2019年01月20日

飯を作るとレシピを見ろと言われる。

飯を作るとレシピを見ろと言われる。
美味けりゃ何でも良いんじゃないかと思うが、美味いものより不味くて良いからインターネット上で評判の良いものを食べたいのだと言う。

書き物をしてると不思議に思うのが、生身の人間より文の情報を人間って信じる。
何ともヘンテコな話だなと思うのだが、ペンは剣よりも強し、という言葉もある。

元々は暴力で圧するより、言葉の方が人間は納得して自発的に動く、つまりは北風と太陽というような意味だ。
しかし、今はすっかり逆転してしまっている。
ペンの方が遥かに暴力になりつつある。

ここ数年、調べ物をするのにインターネットというのは昔より役に立たなくなったと感じることが多い。
広告収入、まあ、私もそれでいくらか収入を得ているのも事実なので全否定もできない立場なのだが、検索キーワードに引っかかるように文を作れば、検索の上位に出てしまう。
その方法というのが実にチープなもので、
・更新頻度
・写真の有無
・キーワードの現れる頻度
・ロボットじゃなく人間の手書きによるもの
なんて辺りで、情報のディープさ、詳しさというのは関係ないのだ。

だから、そのルールに則ったページばかり出て来て、肝心の欲しい情報にいつまでも行きあたらない。

昔は広告収入とかって基本的になかったので、好きな人が好きな情報を作る。調べる人は気に入れば直接にその製作者に連絡を取って感謝を伝えた。
お金って基本的に入らなかった。
それでも、自分の好きなことを文や写真にして発信して、それを感謝してくれる人がいて。
純粋に好きな人が好きなことを発信して、好きな人が調べて読んだ。

はっきり言って、インターネットは死んでいる。
インターネットほど秀逸なメディアはなかなかない。
しかし、一口に言えば愚民がインターネットを殺してしまった。
コーヒーの入れ方一つにしても、調べてみたって大手企業のマジョリティ向けの宣伝や、キーワードだけたくさん散りばめたウィキペディアを書き換えただけのようなページにしか当たらない。

図書館にしてもそうだ。
情報を求めて行っても、入門書ばかりが書棚に並ぶ。
図書館にいる人だって、本当の本好きもいくらからいるけれど、何となく図書館に休日行くのがオシャレみたいな人々が増えた。

ーーー

すこぶる悪い言い方をするのだが。
生計に関すること以外のことって、余裕のある人の特権なのだと思う。
お金持ちの特権とかじゃない。
人生、等しく時間ってのはある。
それを何に割り振るかってのが人生だ。
何でもかしこでも知ってて素敵なんてわけにはいかないし、それを出来るのはそれこそ貴族であるべきなのだ。
庶民は時間が限られていてしかるべきなのだ。

一つのことをするって時間もかかるし、お金もかかる。
それが本来なのだ。

でも、どの業界もそうだけど、マニアじゃなくてビギナーを取り込もうとする。
そうしないと儲からない。
ノースフェースみたいなものだ。
本当の登山好きじゃなくて、タウンユースでも着たくなる服を作るメーカーが人気が出る。
人気のないメーカーはマニアにはうけたって、結局資金繰りが詰まって、何年かすると消えてしまったりする。

お金の上に立って生きていて良いことってあまりない気がする。
それでも、人間お金の上に立って生きている。
ずいぶん時間をかけた結果、お金の上に立つことに決めている。

ヘンテコな話だ。
ほんの数年でインターネットが死んでしまったりするなんて。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 22:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月06日

時々、ケータイのゲームにハマることがある。

時々、ケータイのゲームにハマることがある。
元はペンキ塗りのアルバイトをしていた頃だ。
なぜかドカタの人たちってケータイゲームが好きだ。お金もかからないし休憩時間にぼんやりとタバコを吸いながらやるのにちょうど良いのだろう。話題にもなる。
ハイエースの中をタバコの煙で充満させながら協力プレイが何とかと話をする。
それぞれ一人親方でやってたり別の親方のところで働いているのを忙しさで人を貸し借りするのだが、共通の話題としてゲームがあるっていうのは良いのだ。
どうでも良い会話というのは大事で、サバサバしていると、誰それの現場の時は誰それがやる気がないとか、どこそこの親方の仕事の取り方がえぐいだのと、まあ仕事、日々の生活のかかった金を稼ぐための営みをしているとあれこれ揉め事が起きたりすることもあるらしいのだが、どっちでも良い時間潰しのようなゲームで協力プレイをしてたりすると、
「え、そのキャラどうやって取ったん?」
「今日何時からイベントだっけ?」
だの、まあ、実にどうでも良い会話で和気あいあいして良いのだ。
まあ、何かと程よいのだ。

