2018年08月27日

意識を高く持つ問題など考える。

意識を高く持つ問題など考える。

基本的には人間、意識を高く持つ方が生きやすいとかなんとかだが、危険といえば危険なのだ。

まず、そもそもに意識が高いだの低いだのって何なのか。
インターネットによると、
「意識高い系(いしきたかいけい)とは、自分を過剰に演出する(言い換えれば、大言壮語を吐く)が中身が伴っていない若者、前向きすぎて空回りしている若者、インターネットにおいて自分の経歴・人脈を演出し自己アピールを絶やさない人などを意味する俗称である。 」
とのことである。

また難しいのが系と付いているところだ。
系っていうのは、実際にはそうではないから系なのだ。
意識が高いというのは、目標があったり、向上や成長を目指しているといったところでたる。
意識高い系は、それみたいなものというところである。

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ただ、言葉とは俗世に引っ張られるものだ。
ら抜き言葉も俗世に引っ張られて、間違った日本語ではないということになりつつある。
意識が高いというのも、意識高い系に引っ張られる傾向はある。

今の時代の意識が高いってのは、一口に言えば「お金をたくさん稼ぐのに適した精神」とでも言うのが良かろう。
独立起業、一流企業、株などの資金運用、こういったところが意識が高いとかそんなものだろう。
それを地でやっている人間は意識が高い。
それに憧れて、実際はそうでもないのに、そんな気分にひたっているのを意識高い系。

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はて、生きていると仕事とはしんどいものだ。
実にしんどい。
最近は肺に穴が空いたみたいに胸に痛みのある時期も続いたりもした。
まあ、今は治ったが。

そういう仕事がしんどい時に意識を高く持つと楽なのだ。

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実際のところ、僕は仮に月に1,000時間働いたとしても、給料は一円も変わらない。
実際、僕一人で何百万稼ごうが給料は全く変わらない。

こういう時に意識が低いと、「どうせ給料変わらないから」となる。
意識が高いと、「会社の利益が増えて安定したり、店の評判が上がれば、目先の給料は別として、自分の人生の質が上がる」となる。

この両者で楽なのは意識を高く持つ方だ。

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じゃあ、楽になるから意識は高く持つべきなのか、って話になると、これは定額働かせ放題になる。
Amazonでも何でも定額なんたら放題だが、日本は基本的には定額働かせ放題に企業も国もしたい。
文句を言わずに、高いモチベーションで働き続けてくれて、国の財政を支えてくれる人材を求めている。

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意識を高く持つと、働いていて、気持ちは楽ではある。
オレの頑張り、頑張ってるオレ、人生は努力と忍耐である、貯蓄、尊敬、地位、名誉、金。

でも、現実には違うと思う。
意識が高くなくてものんびりと日々を生きていて、約束などせずともふらりと茶を飲みに遊べてリラックスして話をできる友人がいる方がよほど気持ちは楽だし、豊かだと思う。
意識を高く持って、
「頑張ってるオレは人間として正しい、素晴らしい!」
っていうのは、やはりかなり無理がある。
正しい人間とは自分のことを正しいなどと感じない。普通であると感じると思うのだ。

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まあ、それでも働かないといけない。
僕らは今の日本で働かないといけない。
金も稼がないといけない。
そうなると、意識は高く持つ方が気分は楽なのだ。

上手く生きないといけない。
ただ、本当のところはどうなのか。

ごまかして生きることも必要だ。
馬鹿正直は馬鹿を見る。
意識を高く持たせる。

何だかヘンテコな世の中だ。
無理をした方が楽。無理をするのを前提に社会での正しさがある。
意識などは自然と高く持つか、そういうのには興味がないと生きるかなんて自由のはずなのだが。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 22:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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