2019年11月28日

HELLO WORLD.

子どもが産まれた。
無事に産まれた。

産まれてくるのを見ていたら、人間も馬や牛と同じように出て来るんだなと思った。当たり前だけど、普通にお母さんのお尻から出て来る。頭から世界に出て来る。血や羊水にまみれて。
嗚呼、命。

命の誕生は神に感謝するものかと思っていたが。
もちろん、神にも感謝はするが、やはり産むのは人間なのだ。そして、産まれるのは人間だ。
妻と息子にこそ一番感謝の気持ちがある。

女の人は、まあ、本当にすごい。
しみじみ思った。
30過ぎて、母親の偉大さが骨身に染みた。
赤ちゃんも大きいが、胎盤というのも結構な量だ。
ドサっと血だらけの肉片である。

赤ちゃんも、まあ、立派なものだ。
産まれて少しして、もうおっぱいを飲んでいた。
産まれてきて、へその緒を切ってもらって、母親が産後の処置をしてもらってる間に、赤ちゃんも綺麗にふいてもらって、服を着せてもらって、少ししたら、もうちゃんとおっぱいを吸うのだ。おっぱいに顔を近付けてもらうとちゃんとおっぱいを吸って飲んでいる。

それにしても、痛みは壮絶だった。
うちは和痛分娩、麻酔で痛みを取る方法を採用したのだが、麻酔なんか本当に効いているのかと言わんばかりに妻は喚いていた。
息を吸って、吐いてと。頑張れしか言えない。
まあ、壮絶である。
破水が先だったし、陣痛促進剤も使ったからなのかもしれないけど、麻酔ありの和痛分娩でも本当に壮絶なものだ。

麻酔、本当に効いていたんだろうか。
効いていたとしたら、麻酔なしで産んだら本当に死ぬんじゃないだろうか。

ちなみに完全な無痛分娩は、母親は痛くないのだが、出産の時間がかかるので子供への負担は大きいというリスクと、母親も出血量が増えてしまうというリスクがあるそうな。
妻は痛そうで大変そうだったが、息子がとても元気そうだったので和痛分娩で良かったと思う。

もう世界に出て来たのだ。
一人の人間として。
我々の所有物ではなく、一人の人間として世界に降りたのだ。

誕生日おめでとう。
世界は良いところだろう。
楽しいことをしていこう。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 22:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

THE DAY is coming.

妻が破水して、子どもが産まれるということで、仕事を少し早く上がらせてもらって、長野県から奈良県へと車を飛ばした。ほとんどアクセル全開の時速120キロ前後だったので、警察に捕まったらどうしよう、でも、間に合わないともっと困るしな。それにしても、軽自動車だとこの速度で走り続けたら火を噴くんじゃないかと心配もしたが、まあ、さすがは日本の車だ。

軽自動車はうなりをあげて走ること4時間半。
子どもはまだ産まれないので、妻の実家でのんびり待っている。

男は、まあ、気楽なものだ。
仕事後に長距離移動して疲れた、と言っても、まあ、たかが知れている。
24時間運転しろと言われるとさすがにしんどそうなものだけど。
それでも、出産と比べれば、まあ、知れたものだろう。
何ヶ月もお腹が大きくて、つわりもあって、最後は激痛なのだから。
ちょっと男の人生の中だと大きな病気は別として、思い付かない苦行だ。

ーーー

子どもが産まれるって。
まあ、不思議なものだ。

特に僕ら男には、実に不思議なものだ。
女性には叱られるだろうが。
男って本当にノーダメージだ。
せいぜい里帰りの時期やツワリの時期に、自分で家事をしなくちゃいけないくらいのものだろう。

実の父親が分からないなどということも世の中ではあるそうな。
そのくらい男って本当に実に役立たずだ。

それでも、産まれてくる子どもは間違いなく自分の子どもなわけだ。
男の場合、本当にある日突然に特に苦労なく子どもがやってくる。

ーー金銭的な苦労は男がするじゃないか。
そういう人もいるかもしれないが、金銭的な苦労は女の人も一緒にすることになる。
ーーだれが稼いできてると思っているんだ。
今の時代、男より稼げる女はいくらでもいる。

新たな命を神に感謝するとか言うけれど。
妻に感謝だろう。

無事に産まれてくると良い。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

成功哲学と住宅と。

31歳の転職。
20代の頃と違って、手取り足取り仕事を教えてもらえない。
未経験歓迎とは言っても、最低限の社会人的能力は備えているだろう、ということもあるし、周囲も良い年こいたおっさんにアレコレ言いにくい。
教えてもらいたいことは自分で考えて教えてくださいと頼む、そりゃ社会人の常識ではある。
それでもさすがに職種が全く違う。
また厄介なのが自転車みたいにカタログもない。
正直何が何だかわけが分からない。
教えてもらえるうちが花とは言うが、まあ、正にその通りである。

それでも、今の会社に移ってきたのは正解だったと思う。
この会社、経営者が他にもいくつか会社をやっている中にコンサルティング事業がある。
それで、社内で成功哲学のような教育をしてくれる。

人生を成功したいか。
正直、僕はそういうのってあんまり思わない。
でも、まあ、それは僕の言葉の中でのことだろう。

最近の僕はお金を稼ぎたくなった。
成功哲学の影響もあるのだろうが。

お金がなくて出来ないことっていうのが悲しくなったのだ。
僕は自転車屋さんの仕事ってとても好きだった。
でも、残念ながら会社の経営、財務がこけてしまった。真相は定かではないが、特別損失が膨らんでしまったとか何とか。真相究明する気も起きなかったし、意味も感じられなかったので、真相は謎のままだ。もしかすると、本当は会社は特に経営にこけてなどいなかったのかもしれない。
それでも、僕の給料はもうほとんど上がらないという状況だったのは間違いない。

まったくね。
どうして、歳を取るとお金をたくさん稼がなくちゃいけなくなるんだろう。
どうして歳を取ると、年相応の経済力なんてものが必要になるんだろう。
いや、本当はそんなことないのかもしれないのに、僕が勝手に思い込んだことかもしれない。

でも、妻が妊娠して働けなくなって、もうすぐ子どもだって産まれてくる。当然、赤ちゃんは働けない。
僕が稼いでくるしかないのだ。

遠い将来の老後の貯蓄までの話はしなくたって、赤ちゃんが安心して大人になるのに必要なお金、もしかするとそんなのって案外なければないなりに子どもは大人になるのかもしれないけどね。

とにかく僕はお金を稼いでみようと思ったわけだ。
貧乏を我慢するっていうのは半分僕の趣味でもあるけど、僕一人じゃなくて妻と子どもにまでそういうことをさせるのは僕の趣味ではない。

ーーー

成功哲学の良いところは、ただ漠然とお金が欲しいっていうことから変わったことだろう。

成功哲学ではとにかく成功するためのイメージを持って、それに向けての階段をイメージして、自分の足元まで伸ばして登っていくってものだ。
単純にそれだけのことだ。世の中に流布している成功哲学の大半がそれだけのことだ。

でも、それを本気でやるってのは難しい。

遠い将来のビジョン。
例えば子どもが大人になって手を離れたら、妻と二人でサンチャゴデコンポステーラを歩きたい。アラスカのデナリ国立公園に行ってみたい。
子どもが手を離れる前に家族で行ってみたって良い。
また自転車を持って海外を走りに出掛けたい。
それはこれまでの突撃隊長的なやり方じゃなくて。
妻と二人で楽しくしたいのだ。

100マイルが走れるようになったらUTMBにも出てみたい。

自転車でブルベだってやりたい。

もちろん、子どもが困ることなく、医者になりたいと言って一生懸命勉強したら、医学部に行かせてやれるだけのお金を作っておきたい。

そういうのを成功哲学では成功者って言うのかもしれない。

でも、別に僕の場合、それは成功でも失敗でもなく、人生のうちにやっておきたいいくつかのことっていうだけだ。
やっておきたいことだから、やれる方法を考える。

成功哲学は、ただ漠然とお金が欲しい。もう貧乏は嫌だ。っていう気持ちと夢とをお金でつないでくれる考え方なのかな、という気もする。

ーーー

まあ、少々くたびれるのは事実だけど。

でも、住宅の勉強は楽しい。
久々に三平方の定理を使ってみたりして。
数学が生まれて初めて実用的に僕の生活の中で役に立っている。
嬉しい。
まあ、大した数学は使わないんだけど。どちらかと言えば算数か。
でも、何だか嬉しい。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月07日

転職して一週間ほど。

新しい仕事にボチボチ慣れていってみている。
と言っても、はっきり言って、何の仕事もしていない。
詳しいことは分からないが、まずは会社の雰囲気に慣れてね、ということみたいだ。
優しい会社で助かっている。

ーーどうしてこの会社に来たの?

