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2012年01月30日

歩くってこと

南極に旅立つ友人を港に見送り、宿に戻って、本棚にあった南北アメリカ徒歩縦横断記なんて本を読み始めた。

ぱらぱらと飛ばし読み程度だけども。これが、辞書ぐらい分厚い脚色なしの手記で全部は読み切れそうもないような代物なのだ。
勿論、ウシュアイアは著者のゴールでもあったわけで本人から贈呈されている本なわけで。
合衆国縦断が九ヶ月で、南米大陸縦断が一年八ヶ月で。
へー、存外、歩くってのは速いもんなんだな、と感心。

それでも、確かに不可能じゃないんだろうな、と納得はする。
僕は今回自転車で、ブエノスアイレス〜ウシュアイア、まあ、長距離というよりは中距離程度の旅をしてみたんだけども、テントを張るスキルがあれば、生活費が続く限り、道路のある場所なら割と人間ってどこでも行けるもんだな、と思った。
国境なんてのも、よく分からないままに越えられたし。ビザのいる国は知らないけれど、やっぱりいくらかの金があって、然るべき場所に行って手続きすれば、何とかなるみたいだ。
とりあえず、人間ってのは、悪人よりは善人の方が多いらしい。他人の助けをアテにして旅したわけじゃないけど、結果的には他人の助けばかり頂いて何とか無事に終わった。
道路のある場所には人がいる。
道路のない場所は少し話が違う。だから、登山なんかはテントを使うとかいう点では似ているけれど違う。行けない場所は行けない。行っちゃう人もいるけれど。
人がいることで、簡単になることもあれば、難しくなることもある。人がいないところでは、強盗には遭わない。
あとは病気と紛争関係。この辺は割とどうにもならない。どうにもならないなりに何とかしちまう人もいるけれど。

とにかく、歩くってのはとても良いと思う。シンプルだ。自転車みたいに壊れる心配がない。でも、この本の人はリヤカーを引いているから、リヤカーの故障はあったみたいだけれど。
それでも、やっぱり速度が遅いから、壊れにくいし、精密部品もない。
とりあえず、車輪ってのはすごい。結構な荷物を引けちまう。
道路ってのは基本的に車輪を使えるってのも良い。

はて。
不意な思い付きだけども。
もしも、将来、結婚することがあれば、新婚旅行はリヤカー引いてぶらぶらするってのも面白そうだなって思う。
夫婦でリヤカー引きながらのんびり話すっていう絵が綺麗だ。
一人でも悪くないけど、あんまりゆっくりの速度で一人で歩き続けていると暇そうだ。

そう。自転車の場合、暇ってない。
いくら走ってても飽きない。
たまにすごく眠たくなるので、道端で三十分ほど煙草をくわえて空を眺めて、テントで使うマットの上でゴロゴロしたりすることもあったけれど、暇で退屈で飽きちゃって、そういうことはなかった。
歩くってのは、分からないな。

そうだな、歩いてみるか。
日本に帰ったら、東京から岡山まで歩いてみようか。そんなに遠くもないから、一ヶ月くらいで何とかなるだろうし。
車輪については、スーパーからカート一台失敬するか、ホームセンターで安い荷台でも買ったって良いし、実家に連絡して登山用のザックを送ってもらっても良い。
ルートは、初めての自転車の時のルート、一号線、二号線をさかのぼるような具合でも良いし、日本海の方に電車で出てから、豪雪の中歩いてみても良い。
景色を考えれば、雪は楽しそうだ。雪って本当にしんどいけど、本当に綺麗だから、まあ、やる価値はある。
適当な公園でテント張って、自炊で進めば、一ヶ月なら、三万円くらいで何とかなるだろう。

別に何の意味もメリットもないけれど、ぼんやりぶらぶらする遊びとしては、まあ、悪くない。

こういうのを旅型ホームレスなんて言うって、昔読んだ「ホームレス大百科」なんて本に書いてあった気もするけど。

そう、ホームレスってのは病み付きになるってのは有名な話だけども、最近の僕には割と分かってしまうところがある。
下手に宿に泊まるよりも、好きなだけ移動してテントを張るって生活は気楽だし、良い。さらに海外の場合、言葉が通じないから妙なコミュニケーションもいらないし、気遣いもいらない。
もちろん、完全には分からない。ハイテク機器も好きだし、お金を使う遊びも好きだから、ホームレスになりたいとは思わない。別に他人からホームレス、汚いと思われるのは、まあ気にしないでも良いけれど、したいことができなくなるってのは困るし、働くってのは割と嫌いじゃない。
単に遊びとしてホームレスごっこみたいなのは、面白いなと思う程度で。

ま、ホームレスごっこはどうでも良い。
でも、歩くってのは意外と面白いのかもしれない。

山を歩くのが面白いってのは当然なんだけど、普通の道を歩くのは面白いかどうかってのは、実はあまり知られていないことだ。
南北アメリカを全部歩くまでしちまいたいと思うほど、歩くことに興味はないけれど、日本の中をちょっとぶらつく程度には興味がある。

三月締め切りの文学賞に出したい作品があるから、東京の友人宅に少し厄介になって書き上げちまってから、考えてみようかな。

今日は、キャベツ、挽き肉、アボガド、玉ねぎを適当に炒めて、パスタに乗せて食ってみた。
基本的には適当に炒めれば何でも美味しい。小麦粉と混ぜてお好み焼きみたいにしても良いし、固形を保てるものなら油であげちまっても良いし、小麦粉で上手く生地を作って餃子みたいに包めば焼いても揚げても良い。
正に男飯なわけで。
とにかく火を通せ、と。
こちらはチリソースがあるので、味付けに便利。ケチャップ、マヨネーズ、チリソース、塩、胡椒があれば何とでもなる。

ボウル一杯の男飯を食う姿を見て、みんな、
「チャリこぐ人はやっぱりたくさん食べますね、やっぱりエネルギー使いますもんね」
などと言われつつ、
「すみません、実はもう半月近くダラダラしてるのでチャリラーというか普通の人なんです」
なんて思いつつ。

食って、寝て、散歩する日々。

日付変わって、散歩がてら葉書を出して、珍しく外食を。
何だか不意にポテトとビールなんてやりたくなった。

すっかり普通の人。

むしろ、ウシュアイアってのは普通の人でいられる良い街だと思う。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 03:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月28日

ヒゲ

ヒゲを剃った。
もう験担ぎは必要ない。
良い自転車ができた。
生きて無事に帰れそうだ。

ヒゲの下の顔は意外と少し太っていた。安心。多分、ちょうど良いくらいの体重まで戻って来ているだろう。

昨夜は、宿のリビングに、久々に女性の話題なんかが少し下世話な感じで上った。
昔なら、ひょいひょいと適当にさばいて、あははは、と笑いが取れたのかもしれないけれど、長いことそういう話題、会話を盛り上げるための女性絡みの話なんてのはしていなかったせいか、どこぞのピュアな女子高生みたいな具合に逃げるように席を立ってしまった。
女性絡みの話というのも苦手だったけど、何だか会話が複雑な感じがして、互いの目を読んでウケる、ウケない、みたいなことやら、とにかく言葉の裏に暗黙の許可、制約みたいなもののあるような具合に感じてしまって。
複雑な会話、人間関係は久し振りだからか、すごく難しい。

昔、高校の先生、数学の先生で僕は今でも彼を尊敬しているんだけど、とにかく真面目で良い人、少し真面目すぎるところもあるみたいだけれど。
その先生を思い出した。
彼はお酒が好きなんだけど、人とは飲みたがらない。独酌が好きだそうで。
その頃は一人きりで飲んで何が楽しかろうと思ったのだけれど、今は何となくあの先生の気持ちが分からんでもない。
真面目だ、真面目だ、あんたは真面目過ぎると同僚に思われて、当人は普通の当たり前のことをしているつもりなのに。派閥みたいなものなんざもあろうし。そうやって飲む酒は不味くはなくっても、あまり美味しくないのかもしれない。

先生は真面目で、とにかくいつも数学の問題、大学受験数学の問題を延々と漁っては解いて、半分は自分の楽しみでパズル程度だったのかもしれないけれど、生徒に何を教えるべきかってのを探していたみたいだし。毎日、小テストをし、放課後に追試なるものをして、全員が一通り理解するまで、最終下校のベルが鳴るまで、一人一人にちゃんと教えていた。
ズボンからシャツを出していると、どんなに離れていても、走ってやって来て直し、学校が嫌いで神社、図書館に逃げ込む僕をきっちり月二回の家庭訪問を。
僕の高校には勉強熱心な連中はたくさんいたけれども、あの先生より真面目に勉強してたやつっていうといないんじゃないかと思う。それも自分のためじゃなくて、生徒のために。
あの人より教育熱心な教師ってのは、世界中を探してもなかなか見つからないんじゃないかと本当に思う。

あの先生は背が低くて、生徒に馬鹿にされやすいから、ヒゲを伸ばしていた。
世界の最南端でヒゲの数学教師を思う。

先生、すみません。あれだけ数学叩き込んでもらったのに、さっぱり無縁の生き方をするようになっちまってます。申し訳ないです。
でも、ルートマイナス1で世界を救えるようには頑張ってますよ。

今日は南極に行く友の見送りに自転車の箱詰め。
母国は冬で寒いだろうな。
案外、最南端の夏は、母国の秋みたいで過ごしやすい。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 23:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

非の打ちどころのない完成された哲学

そろそろ自転車を箱に詰めちまおうかな、と。帰国の準備。
しかし、値段的には安い自転車だし、もうボロボロで、そのクセ空輸でえらく金がかかる。しかし、思い出の自転車になっているから、当然、持って帰る。

自転車を箱に詰めちまうと、もうアルゼンチンを走るのは何年先になるか、もしくはもう死ぬまで走らないかもしれない。
それで、本当のアルゼンチンラストランへと。
朝五時半に起きて、国立公園へと、道の終点へと。
早朝の町には燈色の灯りで、終わりに続く道は町の上の方を走るから、燈色の点々のウシュアイアが見渡せて、その時、不意に涙が出た。
不思議と自転車に乗っていると時々涙が出る。そんなにボタボタ流れるわけじゃないけれど、景色が良かったり、峠を越えた時なんかに、汗のついで程度に一滴だけ頬を伝うみたいな。
ああ、僕はこいつといくつもの町の灯りを越えて来て、とうとう道の終わり、そうして帰国なんだな。
道の終わりにはもう四度目なのに。
まだみんな寝静まった早朝の町の灯りってのが、不思議とこれまで走って来た町全てにつながっている気がした。
自転車ってのは、どうしてもある程度孤独な乗り物だ。完全に一人乗り。人によってペースも違うし、仮に一緒に走っても風の音で会話もしづらい。早朝の町の灯りってのは、どこかピッタリ来る。
いくつもの町を僕はこの自転車と越えて来た。

道の終わりには、少しの寂しさがあったけれど、何だか今日は上手く納得できた。
珈琲を一杯わかして、君が代を歌っておいた。パタゴニアの素晴らしい大地に風、親切な人々、壊れながらも文句一つ言わず何とか最後まで一緒に走ってくれた自転車に敬意を込めて、母国の美しい歌を。

やっぱり。
自転車は正義だと思う。
ある場合には、絶対に間違いない、非の打ちどころのない完成された哲学にさえなると思う。
もちろん、他にも素晴らしい移動手段ってのはあるけれど、非の打ちどころのない完成された哲学、とまで言い切れるものってのは僕には思い当たらない。
自転車で長距離走るのは、哲学だ。
哲学は、別に生きるために必要不可欠なわけじゃない。
ただ、完成された哲学に触れられる機会なんて、人生に一度あればラッキーだ。
腹の足しにはならなくたって、美しい色をしたペンキだ。人生のどこかに一部でもそんなペンキがあれば、とっても気持ち良い。

自転車は正義だ。

どうしても困ったら、またいつでも一緒に走ろうぜ、こっちはいつでも予定は開けとくよ、なんて自転車が言ってくれた気がした。
ーーでも、僕だって働かなくちゃいけないし、綺麗な奥さんだって欲しいからね。
ーーどうしても困ったときだよ。こっちはいつでも予定は開けてるからさ。そっちが困ったらいつでも遠慮せずにさ。また、一緒に走ろうぜ。仕事の世話はできないけれど、美しい世界には連れて行ってあげるし、それだけで困ってしまってる将来のあんたは結構助かるはずだよ。

物と会話するなんて阿呆みたいだけども、自転車に関してだけは、まあ、仕方がない。

ーーあんた、間違いなく非の打ちどころのない完成された哲学だったよ。ありがとう。

なんて。

キザっちいことを書いたけれど、それだけの距離に時間に苦労に喜び、感動を自転車と一緒にしたのだ。
旅が終わるよ。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 03:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月26日

ウシュアイアと尾道と神様と僕と

ちょっと憂鬱そうな日記を書くのだけれども、実のところ、元々ウシュアイアには、そのライン、つまり小説のネタになるような生活のにおいと退屈さを狙って来ていて、期待以上で、まあ、憂鬱な日記を綴ってみる日々。

今日はウシュアイアと志賀直哉と尾道について。インテリくさい、場合によっては腹の立つかもしれないような文を。

志賀直哉ってのは、小説の神様で、何を読んでも外れがない。代わりに、学ぶべきこともない。
神様は、適当に書き散らした文が全て最高に美しい文になってしまうから。学ぶもクソもない。どんなに下らないようなことさえ、美文になってしまっている。
そんな神様が、完成させるのに苦労した小説が「暗夜行路」ってやつで、神様が書き残した数少ない長編の作品。

そこで、尾道が出てくる。
僕の自転車というと、尾道が基本だ。しまなみ海道じゃなくて、尾道へ、単に二号線、大して眺めも良くない道。
ただ、尾道に着いた時の喜び、潮のにおいが何となくにおい始め、くたびれた工場、そして、しまなみ海道が海をまたいで、そいつをくぐると尾道に。左手に海、右手にすぐ低い山、山にはお寺がいくつもある。チャイサロンドラゴンにてチャイを飲んで、寺を縫っていく人がやっと一人通って、すれ違うには声をかけなくちゃいけないようななかば崩れたような壁に挟まれた坂の路地を歩く。
そんなことのために、僕はその自転車ルートが好きなのだ。これが、不思議と電車じゃ上手くいかない。車は当然。原付も駄目だった。自転車で行った時だけピタリと来る。

その坂の道の中に志賀直哉が「暗夜行路」の執筆の際、一時的に住んでいた家がある。縁側までは無料で入れるので、そこに腰掛け、煙草を吸う。瀬戸内海が見える。志賀直哉もまたこの景色を、ただし、対岸の小さな島の工場や大きな橋、そんなのは違ったかもしれないけれども、でも、やはりこの景色を見ていたんだろうな、と。神様と同じ視点に立てる、なんて少し大袈裟なことを真面目に思う。
この眺めが尾道のハイライトだと思う。季節によっては、庭の木に小鳥が来る。小鳥のためにミカンが枝に刺しておいてあるから、小鳥はせっせとそれをついばんで、煙草を吸うわけで。

海と山の近い町には坂があって、長崎でも神戸でも、かなり気持ちの良いところがある。
けれど、ウシュアイアほど、尾道を彷彿とさせる町はない。そりゃ、僕が勝手に彷彿としちまってるところもあるけれど。

志賀直哉は結局、尾道にはあまり長くはいなかったし、「暗夜行路」の完成までに十年だか、とにかく長くかかった。
ウシュアイアで最近僕が綴っている小説もそのくらいの期間がかかるだろうか。
できればこれでプロの座を取ってしまいたい。

今日も軍艦にかもめ眺めて、うきうきしつつ。昼前から赤ワイン。
いろんな人が次の旅先へと、もしくは日本へと。
寂しいような何というか。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 23:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空回る僕には、もはやあいつは別人みたいだね

日記を書きにインターネットを拾いに来たのに、不思議と何を書こうという気も起きない。珍しい。むしろ、少し大きめの画面に打ち慣れたキーボードで小説でも書いてしまいたい。

綺麗な景色の町に安い酒に煙草、最近はオーブンでお好み焼きみたいなものを作っているんだけど、これが美味い。そりゃ、粉物にソースとマヨネーズかけりゃそれなりに美味いのは当然なんだけども。
まあ、文句のない日々だろう。
だけれども、どうも退屈だ。
セントロ、町の中心の方にCDでも見に行こうか、綺麗なマテ茶のカップが安く売ってないだろうか。海辺で煙草を吸っていたら、上手いことカモメが近くに降りて来たりしないだろうか、少し値段は高いけども元刑務所の博物館でも行ってみようか。何なら近所の山にジョギングでもしに行ったって気持ち良い。
だけれど、どれもどこか空回る感じがする。いや、実際にやってしまえば気持ち良いのだろうけれども、やろうとした瞬間、いら、やろうと思おうとした瞬間で既に歯車が噛み合わなくなってしまっている。
お酒が足りないんだろうか。
そんな馬鹿なことはなかろうよ。

これは旅に飽きちまったんだろうな、と思うんだけれど、じゃあ、日本に帰って、故郷に帰って、何とかなるのかっていうと、そりゃまあ安心感はあるだろうけれど、やっぱり今の空回る感じってのは同じだろうと思う。

ふと目を上げたところに、気の狂ったように大きなハンバーガーの写真があった。いや、いつもインターネットをしに来ている、このショッピングセンターの、この席から見える、いつもと同じ風景、同じハンバーガーなんだけども。
本当に馬鹿げているんだけれど、急に歯車が噛み合う感じがする。
だけれど、お金はそんなに持ってもいない。目を細めて、値段を見ようとするけれど、見えない。どうもサングラスを失くしてから、目が悪くなっている気がする。
食いたい。
ジャンクな食べ物が。
あの馬鹿でかいハンバーガーを三つ、つまり三人前にコーラを1.5リットル。かなり幸せだと思う。

まあ、そんなもんか。

宿に帰って、ビールにてんこ盛りのご飯でも食べちまおうかな。
でも、多分、写真のハンバーガーを今すぐ買って食う、あの一口目の喜びには遠く及ぶまいよ。

本当ね、チャリの日々なんてのは一瞬で、それこそサドルから離れた瞬間に遠い過去になっちまうもんだな。
だからこそ、みんな延々といつまでもどこまでも漕ぎ続けるんだろうけれど。
もうちょっとくらい普段の日々の方にもおこぼれがあっても良いのにな、なんて。
今の僕は別に普通の海外ニートだけど、やっぱり、少し前の自転車で前に進み続けていた頃の僕ってかっこよかったし、凄かったな、なんて自分で思う。もう別人のような気さえする。

まあ、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 04:06| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月25日

バランス棒を

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昼前に起きて、お好み焼きを作って、少しだらだらしてからサイクリングへ。

町から海岸沿いを三十分ほど自転車で走ると道が終わり、かつての灯台跡に着く。町の切れ目あたりからアスファルトが途切れ、風は徐々に強くなり、灯台に着くころには台風のような風になっている。まあ、この風には慣れた。町の方を振り返ると、上から順に、灰色の中に白い光を透かした雲、残雪の岩山、森林限界、ウシュアイアの町、深い緑のような海、強い風で終止白い波があちこち、対岸の人間の住まない島、(実はプエルト・ウィリアムスって小さな町もあるんだけど)、その前をペンギンツアーのクルーザーみたいなのが浮かんでいる。こんな風の中、あんな船に乗ると、オールマイティに乗り物酔いする僕は間違いなくゲロまみれになるだろう。狼みたいな顔した野良犬がてくてくやってくる。
一人、ガソリンバーナー出して、お外コーヒーの会を始める。ガソリンバーナーは風にもめげず炎を上げるのに、コーヒーの粉が風でコップの底から巻き上がる。日本から持ってきた貴重な香味焙煎がどんどん飛んで行く。
日本のインスタントコーヒーはうまいのはもちろん、湯によく溶ける。すごい。

ぼんやりと、ただ、ぼんやりと日々を過ごしている。
クレジットカードが止まってしまったので、日本に帰ったら、シャキシャキ働かねば。
オーストラリアと東南アジア行きたい。
もちろん、チャリで。

シャキシャキ。ぼんやり。

二杯目の珈琲がすっかり冷めてしまった。町に帰ろう。そう、「帰る」のはやはり「町へ」なのだな。

宿でベッドに転がって、グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲を。野宿の時には、iPhoneの電池のある限りはいつも聴いている曲だけども、普段は聴いたり聴かなかったりする。宿では、むしろ、ビル・エバンスみたいなジャズが増える。
ビル・エバンスにせよグレン・グールドにせよ。
そういう良い音楽を聴いていると、じんわり感動みたいなものが湧いてきて、クラシックギターを弾いたり部屋で珈琲片手に古本屋で買ってきたは良いけども積んだままになっている本を読んだり、そうしてゆっくり執筆を、つまりは定住の暮らしがしたくなる。
良い文化が、僕に良い小説を書きたいと思わせる。
そういったもののおかげで、僕はこれまでも、これからも、何とか地面から糸を切らずに、生きて行けるんじゃないかな、なんて。
でも、やっぱり自転車にはちょいちょい乗って、どこか遠くを目指してしまうだろうけども。人里離れて、無人の地平線で少しばかり危うい安心感みたいなものにひたっちまって。
でも、そっちはそっちで必要なのだ。

まあ、ラインを上手く保ってやっていきたい。
僕にとって、自転車にお外珈琲、それに小説なんかってのは、バランスの良いラインの上を歩くためにとても重要なバランス棒みたいなものかもしれない。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 05:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月24日

ジューゴさんが出発を、びえん、びあーへ、で。

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ジューゴさんが出発を。みんな次々と出発する。バイクを見送る先の山には雨を含んだような色の雲がかかっていて、頑張れ、お気を付けて、びえん、びあーへ、と。

ユウスケさんは自転車乗りで、随分いろんなルートをやっている。持病があるので、三ヶ月以上はできないそうで、世界一周はしたくてもできない、それでも旅を続ける、凄い。
でも、海外自転車は今回が最後だと。どうしてもやりたいことがあるんだ、とのこと。自分は十分楽しませてもらったから、次は自分が楽しさを受ける方じゃなく、楽しさを出す方に行きたいのだ、と。
若い頃は刺激を求めて旅をしていたのが、28歳の時、インドを自転車で走った頃ぐらいから変わったそうで。

ジューゴさんも実は若いけれども、旅の後には今回の写真を東北の小学校をまわってスライドショーしていく話も来ているそうで、ジューゴさんは日本ではカメラマンなのだ。

そうして、何かを広げて行く人ってのは明らかに僕よりも何段階も先を行っている。
別にどれだけきつい道を行ってるとか、何回強盗に遭ったとか、つまりヤバイ経験の回数、武勇伝の数、そういうのは僕は興味がなくって、むしろ、その人がどんなところに向かってるのかってのが大事だと思う。

まあ、その点、僕はまだまだなもんで、どうやったら面白いことができるだろう、良い小説のネタはどこに転がってるだろう、どうやったら女の子にモテるかね、今日の晩飯を美味くするためにはどうしよう、料理の上手な人いないかな、あー、お好み焼き作ろうかな、質素に米たこうかな、雨で大して動けそうもないし、まあ、とりあえずワインでも飲もうか。で、どうやったら女の子にモテるだろう。
そんなもんだから、まだまだだ。
まあ、真面目な話、僕は僕のことしか考えられていない。女の子どうこうじゃなくって、何事もまだまだ外につながっていない。
まだまだなのだ。

かと言って、意図的に僕は今日から賢人さ、なんて具合になるのも変な話だし、無理がある。不意に訪れるきっかけを見逃さないように、とりあえずは、まだまだなりに一生懸命やってみるしかなくって。

旅をすりゃ良いってもんじゃなくって。
でも、やっぱり旅をするって良いもんだな、いろんな人に会えるし、いろんなものが見えるし、いろんなことを考える、ってわけで。まあ、旅しなくてもいろんなことは毎日あるんだけど。
ふふん。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 00:40| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

黄金時代を求めて

日記を書くものの、Wi-Fiを拾いに行くのが面倒で、まあ、放置されやすくって、まあ、その辺も海外の臨場感で。
書いてない内にすごいチャリラー二人が来たりもしてる。
今日ってのも実は昨日だったりすることもある。
まあ、それはそれでいい。

今日もてくてくと氷河を見に。先日とは違うメンバーで。
ハイキングにせよ、チャリにせよ、日本ではいつも一人なのに、世界の果てではいろんな人と行く。

ずっと前に、多分半年くらい前か、シェルパの友達との山小屋の日々の中で、言語ができない方が実は人間ってのは分かり合える、いや、分かり合えるなんてのは有り得ないけど、互いに優しくあれるようなところがあるみたいなことを書いた。
少しばかり違うけれども、人間、少しばかり離れている方が良いのかもしれない。世界の果てぐらいで会って、それきり会えるかも分からない、そのくらいの距離というか環境、そんなのは大事なのかもしれない。
適度な不足ってのは大事なんだろう。
そうだそうだ。

入れ替わり立ち替わり宿の旅人が変わっていく中、僕はぼんやり煙草を吸って、何ぞ書きたいものだけど、ワインを飲んで、ビールを飲んで、財布の心配を時々しながら、世界の果てに、旅の終わり、これから先の人生に、フエゴ島の雨音を聞きつつ、やっぱり煙草を吸っている。喫煙所の屋根はトタンみたいで、パタパタよく響く。

地平線で煙草を吸った日々がすでに懐かしく、あの日々は僕の黄金時代だったのかもしれないな、なんて思ったりもしつつ、何、あれで黄金時代なら、まだまだ黄金時代やれるじゃないか、やってやろうじゃないか、なんて思いつつ、僕だって普通の人間で、普通の暮らしも当然したくって、それでも、また自転車に乗っちまうんだろうな、なんて。

雪景色が見たいな。
ガチガチ歯を鳴らしながら、日本海眺めて自転車こぎたいな。
金、あまらないかな。
余らなけりゃ、ぬるくバスで帰っちまえるから、それはそれで良いけども。ふふん。

そんなこんな。


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posted by ちょろり at 00:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

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南極まで千キロ。近いものだな。曇り空に船がぷかぷか泊まって。

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posted by ちょろり at 05:39| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

南極への船を見送って

南極船で行く友を見送ろうかと思って、港に来てみるものの、どの船なんだか分からないし、乗船券が無くちゃ、船の近くまで行けもしないらしい。

幾艘も船が浮かんでいて、大きかったり、小さかったり、様々だけれども、多分、二番目に大きな船に一人と、三番目に大きな船にもう一人と友はいるんじゃないかと思う。一番大きな船には友の財布じゃ足りないらしい。それでも、友の船だって、僕にはとても払えるような金額じゃない。
友の乗るだろう船は、二艘とも、赤が年月で茶けていっているような色が下半分、上半分は白でところどころ茶色く薄汚れている。

まあ、船を眺めていても分かりゃしないだろうから、町に行き、銀行の機械をいじってると、案外、残高がある。それで、帽子を買うことに。安くもなけりゃ、高くもない、なかなか洒落た帽子を先日見付けておいた。
そうしていると、南極へ行く友、全身ラスタカラーにボリビアパーマのシンさんに会う。相変わらずの格好で南極に向かうらしい。なかなか良い。僕は南極に行くなら、アロハシャツで行きたい。好きな格好をして、好きな大地に行く人は良い。

シンさんは一種の自由人、やさぐれタイプのバックパッカーだけども、とても親切で良い人だ。何よりも美容師をしていて、自分の仕事にすごく誇りを持っている。美容師は右手が命だからできるだけ使わないように、今回の旅行のために箸とか鉛筆は左手で使えるように練習したと。ただ、やっぱり難しかったらしい。あと二年ほど旅したら帰国して自分の店を持ちたい、と。
僕自身は仕事もロクにしてないけれど、仕事に対して熱意のある人は素敵だと本当に思う。旅人には、仕事は嫌いって人が多いけれども、やっぱりそういうのってちっと寂しい。良い目をしている旅人ってのは、旅の向こうに何かしらの目的みたいなのを持っているように思う。その目的のためだけに旅してるじゃなくても、この旅の次にはこういうことをしてみたいな、っていうのがある。
やっぱり、どこかに向かって進む人ってのは良いもんなんだろうな。
シンさんは別れ際、しっかりと握手してくれ、ラスタカラーでてくてくと去っていった。

そのまま港のゲートでのんびりと煙草を吸っていると、やっぱり南極に向かうしょーこちゃん、それを見送るエミリアちゃんが来た。
シンさんの真逆でしょーこちゃんは帰国後も延々とダラダラしたいという。
これはこれで、人間として素直だ。
胸を張って、ダラダラしたいと言える人間は少ない。
でも、実のところ、誰だってダラダラしていたいと思っている。
しょーこちゃんが去って行く姿を見送りながら、今日からの食事が心配になった。

エミリアちゃんとチューロス食べつつ、宿に戻る。
今日はカレーの会らしくって、一先ずは食事の心配は解決。

自炊すりゃ良いんだけれど、やっぱり誰かと食べるご飯ってのは温かで良い。

明日は町の逆の方に散歩しようかな。山に登っても良いし。
歩いていると良い。
それでも、何ぞ書いてみようか。

約二十日、結構いろんなことができる。小学生の冬休みよりも長い。
でも、何もしない。
世界最南端では、僕は何もしない。

まあ、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 05:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする