2019年09月26日

箱庭、茅野。

来月から茅野という土地に住むことになったので、妻君とアパートを探しに出掛けた。妻君の腹はもう随分と大きくなっていて、留守番しているのが良いかとも思ったが、妻君としては見知らぬ土地、本当に全く一度も行ったことのない土地なのだから住む前に一度は自分の目で見て家を決めたいということで、二人で出掛ける。

茅野という土地は長野県にある。
長野県という土地は山ばかりである。
ボコボコと山ばかりある中に少しへこんだような形で盆地がある。長野の人は平、タイラと呼ぶらしい。
盆地は大きく分けて三つで長野市のある平、松本市、伊那市のある松本平、そして諏訪市、岡谷市、茅野市のある諏訪平といった具合だ。
さて、その諏訪平に住むことになるのだが、諏訪平は三つの盆地の中では比較的小さい。その上、諏訪湖という大きな湖がある。
湖とは景色は良いけれど、車が当然通れない。湖の反対に行くにはぐるりと湖沿いに行くことになる。人が住む平らな土地は少なく、湖周りの交通の便は良くない。
しかしながら、この諏訪平というのはミニマルで箱庭といった様相があり、非常に文学的な雰囲気のある土地である。
箱庭的美しさというのは、長野県の三つの平にいずれもあるが、諏訪平は一番狭いからか非常に箱庭感がある。
その中でも茅野とは八ヶ岳に向かって少しずつ登っていく土地であり、坂の美しさがある。少し行くと、気付けば坂を登っているので、箱庭的美しさのある諏訪平、そして美しい八ヶ岳を見られる。
そのまま映画を撮りたいと思わせるような土地である。

群馬から一つ目の山、軽井沢を越えて佐久に行き、そこから二つ目の山、八ヶ岳を越えて諏訪平に着く。
この二つ目の山を越えるには高速道路がない。随分遠回りをしないと高速ではいけないし、当然、平らな土地で行ける道はない。非常に不便である。しかしながら、途中で白樺湖がある。
白樺湖はさほど大きな湖でもない。
今の時期は紅葉もしていない。
しかし、標高が1400mほどあり、周囲の山の形も美しい。
長野の山は同じ県内でも場所によって随分と形が違う。険しい北アルプスに対して、八ヶ岳は緩やかで優しいカーブがある。八ヶ岳より東の群馬側になると妙義山で有名なギザギザの形の山になる。
こうも分かりやすく山の形、雰囲気が変わるというのも珍しい。

妻君と二人、何軒か見て回ったが、想像以上に賃貸の相場が高い。
このくらいの町の規模なら、普通もう少し安いように思うのだが、全くもって安くない。
群馬の市街地と同じくらいか、ちょっと高いかくらいだろうか。
群馬も大都会ではないが、仮にも関東平野である。東京までのアクセスも決して悪くないので、新幹線通勤で東京の本社に通う人も住んでいる。そう、新幹線が通っているのだ。新潟、長野、金沢につながる主要高速道路、新幹線とがある。企業もスバルなどの大メーカーもある。単純に人口だけ見ても諏訪平の岡谷市、諏訪市、茅野市を合計しても高崎の方が倍くらいはある。まあ、高崎も広いので都会じゃない土地もあるのだが。
そう考えるとなぜ茅野の賃貸がこんな値段するのだろうと思うのだが、なぜか高い。

高い、高いと文句を言っていても仕方ないので、何軒か比較して相場を掴んでいく。

それにしても、この土地は面白い。
狭い箱庭的な土地なので、少し場所が変わるだけで随分と環境が変わる。まず標高が変わる。特に茅野は東側は八ヶ岳に向かってゆるやかに登っていくので、直線距離で数キロ離れるだけで気温が1〜2度くらい変わってしまう。気温だけじゃなくて空気の感じも違う。眺めも違う。
西の岡谷、諏訪方面の方が諏訪平の中心なのでそっちの方が平らで家や店も多い。

狭い平なので道は細く曲がりくねっている。
その上、電車の線路もあるし、川も流れているので、行きたい方に道がつながってくれない。くねくねと曲がってしまう。
狭い平も全てが真っ平らなわけでもなく、小さな丘みたいになっている場所もある。
また長野県というのは道路を作るのに予算を出さないのか、主要国道も狭い。
言うなれば町全体がどこか古い。

これ、悪い意味じゃない。
狭い平に大きな湖、細くて曲がりくねった道、鉄道と川、そして八ヶ岳に向かって緩やかに登る地形。
映画撮るならここじゃないか、と思わせるような箱庭感がある。

残念ながら古い町並みなどはあまり保存されているわけでもないらしい。
でも、僕としては逆にそこが好きでもある。
僕の故郷は倉敷、町並み景観が保存された観光地である。そういう町も良いけれど、どこか気取ってる。
最近の倉敷はもう分からないけど。
何だか観光客も昔より増えてしまって、大きなショッピングモールが駅の反対に出来てしまって。町並みを保存しているエリアもハリボテみたいになってしまっていた。
町並み保存地域から少しのところにマンションが建ち並んでもいる。
たまに帰省する度に思うのだが、故郷はどんどんと気品を失ってしまう。
それは過去の記憶が美化されてしまっているせいかもしれない。
それでも、僕らが学校をサボって麻雀をしていた神社も謎の観光客が増えた。神社に観光ってなんだそりゃって気はする。
そこの神社は高校生が学校をサボったり、御百度参りするおばちゃんがいたり。そういう地方の町の普通の神社であるべきだと思うのだが。
まあ、散歩するにはとても良いところなので観光コースになっても不思議ではないのだが。
それにしても、どうも気品を失っていくように僕には感じられる。
そんなこと言うのは年寄りになっていっている証拠なのかもしれないが。
それでも、昔の思い出の町云々だけじゃなく、やはり気品に欠ける気がする。
まあ、元々気品などない観光客にこびた観光地、そんなもんだったのかもしれないけど。

そう考えると、僕は変に町並み保存した観光地よりも、自然と残っている古くさい、少しうらぶれたような町の方が好きなのだ。
それこそ、狭い平の箱庭みたいな町の、さびれた景色など素敵だと感じるわけだ。

諏訪湖のわきの安い民宿に泊まって、妻君と新しく生まれてくる子どもと暮らす家も決まった。
子どもとしては茅野ってどうなんだろう。

長野出身の知人の話を聞くと、
「山に囲まれて閉じ込められているみたいで嫌だった。大人になったら東京に出たいと思った」
という話が多いけど。
僕と妻君にはとても素敵な土地のように映るのだが。

そりゃ、茅野の極寒の冬をまだ体験していないからだろうか。
注意しないと水道管が凍結して破裂するらしい。

「僕らが小学校の頃は校庭にプールの水をまいて、それが凍った上でスケートの授業なんかしたんですよ。最近は暖かくなったから出来なくなったみたいですけど」
そんなこと、日本国内でありえるのか、などと驚きつつ。

大人になって選んで行くには良い土地だろうと僕と妻君は思うのだが。
住む土地を選べずに生まれてくる子どもにとっては、寒くてつらいかもしれないが。

妻君と二人での旅行はこれで最後になってしまった。
これからはしばらく家族三人での旅行になるのだろう。もちろん、喜ばしいことだけど。
若い時代が過ぎ去って行く。
人生が急に加速して過ぎ去って行く。

最近の僕はランニングで走るようにしている。
そんなにストイックなわけでもない。
むしろ、客観的に見ればイージーな部類だろう。週に2日ほど五キロずつ走る。月に8日走れば一応四十キロだ。まあ、サボることもあるんだけど。

自転車でどこか遠くに、たっぷり時間をかけて行くことは当面できない。
子どもが生まれると一日中かけて、ゆっくりロングライドするのも難しくなるだろう。

それでも、僕は走るべきだろう。
理由なんかないけど。
何でも良いから走るべきだろう。
そんなにハードじゃなくても良い。フルマラソンで何時間を目指すとかでもなくて良い。
汗をかいて、息を切らせて、一生懸命走るべきだろう。

自転車でも良いんだけど、自転車は時間がかかるので、当面難しそうだ。

一日に30分とかで良い。
毎日とかじゃなくても良い。
週に何日とか決めなくても良い。
体が走りたいと思った時、走りたいと心が感じた時、汗をかきたい、息を切らせて動きたい時。

理由などないけど、何かしらの形で僕は走り続けるべきだろうと思うのだ。

ま、そんかこんな。
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2019年09月22日

ふとJAL123便の事故についてインターネットで検索などしてみたりする。

ふとJAL123便の事故についてインターネットで検索などしてみたりする。

JAL123便が群馬に墜落したのは1985年。
僕が生まれる前のことだ。
そんなわけで僕の世代はこの事件のことを全く知らない。
政治家が悪いことしたんだか、アメリカが悪いことをしたんだか。
そもそもそんな陰謀などの存在すら知らず、飛行機が落ちていっぱい人が死んだ大惨事としか知らない。
JAL123便については、非常に不可解な点が多く、様々な推論が飛び交っているが、真実は謎のままだ。

日本政府って時々、結構な悪事を働く。

フクシマの原発についても安全を確保するために必要な事実を公表しない。
今でも日本国内の食品の安全性について国は必要な調査、対策をしているかといえば僕ら国民には真実は分からない。

最近だとドカンと消費税が上がるのに、オリンピックに合わせてキャッシュレスを進めるという建前で5%戻って来るよ、などと言っているが、甚だ色々胡散臭い。
悪事の予感しかしない。

ゲノム編集食品について表示義務なしでOKなどということにもなりつつある。

ーーー

JAL123便についての真相は謎のままだが、ある意味では平和な時代の悪意に満ちた事件だったのかもしれない。

というのも、フクシマについては原子力という人間の手に負えないものの暴走についての隠蔽である。

ゲノム編集食品についても、これは完全に人間の手に負えないものだ。

キャッシュレス決済についても、お金がなくなり、お金の概念のみで人々が信用をやりとりする時代の幕開け、これもある意味で人間の手に負えないものじゃないだろうか。

その点、JAL123便の事故は人為的な悪意の犯罪。言うなれば何かしらの利権をめぐる問題。人間の領域を越えていない問題だったんじゃなかろうか。ある意味では人間の領域の泥臭い悪事の証拠隠滅だったとも言えるんじゃないか。
まあ、真実が謎なので本当のところは分からないし、もしかすると、人間の領域を越えた問題だったので、こうして真実が表に出ないままなのかもしれない。

ーーー

JAL123便についての真相は謎ではあるが、概ね有力なのは日本が核兵器をコッソリ作って輸出していたのを隠蔽するためか、松下の作っていたOSトロン(WindowsとMacよりも優秀だったそうな)を妨害するためか、自衛隊か米軍がミサイルを撃って撃墜し、その後、自衛隊か米軍の特殊部隊によって証拠隠滅のため生き残った乗客を火炎放射器で皆殺しにしたといった説がある。

もちろん、それらは仮説、推測であり、真実は今なお謎ではあるが、事件から30年以上経った現在でも、当時のことについての情報を政府はもちろん、テレビ局なども公開しないし追求しようとしない。胡散臭いテレビ番組なんかでも絶対に触れない。

こういう個人のブログで諸説飛ぶ程度までなのだ。
そんなわけで、今僕の書いているものも特に信憑性はない。
それにしても、30年経ってもずっとそんな具合ってことは、まあ、何かあるのだろう。
ネス湖のネッシーでも真相究明されてるのに、そんな大事件の真相が究明できないってことはなかろう。究明しない理由があるか、公表しない理由があるのだろう。

核兵器の輸出云々については、そんな危険なものを積んでいたとしたら飛行機を撃墜などというリスキーな方法じゃなくもう少し別の方法で闇に葬る気はする。
松下の開発していたOSトロンについても、たしかにWindows、Macより優れたOSだったらしいが、わざわざ民間旅客機を派手に落として処分するだろうか。
ましてや、何百人もの乗客、中には著名人もいたのに、それを皆殺しにするとなると、一体どういった事情があったのか。
何か裏の目的があるにしたって、あまりに目に付くやり方だ。

民間機に対して外部からミサイルなりをぶつけて落とすなど、バレないわけがない。
救助が遅くなったのも誰の目にも明らかに不審にしか映らない。
ましてやほぼ全員死亡するなど明らかにおかしい。

JAL123便の事件とは実に謎に包まれた事件であり、テレビ局などのマスコミも絶対に触れないタブーだ。

ーーー

そんな事件なのでインターネットを掘り進めても真相には辿り着くわけもないので、深追いはしない。

まあ、どこの国も多かれ少なかれ悪いことはしている。

ーーー

それにしても、僕らの国、日本っていうのは悪事し放題の国だなとは改めて感じる。
消費税を10%にする、ゲノム編集食品解禁、かなり深刻な問題なのだが国民は何も出来ない。
デモ行進も起きない。
学生運動もない。

先日、親しくしているおじいさんに、
「最近の若い人が選挙に行かないのは問題だよ。選挙以外に民意を反映する方法がないのに、こんなに投票率が低いんじゃ、民意はほとんど反映されない」
と言われたが。

この辺り、僕らの世代っていうのは、もう国家に大して手を上げられないように徹底的に教育されてしまっていると言っても良かろう。
ちなみに僕自身、選挙にはいかない人間なのだが。

ストレートに言えば、金持ちが政治をしたって金持ちに有利な国にしかなるわけがないし、政治家になれば金持ちになるというシステムである以上、何をどうしたって金持ちのための国にしかならないじゃないか。
って話なのだ。

そう、ゆとり世代、さとり世代というやつである。
すぐに諦めてしまう。
国家や偉い人に弱い。
拳を上げて反抗できない。

そして、僕らの世代は一番元気な働き盛りの年齢にいまなっている。

ーーー

さて、このゆとり、さとり世代についてだが。
僕は、僕らの世代のことをコンドーム世代と呼びたいと考えている。ちなみに僕らはゆとり世代一年生くらいだ。高校の数学から複素平面がなくなった世代だ。余談だが複素平面をなくすなんて、文部省は頭がおかしいんじゃないかと思うのだが。

さて、コンドーム世代。

僕らの世代より若い人はセックスの時にコンドームを付ける人が多い。
僕らより少し上の世代の人はコンドームなしでセックスして、中絶なんかの話もあった。

まあ、まったく有意な統計データもない、僕の個人的な感覚の話ではあるのだが。
他人のセックスのことをそんなに嗅ぎ回っているわけでもないが、まあ、男として生きていると、他人のセックスの話を無駄にあれこれ聞く時期ってのはある。

単純にゆとり教育の一環として性教育について進歩したとも言えるが、それ以上に国民をより従順にする教育制度が成功したとも言えるんじゃなかろうか。

ゆとり世代、さとり世代、今は何世代なのかは分からないけれど、着実に僕らは諦める国民として教育され、反社会的なこと、国に疑問を抱くことはいかがわしいという風になってきているんじゃないだろうか。

フクシマ問題についてあれだけ国際的に批判されても相変わらず日本は原発を辞めようとしない。
国民も黙っている。

千葉県の停電についても、今のご時世に首都東京のすぐ隣の県でライフラインが断たれて何日も復旧しないなど、やはりおかしいことだらけである。
やっぱり国民は黙っている。

まあ、僕も黙っているんだけど。

ーーー

ところで東海地震、南海トラフ地震はどうなったのだろうか。
あと数年で来る、どうしようと騒がれていたのに。
台風一発で何日も復旧しないのに、太平洋側の広域に被害の発生する大地震が起きたら、これ、為すすべないんじゃなかろうか。

ーーー

アレコレ考えてみても、特に建設的な話はないのだが。

ま、そんなこんな。
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2019年09月20日

人間、なりたいものになる。

人間、なりたいものになる。
最近、思う。

自転車屋を退職するに際して切に思う。
自転車屋をやりたいなら、さっさと開業してしまうべきだったのだ、と。
そして、それは今からでも遅くはない。今すぐにでも開業に向けて何かを始めれば良い。
でも、つまるところ、僕は本当のところ自転車屋をしたいわけでもないのだろう。
本当にしたいならアレコレ理由を付けずにやってたのだろう。

自分の周りを見ても山岳ガイドをしながら、雑誌の記事を書く人もいるし、写真で食っている人、映像で食ってる人、文章で食っている人はいる。
彼らがなにか特別だったのかと言えば、存外そんなわけでもないと今更気付く。
それで食っていこうと決めて、それを仕事に出来る会社に入っただけのことだ。
あるいは独立したか。

ーーー

たしかに僕が自転車をやってきたのは稼ぐためではない。
単純に好きということと、小説の引き出しになりそうだと思ってのことだった。
だから、自転車で飯を食おうってのは元々なかった。
偶然、仕事になったので、仕事としてやるからには一生懸命やろうっていうことで一生懸命やってきたということなのだ。

小説に関しても飯が食いたいならライトノベルを勉強しただろう。
あるいは編集者や雑誌屋なんかの就職を探したろう。

改めて考えると、小説家になれなかったことも、自転車屋を開業できなかったことも納得してしまう。
小説家については一冊くらいは大手の出版社から出してもらえるような文を生きてる間に書きたいとは思っているけど。

ーーー

今度の転職は工務店の営業マンだが。
これは稼ぎたくてやる仕事だ。
なぜその仕事にしたのか。稼ぎたいのだ。
家を売るって一番稼げる仕事だと思う。
単純に単価が高い。

人生の三大支出は住宅、教育、老後資金と言われている。
この中で住宅というのはかなり異質で商品一つで三代支出の一つになりうる。
現実には賃貸に住む期間もあるし、固定資産税だの修繕費だのも含まれるが、家の購入費っていうのが大半だ。
あとの教育については学校は小中高大と分かれるし、老後資金もアレコレ分かれる。

衣食住と人間の必要なもので考えても、衣食は細々と買うが、家は一発でドカンと買う。

ものすごく単純な理屈だが、家が売れれば一番儲かる。
それゆえに販売も一番難しいとも言えるのだが。

それでも、医者などの特殊なスキルなしで、年収一千万が実現するのは家を売るか、株などのお金でお金を膨らませるかの二択である。

ーーー

なぜお金が欲しいのか。

今まではお金って必要なかった。
多分これからもそこまでたくさんのお金は必要ない。
何だかんだで日本でまじめに正社員してる限り餓死することはないし、子供を学校に行かせることもできる。

強いて言うなら、これまでしたことがなかったことだからやってみたいっていうのが大きい。

目標は家とスバルのフォレスターを買うこと。
そんなのそこまで大金持ちじゃなくても出来るのだろうが。
正直なところ、僕には他に思いつかない。
ブランド物の服が欲しいわけでもないし、豪邸が欲しいわけでもなく、レクサスが欲しいわけでもない。
マウンテンバイクが積める大きい車、家族でキャンプに行ける車があれば良い。

じゃあ、年収一千万円を目指して何にお金を使うのか。

正直、分からないんだけど、何か寄付でもしたいと思ってる。
世のためになるようなことってわけでもなく。
国立公園の整備とか。マウンテンバイクのトレイル整備のためとか。あるいは誰でも使える音楽室を作るとか。冒険家のために出資するとか。
僕の友人でユーラシアをオートバイで横断したいってやつがいるんだけど、そういうやつに200万くらいホイッてあげちゃうような感じか。
別にオートバイでユーラシア横断なんかやってる人はいくらでもいるんだろうけど、でも、何だか面白そうじゃない。
世間でいう立派なことに寄付したいわけじゃなくて、面白そうな人が面白そうなことをするのに寄付したいわけだ。

面白い遊びをする誰かが喜ぶような何かにお金を使って、面白い遊びをお裾分けしてもらいたいなんて思うのだ。

言うなれば昔の貴族みたいなものか。
パトロンになりたいわけだ。
センスある若者にお金を出して、面白いことを味わいたい。

まあ、そんなこと言ったって、まずは自分の家族の生活ありきで、よほど稼がないと難しいんだろうけど。

ーーー

まあ、要は別にお金の使い道は決まってはいないのだ。
単純にたくさんお金を稼ぐと面白そうだな、っていうだけのことだ。
もちろん、大前提として家族でキャンプに行きたいとか、家族が安らげる家が欲しいっていうのが第一で、その余ったお金でやる程度のことだから夢見たって仕方ないけど。

でも、やるからにはお金が余って困るかもしれないって心配をするくらいじゃないといけないと思うのだ。

子供の教育に注ぎ込むかっていうと、そういうのはあまり考えてない。
子供はかわいいけれど、人生って理不尽だ。
才能のあるやつが面白いことをする。
才能って天性のものだとは思わない。努力や運、きっかけ、なによりも人柄だろうと思う。
なので、息子がそういう才能溢れる人間でお金を出せば面白いことをしそうだなと思えば注ぎ込むかもしれないけど、才能がなければそれはそれで良いと思うし、それならお金は別の人が使った方が楽しいような気がする。

いざ育っていくと、自分の子供にじゃぶじゃぶ使ってるのかもしれないけど。
はたまた妻君がそういうことに使って、それを横で眺めているしか出来ないのかもしれないが。

まあ、なってみないと分からない。

でも、個人的には面白い人が集まる面白い場所なんか作るのに使いたいと思ってはいる。

もしかすると、自転車で南極点を目指すのかもしれないけど。

ーーー

人間、なりたいものになるのだ。
どういうものになりたいと思うか。
思いつけるか。
そして、それをどれだけ強く思えるか。

大人になるにつれて、いろんなことが出来るようになって、いろんなことが出来なくもなっていく。

何に使うんだか分からないけど、とりあえずたんまりお金を稼いでみたいと思ってる。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月12日

人生が目まぐるしく進んで、何を目標に生きていこうか。

人生が目まぐるしく進んでいく。

子どもが出来て、転職することになって。
車を買わなくちゃいけなくなった。
工務店で働くので、いずれ自分の家も建てようと思っている。

数年前、自転車でアフリカを走っていたのが実に遠い過去のようで、改めて考えればつい三年ほど前のことだ。
マラウィのことをよく考える。その国ではマラリア対策で蚊除けになるんじゃないかと、村で3ドルで半ば押し売りされたマリファナをぷかぷかとテントで吸って野宿していたのを思い出す。
あんまりマリファナの話なんかするのもどうかとは思うけど、別にマリファナ大好きってわけでもないし、日本で吸うことはない、要は潔白なのでこうして書くのだが。
(日本国内で高い金を払って、警察に捕まるリスクを押してまでマリファナをするのは馬鹿だけだ)
そこの国ではずっと下痢もしていたので、マリファナ茶みたいに下痢の治療にならないか、なんて思ってぷかぷかやっていたわけだ。

貧乏な国だったし、ある日突然全裸の黒人に殴られたりするし。僕も珍しくよくマリファナをやっていて。
どことなく幻想のような思い出のある国だ。
四国くらいの大きさの小さな国だったから、本の数週間の滞在だったし、特に観光すべきポイントもなかったけど、不思議と印象に残っている国だ。

首都について日本大使館に電話して、駐在のドクターに相談しようとしたら、しばらくドクター不在なんです、なんて言われたりして。
実に楽しい国だった。

笑えるレベルの苦労ってのは楽しい。
これが下痢なんかじゃなくて深刻な病気だと楽しくはないが。
まあ、下痢も深刻に困ったのだが。

マラウィのヘンテコな話といえば、これは現地で知ったことではなくニュースで読んだことだが、一部の地域で大人になる通過儀礼として12歳の少女がセックスしないといけないってのがあるそうな。
しかも、それでHIVが随分広がったりする。

まあ、ヘンテコな国なのだが、どこか愛すべき国。
もう一回行くかと聞かれると、行こうとはあまり思わないのだが。

ーーー

それにしても、そこから3年ほどで急に人生目まぐるしく進む。

急にいろんなことがきちんとして、身が重くなる。
妻と子のため生命保険にも入った。
もしもの時のために毎月1万円以上払うわけだ。
もしもの時って何なんだ、って話だが。

こんなにいっぱい税金やら社会保険やら年金やら払っているのに、もしものことがあった時のために別途で生命保険に入らないといけない国って、なんだそりゃ、って気はする。

マラウィに住もうとは思わないが、ある意味では日本も随分と変な国ではある。

ーーー

何はともあれ、僕は随分と変な国日本で妻と子どもを育てて行くことになったのだ。

日本も少しマリファナ解禁でもして、イージーに生きるっていう選択肢もアリにしても良いんじゃなかろうか。
でも、きっと日本でマリファナ解禁しても、日本人は上手く遊べないだろう。
まあ、マリファナを上手に遊べている国なんて少ないんだろうけど。
でも、別にビールやウイスキーと大して変わりないんだから、解禁してリラックスして生きていっても良いんじゃないかって気はする。

根底のところで日本は少し変な国なんじゃないかと僕は思っている。
何を基準にして、どういうところが変なのか。
そんなこと日本以外の国で生きたことがないからよく分からないけど。
何となく感覚的に日本ってヘンテコな国だなと僕は思っている。
忖度、出る杭打たれる。
正しいことが正しいってならないことが多い。

ブーブーと文句ばかり言っても仕方ないが。
貧乏な自転車屋を引退して、外の世界を見渡すことになると。
何だか、随分と変な世界に僕はいるような気がした。

ーーー
ーーー

そういえば、最近、憧れの人、人生の目標の人、尊敬している人はいますか?っていうことについて考えることがあった。

ふと考えると、最近、そういう人がいない。
もう少し若かった頃って、割とそういう人っていくらでもいた。
たとえば、村上春樹みたいになりたいとか。
でも、次第に有名人なんかに憧れなくもなったし、お金持ちにも憧れなくなった。
それは実現する可能性が低くなったからってわけでもない。
誰かに憧れるというよりは、自転車屋してて、そこそこお金も困らなくて、景色の良いところでコーヒーが飲めて、家族が健康で、僕は僕で自分の好きな自転車やランニングなんかをそれなりに楽しめれば、そういうのが良いかな、って。

まあ、向上心がなくなったのかもしれないし。
はたまた、それなりに自分が何が好きで、どんな感じで生きたいかってのが見えて来たのかもしれない。
何にせよ遠い夢を見なくなった。
どこか寂しくある。

こんな風に生きたいということで。
しいて言うなら自転車仲間のSさん夫婦の暮らしっていうのは確かに憧れではある。定年後、世界の至る所を旅するという生き方も素敵だし、家が素敵だし、生活も総じて素敵だ。奥様が芸術家だからというのもあるのか、家全体はもちろん、家具や絵、彫刻など、全てが非常に美しくまとまっている。

もちろん、Sさん夫婦にもアレコレ苦労はあろう。
別に大金持ちってわけでもないだろう。
人生で何か偉業を成し遂げで何か残したかということもないのかもしれないし、僕が知らないだけで実はすごく偉い人なのかもしれない。まあ、実のところは分からない。
でも、まあ、多分、普通の人だと思う。多分ね。もしかすると、偉い人かもしれないけど。

そう、別にこれがスゴいって説明もしにくいわけだ。

それでも、Sさん夫婦は生き方に芯みたいなものがあり、それが行動、暮らしや家、趣味、所有物などに一貫して滲み出ている。
統一感があるのだ。
下衆だったり嫌味な感じがない。
何だかんだで自転車や乗馬など、結構お金のかかる趣味も多いのだが、成金趣味的なところがなく、当然ながら貧乏くささもない。好きなのでやっているだけで、必要な分はお金をかけるが、無駄なお金はかけない。

中庸というべきものかと言えば、中庸とも違う。

じゃあ、一体僕はSさん夫婦の何に、どういうところに憧れているのか。

改めて考えると難しい。

ーーー
ーーー

随分と人生が変わる。
これから何を目指して生きて行こうか。
家族の健康はもちろん。
僕は一人の人間として何を目標に生きていこうか。

ま、そんなこんな。
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2019年09月07日

欲なんかかくから性善説も性悪説も。

人間は性善説ベースなのか性悪説ベースなのか、なんてことを最近考える。

チームって、基本的に同じ目標で動かないと強くない。
小学生の野球チームなんかにしても、みんなが勝つためにやっているチームと、親に習い事に行きなさいということで何となく野球をしているチームだと差は歴然となる。

あ、嘘だ。
中学校くらいまでの野球はピッチャーで決まる。ピッチャーが一人だけ良けりゃ大抵勝てる。特に小学生の野球となるとまずストライクを普通に投げられるピッチャーがいるかどうかだ。バッターが打てない球を投げるピッチャーじゃなくて、ストライクが入るかどうか。これがないと試合にならないんだけど、小学生くらいだとストライクに投げるって難しいのだ。
フォアボール=100パーセント出塁できる=打率10割だから、こういうことになってしまう。

小学生の野球で勝つための戦略は2ストライクまではオールバントだ。もちろん、見送りもする。とにかく走らせる。最初はほとんど見送って2ストライクからのヒッティングメインにして、バントしないと向こうが思った辺りから実際にバントも混ぜていく。
これ、ピッチャーはすごく疲れる。バントの処理ってピッチャーは物凄く疲れる。

ただ、そういうことをするとバッシングが来る。
勝ててもバッシングが来る。
そして、プレイヤーである子供たちもつまらない。

野球とはホームランを狙って盛り上がる遊びでもある。

でも、基本的には勝った方がスポーツは面白い。
だから、露骨になりすぎない範囲で、なおかつ子供たちが楽しめる範囲でセーフティバントとバスターの技術、ピッチャーを疲れさせる技術っていうのは教えておいた方が良い。

何よりも大事なのは、勝つためにやろう、っていう目的を統一することだ。

ーーー

勝つために試合はする。
当たり前のようだけど、意外とチーム全員で勝つためにやろう、って意識を統一するのは難しいのだ。
もちろん、みんな勝ちたいのは勝ちたいのだが、勝てるなら勝ちたいっていう程度の話なのだ。

少年野球の場合、土日に朝起きて一生懸命やって、親に誉められれば、それでとりあえずはOKだし、そこで友達が出来て、放課後にポケモンが出来ればサイコー。
つまり、勝ちたいのは勝ちたいけど、勝てなくても、まあ、どっちでも良いのだ。

高校野球くらいになると、割と監督も厳しかったり、先輩との上下関係も厳しかったりして、勝つために頑張ろうって話にはなるのだが。
可愛いマネージャーと良い関係になれるのと、試合で勝てるのと。
そりゃ、可愛いマネージャーとウキウキする方が優先だし。
怖い先輩に怒られない、監督に罰のランニングをさせられない。
そういう方が試合の勝ち負けより大事っていう高校球児の方がよほど多いのだ。
もちろん、タテマエとしては勝つためにやっているにせよ。

