2018年12月27日

自分だけのための人生の墓場。

アフリカに行ってからどことなく老けたような気がする。単純に燃え尽き症候群だろうか。それでも、とにかくあまり物を考えなくなった。仕事が忙しくなったというのもあろう。人と一緒に暮らすようになったからということもあろう。

一つ大きいのは人目を気にして文を書かなくなったということだ。
仕事関連の無感情な文、自分にとって不利になるような文を書かなくなった。つまりは思想的な文や批判する文だ。

利害的なものもあるが、批判できなくなったということもある。
かつて自分が批判していたような人間に自分もなった。まるきり全てではないにせよ、まずあまり戦わなくなった。かつては戦ってナンボみたいなところがあったが、今はそういうのがなくなった。

みんなそれぞれ色々ある。
そう思うようになった。

日本は良くないとか、今の社会は良くないとかって素直に思わなくなった。
じゃあ、良いと思うようになったかと言えばそうでもない。
でも、みんなそれぞれ色々ある。
あと、僕も何だか忙しくなった。

忙しくなったとは言っても、実際何か大したことをしているかと言えば、昔の方がよほど大したことをしていた気はする。
どちらかと言えば雑事に追われている。
例えば飯を食うにしても、昔は自分一人の飯だったのでモヤシを炒めるか、カレーを作るか、チルドの餃子を焼くかくらいだった。自分は今もそれで構わないのだが、一緒に暮らす人もそれで良いというわけにはいかない。料理は半々くらいなのだが、相手が作ってくれれば、きちんと食べねばならない。
パソコンで調べ物しながら、タバコ片手にメモを取りながら食事するというわけにもいかない。掃除、洗濯にしてもそうだ。休日にせよ何にせよ、自分のためだけに全てを使うとはいかない。
特に調べ物、書き物という点では人と暮らす、誰かと生きるってのはデメリットが多い。
書くっていうのは膨大な時間が必要だ。今夜のように寝付けなくて深夜まで一人で起きているという日でもなければのんびり文も書けない。一緒に暮らしているのに毎晩そういうわけにもいかない。
当然、飲みにも行きにくい。飲みにいかないといろんな人と話したり眺めたり出来ない。

じゃあ、今の暮らしが良くないのかと言えば、そうでもない。

結婚は人生の墓場とは言うが、たしかにそうかもしれない。一つ目の墓場だろうと思う。自分のためだけの自分だけの人生が終わる。
誰かと生きる人生が始まる。

誰かと生きていて何か良いことがあるのかと言うと、寂しくない。
少なくとも文を延々と書かないとやりきれないような寂しさはない。
そうは言っても、それで何か生産になっているかと言えばそうでもない。
子どもを作れば未来を作ることにはなるが、とりあえずのところはまだ予定はない。

子どもを作るっていうのは、ある意味便利なことだなと思う。
もちろん大変なことだけれど、とにかく子どもを産んで育てる、これだけで人間として価値がある。生き物として価値がある。
非常にシンプルだけれど、生き物としては一番意義のある行動だ。

しかし、誰かと生きる人生、子どもを育てる人生となっても、自分のための人生ってのは完全に消失しない。結婚は人生の一つ目の墓場ではあるが、結婚しようと何をしようと死ぬまでは自分ってのは自分なのだ。自分のために自分が何かをしてやらないといけない。
やはり自分のための時間、活動ってのは何かしら確保しないといけないだろう。

アフリカで価値観が広がり過ぎたのかもしれない。
人間とは人間なのだ。
生きていれば生きた人間なのだ。
何も理解できていない気はするが。

ま、そんなこんな。


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2018年12月23日

時々、なぜこんなところにいるのだろう、という気持ちになることがある。

時々、なぜこんなところにいるのだろう、という気持ちになることがある。
群馬県だとかの土地の話ではない。人生の場所という意味でだ。
じゃあ、どこにいれば良いのか、いたい場所なんかがあるのか。

ひどくつまらないような気持ちになる。
昔はもっと楽しいことがあったような気がする。
実際には多分昔もそんなに楽しいことなんてなかった。
或いは今もそんなにつまらないわけでもないのかもしれない。
そう、別に何も悪くはない。

ベルリンの友人のことを考える。
別に立派なことをしてるわけでもない。ヒッピーみたいな具合で転々と生きているだけ。今は偶然ベルリンにいる。もしかすると、ずっとベルリンにいるのかもしれない。
異邦人として生きる。
多分、大変なことだろう。彼は大学も出ていない、本当のフーテンだ。アメリカに住む友人もいるが、そちらは大学を出て日本企業の現地駐在員としてアメリカに暮らしている。賢いのはきっとアメリカの方の友人だろう。
少なくとも僕よりは賢いし立派だ。

それでも、不思議とベルリンの男ってのは心捉えるものがある。
何をして生きてるんだか。異国には焼き鳥族ってのがいるのだが、要は留学なんかで行ったは良いが勉強についていけなかったり、夜遊びばかりに走って、結局日本料理店で焼き鳥を焼くアルバイトをして、言うなれば海外でフリーターしてるような人だ。ベルリンの彼は言うなればそういう焼き鳥族の一種なのかもしれないが、かと言って単純に学生時代の焼き鳥族でも、ワーホリ焼き鳥族でもない。クリーンさがないのだ。
もしかすると、お酒やマリファナだとかのやり過ぎで頭がラリってしまっているだけなのかもしれないが、なぜかベルリンの男は心に掛かる。
ミュージシャンでもアーティストでもない。
フーテンとは言っても別段放浪し続けてるわけでもない。

なんていうか彼は本当に一人きりで異国で遊び続けているのだ。
ただ、楽しいことを求めて。

いや、実際には近年、彼が何をしてるんだか分からない。
案外、言わないだけで大きなビジネスなんかしてるのかもしれない。実はすこぶるカタギな生き方をしているのかもしれない。
可能性はゼロではない。
僕も歳を取ったみたいに、彼も歳を取っているかもしれない。
僕がどうしてこんなところにいるんだろうと感じるようになったように彼もそんな状況にいるのかもしれない。

昔は友人で誰かすこぶる売れる映画でも発表して有名人にならないかな、なんて思ったり、スーパーミュージシャンやすごい画家になるやつが現れないかななんて思ったりした。
でも、最近はあまり思わない。
映画監督を目指していた男がいて、彼の場合、今もプロで映像屋をしているので、ふとヒット映画を出したりする可能性もゼロではないが。
もちろんそうなれば嬉しいは嬉しいのだが。

何というか。昔と違って、社長になるやつがいても不思議じゃない年齢になった。年収一千万円オーバーのやつがいても別に不思議じゃない歳になった。
何千万円だかの住宅ローンを組んで家を建てるやつがいるのも普通の年齢。
誰かが不意に大ヒット映画を作ったって、まあ、すこぶるすごいことだし、とても嬉しいことだけれど、なんというか有り得ることのように思えてしまうのだ。

なんて言うか出来ることが増えてしまって逆に夢がない年齢になってしまったのかもしれない。
自転車世界一周だって、やってやれないことはない。別に僕に限った話じゃなくて、自転車なんて全くの素人でも出来ないことはない。資金を集めて、年月を費やす覚悟とヤル気があれば誰にでも出来る。それこそ、先日、世界一周した人は今は再び南米を走っているが、元々は自転車なんて全くの未経験の人だったという。
南極点だって、本当の本当にヤル気になれば誰でもチャレンジは出来る。
大人ってそういうものだ。時間もお金もある。何よりも自分のことを自分で責任を取る。子どもと大人の違いはそこだろう。だれかに責任を取ってもらうとかってない。だからこそ、出来ることは増える。

でも、出来ることは増えたのに、やれることは随分と減った。
例えば明け方まで納得が行くまで文を書き続けるということ。昔はいくらでもやったけれど、今はやれない。もちろん、出来なくはないはずなのだ。
しなくなったとも言えなくもないが、やれなくなったっていう方が正しい気がする。

さらに歳をとれば家族が出来たりとかってのも出て、またやれなくなることは増えるだろう。
家族が出来るのは素敵なことだけどね。

どうしてこんなところに来ちまったのか。
じゃあ、どこに行けば良かったのか。
そんなにそこは良くないところか。
別に悪いところじゃないさ。
でも、どうしてこんなところに自分はいるのだろう。
そもそもここは一体どこなのだろう。
別にそんなことを知らなくても明日は生きていけるし、きっと知らない方が良いのかもしれないし、知ろうともしないのかもしれないけど。
どこだか、どんな場所だか知らないけど、どうして僕はここにいるんだろう。

昔は自転車で旅に出れば全てが解決したけど、多分、しばらくはそういうことでは何も解決しないんだろうな。

まあ、そんなこんな。


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2018年12月11日

野球の夢。

悪い夢に目を覚ます。
野球の夢など見るのはいつ以来だろう。
なぜか甲子園出場していて、僕は控えの捕手なのだが、突然、代打で出ることになり、そのまま捕手として守備に出ることになった。捕手として出る公式戦としては初試合らしかった。
しかし、プロテクターが見付からない。
「オーケー、オレが少し行って時間を稼ぐよ」
と言って友人が肩慣らしの間だけ代わりに出てくれた。しかし、僕のプロテクターは見つからなかった。

高校生の頃に野球を辞めた。小学校一年生からしていたのだが、高校一年の頃、勉強を理由に辞めた。実際、その頃の僕は医者になりたくて熱心に勉強していた。医者を目指すとなると、野球部の朝練、毎日の午後練をして七時半に帰宅してから3時間程度の勉強は必要だった。そして、また六時過ぎに起きて朝練に行く。12時に寝るとしたら、本当に休む暇なく野球をしているか勉強しているかになる。
これだけ強靭なメンタルで練習しないといけないのに野球部は弱かった。進学校の野球部とはそんなものだ。
一年の夏に辞めた。

一口に言えば、その野球部は練習時間が長過ぎか、或いは学校の出す課題が多過ぎだった。
僕のクラスは三年になると、いつも何人かが勉強のし過ぎか、勉強のプレッシャーでメンタル的な理由で休んでいた。ちょっと病的に勉強を詰め込み過ぎだった。

そう考えると合理的な理由で辞めたと今でも思うし、納得もする。
ただ、現実問題としては、僕は医学部には入れなかったし、大学も卒業しなかった。

夢から覚めた時に、ひどく心が痛んだ。
野球をしていると、ひどく緊張することがあった。チームスポーツに共通のことかもしれないが、プレーが回ってくると緊張する。失敗すると負けてしまう。
でも、試合で活躍したい、良いプレイをしたいからこそ練習もするので、試合でプレーが回ってくるっていうのは本来的にはゴール、目指すべきポイントの一つのはずなのだ。
多分、性格が出るのだろう。先頭打者ってのは気楽だ。みんなの期待がある。ノーアウトからランナーが出ると有利だ。でも、ノーアウトからランナーが出る確率ってそこまで高くはない。打率三割のバッターなら、フォアボールを入れても出塁率五割となればかなりの良いバッターになる。そもそも打率三割ってのはかなり良い。
良くて五割。期待はされるが、出れなくたって、ああ、残念で終わる。
リスクのない活躍のチャンスだ。
対して三番、四番は厄介だ。ランナーがいればホームに返す仕事になる。ツーアウトランナーなしでもホームランが狙えるバッターなら期待は掛かる。特に四番は後がない。三番は後ろに四番がいる。
バッティングはまだ良い。成功率の方が低いという前提だ。
守備はそうはいかない。ヒットの当たりは仕方ないにせよ、普通の打球はアウトにして当たり前なのだ。
そして、バッティングは自分が失敗しても誰かが入れてくれる。即負けにつながるわけじゃない。
しかし、守備は自分が失敗すると点になる。これは負けにつながる。特に外野手はミスが許されない。一発で点につながる。

野球では投手と捕手っていうのはとても特殊で、圧倒的に長時間ボールを持つことになる。
基本的に痛い。
投手は肩が痛くなるし、捕手はキャッチングを失敗すると指が痛い。
どちらかでも悪いと試合は負ける。

まあ、どこの守備位置も緊張感がある。
チームスポーツってそうだ。自分のミスでチームが負ける。
逆はない。自分の活躍だけでチームが勝つってことはないのだ。チームがつながって初めて勝ちがある。

起きた時の不快感はそういう緊張感のせいもあったろう。久々に味わう緊張。
そして辞めてしまったということ。
そのことにいまだに罪悪感を持っている、まさか10年以上たって夢に見るとは。

たらればを話したって仕方はないが、野球を続けていれば僕の人生は違ったんじゃないかと思うことはある。
医者にはなれなかったにせよ、大学は出れたと思うのだ。野球という集団に属して、人からはみ出ることなく生きていけたんじゃないかと。
多分、こうして文は書かなかったろう。
書く時間などなかったろう。
書く時間を取ろうとも思わなかったろう。
でも、多分、それなりの大学に行って、それなりの企業に勤めて、それなりの生活をしていたんじゃないかと思う。

逆に野球をしていたら、あの頃辞めていれば良かったと思っただろうか。辞めていれば医者になれたかもしれないのに、と。
結果論ではあるが、野球を続けていた方が勉強はしたような気がするし、医者にもなれたかもしれないとは思う。

たらればを言っても仕方ないが、結果は今の通りだ。
少なくとも野球を続けていたら今みたいな暮らしは無かったろう、良くも悪くも。

ただ、夢の中でもう少し良いプレーは出来たかもしれない。
あまり意味はないかもしれないが。それでも、僕は夢の中だけでも良いプレーをしたかった。

ふと一度だけ出た高校の公式戦を考えた。一年生大会というやつだ。
一回戦から強い高校とぶつかって負けた。
その時、相手のランナーにやたらと盗塁された。足も速かったし、投手が牽制、クイックモーションがロクに出来なかったせいもある。ただ、その事を考えると、タイムを一度取って、投手や野手に牽制の練習をさせれば良かった気がする。高校野球の弱小チームと強豪チームの差は残酷なまでに厳しい。だからこそ、勝ち負けは仕方ないと思い切って、今後の試合のために思い切って牽制の練習を投手と野手全員に実践の中でさせるべきだったんじゃなかろうか。
そうやって開き直ってしまえば、どこかに勝ちを掴むための糸口が出来たんじゃなかろうか。勝てなくたって投手を実践の中で成長させる何かがあったんじゃなかろうか。
勝ちを諦めるのは良くないとは言えど、試合の中で何かを掴むっていうのは大きい。
捕手っていうのはタイムをかけてそういう指示を出せる。
本来は監督が出すべきなのだろうが、監督が生徒に勝ちを諦めさせるわけにもいかない。

少なくともチームの次の試合のための何かを出来れば、僕は野球を辞めずに最後まで続けられたんじゃなかろうか。

続けたところで何があったというのか。
そもそも、今の暮らしだって気に入っている。
楽しい。
嫌なことも少なくないし、給料も休みも少ないけど、好きな事を仕事にするのは生き甲斐みたいなものを感じる瞬間がある。

それでも、夢の中でもう少し良いプレーが出来たんじゃないだろうか。
少なくともプロテクターを付けて、グラウンドに立って試合に入れたんじゃなかろうか。

ひどく寂しい、悲しい夢だった。
posted by ちょろり at 00:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月02日

ダメな人間ってのがいるものか考えたりする。

ダメな人間ってのがいるものか考えたりする。
どうも自分にはリーダーシップがないらしく、部下がどんどんと仕事をサボるようになっていく。当人たちはサボっている自覚はないのだろう。
基本的には、「それは私の仕事じゃないですから」「○○さんはしてないのに私だけしないといけないんですか」みたいなフレーズになってしまう。こうなると僕はもう諦めてしまう。
すぐ諦めるのは悪い癖なのだろうが、昔、勉強していた時に分かったことがあるのだが、出来ない人間はどうあっても出来ないのだということだ。別に勉強が出来ないからって駄目ってことはない。
ただ、出来ないものは出来ないのだ。なぜ出来ないってマインドセットが出来ないからだ。

僕は芸能人の顔と名前が全く分からない。目の前に明石家さんまがいても分からない。特に今はテレビ自体見ないので、誰が有名なんだから名前すら分からない。一口に言えば興味がないのと、必要性を感じないからだ。
芸能人の顔と名前は分からなくても今のところ困ってはいない。
興味と必要性を感じるのに出来ないことと言えばジャズギターの演奏だ。これに関しては僕は興味もあるし、必要性も感じている。ジャズが出来ればやはり人生楽しかろう。
なので勉強してみたし練習もしてみたのだが、ジャズギターはさっぱり分からない。
要は出来ないものは出来ないのだ。

恐らくジャズギターを出来るようになるためには、まずバンドを組む必要がある。ジャズじゃなくて普通のバンドでも良い。そして、楽曲をいくつかこなさないといけない。そうして誰かと合わせる、一曲を誰かと演奏しきるっていうやり方を知らないといけないのだろう。恐らくそのためにはコードをつまずかず弾けたり、ちょっとしたソロを取れたりしないといけないのだろう。そこからジャズバンドとかに入って自分に必要なスキルみたいなものを感じて練習していくのだろう。
要は環境が作れないから出来るようにならないのだ。

重要なのは環境を作れる能力があるかどうかだ。

最近は珍しくロードバイクのレースのトレーニングなんかをしている。
これは環境があるのだ。
以前いた店よりもお客さんがレースに興味があり、高額な車体にも興味があるし、早く走れるようになる方法を知りたいと思っている。
こうなると自分もいくらか速く走れた方が良い。最速まで言わずとも、ある程度、少なくとも一般人には程遠いレベル、実業団レーサーにヤバイと思わせられるレベル、自転車屋の店長ってのも大変なのだ。
何にせよ、そういう環境にいると、日々トレーニングをする必要性、興味、そして速くなるための環境みたいなものがある。
次の春くらいまでにワンランク速くなるだろうと思う。
別に速くて偉いわけでも何でもないが、やはり職業上、遅いよりは速い方がいくらか良いことはあるだろう。

小説に関してはどうだろう。
出来ない人間なのだろうか。
小説が書けるか書けないかって、読みたいものを理解する力だと思う。自分はこういうものを読んでみたい。こんな小説があれば良いのに。
自分自身の読みたいものに限らず、多分こういうのを読みたいって感じる人々が世界にいるんじゃないだろうか、っていうところまで拡張出来れば良いのだろう。はたまた、世界にこんな小説があれば良いのにと思う力だろう。
最近の僕にはそういうのがめっきりない。
偶然、当たる面白い読み物、作品というのはあるにしたって、どうも声が聞こえない。人の心が見えない。

昔はもっと人の心が見えた気がする。こういうことをすればどう思われかみたいなことを考えていた気がする。
歳を取ると、特に男の人って横柄な態度を取るようになる。接客業をしているとよく思う。仕事なんかでは謙虚なのかもしれないがプライベートに関しては男の人は歳を取ると横柄になる。特にサラリーマンの人はそうだろう。経営者の人とかって意外とそうでもない。まあ、いついかなる時も会社の看板を背負って生きているわけだ。どこそこの会社の社長が非人道的な振る舞いをした、などとなれば会社の評判が下がるし、それはイコール自分の財産が危うくなることだ。それに経営者とは人を動かしてナンボだから、やはり人に対する接し方みたいなものは洗練されたものがあるのだろう。

はて、ダメな人間。
別に成功者と呼ばれる人が良い人間というわけでもなかろう。それにしたってダメな人間とは何ぞや。
生きてればいろんな人からいろんな評価をもらう。
良い評価ばかりじゃないし、悪い評価ばかりでもなかろう。
悪い評価が多いからダメな人間かと言えばそうでもなかろう。

最近、僕にはエリキムエンダというアフリカ人からお金かしてとよくメールが来る。エリキは非常に良い人だった。なんと親切で素晴らしい人間だろうと思った。アフリカの小さな村のオートバイのメカニックなのだが、当然と言っては失礼だがお金はないだろう。彼はその村で非常に僕に親切にしてくれた。僕は感謝の気持ちに彼に何か礼がしたかったし、その頃、毎日ギブミーマネーと人々に言われていたこともあって、彼に少しチップをあげたいと思ったのだ。しかし、彼は断った。それどころか朝ごはんやジュースなんかをご馳走してくれた。村のジュース屋さんには冷蔵庫によく冷えたマンゴージュースがあった。その辺で拾ったマンゴーをしぼっただけのものだろうが、これがすこぶる美味しかった。アフリカの村ではコーラを買うにしても冷蔵庫がないことも珍しくない。エリキは村を案内してあげようと言い、一周することになった。普通の民家のようなところに入る。土を固めたような壁の立方体の空間の中にプラスチックの椅子が三脚ほど、そして冷蔵庫があった。エリキは女の人を呼び、そして冷蔵庫からマンゴージュースを出してくれたというわけだ。エリキの知人の家なんだか、それとも村のジュース屋さんだったのか。恐らくジュース屋さんなのだろう。エリキの知人、普通の人が家に自前のプライベートな冷蔵庫を持っているとは考えにくい。
エリキに何があったんだか分からないが、僕が日本に帰ってしばらくして、エリキはダルエスサラーム、タンザニア最大の都市に住むようになったらしい。ダルエスサラームはアフリカの中では巨大な都市だ。中心部にはなんのビルだから詳しいことはよく分からないが、ドカンと明らかにアフリカらしくないビルが建っている。先進国のビルと変わりない。そのエリア以外にもビルはあるが、ビルというよりは日本だとボロい団地みたいな建物だ。アフリカらしくない綺麗なビルには国連の何だかが入っているとか何とか言ってた気がする。
それでも、道路の真ん中に謎の穴、僕は初日からその穴に片足落ちて大怪我しかけたりしたのだが、そんなのがあったり、少し離れれば、ああ、アフリカではある。そうは言ってもダルエスサラームは飛び抜けて大都市である。アフリカとは僕ら日本人の想像を越えてアフリカである。

さて、エリキ君は冷蔵庫がないのも当たり前な感じの村、実際、その村に泊まった夜は停電で電気がつかなかったのだが、それがなぜだかダルエスサラームに行った。
かつてはチップどころか朝飯代すら受け取るのを拒否した男がなぜかギブミーマネーになった。プリーズヘルプミー、アイスタートスモールビジネス、アイニードヘルプ。みたいな具合である。ちなみにこれはエリキに限らずアフリカで知り合って連絡先を交換した人からはぽろぽろ来る。基本的にみんなスモールビジネスを始めたいから少しお金支援してと言ってくる。1000ドルからスタートして500ドル、ほんの少しで良いからとお願いしてくる。じゃあ30ドルくらいなら良いよ、で、どうやってお金を送れば良いの?となったところで基本は終わる。ウェスタンユニオンの海外送金を使ってくれと言ってくるがやり方もよく分からないので、分からないと言って終わる。
実際50ドル程度なら支援したって良いと思っている。世話になった。50ドルというと僕ら日本人には、まあ、少ない金額だ。世話になった人が困ってるならあげたって構わないと思う金額だ。
ただ、タンザニアの地方の人にとっては半月から一月の稼ぎに近かったりする。少なくとも50日毎日ビールを一本ずつ飲める。僕ら日本人にはビール一本じゃ物足りないが、彼らの収入だと1日に何本もビールを飲むって簡単じゃないように思う。まあ、人によるのだろう。実際、村でビールをご馳走してもらったこともある。
そう、お金があるときには人にご馳走するのも、お金がないときに人にご馳走してもらうのも彼らには自然なことなのかもしれない。
僕はタンザニアのことを深くは知らない。せいぜい一月くらいだ。それもたいていは自転車こいで、飯食って、ビール飲んで寝てただけだ。ちなみにタンザニアのビールは結構美味しい。アフリカの走った国の中ではタンザニアがビールは一位だった。あとはナミビアか。でも、ナミビアと違ってタンザニアのビールは大きかった。バリディ、サーナと言わないとぬるい常温のビールが出て来る。意外と慣れてくるとそれも結構美味いのだが。
その程度しかタンザニアのことは知らない。でも、ダルエスサラームは好きじゃなかった。
何だかスラムって感じがした。もちろん、タンザニアの中では最も大きくて洗練された都市なのかもしれないが。アフリカの首都はどこもそうだったが、貧富の差みたいなものが明確に見えた。村なんかは貧しいのだが明るい。貧乏は身近なものであり、忌み嫌うものでも不幸なものでもなく、普通のことみたいな。貧しさに親しみみたいなものが感じられた。もちろん、大変なのだろうが、悲壮感みたいなのがなかった。
エリキはなぜダルエスサラームに行ったのだろう。

エリキはお金持ちになろうとしたのかもしれない。
裕福な暮らしを夢見たのかもしれない。
それは責められることではない。

お金が欲しい。
でも、働きたくない。

人間ってそんなもんなんだろうか。

ダメな人間とは何だろうか。

ま、そんなこんな。


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