ということを何回か会社のいろんな人に聞かれた。
はっきり言ってお金のためだ。

別にこれは恥ずかしいことじゃないと僕は思っている。
家族が出来て、家族で幸せに暮らすためにきちんとした収入が欲しい。

まあ、一番は自転車屋で稼げれば一番良かった。
ただ、自転車屋で店長職をしているのと、
住宅業界で未経験一年目で給料は同じなのだ。
それでいて年間休日は20日以上違う。
まあ、残業なんかは増えるのだが。

住宅業界で三年もいれば自転車屋で店長職をしているより1.5倍は収入は良くなってしまう。

さすがに1.5倍違うと随分暮らし向きも変わる。

ーーー

人生はお金ではないとは思う。
仕事のやりがい云々というのも、どうかなという気はする。

生きているだけで幸せ、これも一つの真理ではある。

どうしてお金がそんなに必要か。
孤独にならないようにお金が欲しいんじゃないだろうか。
お金がなかったり、貧乏だったりすると、社会の目が厳しい、ような気がしてしまう。

すごく良い車とは言わずとも、一家に一台は普通車は欲しい。
性能的な問題というよりは、世間の目なんだろう。

世間の目を気にせず生きられるようになれば、それは強い。

別にお金がなくたって、家族で近くの公園にサンドイッチを持って出かければ幸せだろう。
異国へ家族旅行など行かなくたって幸せに生きていける。
実際、自分もそうだった。
家族でお出掛けなんてほとんどしなかった。
日曜はだいたい野球だった。
そんなもんで良いのだ。
良い車に乗って、遠くに出かける必要などない。

でも、家族が増えるに際して、お金がないのが不安に感じられる。
それは僕の心が貧しいからなのかもしれない。

ーーー

自転車屋を辞めてから、めっきり自転車に乗ってない。
寂しいことだが。
まあ、仕方ないことでもあるのだろう。

冬が来るから、乗るなら今のうちだろう。
でも、何となく乗る気が起きない。

周りに自転車の仲間はいない。
ついこの前まで毎日自転車に触れて生きていけたのに。

ーーー

そうは言っても新しい仕事も楽しい。
全く新しい業種だから勉強することも多い。
新しいことをしていく。

人間、何をするかって三つだ。
できることをする。
したいことをする。
しないといけないことをする。

できることをする、日々をルーチンワークにはめていく。
それが一番楽ではある。
でも、人生、長いのだ。
昨日まで上手くいっていたことが上手くいかなくなることだってある。
できることだけやっていると、上手く行かなくなった時にニッチもサッチも行かなくなる。

しないといけないことをする。
これは必要なことだ。
でも、しないといけないことってモチベーションはなかなか上がらない。
モチベーションの低いことは効率も悪い。

したいことをして生きていけるようにしないといけない。
しないといけないことをしたいことに寄せて行くって大事だ。

ーーー

困ったら人と話そう。本を読もう。勉強しよう。
そして、どうしてもダメなら自転車でも乗ってみよう。

それで人生たいてい上手くいく。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月01日

茅野。いいところ。

茅野での新しい暮らしが始まっている。
今日は新しいお仕事初日だった。
最初の2時間は緊張していたが、みなさん良い人で割と早くなじめた。
長野の人は穏やかで良い。

とりあえず、今日は特に何の仕事もせず。
パソコンの設定したりなんやかんや。
とりあえず、みなさんの名前と顔を覚えられて良かった。

ーーー

山小屋と自転車屋こそしてきたものの、普通の会社って初めてだ。
通勤手当だとか有給だとか、ゴールデンウィークに盆、正月。まさに夢のようだ。

自転車屋を辞めたことについて悲しいところも多かったが、新しく住む茅野という町は実に素晴らしい。
給料、休日ももちろん大事ではあるが、それだけじゃ人間つらい。住環境、遊ぶ環境ってすごく大事だ。

少しふらふらっと出掛けると標高1000メートルになってしまう。
先日は妻と森の中の珈琲屋さんに出掛けた。
本当に森の中に珈琲屋さんがあるのだ。

夏場ならその気になれば、そのまま八ヶ岳にも登れてしまう。登山口まで車で30分も掛からない。自転車だと小一時間か。
八ヶ岳という山はこれまで北アルプスと比較するまでもないと思っていたが、眺めていて非常に美しい。
北アルプスのスケールの大きさというのも素晴らしいのだが、いかんせん、奥深い、町から遠い。
それに対して八ヶ岳は近い。
そして形が良い。
茅野はまさに八ヶ岳の裾野にある。

そして、茅野の良いところは隣の原村に雰囲気の良いカフェが多いということもある。
実際にはカフェなどそんなにしょっちゅう行くものではないが、良いカフェがある町って、良いカフェが好きな住人がいるということでもある。
とても文化的なのだ。
東京の富裕層の住みそうな別荘地も多い。

八ヶ岳山麓。
なるほど、スローライフを求めて移住者が来る町である。
まあ、僕はスローライフとかはあまり求めてなかったんだけど。
山小屋で何シーズンか過ごせばスローライフもお腹いっぱいになるのだ。
でも、スローライフ、嫌いじゃない。
スローライフまでは求めていなかったが、長野県に住みたいと考えたのは事実だ。

山麓ということで言えば、前は榛名山の山麓だったが、山麓のスケールが違う。
八ヶ岳山麓とは実に広い。
逆を言えば平地がほとんどないのだが。
なだらかな坂でずっと諏訪湖の盆地へと下っていく。
このなだらかな坂というのが実に長い。
スケールが大きい。
それでいて、盆地の箱庭感。

でも地元の人は、狭くて閉塞感があると言う。
まあ、それも納得はする。
生まれてから死ぬまでこの盆地の中で住むとなると確かに閉塞感のようなものを感じるのかもしれない。

ーーー

31歳にして思うのが、転々と生きることが出来るというのは楽しい。
どこでも生きていけるということ。

ほとんどの人が故郷の町や仕事の都合で生きる町を決める。
実際は僕も仕事の都合で住む町が決まる。
さすがに住む町を決めて、そこで都合良く仕事が決まるってことはなかなかない。
それでも、ある程度はあっちに住みたい、こっちに住みたいと移っていく。

転々としていると地の人が生きているのを見る。
一口に日本と言っても案外いろんなことが違う。
もちろん、ベースは同じだ。
前に書いた良いカフェがあるかどうかという話もそうだし、群馬県の場合は良い車に乗っている人が多かった。外車に乗っている人が多い。日本車にしてもちょっと良い車っていうのが多い。なぜかは分からなかったけど。
一括りにその地域の人の特性を決めたりするのは良くないが、人間、集団で生きる生物だから、やはりその土地の傾向っていうのはあるのだろう。

また面白いのが海外になると、さっぱり違うようで、今度は逆に同じ人間なんだなーと感じるところの方が増える。
アフリカも南米も行く前って随分怖い。
特に僕らは黒人って怖いって感じる。
これが行ってみると、全くもって普通の人々だ。
お酒と煙草があればそれだけで仲良くなれる。
アフリカでもタバコは体に悪いという思想が浸透しつつあるが、やっぱりタバコをスパーっと吸っていると、ミスター、1本ちょうだい、と話になる。

ーーー

そういえば、タバコの話といえば。
今度こそタバコをやめるかもしれない。
別に子供のためじゃない。一応、少しは子供のためでもあるけど。どちらかと言えば、仕事のためだ。今の時代、やっぱり営業職はタバコを吸わない方がイメージが良い。
と言いつつ、自転車屋の店長してる頃は裏の公園でスパスパ吸っていたのだが。

子供の発育にタバコは悪いと世間では言う。
ただ、僕はそうは思わない。
僕らが子供の頃って、家の中でタバコを吸うお父さんってたくさんいた。
じゃあ、僕らの友達で、そういうタバコを吸うお父さんがいたせいで大人になっても呼吸器系がおかしい人っているだろうか。
ちょっと聞いたことがない。

むしろ、100歳近いじいさんが美味そうにタバコを吸っているってのは見かける。
まあ、最近は減っただろうけど。

そういえば、シンセイ、ワカバ、ゴールデンバットがなくなってしまった。
安いタバコを美味そうに吸う老人って、素晴らしく平和だったのに。

煙草は文化だ。

でも、今度ばかりは煙草をやめるかもしれない。
金のために。
まあ、タバコ吸ってても稼げるなら、やめることはないだろうけど。
30代は稼げる父親を目指すのだ。

でも、茅野は空気が乾いていて、煙草が実に美味しい。

ーーー

人生がドンドンと進んでいく。
気付くともうすぐ40歳。

何か凄いことが出来ないだろうか。
いまだにそんなことを考えたりもする。どこの高校生だい、って話だけど。でも、割と僕は今でも何かすごいことをやってみたいと思っている。
別に偉くなくても大したことじゃなくてもいいので、何かすごいことを。

子供が生まれるから保身に走っている気もするけど。
そりゃ、子ども、家族は大事だ。
それは当たり前であり、当たり前のことは当たり前にやらないといけない。
その上で何かすごいこと。

とりあえずは、100マイル走れるようになると楽しいだろうなと思うのだ。
ランニングで、ね。

本当は今年のうちに100キロを目指していたけど、まだ難しそうかな。
50キロくらいはもう走れるだろうか。

まあ、無理はせずに。
のんびり100マイルを目指そう。
コースもなにも考えちゃいないけど。

まずは仕事か。
当たり前のことを当たり前に。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする