2018年05月23日

行儀良く正座で生きること。

ぼんやりと何かを書こうと考えて生きてみているが、何を書くんだか。
その点、昔は立派だった。よく書いていた。形にしていた。
ギターも弾いていたし、大道芸もしていたし、自転車もよく走ったし、小説もよく書いていた。

昔は良かったなんて言ってしまうとオシマイな気もするけれど、多分僕自身の営みとしては昔の方が良かったような気がする。

昔と何が変わったのか考える。
何が変わったのだろうか。
友達は減った。
最近、少し飲み屋で友達を作り始めてはいるが、昔のようにはいかない。
友達が減ると自慢する相手がいなくなる。
自慢って大事だと思うのだ。
要はたいていのことは学芸会だと思うのだ。
見てもらう人がいない劇なんか練習しない。
練習して、最後、誰も観客もいない状態で壁に向かって演技しろって言われたって、多分小学生はだれも真面目に練習しないだろう。誰かに見てもらうからこそ練習するのだ。

どうでも良いが、学芸会で木の役っていうフレーズが昔からあるけど、そんなもの本当にあるのだろうか。
まあ、確かにセリフ一つだけの役ぐらいは存在はするけど、セリフのない立ってるだけの木ってない。そんな役を子供にやらせるとPTAから叱られる。
それでも、本当は木の役の方が助かる子もいるのは事実だ。人前でセリフを大きな声で言うって、まあ、それなりに大変だ。トラウマになってしまう子もいるだろう。
木の役は意外と必要ではある。基本的に存在しないけど。
そして、仮に木の役があったら、木の役の子は練習はしないだろう。いてもいなくても良い役なわけだから。大して見られないわけだから。

ただ、木の役だって、スポットライトを浴びるような木なら話は違うだろう。
結構大事な木で舞台で一人だけスポットライトを浴びるとなれば、セリフや大きな動作はなくとも、きちんと立つってだけでも、やっぱり練習するんだろう。

要は人に見られる、見せるってすごく重要なわけだ。

ーーー

それにしても、最近、書けないことが増えた。
安易に書くわけにもいかない問題。
別段、安易に書いたって問題になりはしないだろう。

良い歳こいているんだから、自分の言葉には責任を持ちなさい。
そうは言うけれど、言葉を自由に言えない世界って何とも言えない。

でも、多分、そんなもんなんだ。
言葉って外に出せない。

そうやって文を書かなくなっていくんだろう。
そうなると、僕はどうやって生きていくんだろう。

コンビニのパスタでも食べて、クソして眠って生きていくんだろうか。

ーーー

最近、ベルリンの友人からベルリンに来て一緒に店をしないかなんて言ってもらったりもした。
本当はそんな生き方が良い気がする。

行儀よく日本で人並みの振りして生きてるなんて無理がある気がする。
それでも、当面、行儀良く日本で生きてみようと思っている。

なんで?
自分にも分からない。

何も面白いことのない生活のことをどうして正しいと思うのか。
ベルリンは破滅的だろうか。
一体何が破滅的なのか。

今の暮らしはひどく息苦しい。
旅をしていないからとかじゃなく、誰のために何のために自分は行儀良く正座で我慢してるんだろうか。
まあ、月々の支払いにビクビクせず飯が食えてるんだから、それで良いじゃないのと言われりゃそれまでだけど。

そんなこんな。


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posted by ちょろり at 00:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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