2016年01月31日

イメージの力。

自転車の記事を少し休んで、小説の執筆に取り掛かろうとしたが、やはり小説は難しい。ときめく出だし、設定がさっぱり見付からない。
仕方ないので自転車の記事の方の仕事に戻る。遥かに簡単である。

ただ、ちょっとした悩みとしては、原稿料の請求がちゃんと出来るか不安という点だ。
3000字の記事のライティングの場合、以下にアマチュアでもどんなに安くても2000円が相場なので20万円なのだが、そうなると本職の方の給料と遜色なくなってしまう。
というか、そうなると山小屋行かずに自転車屋続けている方が遥かに儲かる。
というか、ほとんどの仕事と比べても圧倒的高収入になる。

小説の出だし、物語の入り口を掴めなくなってから久しい。
小説や物語は、イメージ、空想の力だ。
イメージ、空想の力は憧れの力だ。
歳を取るにつれて憧れを失っていく。妥協点を見ていく。
或いは憧れだったことに達成してしまうこともある。
憧れだったことが幻想だったと打ちのめされることもある。
憧れには届かないと諦めることもある。
そうして、憧れなくなっていく。
憧れて傷付くのを嫌になっていく。

人生で一番大切な力はイメージの力だ。
これは小説家にしたって、経営者にしたって、スポーツ選手でも、学者やエンジニアでも。優れた能力を持っている人は、強いイメージの力を持っている。成功のイメージを根深く体に彫り込んでいる。
イメージの力が強ければ、常人ではツラくて出来ないことも乗り越えられる。
人生は運とセンスだ。
運が来てくれるまで、自分のセンスを最大限に発揮できる時まで粘れるのがイメージの力だろう。

憧れ続けないといけない。
より良い世界を夢見なければいけない。
こういうことは起こらない、絶対そんなことはありえない。世界はどんどん悪くなっている。
それだけじゃあ、いけない。
もちろん、悲観的な側面というのも大事ではある。
それでも、大事なのは憧れの方だ。少し馬鹿みたいなまでに夢を見て憧れ続けないといけない。

まあ、そんなこんな。
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2016年01月30日

グリーンブック。

ぼんやりとまたお酒を飲みに出かける。珍しく3日連チャン。
何だかんだで3連チャンは年に二、三度程度。
別段、ストレスがどうということもない。なんとなく。
強いて理由を探せば、最近は1日の内に2日が入っている。起きて仕事に行き1日が終わり。帰って執筆で2日目を過ごす。
何なら1日の中に3日くらいまでは入れたって良い。
何時間ではなく、何回1日を過ごすかが大事だろう。仮に4時間であれど1日分の体力を費やすことなら、十分に1日を過ごしたと言える。

出来るだけ多くのことをすべきだ。
もちろん、それぞれのことを疎かにしてはいけない。
それぞれのことを1日分きちんとやり終えて、もう一つ1日分を狙う。そうしていれば、それが普通になる。そうなれば3日目も狙える。

仕事を1日分多くしたければ、半日分しっかりと遊ぶべきだ。
そう、1日を伸ばすなら結局2日半が必要だ。1日だけ伸ばすわけにはいかない。

遊ぶのばかりは本では学べない。
逆を言えば遊び以外のことは大抵本の世界学べる。
本を読むために本は捨てた方が良い。

グリーンブックというものを教えてもらった。これさえあれば、航空整備士試験の一通りのことが分かるそうだ。

やはり飛行機はすごい。
自転車はいくら金を出しても基本が全て書いてある一冊などないし、何冊買っても全ては書いていない。実地で学ばざるを得ない。
グリーンブックのすごいところは、構造力学も材質工学も熱エネルギー工学も流体力学も、なに一つ知らなくても読めるという点だそうだ。
これが所沢の航空整備学校だかの近くの古本屋で安く手に入る可能性があるらしい。
定価で買っても5000円程度らしい。

当然のことだが、若い知識を求めるなら、若者に、なに一つ専門知識を持たない若者たちに機会を与えねばならない。
開発者にせよ何にせよだ。

例えば三菱でもソニーでも日立でも何でも良いが。
工学部電気工学科以外の人間だっていくらか入る。でも、高卒の人間がエンジニアとして入るというのはあまり聞かない。

実に馬鹿げている。
欲しい人間は企業が直接育てるべきだ。教育費で金がかかるなど馬鹿なことを言うが、阿呆みたいに専門学校も大学も新しく立ち上げて、学費ビジネスをしようとしている機関がいくらでもあるのだ。
高卒から拾って企業が欲しい専門知識をどんどん放り込んで。四年生なんて馬鹿なシステムはやめて、必要な基礎学術を修了した人間は一年生でも卒業させて、10年経って修了出来なければいくらでも卒業させず。
何歳からでも意志さえあれば入学できる。

そういう真の職業訓練学校と、純粋なアカデミックを求める大学と両方あるべきだ。

多分そんなことはみんな分かっている。
社会になにも役に立たない人間は飢えるべきだし、役に立つ人間には贅沢を与えるべきだ。
人間は馬鹿なので、鞭を嫌がり贅沢を求める。

彼はいくら努力したのでどのくらいの期間頑張ったので素晴らしい。
そういう馬鹿なことは辞めにした方が良い。
努力なんざゴミだ。
期間もクズだ。
小説を書いてきたから分かるが、いくら努力しようが、どれだけ忍耐しようが。
そういうのは文学賞の選考基準に入るべきじゃない。
ただ、作品のみを見て、世界に押し出すべき人間を日本国内で全力でバックアップするための試験じゃないといけない。

のんきな自転車業界は、平気で設計図とノウハウを台湾に渡して、もはや世界の自転車フレームの8割くらいが小さな島台湾で作られる。

そんなこんな。
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2016年01月29日

巨大ななにか。

風邪で2日ばかり執筆を休んだが、元気になったので再開。
夜に4時間ほどで30枚くらい書くのが良い。やはり夜が集中しやすい。
70%まで進んだ。残り原稿用紙で300枚ほど。あと一週間ほどで終わるだろう。嬉しい嬉しい、実に嬉しい。
取り掛かりたい小説もあるので、早く終わらせてしまいたい。やはり決められた記事、毒が入らないようにコントロールした文章を書くより、毒も何も関係なく暴れるように書くのが楽しい。自転車のことを書くのは楽しいのだが、すぐに突っかかるオタク、マニアの多い世界なので割と神経は使う。
そうは言えども原稿料の交渉次第では出発するまで書きまくってしっかり稼ぐ予定。

そうやって考えてみると、いつからオレは毒を吐いたり、恥をかくのをそんなに避けるようになっていたのかなと思った。
気に入らないことは気に入らないで良いだろうし、自分が正しいと本気で思うことは続けるべきだ。もし、本当に正しいことであれば続けていれば良い結果になるし、間違っていれば傷も負う。傷を負わないと、本当のところは理解出来ない。テレビでボクシングを見ているだけでは、強くはなれない。
殴られる痛みを知らなければ、パンチは避けられない。パンチは打てない。

先日とある人に無性愛について相談してみた。割と時々深刻に悩んでいるのだ。
考えてみると分かるだろうけれど、愛のない人生は寂しい。好きだと思ってみても、実のところ単に友人として好きというだけで、人として愛せないという本性みたいなものが見えたら誰でも悲しくなるだろう。
「考え過ぎだ、深く考えるな」
と言われればそれまでかもしれないが。

仏教系のことに詳しい人で諸行無常みたいな教えを受けた。
決して人間として異常なことではない。そもそもに我々の肉体も精神も実のところ我々のものではないのだよ、と。
気だとか流れみたいなものの一つの状態として我々は存在しているだけで、肉体も精神もやはりそういう流れる何かだそうで。
何か難しいことを言っていた。

哲学や宗教に解決を求めても、上手くいかない気もするが、
「考え過ぎだ、深く考えるな。楽しく行こうぜ」
と言われるよりは遥かに救われた。
人間生きていれば、そういうことも起こりうる。別に乗り越える必要はない。ただ、心静かに修行をすれば、そういったことに心を乱されることも減る。
ニヒリズムとは違う。否定の意味で全てのものが移り行くというのじゃなく、すべてのものを受け入れるために諸行無常を感じなさい、という話だった。

そう、人生には問題が起きる。
しかし、それもまた巨大な何かの流れの一つの状態に過ぎない。自分もまたそういう巨大な何かの一部分に過ぎない。
良い悪いじゃなく、心静かに感じ取りなさい。世界に対して尊敬を抱きなさい。
とのことだった。

神の存在。超越的何かの存在。
そんなこんな。
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2016年01月27日

腹痛。

昼過ぎから急にお腹が痛くなった。謎の腹痛。腹ではない。酒の飲み過ぎでもない。飲み過ぎで痛くなるのはもっと胃のあたりだ。横隔膜あたりが変な痛み方をする。
夕方になると座っているのも辛くなって、家に帰るのもしんどくなって、裏で眠る。
でも、何でだかこの痛みには覚えがある。昔もなったことがある。
記憶を辿っていくと幼少期に同じ痛みになったのを思い出した。大変な病気かもしれないとなって夜に病院へと行った。
当時、私の母は非常な癇癪持ち、ヒステリー持ちでいつも酷く叱られていて、私はいつも母を恐れていたが、その時は優しかった。
夜の救急で着いた病院は暗かった。レントゲンが青白く光っていたように思う。
どこまで進んだか分からないところで、急に腹痛がなくなったのを覚えている。

それによく似た痛みだ。非常に説明しづらい。ズキズキするわけでもない。何かが腹の中に住んでいるような、胃液でもない、変な唾液のような液体が喉の奥に上がる。
幼少期にはよく風邪にかかったが、他はそんな風にはっきりとは覚えていない。

その記憶のせいか今でもよほどのことがないと病院に行かない。非常に恐ろしかったことを覚えている。阪神大震災の時も恐ろしかったが、もっと超感覚的な妙に心に直接刺さるような恐ろしさだった。大人にもなれば、さすがに今は病院が怖いとは思わない。だが、何か自分にとって良くない場所のような感覚があって、近寄らない。
医者を目指していた頃があり、それが上手くいかなかったトラウマだからだろうか、などと考えたりもするが、よく分からない。

体調を崩すと不思議と幼少の頃を思い出す。地震の前の事はよく覚えていないはずなのだが、折に触れて感触みたいなものだけ思い出す。
例えば鉄を噛む夢の話や、空気を蹴る夢の話だ。そういう夢を昔から今でも時々見る時期がある。何かを思い出したようにその時期は来る。
具体的にどういうものとかじゃなく、手で触れたような感触、におい、味、痛みそういう感覚が直接頭に流れ込むような具合だ。

それらの幼少期の記憶というのは非常に恐ろしい。何が怖いのかは今でも分からない。誰とも共有することは一生出来ない、説明も出来ない恐怖。
恐らく、たいていの人はそういうものを大人になるにつれて忘れるのだろう。自分はどうしてもそこから離れられない。或いは意識しないうちに頭の中で消している本当に恐ろしい記憶というのがあり、その周辺の記憶である幼少時代の記憶というのに恐怖を覚えているんじゃないか。
そんなことを考えてみるのだが、分からない。分かるわけがない。

得体の知れない痛み。今も緩やかに続いている。
胃腸が悪いのか試そうと食事をしてみたが、どうも食事は問題ないらしく、特別にキリキリ痛むなどということはない。

キリキリでもう一つ思い出した。同じ痛みだ。これもやはり病院に行った。どう痛むか母に聞かれた覚えがある。キリキリ痛むのか、と聞かれた。キリキリ痛むというのが分からなかったので分からないと答えた。
その会話は幼少の頃とは違うだろうと思う。もう少しいろいろなことに分別が付いた頃だったろう。
同じ痛み方だ。

死にたくないなとは思うけれど、案外、このまま明日の朝にぽっくり死んでいれば幸福な気もどこかある。不謹慎ではあろうが、誰しも苦しまずに死にたいと考えることはあるだろう。日々に疲れてしまっていて、何か楽しいことはないかと思うけれど、さほど楽しいことなど起きない。或いは起きても子供の頃のように素直に楽しめる心はすでに失われていると分かっている。

それは、今の若者たちにありがちな話だ。いろんなことに絶望することに慣れてしまっている。希望を持たないことに慣れてしまっている。
そうかもしれない。案外、ありふれた若者なのかもしれない。

米軍機が深夜なのに飛んでいる音がする。

そんなこんな。
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2016年01月26日

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今日は休みだったので、16時間ほど延々とパソコンの前に張り付いて例の自転車の記事を書き進めた。
アップルミュージックでペンギンカフェオーケストラやらNEU!なんか聴きつつ。途中で風呂に入ったりしつつ。6回ぐらいご飯食べつつ。
昨日と合わせて15本ほど進んだ。原稿用紙にすると150枚程度と考えると、悪くない速度。小説と比べればアイデアを考える部分がないので非常に楽ではある。さすがに2日で小説を150枚書くのは無理だと思う。

ペンギンカフェオーケストラは非常にリラックス出来る。クラシックと少しテクノみたいな要素を上手く混ぜ合わせたようなとても素晴らしい音楽だ。
ペンギンカフェオーケストラみたいなアーティストはもっといても良さそうに思うんだが。或いはもっと電子音的要素とアコースティック的音楽要素を綺麗に混ぜ合わせたようなアーティストか。意外といない。もしくは、僕が知ることが出来ない程度にひっそり存在してるか。

記事を書いていると、ただ読みやすさばかり考えて書いてしまう。読みやすさは大事ではあるけれど、読みにくい文を読みたいと感じてしまう。

右手で塗って、左手で拭き取る。
バランスが大事。
ってベストキッドで言ってたな。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 05:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月25日

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ああ、昨夜は胃が痛かったのか。
前日の日記など読み返しはしないが、下書きを上書きして書いていくので、一瞬だけ目に入る。

胃は至極健康である。多分。
単に睡眠が浅くて短いから疲れているのだろう。体調が良くない日がちょくちょく来る。
でも、今日は実に体調が良かった。
昨日がぐっすり眠れた記憶はない。
でも、昨日は久し振りに執筆の途中でどうにも眠くなって途中やめにした気がする。
そういえば、昨日は早く寝た気がする。
だから、体調が良いんだろうか。

最近の考え事は今日何本書けるか、ということばかりで面白みがない。
記事じゃなくて小説を書きたいと思うことも多いが、記事の方はしめきりが厳しい。

今日はある程度盛り返せた。本当にこの、シュゥタ様で、店の売り上げは難しいにせよ、装甲会に来てくれるひとを増やすよりは。

そんぬこんな。と

ねむい。
そんなこんな。
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2016年01月24日

胃が痛い。

今日も胃の具合が悪い。実に体が弱っている。延々とパソコンに向かって書き物なんてして、気晴らしに酒を飲みに出ていれば、当然、そうなる。よろしくない。
締め切りがあるというのが、慣れていないせいか変に神経が疲れる。
文学賞の締め切りなんかは、あれはあってないようなものだ。別に出せなくても、似たような賞は年間いくつかある。翌年もあるわけだ。実質、随時受け付けているわけだ。

小説と違って記事のライティングの場合、ネタ切れには困らない。指定のテーマについて書けば良いのだから。
逆にいつでも出来てしまう。
それで時間さえあれば延々と書く。

締め切りなんてのは、早く終わらせてしまって、さっさと遊ぶのが良い。
作家の模範的回答としては、締め切りはギリギリまで粘ってとことん練り直して作品を完成させるべきものだ。
芸術家なら、締め切りのある仕事なんて出来るなら受けずに、締め切りに縛られずとことんまで作り込むべきものなのかもしれない。
僕の場合、さくさく書いてどんどん書いて。
そう、どうしてもゆっくり練って書きたいものについては一人でこっそりコツコツ時間をかけて作れば良いと思っている。
文もいろいろあるからね。

しかし、胃が痛い。

まあ、そんなこんか。
posted by ちょろり at 04:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月23日

1。

水っていうのは素晴らしく美味しいと思う。
書き物を溜めてしまうと、不思議とお酒を飲んでしまう。
誰がどう考えても非効率的だ。1秒でも多く書く方が効率は良い。僕もそう思う。
じゃあ、お酒を飲むのは僕の心の弱さなのか。そうとも思えるし、程よい速度にギアを温め続けるコツだとも思っている。
そういう中で飲む一杯の水がすごく美味しい。それまで飲んでいたどのお酒よりも純粋な水。

水には変な甘さがある。
砂糖なんかが溶けている水以上の鋭い甘さがある。

水の本分は冷たさにあると思う。
しかしながら、冷えすぎていてはいけない。
どうしたってアルコールを飲んでいる時には氷の入った水が美味しく思う。
でも、そういう水は本分ではないだろう。
15度、厳密に言えば16度じゃないかと思う。
冷た過ぎもしないし、ぬるくもない。明確に冷たいと感じられるのに、それより冷た過ぎることもない。

ほとんどの自然界の物質にそういう適切なる温度というのがあるように思う。
例えば25度の豚肉を暖かいとは思わない。冷めた豚肉だ。25度の水は冷めた水とは呼ばない。25度の人間は冷たくなってしまった肉塊だ。25度の鉄は熱を帯びた鉄だ。

数字通りには行かない。

数字こそ神様とされる数学の中では、意外とそういう区分けが明確にされているのも面白い。
物理の場合には単位で区分けする。100mと100cmは全く違う。しかし、数学で面白いのは1と1をきちんと区分けしている点だ。
1はどこにあるのか?
10の1と100の1というのは明確に違う。同じ1なのに。
これは、10を法とした時の1の話と通じる。
1≡11≡91≡231(mod10)
なんて表記する。

とことん明確に1を示すのが数学の特徴だ。
なぜって数字以外の言語を持たないから。kgやmmなどを数学は持たないから。

厳密性という意味では数学は鋭い。

でも、世界の中で厳密性とはどういう意味なんだろうか。

水の甘さというのはそんなところにあるんじゃないかなとぼんやりと思う。

残り半分までやっとこせやってきた厳しい記事の執筆の仕事。不思議と楽しく、延々とキツイ。
それでも、自転車屋としての最後の仕事、自転車屋として身に付けた僕の知識の集大成というように思う。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 21:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月22日

頭痛。

焼酎のせいで頭が痛い。
それでも、何とか今日も書くべき原稿は完成させられた。
頭が痛いと読み返しがしんどい。
ブログと違ってお金をもらう記事の執筆は、最低一度は読み直さないといけない。

そう、今回の記事執筆の仕事を受けて良い点は読み直しの習慣かもしれない。そう言いつつの日記は絶対に読み直さないのだが。
頭が痛かろうが一本書いたら必ず一度は読み直す。
提出前に全ての最終チェックはする予定だが。いや、しないかなぁ、原稿用紙1000枚なんてのは書くのも大変だが読むほうがよほどしんどい。

ああ、頭が痛い。死にそうだ。嘘だ。でも、本当にすこぶる頭が痛い。ああ、ねむろう。
ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 04:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月21日

ゴールデンバット。

昨夜はシーカヤックの話を聞きに出ていた。
シーカヤック、素晴らしく良さそうな乗り物だと思う。
シーカヤックがあれば、陸は自転車、それ以外はシーカヤック、人間が生きられる場所の全てをまわれる。

今夜は木村くんの自転車仲間の会に出掛けていた。楽しい会だった。

タバコをゴールデンバットに戻した。また流浪の日々に戻るのだから、日々のランニングコストから戻していかないといけない。
昔、ピースを毎日なんのためらいもなく買える日々っていうのを夢見たことがあった。別にピースなんてさほど高いタバコじゃない。普段は青いハイライトを吸う。420円。高校の頃は250円だった記憶がある。途中で270円になって300円、気付けば420円だった。ピースは今は40円ばかり高い460円。

たかだかその程度の値段、サラリーが入るわけだし、酒を飲みに出掛ける金があるなら吸えば良いじゃないの。
全く僕も同感なのだが、なぜかタバコに関しては、ピースを買う時にはどこか遠慮してしまうのだ。

実際にはハイライトよりピースの方が燃焼時間が長い。香りも良い。タールもニコチンも重い。
結局安上がりに済むのはピースなのだ。
でも、なぜかピースは高級品のような気がする。

大学にいた頃はゴールデンバットばかり吸っていた。
当時は一日に二箱吸っていた。よく吸う日には3箱吸っていた。暇さえあればタバコを吸っていた。タバコを吸う以外に他にやることがないのかというほどにずっとタバコを吸っていた。
それでゴールデンバットばかり吸っていた。
それに太宰治もゴールデンバットが好きだった。

サラリーマン始めてからしばらくの間もゴールデンバットだった。給料が少し上がってピースやハイライトを吸えるようになった。今でもなぜかピースは高級品のような気がしてハイライトを買ってしまう。
それでも、またゴールデンバットに戻るべき時期かもしれない。

それでも、個人的にはゴールデンバットを吸ってる自分っていうのが一番手放しで好きだったりもする。
いつかピースを気兼ねなく。
どんなにお金持ちになっても、不思議と難しい気もする。

寝る前に例の書き物をひとつやっつけて。明日も頑張るのだ。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:04| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月19日

あしたも。

休みだったので昼過ぎに起きてトマト鍋を作ってから、また執筆。やっと40本まで来た。十日で40本なので一日4本程度のペース、1日16000字程度か。なんやかんや、毎日6時間くらい書いている。もちろん、仕事は仕事できちんとしている。
まあ、我ながらよく頑張っている。受験生並みに頑張ってると思う。
でも、受験生と違って、僕には受験生ほど明るい未来は待っていない。別に暗くもない。ただ、未来は未来である。明るいも暗いもなかろう。

昔は一晩あればもっと書けたと思うのだが。集中力が落ちたのか、あるいは元々そんなものか。
出来れば50本くらいまで進んでいてくれれば気が楽だったのだが。
残り60本。道は険しい。
100本書いたら本当に20万円くらいもらいたい。いらないけど。
お金をもらっても何となく困るような気がするのだ。

昨夜、バーで女性に関するお話になった。
最近、女性に関する話をされるとめっきり落ち込む。内心、嫌だなと思うものの、酒場で男と女の話なんてのは基仕方ないことなので、楽しいと思って過ごす事にした。
でも、異性の事についての話が出る度に、いよいよ自分は異性に対してまともな感情が持てていないらしいように思ってしまう。どうも、みんなが異性に対して思う心とさっぱり違うようなのだ。
本能的なレベルの話で、僕はそこまで深く女の人を求められないのだろうかと。

まあ、眠いので眠ろう。
明日も頑張って書こう。
きっと明日も何か良い景色が一つくらいあるだろう。
そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月18日

ゆきのふっさ。

例の執筆をしてから、翌日が休みなので福生へと久々に出掛ける。
雪が降っていた。
福生なら雪が降っていて2時前でも、あの店なら開いてるだろう、と。

別段重要な話などしなかった。
でも、すごく人間がありがたいと思えた。

帰り道には雪が積もっていた。
雪が降ると暖かくて良い。自転車は乗れないけれど。

ま、そんなこんな。
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2016年01月17日

運と精神力。

仕事後に漫画喫茶に弱虫ペダルの漫画を読みに。自転車の記事を書くのに、指定テーマにいくつか入っているので、勉強がてら。七時間かけて20巻くらいまで。これだけ読めば一応は書くのに問題ない。
少年誌らしいアツイ漫画だった。
ただ、自転車に関してはデタラメ過ぎた。
まあ、良いのだ。漫画だから。

スポーツ漫画のように人生はなるのか、と言うと、案外なるものだと思う。
だいたいの物事は運と精神力が決めるのだ。忍耐や努力、技術ではない。
忍耐や努力、技術も大事だが、最終的には運と精神力だ。
裏を返せば、忍耐、努力、技術などはやって当然のことで、最終的には運と精神力。
世の中っていうのは理不尽だ。

弱虫ペダルという漫画はなかなかに冷酷な漫画で。
高校の自転車競技部の漫画なのだが。一生懸命幼少からすこぶる練習を積み重ねて来た選手が、あっさりロードバイク三ヶ月の主人公に負けてしまうのだ。
漫画なのでフィクションといえばフィクションだが、スポーツの核心とも言える問題だ。スポーツに限らず勉強でも何でも、競争の世界ではよく起こる理不尽だ。

ちなみに、そういうことは実際の世界の自転車競技でもよく起きる。
実際に、謎のオタクの高校生、ロードバイク歴1年未満の子にレースで負けてしまったこともある。その子は登り坂に関しては神掛かって速いのだ。いくらか練習もしているだろうが、走行距離なんか考えれば、やはり圧倒的に僕の方が多い。それでも、あっさり負けるのだ。
その少年は一口に言えば坂を速く走れる運を持っているのだ。

努力にせよ、忍耐にせよ、技術にせよ。
最後の勝負どころに持ち込んだら、あとは運と精神力。
運というやつばかりは、実際のところどうにもコントロール出来ない。
努力がうんたらとは言えど、努力出来る環境に入れるのがそもそもに運だ。
弱虫ペダルの場合、そもそもロードバイクを手に入れられる環境を引き寄せる運が最初にありきだし、練習メニューや何やかんやにしたって、教えてくれる人が現れるかどうかはやっぱり運だ。

それでも、自転車競技の場合、持久系のスポーツなので、トレーニング、努力の比率は大きい。

野球なんていうスポーツがすごく分かりやすい。
野球は本当に理不尽なスポーツだ。
ボールを投げるにせよ、打つにせよ、努力と最初から持っている才能で言えば圧倒的に才能の要素が強い。丸いボールを円柱のバットで打つのだ。いかに振りが鋭かろうが当たらなくてはいけない。
バットコントロールが上手くて良い当たりが出来ても運が悪ければ野手の正面に飛んでキャッチされてアウトだ。
どんなにすごいプロ選手でも3割打てれば良い方なのだ。

もちろん、練習は大事だ。
努力、忍耐、技術は大事だ。
でも、それよりも遥かに運が大事だ。
だから、野球観戦というのは面白い。不確定要素が多過ぎる。素晴らしいプレーはタイミングと運が重なって初めて生まれる。
生のホームランを見れば、野球を全然知らない人でも感動できる。
最高の技術を前提とした、最高に運の良い瞬間だからだ。
その景色は観る人を感動させる。

自転車競技やマラソン何ていうのは運要素がどうしても少ない。途中で何かトラブルが起きることもあるが、速い選手は速い。好調、不調はあれど、ある程度の速さがある。
野球みたいに四番打者が何試合も一本もヒットすら打てないなんてことはない。

四番打者が一本も打てないからといって、努力不足なんてことはない。

最近の風潮としては努力こそ素晴らしいという考えがあるが、はっきり言って努力自体が素晴らしいわけではない。努力から導かれる結果次第なのだ。
別に一位になれば素晴らしいというわけじゃない。
何事かを努力する。レースには勝てないとする。それでも、その努力を通じて得るものがあば、それはとても素晴らしい結果だ。

努力と結果はイコールではつながらない。
こればかりは仕方ない。
運と結果は、限りなくイコールでつながる。

努力はありきの話でもあるし、努力は運を引き寄せるためにするものだという話でもある。
たまに自分のことを努力家だという人がいる。
言葉は悪いが、ちょっと馬鹿だと思う。
本当に努力する人間は自分のことを努力家とはあまり言わない。
努力してますよ、って言葉の前には(結果は出ませんでしたが)というニュアンスが入っている。
努力したからここまで来れた、っていうのはズレている。

自分の努力に感謝してる時点で駄目なのだ。
神や周囲の環境なのだ。自分一人で何かして来れたなどということなど、ほとんどの場合ありえない。誰かが支えてくれていればこそだ。環境だ。そこへ導いてくれた、或いは与えてくれた神、そういうものを引き寄せる運なのだ。そういうものへの感謝なのだ。
そんなわけで自分のことを努力家と言う人はちょっと頭のネジが緩い人が多い気はする。

もちろん、努力は必要だ。
努力を積み重ねた上にチャンスは来る。でも、最後は運なのだ。神への感謝なのだ。

だから、運と精神力なのだ。
不確定要素の大きい運をどこまで信じて実行できるかが精神力なのだ。精神力がなければ運は来ない、いや、運が来る前に自分にはできないと諦めてしまう。
他人がどう言おうと正しいと感じることは強い精神力で持続して、運が来た時にしっかり、つかむ。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 04:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月16日

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昨日は一本も書かず。上手く休めた。お酒も楽しかった。

でも、今日も飲みに出掛けた。それでも、ちゃんと4本書けた。我ながら、あれだけ飲んで、よくあっさりシラフに戻して文が書けるものだなと感心する。
それ以上に昨晩あれだけ酔っていても、一応は日記だけは書いてから眠っていたのに驚く。
僕は昨日以前の記憶がよく抜ける。ほんの数秒前の記憶もよく抜けるが。

何事かをそれなりの期間継続する際に最も大事なのは休みの取り方だと思う。
一週間程度であれば休みを取らなくてもやっていける。一ヶ月以上の仕事となると、休みを上手く取らないとキツくなってしまうことが多い。

問題は休みを取る瞬間も難しい。
休むってのは怖い。未来の自分にツケをまわしてるわけだから。

しかし、それ以上に難しいのは休み明けの一日だけろう。
筋トレと同じ。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月15日

シラフの人間。

例の自転車百本記事。
今日はひとつも書かないことにした。絶対に書かない。
先日、今日こそ書かないようにしようと決めたけれど、結局朝近くまで書いていた。
今日は一切書かない。酒を飲んでただ気持ち良く変えるだけ。

書かないのはとても簡単だけれど難しい。
夏休みの宿題のようにはいかない。
心から社員の人がみんな週に一本、しかも下書き程度で良いから書いてくれたらすごく楽だと思う。
本当にしんどい。

でも、受けた。
いくつか理由がある。
まず、恩義の話だ。
僕は学歴がない。職歴もない。はっきり言って世界で僕を使ってくれる職場なんてのは本当に少ない。
そういう僕に普通の人と同じくらいの給料をくれ、僕の仕事を色眼鏡なしで評価してくれた。
だから、この会社の社長には恩義がある。
出来ればいくらか原稿料も欲しい。
でも、一円もくれなくたって、書いて欲しいと言われれば書く。
恩義とはそういうものだと思っている。

次に単に節約のため。
文を書いていると金を使わなくて済む。文を全般的にコントロールしようと思うと酒は飲んでられない。

それから、単に書くのと、自転車が好きだから。

最後にアフリカ行きの援助をいくらかしてくれるかもという腹黒さもやっぱりいくらかある。

全体的に自分の人生の中で、今すべきことと感じられるだけの仕事なのでやっているし、そういう仕事に締め切りに遅れるのは自分が許せない。

仕事というとサザエさんが悲しくなるようなものを想像する人が多い。
でも、仕事ってのは自分がすべきことだ。
もちろん、自分以外の誰かでも出来るかもしれない。
でも、自分こそが、世界の中で最もそれを今すべき人間である。そういうことを仕事と呼ぶのだ。
誰でもできる、今しなくても良い、そういうのも仕事の中にはある。
でも、仕事の真髄って世界の中で今すべきなのはあなたなのだっていうことのことを言うんじゃないだろうか。

映画館に寄って、ロッキーの続編のクリードを見るがいまいち。
悪くはないけれどどこか違った。

それからバーでロンリコ先生とビールを飲んで。
最近、お気に入りのビレリラグリーンなんか流してもらって。

酒はやっぱり大事だ。
なぜって、そんなこと知ったこっちゃないけど。
お酒大事。付き合いで飲むとかにせよ、一人で飲むにせよ。

人間はシラフの人間が怖いのかもしれない。自分にせよ、他人にせよ。

酔いっぱなしじゃいけないけど、スパーンと頭を一人きりで空にすること。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月14日

かたいこと考えず。

延々と100本の自転車の記事を書いている。
朝起きてパソコンつけてご飯食べながら書いて、職場行っても暇を見つけて書いて、帰ったらまたパソコン付けてご飯食べながら書いて、2時半くらいに眠る。一日3,4本くらい、だいたい一万から二万字くらいのペースだ。
それでも、まだ4分の1くらい。
今回の仕事は実に骨が折れる。

お酒が飲みたい。でも、お酒を飲むと書くのが遅くなるし疲れる。記事を書くなんていうのは特にインスピレーションなんかもいらない。それなりの情報量をある程度のテンポでつなげておけば良い。参考書みたいな文じゃなくて、エッセイに近いような文で良いらしいのでそんな具合で良い。それでもやはりお酒を入れると難儀しそうなので基本的には断酒。

そして、終わっても毎月八十本ペースで公開していく予定らしいので、延々書かないといけない。
さすがに山小屋に行ったら月に五本程度送るのが精一杯だろう。書くこと自体は問題ないのだが、ネットがほぼ繋がらないので調べごとが難しい。一本に千円か二千円くらいで買い取ってもらって五本で一万円の小遣いみたいな具合で。そもそも山に行ってまでパソコンなど開きたくない。

でも、今回の仕事は非常に面白いし、ゆくゆく何かにつながるようにも感じるので出来る限り続けていきたいところ。

実は一本二千円で月に五十本納品としたら、それだけで十万円稼げる。
さらに本職として自転車屋さんに残り続ければ、割と悪くない暮らしも出来る。
正直、松本に行く前にはそういうことも考えた。山小屋にすべきか、チャリ屋を続けるべきか。

松本は本当に良かった。
すごく空気が良い街だ。
何より僕は山での暮らしというのが好きだ。シンプルだ。下らないことがほとんどない。
そりゃ、いくらかは人間関係のもつれなんかもある。
割と似たような性格の人間が集まるから、気楽でもある。
改めて松本の街から北アルプスの山を見ると、今年は暖冬であまり雪が付いていないな、それでもやはり良いなぁ、と。

まあ、あまり深いこと考えず行きたいところに出来る限り行くようにすべきだな、と。

そんなこんな。
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2016年01月13日

まつもと。

松本に行って山小屋の面接を受けてきた。
面接というかちょっとした確認と世間話みたいな具合だったが。以前働いていたので、タテマエ的な面接なのだ。
アフリカの話をすると、「良いですねー、私も昔キリマンジャロ登ってサファリ行きましたよ。良いですねぇ。病気とかライオンとか気を付けて下さいねー」と社長さん。
そういう反応って嬉しい。
「アフリカ?!なんで?!死んじゃうよ?すごーい!」
っていう反応は、実は苦手。

僕の中では、東京の満員電車に日々揺られてる方がよほど、「死んじゃうよ?すごーい!」である。
ほら、そう言われると何だか嫌な気がするでしょう。
人それぞれやらねばならないと感じることは違うので。いかに満員電車で年間何回も痴漢されてでも仕事だから仕方ない、やらねばならない、乗らねばならないという人。いかに危険なアフリカと言えど、人間はアフリカから来てアフリカへ帰るのだから、やらねばならぬ、走らねばならぬという人。
いろいろいたって良いのだ。

ぼんやりと松本に向かうバスの中でうたた寝しつつ、とある女の子のことが頭に浮かんでいた。昔付き合っていた女の子だ。男っていうのは事あるごとに昔の女の子の思い出に浸る。馬鹿な生き物だ。
その頃は僕も真剣にその女性のことを愛せていた気がする。今もその女の子のことはとても好きだ。恋人がいる時期でもその女の子は時々頭に浮かぶほどに好きだ。
でも、付き合おうとか、結婚しようとかは今の僕にはどうも考えられない。アフリカに行くからじゃない。むしろ、どちらかと言えば、そういう考えになったから僕はアフリカに行くのかもしれない。

無性愛者なんてのがある。
同性愛でも性同一性障害でもない。性欲自体はあっても人間を恋愛対象と見ることが出来ない。異性と一緒にいても友人としてでなら良いのだが、恋人として一緒にいるのはツラい。好きは好きなのだが、どうしてもそれ以上には想ない。

別にそんな大それたものじゃなかろう、とは思うのだが。
好きな女の子とはセックスだってしたい。
ん? 本当だろうか?
セックスよりその女の子を眺めながらオナニーをしたいとか、その女の子のオナニーを見たいとか、そういう性癖も世の中には存在する。割とそういう方が近いんじゃないか。
一緒の布団で寝たいかと言えば、本当のところは一人で寝たいんじゃないか。相手が眠りに付くまでは隣にいて安心させてあげたいとは思うが、相手が眠った後、一人でソファで眠る。そういう経験は一度ならずある。
それは実のところ愛してないんじゃないか。愛してないとは当然言えない。君のことは好きなんだけれど、どうしても愛せないんだ。そんなのは恋人じゃない。でも、好きは好きなのだ。しかもすごく。君にはぜひ会いたいし、話もしたい。性的なこともしたい。けれど、多分、この感覚は一般的なそういうのと少し違う。

まあ、その辺は深く考えない方が良かろう。
別に同性愛も無性愛も異性愛も、おでこに文字が現れるようなことではない。日々の生活には支障ない。あるとすれば無駄に気にして悩むことこそ支障である。大袈裟に考えない方が良い。
単に先日の結婚云々のショックのせいに過ぎないさ。
でも、あの結婚云々こそある種の証明だったのではなかろうか。
結局、女の子は野生の勘で僕に異性への愛というものが欠落していることを自分でも意識してないところで見抜いて、僕から離れていくんじゃないだろうか。
ーーあなたはとても良い人だし、優しいし、すごい人の部分もあるけれど、多分、私のことを必要とはしていないんだよ。
これからの人生でまた恋人が出来ることもあろう。けれど、これまでと同じようにきちんと愛するということは出来ないんじゃないだろうか。どうして好きな人を愛することが出来ないんだろうか。それとも愛してるんだろうか。

まあ、考えない方が良い。本当に悲しい気持ちになる。
単にこれまではタイミングなんかの問題だったのだ。良い人は或る日突然に現れるとも言う。あの頃は多分ちゃんと愛せれていたはずだ、きっと。

そんなことも考えつつ。
それでも松本に着くと急に安心した。地方ってのは良い。
面接を終えて、散歩して、酒蔵でお酒買って、松本城眺めて、銭湯入って。
「おさむうございますね」
と昔ながらの銭湯で受付のおばさんが言ってくれた。
小説家のまゆみ先生も松本出身で同じイントネーションだった。信州の訛りはパッと聞くと非常に分かりにくいが独特のものがある。どこか安心感がある。

松本に来たら行くジャズバーでビールを飲んだ。非常に良い音だし選曲も毎回面白い。ただ古いだけとかイロモノとかじゃなく、音楽として聴いて、ジャズとして聴いて面白さのある曲が流れる。

今の住まいを四月頭に手放す。山小屋での暮らしになる。自分の家を持たない。
山小屋で働く人の中には松本にアパートを借りる人もいるが、僕は借りない予定でいる。
家があると多くのものを持ち過ぎてしまう。自転車と少しの荷物を置いておけるレンタル倉庫が一つあるくらいでちょうど良い。
あるいは自分が運べる、身に付けられる以上のものは何も所有しない方が良いのかもしれない。

東京に戻ったらちょうど木村君から誘いがあって少し飲みに出掛けた。
やっぱり東京は人が多い。
独り言を呟きながら散歩するには向いていない。
まあ、それはそれで良いのだ。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月12日

仕事は仕事。

明日は山小屋の就職面接を受けに長野県松本市へと。山小屋にも一応就職面接があるのだ。まあ、以前働いていたのでお互い知ってるので挨拶程度のものだが。

「山小屋の後、どうするの?」
と聞かれると、正直なところ、ずっと夏は山小屋で冬はフラフラ自転車で旅行してるような具合が良い。
そんなので良いのか?と聞かれると、以前は良くないよなぁと考えたけれど、今は割と、まあ、それで良いんじゃないかな、と思ったりもする。

物を売る仕事は、何だかしんどい。
物を売れば感謝もされるけれど、苦情もある。
それくらいならまだ良いけれど、人を詐欺にかけているような気持ちになることがある。
実際には別に詐欺などしてはいない。
ただ、物を売って飯を食うからには出来る限り多くの、出来る限り高いものを買ってもらえるよう努力する。

別になくたって生きていけるもの、その人には不要なものだとしても、買ってくれそうな人にはグイグイとプッシュして売らないといけない。

欲しい人だけ買っておくれ、というスタンスなら商売も楽しい。
自転車が好きな人、僕の組む自転車を愛してくれる人だけどうぞ、って。
でも、そんなわけにはいかない。
かっちょいい映画俳優だってかっちょいい事だけしてるわけじゃない。嫌なことも我慢することもあって、仕事としてお金をもらえる。

営業でも販売でもそうだが、相手の懐事情など考えたらおしまいだ。
親切で誠実な店員さんだって、やはり仕事は仕事。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 02:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月11日

めりはり。

予想以上の執筆速度の低下。
原因は不明。
風邪が治り次第、三時間睡眠モードにしないとまずいかもしれない。

今日は久々にまっすぐ家に帰らずバーに寄った。
正直、起きたら自転車屋で仕事、家に帰っても延々と自転車の記事の執筆をして眠るという生活はつらい。
この日記のように自由放題ならさほど疲れもしないが、テーマや文字数、使うキーワードの制限もある上に、パブリックな文なので文末のですます、一定の読者に不快感を与えることがないにする配慮、そして5,000字近い文を最後まで読ませるだけの文体のリズム、誤字脱字のチェックなど。
面白いことは面白いのだが、やはり日記と違って仕事だ。起きてる間、ずっと仕事を続けるのはくたびれる。

それでも、非常に頭はクリーンだ。大学受験に向けて努力していた頃や、大学をサボって無我夢中で小説を書いていた頃、毎日死ぬかもしれないと思いながらアルゼンチンを走っていた頃、そういう頃を彷彿とさせる。
部屋は片付いていないし、風呂も入らない日もあるが、生活が整っていると感じられる。

でも、まっすぐ帰らずバーに出掛けることにした。
毎日、だらだらとやるのは危険だ。やってる気になってしまう。
「おれは毎日、寝る間を惜しんで頑張ってるんだ!」
そういう考えは、実際にやる量を減らしてしまうことにもつながる。
「毎日コツコツやってるから、今日は一記事だけで良いや」
「まあ、毎日コツコツやってるからね。大丈夫」
そういう考えが一番危険だ。

そういうのって筋トレにも麻雀にもある。
「毎日腕立て伏せやってるから、まあ、大丈夫でしょ」
一番危険だ。頑張ってる気になることで満足してしまう。
筋トレは頑張った気になるためにやるものではない。付けたい筋肉を付けるためのトレーニングなのだ。筋肉に刺激を入れて鍛えられていなければ、どんなに毎日腕立て伏せをしていても意味がない。
「今日は運が良いな、あと一歩のところで上がれてないけれど、すごく良い牌が入ってくる」
これもやはり運が良い気になって気持ちよくなってしまっている。実際、あがれなければ運が悪いのだ。どんなに良い手牌が集まってきても、あと一歩であがれていないのならば、何の意味もない。

麻雀では半ツキと呼ばれる状態。
当人はすごく良い状態にいるように感じるのだが、現実としては良くないどころか悪い状況にいる。でも、気付けない。
これが一番危ない。

コツコツは大事だけれど、正しく現状を把握しないといけない。

まっすぐ家に帰らずバーで酒を飲んで遊んでしまったなぁ、明日からは頑張って取り返さないとなぁ。
そういうのは大事だ。
めりはり。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月10日

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風邪はまったく良くならないが、お仕事に行って、帰って執筆。
今日はビアンキの記事を。ビアンキは詳しくないので調べなくてはいけなくて大変だった。
調べるほどにヨーロッパメーカーって駄目だなぁと思う。在庫の持ちがあまりに悪過ぎる。

段々と書く速度が落ちてくる。
基本的には書く記事のテーマが決まっていて、必ず入れないといけないキーワード、どの辺で何回入れないといけないとかまで割と細かく決まっている。
最初のうちは書きやすいテーマから行けば良いので楽だ。特に調べる必要もなく、さくさく書ける。
問題は同じようなテーマが出てくるのだ。ビアンキの評判、初心者向けのビアンキというテーマは困ったことにほぼ内容は同じなのだ。まあ、ほぼ同じ中身でも良いのだが、出来るだけ違うようにしないと読者もつまらない。

そんなわけで次第に筆が鈍ってくるわけだ。

明日も頑張ろう。明後日は走行会なのでほどほどに。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 04:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする