2016年08月30日

マザコンやら人に優しくやら。

飲み過ぎてお腹の具合が悪い。
最近、暇だと気付いたら飲んでしまっている。
よろしくない。

そもそもに言えば、酒など大して好きではないのだ。
出来れば自分はずっとシラフでいたいはずなのだ。
体質としてもアルコールに強くない。

気付くと飲み始めていて、朝になると体がしんどい。
まあ、楽しく飲んでいるので悪いことではなかろうが。

マザコン、ホームレスあたりで小説のネタを掘っている。
カタカナだと軽いイメージだが、母親、家と、漢字にすると重いテーマになる。

男特有のテーマかもしれない。
マザコンというと母親大好きみたいなイメージだけれど、大好きだろうと大嫌いだろうと、男っていうのは誰でも何かしら母親の影響、支配を受け続けている。根本的、潜在的意識のとこで支配者だ。父親からもいくらかの影響はあるにせよ、割とそれはイーブンな人間としての影響だろう。

じゃあ、女は父親に強く影響を受けるのかっていうと、案外そんなわけでもないらしい。
母親に対しても、やはり男のマザコンほどのことはない。

いくつかの理由はあるのだろうが、まず、父親と母親の場合、母親の方が家にいる時間が長い。
幼少期に共有する時間が多い。
幼少期の後も、一般的には母親が食事を作ったり洗濯をしてくれたりする家庭が多い。もちろん父親が稼いでくれているからというのはあるにせよ。
それに極端なことを言えば、父親には全く触れずに育つことも出来るが、母親については、まず母親の体から人間は生まれてくる。母親に抱かれ、母乳を飲んで赤ちゃんの時代が過ぎる。もちろん、中には例外もあろうが、あくまで例外だ。

でも、そうなると男でも女でも関係なく、マザコンじゃないとおかしい。
男も女も母親に世話になって育つというのは共通だからだ。

一口に言えば、女にとっては母親は同性であり、友達のように付き合えるのだけれど、男はそうもいかない。

まあ、冷静に考えるとマザコンってのは、母親大好きじゃなくて、マザーコンプレックス、コンプレックスっていうのは複雑なとかいう意味で、精神医学用語では感情の複合によって現実の意識と相反する感情が押さえ込まれてわちゃわちゃとなって、自分の意図せぬところで現実にはみ出して来てしまって混乱するといった意味だ。
女はマザコンにならないけれど、男はマザコンになる。

少し矛盾した話になるけれど、母親が大好きで率直に母親に愛を感じられる男はマザーコンプレックスにならないのかもしれない。
でも、そういう男ってのは少ないし、なぜかそういう男の方をマザコンなんて呼ぶ方が一般的だ。

まあ、そんなマザコンに関する定義云々なんかはあまり小説には直接役立たないのだけれど。

どうでも良いけれど、松本の人は口が悪い。
口が悪いと言うより言葉数が足りない。
愛想がない。
それは資源に頼って飯を食ってるからだ。
そんなことを小説家の先生が言っていた。
確かにそう考えてみると、北アルプスを中心とする豊かな自然と松本城なんていう観光資源があり、東京から遠くもない。そして、確かに愛想の悪い人は多い。特に蕎麦屋なんかに行くと思う。愛想の良い店ってのは少ない。そして、値段が高い。美味いか美味くないかは店にもよるが、大して美味くない店も多い。
愛想は悪くともたいてい話せば悪い人じゃないとは言えど、損する。
それでも、資源があるので客は来る。
にこりとせずとも食っていける。
食っていけるなら無理ににこりなんてしたくない。

山小屋なんて正にそれの最たるもので、口数が少ない。にこりとしない。
客を大事にしようと言うくせに、にこりとしない。
そのことに関して誰も疑問も持たない。
疲れているし、必死なので仕方ないと言うけれど、笑顔を作るなんて接客業の基本中の基本で、笑顔のない接客なんて考えられない。
挙げ句には客を叱ったりする。
まあ、確かに平地でニコニコしながら仕事が出来るような人間がわざわざ山に来るってのは珍しいのかもしれない。
それでも、山はそこにしかないので客は来る。
自転車屋なんかもそれに似たようなところがあった。

ヘンテコだなと思うところもあるけれど、よくよく考えると、嘘ついてニコニコしないと生きていけないなんて方が不自然なことで、蕎麦屋にせよ山小屋にせよ、愛想こそないけれど、客を大事にしたいという想いはあるし、掃除や食事なんかについてはこだわりを持ってやる。職人気質と言えばそうなんだろう。

まあ、それにしても20分くらいと言われて、30分も40分も待たされるのは困る。こちらも仕事がある。客にも尊大だが、仕事の部下に対しても尊大なので、相手には時間は待たせるくせに、相手が遅れると真剣に怒る。
人間らしいと言えばそうなんだろうけれど。まあ、困る。

信州の人の考えだと、困る困ると言っているのであれば、相手に対してきちんと怒って、こちらの言うことを聞かせないといけない。なめられるお前が悪い、なんて話になる。
まあ、それもそうなのかもしれないけれど。

人に優しく生きたいものでございます。
人に愚痴をこぼさず生きたいものです。
まあ、なかなか。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 12:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月29日

アル中にならないように。

結局、やることのない休暇は明るい内から酒を飲んで過ごすことになる。
松本は夕方から飲める店も多いので非常に優秀だ。
まず三時に築地市場という居酒屋が開く。ここは夕方まで生ビールが1杯100円ということで六時まではいつも満席に近い。老若男女のアル中たちが平日の昼からひしめきあっている。
店にいる全員がお互いに、
「このクソアル中どもが!仕事してんのか、こいつら?!」
と思っている。
酒量の多い人はしっかりと築地で飲んでから始めると良いが、僕なんかは酒量は少ない。ウイスキーを10杯も飲めば次の日は夜まで二日酔いになる。5杯くらいが程良い。
それで築地は生を2、3杯でアスパラとエビの天ぷらあたりを食べて出る。

築地よりも8オンスの方が自分には向いている。
8オンスはスタンディングバーで良い酒が安い。白州なんかでも450円。今日はニッカのフロムザバレルがあったのでそれを。
四時からやっている。
ここでウイスキーを2杯ばかりやって始めるのが一番良い。

四時からジャズ屋も開いている。
ジャズ屋は安くはないのだが、とにかく音質とマスターの選曲が抜群に良い。そして、お通しのチーズがすこぶる美味しい。お通し以外の一品ものも素晴らしく美味しい。自家製スモークレバーが最高に美味しい。
ジャズ屋には何となくボトルキープしてしまったウイスキーがある。ボトルキープは気分も良いけれど、つい飲み過ぎるし、氷のチャージなんか考えると梯子酒には向かない。普通に2杯ばかりウイスキーを単品でゆっくりと飲むのが良い。
或いは一杯目に珈琲で一息付いてからウイスキーでも良い。
ジャズ喫茶なんてのは、たいがいに珈琲と食べ物は美味くないのが普通なのだが、ここは美味しい。

二件目を過ぎるとしたたか酔いも回るので、コンビニでパンと珈琲でも買って、松本城のお堀の鯉に投げながら一息入れる。
休日なので美味いものも食いたくなるので蕎麦を食ったりすることもある。

それから、古本屋による。
この古本屋はカフェもやっている。もちろん酒もある。
キリンの瓶ビールをのんびりやって、紅茶辺りでしめるとちょうど良い。

どこも2杯ずつくらいしか飲まないので、千円から二千円程度で収まる。三件歩いても五千円ほどあれば事足りる。
月に一度の休暇なので、一日五千円で明るい内から少し眠くなる頃まで飲めればありがたい。

そんな具合で酒飲みにとって優秀な町なのはありがたいけれど、そんなことをしているとすぐにアル中になってしまう。
午前中から飲まないうちはまだ大丈夫だろうとタカをくくっていると気付くと朝一から飲むようになっているのが人間だ。

それでも、ネタ帳か文庫本なんかを片手にほろ酔いで散歩するのは気持ちいい。
楽しく飲んでいるうちはアル中にならないとも言う。
まあ、日をまたぐ前に眠くなる体のうちは心配することもなかろう。
タカをくくっては危ないのだけれど。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

ゴーシュはセロを弾いたけれど。

ゴーシュはセロが下手くそだったけれど、夜にセロを練習していると夜の中からどんどんと友達が出来てセロが上手になっていった。

僕の方は山でウクレレを弾いてみたりしているけれど、特に友達は現れず、ただウイスキーとウクレレでどんどんと変な酔いの中に沈んでいくことが多い。
小屋の中に行けば仲間もいるけれど、オフの時間まであまりみんなでモチャモチャするっていうのは好きじゃない。
やっぱり三人くらいまでが良い。四人以上になれば話が薄まる。
三人くらいだとどこか気まずくて話が出来ないっていう間柄なら、そりゃ、やっぱり合わないんだろう。

まあ、そういう意味ではセロ弾きのゴーシュっていうのは理想的なのだ。
一人きりで夜にセロを練習していると夜の中からふと仲間が現れる。
実は細かい内容なんかは忘れてしまったのだけれど。

でも、現実としてはそんな風に夜から友達が現れてうんぬんってのはやっぱりないんだろう。
ゴーシュとムーミンのスナフキンなんかは共通点がある。孤独にしてるのに、勝手に周りの方からその人に近付く。
でも、そういうのはやっぱりないのだ。
分かりやすく考えると、ドラえもんが一人で孤独に毎日散歩していても、別段、誰も話し掛けないだろう。
ドラえもんはすごく優秀なやつだ。
でも、そんな一人でいるやつに声を掛けるってのは、なかなか人間、難しい。
ドラえもんなんてのは、のび太君ありきでみんなと仲良くしてもらえるのだ。のび太君がいなけりゃ、ジャイアンやスネ夫なんかもそんなに親しく話したりはしないだろう。しずかちゃんなんか絶対にドラえもんなんて見て見ぬ振り。
孤独なドラえもんが一人でスナフキンみたいに学校の裏山の木陰なんかでギターを弾いていたって、誰が来ることもなかろう。

セロを夜に弾くことはとても気持ちが良いことだろう。
夜にふと仲間が現れて話し掛けてくれれば嬉しかろう。
でも、まあ、多分だけど、そういうのは上手く両立しない。
要は孤独の気持ち良さと、誰かといる気持ち良さを両立させたいっていうわけだから。

バーに行けば夜の中から仲間が現れるかっていうと、まあ、またそれも難しい問題だ。それは仲間なのやら。何なのやら。

まあ、夜は難しいってことなんだろう。
昼みたいに簡単に上手くはいかない。
いや、昼も難しいけれど。

セロ弾きのゴーシュ、久々に読もうかなぁ。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 22:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

帰るべき場所と野垂れ死にのこと。

何だか毒がたまり続けている。
基本的に東日本の人は行儀が良い。あまり毒を吐かない。
さらに、山なんかだと割とみんな心クリーンな人たちだし、共同生活なので毒も吐かないようにする。
愛のある毒の吐き方っていうのが西日本にはある気がするけれど、東日本にはあまりそういう文化がないらしい。
でも、もう長いこと西日本にも帰っていないので、多分、西日本の行儀の悪さにはついていけない。

まあ、何かと毒を吐かなくなった。
吐けなくなったんじゃなくて、吐かなくなったんだろう。
毒なんか吐くってのは、結局、自分が損することが多い。

損得の話で言えば、ニコニコしながら相槌打って、人の話を聞いているだけが良い。相手にしゃべらせ続ける。

でも、多分、会話で一番面白いのはケンカだ。
同じレベルで延々と話し続けるやつと延々とケンカのように話を積み上げていく。
気遣いゼロで。

まあ、そんなのもドンドン出来なくなっていく。
今でも気遣いゼロでボコボコ話せるやつなんか、多分、ケビンくらいかもしれない。
昔の友達も多分今でもボコボコ出来るかもしれないけれど、多分、もうしない。やっぱりたまにしか会わないとなったり、結婚なんかで環境も変われば。
ケビンとも離れて長くなれば、ボコボコ話すのも難しくなっていくんだろう。

野垂れ死にたいってのを最近考える。
いや、死にたいわけじゃないんだけれど。
ただ、どうも帰る場所がない。山は山で良いけれど、冬はいられない。故郷倉敷も良い街だけれど、あそこにいると脚の先からぬるま湯で体が腐っていくような気がする。昭島、福生は良い街だけれど、特に福生は本当のアル中ばっかりでどうしようもなく、正に愛すべき町なんだけど。

簡単に言うと心穏やかに過ごせる場所っていうのを僕は探している。
自転車の旅なんかは良い。
ほとんどの場所が、ほんの一晩のみテントで泊まるだけなら素晴らしく良い場所だ。
長く暮らすのはいけない。三日もいれば、何となく日々よく使う道なんかを決めてしまって、一月もいればよくやる過ごし方なんか覚えてしまう。
水でも一所によどんでいれば腐っていく。
一所によどめば、にごっていく。
いかに良い場所でも、結局、自分が出来るだけ楽して生きていくためには、いろんなことをルーチン化してよどませることになる。

でも、一所によどまないと友達にも会えないし、恋愛や結婚も難しい。
恋愛や結婚なんか別に正直どっちだって良いと考えてるくせに、ふらふらしてると無性に特定のパートナーが欲しくなったりして、どこかに定住したくなる。

よどまない土地ってのはあるものだろうか。

ドイツに行ったコーメーなんかは賢いと思う。
異国で暮らせば、言葉も文化も全く違う。これまでの人生で慣れた楽なやり方をルーチン化させるにも難しい。時間が掛かる。
長くいても、よどみにくい。
ただ、やはりいずれはよどむのだろうけれど。

でも、異国でゼロから生活を作っていくっていうのは良いと思う。日本で大人になってから生活を構築すると、どうしたってそれまでに手に入れてきたやり方、育ってきたやり方ですることになる。それは、多分に学校や親なんかの影響がある。
大人になってから、異国で一人で生活を作っていくと、言うなれば大人になってから、生活面に関しては小学生をやりなおす、しかも、親も教師もいない、自分一人で構築していける。
その国に何もなかろうが、特に学びたいこともなかろうが。
一人きりで自分の手だけで自分の生活を構築するっていうのは、とても意義ある行動だと思うし、そうやって完成させた生活は、誰か他人の手が入った暮らしとは根本から違うだろう。においのある暮らしだろう。

そんならおれもドイツでも行くかって話になるとそういうわけにもいかない。
別に現実的には、いくらかの金と仕事のことなんかをコーメーあたりに頼って、やろうと思えば問題なくやれるだろうけれど、やっぱりそういうわけにもいかないんだろう。

野垂れ死ぬっていう良さはにごらないことだ。
彷徨って一人きりで知らない土地で野垂れ死ぬってのは美しいだろう。

ただ、すごく悲しいことも間違いなかろう。
オレには帰るべき場所がないと思いながら死に行くのは悲しいだろう。

帰るべき場所があって帰らないのと、帰るべき場所があるようで存在しないので帰らないってのは全く違う。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 21:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

山の男。

山小屋の先輩で一人、異常なまでに頭の切れる人がいる。
半年も経たない内に僕の欠点をそこまで鋭く見抜いてしまうかと驚かざるを得なかった。
よく観ているし、考察が鋭い。
そして、口下手で、表情が分かりにくい。
物凄く魅力的な人だ。

また別の先輩は元料理人で眼光鋭い。
歌が好きだ。よく何か歌っている。鼻歌じゃなくてきちんと歌詞を歌う。
いろんな歌を知っている。
洋楽も歌謡曲も。CMソングも。
ちょくちょく物凄い鋭さで馬鹿なギャグをねじ込んでくる。しかも、すごい面白い。

一番付き合いの長い先輩は言うまでもないし、どうもあの人は言葉にならないすごさがある。

口下手な男が多い。
荒削りな綺麗な心の人が多い。
だから、つらいことも決して少なくはない。
ただ、上っ面じゃなくて、根っこのところで信じられる人たちと一緒に仕事が出来ているのは素晴らしく良い。
ただ、つらいことは多い。
まあ、改めてやはり過酷といえば過酷な環境なんだなと。

そろそろ最繁忙期。
がんばろう。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 21:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月19日

no-title

山小屋の日々。
まあ、別に何があるわけでもない。
花の写真を撮ってみたり、ウクレレを弾いていたり、ヘリコプターの荷物作ってみたり。

歳を取るほどに人間、頑固になるものだなぁと思ったりする。
昔ほど素直な気持ちで物事の良い面に喜ぶってのがしにくくなった。
正直な話、昔の方が山小屋は楽しかった気がする。
何が原因なのかは分からないけれども。

そういえば、ふと少し絶望したりした。
アフリカから帰ったらどうしようか、なんてことだ。
別に何をするにせよ、今考えてもどうにもならない。
それでも、考えるべきじゃない少し遠すぎる未来のことを考えると少し絶望したりした。
貧乏だから絶望したのでもない。
何となく空虚な気がした。
アフリカの向こうにはもう何も無い気がする。
好きな女の子ができて家庭を作れれば幸せ、まあ、それもそうかもしれないけれど。
山小屋と流浪の繰り返しの日々、まあ、それも幸せかもしれない。
自転車屋に戻るのも幸せかもしれない。
まあ、どれも幸せな気はする。
いずれにせよ、きっとなにか小説を書いていれば、幸せな気がする。
でも、不思議と絶望する。

もっと楽しいこと、愉快なこと。
そういうもんだろうか。

絶望は嫌だ。
悲しい。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 21:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月04日

地球の一部だもんなぁ。

ヘリ番は本当に楽しい。
大変な仕事ではあるんだけれど、上手くやれると本当に嬉しいし、何よりメンツが面白い。
ヘリポートに集まるのは、北アルプス、上高地圏の小屋のそうそうたるメンバーだ。僕みたいなヒヨッコはいない。それぞれの小屋で最も信頼できる人間が来る。山で荷揚げっていうのは最も大事な仕事だからだ。何よりも大事だ。
山小屋は接客業でもあるけれど、何よりも本来人間が住むべきでない自然の中に、人間が寝泊まり出来る場所を作るというのが根本的な仕事だ。
言うなれば山の中のオアシスだ。それはお客さんにとってもそうだし、我々住んで働いている人間にもそうだ。山小屋に着けば何とかなる。人間の世界がある。人間の世界を守ることこそ山小屋の仕事の根本だ。
だからこそ、一番に先立つものは食料と水なのだ。
ヘリで上げる荷物っていうのは本当に生命線なのだ。

じゃあ、山小屋ってのは自然に対して戦うだけなのかっていうと違う。
ただ、戦うだけならヘリなど使わないだろう。仮に戦うだけだとしたら、もっとトロッコだとか、ロープウェイだとか、やりようはあるはずだ。もちろん、いくらかヘリは使うにせよ、何種類か物送の手段を敷くはずだ。
もちろん、ヘリだけで荷を上げるのは、コストの問題なんかもいろいろ含めての結果なのかもしれない。
でも、自然と調和しないと人間の生きるスペースっていうのは作れないのかもしれない。そんなことを考えさせられる。
まあ、そりゃそうか。人間だって動物だし、広く言えば生き物だし、炭素と水素なんだもんな。冷静に考えれば他の有機体と何も変わらない。地球の一部だもんな。

そんなことを考えられる一つの要素として、ヘリコプターってのはとても不安定に空を飛ぶ乗り物ってのもあるのかな、なんて考えたりしつつ。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月03日

山の男。

山小屋の先輩で一人、異常なまでに頭の切れる人がいる。
半年も経たない内に僕の欠点をそこまで鋭く見抜いてしまうかと驚かざるを得なかった。
よく観ているし、考察が鋭い。
そして、口下手で、表情が分かりにくい。
物凄く魅力的な人だ。

また別の先輩は元料理人で眼光鋭い。
歌が好きだ。よく何か歌っている。鼻歌じゃなくてきちんと歌詞を歌う。
いろんな歌を知っている。
洋楽も歌謡曲も。CMソングも。
ちょくちょく物凄い鋭さで馬鹿なギャグをねじ込んでくる。しかも、すごい面白い。

一番付き合いの長い先輩は言うまでもないし、どうもあの人は言葉にならないすごさがある。

口下手な男が多い。
荒削りな綺麗な心の人が多い。
だから、つらいことも決して少なくはない。
ただ、上っ面じゃなくて、根っこのところで信じられる人たちと一緒に仕事が出来ているのは素晴らしく良い。
ただ、つらいことは多い。
まあ、改めてやはり過酷といえば過酷な環境なんだなと。

そろそろ最繁忙期。
がんばろう。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 20:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする