2020年01月15日

やさしい、ありがたい。

珍しくFacebookに仕事の宣伝など書いてみたりした。
転職と近況報告に乗せて、今度、家の見学会をする記事など貼ってみたわけだ。
ちなみにこれ。最近の僕はこんな仕事をしてるわけだ。長野県の小さな工務店で家の勉強をしつつ、のんびり生きている。
https://www.lhouse.co.jp/event/200118-27/

仕事の話、特に自転車屋を辞めてしまったのに、昔のお客さんや、旅の頃知り合った人、山小屋の友、故郷の友、インターネット上でしか僕を知らない人、たくさんの友達が反応してくれた。
普段は反応してくれない人も反応してくれた。

日本全国から応援してもらえているような気持ちがした。
ありがとうございます。

ーーー

子どもが産まれたおかげか分からないけど、最近の僕は元気だ。
驚くほどポジティブだ。
ネガティブしている暇や余裕がないという意味では、昔の方がある意味では豊かだったのかもしれないとは思う。
前に進む以外のことにも没頭出来た。
外から見れば全く無意味なことにもいくらでも没頭出来た。

いろんなことが変わって行く。
特に僕の場合、いろんなことをやめて生きてきた。
大道芸人も小説家も、医者になりたかったことも、自転車屋も、山小屋も、冒険家も。
改めて考えるといろいろやったな。20代って本当パワーも時間も可能性も溢れていて、何でもトライできた。
まあ、今も相変わらず新しい仕事にトライしているけど。

いろいろ変わったけど、僕が今までの自分でずっと変わらず良いところだなと思えるのは、昔の友に胸を張って、今はこれを頑張ってるよ、ってのを言えるってことだと思う。
そう大したことじゃないことも多いけど。
それでも、まあ、我ながら頑張ってるとは思う。

妻は僕のことをいつも何かしていて忙しそうと言う。
実際は別に何もしていない。
暇だからランニングしてみたり、本を読んでみたり、とても暇ならギターを触るし、寝る前にも暇なのでこうして文も書く。
仕事については暇だからしてるってわけじゃないけれど、それでも、仕事していないと暇するし、お金も必要だし。

基本的に僕はだいたい暇してる。予定があることもたまにはあるけど。
暇なので何かしている。
それが妻にはたえず忙しく何かしているという風に映るらしい。

確かに暇を見つけては何かしてるとも言えるのかもしれないけれど。
前提としては暇があるので何かしてる。
僕は暇人だと思う。

みんな忙しく生きてるなと、よく思う。
本を読むにしたって、ランニングするにしたって暇じゃないと出来ない。
実際、僕は1日の中の時間的な面では仕事には恵まれて生きてきている。
朝6時半に家を出て、10時に帰るなんて生活は一度もしたことがない。

ーーー

暇な僕だけど、煙草を吸うのに関しては忙しいとよく思う。
昔はくわえタバコしながら本も読めたけど、最近は家の中は禁煙なのでベランダで吸う。
右手の人差し指と中指の間に煙草をはさむ。
左手があくので、それで本を持てば良い気もするのだが、煙草を吸うと喉が渇くのでお茶やコーヒーを持ちたい。
はたまた飲み物がなくても、今度はスマホなんかいじってみたり。
そもそも本って片手で持ちにくいし、日光の下で文字を読むと目が痛くなる。

なので、煙草を吸う時って煙草を吸うことに忙しい。
その理屈で言えば、他のこともそうだろうって話なのだが、ながらで何か出来そうです意外と他のことが出来ないという煙草を吸うという営みは忙しさを感じる。

なので、煙草を吸うときには煙草を吸うのに忙しい。
考え事などしたりしているのだろうが、実際には右手の煙草を吸って吐いて、つまり息をする以外出来ていないわけだ。

ニコチン中毒のせいだか分からないが、なんとしても煙草を吸う時間ってのは取りたい。
何かしていても中断して煙草をしなくちゃいけない。

煙草を吸うのに関しちゃ、本当に忙しいなと思う。

ーーー

煙草を吸うとき、僕は何をしているんだろう。
煙草を吸っているといえばそうだけど。
何を眺めているのだろう。
何を考えているのだろう。

分からない。
何にせよ煙草を吸うのに関しては忙しい。

ーーー

話はどんどん逸れてしまったけど。
みんな、元気にしてるだろうか。
僕が期待していたよりも、予想していたよりも、人間って優しいと思う。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:50| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月09日

ぐるぐるまわって頑張る

うっかりしていて、子ども手当ての申請に必要なマイナンバーの提出を忘れていた。
二ヶ月分、損するかもしれない。子ども手当てって結構大きいから痛い。
というか、そんなの申請しなくても、税金から控除して欲しい。

ちょろり草もすっかり更新していない。
最近は会社の方で住宅に関する情報サイトを立ち上げるということで、そっちの記事を書くのに追われている。
アフリカの小説をそろそろ書こうかなと思いつつ、どんどんと時ばかりが過ぎてしまっている。

そう、アフリカから帰国してもうすぐ三年が経つ。
早い気もするし、まだ3年かという気もする。
自転車屋の店長は何だかんだの2年だった。最初の約束と給料が違ってしまったし、将来性の見えない会社だったので、まあ、仕方がない。
お客さんには悪いことをしたけど、子どもも産まれたし許してもらいたいなと思いつつ。

自転車には旅を通しても多くを教えてもらったし、自転車屋の仕事でも多くを学んだ。
まさか自転車屋で習得した情報サイトの作り方やマーケティング、接客技術がこんなに役に立つとは思わなかった。
でも、確かによく考えると、規模の小さい小売りって本当に広くたくさんのことを見られる。特に店長をすると集客からスタッフの教育、マネジメント、売上や仕入れの管理までする。
自分の仕事が目に見えて売り上げにつながったり、お客さんの来店になる。

住宅会社に転職して改めて思うのは20代のうちにそんな風にマネジメントの仕事までやらせてもらえるチャンスって滅多にないということだ。
店長してた頃と違って、正直、すごく気楽だ。
店長ってくたびれる。面白いのは面白いけど。

仕事する上で大事なのは仲間だな、と思う。
自分が頑張るのはもちろん大事だけど、一人で頑張れる範囲って決まっている。
能力の有無の問題もあるけど、それは割と些細なことで。仕事へのモチベーションの問題って本当に難しい。
稼ぐ理由がない人間と仕事するのって大変だ。
頑張って売り上げを増やそうなんて言ったって、売り上げを増やしてどうするの?って話になってしまうとどうしようもない。
さらに、売り上げが増えても給料が増えない会社だとなおさらどうしようもない。
どうしようもないだらけになると、どうしようもない。
どうにかしようのある場所を求めて動くより他ない。
改めて、どうして自転車屋っていうのはあんなに儲からないんだろうと思う。

でも、まあ、それも天命だったようにも思う。
確かにあの頃の僕にはあまりお金は必要なかった。
お金ってそんなに優先順位は高くなかった。
だから、あの会社に入ったんだろうなと思う。
お金にしても休みにしてもそうだろう。

やっぱり、人間求めないものは手に入らないのだ。
もらえるなら欲しいっていうものは手に入らない。
本当に欲しくて、手に入れるための努力をするものが手に入るのだろう。
そういう意味ではアフリカの小説は今年も書けないかもしれない。そろそろ書けた方が良いようには思うけれど、書ける気があまりしないのだ。どうしても書きたいっていうのがないんだろう。

お金についてはこれから先、手に入るようになるだろう。
欲しいと思っている。
別に自分のもので欲しいものってあまり無いんだけど。
子どものためにお金が欲しい。
案外子育てってそんなにお金かからないとかって聞くけど。東京の大学とか行くってなるとかかるらしいけど。義務教育の間はそんなにかからないらしい。本当か分からないけど。
とりあえず、冬の暖房代はかかりそうだけど。一人ならある程度は寒さも我慢するけど、やっぱり子どもがいるとね。しかも、しばらくはほぼ一日中家にいるだろうし。
それにしても、長野県、寒い。

ーーー

ぼんやりと、野球のことを思い出す。
勝ちたいなら勝てるチームに入らないといけない。
勝てないチームで頑張ってもダメだ。
今回の会社は勝てるチームだろうか。少し不安もある。

ドラッカーのマネジメントを高校野球のマネージャーが読んだら、っていう本もあったけど。
あれってやっぱり無理がある気はする。
モチベーションの低い人間が集まってるチームで、いかにマネジャーが頑張っても、なかなかモチベーションって上がらない。
どんなに吹き込んでも、真摯にお願いし続けたって、人間、まずは自分のことが第一だ。
自分にとっての利益が見付からないと、モチベーションって出ない。

その点、うちの会社は上層部が頑張っている。
コンサルタントみたいな人がいるのだが、とにかく全員に自分の人生の理想のイメージを持つように教育し続けている。仕事の理想じゃなくて、自分の人生だ。
確かに理想が作れたら、その理想に向かって進んでいける選択肢ってのが自分の利益なのだ。
仕事を頑張ることが自分の利益に結び付くと、モチベーションになる。

その辺、すごいなー、と思いながら勤務している。
僕ならそんなこと教育しようなんて絶対に思わない、すぐ諦める。やる気のない人間は永遠にやる気がないって。
ダメな人間はダメって。
別に人生、仕事が全てじゃないから仕事にやる気がないからってダメな人間ってわけでもないけど。
でも、少なくとも仕事に関してはダメな人っている。

勉強でも自転車でもなんでもそうだけど。
やる気の問題って大きい。
そして、時間の有限性が分かっているかどうかって大きい。

やる気があって時間が有限だと分かっていれば、工夫するのだ。
どの程度、工夫できるかっていうのは、センスの問題もあるだろうが。それでも、工夫しようとしていれば、少なくとも工夫などせず、漠然と生きている人よりは遥かに早く効率よく進むはずなのだ。
頑張ることを頑張ってはいけない。
頑張らないようにするための工夫を頑張るべきだ。
でも、その工夫を頑張らないように頑張って、それもまた頑張らないように頑張る。グルグル回って結局何かしらは頑張らないといけないんだけど。
テコの原理で一番楽に動きそうなところを見付けて押してやるのが大事なんだろう。

そうは言っても、アフリカの小説を書くなんかは地道に頑張るより他ないのだろうが。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年01月06日

幸先のいい新年。

建築の仕事に移って、何だかんだで二ヶ月過ぎて年も明けた。
自転車屋のころは年末年始も盆もゴールデンウィークもなく働き続けていたが、ゆっくりと年末年始を妻の実家で産まれたばかりの子どもと過ごした。
30を過ぎてからの未経験の仕事への転職だったので、難儀することも多いはずだったが、赤ちゃんのことを考えると必死だったということもあるのか、すんなり新しい仕事に馴染みつつある。

ーーー

帰省から長野県に戻っても、長い休みが2日ばかり余裕があって松本に山小屋時代の友人を訪ねた。
お酒の流れで一泊させてもらっていたら、小説家の先生から松本にいるのかい?と連絡をもらえた。
それで一夜明けて、久しぶりに先生と飲むことになったのだが、先生の来る夜まで時間が余った。一度、家に戻るにしても、案外、松本から茅野は遠い。

松本が素晴らしいところと言えば、丸善とジャズバーと古本屋カフェがあること。あとは時間があまれば松本城を眺めていれば良い。他にも良いところはあるのだろうが、僕は結局そこくらいしか行かないし、そういう店が存続していける土壌があるというだけで松本は価値ある街だと思っている。

ーーー

先生が来るまでの時間で丸善に行って、二級建築士の設計製図のテキストを買った。
建築士は非常に意地悪な資格なので、建築の専門の学校を出ていないと実務経験を7年以上しないと受験資格さえもらえない。
さすがに7年ってのは意地悪過ぎると思う。一番長い教育機関の小学校でさえ6年なのだから。

なんと馬鹿な話だろう。試験の意味がない。金出して学校に行かない人間は試験で満点取ろうが、いや、受験さえさせてくれない。そんな試験は試験の意味がないじゃないかと思うし、逆に学校さえ出ていれば良いなら卒業試験でやってしまえば良い。学校を出ていても合格しない人もいる。

日本はスタンプラリーが好きな国だ。
大学でもなぜかテストよりも出席日数が大事だ。
スタンプ集めていない人間はダメで、逆にスタンプさえ集めていれば、「君は努力家だからね、OKだよ!」なんて話になる。

努力ってしない方が正しいと僕は思うのだ。
出来るだけ少ない努力で結果を出すための工夫を考えるのが大事だと思うのだ。
本当にスタンプラリー制度はやめた方が良い。

子どもが産まれたから、あまり世間の悪口を言ったりするのは控えようとは思うのだが、変なものは変だと思うのは大事だと思う。

ーーー

二級建築士の資格を取るかどうかは別の話として。
図面が読み取れないと仕事にならない。二ヶ月で何となく読めるようにはなったものの、きちんと図面の向こうの意図が読み取れないとプロフェッショナルへの道は遠い。
実際、営業職だと図面が読めなくても間取り図くらいまで書ければOKという人も多いようだが、仕事を面白くするにはプロフェッショナルになった方が良いと僕は考えている。

全部自分でやろうとしてはいけないと言う人もいる。
それはその通りでもある。人生長くない。全てを学ぶには人生は短すぎる。ましてや30過ぎてからの転職だ。
それでも、だからと言って諦める必要もない。

やってみたいことは何歳から始めてみたって良い。手遅れなんてことはない。
たしかに僕は30歳を過ぎた。でも、二十代の人と僕と、どっちが長生きするかなど分からないのだ。
特に年金がなくなるであろう世代だ。65歳を過ぎても働き続ける時代は来るだろう。年金制度がきちんとしていなかったら、定年退職って制度は成立しないのだから。

ーーー

まあ、理屈は抜きにして、図面を眺めるってのは結構楽しいことなのだ。
個人的には図面と見積もりを並べて眺めるのが好きだ。
ロフトやスキップフロア、勾配天井、ウッドデッキなんかのオプションの値段と図面を見比べるのは楽しい。
そういう技があるのかって喜びもあるし、いずれ建てる自分の家に採用したらいくらくらいになるだろうとか。

自転車のカスタムなんかの勉強をするのと同じだ。
いや、自転車のカスタムの方がマニアックかもしれない。10万円のホイールと30万円のホイール、材質やベアリングの理屈の上での性能差と、実際に使ってみて体感する性能差、そのカスタムの価値。
自転車はそういう意味では本当にマニアックだ。
固けりゃ良いわけでもないし、しなやか過ぎても良くない。また、人によって好みのポイントも違う。軽くするにしてもどこを軽くするかで随分意味も違う。
机上の空論の構造力学だけでは駄目で人間が気持ち良く感じる構造を突き詰めないといけない。
その点、家は割とシンプルではある。

自転車屋って改めてマニアックで難しい仕事だったんだなと思うことは多い。

ーーー

小説家の先生が来るまでのんびりと設計製図の本を読んだら、案外、予想以上に分かりやすくて、新年早々賢くなれた気がした。

先生とUFOの話と東京の話とFXの話を延々と、そして例の如く小説、文学の話はほんの少しだけして。
こちらは賢くはなれないかもしれないが。
先生が教えてくれることは本当に本には載っていないことばかりだし、そういう知識、経験を持っている人は日本に何人いるんだろうというような人で。
本当にありがたい。
東京を離れて5年近く経っても、何だかんだ年に一回くらい会える。

小説のことはあまり教えてくれないけれど。
でも、改めて考えると小説を書く上で大事なことって文章的な技法とかじゃなくて、生き様や考え方、触れるもの、経験することなんだろうと思う。

幸先の良い新年だった。
ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月06日

意識高い系?

転職してから一ヶ月。
特に住宅のことが分からないのに、なぜか妙なまでに意識の高い新入社員っていう人になりつつある。

実際、最近の僕はちょっと意識高めな気はする。
自分で言うとアホみたいだが。

それでも、実際、子どもが生まれて、頑張って稼がなくちゃと思っている。
稼ぐと決めたら稼ぐ。
基本的に僕は極端な性格だ。
自転車で旅しようと決めたら世界で一番遠いということで南米に行こうってなる。
好きなことをして生きていようと思ったら、自転車屋を全力でしてみる。
稼ごうと決めたら、家が一番高い売り物だから家を売れる人間になってみようと思う。

まあ、我ながら随分と極端な人間だなとは思う。
でも、ちょうど良い塩梅ってのがいまいち分からないし、中途半端なことってモチベーションが出ないのだ。モチベーションが出ないと全く出来ないのだ。すごくムラっ気があるのだ。

そんなわけで、稼いでやるぜ!家を売れる男になってやるぜ!家マスターになってやるぜ!という意気込みで入社している。
それに対して、周囲の人は、まあ、地方の工務店の人々だ。
経営陣は割とバリバリしているのだが、従業員は基本的には長野県の地元の人で、地元の会社に入っただけという人も少なくない。本当のところは分からないけれど。

そう、普通は意識高い系の人は大手住宅メーカーに行くのだ。
大手住宅メーカーは給料が良いからね。
でも、残業地獄らしい。

僕は基本的にやる気はあるのだが、事前の下調べというのが苦手で、地方の工務店と大手住宅メーカーというものの違い自体よく分かっていないままに入ったのだ。
つまり、僕は残業地獄をある程度予想して、それでも稼ぎたいと思って入社したわけだ。

そしたら、入社前の話どおり、本当に残業はない。
むしろ、定時できちんと帰ることが誉められる会社なのだ。
もちろん、仕事は終わらせないといけないので、残る人は残るが、新人の僕には残ってやる仕事などあまりない。
会社としては定時上がりを推奨している。定時で上がれるように工夫して仕事しなさい、家に帰って家族と過ごしなさいというわけだ。

まあ、良い会社に入らせてもらえた。

でも、おかげで意識高めの人みたいな立ち位置になってしまってはいる。

ーーー

でも、改めて考えると、まあ、意識が高い人間なのかもしれない。
自分で言うと、やっぱりアホみたいだが。

意識の高さというと日記だろう。
ちょろり草はたまにしか書かなくなったが、何かしら文章は相変わらずほぼ毎日書いている。
文を書くことで気分が安らぐ。
バランスが取れる。

かれこれ文をこうして書くようになったのは高校生の頃からだ。
その頃は、勉強のためだった。
勉強の息抜きでもあったけど、その日を振り返り、明日以降、改善できることはないかと。日々の記録、考察を書きたかったのだ。
当時は医者を目指していたこともあって、熱心に勉強していたし、そのストレス解消ということもあって日記を書いたのだ。

その後、医学部に落ちて、文学に人生の慰めを見出した。
その後、旅に出た。
気付くと延々と文を書いていた。

大した文じゃないにせよ、こうして延々と18歳の頃から、日常的に文を書き続けてきた。
ちょっと頭がおかしいのかもしれないと時々思うこともある。別に悪いことじゃないにせよ、こんなに延々と日記を書き続けている人はちょっと知り合いにはいない。プロで文を書いている人は別にして。

そう考えると、まあ、意識の高い人間なのかもしれないなとは思った。

意識高いって何なのかよく分からないが、内省するとか、自問自答するとか、人生に意味を求めるとか、そういうことなら、まあ、毎日細々と文を書き続けていれば、気付けばそれなりに意識の高い人になってたのかもしれない。

別にそれが良いことなんだか、悪いことなんだか知らないけれど。

ーーー

まあ、意識高い人だろうとなんだろうと。
自転車屋やめて始めた新しい仕事だ。
妻と子どもとどこか旅行にでも行きたい。
稼いでやろうじゃないか。
金の亡者じゃないけど、30代は仕事を頑張って、稼げる男になってみようじゃないか。

まあ、新しい仕事は楽しい。
覚えることも多い。
意外とこれまでの仕事の知識や経験も、ふとしたところで役に立ったりする。

楽しいことは良いことだ。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月28日

HELLO WORLD.

子どもが産まれた。
無事に産まれた。

産まれてくるのを見ていたら、人間も馬や牛と同じように出て来るんだなと思った。当たり前だけど、普通にお母さんのお尻から出て来る。頭から世界に出て来る。血や羊水にまみれて。
嗚呼、命。

命の誕生は神に感謝するものかと思っていたが。
もちろん、神にも感謝はするが、やはり産むのは人間なのだ。そして、産まれるのは人間だ。
妻と息子にこそ一番感謝の気持ちがある。

女の人は、まあ、本当にすごい。
しみじみ思った。
30過ぎて、母親の偉大さが骨身に染みた。
赤ちゃんも大きいが、胎盤というのも結構な量だ。
ドサっと血だらけの肉片である。

赤ちゃんも、まあ、立派なものだ。
産まれて少しして、もうおっぱいを飲んでいた。
産まれてきて、へその緒を切ってもらって、母親が産後の処置をしてもらってる間に、赤ちゃんも綺麗にふいてもらって、服を着せてもらって、少ししたら、もうちゃんとおっぱいを吸うのだ。おっぱいに顔を近付けてもらうとちゃんとおっぱいを吸って飲んでいる。

それにしても、痛みは壮絶だった。
うちは和痛分娩、麻酔で痛みを取る方法を採用したのだが、麻酔なんか本当に効いているのかと言わんばかりに妻は喚いていた。
息を吸って、吐いてと。頑張れしか言えない。
まあ、壮絶である。
破水が先だったし、陣痛促進剤も使ったからなのかもしれないけど、麻酔ありの和痛分娩でも本当に壮絶なものだ。

麻酔、本当に効いていたんだろうか。
効いていたとしたら、麻酔なしで産んだら本当に死ぬんじゃないだろうか。

ちなみに完全な無痛分娩は、母親は痛くないのだが、出産の時間がかかるので子供への負担は大きいというリスクと、母親も出血量が増えてしまうというリスクがあるそうな。
妻は痛そうで大変そうだったが、息子がとても元気そうだったので和痛分娩で良かったと思う。

もう世界に出て来たのだ。
一人の人間として。
我々の所有物ではなく、一人の人間として世界に降りたのだ。

誕生日おめでとう。
世界は良いところだろう。
楽しいことをしていこう。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 22:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

THE DAY is coming.

妻が破水して、子どもが産まれるということで、仕事を少し早く上がらせてもらって、長野県から奈良県へと車を飛ばした。ほとんどアクセル全開の時速120キロ前後だったので、警察に捕まったらどうしよう、でも、間に合わないともっと困るしな。それにしても、軽自動車だとこの速度で走り続けたら火を噴くんじゃないかと心配もしたが、まあ、さすがは日本の車だ。

軽自動車はうなりをあげて走ること4時間半。
子どもはまだ産まれないので、妻の実家でのんびり待っている。

男は、まあ、気楽なものだ。
仕事後に長距離移動して疲れた、と言っても、まあ、たかが知れている。
24時間運転しろと言われるとさすがにしんどそうなものだけど。
それでも、出産と比べれば、まあ、知れたものだろう。
何ヶ月もお腹が大きくて、つわりもあって、最後は激痛なのだから。
ちょっと男の人生の中だと大きな病気は別として、思い付かない苦行だ。

ーーー

子どもが産まれるって。
まあ、不思議なものだ。

特に僕ら男には、実に不思議なものだ。
女性には叱られるだろうが。
男って本当にノーダメージだ。
せいぜい里帰りの時期やツワリの時期に、自分で家事をしなくちゃいけないくらいのものだろう。

実の父親が分からないなどということも世の中ではあるそうな。
そのくらい男って本当に実に役立たずだ。

それでも、産まれてくる子どもは間違いなく自分の子どもなわけだ。
男の場合、本当にある日突然に特に苦労なく子どもがやってくる。

ーー金銭的な苦労は男がするじゃないか。
そういう人もいるかもしれないが、金銭的な苦労は女の人も一緒にすることになる。
ーーだれが稼いできてると思っているんだ。
今の時代、男より稼げる女はいくらでもいる。

新たな命を神に感謝するとか言うけれど。
妻に感謝だろう。

無事に産まれてくると良い。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月18日

成功哲学と住宅と。

31歳の転職。
20代の頃と違って、手取り足取り仕事を教えてもらえない。
未経験歓迎とは言っても、最低限の社会人的能力は備えているだろう、ということもあるし、周囲も良い年こいたおっさんにアレコレ言いにくい。
教えてもらいたいことは自分で考えて教えてくださいと頼む、そりゃ社会人の常識ではある。
それでもさすがに職種が全く違う。
また厄介なのが自転車みたいにカタログもない。
正直何が何だかわけが分からない。
教えてもらえるうちが花とは言うが、まあ、正にその通りである。

それでも、今の会社に移ってきたのは正解だったと思う。
この会社、経営者が他にもいくつか会社をやっている中にコンサルティング事業がある。
それで、社内で成功哲学のような教育をしてくれる。

人生を成功したいか。
正直、僕はそういうのってあんまり思わない。
でも、まあ、それは僕の言葉の中でのことだろう。

最近の僕はお金を稼ぎたくなった。
成功哲学の影響もあるのだろうが。

お金がなくて出来ないことっていうのが悲しくなったのだ。
僕は自転車屋さんの仕事ってとても好きだった。
でも、残念ながら会社の経営、財務がこけてしまった。真相は定かではないが、特別損失が膨らんでしまったとか何とか。真相究明する気も起きなかったし、意味も感じられなかったので、真相は謎のままだ。もしかすると、本当は会社は特に経営にこけてなどいなかったのかもしれない。
それでも、僕の給料はもうほとんど上がらないという状況だったのは間違いない。

まったくね。
どうして、歳を取るとお金をたくさん稼がなくちゃいけなくなるんだろう。
どうして歳を取ると、年相応の経済力なんてものが必要になるんだろう。
いや、本当はそんなことないのかもしれないのに、僕が勝手に思い込んだことかもしれない。

でも、妻が妊娠して働けなくなって、もうすぐ子どもだって産まれてくる。当然、赤ちゃんは働けない。
僕が稼いでくるしかないのだ。

遠い将来の老後の貯蓄までの話はしなくたって、赤ちゃんが安心して大人になるのに必要なお金、もしかするとそんなのって案外なければないなりに子どもは大人になるのかもしれないけどね。

とにかく僕はお金を稼いでみようと思ったわけだ。
貧乏を我慢するっていうのは半分僕の趣味でもあるけど、僕一人じゃなくて妻と子どもにまでそういうことをさせるのは僕の趣味ではない。

ーーー

成功哲学の良いところは、ただ漠然とお金が欲しいっていうことから変わったことだろう。

成功哲学ではとにかく成功するためのイメージを持って、それに向けての階段をイメージして、自分の足元まで伸ばして登っていくってものだ。
単純にそれだけのことだ。世の中に流布している成功哲学の大半がそれだけのことだ。

でも、それを本気でやるってのは難しい。

遠い将来のビジョン。
例えば子どもが大人になって手を離れたら、妻と二人でサンチャゴデコンポステーラを歩きたい。アラスカのデナリ国立公園に行ってみたい。
子どもが手を離れる前に家族で行ってみたって良い。
また自転車を持って海外を走りに出掛けたい。
それはこれまでの突撃隊長的なやり方じゃなくて。
妻と二人で楽しくしたいのだ。

100マイルが走れるようになったらUTMBにも出てみたい。

自転車でブルベだってやりたい。

もちろん、子どもが困ることなく、医者になりたいと言って一生懸命勉強したら、医学部に行かせてやれるだけのお金を作っておきたい。

そういうのを成功哲学では成功者って言うのかもしれない。

でも、別に僕の場合、それは成功でも失敗でもなく、人生のうちにやっておきたいいくつかのことっていうだけだ。
やっておきたいことだから、やれる方法を考える。

成功哲学は、ただ漠然とお金が欲しい。もう貧乏は嫌だ。っていう気持ちと夢とをお金でつないでくれる考え方なのかな、という気もする。

ーーー

まあ、少々くたびれるのは事実だけど。

でも、住宅の勉強は楽しい。
久々に三平方の定理を使ってみたりして。
数学が生まれて初めて実用的に僕の生活の中で役に立っている。
嬉しい。
まあ、大した数学は使わないんだけど。どちらかと言えば算数か。
でも、何だか嬉しい。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月07日

転職して一週間ほど。

新しい仕事にボチボチ慣れていってみている。
と言っても、はっきり言って、何の仕事もしていない。
詳しいことは分からないが、まずは会社の雰囲気に慣れてね、ということみたいだ。
優しい会社で助かっている。

ーーどうしてこの会社に来たの?

