも美しいし、漢字を一つ変えるだけで雰囲気、ニュアンスを変えられる。推敲だ。僧は推す月下の門か、僧は敲く月下の門か。意味としては坊さんが月明かりの下で門を開けているだけなのだが、推せば静かた、敲けば静かな月夜に音が響く。
細かいニュアンスを表現できるというのは言語としての強さの一つだろう。

感情や事象を出来うる限り正確に伝えられるかは言語の強弱の要素の一つだろう。

そして、言語は必ず人々の生活と共に進化、変化していく。
ラテン語もかつてはギリシャ語より格段に下の言語だった。
ただ、カエサル、キケロといったローマの名文化が現れ、美しく表現する方法が確立されていった。
多く使われるほどに言語としての能力、感情の表現力、事象の描写力なんかは上がる。

スワヒリについては話すことが好きな人々がたくさん話して発展したのだろう。
詳しいことは分からないが、タンザニアが英語もアラビア語も必要としないのは、スワヒリがかなり表現力なんかで優れているからじゃないかなと思う。もちろん、単純に使人口の多さというのもあろうが。

旅行する上では英語に統一されると楽ではあるが、長く広く使われた言語には、その言語にしか表現できないことってのがある。有名なところなら日本語のもったいないとか、ぬるいだ。もったいないは他の国にはないらしい。英語では水はホットかコールドしかない、ぬるいはない。
スワヒリのポレポレ、のんびりにしたって、英語のスロウリーよりも的確にのんびりしている感じがするし、声に出して言いやすい。
アラビア語みたいに文字は持たずとも強いのは、純粋に話し言葉としての強さからじゃなかろうか。

まあ、推測だけど。

ただ、事実として、我々には考えられないほどにアフリカの人々は話すということが好きだし、大事にしている。

汚い宿の部屋だからテントを張りたいけど面倒だ。眠い。ザンビアは標高も高いし虫なんか大丈夫そうだけど。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月11日

人生とあっけなさ。

下痢も回復して走り始めた。
アフリカで初めてのキャンプサイトじゃないキャンプ。
農家のお肉屋さんの庭でテントを張らせてもらっている。
実にありがたい。
そっちな話はじてぼんをどうぞ。
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友人の仕事が決まって、何だか人生ってあっけないなー、などと思ったことを先日書いた。

今日、ふとフェイスブックで、三年前、父親が癌にかかっていた頃、絶望していた投稿が出てきた。
手術したがリンパにも移転していて絶望していたのだ。

ただ、存外にあっさり親父はその後の投薬治療で健康になった。

まあ、これも何というか、人生あっけない話だ。
流れるように流れるものだ。
おかげで僕は仕事をやめて、アフリカに行こうなどと決意も出来たわけだ。

それでも、あっけないとは言えど、親父が健康になったのは、親父の精神力だろうと僕は思う。
癌が分かった当初から、手術後に移転が分かっても、親父はどこか他人事のようだった。
我々、家族の方は慌てたし、絶望もした。親父よりも母親の方が終始悲しんでいて困った。
親父の方は、表に出さないだけなのか分からなかったが、癌など実に他人事、ただ病院嫌いなので、入院などは難儀そうだったし、投薬治療の際は副作用で参ってはいたが、死の恐怖みたいなものは本当に一切出さなかったし、強がりみたいなことも特に言わず、
「そう、癌らしいなー」
などと他人のことのように言って、
「ありがとう。でも、糖尿の値が悪くなると良くないから」
などと東京から戻って、見舞いに持って行った大福を遠慮していた。
甘いものはとにかく好きな人である。
癌の時に糖尿の値など気になるものだろうか。
それから、綺麗な病院の個室を素晴らしいと言って自慢していた。

ーーー

親父は元々に運の悪い人なのか、中学だか高校時代に肝炎で留年していて、頭は良かったそうだが、家の経済的理由で大学には行かず就職するも、定かではないが生まれの差別のために内定が決まりかけていた良い企業に蹴られたらしい。
その上、入った会社では、十年と少し働いた頃、自分が責任者になっていた部署の若い人が事故で死んでしまい、一生出世は出来なくなった。
「つらかったら辞めて少しのんびり過ごすのも良いと思う。子どもの学費なんかはしばらくは貯金と私のパートだけでも何とかなるだろうから」
と母は言ったそうだが、父は特に何も答えず、翌朝、
「飯」
と言って母を起こし、何事もなかったように朝食を食べ、普通に会社に行き、そのまま今も定年後の再雇用という形で同じ会社に務めている。

メンタルが強いというか動じない人ではある。
基本的に何を考えているのだか分からない。
趣味は散歩とテニス。
散歩は好きで、日曜などは昔からよくあそこまで歩いて行くんだな、という電気屋まで散歩して、新製品を眺めて帰ってくる。数年に一度くらいわけの分からない衝動買いのようなことをして家族、特に母から顰蹙を買うが、酒も煙草もゴルフも、遊びということは何一つしない人なので、母もぶつぶつは言うが本気で怒るわけでもない。
そんな風に毎週、休日には歩くのだが、登山なんかは母が誘ってみても、
「山なんか登ったってな」
と言う。
それこそ電気屋なんか車で行けば良さそうなものだが。
山は結局、僕も働いていたし、母に強く押されたらしく来て、
「ああ、これは本当に素晴らしいな」
と終始感動していたのだが、
「足が痛くなるから、二度と登らんな」
と言っていた。
温泉なども、父母の実家に帰る道中に素晴らしい無料で誰でも入れる露天風呂がある温泉があり、僕はこの温泉が非常に好きで、必ずよるのだが、
「ああ、風呂、温泉、確かにあそこは良いな」
と言うのだが入らないので、僕が一人で入ることになる。

とにかく何を考えているのか謎で、だが優しい人で、高校時代、僕の友人たちからも人気が高かった。
別に父に関する話は特にはしていないのだが、日曜などにうちに来て、父がいて、
「ああ、ごめん、友達入って良い?それかどこか行こうか?」
と聞くと、
「ああ、ちょうど散歩に出ようかと思ってたから」
と言って、友人たちに軽く会釈して、ゆっくりして行ってというようなことを言って、するりと出掛けて行く。
確かにその様子が実に優しいというか、謙虚というのか、さりげなく聖人的な雰囲気みたいなものがあり、別段、話など交わしたわけでもないのに友人たちは僕の父のことを非常に好いていた。

ーーー

そんなわけで、家族が絶望していたにも関わらず、あっさりと父は回復して、癌の時でさえ他人事のようだったので、もはや癌など一切なかったようにしているから、我々の方もすっかり忘れてしまうことがある。
時々、ふと、ああ、癌だったんだな、元気になって良かったと思い出すのだが、もしかすると本人はもうすっかり忘れているかもしれないように見える。

まあ、聞いてみたって良い。
「癌だった頃、やっぱり怖かった?隠していた?」
まあ、何と聞いたって構わないだろう。別に怒るようなことでもないし、すでに解決していることなので隠す必要もなかろう。
多分だが、いつものごとく曖昧は回答をして笑うのだろう。
本当に謎の人だ。

もしかすると、非常に強い精神力で動じないように振る舞っていたのかもしれない。もしかすれば今も実は癌が治ってないと僕には隠しているのかもしれない、いや、多分、それはない。父は動じない人なのでいくらでも隠しきるだろうが、母の方は感情の激しい人間だから隠しきれない。
ただ、母でさえ、父のことは元々とにかく何につけ動じない性格なのだとは言っていた。賢いし、何か考えているのだろうが、深く悩んだりはしないのだそうだ。

ーーー

それこそ、父は、重なる不運から学んだのかは分からないが、人生とはあっけなく流れるものだと言うことをよく知っているのかもしれない。
良いことも悪いことも、ふとあっけなく起きて、あっけなく終わっていたりする。

ーーー

頼んでみると、案外あっさりあっけなくキャンプさせてくれ、別段、旅の話を聞かせてくれとか、マイフレンドとか言うわけでもなかったりする。

まあ、人生、あれこれやってみるのが大事だなと思う。
やってみたり、人に頼んでみれば案外あっさりあっけなく出来ることもあるし。
ふとしたタイミングで大事にしていたものをあっけなく失ってしまったりすることもあるんだろう。
ただ、やはり興味のあることは、するりと試してみた方が良いんだろうと思う。

結果は分からない。
あっけなく全く違うことになったり、何ともならなかったりもあろう。

まあ、生きてるとあれこれ不思議なことやらなんやら起きる。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 05:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月09日

多分こんな感じでいけるんじゃない?

じてぼんもよろしく。
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しばらく前に心配していた友人が職を得た。
本当に良かったと安心する。
アフリカを走っていたって、別段、考えることなんてのは普段と大差はない。
もちろん、感動や刺激、不安、恐怖など普段の日々にないものはある。
ただ、ぼんやりする考え事なんかは案外日本で普通に暮らしている時と変わらない。

安心こそすれど、どこかあっけなさみたいなものも感じた。
彼の仕事の問題は深刻だった。
いかんせん、大学卒業以来、職歴ゼロなのだ。別段、アルバイトなどもしていない。
面接などの時に不利ということ以上に、働かずにいても暮らせてしまう、これはなかなかない。
金銭的な意味ではなく、やはり大抵の人は働かないと何とも手持ち無沙汰で困り、何だかんだで働き始める。
別に働かなくたって良いとは思う。
そりゃ、国家のためにはせっせと働いて税金をおさめてうんたらかんたら。道徳から考えて、労働とは大切であり、生きる誇りでありうんたらかんたら。働かずにぼんやりしているだけでは生きている意味がないでしょう。働いた方が良いよなんていう理屈は諸説ある。
けれど、どれもナンセンスだ。
そんなら労働を終えた老人はみんな駄目ってことになる。
「そりゃ、老人は別だよ。かつて働いたわけなんだから」
じゃあ、どれだけ働いたら、もう働かなくて良いのか。それは年数か、カロリーか、金額か、何で尺度を決めれば良いのか。
日本の定年退職は、あれを決めておかないと体力が衰えて使い物にならない労働力を切る上で厄介だからという雇う側の都合と、働く側も金はやはり欲しいので無理してでも働き続けて危ないからという労働者側の安全の2つの理由で存在しているのだろう。
実際には、その年齢でももっと働ける人もいるし、それより若くして働くのが難しくなる人もいるが。

国家としては国民には断固として働いてもらわないといけない。
ぼんやりぶらぶらされると財源に困る。
可能であれば、アリのように死ぬ直前までバリバリ元気に活動して、寿命が来た途端にパタリと死ぬというのが理想だろう。

ただ、その反面に失業問題なんかもある。雇用を作らねばならない。働いてもらいたいが、仕事がないは困る。
仕事はいくらでもあるが、働ける人間が足りないなんてのは国家としては実に理想的でどんどんと成長進歩していく段階だろう。

人間が集団で生きている限り、仕事は分業で、全ての仕事に人がいて、社会がまわっていて欲しいというのが集団の都合でもあるし、集団全体がよく機能してくれるのは個人にもありがたい結果になる。

そんなわけで、労働は貴い、そういう考え方は集団ではとても都合の良いのだ。

ただ、ごく一個人に限ってみれば、当人さえ困らなければ仕事などしなくたって別段悪いことはないのだ。

改めて考えると、働かないと悪いなんてのは間違いなく幻想だ。
人間、働かなくたって生きていたって別に悪ということはないのだ。集団からは悪ではあるが。

だけれど、働かなくて心を痛めて、それでいて働かないってのは問題だ。

「何でも良いから働けば良いのになぁ、アルバイトでも何でもさ。本人も働きたいとは言っているんだから」
彼について、時々そんな話はあった。
「まあさ、試験前の学生なんかと同じだよ。勉強しなくちゃなぁと思いながら出来ないで、気付くと部屋の片付けなんかしちまってる。かと思えば試験前じゃない時に、そろそろ部屋の片付けしないとなぁと思うけれど、なかなか出来ない。逆で片付けの代わりについつい勉強しちゃえば良いんだけれど、そうはならない。別に何をするでもなくボンヤリ過ごす。試験勉強も片付け掃除も、案外やってみれば大したことはないんだ。けれど、やり始めるまでが不思議と出来ない。出来る時には出来ちゃうんだけど、出来ない時ってのは理由無く出来ないよ。割と人間そんなもんだよ」
我ながら上手いたとえじゃないか、などと思いながら話した覚えがある。誰に話したんだかは忘れたが。

まあ、とにかくどうにも解決できない重大な難問だったのがするりと働き始めた。
聞けば電気の配線なんかの工事の仕事らしく、今はまだアルバイトとのことだが、割と気に入ってやっているとのこと。

何だかあっけない。
もちろん、それで友人が元気になっているのだからバンザイなのだが。

働いて落ち着くとか、小市民として完成するとか、まあ、何とでも言いようはあるが。
一口に言えば、一人で生きるのは寂しいし、歳を取るほどに少数派は減っていき寂しさつのるので、徐々に丸くおさまる人、多数派におさまる人が増える。

別に少数派、丸く収まらず、世間から見ればロクにきちんとした仕事もせず、腕一本、自分ひとつで生きていく人もいる。
小説家のまゆみ先生だってそうだろう。全くおさまっていない。
それでも、何とかやってく人もいる。そういう人はすごい。別に意図的にそうしているわけじゃないにせよ。
別に丸く収まらなくたって、人間生きていけないなんてことはない。
何とかなるようにして生きていく。

でも、まあ、案外ね、そんなもんかもしれない。
つるりとおさまる時にはおさまる。
あれほど仕事が見付からなくて困っていた人間が、ふと、
「え、その仕事で良かったなら、もっと早くにすれば良かったのに」
はたから見ればそんな仕事に落ち着いたりする。

かくいう僕もアフリカが終われば、存外、つるりと故郷の何でもないような仕事に落ち着くような気もする。
一人で自転車屋を開業出来る程の自信もないし、能力もない気がする。第一、自転車屋なんてさほどやりたいものなのか。
やりたい気はするのだが。
どうなんだか。
良い音でジャズが聞けて、本が読めて、そんな空間の方がむしろやりたい気はする。
ただ、つるりと何でもない仕事に落ち着く気もする。

ただ、逆方向のつるりなんかもあるかもしれないから。つるりと自転車屋カフェなんて始めてる気もする。

試験勉強しなくちゃいけないのに気付いたら部屋の掃除をしている。
でも、部屋の掃除をしなくちゃいけないのに、気付いたら試験勉強をしてるっていう逆は成り立たないけれど。
つるりに関しては逆でも真上でもどちらにでも転ぶ可能性はある気がする。

何だかきちんとしたやり方だと面倒くさいし、細かく考えるのも疲れるし、多分こんな感じで行けるんじゃない、みたいな具合で進めていければ良いなとは思う。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 14:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月02日

神様に祈る。

下痢が再び悪化する。
お前は馬鹿かと言われるやもしれぬが、不思議とアルコールを飲むと治る。
アルコールに弱い寄生虫か何かが体に入っているのだろうか。

大使館に電話すると、現在、医務官不在とのこと。
ふむ。

いかんせん、やはりアフリカは厳しい。下痢で精神的に弱ってるのもあろうが、やはりアフリカは過酷だ。

改めて考えると、アフリカ現地人と我々旅行者では生命としての淘汰のされ方が違う。
我々先進国の人間からすれば異常なまでに高い幼児死亡率、それをくぐり抜けた人間だけが大人になっているわけだ。
病気に関しては、先天的な抵抗力があるか、かかっても生き残って抗体を手に入れた人間だけが生き残っているわけだ。

ーーー

まだ深刻な状況ではないし、病は気からとも言うし、あまりおおっぴらに書くと、日本の友にいらぬ心配をかけるかもしれないが。

どうも不可解な下痢だ。

・普通下痢は出し切れば終わるのだが、一週間以上続いている。
・下痢で普通はやせ細るのだが、逆に下腹が膨らみつつある。また、便も水のようなもののみで、消化不良的なものがあまりに無さ過ぎる。
・アルコールを飲むとその日は収まる。

はじめはタダの下痢なのでと時々はアルコールも飲んでいたが、明らかにアルコールを摂取した後には症状が安定する。

ーーー

もちろん、自己診断は危険だ。
ただ、あまりに医療機関が信頼できない。
詳しいことはオフィシャルに発信されている世界の医療事情なるページをみれば分かる。
もちろん、手術など二次感染のリスクが大きい場合にのみ警戒すべきことかもしれない。

いかんせん、自己診断と判断がいくらか必要だろう。

ーーー

考えうるのはいくつかだ。

・心因性の下痢
これは多いにありうるし、これであれば一番良い。
世界最貧国マラウィという看板には、やはりかなり精神的に構えるところもあったし、実際に走っていて、衛生面の不安は大きい。明らかに衛生環境の悪い露店で食った豚肉は口に入れた途端に便所のにおいが広がったが、郷に入れば郷に従えと無理に飲み込んだ。水についても、ミネラルウォーターが手に入りにくく、現地人と同じ水を濾過器を使って飲んだ。
心当たりが多すぎて、逆にそれらがストレスとなり心因性の下痢になっている。
だから、アルコールを飲んで神経が緩むと下痢がおさまる。

・単純な下痢の可能性
途上国によくある下痢の可能性はやはり高い。
この手の下痢は日本に帰ったり、水が変わるとすぐに治る。だから、マラウィを出ればすぐに治る可能性は高い。

・寄生虫の可能性
寄生虫が入って腸内で成長してしまっている可能性だ。
寄生虫の場合、アルコールで一時的に弱るのも納得出来る。
寄生虫、ウィルス起因の下痢は体が異物と判断して出そうとする場合と、彼らが毒素を放出するゆえの場合があるが、発熱などないところを考えると、毒素はないのではなかろうか。
放置するとエキノコックスなどのように肝臓を食い破るものだとかなりまずい。
エキノコックスが肝臓に至ると外科手術が必要になり、マラウィ国内での安全な外科手術はかなりの危険を伴う。

・日本人の体では消化不可能な食べ物が腸内でつまっている可能性。
これはどの人種にもあるのだ。
例えば、海藻のノリを消化吸収できるのは世界でも日本人くらいなのだそうだ。まあ、海藻を食うなんて文化は世界的にさほど多くはない。
それと同じで日本人には消化できないものというのも存在するだろう。
それが腸内で引っかかっている可能性はある。

ーーー

まあ、分からない。
ただ、撤退を頭の隅に考え始めてはいる。

とにかくアフリカの病気は厄介だ。
病気の宝庫、しかも新しいものもちょくちょく作り出し、なおかつ医療設備もない。

仮にマラウィで危険な状態になると、国外搬送で南アフリカに移動することになるが、国外搬送はべらぼうな金がかかる。それこそ一千万とかだ。
なので、必ずかなりしっかりした旅行保険に入らないといけないのだが、僕の入っているのはクレジットカード付帯の海外旅行保険だけだ。

まあ、金の問題だけなら死ぬまでにコツコツ払っても良かろうし、何とかはなるだろう。
問題は正体不明の病気の場合だ。

ーーー

そうやって考えていくと、ヤバイ病気か心因性かのどちらかだろうと思う。
まあ、確かにタンザニアのイリンガからロクに休んでいなかった。
マラウィではンカタベイで少し休んだが、あそこは湿気も多く暑くてあまり休息には適していなかった。

ーーー

リロングウェでの滞在を伸ばす。
残りの距離と時間を考えるのかなり厳しくもなるが。
背に腹は変えられぬ。
とにかく国際空港のある町ってのは大事だ。

もちろん、いかに自転車は大変で、小さな村で危険な状態になると危ないとは言えど、一口に言えば自転車やら何やらを放棄すれば道がある限り、何かしらの交通手段はある。

ーーー

考えているうちに一周して、逆にリロングウェで帰国のフライトまでのんびりしてしまっても良いのではないか。
宿の連中も非常に良くしてくれるわけだし、これを機にがっちりマラウィの取材をしたって良い。
そして、帰国のフライトに間に合うようナミビアに飛行機で行っても構わないし、バスで行ったって良い。
自転車は世話になった礼にあげて行ったって良いし、改めて来年来たって良いのだ。
それまでに自転車がなくなっていればバックパッカーを楽しんだって良いし、現地の古い実用車を買って、それで走ってみたって良いだろう。

何なら帰らなくたって、持っているチケットのフライトで帰らなくても良いかもしれない。
何か商売を展開したりして、長々マラウィにいたって。

まあ、それは少し行き過ぎだが。

ーーー

こうして書いていると、何だそんなことか、となってくる。

結局のところ、僕は自転車が惜しかっただけなのだ。或いは豊かな日本の暮らしが惜しかっただけなのだ。あるいは健康が当然で生きていることが惜しかっただけなのだ。
そんな欲が重なって、下痢ごときで心を痛めていたし。
欲のせいで自由じゃなかったのだ。

まあ、もちろん欲は必要だ。
生きたいと願うのはとても大事だ。
好きな人を想って、帰国して良い生活を二人で送りたいなんて妄想とか。
そういうのはとても大事だ。

でも、やっぱり人間なのだ。
結局、力強く生きるためには、矛盾しているようだが、いかに人間の野性を活かせるかなんじゃないだろうか。
欲も野性かもしれないが、欲は理性じゃないかなと僕は思う。
それまでの人生で重ねてきた経験の上に発生する欲。それは無意識にせよ、頭が考えて作り出している欲しいものなんじゃなかろうか。

でも、そんな欲を改めて洗い直せば、自転車もお金や経済的に豊かな祖国、そんなものよりも迷わず休養なのだ。

感覚的にその場所が気に入っていて、生きるために必要だと野性が言うなら、理屈以上に、損得以上に滞在すべきかもしれない。

ーーー

でも、多分、ある程度治ればやはり自転車で出発するだろう。
欲に勝てないからでもあろうし。
やはりそれも僕の野性かもしれない。

神に祈る。
天にいる神じゃなく、自分の中にいる神に。
理性も野性も、僕のするすべての判断の根っこも、その神様から出ている。
もしかすると、その神様は人間全ての精神の向こう側でつながっていて同じ神様かもしれないし、各個人に固有の神様かもしれない。

別に宗教的な意図はない。
神様って言葉を安易に使うのは危険かもしれないが。

単に向こう側の話だ。
なぜ僕はアフリカに来ようと考えたのか。
なぜ今こうして考えているのか。
そういう考え、動物にだって今餌を探しに行くべきかの判断だとか、何か考えるのだろう、そういった考えの根本の向こうで糸だか光だか波だか、何かの粒子だか、エネルギーだか、まあ、何でも良いけれど発してるヤツ。
多分、そんなのがいると僕は思うのだ。

無宗教の民族らしく、僕は勝手にそれを神様などと呼んでるだけだ。

その神様が良い方に向かってくれて、それをきちんと受けて動けれて。それさえ出来れば、多分、すべて上手く行く。
そんな神様に勝手に祈るわけだ。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 04:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月31日

ヤバイのかヤバくないのか?

黄熱病予防接種のイエローカードのことを考える。

今日の話は仮にの話だ。
事実かどうかは別にした話だ。

例えばだが、貧困国で隣の国に行くにはイエローカードの提示が必要な国があるとする。例えばアフリカのマラウィみたいな国だ。
イエローカードの提示の必要性ってのは、それぞれの国が勝手に決めている。
WHOの定める黄熱感染国は基本的に提示が必要だ。
感染国以外でも、感染国に入国した経歴のある人間には提示を求める。
そして、もう一つのパターンが感染国ではないが、隣接国も危険とみなし、そこに入った者には提示を求める。

例えばタンザニアは非感染国なので、入国時には問題ないが、一度タンザニアに入っていると、南アフリカやザンビア、ナミビアなどではイエローカードの提示を求められる。

そうなると、提示を求められる国と隣り合っている国ではイエローカードの取得の需要が出てくる。

この黄熱病の予防接種のワクチンというのはかなり厄介なやつで、保管や移動が骨が折れるらしい。
それで、日本みたいな先進国でさえ摂取可能な場所は10もないほどだ。

そんな厄介なワクチンを貧困国で扱うのは実に大変だ。
しかし、需要はある。
そうなると、ワクチンを打たずにイエローカードだけ出すというのも現実的に出て来てしまうかもしれない。
あくまで仮にの話だ。
例えば5ドルくらいで、ほんの5分ほどで、町の個人医院なんかで。

そういうのは由々しき問題だが、じゃあ、ワクチンを取り寄せるとなると、すこぶる厄介で、もはや現実的ではなく、国立中央病院だけでしようとなると、需要に対して明らかに供給が足りなくなり、いよいよ非現実的になるというのも事実なのだろう。

マラリアや結核の問題にしても、どんどん治療薬が効かない抗体を持つ病原体が増えるのは、本来であれば、数種類併用して使うことでどれかに抗体を持ったものが突然発生してもたたけるのだが、現実問題として、数種類併用することなど貧困国では現実的に難しいのだ。

だから、本来は、黄熱を拒否するからには、拒否する国の方が空港や国境で予防接種が可能であるようにするのが筋だろうと思う。
そのほうが旅人も楽だ。
黄熱の予防接種は十日たたないと効果がないとは言うが、十日以内に即感染するなんてのは実に可能性が低い。

基本的に、入国拒否をするのは豊かな国の方だ。
うちの国はクリーンなんだからヤバイ病気を持ち込まないでくれというわけだ。

まあ、イエローカードについては少々謎だ。
数ある病気の中で、黄熱病だけそこまで言うべき病だろうか。
マラリアなんかの方がはるかに危険で深刻な病気だと思うのだが、別にマラリアに関しては予防薬や治療薬などの携行について何の規則もない。

そういえば、蚊にも随分かまれているけれど、まだマラリアは大丈夫らしい。
マラリアは本当に相当つらいとのことなので、感染しないよう祈るばかりだ。
「ネット使えば大丈夫だよ!」
なんて宿の人間は必ず言うけれど、ネットがあってもみんな一度ならず感染しているのが現実だ。
蚊帳ってのは使わないよりは良いにせよ、やっぱり完全に防ぐのは難しい。一匹くらい入ってしまう。

いかんともしがたい現実。
アフリカは本当に日々、そういうことに直面する。

朝から村の前で男たちが普通に家畜を屠殺していたりする。
当然、ハエがいっぱいいる。
屠殺後も食べるまでは肉は店の先にぶらさげられている。
ヤバイかヤバくないか。
ヤバイに決まっている。
本当だろうか。
案外、ヤバイと思いこむ僕らのほうがヤバイのか。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年01月28日

マラウィ人は貧しいのか?

マラウィのバーにて。
キャンプは良い。
ただ、キャンプなんてのは異邦人しかしない。
その点、ローカルの宿は良い。バーが併設されていればベスト。併設じゃなくとも宿のある町にはバーがある。

まさかの世界最貧国マラウィでビールを一本御馳走してもらった。
隣で飲んでた男だ。

マラウィは本当に世界最貧国なのか。
この問題を考えてみる。

一つにいかに貧乏な国でも、富裕層はいるし、富裕層とまで言わずとも中より上の人々はいる。
特に宿のある程度の規模の町、村というのは便利だし、そのエリアの富裕層はそこに住んでいる。

一つにビールはカールスバーグ350ミリリットル瓶で550クワチャ。1ドルが約700クワチャだ。
ちなみにビールはカールスバーグだ。マラウィ国内にもブルワリーがあるとのこと。
マラウィでは、ローカルなレストランなら千クワチャはしない。
路上で買える揚げパンは小さいものは50クワチャ、大きいものなら100クワチャ。
米は一合か二合で300クワチャ。器いっぱいで量る。
宿はローカルも使う少々小奇麗なところで4000クワチャ前後。探せばもっと安いところもあろうが、いかんせん衛生面の心配がある。眠る食うについては自転車旅はいくらかかけても良い。なんせエンジンは自分の体で疲労を抜くのは最も大事なことだ。

ミネラルウォーターは2リットルで550クワチャ。
地域にもよるだろうが、今日の町では現地人も水道水は良くないのでミネラルウォーターがベターだと言っていた。
リゾートキャンプなどでは、フィルターなどの設備を整えているのか、問題なく飲めると言われる。

これらを総合して、ビールの550クワチャ、約80円は彼らにとって高いのか安いのか。

まあ、無難な話だが安くはないが別段高くはなかろう。ミネラルウォーターにせよ、食事にせよ、1ドルくらいはするのだ。

今日のバーでの彼らの飲み方を見るに二千クワチャ前後くらいが一人辺りの落とす金額の平均だろう。
もちろん、千クワチャで帰るものもいるし、ビール一本で帰るものいる。
ただ、二本以上飲む人の方が多い。

彼らは特別に富裕層なのか?

また一つ。
「僕はマラウィはとても好きだよ、湖もキレイだし、何より人が良い。すごく安全に安心して旅できる。道行く人でさえ笑いながら挨拶を交わしてくれる」
お世辞抜きにマラウィは最高に良い国なのだ。平和な象徴とさえ言っても良いと思う。
「全くだね、ミスター、マラウィは良い国さ。ただ一つの問題はお金だけだね」

マラウィの貧困というのは非常に分かりにくい。
というのも、農業には恵まれている土地なので、食うにはあまり困らないらしいのだ。

ただ、タンザニアと比較すると、車は圧倒的に少ないし、スマホを持ってない人も多い。
タンザニアではサムスンのギャラクシーを持つ人も少なからずいたし、ボタン式の安いケータイならたいてい誰でも持っていた。
ただ、マラウィではスマホもボタン式の安いケータイも持っていない人も多い。
やはりお金の面では、タンザニアと比較しても目に見て分かるほど貧しいらしい。

さて、改めてビールをごちそうされたことを考える。
僕の考えでは、金欠時でも、大量じゃないにせよ、週に一度くらいはのんびり飲みたいし、気に入った人には一杯おごりたくなる。
それが出来る人も幾人かはいるというのがマラウィの事実だろう。
もちろん、彼はガバメント、政府の役人の高給取りかもしれない。
日本以上に、貧しい国ではガバメント、公務員として働くってのは、トップクラス、富裕層だということを表す。
「へー、日本人かー。日本人ってみんなお金なんでしょ?やっぱりガバメントで働いてるの?」
と聞かれるほどに、ガバメント=金持ちらしい。

対して一見普通の人でもギブミーマネーで、ほんの10円足らず、50クワチャでもあげればすこぶる嬉しそうにする。

難しいのは、その金額がありがたいと思って感謝してくれるのか、或いはほんの僅かであろうと恵んでもらえた事自体への感謝なのか。
この辺は英語力乏しい僕には聞けないし、彼らにも当然ながら、誇りはあり、安易には聞けないところだが。
ただ、路上のパンを売る人々が大きいものでも一つ100クワチャ、20円にも満たない金額で売っているところを考えれば、10円だって庶民にはありがたい金額なのかもしれない。

まあ、安易には言えない。
ただ、僕はやはり彼らは心に関しては我々日本人より圧倒的に豊かだと思うのだ。
少なくとも決して安くはないビールを旅人に御馳走できる。

それは金銭的な話以上に人が人を愛する力とか、人間にとってすこぶる重要な気持ちの有無の問題だと思う。

ねむい。
そんなこんな。

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2017年01月21日

素晴らしきマラウィ。

20170121

マラウィに感動している。
とにかくマラウィはマラウィ湖だ。縦の長さは600キロ、東京~大阪の距離を越える巨大な湖。
そのわきには素晴らしいキャンプサイトが点在すると言う。
その一つに今夜は泊まっている。
トイレも水洗だし、レストランもある。
支配人らしい男は非常に紳士で優しい。
カロンガという町の北のビーチチェンバーというキャンプサイト付きのモーテルだ。

人々も国もとんでもなく貧乏だ。世界最貧国の一つとされるほどだ。
なんせ産業がないし、資源も特にない。湖が国の大半を占める。
しかし、貧乏も底を抜けると人間ってのは爽やかになるのだろうか。
ギブミーマネーはタンザニアよりはるかに多く言われるが、全く苛立たない。
こじき、ホームレスみたいなみじめさは不思議なまでにない。
挨拶の一部として何となく言うような具合だ。
タンザニアのギブミーマネーは本当に金くれという感じだったが、マラウィでは貧乏が板についているせいか、全く嫌な感じがない。もちろん、金は本当に欲しいのだろうが。
さわやかなのだ。

ハイビスカスの樹の下でカールスバーグを一ドルほどで飲みつつ、足下に亀なんかいたりする。

日本の子どもたちに教えてあげたくなる。
「分かるか、これが大人の夏休みだぜ。金と時間を全力でぶっこんで名前も聞いたことのないような異国の地でバカンスをたしなむ。大人が本気出したらすごいんだぜ」
なんて。

まあ、本当に素晴らしい。

マラウィはのんびりとキャンプサイトめぐりかなと思う。
道はさすがの貧乏国、舗装は良くないが、自転車としてはなんら問題ない。
車もオートバイも少ない。
農業国なので田畑が美しい。牛がふらふらしている。
これぞ楽園。

まあ、どういう道が人の好みかにもよるので一概には言えないにせよ、僕は最高にマラウィは気に入っている。

じてぼんもよろしく。
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そんなこんな。

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posted by ちょろり at 22:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする