2019年08月17日

宅建の模試を受けてみる。

宅建士の勉強を進める。
次の仕事で実際に使うか微妙なのだが、勉強し始めたからには取る。

七月に勉強を始めて、スマホでぽちぽちと練習問題を解いたり、帰宅したら参考書を眺めたりと勉強を進めて来て、やっと一通り読むのが終わった。まだ読めてないところもいくらかあるが。

この段階でとりあえず模試を買って解いてみることに。

50問中29点であっさり不合格。合格ラインは35点前後だそうな。
まあ、現段階としては悪くない。

試験勉強はとにかく答え合わせが大事だ。
まずは一通り網羅して、あとは試験を解いて出来ていないところを把握して、一度間違えた問題に類似する問題については二度と間違えないようにする。

特に模試はプロが作っている。
ヤマが当たらないところもいくらかはあるが、模試を作るプロはヤマ張りのプロだ。その中から実際に出題される問題はある程度ある。
つまり、模試で満点が取れるように理解出来れば、本番の試験もそれなりに取れるのだ。
とにかく模試の問題をきちんと理解する。

そんなの最低限のことじゃないかと言えばその通りだが、四択問題の試験について言えば、最低限の知識があればある程度は解けるというのも事実だ。

予定通り勉強が進んでいる。
本音を言えば予定よりもう少し進んでくれてれば良かったのにな、と思いつつ。
まあ、そう甘くはないのだ。

国家資格とはフェアだ。
勉強さえすれば、きちんと社会で生きていける力になる。
もちろん、使い方次第ではあるものの。

ま、そんなこんな。
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2019年08月16日

改めて転職を振り返るのと、これまでの仕事の反省なんかをしてみようと思う。

転職が決まって、ここで改めて転職を振り返るのと、これまでの仕事の反省をしてみようと思う。

ーーー

基本的に転職活動中は自分で自分をいかに持ち上げるかの戦いだった。
転職活動って結構心折れる。
特に僕なんかは大学中退で職歴も自転車屋と山小屋、さらに途中で自転車放浪の旅なんて具合だったから、面接=懺悔状態だった。
職を探しても、家族を養える給料の職で未経験OKっていうのは基本は家か保険の営業。残業地獄、ストレス地獄っていう仕事ばかりだった。

それでも、子どもは生まれるし、現実問題として子どもを育てていくには仕事を変えないといろいろ厳しい。会社の問題もあるが、自分にも問題はあるのだが、とにかく厳しかった。

転職活動はとにかく自分を肯定しないとやってられない。
転職すること自体に疑問を持つこともあったし、とにかく不安はあった。
今の会社を去らずに頑張る方法は無いのだろうか。
何だかんだで会社にも社長にも恩があるし、引越しの費用や給料のない期間についても貯蓄を崩さないといけない。
店長まで頑張ったのもある。
慕ってくれるお客さんもいる。
可能なら今の会社に残りたいというのはある。

でも、現実問題として前に進むしかないのだ。

おそらく転職って、子どもができるとか、結婚するとかの理由がないとなかなか難しいと思う。
何せその日までその会社で何とか飯が食えてるわけだ。贅沢を言わなければその会社でも飯を食っていける。
でも、環境の変化があるとそれまでの食い扶持じゃ家族を養えなくなる。

全力で自己肯定、転職は必要だし正しいこと。
自分はできる。
大丈夫だ。
これまでの人生で悪いことはしてきていない。
自分なりに一生懸命頑張ってきた。
世間の人に出来る仕事なら自分も努力すれば出来るはずだ。

とにかくアゲアゲで行く。
アゲアゲにしても、絶望に絶望が重なるので、とにかくアゲる。
アゲていけるかどうかが転職の鍵だ。

転職すると決めたらアゲアゲで進む。

ーーー

転職の第一歩は転職エージェントだ。
ハローワークでも良いが、ハローワークは遠いし、仕事をしていると通いにくい。
転職エージェントは無料で自分専任の担当が付く。電話などで面談もしてくれるし、メールでも対応も迅速だ。希望を聞いてくれてそれに合う求人の紹介はもちろん、履歴書の書き方や面接の対策までしてくれる。

とにかく登録する。
僕はリクルートと地方のその地域に強いという小さいエージェントを使った。
最終的には小さいエージェントの方で決まった。

リクルートのような大手はとにかくたくさん求人があるけど、正直、あまり親身じゃない。
システムでとにかくたくさん応募させて決める。
数打ちゃ当たるだ。
応募は10以上したが、面接に行けたのは1社で、そこは落ちた。

小さい方のエージェントはとても親身だった。
求人は少ないのだが、その分、そこに何とかして入れてくれようとする。なので当人がヤル気が出る求人、なおかつ合格しそうな求人を紹介してくれる。
本当に親身に丁寧にしてくれたので、そこは三社応募して一社だけ面接に行けて、そこがそのまま受かった。
球数が少ないので、打率を上げるという方法だ。

学歴や経歴が良くて転職に自信がある人は大手からいろんな企業を見て決めるのが良いだろう。
僕のような転職市場のダメ人間は小さいエージェントを頼る方が上手く行くかもしれない。
まあ、最後は運やタイミング次第なので必ずしもそうではないだろう。

どちらもメリットはあるので、何社か組み合わせて使うのが良いんだろう。

ーーー

次に僕は資格の勉強を始めた。
勉強は何よりも自信になる。
どんな仕事なのかという勉強にもなる。
もちろん、取得できれば転職に有利にもなる。

仕事を探し始めて分かったのは保険か家の営業くらいしか残された手はないということだった。
(後半で分かったが、工場勤務という手もあった。なぜか工場勤務は序盤、なかなか求人が見つからなかったのだ)

保険の営業も考えたが、保険が役に立つのは人の不幸な時で、不安を煽って契約するという側面が好きになれなかった。
その点、家は金額が高くてつらそうだが、夢のマイホーム、正に夢のある仕事だと思った。

それで家の営業をしようと、とりあえず本屋に行って役に立ちそうな資格を取ろうと思った。
何せ大学中退だし職歴もボロボロだ。
長期にわたって仕事が見つからないかもしれないので、とにかく資格を取ろうと。資格を取れば何か良い仕事があるかもしれない、と。

そんなわけで宅建士を取ることに。

最初はそういう消去法から選んだのだが、勉強していると心が安らいだ。

転職活動ってとにかく不安と絶望がたえずつきまとうし、出来る事って意外と少ない。求人を探して応募するくらいしかない。履歴書や職務経歴書を頑張って書くとかはあるにせよ、結局まな板の上のコイ、面接に呼ばれれば品定めされて、受け身に結果を待つしか出来ない。

その点、勉強は能動的だ。
少なくとも目的に向かって自分は何か努力しているという心の安らぎがある。
勉強している時間、し終わった後。
絶望と不安からほんの少しだが逃げられる。

実際に転職後に役立つかどうかは分からないにせよ。
やれることをやるっていうのは、僕の場合、救いになった。

ーーー

後は運で何とか決まった。
面接に行ったらすごく良い人で話していて面白かった。そこが取ってくれた。
正直、受けに行くまでは家の営業つらそうだな、っていうのが大きかった。今もつらそうだとは思っているが、すごく面白そうな会社だったのだ。なので正直に思うところをすべて話した。

こればかりは運だ。
僕のような人間を取ってくれる会社が世の中にあって良かったし、そういう会社がタイミングよく募集していて、それに応募出来たのも、全て運が良かったとしか言えない。

転職活動開始から2ヶ月しないくらいで決まったのだから本当に運だった。

なので、絶望してもいけない、というかあまり意味がない。
自分を取ってくれる、なおかつ入りたい会社っていうのがあるかどうかはタイミングと運だ。

タイミングと運が悪ければ長く活動を続けるしかない。
もちろん、自分に無理のない範囲で継続しないといけない。
なおかつ、なるべく早く決めないといけない。
転職活動をし始めると現在の仕事に対してのモチベーションは落ちてしまう。そうならないよう努力はするのだが、どうしてもこれまでの会社の恩や義理よりも、自分の未来の不安が強くなってしまう。
それでも、転職活動において、現在の仕事をきちんと頑張らないと当然仕事にミスが起きて、転職活動のストレスと現在の仕事の失敗のストレスの両バサミにあってツラい。
転職活動で大事なのは現在の仕事をおろそかにせず、無理なく根気強く、自分を肯定しながら進めることだろう。

