2019年10月28日

茅野に移った。

長野県茅野市に引っ越した。
引っ越して改めて群馬って都会だったのか、と思う。
そういえば、山小屋の勤務を終えて群馬に住み始めた頃も群馬って都会だなと思ったっけ。

でも、故郷倉敷の方が群馬の高崎よりも人口が多い。まあ、やたらと広いからというのもあるが。

最寄りのスーパーは車じゃないとちょっと遠い。
茅野のスーパーにはイナゴが普通に売っていて驚いた。
魚はやっぱり多くはない。
道はとにかく少なくて狭くてクネクネしている。
通勤時間帯だけはすごく混む。
市役所は人口が少ないからか、待ち時間も少なく、親身に丁寧に教えてくれた。
特に助かるのは子育て周りのことを保健所の人がとても丁寧に教えてくれるし、困ったらいつでも連絡下さい、とのこと。
牛丼屋なんかでも見てると、接客効率が悪そうに思った。

高崎は都会だった。人々は早かった。
東京はもっと都会で人はすこぶる早く動いていた。

物理的な動きではなく、脳みそが休まる暇がないような早さ。

それはそれで良いことなのかもしれないが。
長野の少しゆとりのある感じの方が個人的には好みだ。

群馬も良かったけど、群馬は何だかスキがなくて。
あるいは僕も店長職、管理職として気負いすぎているところもあったのかもしれない。

群馬と東京を並べるのも無理はあるかもしれないが、関東平野はやっぱり早くてスキがない。

そんな風に思っていたら、いざ、仕事が始まると長野だって大して変わらないのかもしれないけれど。

でも、やはり長野は山小屋の思い出がある。
山小屋も死ぬほどキツかった。でも、やっぱり精神的にスローでゆとりみたいなものがあった。
隙間。

夜にランニングに出たら星が綺麗だった。
茅野の田舎道は歩道が狭かったり、無かったり、デコボコだったりして、車が来るとはねられそうで怖くて、裏道はクネクネ曲がって分かりにくくて。
まだ11月に入ってないのに寒くて。
でも、星がとてつもなく綺麗。
昼に走れば八ヶ岳も綺麗なんだろう。

長野県が終の住処になると良いなと思う。
いろんなところに住むのも楽しいんだけど。

まあ、そんなこんな。
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2019年10月24日

さようなら群馬。

群馬最終日。
荷物を引っ越し屋に渡して、Sさんご夫婦に挨拶に出掛けた。
あまりにもちょくちょく、しかも突然に押しかけるので迷惑かなとも思ったが、僕はSさん夫婦の所に遊びに行って話を聞くのが好きなのだ。
Sさん夫婦は浮世離れしていて、そして正しいことを言う。
もちろん、世の中に絶対的な正しさなどないのだが、少なくともSさん夫婦の話というのは僕にはとても正しいことのように感じる。

生きるとはイージーじゃないけれど、ただ食事のために生きては寂しい。
それでも、日々生きていくためにはやはり先立つものはお金であり、仕事に忙殺され、良い音楽を聴くだったり、自転車を楽しむだったり、本に触れるということから離れてしまいがちになる。
もちろん、それは悪いことじゃないし、僕も次第にそうなっていくだろう。

Sさんも昔は一流企業の一流サラリーマンだったので、仕事に忙殺されていたことだろう。
ただ、今は老後に入り、数年に一度異国を自転車で旅して暮らす。
家は素晴らしい木材を使った家だ。しかし、豪邸というわけではない。シンプルに二人が老後を暮らすために不足なく、なおかつ余分なのがなく。
クラシックかジャズが流れている。
Sさんの昔のことは詳しくは知らない。
それでも、Sさんはただの元一流サラリーマンでもなく、ただの遊び人でもない。
だから、それは単なる小洒落た作り物のカフェで過ごすような時間とも違う。
何がすごいかと説明するのも難しい。
ただ、Sさん宅でSさん夫婦と会話をして過ごす時間というのは僕にとって本当に素晴らしい時間だった。人生の真理とまでいうと大げさな話になるかもしれないが、人生のゴールとは何か、何を求めて人は生きるのかというと、ああいう時間を過ごせる老後に辿り着くっていうのは一つあるんじゃないだろうか。

仙人ハウスとでも言うべき時間が流れる。

と言っても、話す内容は別段大したことでもなく、毎回同じような話なのだが。

ーーー

話の流れでS夫人に僕が大学をやめた理由を話したところ、つまり僕は狭い教室の中でたくさんの人が前を向いて密集している空間っていうのがどうしても気持ち悪くて駄目だった、ある意味、精神の弱い登校拒否的な理由で大学を去ることになったのだということを話したところ。
ーーあら、わたしは福田くんは旅なんかもドンドンして、今回の転職にしても、バイタリティを持って自由な思想でドンドン強く進むようなタフな人だから、大学を辞めたのも色々考えた上なのかと思っていた。
と言われた。

Sさん夫婦の時代は頭の良い人、向上心ある人が学生運動したり、大学を中退するというのは少なからずいたので、僕もそういう、言うなれば『良き中退』の人と思っていたようだ。

残念ながら僕の時代は、賢くて頭が良くてバイタリティがある人がポジティブな理由で大学を中退することって少ない。
まあ、稀にそういう人もいなくはないが。
それでも、僕の時代は、大学が無意味で腐ってると思う人も、一応は学歴だけは卒業のところまではする。

辞めるのは、僕のように残念な人だけだ。

ーーー

でも、S夫人が僕のことをそんな風に立派な賢い人と思っていたのは、面白かった。

僕の中では僕は僕だ。
二十歳の頃から変わらず。
でも、当たり前だが、外から見ると二十歳の僕と今の僕じゃ随分違うんだろう。
今の僕は自分の好きなことを通して自転車屋のプロショップの店長までした。そして、次の人生のハードルのために新しい仕事を探してトライする。
結構バイタリティに溢れた、タフで健全な人間というふうにも見えるのだろう。

これは大発見だった。
言われてみると確かにそういう風にも見えるのかもしれないと。

でも、まあ、実際には僕は僕で。二十歳くらいのころ、人生の悩みを憂鬱に考え、大学に行けなくて辞めざるをえなくて、やけっぱちに日本を飛び出した僕と。今の僕。僕の中では同じ僕だ。まあ、確かにいろいろ変わってはいるけど、本質は同じだ。

でも、Sさん夫人が僕のことをバイタリティあふれる人間だと思ってくれていたのはとても嬉しいことだし。

これを機に根暗は辞めてバイタリティあふれて、人生を進んでいく人間になってしまっても良い気もする。

まあ、現実は僕はとてもネガティブで後ろ向きに後ずさる人間ではある。
とてつもない速さで後ろに進むもんだから、逆にバイタリティあふれるのかもしれない。
自分では怖いと感じることから後ずさって後ろに進んでいるつもりでも、傍から見れば後ろ向きも前向きもなく、積極的に人生を動かしているように見える。
まあ、実際、全力で走ってはいる。

前向きだろうが後ろ向きだろうが、自分のために自分で考えて全力で何事かをし続けているって大事だ。

まあ、せっかくだから、これからは後ろ向きじゃなくて、ポジティブな感じで全力で生きていく方向にしていこうかな。

ーーー

自転車屋をやめると、あまり自転車を乗らなくなってしまうかもしれない。
段々と仕事ばかりになってしまうのかもしれない。

なので、また小説を頑張ってみようかなと最近思っている。
もちろん、仕事は大事だ。
父親だから稼がないといけない。
仕事が一番。

でも、父親としての人生も、夫しての人生も大事だが、自分の人生もやはり大事だ。
そりゃ、欲張りな話ではあろうが。
それでも、子供には子供の人生があり、妻には妻の。僕には僕の。
妻と子供を大事にしないといけないけれど、自分も大事だ。そして、自分の人生のためのことは自分がしないといけない。誰かがしてくれるわけじゃない。もちろん、助けはあるにせよ。

だからこそ、小説をまた一笑懸命やっていったほうが良いんじゃないかと思う。仕事と家族優先だけど。

ーーで、福田くんはどんな小説が書きたいの?
S夫人にそう言われて、答えに窮した。
書きたいものが分かっていれば、書いている。
そう、別に実際に書くという作業自体はさほど難しくない。
何を書きたいかが分かるってのが一番大事で、難しい。

まあ、のんびり行こうじゃないか。
とはいえ、ぼんやりのんびりしてるとあっという間に随分歳が過ぎてしまうので怖いが。

さて、なんの話書くかな。
短編くらいからリハビリしてみるか。

ーーー

新しい土地にもSさん夫婦のように、人生に光を導いてくれる人と出会えると良い。
そう、都合良く良い人と出会うのは難しいにせよ。
でも、多分、だれかそういう人が現れてくれる気はする。
何だかんだ、これまでは毎回そういう人が現れてくれた。
きっとそういう人に出会えるだろう。まずは信じるって大事だ。信じること、望まないことは訪れないから。

さようなら群馬。
群馬の二年間も実にてんこ盛りで楽しかった。

ま、そんなこんな。
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2019年10月20日

イメージとパッションで人生を。

人生はイメージとパッションだ。
想像力と情熱。
イメージを持って、パッションで進んでいく。
困った時には、毎回、そのフレーズで切り抜ける。

正直、見知らぬ土地で、未経験の仕事で。
初めての子ども。
正直なところ、一歩間違えると不安でウツになっちゃいそうだ。

でも、簡単なことなのだ。
家族で楽しいことをしよう。
子どもと妻で、どこか旅行に出掛けよう。
何か遊ぼう。
そうなると時間とお金はある程度必要になると思うのだ。

じゃあ、お金を稼ごう。
休みもある程度ある会社で。
休みとお金が高い仕事ってきっと難しいだろう。
しかも、それが未経験の業種で見知らぬ土地で。

でも、それさえ出来てしまえば、子どもと妻と三人でどこか綺麗な山に登ってみたり、遊園地や動物園に行けたり。
少年野球の応援に行ったりキャッチボールをしたり。
いろんな楽しいことが出来る。

そして、新しく難しい仕事にトライする。
それはきっととても楽しいことだ。
厳しくて大変かもしれない。
でも、そういうことが出来るようになれば、多分気持ちが良いはずだ。

難しいことを高いレベルでやっていけるように勉強も必要だろう。
そのためには日々コツコツでも勉強をする習慣を身に着けよう。
ランニングとあわせて、なにか自分のために勉強をコツコツ継続出来るよう。

そういう日々はきっと素敵だ。

そういうイメージに向かって情熱を持って生きていけば良い。
そうすれば、楽しく過ぎていくはずだ。
いろんなことが色彩を帯びて駆け抜けて行ってくれるはずだ。

怖いのは怖いけどね。
そりゃそうだ。
引っ越しはウキウキもするけど、心配も多い。
新しい暮らし、仕事、新しく加わる家族。

アフリカ、南米に自転車旅しに行ったときの飛行機。
日本を離陸する瞬間、着陸する異国の土地が見えた瞬間。
正直、思うのは、
ーーああ、やっちゃった。今回はヤバイかもしれない。怖い。
である。
ウキウキもするけど、怖いのほうがはるかに大きい。
特にアフリカは、飛行機から見ると冗談抜きでサバンナ。テレビで見るアレだ。その中を細く道が伸びていて、掘っ立て小屋みたいな家の集まった集落が時々ある。
自転車でそこを走っていくと思うと、
ーーああ、やばいな。今回はやばいかもしれないな。
が正直な気持ちである。

でも、それを走りきれたら素敵だな、とも思うわけだ。
逆に怖いからこそ、そんな大地を走りきれたら、僕ってすごいんじゃないか、って。
怖いからこそ、ウキウキもするわけだ。

まあ、全部リセットして帰国できる飛行機が待機してたら、帰国してしまうかもしれないけど。

冗談抜きで本当に怖かった。
そして、本当に楽しかった。

スリルを楽しんでいるとうわけじゃないのだ。
怖いものは怖いし、可能なら怖いものなど避けて生きていきたいと思う。
でも、その向こうに素晴らしい世界が待っているなら。
いや、世界は平等か。
そのトンネルをくぐり抜けた向こうに素敵な自分が待っているとしたら。
ウキウキして自転車をこぎはじめようじゃないか。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月19日

知は力なり、なのか。

気付けば、宅建士の試験が明後日になった。

正直、工務店では宅建士は使わないので少しモチベーションは下がってしまっているのだが、受験料も払ったので取得するつもりでいる。
受検を申し込んだときには、まだ次の仕事が決まっていなかったので、とにかく資格を取るため動いたものの、工務店になったわけだ。

ーーー

さて、宅建士、受かるのか。
もちろん、独学である。
自転車屋と山小屋しかしたことがないので、不動産業などさっぱり分からない、さっぱり未経験だ。

勉強期間は約3ヶ月。

自信のほどは半々だ。
こういうときは落ちるのが相場のようにも思うが、何となく受かる気はしている。

実際、勉強していて、まあまあ解けるようにはなったけれど、やはり難しい問題はつまずくし、引っかけ問題にも簡単に引っかかってしまう。

特に暗記が苦手なので暗記が必要な問題はよく間違える。

それでも、何回も間違えていると段々と覚えてくるものだ。

まあ、合格するだろうとは思うけれど、合格しない可能性もそれなりにある。
それなりに自信はあるけれど、落ちるかもしれないなっていうのが本音だ。

やっぱり途中から、
「工務店じゃ使わないからなー」
などとモチベーションが落ちてしまって、勉強時間が減ったのが痛い。

ーーー

大学までの勉強がはじめて人生の役に立ちそうだな、と思う。

直接的に学んだ数学などが役立つわけじゃないが。
試験勉強は実に死ぬほどやった。
試験勉強なんか試験以外で人生の役に立つことはない、って思いながらもやった。

現実には、人生では学校以外でも、大人になっても資格試験とかってあるし、そういうのって人生の役に立つのだ。

ーーー

これまでの人生で大学までの勉強が役に立ったことって正直なかった。
僕は学生時代は数学が出来たのだが。
数学が出来たおかげで人生役に立ったことってない。

数学が出来ると、人から、
「頭が良いんですね」
など、お世辞もあろうが、ほめてはもらえる。

ただ、数学を使ったことって本当にない。

数学に限らず様々な学問がそうだろう。
それにしても、数学が役に立つことって、本当になかなかない。

統計学なんか使って集客の分析なんかかけてみたところで、これ、統計学を知らない社長さんの会社では重宝してもらえない。
現場では統計学よりも肌感覚である。
実際、それで良いと思う。
アレコレ、MBAのマーケティングだとかの知識をこねたって、現場ではいかに人の心を掴むかが全てだ。

たぶん自転車を作ろうって話になると、微積や流体力学なんかが役に立つのだろうが、組み立てる、修理するのにはそんなこと全く必要ない。

ーーー

勉強など無意味なのだろうか。

どうだろう。
分からない。

以前は、
ーーいや、勉強、学問は大事だ。学ぶって大事だ!
と思っていた。
でも、どうなんだろう、って最近思うのだ。

今も学ぶってことは好きだ。
最近はユヴァル・ノバのサピエンス全史なんて読んで(オーディオブックだから聞いているが正確)人類史みたいなことを勉強してみているけど。勉強ってほどでもないけど。

勉強ってのはあくまで好きでやるものなのかな、と僕は思うわけだ。

ーーー

宅建士の勉強だって、必要だからやるっていうのも事実だけど。
半分好きで勉強してるところもある。
別に宅建士がなくたって、ファイナンシャルプランナーがなくたって仕事って出来る。
もちろん、持ってないと出来ない仕事も存在はするし、ある程度必要だから勉強するという側面は間違いない。
でも、別に生きていく上でどうしても宅建士の資格を持ってないと働けない、明日死ぬってことはない。

勉強すると、単純に豊かになる。
何事もそうだろう。例えば宅建士じゃなくて法律なんかだと分かりやすいかもしれない。
別に仕事に使わなくたって、ぼくらの生きる世界を司っている法律を知っていれば、知っているよりは豊かに生きれるんじゃないだろうか。
別に裁判に勝つため、証書を作成するためではなく。
どういう法律が僕らの世界にあって、僕らの行動を制限したり、守ったりしてくれているのか。
そういうのを知って生きているって豊かなことのように僕は思うわけだ。

ーーー

フランシスベーコンは、知は力なり、と言ったけど。

力として使うことも出来ることもあろうが、知は豊かなり、じゃないだろうかと最近の僕は思う。

かと言って知がないから豊かじゃないとは思わない。
昔、塗装屋さんで働いていた頃、それこそ勉強とは無縁の人と一緒に働いていた時、学問や知ってのは生きる幸福とは直接的には関係ないんだな、って僕は思った。
その人たちは魅力的だった。
生きること自体を純粋に生きているような感じがした。

それこそアフリカでは純粋にただ生きるって素晴らしいって思ったものだ。

自分で知は豊かなりとか言ったのに、別に知は力でも豊かでもなく、単純に趣味なんじゃないかな、とか思ったりする。
好きな人は好きでやれば、って。

ーーー

そうは言っても、知は力なり、っていう言葉って強い。

実際、今の日本の社会をはじめとする多くの社会では知があって学歴や資格があると収入が高くて、安定した暮らしを過ごしやすい傾向にある。

でも、同時に意外と高収入の人でも、学歴がなかったり、勉強は好きじゃないって人もいる。
特に資格の勉強や学校の勉強についてはそうだろう。
ただ、その仕事、お金に直結することについては調べたり、体験的に修得しているんだろうけど。
世にいう実学とかいうことになるんだろうか。

ーーー

知は力なりが強いのは、世界がそれを望んでいるからだ。
別に望んでいるのは、神様でもないし、地球や自然でもないし、宇宙人でもない。
かと言って人間でもない。
国家だったり、あるいはもっと大きな集団が望んでいるのだ。

ーー学問、文化が発展すれば人類はより良くなる。
そういう幻想に基づいているわけだ。
幻想というと失礼ではあるが。

これ、誰が言い出したというわけでなかろう。

実際、学問、文化が発展して人類はより良くなっただろうか。
案外、そうでもない気がする。

たとえば、石油からプラスチックが作れるようになって便利になったような気はする。
でも、別にプラスチックがなければ、ないなりに人間は生きていただろう。
むしろ、プラスチックゴミの問題も出てる。
さらに言えば、石油も限りがある。プラスチックって開発されて使ってしまうと便利で、プラスチックなしの暮らしって想像すら出来ない。なんせアフリカでもみんなに広く愛用されている。
安い、軽い、木材みたいに腐らない。
確かに便利ではある。
それゆえに今からプラスチックのない世界に戻るのって難しい。
プラスチックを捨てずに生きていこうと思うと、プラスチックゴミの問題や、石油資源の問題都向き合わないといけなくなる。
多分、それをクリアしたら、それゆえに生まれた問題に向き合わなくちゃいけなくなる。

これに対して、そもそもプラスチックが発明されていなかったらどうか。
案外、幸せだったんじゃないだろうか。

プラスチックだとパッとしない、分かりにくいというなら、物理学の集大成ともいうべき原子力のことを考えると分かりやすいかもしれない。
確かに便利だ。莫大なエネルギーを作れる。
ただ、遥かに厄介だ。

アインシュタインが悪いわけじゃないけれど、原子力エネルギーは見つからない方が人類は平和で幸せだったんじゃなかろうか。
アインシュタインが見つけなくても、きっとドイツの学者が発見していただろう。
その人が発見しなくたって、だれかがいずれ発見していたかもしれない。

原子力はいずれ発見、開発される流れに人類は進んでいたんだろう。
もちろん、アインシュタインすごいし、偉いのだけど。

ーーー

何が言いたいかって難しい話だけど。

知は力なりってのを最近の僕は疑ってるってことだ。
もっと正確に言えば、知は力なりという今の世界の根本的な常識を疑ってるわけだ。

まあ、そうは言っても子供が産まれるし、子どもはこの世界を生きていくんだから、この世界の常識に合うように、この世界からはみ出されて悲しかったり苦労したりしないで欲しいので、これはこれとしてやっていくのだが。

ーーー

なんかどんどんと話はそれていくけど。

とりあえず、宅建士の試験頑張ろ。
明日は前日なのに一日遊びに出掛けるんだけど。

まあ、大学受験の時もそうだった。
受かる人間は直前まで勉強しなくたって受かるのだ。前日ギリギリまで勉強しないとどうにもならない人って、そもそも間に合っていないのだ。
まあ、滑り込みセーフとか、最後まで諦めないとか、言いようは色々あるけど。

ーーー

自転車屋をやめて時間や気持ちに余裕が出来ているからか、最近はそういうどうでもいいようなことを、若い頃のようなことを考えることが多い。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする