2019年10月19日

知は力なり、なのか。

気付けば、宅建士の試験が明後日になった。

正直、工務店では宅建士は使わないので少しモチベーションは下がってしまっているのだが、受験料も払ったので取得するつもりでいる。
受検を申し込んだときには、まだ次の仕事が決まっていなかったので、とにかく資格を取るため動いたものの、工務店になったわけだ。

ーーー

さて、宅建士、受かるのか。
もちろん、独学である。
自転車屋と山小屋しかしたことがないので、不動産業などさっぱり分からない、さっぱり未経験だ。

勉強期間は約3ヶ月。

自信のほどは半々だ。
こういうときは落ちるのが相場のようにも思うが、何となく受かる気はしている。

実際、勉強していて、まあまあ解けるようにはなったけれど、やはり難しい問題はつまずくし、引っかけ問題にも簡単に引っかかってしまう。

特に暗記が苦手なので暗記が必要な問題はよく間違える。

それでも、何回も間違えていると段々と覚えてくるものだ。

まあ、合格するだろうとは思うけれど、合格しない可能性もそれなりにある。
それなりに自信はあるけれど、落ちるかもしれないなっていうのが本音だ。

やっぱり途中から、
「工務店じゃ使わないからなー」
などとモチベーションが落ちてしまって、勉強時間が減ったのが痛い。

ーーー

大学までの勉強がはじめて人生の役に立ちそうだな、と思う。

直接的に学んだ数学などが役立つわけじゃないが。
試験勉強は実に死ぬほどやった。
試験勉強なんか試験以外で人生の役に立つことはない、って思いながらもやった。

現実には、人生では学校以外でも、大人になっても資格試験とかってあるし、そういうのって人生の役に立つのだ。

ーーー

これまでの人生で大学までの勉強が役に立ったことって正直なかった。
僕は学生時代は数学が出来たのだが。
数学が出来たおかげで人生役に立ったことってない。

数学が出来ると、人から、
「頭が良いんですね」
など、お世辞もあろうが、ほめてはもらえる。

ただ、数学を使ったことって本当にない。

数学に限らず様々な学問がそうだろう。
それにしても、数学が役に立つことって、本当になかなかない。

統計学なんか使って集客の分析なんかかけてみたところで、これ、統計学を知らない社長さんの会社では重宝してもらえない。
現場では統計学よりも肌感覚である。
実際、それで良いと思う。
アレコレ、MBAのマーケティングだとかの知識をこねたって、現場ではいかに人の心を掴むかが全てだ。

たぶん自転車を作ろうって話になると、微積や流体力学なんかが役に立つのだろうが、組み立てる、修理するのにはそんなこと全く必要ない。

ーーー

勉強など無意味なのだろうか。

どうだろう。
分からない。

以前は、
ーーいや、勉強、学問は大事だ。学ぶって大事だ!
と思っていた。
でも、どうなんだろう、って最近思うのだ。

今も学ぶってことは好きだ。
最近はユヴァル・ノバのサピエンス全史なんて読んで(オーディオブックだから聞いているが正確)人類史みたいなことを勉強してみているけど。勉強ってほどでもないけど。

勉強ってのはあくまで好きでやるものなのかな、と僕は思うわけだ。

ーーー

宅建士の勉強だって、必要だからやるっていうのも事実だけど。
半分好きで勉強してるところもある。
別に宅建士がなくたって、ファイナンシャルプランナーがなくたって仕事って出来る。
もちろん、持ってないと出来ない仕事も存在はするし、ある程度必要だから勉強するという側面は間違いない。
でも、別に生きていく上でどうしても宅建士の資格を持ってないと働けない、明日死ぬってことはない。

勉強すると、単純に豊かになる。
何事もそうだろう。例えば宅建士じゃなくて法律なんかだと分かりやすいかもしれない。
別に仕事に使わなくたって、ぼくらの生きる世界を司っている法律を知っていれば、知っているよりは豊かに生きれるんじゃないだろうか。
別に裁判に勝つため、証書を作成するためではなく。
どういう法律が僕らの世界にあって、僕らの行動を制限したり、守ったりしてくれているのか。
そういうのを知って生きているって豊かなことのように僕は思うわけだ。

ーーー

フランシスベーコンは、知は力なり、と言ったけど。

力として使うことも出来ることもあろうが、知は豊かなり、じゃないだろうかと最近の僕は思う。

かと言って知がないから豊かじゃないとは思わない。
昔、塗装屋さんで働いていた頃、それこそ勉強とは無縁の人と一緒に働いていた時、学問や知ってのは生きる幸福とは直接的には関係ないんだな、って僕は思った。
その人たちは魅力的だった。
生きること自体を純粋に生きているような感じがした。

それこそアフリカでは純粋にただ生きるって素晴らしいって思ったものだ。

自分で知は豊かなりとか言ったのに、別に知は力でも豊かでもなく、単純に趣味なんじゃないかな、とか思ったりする。
好きな人は好きでやれば、って。

ーーー

そうは言っても、知は力なり、っていう言葉って強い。

実際、今の日本の社会をはじめとする多くの社会では知があって学歴や資格があると収入が高くて、安定した暮らしを過ごしやすい傾向にある。

でも、同時に意外と高収入の人でも、学歴がなかったり、勉強は好きじゃないって人もいる。
特に資格の勉強や学校の勉強についてはそうだろう。
ただ、その仕事、お金に直結することについては調べたり、体験的に修得しているんだろうけど。
世にいう実学とかいうことになるんだろうか。

ーーー

知は力なりが強いのは、世界がそれを望んでいるからだ。
別に望んでいるのは、神様でもないし、地球や自然でもないし、宇宙人でもない。
かと言って人間でもない。
国家だったり、あるいはもっと大きな集団が望んでいるのだ。

ーー学問、文化が発展すれば人類はより良くなる。
そういう幻想に基づいているわけだ。
幻想というと失礼ではあるが。

これ、誰が言い出したというわけでなかろう。

実際、学問、文化が発展して人類はより良くなっただろうか。
案外、そうでもない気がする。

たとえば、石油からプラスチックが作れるようになって便利になったような気はする。
でも、別にプラスチックがなければ、ないなりに人間は生きていただろう。
むしろ、プラスチックゴミの問題も出てる。
さらに言えば、石油も限りがある。プラスチックって開発されて使ってしまうと便利で、プラスチックなしの暮らしって想像すら出来ない。なんせアフリカでもみんなに広く愛用されている。
安い、軽い、木材みたいに腐らない。
確かに便利ではある。
それゆえに今からプラスチックのない世界に戻るのって難しい。
プラスチックを捨てずに生きていこうと思うと、プラスチックゴミの問題や、石油資源の問題都向き合わないといけなくなる。
多分、それをクリアしたら、それゆえに生まれた問題に向き合わなくちゃいけなくなる。

これに対して、そもそもプラスチックが発明されていなかったらどうか。
案外、幸せだったんじゃないだろうか。

プラスチックだとパッとしない、分かりにくいというなら、物理学の集大成ともいうべき原子力のことを考えると分かりやすいかもしれない。
確かに便利だ。莫大なエネルギーを作れる。
ただ、遥かに厄介だ。

アインシュタインが悪いわけじゃないけれど、原子力エネルギーは見つからない方が人類は平和で幸せだったんじゃなかろうか。
アインシュタインが見つけなくても、きっとドイツの学者が発見していただろう。
その人が発見しなくたって、だれかがいずれ発見していたかもしれない。

原子力はいずれ発見、開発される流れに人類は進んでいたんだろう。
もちろん、アインシュタインすごいし、偉いのだけど。

ーーー

何が言いたいかって難しい話だけど。

知は力なりってのを最近の僕は疑ってるってことだ。
もっと正確に言えば、知は力なりという今の世界の根本的な常識を疑ってるわけだ。

まあ、そうは言っても子供が産まれるし、子どもはこの世界を生きていくんだから、この世界の常識に合うように、この世界からはみ出されて悲しかったり苦労したりしないで欲しいので、これはこれとしてやっていくのだが。

ーーー

なんかどんどんと話はそれていくけど。

とりあえず、宅建士の試験頑張ろ。
明日は前日なのに一日遊びに出掛けるんだけど。

まあ、大学受験の時もそうだった。
受かる人間は直前まで勉強しなくたって受かるのだ。前日ギリギリまで勉強しないとどうにもならない人って、そもそも間に合っていないのだ。
まあ、滑り込みセーフとか、最後まで諦めないとか、言いようは色々あるけど。

ーーー

自転車屋をやめて時間や気持ちに余裕が出来ているからか、最近はそういうどうでもいいようなことを、若い頃のようなことを考えることが多い。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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