中が空っぽで叩くとカンカンと小気味良い音を立てる、こんな透き通った悲しさに、それ以上の満足、郵便局からの帰り道を僕はふわふわと歩いた。死ぬには良い日だ。別に死ぬ気は無いが、死ぬんならこんな日が良い。
季節としても秋は良い。死体もしばらく腐らないし、氷もしない。葬式をするにしてもみんな特別に忙しくはないし、ちょっと物哀しいような時期の上、スーツみたいな正装も暑苦しくない。
いよいよ死ぬには良い日だ。
それでも、死ぬのはとりあえず置いとこうじゃないか。何故なら僕は郵便局からどこで珈琲を飲もうか考えているわけで、死ぬための場所を探しているわけじゃない。それに部屋は汚いから、まあ、死ぬのは置いておこう。
執筆中は部屋を掃除しないし、基本的に煙草と珈琲以外に必要なものは買わないぐらいだから何かとやることはたまっている。とりあえずは、眼鏡の修理にでも行こうと眼鏡カフェたるところに行ってみた。貼り紙があって、東京に新作フレームの買い出しに出て留守とのこと。スーラバーのカフェタイムなんか久し振りに行ってみようと思ったらやはりこちらも貼り紙。今は昼間はやってないらしい。結局、いつものように尾原珈琲に行くことになった。
手帳に次の作品に向けて適当に思い付いたことを書いていたら、結局、死ぬことに向かってしまった。
生きるだの、死ぬだの、そんなことは生きるやつの言うことだ。死ぬやつは何も言わずに死んでしまう。死にたい死にたい言うやつは結局は死なない。実際周りにいたそんな連中はみんな今日も元気ピンピンで抗鬱剤を飲んでいるだろう。何だかんだで元気ピンピンってのは良いことなんだけど、ちょっと腹が立ったりもする。
ああ、小説の脱稿があまりに衝撃的だったんだろう。良いことのはずなのに、女の子に振られたぐらいショックを受けているらしい。
フォーレのシシリエンヌが流れる中、ぼんやりと珈琲を飲んだ。普段はラテン系のジャズやフュージョンが流れているのでとても珍しい。尾原さんはいろんな音楽を愛しているらしい。
何か小説を読もうかと思った。大江健三郎の「個人的な体験」を持っていた。ただ、どうしてもページを開く気にはなれず。死について薄っぺらな考察を手帳に書いた。死についての考察など何時以来だろう。
大人になると、暗いことを静かに平然と考えるようになるのかもしれない。
作りかけの大道芸のステージ構成をふと思い出して、続きを頭の中で練った。それで相方セカンドである岡田君を呼び出して、軽く練り上げたもので確認を取って、ダラダラと話をしていたらバイトの時間になった。
バイト先の年上の男の子、いやおっさん、いやそんなに老けてもないか、が女の子と話していた。女の子、いや人間との喋り方をよく心得ている人だなと感心しながら、ぼんやりと聞いていた。僕は人間との喋り方ってのをいまいち心得てない。ストリートに出ていろんな人と話をした方が良いのかもしれないと真剣に思う。もっと気安く、丁寧に、面白くいろんな人と話をしなくちゃいけない。
男「やっぱりこの時期は人肌恋しいってやつよなぁ」
女「ですねー」
そうなのかしらん、僕も人肌恋しいのかしらん。それにしても女の子の受け答えが段々適当になりつつあるのが面白い。
店長が給料を間違えて二倍ぐらい多かった。
「来月のから引いとくから」
真面目に申告したオレは馬鹿なんだろうか。店長は全く気付いていなかったんだから。じゃあ、黙っていれば良かったのか。いや、上手くは行かないさ。ラスコーリニコフは大地に接吻して涙を流したじゃないか。ドストエフスキー「罪と罰」の話だよ。主人公ラスコーリニコフは悪どい老婆を殺した。事態は彼が予期しない程に上手く運び、彼を疑うものは減って行く。しかし、当の彼自身は罪悪感にさいなまれる。とうとう彼は大地に接吻し、涙を流し、自首する。あの小説は素晴らし過ぎるので絶対に読んだ方が良い。本当に涙が出る。ラスコーリニコフという青年が良すぎる。
そうさ、所詮ははした金だ。何も悔やむことは無いさ、オレは良い小説を書いた、そして書き終わった後の空虚な世界にいる。それを何だ金があるだの無いだの。馬鹿馬鹿しい。そんな自分を馬鹿みたいにするような給料なら明日の朝一番にでも全部引き出してホームレスのおっさんにやってしまえ。金にうるさいやつはしょうもない人間だ。
生きるだの死ぬだの、金だの貧乏だの、ああ馬鹿馬鹿しい。ウマシカだ。女の子と手でもつないで、ぼんやりと珈琲でも飲みに行ってみたまえ、また良い小説が書けるかもしれないぞ。
ああ、やっぱり今回の小説も駄目だったんだろう。良い小説がこんなに混沌とするわけが無いのだ。まだまだ書かねば、もっと書かねばなあ。
それでも、やはり今は空虚だからさ、しばらくぼんやりと女の子の手でも握る夢でも見ていようかな。
ま、そんなこんな。
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