2017年12月04日

細々とでも長く続ける。

気付くと長いこと日記も書いていなかった。
アフリカの旅から戻ってからの山小屋の勤務が終わり、もうじき自転車屋に戻る。
自転車屋の勤務が始まる前にアフリカの話を執筆していた。とりあえず第一稿が上がった。珍しく十万字近いので削るのか、もしくは伸ばすのか。まあ、のんびりやっていこうかな、と。

以前は小説という形式にこだわっていた。
今回のアフリカの話は小説っていう感じでもないし、旅行記ってわけでもなく。ルポルタージュだとかドキュメンタリーとかになるのかというとそうでもない気もする。
とにかく形式ってのは、一切無視して心のままに書いてみた。
ここから推敲を重ねて行く内に小説風になるのかもしれないし、ドキュメンタリー風になるのかもしれないけれど。

形式って重要だ。
小説に限らず、最近のアートってわけの分からないようなものって多いけれど、あれってすごく難しい。風景画とかは人から理解される。理解されるされない以上に作り手自身が作るものをイメージしやすい。こんな感じのものを作ろうって。抽象的なアートは作る前のイメージ、こんな感じで作れば良いかなってライン取りがすごく難しいと思う。
多分、文を書くでも、テンプレート、型のある文よりも、型のない文って厄介だと思う。宮沢賢治だとか。もちろん、詩だとか童話って型はある。それでも、宮沢賢治は型破りで、実際、長い歳月が過ぎても宮沢賢治みたいな作家ってなかなか出てこない。
それでも、やはりまずは型通りにやる時期があってこそだろう。何となくの感覚だけで作って、それが何かの形になるってのは、基本の型はやったことがあればこそだろう。

あとは、いくらか投げやりということ。
いや、投げやりってのは違うけど。
まあ、何でも良いや、自分は自分の好きなようにやる、みたいな。他人なんか知ったこっちゃない。そんないくらか傲慢なところを自信を持って出せるようになるまでには時間がかかるんだろう。

だからって、今回書いたものが上手く行ってるかは分からないんだけど。

自転車屋では店長をする予定になっている。他に適切な人材が見付かれば変更はあるかもしれないと思っていたが、気付くと三十歳(厳密には次の三月で三十歳)と適切な人材として扱ってもらえる年齢になっていた。恐らく変更はないだろう。
実際には年齢など大した意味はないと思うんだけど、ある程度最低限の経験の積み重ねって重要だ。
歳食ってるからって経験を重ねられているわけじゃないにせよ、やっぱり経験って時間が必要だから、三十歳くらいってのはちょうどそんな時期なんだろう。順当に行っていれば、ある程度の経験を積んで来ていて、それなりの戦力になるっていうライン。そして、三十くらいまでに全く何もしていなかったり、いろんなことを諦めている人間は、そこから先、待っても期待出来ないっていうライン。
もちろん、人間、早い遅いはあるし、遅いのが悪いわけではない。遅くてもこれから進む兆しがあって、長く成長する見込みがあれば全く悪いことじゃない。

若気の至りじゃ片付かない年齢、そこでやってることは人間の本質に近いのかもしれない。

まあ、そうは言ったって四十歳からでも六十歳からでも何事かをする人はするから、別段、三十歳ってのは大した歳でもなく、言ってしまえばやはり歳など大して関係ないのだけど。

まあ、好きなことを細々とでも長く続けるって大事だと思う。当たり前か。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 05:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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