ーーー

さて、転職活動についてはこの辺で。
自転車屋の仕事の反省だ。
自転車屋というより、これまでの自分の仕事に対しての反省だろう。

もちろん頑張ったところもあるが、何よりも部下への支持、教育っていうのはダメダメだった。
恐らくそこさえ出来れば売り上げももっと伸ばせただろうし、職場の空気も明るく、みんな楽しく出来ただろう。
店長という中間管理職である以上、自分がプレイヤーとして反省、修理する以上に、下の人間にもっと自由に自発的に仕事したくなるように環境を整えてやって、仕事を投げて、失敗が怖くないようフォローしてあげる。なおかつ、悪いところは鋭く指摘する。上司の指示にはテキパキ従うよう空気を作る。
最終的にそういうのがどうにも出来なかった。

原因はたくさんあるが、一番は嫌われ役に立てなかったということじゃないだろうか。
部活や仲良しサークルじゃなくて仕事なんだから、ダメなものはダメだと強く指摘しないといけなかったし、出来るようになるまで根気強く向き合わなくてはいけなかった。嫌われるとかそういうのを気にしてはいけなかった。
部下が仕事を出来るようにしてやるのが上司という立場の人間の仕事なのだ。
それが出来ないと自分も苦しいし、部下もいつまでも成長出来なくて、ダメ社員扱いを受け続けるのは苦しい。
ダメなのにダメと言わないのは、優しさではない。
ダメなことをダメとストレートに教えて、出来るように一緒に考えて努力、協力するのが優しさだろう。

もちろん、良いところを誉めて伸ばすっていうのもアリだろうけど、やはりダメなところはダメと言わないといけないんだろう。
ダメと言うことで相手のモチベーションを下げることになるかもしれないし、実際、僕の部下は仕事放棄して職場から消えてしまうというのも事実ではあるのだが、それでも、根気強く向き合わないと、ダメなままで居続けてお互いにストレスにしかならない。
良いところを誉めて伸ばすにしても、ダメなところはダメだとストレートに指摘すべきなのだろう。
理想は何かしらの解決案、提案を持ってダメと指摘すべきだろう。
解決案、提案がなければ諦めるかどうかを本人に選ばせるべきなのだろう。
ーー君はこういうところが出来ていない。こういうところは出来ている。出来ていないところを出来るようにする方法を一緒に考えて努力するか、出来ないということを受け入れて出来る分野で頑張るかどちらが良い?
とストレートに指摘して、相手に選択させるのが良いんだろう。

僕は基本的にこっちの解釈、判断で「この人には出来ないことは出来ないで仕方ない」と諦めてしまっていた。

簡単に諦めてはいけないし、ましてや本人に諦める気がなくて努力する気が少しでもあるなら、しっかり向き合ってやっていくべきだ。
本人に選ばせるというのも、少々、残酷なやり方とも思えるが、実際問題、大人になったら自分のことは自分でやるしかない。
それでも、チャンスは与えないといけないし、可能な限りチャンスをものにして、戦力になって欲しい。

そういうのが全く出来なかった。

ダメな人は諦めるか近寄らないっていうのが僕のセオリーだったが、それだけじゃダメなのだ。
ダメな人は改善のため一度は徹底して向き合わねばならない。
根っからのダメな人間など珍しい。その仕事ではダメでも、それ以外のプライベートなんかではとても優れた人間かもしれない。
ただ、上司として接する以上、仕事についてダメなまま放置してしまうのはいけないのだ。

ーーー

結局、そこは真摯さと自覚だろう。
部下をその仕事の中で有用な人、価値ある戦力に育てるということは、その人の人生を明るくすることなのだ。
部下を仕事漬けにしろということではなく、部下が仕事が得意になって、仕事に誇りを持てるようにする手伝いをする。
管理職とはそういうのこそが仕事だと自覚して、真摯に向き合わねばならない。

そういうのがあれば、教育を面倒だと感じることはないし、真摯さは相手に伝わる。
正直、教えられるほど自分にも自信がなくたって、教えないといけないのだ。教えられるように自信を持つために自分が先に努力しないといけない。
結局、自分に自信のないことは教えられない。
でも、自信がないことでも教えられるようにならないといけないり

そのためには当然、三日坊主じゃいけなくて、相手が出来るようになるまで徹底してやり続けなくてはいけない。

次に管理職になる日は多分遠いだろう。正直、そういう日が来たからと言ってきちんと管理出来る自信はあまりないのだが。
事実として管理出来なかったせいで、部下たちはこの後もしかすると失業するかもしれない。
これは自分の失敗である。

ーーー

その他の反省すべき失敗と言うのは案外思い付かない。
多分、他にもいろいろあるはずなのだが。
それでも、販売なんかについては概ね精一杯頑張ったように思う。
メカニックなんかの技術的な面についても勉強を積んだし、一通りのことは問題なくこなせる。

自分の手の届く範囲のことは頑張れたんじゃないかな、と。

可能ならもう少し機材を自腹を切って買って、勉強する機会を増やすべきだったかもしれないが、現実問題として、そんな金銭的余裕はなかった。

ーーー

自転車屋、山小屋と好き放題生きたので、大学を卒業してすぐ就職した人より、金銭面では少々苦労はしてきた。と言っても、20代はその夜飲む酒代があれば十分だったのだが。

キャリア形成とか人生設計とかいう意味でどうだったか、と考えると、まあ、悪くなかったんじゃないだろうか。

若い間に自転車で海外を放浪する。
これってやっぱり何者にも変えられない価値があると思う。
ーーじゃあ、それを通して何を身に付けましたか?
ということを面接で聞かれたりもした。
ーー人に助けてもらわないと人は生きていけないし、人に助けを求める方法、お腹が減ったらお腹が減った、何か食べられるところはないですか?と言葉が知らなくても伝える方法です。
と僕は答えた。
面接官はあまり意味がわかっていなかった。

実際問題、日本に住んでいると何の心配もない。
頭のイカれたシャブ中に突然ナイフで刺される可能性。
強盗しないと生きていけない貧困者。
人間を襲う象。
そんなのっていない。
蚊に刺されてマラリアの心配をすることもない。
国境で隣国のビザを取るためにアメリカドルが必要だが正規レートで換金してくれる銀行などないという問題もない。
コンビニに行けばおにぎりも安全な水も買える。
行き倒れたってだれかが警察に通報してくれて、とりあえずは保護してもらえる。
車にはねられてもすぐに救急車が来てくれる。
国境を越えるたびにタバコ代を毎回高くボッタクられる心配もない。
食べる肉にハエがたかっていて、それを汚い油であげて、便所の匂いがするような肉を食べる心配もない。
走っても走っても町にたどり着かなくて、ライオンやピューマのような肉食獣が出るかもしれない道端で野宿する心配もない。
子どもが死ぬことも当たり前のような世界ではない。
壊れかけた自転車を片道4時間近くこいで学校で2時間だけ勉強するような少年もいない。
日本はすごく安全だ。
安全を確保するための努力をしなくて良い。
誰かに助けて欲しいと頼む必要もない。
理不尽さが少ない。

世界は結構いろいろと理不尽なことだらけだし、そして自由だ。
安全ではないけれど、とても広いし自由だ。

助けが必要なら自分で助けてくれるようお願いしないといけない。
素直に自分が今しようとしていることを伝える。つまり、旅の目的地を伝えて必要としていることを伝える。助けて欲しいと頼む。今夜の寝る場所を提供して欲しいとか。

そういうのって本来は人間として当たり前なのだ。
大学を卒業してサラリーマンして働けば、安定したお金が入ってくるっていうのも大事だけど。根本的には人と人とのつながりがあって助けてもらいながら生きるものだから、助けてもらうスキル、人を助けるスキルっていうのは大前提として重要なことなのだ。

だから、生きるスキルの少ない若い頃に、家族も友達も誰もいない見知らぬ異国の田舎の村で誰かに助けてもらう。
そういう経験っていうのは本当に貴重だったと思う。

年を取ってから貯蓄したお金で優雅に世界をまわるのも良いけれど、若い時に体一つで、出来るだけ貧乏で制限がたくさんある中で異国を旅するというのは大事だ。

こういうのは島国である日本人はすごく弱い。
逆に途上国の人なんかは、日本国内で働いている人もたくさんいるように、母国で仕事がなければ、異国で仕事を探して稼いで生きるのは当たり前だったりする。
自分が生きるゾーンを自分で作るという営みだ。
社会が用意してくれた大学やそこを卒業した安全なゾーンではなく。自分で考えて自分が生きるためのゾーンを自分で作る。

生き抜くためには自分から動いて、人の心を動かさないといけない。

ーーー

大学を中退したことについて悩むことも多かった。
それでも、大学を中退したからこそ、僕は破れかぶれで旅をした。
真っ当なサラリーマンにはなれないと思っていた。
すごく気持ちの苦しい日々があったこともよく覚えている。

でも、改めてそういう時代が通り過ぎて、意外とすんなり転職も決まった今思う。
苦しいと思っていたあの日々こそ一番生きがいに溢れていて、どこに向かおうとしているかも分からないままもがいていた日々こそ一番充実して素敵だったんじゃないかな、と。

まあ、もちろん、これからも素敵な日々は来るんだろうけど。

ーーー

そう考えると、最後は経済的な事情で引退することにはなったものの、自転車屋で働けたのは、そういう旅の日々の自分に対して筋が通せていたと思う。ちゃんと店長までなったし、多くのお客さんに自転車の素晴らしさを伝えられたんじゃないかな、と。

自転車が好きな人、登山が好きな人たちの払ってくれたお金で今日まで生きてこれたことを感謝して。

次の人生に進もうかな、と。
次の人生って言ったって、やるのは僕なので相変わらず泥臭くやるんだろう。
そんなにスマートには生きられないだろう。
また楽しい日々が来ることを楽しみにしつつ。

子どもが高校出たらヨーロッパでものんびり旅しよう。

まあ、そんなこんな。
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2019年08月10日

自転車屋引退。

じてぼんの筆者としては残念な話だけれど。
子どもがもうすぐ生まれる父親としては素晴らしい話で。

転職が決まった。
自転車屋は引退することになった。
一般企業で営業マンをしていく。

でも、今度は八ヶ岳のふもとなので、MTBは近くに富士見パノラマがあるし、ロードも麦草峠にビーナスラインと自転車を乗る環境としては天国だ。トライアスロンも野尻湖まで行けばある。登山ももちろん天国だ。
やはりアウトドアするなら長野は強い。

ーーー

自転車屋さんで子どもは育てられないのか。
別にそんなことはないと思う。

実際に僕の周りにもそういう人はたくさんいる。
そして、子どもが出来て自転車屋さんを辞めていく人もやはりたくさんいる。

給料面、休日面は世間一般の平均より良くないけれど、その気になれば食っていけないこともない。
単純に僕の場合は会社の考え方についていけなくなってしまったというのが大きい。
僕の中で仕事とはやったらやった分は報酬があるべきだと考えている。好きな仕事なら報酬は我慢しなさいっていうのは間違っていると思うのだ。
そうしないと、仕事に対して頑張ろうというモチベーションにならない。
ただぼんやりと出社するだけで給料がもらえる、別に頑張っても給料も良くならないし、休みも少ないから自転車イベントにも出られない。仕事だから自転車屋さんにいるだけ。
そういう職場には僕はあまりいたくないし、そういう店で自転車を売りたくない。

一口に言えば自分が自転車を買いたいと思える良い自転車屋で働いていたい。
自分がお客さんだとして、親しくしている店長さんが実は貧乏過ぎて家庭崩壊していたら嫌だ。自転車のために家庭崩壊している人から自転車を買いたくない。

何かしらの明確な目的を持って仕事を一生懸命する人たちと仕事がしたい。特に自転車屋さんなら、自転車に対して熱い想いを持ってる人と一緒に働きたいし、そういう人たちが幸せに家庭を作っていけるような会社で働きたい。

そうは言うけど、自転車の知識もロクになかった僕を拾ってくれて、プロショップの店長が出来るまでに育ててくれた今の会社には感謝している。
恩を仇で返すようなことになってしまうが、子ども最優先で生きていく。
そう、モンスターペアレントだ。
子どものこととなれば、恩も仇で返す。
でも、そりゃそうだ。まずは自分の生活が守れないと、自転車という人生の遊び道具は売れない。

そうは言っても、会社も出せない給料は出せない。

こうなると交渉決裂だ。
リスクを取ってもプロトンから逃げねばならない。

つまるところ、僕はお金が欲しかったのだ。
そして、社長はお金を払いたくなかった。
それだけのことなのだ。
はっきり言って、そこには哲学も美学もない。

ーーー

自転車屋さんに限ったことではないけれど、家族を持つことで生き方が変わる人とそうじゃない人ってのがいる。

結局は家族の理解である。
そして、家族の理解っていうのは、仕事への熱心さである。
そういう意味では僕は自転車屋さんにそこまで熱心なようには妻の目には映らなかったのかもしれない。
あるいは、熱心ではあるもののしんどそうなところが多く映ったのかもしれない。

ーーー

僕自身、自転車屋さんの仕事に未練はないかと言えば、正直、あまりない。
自転車屋さんっていう仕事はとても好きだけど。

同じように山小屋に未練はないかと言えばない。
山小屋は実に素晴らしい仕事だったと思うけど。

自転車も登山も好きだけれど、楽しいからしただけだ。
良くも悪くも単純に楽しいから自分が納得するまでトコトンやっただけ。その中で縁あって仕事としてやっていける期間があった。
もちろん、まだまだやり足りないことも多い。雪山登山もしたかったし、自転車ももっとやりたいこともある。

ーーー

そう、ふと思い出したが。
昔の僕はいつか珈琲屋さんと自転車屋さんと古本屋さんをくっ付けたような店がしたかったのだ。
珈琲と本と自転車。
あとは音楽なんかもあれば良いかもしれないけれど。
それこそが若き僕の求める全てだった。
正にじてぼんである。

今は少し変わって、自転車関連でやるなら、レンタルとサイクリングツアーとMTBコースのあるキャンプ場がやりたい。
レンタルは日本全国宅配しつつ、地域活性化の役に立つよう駅前受け渡しの予約も受けるし、市内協力店にもレンタルロードバイクを置いて、キャンプ場の脇にそれらのレンタル自転車の基地になる倉庫を建てる。

改めて考えると、昔の珈琲と自転車と古本っていうのは故郷の町に生きていた自分ペースで欲しかった場所であり。
今考えるレンタルとツアーとキャンプ場っていうのは、旅をして来た結果、旅人目線として旅先に欲しい遊び場所なのだ。
そのキャンプ場に外人が来れば、日本一周をする装備と自転車が気軽に借りられるような拠点になれば最高だ。
もちろん、外人じゃなくて日本人でも良い。
もっと気軽に日本を自転車で旅して下さいね、と。

ただ、この事業の問題点はレンタル事業だけで大して儲からないであろうキャンプ場の維持なんかをしていかないといけないことである。
星の美しいキャンプ場が良いと思っている。
キャンプ場の維持代がかからないように、フリーのキャンプサイトにしてしまって管理なんかに維持費があまりかからないようにするのも手だが。
基本的にはレンタル事業とツアー事業に何人かいて、プラスでキャンプ場の手入れもするくらいで。

レンタル事業がどの程度儲かるかというのが問題ではあるが、全国宅配レンタルサービスは全国の旅館、ホテル、ゲストハウスなどの法人向けも含めて展開していけばかなり可能性はあるだろう。
トライアスロンを開催するエリアのホテルを狙うだけでもかなり取れる。トライアスロンパックと銘打って、ロードバイク一式とウェットスーツがレンタルできるプランを展開すればトライアスロンの宿泊客が確実に取れるし、宿泊客じゃなくても前日にレンタルしてレース後に返却したいというユーザーも取れる。
その辺は営業力次第だ。

今の会社でその努力をしろと声が上がりそうだが、残念ながら僕はステキなキャンプ場がやりたいのでその運営資金のための利益を求めるのであって、単純な売り上げのためにそういう努力はしたくない。
はっきり言ってお金のためなら、是非とも別の仕事をすべきだ。
自転車はあまりお金にはならないし、だからこそ自転車はステキなのだ。

ーーー

でも、子どもが生まれるので、それはしない。
普通のサラリーマンをやる。
いや、普通より稼げるサラリーマンをやるつもりだ。
資金が作れたら、事業を立ち上げて、地域おこし協力隊なんかに投げてしまって、社長職していても良いかもしれない。

その利益で今度こそのんびりと珈琲屋さんと古本屋さんの自転車屋さんをやろうじゃないか。

そして、それも誰かに投げてしまって、日本中に支店を展開して、外人さんが気楽に日本を自転車で回れるようなシステムを作って。
もっと自転車がみんなに身近になっていて、マイカー通勤が減って、自転車通勤が普通になっていて。日本が世界でも先進的な自転車利用による環境保護の国になっていて。

その頃には子どもも大人になって。
老人になった僕は今度はどこに旅に出ようか。
その頃には南極を自転車で走るのも今より普及していたら南極点を目指したい。
世界が平和になっていて、戦争もなく、どこの国にもビザなしで入れて、自由に旅出来て。
老人になった僕でさえ見たことのない景色の道を自転車で走れたら。
それはきっととってもステキなことだろう。

もしかすると、月や火星をサイクリング出来るようになってるかもしれないし、地球滅亡の危機が来ているかもしれないけど。

まあ、そんな妄想もするわけだ。

別に自転車屋さんを辞めたって、世の中から自転車がなくなるわけじゃないし、まだ見たことのない景色がなくなるわけでもない。
のんびり妻と子どもと一緒に生きていく。

ーーー

そうは言っても一度自転車屋さんを辞めて改めて戻ったのに、また辞めるというのは正直心痛むところではある。
信頼してくれたお客さんに申し訳ない。

それでも、内心ほっとしているところもある。
今日、面接が決まってから少ししてから、海外通販の部品の持ち込みがあった。

海外通販で買ったものを正規店で取り付けてもらう。
工賃さえもらえれば良いのだろうか。
それでも、食材持ち込み自由のレストランなど聞いたこともない。
レストランに限らず、そこで販売するはずのものを非正規ルートで安く買ったものを持ち込むなんてのはどの業界でもあまり聞かない。

やはりそれはルール違反なのだろう。

そうは言っても、それも受けねば食ってはいけない。
それなら、それを受けられるシステムを作っていない側にも責任はある。

ただ、そんなシステムを作る、つまり非正規ルートで購入した部品についてはアップチャージを頂きますなどというルールを作って提示しなくてはいけないってのは、人を叩いたら相手が痛い思いをするのでいけません、という何とも幼稚なルールだ。

話を広げるけれど、ふるさと納税でAmazonポイントをあげるなどという馬鹿な地方自治体が出て来て、物議を醸したりもしたのについてもそうだ。

普通に考えてやっちゃいけないことはいけない。

その理屈で言えば、恩のある会社を裏切るなどという行為もそうなのだろう。

子どもが出来たから、家族が出来たから。
本来、そういうのは理由にならないと思うのだ。

どうにも余裕がない。僕も社会も世界も。
ーー子どもが出来て、お金がかかるね、でも、まあ、何とかやっていきますよ。ははは。
そういうのがない。
みんなカツカツで隣の人より少しでも多く儲けたいし、自分だけ貧乏でいるのは嫌だ。

アフリカでの旅は東から南西へと国境を越えるごとに経済力のある国へと変わっていった。
冷蔵庫のない村がなくなり、スーパーのある町が現れた。裕福な白人が乗った車が増えた。
そして、ギブミーマネーと笑いながら叫ぶ大人や子どもが減って、暗い顔をしたストリートチルドレンが現れた。

もちろん、それが全てではない。
あくまで僕の目から見たアフリカだ。

アフリカでは貧乏は決して憎むべき悪ではなかった。
貧乏で発生している深刻な問題もたくさんあったのも事実ではある。
それでも、貧乏が当たり前の地域では、仕事のない人々は木陰でぼんやり黄昏ていて、風に吹かれていた。
稼ぎのあったものはビールを飲んで稼ぎを溶かしてしまっていた。
時々、お金持ちもいた。
お金持ちは貧乏人とは壁があった。
それでも、それは許容されていた。
貧乏人の存在もお金持ちの存在も。
料金をチャージ出来ないので通信出来ないケータイ電話を持つ人々。
道端でバケツいっぱいのマンゴーを売るおばさん。
誰が欲しがるのか分からない手作りの木のオモチャを売るおばさんもいた。
牛を追う少年。
朝から村の前で牛を殺していたり、自転車のハンドルに鶏をぶらさげていたり。
ハエのたかった肉。汚れきった油で揚げて塩をかけて食う。硬くて獣臭い。
一夫多妻制の社会の中で、結婚した相手の父親に迫られ続けるのが嫌で離婚したゲストハウスのおばちゃん。

アフリカはずっと遠い。遥かに遠い。
僕は転職して勉強して、きっとこれまでより良い収入と休みを得るようになる。
誰かは自転車屋さんに憧れて、いずれ店長になる。

先日、31歳、僕と同じ年齢の日本人の自転車で旅する人がペルーで死んだ。交通事故だったそうだ。
旅の終わりか不意に訪れてしまった。

少し前まで転職が決まらないで苦しんでいた僕はアフリカで死んだら楽だったかもしれないと真剣に考えたことがあった。
旅は楽しい。
でも、旅は終わって、日常の日々が戻ってくる。
日本での日常の日々はとても快適だ。
ただ、みんなカツカツで、自分も気付けば一緒にカツカツになっている。
旅の日々ほど輝いている日々はない。
その輝いている日々の真ん中で突然に人生が終わる。

転職が上手くいったからというのもあるのかもしれないにせよ。
日本のカツカツの日々と旅の日々のコントラストに絶望することは少なくない。
それでも、絶望の真ん中だって旅の先に続いた道であり、そこを一緒に歩いてくれる家族が出来た。
良いことばかりじゃない。
どちらかと言えば悪いことの方が多いかもしれない。
楽しいことばかりでもない。
嘘だ、楽しいことについては結構たくさんある。
良いことも悪いことも、汗水垂らして苦労して乗り越えて、何が楽しいんだか分からないけど、新しい日がまたやってきて、何のためだか分からないままに何かを努力する。
輝いている旅の日々とは随分遠い。
これからの日々に苦労は山積みだろう。

それでも、僕は生きて帰って来れて良かったかなと思っている。
きっと死んでしまった人も日本に帰ってきたかっただろう。
はたまた異国で生きるという選択肢をしたかもしれない。
何にせよ、少なくとも自分で決めた目的地までは辿り着きたかっただろう。
どこに辿り着いて、どういう意味があるとも知れないにせよ。
自転車で旅する人は自分の進みたい方向に進んで自分が決めたところまで自分の足で進みたい。
その人の旅が途上で果ててしまったことを心から悲しく思う。
それも天命かもしれないが、やはり自転車で旅した人間としてゴールまでたどり着けなかった無念を思うと悲しく思う。
冥福を祈ります。

僕の自転車の旅は終わったけど、人生の旅はまだまだ。不運で死んでしまった人の分まで頑張って楽しんで生きていかないと。

まあ、そんなこんな。
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