2018年02月26日

上司の退職。

自転車屋でお世話になっていた上司が退職した。
自転車屋で働き初めて最初に一から販売のやり方を教えてもらった人だ。
改めて趣味用品の業種で働くって難しいと感じざるを得なかった。

たしかに、この人は自転車屋向きじゃなかった。
販売のスキルは高かった。
自転車も好きだった。
ただ、ロードバイクを売るプロショップの店員として正統派ではない乗り方だった。
プロショップの商品ラインナップって物凄く難しい。正統派の乗り方をしていないとどうしても分からないところがある。
ストリート系、もっとライフスタイルに寄り添ったタイプの自転車ショップならその人はもっと上手くいったのかもしれない。

自転車業界はつらい。
低賃金で休みが少ない。
好きな自転車のイベントに参加したくても、土日は販売って忙しくてなかなか泊まりがけでイベントに行けない。

そういう業種、条件の悪い仕事だからなかなか人材も集まらない。
せっかく来てもガッカリして辞めてしまったり、どんどん働くモチベーションを失ってしまう。

人材を大事にしない会社の多い業種だと思う。
上司は会社ともめて去ることになった。

ーーー

当然、私より年上の人なので、次の職探しには相当難儀するだろう。
何とも心痛んだ。

しかし、当人は辞めると決まると明かるかった。

「いや、君も以前退職する前はそうだったよ。えらくお客さんに対して丁寧になったなと思ったもん」
今夜飲みながら話していると上司は言った。
「たしかに言われるとそうだったかもしれませんね。そりゃ、良くしてもらったお客さんに自分が離れて迷惑かけることになりますからね。申し訳ないですからね。お客さんへの最後の恩返しっていう気持ちはわきますよね。それで丁寧になるんですかね」
そうは言っても私の場合、アフリカに行こうという明確な理由があって辞めていたのもあって暗くならなかったし、お客さんに明るく丁寧に接客出来たのかもしれない。

世話になった上司が良くない形で会社を去る。
理由の一端に私が戻ったのもある。私が店長になったことで、枠が一つ押し出されてしまった。
言うなれば私を雇用する費用のために、その上司は職を失ったという側面もある。
会社が私の方を店長に選んだ理由はいくつかあるのだろう。自転車の経験値だったり、文章での広報ができる能力を買ってもらったというのもあるだろう。
ただ、若い私の方が無理を言いやすい。扱いやすいという理由もあるだろう。

会社にも都合があるので、解雇ってある程度は仕方ないとも思う。
それにしたって、もっと平和的な形での解雇の方法もあったように思う。

まあ、自分は経営者じゃないので本当のところは分からない。ビジネスとしての事情は分からない。
それでも、人間として、今回のことはどんな事情があれど正しくないことだと感じた。
辞める人間にも残る人間にも悲しいやり方だと感じた。
本音を言えば、こういうことをする会社で働き続けるって物凄く不安だと感じた。

ーーー

不安であれ、嫌であれ、悲しいことであれ。
残るからには良い仕事をするしかない。
会社の良い面を信じるしかない。

その人の未来なんか考えてる余裕はないかもしれないけれど、次の職場が良い職場に巡り合ってくれたらなと思う。

好きなことを仕事にする。
そういうのって、ここまで難しいことなんだろうか。

まあ、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 00:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

正しいことが正しい状態であるように。

仕事に関して運が良いのやら悪いのやら。
今回の職場も自転車屋さんのはずなのだが、同じ店で自転車を一緒に走りに行ける仲間がいない。
仕事に関しても何とも厄介なことが多い。
もちろん、給料は良くない。

給料の良い自転車屋さんってのは、独立して自営業でやってるかメーカー勤務以外にこの世には存在しないのだ。
独立して自営業でやっていても、在庫リスクなんかの割には大して儲からない。普通のちょっと良いサラリーマンよりも儲からないくらいか。サラリーマンしている方がリスクもない。
まあ、よほど上手くやるとさすがにサラリーマンよりは儲かるのだが、将来の保障なんかはない。

まあ、それでも、好きなことを仕事にするって素晴らしいことなのだ。

ーーー

正しいことが正しい状態にあるって大事だなって最近思う。

どうしても生きてりゃあれこれ都合や事情があって、正しいことが正しくなくなることってある。はたまた、正しくないことが正しいってこと。

例えば、信号は守らないといけないってこと。現実問題、信号無視って田舎に行くほどする。信号が少なくなるし、車も少なくなる。信号のない場所を横断したりしやすくなる。
それでも、やっぱり正しいのは信号を守らないといけないってのが正しいってのがあるからこそ、道路の平和は保たれている。

これがアフリカなんかに行くと、信号なんてのは目安なのだ。
そもそも信号自体滅多にないのだが、信号の色なんかは目安であって、どんどんみんな自由に走っている。
こうなってしまうと、道路の平和なんてない。

どんな場合にも事情や都合ってある。
現実には正しくないことをやってしまわざるを得ないこともある。ある程度、仕方ないってのもある。
それでも、やはり正しいことが正しいってのがなくなっちゃうとカオスになってしまう。

右が右で、左は左。北は北で、南は南。
当たり前と言えば当たり前なんだけど。
それがなくなっちゃうと、地図一つ書けないし、行ったことのない場所には誰かに説明してもらってもたどり着けなくなる。右が本当に右か分からないって世界じゃ、どこにもたどり着けない。

なにかを五分後にすると決めれば五分後にしないといけない。1分遅れるのもいけない。
仮に出来なかったとしたら、出来なかったことを良いやとしてしまうと危ない。
すると決めたことについては、してもしなくても良いし、出来ても出来なくても良いじゃいけない。
出来なかったのはなぜか、不可能なことだったとしたら、なぜそんなことをしようと決めてしまったのか。
次からそういうことが起きないように気をつけねばならない。どうすれば防げるだろうか。

小さいことでも、やはり正しいことが正しいとしておかないと、いろんなことがおかしくなってしまう。

誰かと共有することはもちろん、自分一人でのことだってそうだ。
右は右で左は左にしていないと、なにも出来なくなってしまう。

人に対して嘘やごまかしをしていると、一時的には有利なようでも、自分に対して周りも嘘やごまかしをするようになるかもしれない。
嘘やごまかしに気付いていないのは自分だけってなってしまったらおしまいだ。

人に嘘やごまかしをしなくても、自分に対して嘘やごまかしをしてくる悪い人も世の中にはいるかもしれない。
それでも、少なくとも自分自身は嘘やごまかしをしていないっていうのがあれば、いろんなことが疑わしくなって信じられなくなった時にでも、自分のしたことは信じられる。
周りが信じられなくなった時に、自分自身も信じられないと、いよいよ救いがなくなってしまう。

ーーー

あまり潔癖にすると疲れるかもしれない。

それでも、きちんと潔癖にしていれば、自分に厳しくしていれば、右は右で左は左でいてくれる。そうすれば、自分のしたいこと、行きたい場所にも行ける。

ま、そんなことを最近は考える。


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posted by ちょろり at 00:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月18日

運が悪いことは運が良いことなんだろうか。


運が悪いことは運が良いことなんだろうか。

仕事がさっぱり上手く行かない。
まあ、冷静に考えて、いきなり店長なんてポストで入ったりすると、そこのスタッフから反感を買うに決まっているのだ。
それは何年かすれば何とかなるのだが、どうにもならないスタッフがいる。

まあ、どんな職場にもどうにもならない人っている。
そりゃ、世の中どこにでもね。

ただ、問題はそういうどうにもならない人間を会社が許容してしまっている時には、これはもうどうにもならない。
会社の利益を害する人間を会社が良しとしてしまっている場合だ。

そんなことありえるのか、っていう話になるけれど、ありうるのだ。
人材不足で困っている職場なんかにはある。
要は困り果てた従業員だが、クビにするわけにもいかないという場合だ。クビにすると会社が運営出来なくなってしまうという場合だ。

本来は会社は従業員を教育する必要がある。
その会社にとって有用な人間になってもらわないと、いてもらってもどうしようもない。
だから、良くないところは良くないと査定して、良いところは良いと査定する。
そうしないと、会社にとって有用な従業員は出来ない。

ただ、辞められたら困るとなると良くないと査定出来なくなってしまうのだ。

言い方はきついが、良い社員を増やそうと思えば、不要な人材はクビに出来るようにしておかないといけない。
もちろん、安易にクビにしてはいけないにせよ、会社にとって何かしらの利益を出せない人間は、改善してもらうか、辞めてもらうかの二択にしないと、給料を払っているだけで、利益が増えない、言うなればただでお金をあげている状態になってしまう。

ただ、日本はクビってしにくい構造になっている。労働者って法的にかなりしっかり守られている。
だから、会社は自主退社に追い込むようにする。
だけれど、本来、その従業員が必要かどうかって会社に選択する権利があるはずなのだ。

まあ、そうは言っても仕方がない。
全く使えない、働かない人間が時間内、社内にいるだけで給料がもらえるような仕組みになってしまっている。
これは変えようがない。

ましてや、そんなところで中間管理職となると。
こうなると辞めるしかない。

だまってペコペコしていれば給料はもらえる。
別に売れなくても叱られることはあっても、クビになることはない。
何も気にせず、ぼんやりと。給料をもらっていれば良い。
人生、そんなもんだ。

でも、多分、そういうのって向いてないと思う。
早めに辞めるべきだろう。

それにしたって、辞めてどうするのか。

真面目に考えるとアホらしくなってくる。
潔く自殺でもする方がよほど賢いんじゃないだろうかと思えてくる。

特に多くは求めていない。
仕事を真面目にして、それなりの暮らしをしたいだけのことだ。

辞めてどうするのか。

生まれ変わったら人間以外の生き物に生まれたい。
まあ、死なないけど。

多分、死ぬ方が賢いんだろうけど。
賢くなりすぎては人間いけないんだろう。

それでも、運の悪いことは良いことなのだ。
生半可、良くも悪くもないところでいると、良いことをしなくなる。
悪いところにいると、これは辞めないといけないと思うようになる。
悪いことの逆が必ずしも良いことではない。
別の悪いことのことだってある。
ただ、良いことをしないでいるってのは、良いことではない。
悪いことをやめて、良いことをしたいと思って行動するのは、これは結果としては別の悪いことにたどり着く可能性もあれど、良いことを目指す行動自体は良いことなのだ。

ある意味では運が悪いってのは良いことでもある。

必要なものにはお金を出すべきだ。
必要じゃないものは、仮に安くても買わない方が良い。
なぜって、必要じゃないものは必要じゃないからだ。

良くないことは良いことではない。
良いことをしたいなら、良くないところにとどまり続けるべきではない。
仮にそこが楽だとしても、良くないところにいたって、そこは良いことをしたい人にはいる必要のない場所だ。そこには良いことはない。

ものすごく当たり前のことだけれど、これがなかなか出来ない。

大抵の企業が不必要なものなのに、まとめて買うと安いからということで買ってしまって不良在庫を抱える。
大抵の個人は良いことをしていたいと考えていても、楽な良くない場所にいてしまう。

セール品にはセール品の意味があり。
楽なところには楽なだけのツケがある。

運が悪いのは良いことなのだ。
中途半端でなく悪いことが明確に悪いっていうのは良いことなのだ。
posted by ちょろり at 03:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする