2018年06月06日

ハロー、ワールド。何も分からないね。

自転車でアフリカと南米を走るってのは、やってる人は少ない。世界一周の人でも厄介なルートなのでどちらかは外すという人もいる。
それでも、やってみた感想としては、さほど難しくはなかったと思う。

ただ、実際問題としてやるのは難しい。
死んだらどうするか。
僕は残念ながらそういうのはあまり考えずにやったからこそ出来ただけのことで、そういうのはある意味ではルール違反なのだ。
死ぬと迷惑がかかるとかそういう理由じゃなく、死んじゃったらどうしようってのを考えないってのは生き物としてダメだと言えるだろう。

そうは言っても、実際に行った時には死ぬ気で行ったわけでもない。
95%生還できるだろうと思えばこそ出発出来た。80%だったらさすがに行けなかっただろう。

僕の95%の根拠とは単純だ。
自転車で走る道=車が走る道=バスか何か走っている=いざとなれば金さえ出せば空港か日本大使館まで辿り着ける。

逆に5%の死ぬ理由は何か。
交通事故は不可避だ。それでも現地人は事故に遭わずに生きている人が大半だ。
病気もまた不可避だ。それでも、病気にかかる人ってのもそんなに高い確率ではない。マラリアなんかも怖いといえば怖いけれど、現地人たちはその環境でも生きている。
人が住んでいる場所=人間が生きられる環境=僕もまた人間であるから生きられる。
それでも、やはり死ぬかもしれない。
それが5%なのだ。

そうは言っても、現地人もパタゴニアの荒野やボツワナの象の出るエリアを自転車で走ったりしない。
あの辺りに関しては危険だ。
僕の感覚としてはボツワナの象の出るエリアは本当に危なかったと今でも思う。もう一回走れって言われたら断るだろう。野生の象は恐ろしい。

ーーー

最近、少々、仕事に関して考えることが多い。

自転車屋という仕事は好きなことを仕事にしているので満足感もあるが、恐ろしく待遇が悪い。僕の働いている会社が特に悪いってのもあるのかもしれないが、収益の構造として、どうしても待遇が悪くなる。

なぜ自転車屋はそんなに収益構造が悪いのかといえば、組み立てに時間がかかり、しかも専門の技術が必要で、なおかつ専門学校も国家試験もないので人材がいない。
車体を組み立てられて修理もきちんと出来るという人材は稀少なのだ。
単純に形になれば良いってわけでもない。
レース機材ってのはユーザーの要望が必ず出て来る。それに応えるチューンが出来ないといけない。

なおかつ販売のためにも知識と接客技術が必要だ。

なおかつ宣伝や仕入れなどの一般的小売店のスキルも必要になる。

そういった人材はなかなかいない。
僕自身、全て兼ね揃えているかと言えばそうでもない。というか、多分、そういう人はいないと思う。
一人で全て出来るなんてのは、自転車に限らずどんな仕事でも無理がある。

なので、普通の仕事は部署に分かれている。
服屋の店員でデザインから縫製、仕入れ、販売、修理までするなんて人間はいない。
システムエンジニアだって営業からコーティング、プロジェクトのプランニング、保守まで一人で全部するなんて、個人でやってない限りありえない。

会社ってのは歯車だ。
歯車ってのは、悪いフレーズでよく使われるけれど、全てを一人でできなくても仕事が出来るってのはものすごく素晴らしいシステムだ。

そういうシステムが機能しない会社、歯車じゃない会社ってのは無理がある。
それが自転車屋だ。
全て出来ないといけない。

そうなると人件費がかさむ。
結果、売っても売っても給料は増えない。
休みも増えない。

ーーー

はたまた構造としてどこかが大量に取ってしまっているかという問題もある。

業界とは怖いもので、その世界の中だけで常識が作られる。
自転車屋は給料が安くて当たり前。
自転車に限らず小売の店員は給料が安くて当たり前。
この常識はいかんとも崩し難い。

何せ崩す必要がないからだ。

自転車は完全に供給過多になってしまっている。
需要が少ない。
十万円以上の自転車が欲しいという人は多くはない。
もちろん誘導すればいくらかはそういう層は増える。
誰しも最初は初心者なのだ。
欲しいという潜在的な層があるのは間違いないが、結局、10万円なのだ。
値段的に考えて、やはり趣味のアイテムであり、一般企業のように何人も従業員がいて、きちんと休日と給料を出すことが成立するほどの需要はないのだ。
せいぜい二人くらいで、プラスでアルバイトを雇って経営するくらいまでが自転車屋の需給の現実だ。
僕の知り合いで人並みの給料と休みをもらっている自転車屋従業員はメーカー直営店くらいしかない。
メーカー直営は収入構造が違う。その店舗で売っても売らなくても良い。どこの店でも良いから、そのメーカーの車体さえ売れれば良い。あくまでショールームだ。

ーーー

働き手の現実っていうのは、雇い主には関係ない。
なぜって、自分が死ぬまでの食い扶持に関係ないからだ。
雇い主、つまりオーナーってのはそれなりの資金がある。親から継いでいる場合もあるし、自分で作ったとしたらそれなりの歳になっている。
親から継いでいる場合、そもそも金はある。経営に困ればタイミングを見て規模縮小すれば良い。食い扶持には困らない。
歳を食っている場合、あと何年か維持出来れば良いので、人材は使い捨てでも良い。

そんなわけで、自転車業界からはたいていの人が去っていく。だいたい結婚と前後して去っていく。
残るのは僕のような他に仕事がない人間くらいだ。元選手という人もそうだ。
僕は選手ほど命をかけて自転車のトレー二ングはしなかったけれど、大人になってから自転車で食ってきたし、自転車のことしかしてこなかったっていう点では選手あがりの人と同じだ。

山小屋なんかも結婚と前後して人が去っていく。

それにしても、僕のような去るにも去る先のない人間は歳を取ってどうすれば良いのやら。
アリとキリギリスじゃないが、キリギリスだってキリギリスなりにせっせと頑張ってきたのだから、何とかならないかとは思う。

ーーー

かと言って自転車屋を去りたいわけでもないのも事実だ。
やはり好きなことを仕事にするってのは良い。

逆を言えば好きなことを仕事にしていけるだけの能力がないのが問題だとも言える。

ーーー

問題なのは給料でも休みでもないのだろう。
働き甲斐なんじゃないだろうか。
不思議と今の会社は働いていて、とても気分が落ち込む。
自転車屋と一口に言ってもいろいろ違う。
服屋だってユニクロもあればセレクトショップもある。レディースだけの店もあるし、値段帯も違う。

どうすれば自分の働く場所を自分が働き甲斐を感じられる環境に変えられるかってのが問題だろう。

ーーー

今日、人を送りに成田空港まで行った。
群馬から車で行くと随分遠かった。
自転車で行っても遠いには違いないが、多分自転車の方が楽だったろうと思うほど疲れた。
何よりも成田はかつて初めて異国に出発した空港だ。
その後、ドイツの友人を見送りに行ったこともある。
自分が出発するわけでもない空港ってのは随分と考えさせられる。

僕は南米やアフリカを走りに行って何を得たんだろう。
そして、これから先の人生で、どこか異国をまた走りに行くことがあるんだろうか。
故郷の友はみんな大人になった。奥さんがいたり、子どもがいる。別にそういうことを比較したりはしない。
年金のことなんか話したりする。
北海道から歩き続ける若いカップルと知り合うことがあった。
ニュースで20代、30代の旅人が季節労働で人材不足の農家の助けになってるなんて記事を読んだ。

時々、帰りたくなる。
どこに帰るんだろう。
帰る場所。
故郷。
故郷は帰れないのだ。少し帰るくらいは良いにせよ。
なぜ。
多分、ちっぽけなプライドと下らない事情のせいだろう。
そんな理由も、もうしばらく経てば。いつになるかは分からないにせよ、親も死んで、帰ろうにも頼る人もいない、頼れないという理由でなくて、もはや存在しなくなる。
自分に子どもが出来れば、その子どもにはその生まれた土地が故郷になるのか。
そういう故郷になるような土地はあるのか。
子どもが育てられるだけの仕事のある土地はあるのか。

ハロー、ワールド。
世界の反対側まで見てきたけど、僕にはまだ何も分からない。

ーーー

最近は飲んだ夜に変に陽気になることが多い。
そんな時には、絶望を書くのは辞めて希望を書こうと思える。
でも、希望ってなんなのか。
酔った夜に書けば良いのだけれど、起きたら昨夜の感情だけ思い出して、しかし、希望の中身は何も覚えていないのだ。

ーーー

昔から思っているんだが。
みんな何を希望に生きているんだろう。
希望なんか無くても生きていくものだろうか。

僕には希望のない人生を歩いて行くのはしんどいことのように思えるんだけど。
希望は作るものなのか。
どこかに存在するものなのか。
そもそも無いものなのか。
忘却こそ人生なのか。

ーーー

そんなこんな。


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posted by ちょろり at 21:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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