そんなわけで僕もゲームを始めると、
「ふくちゃん、最初はこのキャラからやっていけばええんよ!オレをフレンド申請しとけば序盤は楽勝よ!」
なんて具合で優しく教えてくれたりする。
基本的に優しくて兄貴肌な人が多かったというのもあるかもしれない。
実際、僕はパチンコもやらないし、ナンパもしない、キャバクラも行かないし、若い頃にケンカもしなかったし、良い車も持っていないから、ペンキ屋さんでの話題ってゲームがあるとすごく助かった。

ペンキ屋を卒業しても、まあ、卒業といっても何も覚えていないのだが、基本的に塗料の缶を運んだり、塗料をまぜたり、簡単な下塗りだけやったりくらいだったのだが、何にせよペンキ屋をしなくなっても、僕はケータイのゲームを時々するようになった。
別に大して面白いわけでもないし、生産的でもない。
ただ、何となく心の癒しがあるのだ。
特に頭を使わずぼんやりとスマホをいじる。
そんなことが心の癒しになるのは不思議なことのようにも思うが、何にも頭を使わずぼんやりと時間を過ごせることって癒しになるのだ。

スマホのゲームなどしなくても、ぼんやり空を眺めれば良い気もする。
案外、これが出来ない。
旅の日々の中では簡単だったのだが、普通の日々だとアレコレ考え事があったりする。
何もせずぼんやり過ごす時間って案外難しい。

友人でスマホゲームの達人が二人ほどいるのだが、一人は世界ランクでも上位に行ったりする。課金なしでそのくらいは行けるとのことだが、確かにいつでもゲームをしている。
ちなみに彼も仕事がなかった頃はドカタをしていた。
もう一人は配送の運転手をしているのだが、運転中に延々とやっているらしい。

まあ、大人になるってのは多かれ少なかれそういうところがあるんだろう。
昔なら英単語の一つでも覚えるか、とかだったが、英単語を覚えたところで使う場面がない。仕事で使う機会があれば、必然的に勉強するし、勉強する必要がない場合は使う場面がないということでもある。
日々の生活、仕事の中で即戦力になるようなことしかしなくなっていく。或いは全く無意味なこと、してもしなくても良いこと。した方が良いことってのは、しないと罪悪感もある。してもしなくても良いことは、しなくたって良いので、気が向いた時だけぼんやりとすれば良い。気楽なのだ。

まあ、人生、そういう要素も必要なのだろう。
いや、必要じゃないからこそ気分転換に良いのかもしれないが。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 22:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月04日

アフリカの話をそろそろ文にしようかと目論みつつ、すぐつまづく。

アフリカの話をそろそろ文にしようかと目論みつつ。
そうは言っても昔みたいに小説にするのはどうも難しい気がしている。
昔のは何だかんだで小説だった。
今回は写真集にしようかなと思いつつ。

そうは言っても、はっきり言って個人の旅日記なんかほとんどの人が興味ない。
それに対して芸能人や著名人の文章ってのは興味がある。村上春樹がトライアスロン日記なんて出したら、まあ、それなりに売れるような気がする。内容はどうあれ。
無名の個人の文章ってのは実に難しい。

手に取る人がいなければ、文とは寂しい。
一冊の本を作るときに難しいのはそこだ。
それでも、文とは寂しかろうと無意味だろうと存在しさえすれば存在しているのだ。

ーーー

小説とノンフィクションの境目って難しいとは思う。
以前の南米の話はノンフィクションではあったが、小説だったように思う。

ノンフィクションとは何ぞや。
これは難しい。
難しいので考えない。

ーーー

これまではBCCKSという出版サービスを使っていたのだが、今度はNEXT publishingなるサービスを試してみようかと考えている。

このNEXT publishingというサービスはAmazonのオンデマンドプリント、要は注文が入ってから印刷して製本して販売するというシステムを使ったサービスらしい。
PDFで入稿したら、あとは売れたら、その都度仲介手数料がかかるが基本的には作家の方は出費ゼロで出版が出来るというわけだ。
紙の本を発信するには良いサービスだ。

BCCKSは小説なんかには良い。
電子書籍でAmazonや楽天など様々な電子書籍ストアに配信してくれる。
電子書籍での発信のメリットは、とにかく購入者が安く手に入れられるということだ。
広く読んでもらいやすい。
出版社なんかの目に止まるチャンスも高い。

ただ、BCCKSはPDFなどでの入稿が出来ない。有料オプションでMacを使ってePUBファイルというのを作れば出来ないこともないのだが。貧乏人なのでWindowsしか持っていないので無理だ。
基本的にはブログのような形式で入力していくことになる。
写真をメインに本を作るとなると、BCCKSのやり方だと厄介だ。何より我が家のインターネットは遅い。オンラインでの原稿作成ツールを使うのはかなり無理がある。
オフラインでPDFで作って、紙の本に印刷してくれるってのは良い。
しかも、アマゾンで販売してくれる。
別に無料で良いのだが、現実問題として、
・紙に印刷するにはお金がかかる。
・電子書籍は現実的に普及していない
・Webページとして作っても良いが、Webページって流し読みになって最初から最後までを読んでもらえない。
なんていうことから、やっぱり紙で発信するというのは重要なのだ。

ーーー

はて、そんなわけで写真を整理してみたのだが。
どうも去年くらいに同じ作業をしてつまづいた覚えがある。

やはり僕は元が写真メインではないので、写真を基軸に本を作るってのがイマイチ分からないのだ。
起承転結を付けて、最後に向けて物語を進行させてテーマを展開していくというやり方しかして来ていない。

ふむ。
いきなりつまづいた。

結局、今回もアフリカ編は完成ならずか。
まあ、そうは言っても一応最後まで作ってみようかなと思いつつ。

どうもアフリカ編は以前に小説も書こうとして十万字近く書いてみたが、全ボツになったりと上手くまとまらない。
実際、アフリカでのことって何をどう文にすれば良いんだか分からないってのが本音ではある。

まあ、のんびりやっていくさ。
辞めてしまわなければ、いずれは完成する。
人生を通してゆったり長く執筆はしていけば良い。

まあ、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 23:58| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月03日

青年くんはFXで勝負すべきか。

今日は自転車でぶらぶらと秩父の方へ出掛けた。

今年はちょろり草を出来るだけ毎日書いていこうと考えてはみたのだが、やはり自転車の方のブログと両方書いていて毎日ってのは難しい気がする。

それでも、毎日ちょっとでも何か書いてみて、何日か合わせて一本書くってのでも良いかって気はしている。

基本的には日記には鮮度が大事だと考えていたので、その日の日記はその日の内に書ききってアップロードしないといけない、続きを別の日にまたがるって微妙だと考えていた。
何より書きにくい。
日記なんて、そんな大したことを書くわけでもないので、一日経てば、なんでそんな話題を書いていたのかも思い出せなくなってしまう。
そうは言っても、そういう書き方も必要であれば、やはり覚えないといけないだろう。

ーーー

今日はお金と仕事のことなんか考えたりした。
知人の若者がFXで一儲けしてやろうと考えているのだ。そのことについて一緒に自転車で出掛けていたKさんなる人と、「どうなんでしょうね、心配ですね」などと話したわけだ。

実際、僕も株なんかはやっている。
FXも手を出そうか考えてもいる。
別に必勝法はない。
むしろ、先日、株の方で大敗してしまっている。僕の買った株が突然大暴落してしまっている。まあ、大暴落と言っても1年か、長くても三年ほど待てば元の値段くらいまでは戻るのだが。
株は長期的な目で見れば、その会社が上場停止なんかにならない限りは元の値段までは戻ってくる。

FXも基本的には放置していればいずれは元のポジションまでは戻る日は来る。
問題はFXはレバレッジ、つまり自分の持っている金額の何倍という商品を買えてしまう。10倍にしていれば、勝ちも負けも10倍になる。
これがFXで一発当てる人がいる理由だ。
逆に財産をなくしてしまう人も出てくる。

基本的には当たり前と言えば当たり前なのだが、勝ちだけ見込みの高い博打など存在しない。
FXは博打じゃなく投資だという人もいるが、噛み砕いて考えれば上がるか下がるかの丁半博打である。

基本的には丁半博打については倍プッシュし続ければいずれは勝てる。倍プッシュとは負けたら次は掛け金を倍にして賭けるというわけだ。
勝てば前に負けた金額を回収できる。
負けてもまた倍プッシュで良い。
問題は掛け金がそんなに続くかという問題ではある。
あとは倍プッシュして買ったという時に勝ち幅が小さくても意味がない。

投資と投機と博打の違いとは、負けた時の幅だ。
博打は負けたらゼロになる。
投機は負けるとゼロまでは言わずとも大きく負ける。
投資は負けても減るのは一部のみだ。
要は用意する資産を長期的に運用出来るかどうかだ。博打は負ければ一瞬で終わってしまう。
FXはレバレッジのかけ方によっては投資だし、大きくかけると博打以上にリスキーになる。
また選ぶ通貨にもよる。円、ユーロ、ドルの三代通貨はリスクは低いがマイナー通貨は暴落したりがある。

ーーー

Kさんは割と心配していたが、僕としてはFXでも何でも興味があることは試してみるのは良いことのように思う。
その若い子、青年くんとでも呼ぶことにしようか、青年くんは自動でコンピュータが運用してくれるシステムを30万円で買って一儲けしてやろうという魂胆らしい。

「そんな上手い話あるわけないだろ。やっぱり汗水垂らして働かないといけないんだよ」
というのがKさんの考えである。

Kさんの言う理屈は正しい。
実際のところ、FXはコンピュータでかなり勝てるというのも事実ではあるが、そこまで勝率の高いシステムが30万円程度で買えるとは思えない。
何せそんなに勝てるシステムなら30万円で売らずにそのシステムで儲けた方が早い。
何せ一万本売れたとしても30億円である。
30億円と言えば大きい金額のようでもあるが、放置しているだけで楽して勝てるなんて、そこまで勝率の高いシステムなら元の資金が100万円もあればすぐに稼げそうな金額である。

現実一万本も売れるかっていうと微妙な気はする。
何だかんだで一万人くらいは甘い話に飛び付く人も存在するかもしれない。
ただ、仮に一万人買ったとして、そのコンピュータが同じように投資するとしたら、一万人が投資する未来が製作者には分かるということでもある。ただ、一万人程度の投資で相場がどの程度動くのかってどうなんだろう。
世の中、もはや天文学的数字のような財産を持ってるような人もいるわけだし。

何にせよ、順当に考えればやはりK氏の理屈、「世の中そんなに甘くないって」
というのが正しい。

ーーー

ただ、実際に投資で大儲けしたことのある人を僕は二人ほど直接見たこともあるので、存外、可能性はゼロじゃないと思ったりはする。

ただ、青年くんは仮に勝ったとしても、結局上手く使えないような気がする。
博打で買った金とは湯水のように消えるものなのだ。
もちろん、一生をプロの相場師として生きていきたいと強く考えていれば話は別だろうが、単純に仕事が嫌で働きたくない、お金が欲しいってのは上手く行かない場合が多いのだ。

実際、僕の知る投資で大儲けした人は、勝ったは勝ったが、段々と数字の感覚がおかしくなってゲームみたいになって、結局最後は必要な分だけ残して、あとは全部賭けてなくしてしまったと言っていた。そして、焼き物職人として生きていた。今はどうしてるかは知らない。
もう一人の人はやはり膨大な金額を持っているが、どうもお金というものの感覚がよく分からなくなるらしく、高いもの、良いものと呼ばれるものを買っても全く嬉しくなくなって、世界を旅して、自分自身が価値があると感じたものにだけ使うようにしているとのことだった。なので、生活は意外なまでに質素だ。意図的にそうやって質素にしておかないと、喜びや面白みがなくなってしまうらしい。その気になれば、お金で買えるものは何でも手に入るってのも案外大変なのだそうだ。

青年くんも仮に勝ったところで、中途半端な価値なら湯水のように使ってしまって、むしろその後負けて借金になったりするかもしれない。大勝ちしたとしても、明確にお金を使ってどうしたいということもない。車が欲しいとかはあるみたいだが。

ーーー

根本的な問題としては、仕事をしたくないってところだろう。
まあ、僕もくたびれるので仕事なんかしなくて良いならしたくない。たまに気が向いた時だけちょっと働くなんてのが嬉しいは嬉しい。
でも、そうなると誇りってのは持てない。
サラリーマンだろうが何だろうが、やはり仕事には誇りってものがある。

というのも、仕事って意外と難しい。
子どもの頃は大人になればみんな何かしら仕事を出来るようになるものだと思っていたが、実際にはみんなそれなりの苦労をして今の自分の仕事が出来るようになっている。
苦労して出来るようになったことって、やはり誇りがある。

僕の場合、好きなことを仕事にしているけれど、やはり仕事は仕事である。それなりの苦労はある、というか好きなことを仕事にするのは苦労が多い。
縁があって結局自転車屋なんて形で働き続けているが、給料も休みも悪いし全くオススメはしない。
それこそ日が変わって一月三日となったが、今日も勤務だった。三が日くらいゆっくりしたいというか、年末年始は二週間くらいはぼんやりしていたい。
そんなわけで人にはオススメしないが自分としては誇りを持って働ける仕事なので良い仕事だと思っている。

ーーー

青年くんはFXで一儲けしたいというが、その実、一儲けなどしなくとも働きがいのある仕事がしたいという方が正しいのだろう。
「まあ、たしかに複雑になりましたよね。昔って働いていればそれで良かったけど。なんか最近ってテレビなんか見てると、年収は500万円とか、年間休日百三十日とかが普通って言いますしね。青年くんみたいに派遣で働いていると、仕事なんか馬鹿馬鹿しくも感じるし、FXで一発当てるって夢を見る方がよほど現実的かもしれないですよね」
「まあ、そうなんですけどね」
「そう、そんなんですけどね、ですよね」

ーーー

K氏とアレコレ言っては見るものの、青年くんは興味があるならFXで一発狙ってみるのが良いような気もする。

他人事だからってのもあるが、どかーんと二百万くらい借金してみるのと良かろう。二百万くらいなら10年もすれば笑って話せる借金だろう。
はたまたドカーンと大投資家になれるかもしれない。
はたまた案外どっちにもならず、単に30万円損するだけかもしれない。

ただ、モヤモヤとFXしてみたら大儲け出来るかもしれないと思い悩んでいるよりは、人生は経験だ。
200万の借金で買える経験なら安いものだと思う。
一千万円負けるとちょっと話は変わるけど。

実際、僕自身、海外に自転車で旅するということで何だかんだでトータルで二百万くらいは沈めてきた。実際に使ったのは百万くらいだが、その無職の期間に普通にサラリーマンしていたら入っていただろう収入なんか考えれば200万くらいは堅い。
それどころか、まともに大学を卒業してサラリーマンしていたら、今頃年収も百万くらい違って、ゴールデンウィークなんか十連休だったろう。
そう考えると20代の頃にほんの少し異国を自転車で放浪したことでの損失って500万円くらいに登るかもしれない。

でも、お金持ちが一億円出したって、自転車で異国を旅する経験は買えないのだ。
経験ってのはやはり偉大だと今も思う。
それでいくら得するか損するか、何かに役立ってるかなんかは知らないが。

人は思い出を積み重ねて生きるものだ。
目の前の札束はいくら積み上げても思い出にはならない。

ーーー

欲に駆られてFXしてみて、何が手に入るか。
それは分かりはしないが、青年くんくらいの年齢で30万円使ってやる遊びって決して安いものじゃないはずだ。
やってみるのは大事だと僕は思う。

少なくとも僕やK氏はしなかった体験だ。

体験なら何でもしとくべきかと言えば答えはノーだが。
本人が本気でしてみたいと感じることについては、やはり体験してみるべきだろう。
やるからには全力で勝ちに行く、全力で楽しみに行く。

そういう体験の積み重ねの先に仕事ってあるべきだろう。

まあ、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 20:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月01日

ちょろり草は終わるのか、毎日になるのか。

平成が本当に終わるということを大晦日に知る。そろそろ終わるということは知っていたが四月までで終わるなんて具体的に決まっているなどとは知らなかった。
ニュースも見ないと。

別に狙ったわけじゃないけれど、ちょろり草も平成の終わりと一緒に終わるのかもしれない。
実質2018年はほとんど書かなかった。

ブログも長く書くと愛着が湧く。
かれこれ10年以上日記を書いた。
ちょろり草の前にも書いていて、最初は確か高校生の頃だった。ちょろり草の最初の記事はスマートフォンからの過去ログからは開けないほど古いが、その前から日々書いていた。

何のために日記を書くか。
一口に言えば王様の耳はロバの耳だろう。
別に悪口を書くとかいうわけではない。
日々生きていると思うことがある。しかし、それを全て口に出して人に話すことは出来ない。誰かに話すべきことじゃないってのもあるし、単純に物理的に不可能だということだ。
歩きながら考えついたことを延々と書いてみるという実験をしたこともあった。その頃はツイッターなんかも流行り始めた頃だった。

元々は小説の練習のため、ネタ帳的なものだった。
小説も書かなくなった。
最近は仕事の自転車関係の文についてはほぼ毎日書いてはいるものの、何とも無味乾燥でつまらない気がする。自転車に関する情報という意味ではある程度の意味はあるのだろうが、文章として面白かったり美しさがあったり、思想があるかっていうとないだろう。
数年もすればAIでも書けるようになるかもしれない文章とも言える。
その点、ちょろり草は未来永劫AIには書けない文章だろう。

王様の耳はロバの耳。
この話は元々は、神様の呪いでロバの耳にされた王様。王様の耳のことをしるのは行きつけの床屋のオヤジだけ、必ず秘密を守るよう約束するが、床屋は心にしまった秘密を我慢出来ず井戸に向かって叫ぶようになるのだが、井戸を通じてみんながそれを知ってしまう。耳の秘密を知っていたのは床屋一人だけなので王様は床屋を殺してしまおうかと考えるが、許してあげることにした。みんなの意見が聞けるよう大きなロバの耳になっているのだと打ち明けた。すると、その寛容の精神を神が認めて呪いを解いてもらえてめでたし、という話だ。
井戸じゃなくて穴を掘って叫んだが、その近くの葦が「王様の耳はロバの耳」と歌うようになって知れ渡るなどのバリエーションがあるようだ。

本来は寛容の精神のお話みたいなところだ。
ただ、このロバの耳の話っていうのに関して僕はしみじみ思うところある。

大人になるにつれて僕らは言葉を発さなくなる、そんな風に僕は思うのだ。
子どもなら王様の耳はロバの耳なんて気にせず叫ぶか、別に誰かに言いたいとも思わずコロリと忘れてしまうだろう。
大人になるほどにロバの耳のような問題が増えてくる。
正しいことを正しいと言えなくなったりする。
童話つながりだと裸の王様だろう。王様は裸だって叫ぶのには勇気がいる。
口にしてはいけない秘密や、言葉にしてはいけない考えみたいなのが増えてくる。

そういった言葉にしない方が良いことを口に出さず、言葉にせず、考えず。
そうやって生きる方が人生は楽チンだ。

でも、それをやってると世界は滅んでしまうだろう。
暗黙の多数決ってのがある。
基本的に今の世界は多数決だ。多数の単位は何人かじゃなく、権力やお金なんかも含めた力の強さだ。
少数派が声を上げてもいかんともしがたい。
昔はデモとか学生運動なんかがあったそうだが。

平成がいつ終わるかも知らなかったくらいなので、最近は本当にニュース、政治などさっぱりなのだが、安倍首相がトランプ大統領と仲良さそうに映っているのを見ると、詳しいことは分からないが、なんかこりゃヤバイんじゃないかなって思う。
中国がスーパーパワーを持ち始めて、世界に不穏な空気が出ている中で、原発も吹き飛んだし、アメリカさんに助けてもらうために、これまで以上に媚びないといけないとかの理屈は分かるが、それって本当に大丈夫なのかって話だ。
多分、多くの人がそういうのって思っているだろう。もちろん、政治に関する考え方って人によって違うから、安倍首相が好きって人も中にはいるだろうし、トランプさんが好きって人もいるだろう。

こんなこと言うとアホかって思われるかもしれないが、トランプ氏と安倍氏はとにかく顔が悪い。トランプ氏なんか赤いネクタイなんか付けるからますます際立つ。
テレビでもインターネットでも、その二人が握手したり仲良さそうに立っている絵が、もう何とも駄目なのだ。
それが何と我が国の代表なのだ。

顔や見た目で人のことを判断しちゃいけないとはいうが、北の将軍様もやはりビジュアルは良くない。一目見て、「あ、なんかヤバイやつだな」ってなる。
ヨーロッパの国の代表なんかって割とみんなキリッとしている気がする。そりゃ、ブサイクも中にはいるかもしれないが。
昔ドイツが暴走していた頃、ヒトラーも写真をちょっと見ただけで、「あ、このおっさん目がなんかヤバイな」って感じだ。

顔で政治をするわけでもないが。
それでも、学者なんかと違って政治家って人の心を掴めないといけない。
やっぱりブサイクとかヤバイ顔って駄目なんじゃないかと、個人的には思うわけだ。

そりゃ、顔、風貌だけで選挙を決めるわけにもいかない。
ただ、やはり首相なんかは国の代表、それこそ顔なわけだ。
安倍氏とトランプ氏の並んでる絵なんか見ると、「ああ、あそこの国とはあまり関わりたくないな」って思うんじゃないだろうか。
北の将軍と三人揃ったら、絵だけ見れば何だか気が合いそうではないか。

首相以外なら良いが、首相に関しては容姿ってもう少し小綺麗な紳士がなって欲しいと思う。
もちろん、きちんとした政治ができる人が一番ではあるが。
少なくともアホみたいな似合わない赤いネクタイをしめるような男が僕らの代表にはならないで欲しいとは思う。
別にアメリカが嫌いとか、アメリカに媚びるのがどうとかは思わない。大抵の国はアメリカさんと良い関係で世界を渡り歩きたいのだから。

それでも、仮にの話だが。
北の将軍様が物凄い渋いイケメン紳士で国民が植えていなかったら、世論ももう少し違ったようにも思う。

もちろん、政治は顔でするものではないのだけれど。

ーーー

そんな政治の話は置いといて。
そういう話って日記ではダラダラ書けたって、誰かに対して話すってのもはばかられる。

当時高校生だったり、大学生だったり、プー太郎だったり、旅人だったりした僕は思ったものだ。
大人になるにつれてみんなが言葉にしなくなることを、正しいと感じる正しいことを自分は考えていこう、と。
マジョリティー、マイノリティー関係なく、自分が思うことを大事にしよう、と。

ーーー

はて、じゃあ、平成が終わるのと同時にちょろり草が終わるってのはどうなんだ?という話でもある。

本音を言えばよろしくないと思う。
ちょろり草とは不滅であるべきだ。
読む人がいようが、いなかろうが。

しかし、日記とは日々書いてこそだろう。

はれときどきぶた、という童話があるのだが、この主人公も日記を書く。未来のことを日記に書く。でたらめなことを書くとそれが現実になってしまう。
小さい頃に母が買ってくれた本だが、非常によく出来た作品だったと思う。

多分、僕の勘違いだろうが、その中で日記とは毎日書くものだみたいな記述があったような気がしている。多分記憶違いだろうが。

何にせよ、最近は全く書かなくなったが、日記とは毎日書くべきだというのは僕の中では大事なのだ。

対照的に糸井重里氏のほぼ日、ほぼ日刊糸井新聞は、これ、まあ実に上手いタイトルである。
ほぼ日刊。
実に甘美な良いタイトルだと思う。
現実として毎日ってのは無理なこともあるが、ほぼ日刊というのは実に良い。

日記絡みで言えば、森博嗣氏のモリログアカデミーというブログも良かった。書籍でも出ている。
森博嗣氏はスカイクロラが映画化されたのが有名だろう。どのシリーズも結構ハマる。当時は名古屋大学の工学の教授をしながら小説家もしていた。
モリログアカデミーの素晴らしい点は本当にただの日記なのだ。最初に最近の原稿の執筆の進捗の話で、あとは大抵は愛犬と鉄道模型なんかの話が多かった。その後、その日考えたことなんかを書いている。はっきり言って僕は犬なんかどうでも良いし、鉄道模型もさっぱり分からないのだが、淡々とした日記が何だか心癒された。
淡々とした日記ってのは良い。

ーーー

最近の僕はどうも文を書いたり読んだりする時間を上手く作れない。
店長さんになって一年目だったということもあろう。
ただ、書斎に1時間こもって机に向かうという時間がうまく作れないのだ。よろしくない。

2019年はちょろり草が終わるのか。
はたまた書斎に1時間こもれるようになって、再び毎日書けるようになるのか。

誰かと暮らすとは難しいものだ。
それでも、朝少し早く起きれば1時間くらいは作れるだろう。
僕は朝起きるのが嫌いなので難しいだろうが。

それでも、30代になっても一日の中で自分の時間を作れるかってとても大きな課題だと思う。別にその時間の中で他の人から見れば特に大したことをしていなくたってだ。自分にとって大事な時間というのを1時間は難しくとも30分で良いから作る。
人と暮らすようになろうが、旅に出ていようが、子供が生まれようが。
どんなときにでも一日の中に自分の時間を作る。
もちろん、家族は大事にしながら。
今年の課題である。

ま、そんなこんな。


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