ーーー

じゃあ、どうやって高校球児、あるいは野球少年たちを勝つために統一していけるか。
勝ちの味を覚えさせるというのに尽きる。
勝てばモテる。勝てば親に誉められる。
世の中、勝てば官軍ってのは当たり前のことではあるのだが、実際には勝ち続けられる人間は少ないので、負けても他のことを頑張れば良いなんてことを人間覚えるようになる。

まあ、実際、野球が全てっていう人間は少なくて、野球で勝つよりも勉強を頑張りたかったり、まあ、アレコレあるのだ。
それでも、勝てば嬉しいっていう、勝ちの味を覚えさせれば、また勝ちたくなる。
これが出来ればチームは強くなる。

だから、強豪校はずっと強いのだ。
勝って当たり前、勝てばチヤホヤされることを知っている。
だから、勝ちに向かって統一されている。
だから、強い。

ーーー

これ、仕事でも同じで、売上を伸ばそうって統一するのは難しい。

儲けるために働く。

これ、非常に当たり前なのだが、全員が儲けるために働くって統一するのは非常に難しいのだ。

例えば、僕もそうだが、たくさん売っても給料が変わらない。休みも増えない。
こうなってしまうと、頑張れにくくなる。
頑張っても意味がないっていうのはツラい。
特に頑張っている人間ほどツラい。

でも、当然だが頑張らないと会社は傾くし、そうこうしていれば、自分の給料も怪しくなってくる。

だが、これまた不思議なことに頑張らなくても、大抵の企業はそう簡単には潰れないし、給料も明確な理由なく大幅に減ることもない。

そういう構造の儲かっていない中小企業の場合、
「儲けるために働く」
っていう考えで統一していくのは難しい。

ーーー

じゃあ、給料を上げればせっせと儲けるために働くかというと、これまたそうでもない。
給料が上がれば、そのことに対してありがとうございますと感謝こそすれど、その分、余計に一生懸命働くのは数ヶ月のことで、しばらくすればその給料が普通になってしまって、以前の通りと変わらない程度にしか働かなくなる。

ーーー

保険屋のおばさんから聞いたが、お金は遺産として残すのは良いが、死ぬ前に配ってはいけないという鉄則があるそうな。

死ぬ前に贈与してしまうと、もらう前ともらってしばらくは感謝して、せっせと恩も返すが、三年も経てば過ぎ去った過去である。
贈与してから三年以内に死ぬなら良いが、現実問題、そうもいかない。

これに対して、
「世話してくれてありがとう、遺産はお前に多く残してやるからな」
と約束すると、死ぬまではせっせと世話してくれる。

もちろん、みんながみんなそうではないにせよ、生前に贈与するよりは遺産として贈与した方が間違いないっていうのは鉄則らしい。

ーーー

こうして話が進んできて、やっと最初の話題、人間は性善説なんだから性悪説なんだかって話に辿り着く。

自分で言うのもなんだが、自分は割と真面目な人間なので、少年野球をするにしたって勝つために頑張ったし、ホームランで盛り上がるためにも頑張った。
仕事にしても、やるからには会社が儲かるように、なおかつお客さんが喜ぶ仕事を目指すのが当たり前と思って努力してきた。
遺産についてはまだ親が元気なので分からないが、故郷から遠く離れているので、この点は不義理をするかもしれない。

自分で言うのもなんだが、真面目だと思う。
何事もやるからには結果を目指して頑張る。みんなが幸福になるように自分が出来る最大限の努力をする。
それが当たり前だと思って生きてきた。

もちろん、サボることもあった。高校のバレーボール部は部室に昼寝とタバコを吸いに行ってただけだ。
勝つなど一ミリも考えなかった。
そのくせキャプテンなんかしてた。

ーーー

31歳にして分かったのだが。
会社が儲かるために努力しない人っていうのは存在するのだ。
働くからには儲かるように努力するのは決して当たり前のことではない。
それこそ、バレーボール部の部室にタバコを吸いに行っていた馬鹿がいるように。タバコじゃないにせよ、会社の利益を増やすため以外の目的で仕事に行く人っていうのは決して少なくない。

本当に何も考えず、朝になったら起きて、仕事に行って、職場で何かして、叱られないように過ごして、時間が来たら帰る。

なぜ儲けようというやる気が起きないのか。
単純に実家暮らしで、近所の人なんかの目を気にして正社員という世間体のためだけに仕事に行く人もいる。
実家暮らしなので食うに困らないというわけだ。
実家暮らしじゃなくても、近くに親がいて、何かあれば助けてくれるので、そんなにお金にシビアでもないという場合もある。
はたまた、公務員や大企業の場合、個人の頑張りは仕事全体にあまり反映されないので、頑張ってもサボっても組織はそれなりに儲かっているということもある。
はたまた、頑張っても評価されないどころか、厄介な仕事や責任ばかり増えてしまう仕事というのもある。

ーーー

これ、単純にやる気の問題なのだ。
性善説、性悪説、要は生まれつきの問題なのだ。

宅建の試験勉強なんかしていても思うが、やる気次第なのだ。
もちろん、やる気があっても落ちることもあるにせよ。やる気がある人の方が受かる可能性は間違いなく高い。

ーーー

問題は善か悪かって、どっちがどっちなんだという話だ。

会社で仕事をしていて、特に仕事に関しての話の場合、儲けるために頑張るやつが善である。
会社の目的は儲けることだ。
利益を出さない団体、非営利組織でさえ運営上必要な最低限の利益は必ず作らないといけない。
もちろん、利益を上げる営みを通して、それが社会貢献になるというのも大事ではあるが。
とにもかくにも利益が出ないことには会社ってのは進まない。
少なくとも人を毎日八時間拘束して仕事をさせるためには、その人の食い扶持を確保しないといけない。

ただ、少年野球のバントの話がまた出てくるのだが。
勝つために何でもしていいってわけでもない。

やはりホームランを狙うブンブン丸が必要なのだ。

それでも、やっぱり会社は利益を出さないといけないわけで、働く人間として同僚にも儲けるための努力、お客さんに喜んでもらう努力はして欲しい。
勝つためにチームとして頑張って欲しいと思うわけだ。
いかに給料が悪かろうと、休みがなかろうと、実家暮らしだろうと。
それが、真面目というものであり。
性善説でものを考えていたいのだ。

そんなわけで、転職を前にした僕は性善説、性悪説なんてことを考えた。

ーーー

目から鱗だったのは、次の転職先の社長の書いた本にあったことだ。

次の転職先も10人程度の小さなところだ。
ただ、社長は10個くらい会社を持っていて、ビジネス書なんかも何冊か出している。
内容としてはピンキリというのが正直なところだ。そりゃ、文章家ではない実業家だからね。本として面白く仕上がるかは出版社の企画、編集の腕が問われるところだ。

その本の中に中小企業の経営者向けのものがあるのだが。
その中で如何に従業員を育てるかというのが書かれている。

中小企業では特に人が少なく余剰の人材を雇う余裕がない。
だから、個々が頭を使って会社が儲かる方法を考え行動できるようにしないといけない。
いかにしてそういう人材を育てるか。

ただ、中にはそういう風に育たない人もいる。
そういう人をどう捉えるか。
そういう人も必要だと書いているのだ。

言い方は悪いが、向上心のないサラリーマン気質の人はそれはそれで会社にとって必要なのだ。
ただ、大事なのはそれを明確に本人に認識させることなのだ。

理想は会社が儲かるように考えて行動できる社員が育つということだ。
でも、出来ない人にそれを求めるのは酷だ。
それに、逆にそういう人は与えられた作業をあまり考えずに黙々とこなしてくれる。

だから、ある程度まで教育したところで、本人に選択させるのだそうだ。
儲かるように考えて動く社員になるか。向上心も必要だし、大変だし、成長すれば責任もついてくる。それでも、儲かった分はちゃんと払う。
それか、黙々とこなす社員になるか。そういう人材も会社にとって必要なのだ。ただ、儲かる方法を考えて動く社員より収入は落ちることになるが、向上心などは求めない。

どちらが良い悪いではなく、それは価値観次第なので本人の自由な意思で選ばせてやるべきだ。選んだからには責任を持って、その方向で頑張ってくれ、と。

もちろん、やる気が全くない人を雇うわけにはいかないので、最初の教育の段階で会社に合わない人には辞めてもらうのもアリだとしている。
厳しくすると社員が辞めてしまうかもしれないと臆してしまう会社も少なくないが、厳しくしたら辞めてしまう社員をなあなあで雇い続けると会社にとっても当人にとっても良いことにならない。特に40歳くらいまでなあなあで雇い続けて、若い有能な人もある程度育ったところで不必要になって解雇などは当人にとって地獄である。
どうしても合う合わないというのはあるので、合わない人には早い段階で辞めてもらって別の会社で活躍するチャンスにしてもらう方が良いだろう、と。

こういう風に徹底するのは本当に難しい。
人をクビにすることは難しいことだし、また雇用するのも大変なことだ。

可能な限りは仕事ができない奴も雇ってやりたいっていうのは経営者の心理だろう。ある日突然、仕事ができる人間に変わってくれないかと淡い期待を抱きつつ。
そして、いくらか無理をすれば何人かくらいならそういう人間を雇うくらいは出来てしまう。
でも、それがなあなあになってしまうと、気付くと出来ない人間の方が多くなって、真面目な人間が負担を背負いこんで無理をして馬鹿を見ることになる。

そういうことは誰でも分かることなのだが、人間、自分が当事者になるとじわじわと悪くなっていく物事っていうのには対処出来ないものなのだろう。

そこをズバズバっと徹底してやっていくっていうのは本当にすごい。

ーーー

まあ、自分の会社に都合の良い理屈とも取れるが、実際、中小企業で人材を育てていくってそういうことである。

僕が自転車屋さんをしていて、会社に対してよく思ったのは、正社員の数は減らしてバイトを雇って欲しいということだった。
正社員は少数精鋭で店長として動けるレベルの人だけ、あるいはそこまで成長する見込みのある人だけにして、あとはアルバイトにして欲しい。
そうしないと、モチベーションの低いスタッフの食い扶持を稼ぐために、自分の給料が伸びなくなってしまうのだ。
正社員が少ないと売上が伸びていくと人手不足になる可能性もあるが、やる気のない正社員はどちらにせよ一人にカウントできるほどの仕事が出来ない。

そりゃ、自転車っていうのが利益率の高い商品なら良い。
あるいはママチャリのように日用品として全国民に需要のある商品でも何とかなるだろう。
でも、ロードバイクとは利益率は低いし、その上、数がたくさん売れるものでもない。
自転車操業とはよく言ったものだ。

ロードバイクを売るというのは、いかに常連を育てるかだ。
ロードバイク愛好家である限り、馴染みのショップが一件は必要だ。
だから、きちんと常連として付いてくれると長く安定して購入し続けてくれる。
さらにその人の知り合いがロードバイクを始めるときに紹介してくれる。
ロードバイクを始めようと思った時に知り合いでロードバイクが詳しい人がいたら相談するだろう。その時に店を紹介してくれるかどうかっていうのはとても大事なのだ。

常連さんが常連さんでい続けてくれるっていうのはとても難しい。
ただ、安いだけだと別の店でもっと安いところが見付かったら、そこに移ってしまう。
常連だからと値引きばかりしていると意味がない。
ただ、たくさん知り合いを紹介してくれる人にはそれ相応のサービスもすべきだ。
用事がなくてもふらりと店に立ち寄りたい、あそこの店の人と用はなくとも世間話をしたい。
そういう関係性が出来れば良い。
世間話だけでは利益にならないので、これを嫌う店も少なくないが、趣味の仕事は紹介ありきだ。ぶらりと立ち寄ってくれるほどの信頼関係が出来ていて、なおかつきちんとお店とお客さんというマナーがお互いに出来ていれば、頻繁に店に顔を出してくれるお客さんはいずれ必ず良い常連さんになってくれる。
ただ喋るだけで何も買わないっていう変わった人もいるけれど、そういう人は少数だし、そういう人はお店とお客さんっていう最低限のマナーを作れていない。

要は一人の人間の人生を通しての趣味のパートナーになれるかどうか。
これがロードバイクを売るという商売の核心だ。

もちろん、そういう常連さんじゃなくて、ぶらっときて買って行って、それきりというお客さんも売上にはなる。
ただ、そういうお客さんを狙って増やしたり、安定して減らさないようにするのも難しい。
ぶらり客は運の要素が大きい。

もちろん、ぶらり客を逃さず売上を作れるかっていうのも大事ではある。
ぶらり客だって接客が悪いと、そのままぶらりと別の店に行ってそこで買ってしまう。
売り逃がしになる。

常連さんにせよぶらり客を逃さないようにするにせよ。
どちらもきちんとした接客や会話力が必要になる。

そういうビジネスなのに社員の数ばかり多くて、モチベーションの高い社員は少ない。

ーーー

今の仕事の愚痴にもなったが。
でも、僕は心底、自転車屋さんで平和き生きていたかったのだ。
別にそんなに高い収入もいらないし、休みも多くなくて良い。
ただ、家族が困らない程度のことは欲しかった。
だから、仕事も頑張ってきたし、数字も出してきた。

だから、同僚には求めるのだ。

ーーー

でも、それは僕の間違いだったのだ。

現実世界ではいろんな人がいる。
勝てれば嬉しいけれど、勝つために一丸になってやるチームっていうのは多くはない。
みんなそれぞれに価値観がある。

ーーー

次の職場は徹底して勝ちに行く職場だ。
まだ入ってもいないが、入社前に社内チャットなどに入れてもらって会話を読んでいるがすさまじい。

全員が一丸になって勝つためには宗教が必要だ。

強豪校の野球部だって、アレは半分は宗教だ。
まず選ばれた選手ということ。
そして、勝って当たり前ということ。
野球こそ人生ということ。
そういう思想のベースがあるから、凄まじい量の練習が出来る。
その中の競争に勝った精鋭がレギュラーとして試合に出る。
野球が上手いということこそ、試合に勝つために必要な選手であるということ、それこそが至上の目的であり、それに向かって一丸となる。
これ、宗教である。

はっきり言って高校野球ですごい選手だからって人生どうこうなるわけでもない。
結果論としては、そういう体育会系でもまれて、忍耐力のある人間はたしかにその後の人生も上手くいきやすいってのはあるにせよ。
甲子園に出たからって、プロ野球選手になれるわけでもないし、野球関連の仕事で食っていけるわけでもない。野球こそが人生っていう日々は遅かれ早かれやってくる。
でも、チームにいるあいだは野球こそ全て。
疑う余地がない。
信じる信じないではない。
言うなればその思想は神であり、信じないなどという選択肢があるわけもなく、意識して信じるようなことでもない。

基本的に勝つためのチームとは何かしらそういう宗教めいたものがある。

ーーー

正直なところ、一人でのんびりと自転車屋をしつつ。コーヒーでも出していたいのだが。近所の学生のママチャリのパンク修理なんかしたりね。馴染みの常連さんと走りに行ったりね。
細々と食うに困らない程度の収入で。
でも、平和で。
空を眺めて。
文でも書いて。

何とも無気力な本音だとは我ながら思うが。

ーーー

昔よく行ってたバーも随分変わってしまったらしい。
昔は大した金にもならない呑んだくれが集まってのんびりと音楽を聴いて下らない話をしていたのが、領収書を切って経費で飲んでくれる飲み会の客をターゲットにした居酒屋みたいになってるとか聞く。

僕はいっぱいお金を手に入れて、仕事の出来る男になって。
家でも立てて、良い車でも買うんだろうか。

静かに文章を書いて、旅をして。
そんな暮らしはやってこないんだろうか。

まあ、とりあえずは子どもが元気に育ってくれれば良い。
それでも、子どもが大人になったとき、そんな父親どう思うんだろう。

静かに生きていたいなら、静かに生きていりゃ良いのに。
アレコレと欲ばっかり出すからいけないのだ。

そう、勝つために一丸になれる会社は少ないし。
自分の求めることのために全力を尽くして生きれる人は少ないってことなのだろう。
アレコレといらない欲だったり、仕方ないといって言い訳を作ってみたり。

アレコレ言っても仕方ないので、まずは次の仕事を全力で頑張って、お金をたんまり稼いでみようじゃないか。
アレコレ言っても仕方がないのだ。
仕方ないって言い訳作って生きていくんだ。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月02日

安い給料で働き続けてはいけないという話。

安い給料で働き続けてはいけないという話をしようと思う。
同時に給料が安くてもやりたい仕事は一度はしてみるべきだという話も。

ーーー

転職して年収が上がった。
そんなCMが世の中にはたくさんある。
ーーそんなに都合良く行くわけないだろ。
と前までの僕は思っていたのだが。
現実には転職をして年収が上がるということはさほど珍しいことではないらしい。
ちなみに今回の僕は年収は変わらず。
とは言っても店長=社長の次に偉いポストから、未経験の新人になるのに年収は同じで休日は30日近く増える。

ーーー

安い給料の会社で働き続けてはいけない。

これにはいくつか理由がある。

まず周囲の人だ。

安い給料の会社は、同僚も給料が安い。
給料が安いと向上心とかって低くなりやすい。

今の会社は正に典型的だ。
仕事ができる人、向上心のある人たちはみんな辞めていってしまって、残ったのは給料は安くても問題ない、今のままでも別に良い、そういう人たちばかりが残ってしまった。
なので、仕事について積極的に何か自分からしようという人はいない。仕事の指示をしても、「それは私の仕事じゃありません」「私はこれをしたので、それはしません」ということを平気で言ってしまう。
会社が潰れず、叱られるような責任を出来るだけ背負わず、とりあえず出勤して何か仕事しているような雰囲気で1日を過ごして日々を生きる。売り上げを伸ばして、仕事を評価してもらって、給料を上げてもらいたいとかっていうのはない。
とにかく無難に叱られないように生きる。

ーーー

ここで重要なのは、その人たち、仕事に向上心のない人たちに罪はないということだ。
夏目漱石の「こころ」ではKは向上心のないものは馬鹿だ、と言っているが、向上心を持たずに生きるのも、人生の選択の一つだ。

人間、失敗はしたくない。
ヒルクライムレースに出るにしても、レースの前から予防線を張る。練習が出来ていないから今回はダメだ、体調が悪い、様々な理由で失敗しても仕方ないと予防線を張る。
予防線を張っておけば失敗してもダメージは少ない。場合によっては失敗にすらならない。
別にタイムはどっちでも良いんです。
そう言っておけば、遅くても失敗にはならないし、完走しなくても別に失敗にはならない。

逆に何分を目指す、今年は練習を頑張っているなどと言うと、タイムが届かないと失敗になってしまう。

人間はなぜ失敗したときの心配をしてしまうか。
答えは成功することだけを考えていると失敗した時のダメージが大きいからだ。

向上心を持つとは、チャレンジすることであり、失敗がつきまとうことだ。

トップアスリートはとにかくメンタルが強い。成功イメージを絶えず持って練習する。勝つために練習する。
失敗に負けないハートがあり、向上心を途切れさせず挑戦し続ける。
だから、僕ら凡人はどんな競技であれトップアスリートを尊敬するのだ。

ーーー

人間、みんなトップアスリートであれ、っていうのは無理があるし、酷だ。

向上心を持たず、責任のある仕事を避けて、向上心なく無難に、ただ出社して就業時間を何か仕事らしいことをして時間を潰して毎日を過ごして月給を手に入れる。
食うために生きる。

これはある種の防衛本能だし、ある意味で無欲であり、実際問題として、こういう人たちが存在しないと世の中はケンカや戦争だらけになってしまう。

今回のテーマとは矛盾するが、安い給料で働き続ける人もいるから世界は成り立っているのも事実である。

ーーー

向上心のない人たちに囲まれて生きる。
向上心なく生きることが特に問題ないという人は安い給料で働き続けるのも良い。
ただ、そういうのが耐えられないという人は、給料はそれなりに良い会社に入るべきだ。

給料の安い会社は人材に対して安く使える人間を求める。高い賃金を払わないといけない優秀な人間は求めない。そこそこの安い賃金でそこそこの仕事をしてくれる人間。
そういう会社にいる限り、会社はあなたに期待はしていない。
優秀すぎる人間になって欲しくないとさえ思っている。

安い給料でも文句なく働く、あまり能力のない、他に応用の効かない人間であって欲しいと考えている。

そういう会社には長くいるべきではないと僕は思っている。

ーーー

従業員の方に向上心のある人間とない人間がいるように、会社も向上心のない会社がある。

個人と違って会社については基本的には売り上げ、利益を大きくしたいとはどこの会社も考えている。
ただ、違うのは何かを良くしていくこと、工夫することで成長したいと思っているかどうかだろう。

向上心のある会社は、社員の平均年収を上げて、優良企業になりたいと思っている。

平均年収が250万円のスタッフの店と400万円のスタッフの店なら、当たり前だが平均年収400万円のお店の方がきちんとした接客を期待出来るだろう。給料の安いアルバイトスタッフにきちんとした接客を期待しても無理がある。
しっかりした良い店を持つか、アルバイトばかりの店を持つか。
付く客層も変わる。

年収の低いスタッフは良い店で買い物が出来ないので、良い接客というのを知らない。
年収が低いと心もすさむ。
貧乏=必ずすさむわけではないが。
やはり、生活カツカツの余裕が全くない暮らしっていうのは、仕事の勉強のための本を買おうとかっていうことにはならない。

向上心ある会社は良い店を持ちたいと考える。
もちろん、安いお店も需要はあるので持ちたいが、高級店も構えておきたい。可能な限り自分たちのサービスの引き出しを多く持っておきたい。引き出しがある状態で意図的に事業として成績の伸びない方を縮小することはあれど、可能な限り質の高いサービスを提供して、業界内でのアドバンテージを作りたいと考える。
質の高いサービスをして良いビジネスを広げていきたいと考える。

向上心のない会社は逆で、失敗したときに痛みが少ないようにとにかく経費削減する。
特に人件費を削る。
あるいはサービスを削ろうとする。
そのくせ原価などを抑える努力や、本当に削るべき無駄な経費の削減っていうのは少なかったりする。

原価を抑える努力というと、販売戦略と予想を立てられる知識と経験などが必要になる。

極端な話だが、小売っていうのはその年の販売量が完全に予測出来れば必ず儲かる。
売り上げが少なくても、完璧に予測出来れば、ギリギリに必要な量だけ仕入れれば良い。
仕入れが少なければ掛け率が悪くなるし、掛け率を良くするためにまとめて多く仕入れすぎると在庫処分をしないといけなくなる。
必要な人件費も分かる。
予測の売り上げに必要なだけの人材を雇えば良い。

売り上げが少なくても、売り上げが完璧に予測出来れば、売れた分の粗利の利益は確実に儲かる。
大量仕入れをして原価を下げても不良在庫を抱えてしまっては意味がない。不良在庫=現金化出来ないもの=粗大ゴミだ。実際はゴミじゃなくてセール商材として使えないこともないのだが。

ーーー

一口に言えば向上心のある会社とない会社の違いは、投資するものが違う。
人材育成っていうのは時間もかかるし、失敗するリスクもある。
人間、合う合わないがある。
仕事に合う合わない。環境に合う合わない。
入社面接時は全員、頑張りますと言って入るけれど、いざ入ると頑張りたくなくなってしまう人っている。

大企業なんかは典型的だが、人材を採用しても全員が成長するとは期待していない。たくさん採った内の何人かが優秀な人材に育ってくれることを期待して採用するし教育していく。

中小企業はそれが難しい。
無駄な人材は採れない。
そこで向上心が分かれてしまう。
少々ダメな人間で良いので、安く使える人材を求めるようになってしまう会社が出てきてしまう。
これが当たり前になると負のループに入る。

ーーー

ただ、一個人と同じで会社にしても向上心のない会社が悪いわけではない。
向上心ある会社、向上心を求められる会社はしんどいという人も多い。
売り上げはそこそこで良いから、何とか細々食いつないでいきたいという会社もあるから世の中は上手くまわっていく。

ーーー

安い給料で働いてはいけない理由の一つに休日がある。

安い給料の会社っていうのは、社員に出すものを出さない。
「給料は安いけど、福利厚生が良くて休日は多い」
っていう会社も存在はする。
でも、給料をたたく会社って基本的に社員を大事にしないので、やっぱり休日も少なくて、福利厚生も良くないっていう場合の方が多い。

給料の多い少ないは金銭的な価値観もあるけれど、休日の多い少ないについては多い方が良い。
人間、体力、気力には限界がある。長時間働き続けても、仕事の質が落ちる。
休日が充実していないと何のために頑張って働いてるんだか分からなくなる。
仮に休日返上で仕事がしたければ、休日に仕事の勉強をしたって良いわけだ。

仕事の質と、仕事を頑張りたいと思えるモチベーションのために休日は多い会社の方が良い。

家庭を犠牲にして仕事をしたって、結果として後悔が残る。

ーーー

もちろん、給料と休日の良い仕事は求められるものは高い。
それが嫌っていう人はいる。

テーマとは矛盾するけれど、安い給料の会社で働くっていう選択肢も決してナシではない。

ーーー

少し脱線はするけれど、ホームレスってのも生き方としてはアリなのだ。
春先や秋の季節の良い時期に大阪の西成区のホームレスタウンに行ってみてワンカップを飲むと分かる。
西成には一泊千円のドヤという簡易宿があるのだが、そこで一泊して、昼からワンカップを道端に座り込んで飲んで、空を見上げてみると、これが実に気持ち良いのだ。

時間とお金が許すなら、自転車持ってアフリカのタンザニアなんかに行って、自転車で走った後、小さな村の売店で冷えてないビールを買って飲んでみても良い。
タバコを吸おうとすると人が寄ってきて、自分が吸うよりもたくさん吸われてしまう。
彼らには仕事がない。
ビールは何だかんだでアフリカでも百円くらいはする。
彼らの日当は三百円とか、あるいはゼロ円だったりもするのだが、ぼんやりと木陰で黄昏ているわけだが。
彼らと通じない言語でやりとりしてぼんやりとビールを飲むと、これは実に美味い。
可能ならビールではなく、ビニール袋に入った五十円しないくらいのジンを飲む方が良い。あまり美味くはないが、すぐ酔える。コーラを一緒に買って混ぜて飲んでも良い。僕はお酒は強いのをストレートやロックで飲むのが好きなので、袋のまま喉に流し込んでいたが、このスタイルは現地の酒飲みと同じなので親近感を持ってもらえる。
彼らはこれをよく飲む。安く酔えるのだ。ちなみにアル中が増えるので社会問題にもなっているらしい。

仕事をせずに昼から飲む酒は美味い。
仕事後のよく冷えたビールが美味いなんて言う人がいるが。
酒は仕事などせずに、昼間から路上に座り込んで飲むのが一番美味い。

ーーー

働きたくない、怠惰でいたいというのも人間の正直な欲求の一つなのだ。

なので、給料も休日などの待遇もいらないから、出来るだけ楽な仕事をしたい、食べる分だけもらえればそれで良い。
これもまた正しいと僕は思っている。

昨今の自己啓発本はそういうのを断固として否定するが、ホームレスの暮らしにもメリットはある。
止むを得ずホームレスをせざるを得ない人も中にはいるが、日本の場合、選ばなければ仕事はあるし、国としてはホームレスは減らしたいので安く住める公営住宅などもある。
それでも、ホームレスをする人がいるのは、ホームレスは気楽なのだ。

持たない暮らしとは気楽で気持ち良いのだ。

いつでも、全てを手放して、自分の行きたい場所に行ける暮らし。
何かを維持するために毎月多くのお金を払い続けなくても良い暮らし。
今生きていることだけを考えれば済む暮らし。

ーーー

持たない暮らし、持つ暮らしでいうと、僕は本当は持たない暮らしの方が好きだ。

でも、転職すると年収も上がるし、転職後は取らないといけない資格も増える。覚えないといけない仕事もてんこ盛りだろう。
まず車を買わないといけない。仕事で車を使わないといけない。

一人で生きるなら買うとしても軽トラかバンだったろう。
でも、今度は子どもも生まれる。
子どもを連れて家族で西日本まで帰省しないといけなくもなるので、クルーズコントロールの付いた普通車を買おうと思っている。

家を建てる会社なので、タイミングが合えば家も建ててしまおうかと考えている。
家族のためにも良いし、自分が実際に商品を購入するっていうのは一番の勉強にもなる。

そうやって、持たない暮らしから離れていく。

持たない暮らしが好きな僕には分かるけど、持たない暮らしっていうのも逆にくたびれてしまうところもある。

まあ、何よりも子どもが多数決の世の中で少数派で生きていかないといけないっていうのはかわいそうだと思うわけだ。
かと言って金持ちの家庭に育ててやりたいわけでもないが。
子どものためにも家族でいろんなところに行っていろんな遊びをしたいし、妻のためでもあるし、僕自身のためにも。
家族みんなでいろいろ遊んでみたい。

そう考えると、持たない暮らしから離れるのは寂しい気もするけど、お酒に溺れる夜には別れを告げて、収入の良い、休日の多い仕事に転職して、仕事をバリバリやって。
それが僕の次の生き方なんだろう。

ーーー

安い給料で働き続けてはいけない。
そんなタイトル、テーマにしてはみたものの、実のところ、安い給料の仕事をしてみるのだって良い。その気になれば、転機さえ来れば、そういう仕事から離れるタイミングも来る。年齢的に難しくなることもありえるけど。まあ、その辺りは運だろう。

若い頃の自分に言いたいことは、自分には決してマトモな仕事は無いなんて思い込んではいけないということだ。
安い給料の仕事でも、好きなこと、誇りを持てる仕事っていうのはとても素晴らしいことだ。
ある意味ではそういう仕事に就職するのって難しい。
多分、安い仕事から高い仕事に転職するより、逆の方が難しい。
特に家族を持ったりすればなおさらだ。

自転車屋での仕事って、して良かったと本当に思う。
これから先、ふと何かのきっかけですこぶるお金持ちになる日が来たとしても、若い時代を自転車の旅と自転車屋、山小屋で過ごせたことについてはずっと感謝し続けるだろうと思う。

でも、安い給料で働き続けてはいけない。

正確に言えば、安い給料で働きたくないと感じる日が人生突然やって来たりする。
その時にはスパッと動けないといけない。

でも、別にそういう日が来なければのんびりと生き続けるのも、それはそれで良いのだけど。

でも、のんびり生きるなら自分で会社を作るべきだろう。
誰かの会社で安い給料で働き続けていていると、段々と周囲の人間が仕事の出来ない人、仕事にやる気のない人ばかりになってしまう可能性がある。

そうは言っても自営業すると、なかなかのんびりとやってはいけないのだろうが。

まあ、人生、一度は良い給料の会社に入ってみといた方が良いんだろう。
その上でホームレスライフを選ぶのもそれは自由だけど。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする