2009年11月05日

普通の日記

 カルメンのハバネラが頭を離れない。カルメンが歌う。恋はジプシーの子よ、と。とてつもなくかっこいい。なるほどオペラの良さってのはこんなところなのかもしれないと一人で納得する。
 一人暮らしの部屋でカルメンを見たい。勿論、人間、一日でものごとが分かるようになるはずもないから、一昨日見て分からなかったのと同じように、相変わらずストーリーの良さなんざは分からん。しかし、歌はカッコイイし絵もカッコイイ。それだけでカルメンが好きだと言う。邪道だ。
 はて、夜、ここのところの何かとつけての大小の用事を済ませ、暇になったのでとくちんと会うことにした。スタバのテラスでジョージア片手に煙草をぷかぷか座っていたら、最近の僕は毎日大絶望状態、それも人前ではへらへら笑って大絶望していて、頭の中は水爆実験後の砂漠さながら荒れ果てていて、久しぶりに煙草片手に本と珈琲があるってのがとても落ち着くものじゃないか、なんて思った。いつからか分からないが、自分は根暗な人間になってしまったのかもしれない。
 とくちんが来てジョイフルに行く。根暗になってしまった僕にはそれが日々の数少ない楽しみになりつつある。いや、誰しも大人になれば根暗になるのかもしれないなんて考えが浮かぶ。誰しも、静かに一人で過ごす。子どものころと違い、十年後の未来、そいつを何かしら予測し、頭の裏側、自分でも探せないどこかでいつも大絶望しながら生きているんじゃなかろうか、何も自分に限ったことじゃない。その場合、とくちんという友人を週に二回かそれ以上待てる自分は幸福なんじゃなかろうか。恐らく、見当外れではないに違いない。
 クソガキであるほど大絶望を悲しむ。大人は大絶望と手を取って生きる。大絶望を大絶望じゃないと言い、笑って生きる。
 どうした、自分もなかなか若いじゃないか。
とくちんとはジョイフルに行く。時々、珈琲館やバーにも行く。だけど、僕らはお酒を飲まない。飲んだって良いけど、飲まずに地面に足を付けて話す。地面に足を付けて話せる人なんて数多くはない。きっと、どこか浮かせているか、何かに乗っている。悪いことじゃない。地面に足を付けて話してばかりいては、世界は犯罪の海になってしまう。百人の村があったとして、百人みんなが地面に足を付けて生きていたら、まあ、きっと戦争が起きる。僕らは戦争をしないように普段は地面に足を付けない。
 それでも、今日の自分は何ともしがたい不安定の中にいた。とくちんは明日には仕事があるので帰宅した。
 少しウイスキーを飲もうかと思った。ただ、ここのところ少し飲みすぎに違いない。バイト先の友人Y君が酒豪で、一緒に飲んでいたら飲みすぎているというのが二度ほどあった。昔の自分は週に三日は飲みすぎていた。昔と違って今は次の日がしんどい。老化なんてのはもっと遅くに始まるものだと昔は思っていた。Y君は美味しい日本酒をくれる。
 お酒を飲むと決まって自分の考えは昔の女の子に飛躍した。今でも時々メールが来る。一方的に打ち切られる。その子は僕のことをサンドバックか、殴られ屋とでも思っているんだろうか、そう思いながらも僕は彼女の不満を聞く。
お酒を飲むと僕の生活サイクルはいつも良くない方向に向かって走った。
 久しぶりにぼんやりとドライブをしてみようと思った。遠くまでは行かない。遠くまで行ったって構わないんだが、普段、運転はしないから疲れる。だから、ちょろっとだけ走る。ジャズかクラシックを最大音量で聞く。ここで、少し涙が出るなんてのが理想的だが、僕の目はカラカラに乾いて前を見ている。昔に一回だけ猫をひいた。それ以来、動物に注意する。注意したところで無駄だ。時速60キロの車は急には止まらない。暗闇の道の上にひかれた狸がいた。腹の辺りが真っ赤に飛び散っていた。
 ある日歩いていたら突然何かにぶつかり、僕の意識は無くなった。僕ははらわたをぶちまけ死んでしまった。そういうことは起こりえない。僕ら人間には適用されない不幸。
短いドライブの後、一人で珈琲館によって小説を読んだ。深夜のシフトの店員は忠実に仕事をこなした。一体平日の深夜二時過ぎにどのくらいの客が一人で珈琲を飲みに来るのだろう。三人連れの客が二組あって、一番離れた端の関で小説を開く。思ったより読む速度は遅く、最後まで読みきれなかった。

 久々に長い日記となった。
そんなこんな。
posted by ちょろり at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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