2009年07月08日

朝になっても続く悩み

 小説の方向性が決まらないと悩みに落ちる。
 哲学屋とか思想屋ってのは悩みに落ちるもんだと思うけど、小説屋は悩みに落ちない方が良いと思う。小説なんてのは、狙いすまして書くもんじゃないと思う。小説屋は賢くなくて良いし、感覚でピシピシ文を叩き付けて行くべきだと思う。止まったら止まったで、腹をくくって降参しとくに限ると思う。
 先日、「一流のプロは最高のパフォーマンスに再現性を持たせている」ということを書いたが、あれは小説屋には違うらしい。冷静に考えれば、小説にして残す時点で勝手に「何度でも同じ文章を読める」という再現性はある。むしろ、小説屋の場合、一回書いたらさっと忘れて新しい文章に挑めるか、もしくは忘れずとも別の方法で書けるかが大事らしい。
 小説屋は賢いべきかというと、どっちだって良いってのが一つの答えだと思う。
 小説屋は良い文章を使えれば良い。その為に「広く良いと言われる文章」を知るのが必要ならばしっかりと読むべきだ。しかし、特に賢さはいらないと思う。

 小説の中に必要なのは『生きた人間』である。どうもこれは昔から思っていたことだが、それなりに的を射ているらしい。結局、人間の建前と本音みたいなのを生でじっくり触れ、そこにある事件を捉えて書けばよろしい。
 あと、文体論に関しては、その文章に持たせたい雰囲気を崩すことなく、できうる限り読みやすい方が良いというところだろう。

 文体が外身で、書くストーリーを中身とすると、たったこれだけで今までの悩みをかなり解決できたかもしれない。

 要は、しっかり周りを観察しながら、体験できることはし尽くすぐらいで、ごく普通に生きるのが大事で、分かりやすく読んでいて「ちょろりの文章」たる空気の流れるような日記を書くってのが大事らしい。

 結局、降り出しに戻って、あたしゃ小説なんぞで飯を喰う気かね、そんな気にもなる。
 書きたけりゃ書く、書きたくなけりゃ書かないっていう元の位置が大事なのかもしれない。

 しかし、分かりやすい世界だと思う。理屈はいらないから、面白ければ何でも良いって世界だ。分かりやすい。面白さを解き明かして近道したかったけど、やはり理屈の無い面白さは理屈じゃ割れないのだ。

 でも、最近思うんだけども、小説が当たったら僕は自殺するんじゃなかろうか。大半の小説家がデビュー作ってのは越えられない。特に最近の小説家は。それは、今の小説のプロって立場が問題じゃないのかな? って思うのだ。金をもらって書くと、商業的に成功した作品こそが良い本になってしまうと思うのだ。
 しかし、死ぬのも勿体無い。案外、書くべきことはいろいろありそうだ。無さそうで有るものだ。そんなら、僕はプロになるのはよしておこうと思う。
 まあ、詳しくは賞を取った後にでも考えよう。まあ、しばらく考えなくても良いような問題かだ。

 とにかくサクサクと直感で書かねばならない。それに尽きると思う。頭があんまり良くなると頭の良い人にしか分からない、妙な文章になっちまう。そういうのは学者先生たちに任せておくべきで、やはり僕はサクサクだ。

 ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/123050167

この記事へのトラックバック