2018年05月30日

コーエン兄弟のノーカントリーを見た。

コーエン兄弟のノーカントリーを見た。
クオリティの高い映画だった。
ただ、ノーカントリーは面白いのかというと難しい。

昔からある風潮ではあるが、難解な作品っていうのがふともてはやされることがある。
ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシア・マルケスなんかが正に好例だ。
ガルシアマルケスの作品は面白いのか。
これは非常に難しい問題だ。

解けないパズルってのは面白いってのがある。
ただ、本当にずっと解けないと面白くないというのも事実だ。
非常に矛盾してはいるが、自分の力で解けてしまうパズルはつまらないし、かと言って解けないとこれはこれでつまらない。
ガルシア・マルケスが面白いか問題は正にこれで、コーエン兄弟のノーカントリーもこれに入ってくるだろう。

文学になると、シュルレアリスム文学っていうのがある。アンドレブルトンの溶ける魚が代表的だろう。
アンドレブルトンの溶ける魚は全く意味が分からない。
ただ、このシュルレアリスムというのは文学のみならず広い範囲の芸術ではびこった。
ダリの溶ける時計なんかが分かりやすいだろう。

シュルレアリスムの真髄は要はわけが分からないのに、なぜか鑑賞していて心が動くってことだ。
単純にわけが分からないだけだと、ダメなのだ。
ただ、理解可能で心が動くと、これはシュルレアリスムとしては少し違うことになってしまう。
そういう意味ではフランツ・カフカはやはりシュルレアリスムとは少々違う。カフカの場合は理不尽の積み重ねによる世界のねじれ、そこから出て来る面白さだ。意外にも意味自体は全くこじれずストーリーになっている。

ガルシア・マルケスの場合は、シュルレアリスムではなくマジックリアリズムというジャンルになるのだが、カフカよりはシュルレアリスムよりになっている。
ガルシア・マルケスは実際には起こらないことを積み重ねるのだが、ルールはこの世界のルールで語る。これがねじれになるので気持ち良いのだ。
わけが分からないといえばわけが分からない。
そういう意味ではシュルレアリスムに近いところがある。

ーーー

はてさて、マジックリアリズムやシュルレアリスムなんかは今回のメインの話ではない。

ノーカントリーだ。

単刀直入に言えば、コーエン兄弟ならビッグリボウスキーの方が面白かった。
ビッグリボウスキーは間違いなく名作だし、最高に面白いと言える。
対してノーカントリーは面白いかと言えば何とも難しい。映像としての緊張感なんかは素晴らしい。空気がすごい。結局、映画って空気が全てだ。ストーリーにワクワクするハリウッドも、まあ、それはそれで良いけれど、空気が良ければ映画は良い。

ただ、やっぱり面白いは面白いで重要なのだ。
その点、ノーカントリーは何とも言えないところが残る。
ポーイっと全てが放り投げられてしまう。
それもまたそれで良いのだが。
引っ掛かりがあるようでない。

良い映画、上手い映画ではあるけれど、最高って言うべきなのか。
もう一つ引っ掛かりがあっても良かった気はする。

引っ掛かりがないと、単純に難解で、難解なことを面白いと言えばオシャレという安易な罠に落ちてしまいかねない。

ーーー

オチが付かないから良いというのも事実ではあるものの、やはり何かしらのオチは付く方が良い。
別にオチがラストに来なくても良い。
作品の中にはオチが欲しい。

ビックリボウスキーなんかにはオチがある。
何か納得するところがある。

カフカの変身はきっちりオチがある。城は未完なのでオチまで辿り着いていないのやら、はたまたそれがオチなのやら。

ノーカントリーは、どうもこのオチが分かりにくい。

未来世紀ブラジルなんかはオチが無理やり過ぎて、実に胸糞悪い最高な終わり方をする。
ノーカントリーにはそのくらいのオチがあっても良かった気はする。

まあ、何もないから良い作品っていうのも事実なんだけど。

どこかどっち付かずな気がする。
着々とストーリーを運んで来ておいて、ノーオチで終わるってのはどうだかな、という。

まあ、単純に撮りたいように撮ったという意味では間違いないのだが。

ーーー

ただ、もっとマニアックに突き進むか、スリリングに面白くしていくか。
どっちかになれば最高だったような気もする。
まあ、面白かったのは間違いないんだが。

ふむ、なかなか難しいものだ。

そんなこんな。


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posted by ちょろり at 00:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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