ジャグリングで大事なことっていろいろあると思うけど、やはり“人に見せる”ってことだと思う。いや、ジャグリングに限らず何でもそうだ。人に披露するってこと。これはとてもしんどいことだが、価値有ることだ。
極論すると一人でやるんならどんなに上手かろうが下手だろうがどっちでも良い。一人でやるんだから自分だけが満足すれば良い。それはそれでたしなみがある。例えば自転車とかジョギングとか仙人修行とか。一人でやることにはストイックさというのがある。それはそれで重要なのだ。
しかし、それを人に見せるというのは更に上のレベルである。バッティングセンターで毎日ホームラン賞を100回以上取るおじさんと、成績は冴えないが一軍でプレーするプロ野球選手、当然プロ野球選手の方が上だ。物凄く学問ができるサラリーマンと、いまいちうだつは上がらないが毎年何かしら論文を書き上げる研究員。やはり研究員なのだ。
見せる人ってのは恥をかく、叩かれる。そんなものは当然分かっていてもやる。見せる人ってのは立派なのだ。見せるだけでも価値がある。
別に下手くそだろうが人前で見せる。それが大事だ。
できるなら、恥をかくとか叩かれるとかそういうことを全く考えず、ただ、『自分以外の人間に何を見せるのが最も良いか』を考えれるってのがベストだと思う。そういうところで技術云々なのだ。
とりあえずはルーキーたちが人前で見せることに成功したんだから素晴らしいことなのだ。きちんとステージに立って活動したんだから立派な岡山大学ジャグリングサークルだ。地域の保育園の祭りで園児を楽しませる、なかなか素晴らし過ぎるよ。
そんなわけで神様、僕は真面目に生きてるから単位を下さい。贅沢は言いません、普通の人並みに生きたいのです。人並み以上のことのためには自分で努力しますから、人並みまでのことは神様お願いします。ふう、人並みまでのことも自分で頑張らねばならないのか。
しかし、明日もジャグリングでその後にバイトで、ああ休む暇が無いよ、ああ、というやつだ。ああ、難儀なことよ。ああ、難儀、難儀、と言っていても難儀にしかならないので、裸体のブラジル人のサンバでも想像しながら歩こう。
しかし、僕は裸体のブラジル人にはなれないのだ。もしなれたとしても、きっと僕は自分に喜びは抱けない。裸体のブラジル人じゃない僕しか、裸体のブラジル人に喜びを抱けるのだ。だから、僕はリオのカーニバルには一生行かないだろう。裸体のブラジル人を夢見て暮らす。
しかし、最近、僕はなかなかの大嘘付きなんじゃないだろうかと思う。きっと僕は自分の思っていることすら分からない程に嘘を付いてしまったのだろう。
ま、よく分からない。
そんなこんな。
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一通り見させてもらいましたが、人に見せるブログは感動しました。何事にも一人でやるってのは不安で大変な事だと思います。
子供たちも人前で発表するのが嫌いみたいなんだけど、内容は置いといて人前で発表すると言う事が一番の勉強だといい聞かせています。私自身も、本当は人前に出るのは苦手なんですけど
ちょろりさんが人前で楽しくジャグリングしてるの見てたら憧れますね。子供たちにも、そういう大人になってほしいです。
ジョギングは私もしていて酒津公園にはよく行ってます。
それではこれからも「ちょろり草」楽しみに見させてもらいます。