2019年01月06日

時々、ケータイのゲームにハマることがある。

時々、ケータイのゲームにハマることがある。
元はペンキ塗りのアルバイトをしていた頃だ。
なぜかドカタの人たちってケータイゲームが好きだ。お金もかからないし休憩時間にぼんやりとタバコを吸いながらやるのにちょうど良いのだろう。話題にもなる。
ハイエースの中をタバコの煙で充満させながら協力プレイが何とかと話をする。
それぞれ一人親方でやってたり別の親方のところで働いているのを忙しさで人を貸し借りするのだが、共通の話題としてゲームがあるっていうのは良いのだ。
どうでも良い会話というのは大事で、サバサバしていると、誰それの現場の時は誰それがやる気がないとか、どこそこの親方の仕事の取り方がえぐいだのと、まあ仕事、日々の生活のかかった金を稼ぐための営みをしているとあれこれ揉め事が起きたりすることもあるらしいのだが、どっちでも良い時間潰しのようなゲームで協力プレイをしてたりすると、
「え、そのキャラどうやって取ったん?」
「今日何時からイベントだっけ?」
だの、まあ、実にどうでも良い会話で和気あいあいして良いのだ。
まあ、何かと程よいのだ。

そんなわけで僕もゲームを始めると、
「ふくちゃん、最初はこのキャラからやっていけばええんよ!オレをフレンド申請しとけば序盤は楽勝よ!」
なんて具合で優しく教えてくれたりする。
基本的に優しくて兄貴肌な人が多かったというのもあるかもしれない。
実際、僕はパチンコもやらないし、ナンパもしない、キャバクラも行かないし、若い頃にケンカもしなかったし、良い車も持っていないから、ペンキ屋さんでの話題ってゲームがあるとすごく助かった。

ペンキ屋を卒業しても、まあ、卒業といっても何も覚えていないのだが、基本的に塗料の缶を運んだり、塗料をまぜたり、簡単な下塗りだけやったりくらいだったのだが、何にせよペンキ屋をしなくなっても、僕はケータイのゲームを時々するようになった。
別に大して面白いわけでもないし、生産的でもない。
ただ、何となく心の癒しがあるのだ。
特に頭を使わずぼんやりとスマホをいじる。
そんなことが心の癒しになるのは不思議なことのようにも思うが、何にも頭を使わずぼんやりと時間を過ごせることって癒しになるのだ。

スマホのゲームなどしなくても、ぼんやり空を眺めれば良い気もする。
案外、これが出来ない。
旅の日々の中では簡単だったのだが、普通の日々だとアレコレ考え事があったりする。
何もせずぼんやり過ごす時間って案外難しい。

友人でスマホゲームの達人が二人ほどいるのだが、一人は世界ランクでも上位に行ったりする。課金なしでそのくらいは行けるとのことだが、確かにいつでもゲームをしている。
ちなみに彼も仕事がなかった頃はドカタをしていた。
もう一人は配送の運転手をしているのだが、運転中に延々とやっているらしい。

まあ、大人になるってのは多かれ少なかれそういうところがあるんだろう。
昔なら英単語の一つでも覚えるか、とかだったが、英単語を覚えたところで使う場面がない。仕事で使う機会があれば、必然的に勉強するし、勉強する必要がない場合は使う場面がないということでもある。
日々の生活、仕事の中で即戦力になるようなことしかしなくなっていく。或いは全く無意味なこと、してもしなくても良いこと。した方が良いことってのは、しないと罪悪感もある。してもしなくても良いことは、しなくたって良いので、気が向いた時だけぼんやりとすれば良い。気楽なのだ。

まあ、人生、そういう要素も必要なのだろう。
いや、必要じゃないからこそ気分転換に良いのかもしれないが。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 22:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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