2018年11月14日

致命的に腑抜けたような日々。

あまり日記を書かない日々。
日記とは日記であり、雑記であるべきだ。
自転車に関するコラムなんかはあれはコラムであり、やはりぶつぶつと日々のことを綴るのが日記なのだ。

リトルミスサンシャインなんて映画を観た。
特に山場もなく、ドンデン返しもない平和な映画だ。サザエさんみたいな映画だ。
エルトポなんかも観た。こちらは何ともアートな映画。基本的に絵が美しいし、面白い。フランツカフカの城を読んでいるような感覚のする不思議な映画だ。
エルトポと比べるとリトルミスサンシャインは実に平和でサザエさんで面白みみたいなものってないのだが、ここまでサザエさん、平凡を重ねられると、これはこれで一周して良い映画というか。こういう良い映画、サザエさん的良さの作品があればこそ、エルトポみたいなアート映画みたいなのは引き立つのだ。
偶然ながら良い組み合わせになった。

ーーー

虫歯の親知らずは近所の歯医者がヤブと言っては何だが、散々苦戦されて抜き損ねたのを別の歯医者に行くと1分くらいで簡単に抜いてくれたのだが、抜いた次の日から風邪をひいた。
ヤブとは何ぞ。腕が悪いことなのだろうか。いや、腕が悪いのに無理をするってのがヤブじゃなかろうか。抜けないから別の医者に行ってくれっていうなら、コレはまあヤブとは違うような気がする。
それでも、ヤブなどと言ってはよろしくないのだろう。失敗したにせよ、僕のために一生懸命抜こうとしてくれたわけだから。

少なくとも近所の人々で利用する人もいるからこそ、その歯医者は成り立っている。
利用している人々はヤブとは知らないのか。
はたまた偶然抜けなかっただけで、決してヤブではないのか。
もしくはヤブだろうがそうじゃなかろうが、案外それで成立するものだろうか。
何にせよ老人の歯科医が今日までやってきているわけだから、成立してきたわけだ。

僕の働いてる店も、もしかするとヤブと呼ばれているのかもしれない。
ヤブ。

店の裏に公園があり、僕はよくそこでタバコを吸う。
店の中は何となく空気が吹き溜まっているような感じがして好きじゃない。今の店がどうとかじゃなく、学校にせよ、職場にせよ、長時間いる場所ってなんか空気が淀むような感じがして好きじゃないのだ。
あとは風通しの問題か。
夕方くらいにタバコを吸いにいくと老人が掃き掃除をしている。
ーーどうも、ご苦労さんです。
そんな会話をする。老人は元板前で息子はもう40を過ぎていて、孫もいるそうな。
別段、話題などない。
ただ、私の唯一の気楽な話し相手かもしれない。
毎回話題は変わらない。
お仕事お疲れ様です、寒くなってきましたね、若くていいね、いつも働いててご苦労だねといったところだ。
老人のおかげでその公園はいつも綺麗だ。自転車屋と町工場とラブホテルにアパートに囲まれた狭くも広くもない、遊具はブランコと滑り台があって藤棚がある、ゲートボールをしていることもある、少年にサッカーを教える父親がいることもある、不良がたまっているとかはない。昼には公園沿いの道に車を止めてどこかの営業らしいおじさんがぼんやりと黄昏ていたりする。何のためにあるんだかよく分からない、世界から取り残されたような公園だ。

最近の僕も同じような具合で、特に何か意味があるのかと問われると、まあ、ないでしょうね、と答えるような存在になりつつある。
お酒を飲まなくなったので、少し金銭的にゆとりが出来て株なんかを買い足したりすることもある。
何か致命的に腑抜けたような日々。

何かをするってのが偉いわけでもないのだが。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月04日

親知らずが悪化する。

親知らず事件が悪化している。
抜歯に失敗したところが明らかに腫れてきている。
ーー大丈夫、虫歯じゃ死なない。
それは分かっているし、大して痛みもないのだが。
果たしてオレの体はどうなってしまうんだ、というのがある。

そもそもに病気をしないので、病院などあまり行かない。
それが今年は春に目の横に粉瘤、デキモノが出来て、それを切除しなくちゃいけなくなったりもした。
どちらも命に全く関わらない、言うなれば軽い病気ではあるが、やはり病気は病気で、病気慣れしていないとそんな小さな病気でもショックを受ける。
当たり前だが、自分も生き物でいずれは全ての歯がボロボロになるだろうし、大きな病もいずれかかるかもしれない。

生きるか死ぬかなど考えていた人間が虫歯ごときで遠い未来の病気にしょんぼりするというのも実に変な話ではあるが。
親知らず同様、我慢すればすぐ抜けるというわけには行かず、ぐりぐりねじねじされながら死ぬってこともあるわけだ。

虫歯の治療を受けていると自転車のパンク修理を連想した。
自転車のパンク修理なんてのは、自転車屋さんとしては簡単なものなので、ほいほいさくさくとやってしまうのだが、医者もそうなのだろうか。
人の命を預かっているとは言えど、自転車も遅いと言えど一応は乗り物で事故になれば人の命に関わる。
極論になるが、歯医者の方は命には関わらない分、自転車のパンク修理の方がよほど慎重にやらねばならない仕事ともいえる。

何にせよやはり仕事とは何事もほいほいさくさくしてはいけないものだなと思う。

ーーー

抜歯の失敗から別の歯医者に変えようかとアレコレ調べたりすると。
まあ、歯医者ってのもいろいろある。
出来る限り無痛治療を努力していますだとか、CTを撮れますだとか。
たしかに命に関わるわけじゃないにせよ、歯医者ってのはやっぱり痛いものらしく、あれこれ工夫している。

ただ、虫歯なんぞ結果としては治るのだから痛いのくらいは子供じゃないんだから我慢しろと言われれば、まあ、それが正論ではある。
それでも、あの手この手で宣伝する。
確かに料金が少々高くとも痛みなく抜いてくれるなら迷わずその歯医者にするのだろう。
以前の僕では考えられないが、今の僕はとにかく痛くなくて早く抜いてくれるところならいくらか高くても構わないと感じる。

歯の痛みってのは実にすごいものだ。
絶対死ぬことはないのに。

ーーー

今度こそ医療保険に入ろうかななどと考えたりする。
でも、何だかそういうのってズレてる気がする。
保身に走ることをズレているとかは思わない。
人生って長い。
そりゃ、若い時の方が濃密ではある。年取ってからの百万円と若い頃の十万円なら若い頃の十万円の方が価値がある。年取ってからお金をかけて良い経験をするのも大事だが、やはり若いうちに経験するっていうのは蓄積になる。蓄積されれば一生を通して使える。老後の世界一周も悪くはないが、やはり若い時に多少無理してでもした方が世界は広がると思う。
そうは言っても人生長い。
ぽっくり明日死んでやると言ったって、現実なかなかそうはならない。

ーーー

虫歯ごときで何を考え込んでるのやら。

ま、そんなこんな。


iPhoneから送信
posted by ちょろり at 23:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月03日

歯を抜く話。

虫歯の治療をしに行ったところが、親知らずで抜くことになったのだが、ペンチみたいなのでつかんで引っこ抜こうとしたところ歯が砕けてしまって難航することになった。
そこからウンウン唸って戦ったが、どうにも麻酔がうまく効かない。そこまで激痛というほどじゃないが、歯医者特有の刺すような鋭い痛みがちょくちょく走る。
結局、虫歯が奥まで進んでいて、神経が炎症を起こしていて麻酔がかからないということで、炎症を止める抗生物質と痛み止めを出されて、また来週続きをすることになった。

歯医者の痛みとは大したもので、全く命に別状はない。本当に放置し続けると虫歯菌が血液に乗って他の病気になることもありえるらしいが。
基本的には死なない。
そのくせ痛い。
粘膜だから痛覚は少ないというのが理屈の上だが、尖った痛みが頭にキンと抜ける。
昔、ヘソをいじり過ぎて化膿した馬鹿な友人がいたが、最後は腹が痛くなって救急で行ったところ太い管をズドンとヘソに刺されて人生で一番痛かった、形容のしようがない痛みだったという。その痛みに比べると歯の治療の痛みなど大したこともないはずだが、キンと頭に抜ける。
痛みが出た後痛いというより、あの痛みが来ると思うと嫌な痛みだ。

死ぬと痛いんだかどうだかということを考えたりもしたが、歯が砕ける程度で痛いんだから、命が砕けるとなるとさぞ痛いのだろう。

歯が砕けて痛がっていると、女の人が優しくなった。鬱病手前の時期もあるが、波があるので落ち着けば何ということはない。
何ということはないのだから、たまに来る波もさほど悩むこと、生きるだの死ぬだの悩むほどのことはなかろうと思うこともあるが、死ぬまでその波乗りを支えると考えるとやはり気のせいではない気もするが、気のせいと感じる時は気のせいだという気で生きてるのが気楽で良い。

そういうことを考えると自転車の旅は生きる力をくれたと感じる。
自転車の旅なんかもしんどい時はしんどい。まともに向き合うとゲンナリすることもある。
結局進むだけ進んで後はなるようになる、そんな感覚ってのは必要だし、やってる内にそういう感覚は身に付いてくる。

死にたいだの何だのの問題は極論すればそこに辿り着く。
考え詰めてずっと先のことまで心配すると、生きているのが絶望に満ちてくる。年金なんかもらえりゃしないだのなんだの。

はっきり言って、今の若い世代はどう足し算しても年金がもらえるわけがない。逆に年金がもらえるとしたら、どこからその金が湧いてくるんだという話になる。
答えは金融商品の運用で湧いてくる。
株価は不思議なもので、膨らむ。
どこから湧いてくるかと言えば人間の期待から湧いてくる。この企業が伸びるだろうという期待が膨らめばそこに投資する人が増えて株価は伸びる。
これは実にヘンテコなことだ。株なんてのは概念だ。それを買う人がいて、売る人がいて、それを買う人がいての繰り返しで勝手に膨らんでいく。
実際にはモノは何もない。
その企業の業績の良し悪しなんて言ったって、結局それもどこかから資源なりを取ってきたものを加工して売るなりで出て来る。
株の成立は大航海時代にある。
一回の航海に出るのに、お金持ちがスポンサーになってお金を出すと、失敗した時に残念なことになる。
それで複数でスポンサーになる。
成功すると配当がもらえる。失敗すると配当はもらえないどころか、追加の資金提供を迫られることもある。
成功を繰り返すと、そこのスポンサーになりたい人が増えて、スポンサー権を売り買いするようになる。
要は手付かずの財宝を探検に出掛けるという前提があって成立していた。
現代はそういう手付かずの財宝はないので、本来的には株価ってのは成立しないはずだが、手付かずの未知のアイディアなんてのも財宝の一種なので成立してはいる。
ただ、そんな風に株価が膨らんでも、実際はただの概念なのでやはり無理があるのが本来だ。
株価の幻想が膨らみ続ける限りは年金も成立するのだが、やはり株ってのはヘンテコなもののような気がする。
実際に年金は破綻しつつある。
株はまだ破綻していないが。

株価の幻想から連想するのはベーシックインカムだ。
衣食住に必要な最低限のお金はみんなに支給しましょ、ってやつだ。
これもまた実に幻想だ。
要は資本主義社会が進んで、格差問題が広がるので、最低限はみんなに保証しますよってわけだ。一生懸命働いた分は贅沢、嗜好品なんかに使って下さいね、と。
ローマで言うところのパンとサーカスだ。貴族は何もしなくてもパン、食料とサーカス、娯楽だけはあげますよ、と。そうしておくと民衆はほくほくして政治の細かいところを見なくなる。愚民政策だ。
年金なんかも月々いくらか納めてくれれば老後バッチシですから、なんて話だが。どう考えてもおかしい。株にしても、膨らむ一方なので大丈夫だよってのはやっぱりおかしい。
現役世代がリタイア世代を支えるための年金制度なんて言ったりもするが、老人が増え続ければ、支えようがない。
支えられている方の老人は仕事がないからといって公園の掃除や駐輪場の整理なんかして暇を潰している。

弱者をサポートするためのシステムは必要にしたって、明らかな破綻は良くない。

年金制度の問題は老人が偉いっていうことだ。
結局、選挙で力を持つのは老人だ。人脈があり、影響力がある。
仮に選挙権は現役世代のみって変われば、年金制度なんかすぐに変更になるかもしれない。

ある程度の弱肉強食、現実の上での優劣は必要なのだ。
そうしないと、馬鹿馬鹿しくなる。
全員馬鹿になれば万事解決。
全員お金持ちになれば万事解決。
そういうのはやっぱり無理があるのだ。

腕のある大工は食えて、腕の悪い大工は食うに困る。
それじゃ、腕の悪い大工がかわいそう。
そんなことを言ってるとどうにもならないのだ。

なんか話がどんどんそれた。

歯の痛い話だった。
いや、別にそんな話どうでも良いのか。

まあ、そんなこんな。


iPhoneから送信
posted by ちょろり at 22:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする