2018年05月16日

アフリカ篇を書きたい。

アフリカ篇を書きたい。
ただ、何を書けば良いんだか分からない。
アフリカのことを話したい。
何を誰に話せば良いのか分からない。

高崎の町はひどく孤独だ。
高崎の町が孤独なのではなく、三十歳という年齢が孤独なのかもしれない。
旅の日々は随分と遠くなった。
今ではもうほとんど思い出せない。
そんなに年月は経っていないはずだ。一年と少し。その間に僕は随分といろんなことを失った気がする。
今の暮らしは良い暮らしだろう。
大学を辞めて以来、初めてのそれなりの給料。店長職としては多くないにせよ、暮らして行くに困らない程度の給料。
自転車で旅をして自転車屋の店長をする。
外から見れば良い人生なのかもしれない。
だけれど、箱の中身は随分と寂しく悲しい。
逆にどうしてそんなに箱の中身は寒々しい色をしているんだろうと思う。
外に出てごらん、すっかり春が来て暖かくなっているよ。
しかし、箱の中は鼠色でどこか寒々しい。

学生時代を思い出すことが多い。
Yとギターを弾いていた。麻雀もよくやった。たいていいつもウイスキーを飲んでいて、部屋の中は煙草の煙で満ちていた。
3DKもあるのに随分と安い家賃のアパートで隣には中国人のファミリーが住んでいて、よく喧嘩をしているような声が聞こえた。
二階の部屋だったけれど、窓を開けてもすぐに隣の家の壁だった。
いつも金はなくて、もやしと米と卵ばかり食べていた。そのくせコーヒーは美味しい豆を探し歩いて、貧乏の中にコーヒーだけ良いものが浮かんでいるようだった。
千円のジャズのレコードを探して、古本屋の百円の小説コーナーを探していた。
土日には大道芸をしに出掛けた。
数ヶ月に一回鬱病の女の子から死にたいという相談を受けて、半月ばかり大学に行かない期間が出来て、単位を落としていった。
じゃあ、その女の子がいなかったら大学を卒業していたのか。
多分、無理だったろう。
ーーその女の子とはもう関わらない方が良いよ。
何人かの友人はそう言った。
実際、僕がいなくなったって、その女の子は困ることはなかっただろう。別に付き合ってもいなかったし、女の子が僕のことを好きなわけでもなかったし、僕も好きかと言えばそうではなかったと思う。
ただ、そのくらいの年齢の頃ってある程度近しい関係の異性なら誰でも好きと言えば好きだし、好きじゃないと言えば好きってわけでもない、若い男女ってそんなもんだろう。セックスはしたかったのは間違いない。
女の子が僕に死にたいという相談をする理由は単純に僕はそういうことを話しやすい人間だったらしい。死にたいと言われても、死んじゃ駄目だよとも思わなかったし、死んだ方が楽とも思わなかった。本人が死にたいならそれもまた選択肢だと思った。ただ、死ぬと悲しいから死んで欲しくはなかった。
そういう自殺に対する曖昧なスタンスが心を病んだ女の子にとって話しやすかったんだろう。
確かに僕も時々、死にたいなんて誰かに相談したくなることがある。
特に最近は仕事で疲れていて絶望的な気持ちになることが多い。
ただ、昔と違って生きるか死ぬか迷ってみたって、生きている限りは生きているわけだし、死ぬとなれば死ぬ、考えてみても仕方がないと思うのであまり考えないし、ましてや誰かに相談するでもない。死んだ方が楽かどうかと言えば、死んだら楽も苦しいもない。
先日、新潟で日本海を眺めたのだが、そこの波の作る泡を見て、こんな泡から生き物は始まったのか、なんてふと思ったりもした。春の新潟の海は暗い。基本的に日本海ってのは一年中暗くて、波がどこか乱暴でささくれている。どこか海が固い。四月の日本海にはシャベルカーが雪をすくっていた。陸地の除雪した雪を海岸に捨てるらしい。
その海岸はゴミも多くて、そこをショベルカーが動いていて、少し離れたところに原子力発電所があった。
海の泡から生き物が生まれるなんて百年や千年どころじゃない時間がかかるのだろう。
生き物が陸地に上がって、人間が生まれて、あれやこれやして今に至って僕がいる。
長い時間かけた進化の中で、自殺を考える人間が出て来たって自然と言えば自然だろう。
女の子には死んでもらいたくなかったし、元気になればどこか遊びに出掛けたかったけれど、女の子は病院で貰う薬のおかげで終始頭がぼんやりとしてしまうようになり、家の二階からジャンプして両足骨折して入院した頃、僕と女の子は縁を切った。僕にも女の子にもそれが良かった。多分、女の子は僕に限らずほとんどの知り合いとの関係を切ったんだと思う。僕が医者でもそういう治療をすると思う。
その子は長く心を病んでしまっていて、誰か、特に昔から知っている人と会ったり話したりすると、社会から落っこちてしまった劣等感みたいなものを感じざるを得なかっただろう。
祖父が村の長老まで長生きしたけれど死んで、僕は大学を辞めて旅に出掛けた。

その頃の僕はきっと何かを探していたんじゃないかと思う。
何かを求めていたんじゃなくて、何かを探しているのが好きだったんだろう。
南米を自転車で旅して、山小屋に住み込んで働いて、自転車屋で働いて、アフリカに自転車持って行って。
それらは探すっていう行為の一環だったのだろう。

何を探し当てたんだか今でも分からないけれど、多分見付けてはいた。南米にせよアフリカにせよ。
ただ、それは帰国すると砂になって、風に吹き飛ばされてしまう。
それが何だったのか、今はもちろん、手に入れていた時でさえ分かっていなかっただろう。
ただ、何かを見付けて、手の中に握っていた期間はあったように思う。

アフリカの話か。
何を書けば良いのだろう。


iPhoneから送信
posted by ちょろり at 01:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: