2017年03月25日

お金と幸福の天秤。

久々の iPhoneを買った。ナミビアではスマートフォンが異常に高かったので連絡用の間に合わせの8000円のものを買っていたのだが、SIMカードのサイズが違って使えなかった。
それに八千円のものはさすがに使いにくすぎた。

やはりスマートフォンなんかの電子機器は日本がダントツで安い。
6プラスという少し古い、しかもdocomoのSIMロックモデルだが、四万円。
SIMフリーは日本にいる限りは使わないし、海外では100ドルスマホでも良い。
四万円でiPhoneの128GBが買えるのは嬉しい。
というか、128GBのiPodより安いんじゃないだろうか。日本、すごい。

プラスにしたのは電子書籍を読んだり、文字を打ったり、写真いじるのに良さそうだったので。iPhoneの写真加工なんかのソフトは本当に良いのが揃っている。
WindowsでせっせといじるよりiPhoneでさくさくと加工してしまう方が綺麗に仕上がるくらいだ。
ちょっと大きいので邪魔な気もするが。
やはり使い勝手は良い。

まあ、それにしてもやはりiPhoneはやっぱりすごい。
圧倒的に使いやすい。
指紋認証なんかも意外なまでに便利だ。

おかげで完全にお金がなくなってしまった。
ピンチだ。

でも、アフリカで何か変わった。
良い意味で何だかいろんなことがどうでも良くなった。
以前はお金がないってかなり焦ることだった。
「お金くらい何とでもなるでしょ」
そんな風に思うようになっている。

ある意味では少し危険でもあるけれど。

ただお金のことを気にするって良くないと僕は思うのだ。
もちろん、金銭感覚って大事だけど、ただお金に関してビクビクして生きているのはもったいないことが多いのだ。

たとえば、今回の旅ではキリマンジャロに十万円使って、砂漠でスカイダイビングに三万円と、ツアー関係で結構なお金を使っている。
自転車乗りってあまりお金を使わない人が多いし、僕もそうなんだけど。

お金って使える時が限られているのだ。
キリマンジャロなんかは正に分かりやすい。
もっと些細で身近な具体例としてはマクドナルドだ。
たまにマクドナルドが食べたくなる時があるって人は多いと思う。マクドナルドって全く美味しくないんだけど。不思議と年に一回か二回食べたくなる。

少し話はそれちゃうけど、マクドナルドの美味しくなさって凄いと思う。普通に食パン焼いて、レタスとトマトと肉挟んで、オリーブオイルと塩だけでもマクドナルドよりは美味しいと思う。フランスパンなんかでやれば間違いない。
マクドナルドのパンって甘ったるいし、肉や野菜の味なんかもソースべちゃべちゃでよく分からない。

それでも、不思議と時々食べたくなるんだからマクドナルドって凄い。
本当に。

そう、お金は使える時が限られてる話だ。
マクドナルドって猛烈に食べたくなった時に食べないと、あの嬉しさはないのだ。
少し過ぎ去ってしまうと、別に食べたくなかったり、それでも食べると、やっぱり美味しくない。
食べたい時に食べると嬉しい。

「食べずに済むなら、それは倹約出来て良いことじゃないか」
そういう人もいるかもしれない、
でも、それは間違っていると思う。

個人の幸福っていうのは、かなり優先事項の高いことだと思う。
幸福を我慢する必要があるのは、誰かを傷付けたり犠牲にしないといけない時か、その目先の幸福で将来的な大きな幸福が離れてしまう時だと思う。
人のお金を盗めば、お金は増えて嬉しいけれど、盗まれた人は当然悲しい。
目の前のマクドナルドが五千円だったら、その金額ならもう少し幸福になれることはあろう。我慢して少し離れた美味いものを食いに行くべきだ。

ただ、基本的には幸福は優先すべきだ。
目先の幸福も、金額なんかによりけりってのはあるにせよ、出来る限りは手に入れておいた方が良い。

幸福は多く経験すべきだ。
幸福という言葉よりも感動っていう言葉でも良いかもしれない。
感動、喜びをいくつ知っているか。どれだけの深さのものを体験しているか。
これは財産だと思う。

幸福を知っている人は人に幸福を提供出来る可能性が高くなる。
面白いことを知っている人は、何かをする時、作る時、計画する時、企画する時、提案する時、出来る限り面白いことを出す。面白いの引き出しも多い。

そして、面白い体験ってのはタイミングの要素って大きい。
人間、誰しもいくらかは気分屋という要素はある。
やりたい時にやるってのは、とても大事だ。
満足感も違うし、モチベーションが高い方が面白いことになる。

まあ、実際、マクドナルドくらいの幸福は倹約して逃したってさほど問題ないけれど、それでも、マクドナルド程度の金額で幸福を感じられるなら、やはりマクドナルドはすべきなのだ。
マクドナルドが大好きで週に三日行くとかはどうかなとは思うけれど。ちょっと他のものも食べてじっくり考え直してみるべきではある。

お金はあれば便利には違いない。
ただ、お金って食べられない、飲めない。雨風だってお金じゃ防げない。
お金って交換して初めて、食べられるものが手に入ったり、屋根のある家を手に入れられる。
お金のままじゃ、ただの紙切れなのだ。

日本なんかは、金さえ出せば何でも手に入るのが当たり前だ。
モノもそうだし、サービスにしたって様々なものがお金で買える。
だから、お金は出来る限り節約する方が正しいなんてのが当たり前になってしまっているけれど。

本当は、お金って使える時に使うってのはかなり大事なことだと思う。使いたい時に使う。

ただ、いつでもパカパカ使っていれば貯まらない。
お金を貯めて良いことってのは、したいこと、欲しいものが出来た時にすぐにお金があって、手に入れられるっていうことだ。
ただあくまで、やはり使うのが前提なのだ。

お金を貯める良い方法は働き続けることだ。
働いていると使う時間がない。
山小屋なんか分かりやすい。山にいる間は煙草の一本も買えない。
ただ、やっぱりそれっていまいちだ。
欲求があるって良いことだ。

でも、欲求がありすぎて、欲求に引きずられて生きるのは良くない。
分かりやすく言えば、性風俗店で働く女性がブランド物を買ってしまうとかだ。
ブランド物を買って幸福になるのはとても良いことだ。
でも、その欲望にひきずられて性風俗店に身を落として心すさむなら、それは悲しいことだ。
それはトータルで見ると不幸の度合いが強過ぎる。

でも、どうなんだろ。
ブランド物を買うことが人生最高の幸福という人なら性風俗店で働いても決して悪くないんだろうか。
性風俗店で働くのは悪いことってのは明らかに人道的にまずい。

その仕事で生きている人も少なからずいるし、苦労もしている。病気のリスクもあるだろうし、疲れもするだろう。精神的にも肉体的にも。
そして、それは押し売りではなく、ある一定の需要があればこそ成立しているし、社会の秩序を守るためにも必要なのだ。
性犯罪の抑制もそうだし、浮気、不倫の防止にも一役買っていると思う。
だから、歴史的にも古くからそういう店ってあるんだろう。
ヨーロッパなんかは公娼、国の認めている娼婦がいたり、国営の風俗店があるという。

女性向けの性風俗店がないというのは、むしろ不思議な話ではある。
冗談ではなく、本当に不思議だ。
女性にも性欲はあろう。
どうしてもしたい時くらいあろう。
本番行為は男の方の1日にできる回数の問題、立つ立たないの問題があるにしても、キスなり抱擁なり何とでも提供可能な性的サービスってのは存在するはずだが。

女性はお金を積んでも性的欲求を手軽に満たすっていうことは難しいのだ。

話はそれ続けているが。
要は風俗店で働く女の子たちだって苦労はあるし、必要ともされている。
一口に良いだの悪いだの言えない。
苦労してお金を手に入れるということなのだ。
そうなると、ブランド物のカバンのために、その仕事を選んだって、そりゃ悪いことじゃないとも言える。

ただ、やっぱり好きな人とする方が良いし、お金のためだけに体を売ってしまうのは良くない、理屈はよく分からないが、世間的にはそうなっているし、直感的に僕らもそう思う。
冷静に考えれば不思議なことだけど。

でも、まあ、やっぱり確率と天秤なんだろう。
体を売るっていうのは、やっぱり良くない方向に進んでしまう可能性が高いんだろう。

そう考えると、やっぱり何でもかしこでも幸福を得るためにお金を使うってのは、問題なのかもしれない。

まあ、やはり天秤なんだろう。
ただ、やっぱり基本的にはお金よりは幸福の方が遥かに重いように思う。
そして、バランスは大事だけど、やはり幸福優先だろうと思う。

お金はよほどのラインを越えるのはまずいにせよ、ある程度までなら気にしないくらいの方がチャンスは多いと思う。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 04:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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