2009年10月27日

杉原福田会

 問、
 仮に五百分の時間とある人間の集団があるとする。誰とでも自由に話して良いとする。この時百人とそれぞれ五分ずつ話すのと、五人とそれぞれ百分ずつ話すならどちらが良いか?

 今日は新しく杉原福田会なるものが結成された。ひねりの無い名前通り、杉原さんと福田さんが延々と話すだけのものだ。
 僕はこういう何たら会というのがとても好きだ。会員は僕ともう一人だけという形。つまり会と言って良いか微妙なぐらいが好きだ。
 特に今回の杉原福田会はなかなかレベルが高い。会のレベルの高さとは、切実さ、知識の広さ深さ、独創性である。ちなみにこの会はファミレスじゃなく、カフェで行われた。何たら会としては非常に珍しい。
 これは定期的にやって行きたい。面白かったらラジオしたい。ネットラジオなんか今の時代すぐできる。録音機器を手に入れ次第やっても良い。

 さて、冒頭の問いに戻ってみる。
 数学の証明問題っぽく書いてみた。要は浅く広い付き合いと、深く狭い付き合いどちらが良いかという難しい問題に似ている。
 だが、今回の問題の場合はわりと簡単で答えは五人なのだ。
 まず、時間が明確に制限されているというのが重要だ。一般的な場合、時間というのは明確には決まっていない。つまり“まずは”浅く広く付き合っておけば、後々深く付き合って楽しい人、役に立つ人もいるかもしれないってのを排除して考えて良い。
 次に5分というのが決定的に短いということだ。5分ってのは一方的に話すにしてもかなり短い。会話となっては挨拶以外にはほとんど何も交わせない。
 さらに100分というのも重要だ。一時間半以上二人きりで話せる人間が5人いるってのは実は凄いことだ。
 以上の理由から答えは5人と100分ずつなのだ。

 とは言っても現実では、まず100分話すのが難しいという問題がある。5分なら誰でも何とか話せる。さらに、またいずれ会うこともあるというのも現実だ。時間は制限されていない。(ただし、死んだら時間は終わりだが、死んだら良いも悪いも無いので考えないものとする)
 そんなわけで現実では5分をたくさんの人と話すのが得策になる。

 だが、理想は長くゆっくりじっくり話せる人間を一人でも増やすだ。

 ところで、なぜ人間と話すというのが良いかという大前提を無視して話を進めているが、それも大事な要素だ。簡単に言うと、これまでの実際の偉人たちには良き話し相手がほぼ必ずいたというところだろう。でも、詳しくはまた機会があればだ。何せよく分かってないから。

 まあ、難しいことは無しにしたら、人間は人間と話していると楽しい。むしろこういうのは良いバーや居酒屋、カフェなんかしてる人の方がよく分かってるんだろう。

 ま、とりあえずは面白けりゃ何でも良いのさ。

 ま、そんなこんなで今日は良い会ができて良かった。
posted by ちょろり at 21:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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