2017年07月01日

ゴッドファーザーすげー。

初めてゴッドファーザーをきちんと観たら、なるほどこれぞ世界が賞賛する映画だなーと。

話は複雑なようで単純なもので、マイケル・コルレオーネが親父のビト・コルレオーネから2代目ゴッドファーザーになって、最後は三代目に譲る。その中での家族愛とかなんとかの話だ。
すごく雑に説明したけど、単純に言えばそういう話だ。
時代とともにいろんなことが変わり、マフィアのやり方も変わるが、家族愛の大事さってのは時代の変化とは関係なく不変っていう。マイケル頑張るけど、あれこれ上手くいかないけど、やっぱり親父から教わったマイケルのやり方は間違ってはいないけど、やっぱりマフィアの世界の宿命。
まあ、雑な説明だけどそんな話なのだ。多分、誰にも何も伝わらない説明だけど。

やっぱりゴッドファーザーはすごい。
ゴッドファーザーの面白さって何なのかって言うと、一口で語れないが、面白さの要因は尺の長さだろう。
贅沢に尺を使って、全てのシーンが美しい。音楽、衣装、俳優、光の角度、画角など、どのシーンも非の打ち所がなく美しい。
そして、古典的だ。大抵の会話のシーンを冷静に考えてみると、普通、人間が会話をする時にああいう配置に座ることはありえない。椅子を並べて、カメラの方を向くように話す。言うなれば学芸会チックなんだけど、やっぱりあの配置で人が会話するってのは良い。
古典的というか、伝統的というか。
ドカーンバキーンでストーリーを進めるんじゃなく、人物と人物の関係の変化がストーリーを進めるというんだろうか。

おかげで退屈は退屈だ。基本的にドカーンバキーンを使わないから。ただ、パート3ではいくらかドカーンバキーンも使っているような気もする。オペラのシーンを背景に組み合わせてスリリングな殺人シーンを作り込み過ぎている気もする。パート3は1,2と比べて急に速度感も出るし、退屈感も薄い。
全てのストーリーをまとめてラストにしないといけないからどうしてもそうなるんだろうし、1,2が好きなら3、つまりラストは気もなるし、きちんとまとまっていて感動もするから3もやっぱり良いんだけど。

それでも、1の入りの退屈さが最高だ。
物凄く長いストーリーの最初なのに、全く分かりやすくない。
「え、何これ?」
って思う。娘の結婚式の裏側で初代ゴッドファーザーが殺しの依頼を受けているところから入るが、別にその殺しのシーンなどはない。
でも、全て見終わると、なるほどあの入りしかないと思う。
要は最初のシーンではゴッドファーザーの荘厳さ、これから始まる空気感が提示出来れば良い。
ドラマティックに入るなら、いきなり殺しのシーンから入った方がインパクトがある。多分、それでもゴッドファーザーの強さや威厳は示せるし、これから始まるマフィアの世界も示せて上手く行くし、むしろその方が退屈じゃない。
でも、実際には学芸会チックに人物がいて、淡々と会話をするシーンから入ることで、映画全体のテンポをスローに退屈に保てている。

1は本当に面白い。一番退屈だけど。

ドカーンバキーンのアップテンポな映画ってのも面白い。最近の映画はだいたいそうだ。邦画なんかは割と今でもスローテンポでやろうとしたりもするけど、実際にはそんなにスローテンポでもない。スローな絵に見えて、実際には伏線を張ったりするのに忙しい。面白おかしくするための仕組みがてんこ盛りに詰まっている。飽きて眠ってしまわないように、要所要所にウキウキするシーンがはめ込まれている。

ゴッドファーザーにも、もちろんそういうのはある。
2なんかはビトコルレオーネの若かりし日々とマイケルコルレオーネがゴッドファーザーとして活躍している日々という二つの時系列をクロスさせることで観る人が飽きないように技巧的な構造にもなっている。
二つの時系列を交互に出して並行させるっていうのは、観ている人間にウキウキさせる。向こうの話はどうなるんだと気になる。
技巧的にやらないなら、時系列順で良い。淡々とビトコルレオーネの若かりし日を先にやって、マイケルコルレオーネの時代をやれば良い。そっちの方が退屈だし、スローテンポな映画としてはそっちの方が良い気もする。
でも、それを言うなら1から時系列順にビトコルレオーネの若き日々から始めるべきだってことになる。
でも、やっぱり1のマイケルがゴッドファーザーになるっていう変化こそがゴッドファーザーで一番面白いし、この映画の核だろう。2は1の補足みたいなポジションだし、3はシリーズを完結させるっていうポジションだ。やはり1ありきなのだ。
そうなると2はやはり1を持ち上げるためにあるから、1でマイケルがゴッドファーザーになった後のところから始めるのが順当になるし、そのバックグラウンドとしてマイケルの父親のビトコルレオーネの若き時代も提示するには、二つの時系列を交互に出して並行させるのがベストな手になるのかもしれない。

3はマイケルコルレオーネの人生を完結させる必要があるから、完結のために必要なものを順に配置してラストシーンまでつなげる。そして、3には大作の完結に不可欠な感動が必要になるから、1のような退屈さというか、独特の時間の進み方がない。それに3は見ている側も1,2を見ているから、予備知識があるせいか、分かりやすい。言うなれば、1,2で提示した問題の解決、マフィアのドンの抱える苦悩の解決に向けて進む。最終的に解決するかどうかは別として、ストーリーに向きがある。どこか分かりやすい。

1は不思議なまでに分かりにくい。
改めて考えればマイケルがどうやってゴッドファーザーになったかっていう、割と分かりやすい話なのだが、なぜかストーリーの方向性みたいなのが分かりにくい。全てのシーンがバラバラみたいな、断片的な感じで、よく分からないまま進むような。
断片的なシーンの美しさを楽しんでいるうちに映画が進むような。のんびりと映画を眺められるような感覚。
そう感じるのは僕だけかもしれないけど。

まあ、あれこれ考えてはみるものの、結局、贅沢に尺を使うことで、映画特有の美しさを存分に提示している良い映画っていうのに尽きると思う。
でも、小津安二郎とかとは違って、娯楽映画っていうスタンスも守っている。小津安二郎は娯楽映画っていう要素は基本的にない気がする。
小津安二郎は絵と音楽さえ良ければ良い。別に話に抑揚がなくても良い。
ゴッドファーザーはスローテンポだし、絵と音楽にこだわりもあるけど、きちんと話に抑揚がある。ストーリーの構築も丁寧に消費者が一番感動するように構成している。

最近のトレンドは、いろんなことが短く端的にまとめてハイブリッドにした方が優れているって流れだ。
昔は長々と文で埋められていた新聞で情報を得ていたけれど、今はスマートフォンで写真とヘッドラインだけチェックして、記事の内容も非常にコンパクトにまとめられている。
多くのストーリーが最初にドカーンバキーンから入って消費者のウキウキを掴むか、主人公か誰かの語りから入って物語の主題、謎みたいなのを投げかけて消費者の好奇心をそそらせるところから始まる。途中に消費者の疑問を呼ぶようなナゾナゾみたいなのを仕掛けて、ラストはドカーンバキーンにするか、まさかの大どんでん返しにするか。
奇をてらっているような話でも、よくよく考えると、基本、王道の上に積み重ねたハイブリッドな奇のてらい方だ。
ハイブリッドで端的で分かりやすい。

もちろん、そういうのを作るのだってとても難しいし、そういうのも面白い。ハイブリッドってのは、やはり積み重ねだ、人間はこういうものを面白いと感じるということの積み重ね、やはり作るのは難しいし、見れば面白い。

でも、全部そうだとやっぱりつまらないのだ。
ゴッドファーザーに感動するのはゴッドファーザー自体がすごく良い映画というのはもちろんだが、ゴッドファーザーのようなスタイルの映画ってのはハイブリッドが進んだ今の時代ではもう作れないからってのもあるのかもしれない。

質の高い、スローな映画ってのはリスキーだ。
映画ってすごくお金が掛かる上に、質を高めるにはお金もかかるし、スローだと売れない可能性もある。質を高めるからにはしっかり売れてくれないと困る。

昔のことはよく知らないけど、当時はスローとは感じなかったのかもしれない。古い映画って今と比較するとスローなテンポのやつが多い。
そういう時代ならゴッドファーザーもスローな映画じゃなかったのかもしれない。
あるいはスローな映画とされていたけれど、スローな映画というのが売れないっていうことと直結していなかったのかもしれない。

いや、多分、もっと正確に言うなら、今の時代だって本当のところは同じかもしれない。
本当はゴッドファーザーは別にスローでもないし、仮にスローだとしても売れないってのとは直結していない。
ただ、そういう風に、スローな退屈な映画は良くないよ、売れないよと思い込みましょうっていう常識みたいなのがあるだけで、実際の人々が感じているのはそうじゃないのかもしれない。
だからこそ、いつまでも名作だし、ああいう映画が、また出て来れば良いのにと多くの人が感じるんだろう。

何だか長くなったけど。
ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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