ということを何回か会社のいろんな人に聞かれた。
はっきり言ってお金のためだ。

別にこれは恥ずかしいことじゃないと僕は思っている。
家族が出来て、家族で幸せに暮らすためにきちんとした収入が欲しい。

まあ、一番は自転車屋で稼げれば一番良かった。
ただ、自転車屋で店長職をしているのと、
住宅業界で未経験一年目で給料は同じなのだ。
それでいて年間休日は20日以上違う。
まあ、残業なんかは増えるのだが。

住宅業界で三年もいれば自転車屋で店長職をしているより1.5倍は収入は良くなってしまう。

さすがに1.5倍違うと随分暮らし向きも変わる。

ーーー

人生はお金ではないとは思う。
仕事のやりがい云々というのも、どうかなという気はする。

生きているだけで幸せ、これも一つの真理ではある。

どうしてお金がそんなに必要か。
孤独にならないようにお金が欲しいんじゃないだろうか。
お金がなかったり、貧乏だったりすると、社会の目が厳しい、ような気がしてしまう。

すごく良い車とは言わずとも、一家に一台は普通車は欲しい。
性能的な問題というよりは、世間の目なんだろう。

世間の目を気にせず生きられるようになれば、それは強い。

別にお金がなくたって、家族で近くの公園にサンドイッチを持って出かければ幸せだろう。
異国へ家族旅行など行かなくたって幸せに生きていける。
実際、自分もそうだった。
家族でお出掛けなんてほとんどしなかった。
日曜はだいたい野球だった。
そんなもんで良いのだ。
良い車に乗って、遠くに出かける必要などない。

でも、家族が増えるに際して、お金がないのが不安に感じられる。
それは僕の心が貧しいからなのかもしれない。

ーーー

自転車屋を辞めてから、めっきり自転車に乗ってない。
寂しいことだが。
まあ、仕方ないことでもあるのだろう。

冬が来るから、乗るなら今のうちだろう。
でも、何となく乗る気が起きない。

周りに自転車の仲間はいない。
ついこの前まで毎日自転車に触れて生きていけたのに。

ーーー

そうは言っても新しい仕事も楽しい。
全く新しい業種だから勉強することも多い。
新しいことをしていく。

人間、何をするかって三つだ。
できることをする。
したいことをする。
しないといけないことをする。

できることをする、日々をルーチンワークにはめていく。
それが一番楽ではある。
でも、人生、長いのだ。
昨日まで上手くいっていたことが上手くいかなくなることだってある。
できることだけやっていると、上手く行かなくなった時にニッチもサッチも行かなくなる。

しないといけないことをする。
これは必要なことだ。
でも、しないといけないことってモチベーションはなかなか上がらない。
モチベーションの低いことは効率も悪い。

したいことをして生きていけるようにしないといけない。
しないといけないことをしたいことに寄せて行くって大事だ。

ーーー

困ったら人と話そう。本を読もう。勉強しよう。
そして、どうしてもダメなら自転車でも乗ってみよう。

それで人生たいてい上手くいく。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月01日

茅野。いいところ。

茅野での新しい暮らしが始まっている。
今日は新しいお仕事初日だった。
最初の2時間は緊張していたが、みなさん良い人で割と早くなじめた。
長野の人は穏やかで良い。

とりあえず、今日は特に何の仕事もせず。
パソコンの設定したりなんやかんや。
とりあえず、みなさんの名前と顔を覚えられて良かった。

ーーー

山小屋と自転車屋こそしてきたものの、普通の会社って初めてだ。
通勤手当だとか有給だとか、ゴールデンウィークに盆、正月。まさに夢のようだ。

自転車屋を辞めたことについて悲しいところも多かったが、新しく住む茅野という町は実に素晴らしい。
給料、休日ももちろん大事ではあるが、それだけじゃ人間つらい。住環境、遊ぶ環境ってすごく大事だ。

少しふらふらっと出掛けると標高1000メートルになってしまう。
先日は妻と森の中の珈琲屋さんに出掛けた。
本当に森の中に珈琲屋さんがあるのだ。

夏場ならその気になれば、そのまま八ヶ岳にも登れてしまう。登山口まで車で30分も掛からない。自転車だと小一時間か。
八ヶ岳という山はこれまで北アルプスと比較するまでもないと思っていたが、眺めていて非常に美しい。
北アルプスのスケールの大きさというのも素晴らしいのだが、いかんせん、奥深い、町から遠い。
それに対して八ヶ岳は近い。
そして形が良い。
茅野はまさに八ヶ岳の裾野にある。

そして、茅野の良いところは隣の原村に雰囲気の良いカフェが多いということもある。
実際にはカフェなどそんなにしょっちゅう行くものではないが、良いカフェがある町って、良いカフェが好きな住人がいるということでもある。
とても文化的なのだ。
東京の富裕層の住みそうな別荘地も多い。

八ヶ岳山麓。
なるほど、スローライフを求めて移住者が来る町である。
まあ、僕はスローライフとかはあまり求めてなかったんだけど。
山小屋で何シーズンか過ごせばスローライフもお腹いっぱいになるのだ。
でも、スローライフ、嫌いじゃない。
スローライフまでは求めていなかったが、長野県に住みたいと考えたのは事実だ。

山麓ということで言えば、前は榛名山の山麓だったが、山麓のスケールが違う。
八ヶ岳山麓とは実に広い。
逆を言えば平地がほとんどないのだが。
なだらかな坂でずっと諏訪湖の盆地へと下っていく。
このなだらかな坂というのが実に長い。
スケールが大きい。
それでいて、盆地の箱庭感。

でも地元の人は、狭くて閉塞感があると言う。
まあ、それも納得はする。
生まれてから死ぬまでこの盆地の中で住むとなると確かに閉塞感のようなものを感じるのかもしれない。

ーーー

31歳にして思うのが、転々と生きることが出来るというのは楽しい。
どこでも生きていけるということ。

ほとんどの人が故郷の町や仕事の都合で生きる町を決める。
実際は僕も仕事の都合で住む町が決まる。
さすがに住む町を決めて、そこで都合良く仕事が決まるってことはなかなかない。
それでも、ある程度はあっちに住みたい、こっちに住みたいと移っていく。

転々としていると地の人が生きているのを見る。
一口に日本と言っても案外いろんなことが違う。
もちろん、ベースは同じだ。
前に書いた良いカフェがあるかどうかという話もそうだし、群馬県の場合は良い車に乗っている人が多かった。外車に乗っている人が多い。日本車にしてもちょっと良い車っていうのが多い。なぜかは分からなかったけど。
一括りにその地域の人の特性を決めたりするのは良くないが、人間、集団で生きる生物だから、やはりその土地の傾向っていうのはあるのだろう。

また面白いのが海外になると、さっぱり違うようで、今度は逆に同じ人間なんだなーと感じるところの方が増える。
アフリカも南米も行く前って随分怖い。
特に僕らは黒人って怖いって感じる。
これが行ってみると、全くもって普通の人々だ。
お酒と煙草があればそれだけで仲良くなれる。
アフリカでもタバコは体に悪いという思想が浸透しつつあるが、やっぱりタバコをスパーっと吸っていると、ミスター、1本ちょうだい、と話になる。

ーーー

そういえば、タバコの話といえば。
今度こそタバコをやめるかもしれない。
別に子供のためじゃない。一応、少しは子供のためでもあるけど。どちらかと言えば、仕事のためだ。今の時代、やっぱり営業職はタバコを吸わない方がイメージが良い。
と言いつつ、自転車屋の店長してる頃は裏の公園でスパスパ吸っていたのだが。

子供の発育にタバコは悪いと世間では言う。
ただ、僕はそうは思わない。
僕らが子供の頃って、家の中でタバコを吸うお父さんってたくさんいた。
じゃあ、僕らの友達で、そういうタバコを吸うお父さんがいたせいで大人になっても呼吸器系がおかしい人っているだろうか。
ちょっと聞いたことがない。

むしろ、100歳近いじいさんが美味そうにタバコを吸っているってのは見かける。
まあ、最近は減っただろうけど。

そういえば、シンセイ、ワカバ、ゴールデンバットがなくなってしまった。
安いタバコを美味そうに吸う老人って、素晴らしく平和だったのに。

煙草は文化だ。

でも、今度ばかりは煙草をやめるかもしれない。
金のために。
まあ、タバコ吸ってても稼げるなら、やめることはないだろうけど。
30代は稼げる父親を目指すのだ。

でも、茅野は空気が乾いていて、煙草が実に美味しい。

ーーー

人生がドンドンと進んでいく。
気付くともうすぐ40歳。

何か凄いことが出来ないだろうか。
いまだにそんなことを考えたりもする。どこの高校生だい、って話だけど。でも、割と僕は今でも何かすごいことをやってみたいと思っている。
別に偉くなくても大したことじゃなくてもいいので、何かすごいことを。

子供が生まれるから保身に走っている気もするけど。
そりゃ、子ども、家族は大事だ。
それは当たり前であり、当たり前のことは当たり前にやらないといけない。
その上で何かすごいこと。

とりあえずは、100マイル走れるようになると楽しいだろうなと思うのだ。
ランニングで、ね。

本当は今年のうちに100キロを目指していたけど、まだ難しそうかな。
50キロくらいはもう走れるだろうか。

まあ、無理はせずに。
のんびり100マイルを目指そう。
コースもなにも考えちゃいないけど。

まずは仕事か。
当たり前のことを当たり前に。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月28日

茅野に移った。

長野県茅野市に引っ越した。
引っ越して改めて群馬って都会だったのか、と思う。
そういえば、山小屋の勤務を終えて群馬に住み始めた頃も群馬って都会だなと思ったっけ。

でも、故郷倉敷の方が群馬の高崎よりも人口が多い。まあ、やたらと広いからというのもあるが。

最寄りのスーパーは車じゃないとちょっと遠い。
茅野のスーパーにはイナゴが普通に売っていて驚いた。
魚はやっぱり多くはない。
道はとにかく少なくて狭くてクネクネしている。
通勤時間帯だけはすごく混む。
市役所は人口が少ないからか、待ち時間も少なく、親身に丁寧に教えてくれた。
特に助かるのは子育て周りのことを保健所の人がとても丁寧に教えてくれるし、困ったらいつでも連絡下さい、とのこと。
牛丼屋なんかでも見てると、接客効率が悪そうに思った。

高崎は都会だった。人々は早かった。
東京はもっと都会で人はすこぶる早く動いていた。

物理的な動きではなく、脳みそが休まる暇がないような早さ。

それはそれで良いことなのかもしれないが。
長野の少しゆとりのある感じの方が個人的には好みだ。

群馬も良かったけど、群馬は何だかスキがなくて。
あるいは僕も店長職、管理職として気負いすぎているところもあったのかもしれない。

群馬と東京を並べるのも無理はあるかもしれないが、関東平野はやっぱり早くてスキがない。

そんな風に思っていたら、いざ、仕事が始まると長野だって大して変わらないのかもしれないけれど。

でも、やはり長野は山小屋の思い出がある。
山小屋も死ぬほどキツかった。でも、やっぱり精神的にスローでゆとりみたいなものがあった。
隙間。

夜にランニングに出たら星が綺麗だった。
茅野の田舎道は歩道が狭かったり、無かったり、デコボコだったりして、車が来るとはねられそうで怖くて、裏道はクネクネ曲がって分かりにくくて。
まだ11月に入ってないのに寒くて。
でも、星がとてつもなく綺麗。
昼に走れば八ヶ岳も綺麗なんだろう。

長野県が終の住処になると良いなと思う。
いろんなところに住むのも楽しいんだけど。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 22:27| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月24日

さようなら群馬。

群馬最終日。
荷物を引っ越し屋に渡して、Sさんご夫婦に挨拶に出掛けた。
あまりにもちょくちょく、しかも突然に押しかけるので迷惑かなとも思ったが、僕はSさん夫婦の所に遊びに行って話を聞くのが好きなのだ。
Sさん夫婦は浮世離れしていて、そして正しいことを言う。
もちろん、世の中に絶対的な正しさなどないのだが、少なくともSさん夫婦の話というのは僕にはとても正しいことのように感じる。

生きるとはイージーじゃないけれど、ただ食事のために生きては寂しい。
それでも、日々生きていくためにはやはり先立つものはお金であり、仕事に忙殺され、良い音楽を聴くだったり、自転車を楽しむだったり、本に触れるということから離れてしまいがちになる。
もちろん、それは悪いことじゃないし、僕も次第にそうなっていくだろう。

Sさんも昔は一流企業の一流サラリーマンだったので、仕事に忙殺されていたことだろう。
ただ、今は老後に入り、数年に一度異国を自転車で旅して暮らす。
家は素晴らしい木材を使った家だ。しかし、豪邸というわけではない。シンプルに二人が老後を暮らすために不足なく、なおかつ余分なのがなく。
クラシックかジャズが流れている。
Sさんの昔のことは詳しくは知らない。
それでも、Sさんはただの元一流サラリーマンでもなく、ただの遊び人でもない。
だから、それは単なる小洒落た作り物のカフェで過ごすような時間とも違う。
何がすごいかと説明するのも難しい。
ただ、Sさん宅でSさん夫婦と会話をして過ごす時間というのは僕にとって本当に素晴らしい時間だった。人生の真理とまでいうと大げさな話になるかもしれないが、人生のゴールとは何か、何を求めて人は生きるのかというと、ああいう時間を過ごせる老後に辿り着くっていうのは一つあるんじゃないだろうか。

仙人ハウスとでも言うべき時間が流れる。

と言っても、話す内容は別段大したことでもなく、毎回同じような話なのだが。

ーーー

話の流れでS夫人に僕が大学をやめた理由を話したところ、つまり僕は狭い教室の中でたくさんの人が前を向いて密集している空間っていうのがどうしても気持ち悪くて駄目だった、ある意味、精神の弱い登校拒否的な理由で大学を去ることになったのだということを話したところ。
ーーあら、わたしは福田くんは旅なんかもドンドンして、今回の転職にしても、バイタリティを持って自由な思想でドンドン強く進むようなタフな人だから、大学を辞めたのも色々考えた上なのかと思っていた。
と言われた。

Sさん夫婦の時代は頭の良い人、向上心ある人が学生運動したり、大学を中退するというのは少なからずいたので、僕もそういう、言うなれば『良き中退』の人と思っていたようだ。

残念ながら僕の時代は、賢くて頭が良くてバイタリティがある人がポジティブな理由で大学を中退することって少ない。
まあ、稀にそういう人もいなくはないが。
それでも、僕の時代は、大学が無意味で腐ってると思う人も、一応は学歴だけは卒業のところまではする。

辞めるのは、僕のように残念な人だけだ。

ーーー

でも、S夫人が僕のことをそんな風に立派な賢い人と思っていたのは、面白かった。

僕の中では僕は僕だ。
二十歳の頃から変わらず。
でも、当たり前だが、外から見ると二十歳の僕と今の僕じゃ随分違うんだろう。
今の僕は自分の好きなことを通して自転車屋のプロショップの店長までした。そして、次の人生のハードルのために新しい仕事を探してトライする。
結構バイタリティに溢れた、タフで健全な人間というふうにも見えるのだろう。

これは大発見だった。
言われてみると確かにそういう風にも見えるのかもしれないと。

でも、まあ、実際には僕は僕で。二十歳くらいのころ、人生の悩みを憂鬱に考え、大学に行けなくて辞めざるをえなくて、やけっぱちに日本を飛び出した僕と。今の僕。僕の中では同じ僕だ。まあ、確かにいろいろ変わってはいるけど、本質は同じだ。

でも、Sさん夫人が僕のことをバイタリティあふれる人間だと思ってくれていたのはとても嬉しいことだし。

これを機に根暗は辞めてバイタリティあふれて、人生を進んでいく人間になってしまっても良い気もする。

まあ、現実は僕はとてもネガティブで後ろ向きに後ずさる人間ではある。
とてつもない速さで後ろに進むもんだから、逆にバイタリティあふれるのかもしれない。
自分では怖いと感じることから後ずさって後ろに進んでいるつもりでも、傍から見れば後ろ向きも前向きもなく、積極的に人生を動かしているように見える。
まあ、実際、全力で走ってはいる。

前向きだろうが後ろ向きだろうが、自分のために自分で考えて全力で何事かをし続けているって大事だ。

まあ、せっかくだから、これからは後ろ向きじゃなくて、ポジティブな感じで全力で生きていく方向にしていこうかな。

ーーー

自転車屋をやめると、あまり自転車を乗らなくなってしまうかもしれない。
段々と仕事ばかりになってしまうのかもしれない。

なので、また小説を頑張ってみようかなと最近思っている。
もちろん、仕事は大事だ。
父親だから稼がないといけない。
仕事が一番。

でも、父親としての人生も、夫しての人生も大事だが、自分の人生もやはり大事だ。
そりゃ、欲張りな話ではあろうが。
それでも、子供には子供の人生があり、妻には妻の。僕には僕の。
妻と子供を大事にしないといけないけれど、自分も大事だ。そして、自分の人生のためのことは自分がしないといけない。誰かがしてくれるわけじゃない。もちろん、助けはあるにせよ。

だからこそ、小説をまた一笑懸命やっていったほうが良いんじゃないかと思う。仕事と家族優先だけど。

ーーで、福田くんはどんな小説が書きたいの?
S夫人にそう言われて、答えに窮した。
書きたいものが分かっていれば、書いている。
そう、別に実際に書くという作業自体はさほど難しくない。
何を書きたいかが分かるってのが一番大事で、難しい。

まあ、のんびり行こうじゃないか。
とはいえ、ぼんやりのんびりしてるとあっという間に随分歳が過ぎてしまうので怖いが。

さて、なんの話書くかな。
短編くらいからリハビリしてみるか。

ーーー

新しい土地にもSさん夫婦のように、人生に光を導いてくれる人と出会えると良い。
そう、都合良く良い人と出会うのは難しいにせよ。
でも、多分、だれかそういう人が現れてくれる気はする。
何だかんだ、これまでは毎回そういう人が現れてくれた。
きっとそういう人に出会えるだろう。まずは信じるって大事だ。信じること、望まないことは訪れないから。

さようなら群馬。
群馬の二年間も実にてんこ盛りで楽しかった。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:07| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月20日

イメージとパッションで人生を。

人生はイメージとパッションだ。
想像力と情熱。
イメージを持って、パッションで進んでいく。
困った時には、毎回、そのフレーズで切り抜ける。

正直、見知らぬ土地で、未経験の仕事で。
初めての子ども。
正直なところ、一歩間違えると不安でウツになっちゃいそうだ。

でも、簡単なことなのだ。
家族で楽しいことをしよう。
子どもと妻で、どこか旅行に出掛けよう。
何か遊ぼう。
そうなると時間とお金はある程度必要になると思うのだ。

じゃあ、お金を稼ごう。
休みもある程度ある会社で。
休みとお金が高い仕事ってきっと難しいだろう。
しかも、それが未経験の業種で見知らぬ土地で。

でも、それさえ出来てしまえば、子どもと妻と三人でどこか綺麗な山に登ってみたり、遊園地や動物園に行けたり。
少年野球の応援に行ったりキャッチボールをしたり。
いろんな楽しいことが出来る。

そして、新しく難しい仕事にトライする。
それはきっととても楽しいことだ。
厳しくて大変かもしれない。
でも、そういうことが出来るようになれば、多分気持ちが良いはずだ。

難しいことを高いレベルでやっていけるように勉強も必要だろう。
そのためには日々コツコツでも勉強をする習慣を身に着けよう。
ランニングとあわせて、なにか自分のために勉強をコツコツ継続出来るよう。

そういう日々はきっと素敵だ。

そういうイメージに向かって情熱を持って生きていけば良い。
そうすれば、楽しく過ぎていくはずだ。
いろんなことが色彩を帯びて駆け抜けて行ってくれるはずだ。

怖いのは怖いけどね。
そりゃそうだ。
引っ越しはウキウキもするけど、心配も多い。
新しい暮らし、仕事、新しく加わる家族。

アフリカ、南米に自転車旅しに行ったときの飛行機。
日本を離陸する瞬間、着陸する異国の土地が見えた瞬間。
正直、思うのは、
ーーああ、やっちゃった。今回はヤバイかもしれない。怖い。
である。
ウキウキもするけど、怖いのほうがはるかに大きい。
特にアフリカは、飛行機から見ると冗談抜きでサバンナ。テレビで見るアレだ。その中を細く道が伸びていて、掘っ立て小屋みたいな家の集まった集落が時々ある。
自転車でそこを走っていくと思うと、
ーーああ、やばいな。今回はやばいかもしれないな。
が正直な気持ちである。

でも、それを走りきれたら素敵だな、とも思うわけだ。
逆に怖いからこそ、そんな大地を走りきれたら、僕ってすごいんじゃないか、って。
怖いからこそ、ウキウキもするわけだ。

まあ、全部リセットして帰国できる飛行機が待機してたら、帰国してしまうかもしれないけど。

冗談抜きで本当に怖かった。
そして、本当に楽しかった。

スリルを楽しんでいるとうわけじゃないのだ。
怖いものは怖いし、可能なら怖いものなど避けて生きていきたいと思う。
でも、その向こうに素晴らしい世界が待っているなら。
いや、世界は平等か。
そのトンネルをくぐり抜けた向こうに素敵な自分が待っているとしたら。
ウキウキして自転車をこぎはじめようじゃないか。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 01:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月19日

知は力なり、なのか。

気付けば、宅建士の試験が明後日になった。

正直、工務店では宅建士は使わないので少しモチベーションは下がってしまっているのだが、受験料も払ったので取得するつもりでいる。
受検を申し込んだときには、まだ次の仕事が決まっていなかったので、とにかく資格を取るため動いたものの、工務店になったわけだ。

ーーー

さて、宅建士、受かるのか。
もちろん、独学である。
自転車屋と山小屋しかしたことがないので、不動産業などさっぱり分からない、さっぱり未経験だ。

勉強期間は約3ヶ月。

自信のほどは半々だ。
こういうときは落ちるのが相場のようにも思うが、何となく受かる気はしている。

実際、勉強していて、まあまあ解けるようにはなったけれど、やはり難しい問題はつまずくし、引っかけ問題にも簡単に引っかかってしまう。

特に暗記が苦手なので暗記が必要な問題はよく間違える。

それでも、何回も間違えていると段々と覚えてくるものだ。

まあ、合格するだろうとは思うけれど、合格しない可能性もそれなりにある。
それなりに自信はあるけれど、落ちるかもしれないなっていうのが本音だ。

やっぱり途中から、
「工務店じゃ使わないからなー」
などとモチベーションが落ちてしまって、勉強時間が減ったのが痛い。

ーーー

大学までの勉強がはじめて人生の役に立ちそうだな、と思う。

直接的に学んだ数学などが役立つわけじゃないが。
試験勉強は実に死ぬほどやった。
試験勉強なんか試験以外で人生の役に立つことはない、って思いながらもやった。

現実には、人生では学校以外でも、大人になっても資格試験とかってあるし、そういうのって人生の役に立つのだ。

ーーー

これまでの人生で大学までの勉強が役に立ったことって正直なかった。
僕は学生時代は数学が出来たのだが。
数学が出来たおかげで人生役に立ったことってない。

数学が出来ると、人から、
「頭が良いんですね」
など、お世辞もあろうが、ほめてはもらえる。

ただ、数学を使ったことって本当にない。

数学に限らず様々な学問がそうだろう。
それにしても、数学が役に立つことって、本当になかなかない。

統計学なんか使って集客の分析なんかかけてみたところで、これ、統計学を知らない社長さんの会社では重宝してもらえない。
現場では統計学よりも肌感覚である。
実際、それで良いと思う。
アレコレ、MBAのマーケティングだとかの知識をこねたって、現場ではいかに人の心を掴むかが全てだ。

たぶん自転車を作ろうって話になると、微積や流体力学なんかが役に立つのだろうが、組み立てる、修理するのにはそんなこと全く必要ない。

ーーー

勉強など無意味なのだろうか。

どうだろう。
分からない。

以前は、
ーーいや、勉強、学問は大事だ。学ぶって大事だ!
と思っていた。
でも、どうなんだろう、って最近思うのだ。

今も学ぶってことは好きだ。
最近はユヴァル・ノバのサピエンス全史なんて読んで(オーディオブックだから聞いているが正確)人類史みたいなことを勉強してみているけど。勉強ってほどでもないけど。

勉強ってのはあくまで好きでやるものなのかな、と僕は思うわけだ。

ーーー

宅建士の勉強だって、必要だからやるっていうのも事実だけど。
半分好きで勉強してるところもある。
別に宅建士がなくたって、ファイナンシャルプランナーがなくたって仕事って出来る。
もちろん、持ってないと出来ない仕事も存在はするし、ある程度必要だから勉強するという側面は間違いない。
でも、別に生きていく上でどうしても宅建士の資格を持ってないと働けない、明日死ぬってことはない。

勉強すると、単純に豊かになる。
何事もそうだろう。例えば宅建士じゃなくて法律なんかだと分かりやすいかもしれない。
別に仕事に使わなくたって、ぼくらの生きる世界を司っている法律を知っていれば、知っているよりは豊かに生きれるんじゃないだろうか。
別に裁判に勝つため、証書を作成するためではなく。
どういう法律が僕らの世界にあって、僕らの行動を制限したり、守ったりしてくれているのか。
そういうのを知って生きているって豊かなことのように僕は思うわけだ。

ーーー

フランシスベーコンは、知は力なり、と言ったけど。

力として使うことも出来ることもあろうが、知は豊かなり、じゃないだろうかと最近の僕は思う。

かと言って知がないから豊かじゃないとは思わない。
昔、塗装屋さんで働いていた頃、それこそ勉強とは無縁の人と一緒に働いていた時、学問や知ってのは生きる幸福とは直接的には関係ないんだな、って僕は思った。
その人たちは魅力的だった。
生きること自体を純粋に生きているような感じがした。

それこそアフリカでは純粋にただ生きるって素晴らしいって思ったものだ。

自分で知は豊かなりとか言ったのに、別に知は力でも豊かでもなく、単純に趣味なんじゃないかな、とか思ったりする。
好きな人は好きでやれば、って。

ーーー

そうは言っても、知は力なり、っていう言葉って強い。

実際、今の日本の社会をはじめとする多くの社会では知があって学歴や資格があると収入が高くて、安定した暮らしを過ごしやすい傾向にある。

でも、同時に意外と高収入の人でも、学歴がなかったり、勉強は好きじゃないって人もいる。
特に資格の勉強や学校の勉強についてはそうだろう。
ただ、その仕事、お金に直結することについては調べたり、体験的に修得しているんだろうけど。
世にいう実学とかいうことになるんだろうか。

ーーー

知は力なりが強いのは、世界がそれを望んでいるからだ。
別に望んでいるのは、神様でもないし、地球や自然でもないし、宇宙人でもない。
かと言って人間でもない。
国家だったり、あるいはもっと大きな集団が望んでいるのだ。

ーー学問、文化が発展すれば人類はより良くなる。
そういう幻想に基づいているわけだ。
幻想というと失礼ではあるが。

これ、誰が言い出したというわけでなかろう。

実際、学問、文化が発展して人類はより良くなっただろうか。
案外、そうでもない気がする。

たとえば、石油からプラスチックが作れるようになって便利になったような気はする。
でも、別にプラスチックがなければ、ないなりに人間は生きていただろう。
むしろ、プラスチックゴミの問題も出てる。
さらに言えば、石油も限りがある。プラスチックって開発されて使ってしまうと便利で、プラスチックなしの暮らしって想像すら出来ない。なんせアフリカでもみんなに広く愛用されている。
安い、軽い、木材みたいに腐らない。
確かに便利ではある。
それゆえに今からプラスチックのない世界に戻るのって難しい。
プラスチックを捨てずに生きていこうと思うと、プラスチックゴミの問題や、石油資源の問題都向き合わないといけなくなる。
多分、それをクリアしたら、それゆえに生まれた問題に向き合わなくちゃいけなくなる。

これに対して、そもそもプラスチックが発明されていなかったらどうか。
案外、幸せだったんじゃないだろうか。

プラスチックだとパッとしない、分かりにくいというなら、物理学の集大成ともいうべき原子力のことを考えると分かりやすいかもしれない。
確かに便利だ。莫大なエネルギーを作れる。
ただ、遥かに厄介だ。

アインシュタインが悪いわけじゃないけれど、原子力エネルギーは見つからない方が人類は平和で幸せだったんじゃなかろうか。
アインシュタインが見つけなくても、きっとドイツの学者が発見していただろう。
その人が発見しなくたって、だれかがいずれ発見していたかもしれない。

原子力はいずれ発見、開発される流れに人類は進んでいたんだろう。
もちろん、アインシュタインすごいし、偉いのだけど。

ーーー

何が言いたいかって難しい話だけど。

知は力なりってのを最近の僕は疑ってるってことだ。
もっと正確に言えば、知は力なりという今の世界の根本的な常識を疑ってるわけだ。

まあ、そうは言っても子供が産まれるし、子どもはこの世界を生きていくんだから、この世界の常識に合うように、この世界からはみ出されて悲しかったり苦労したりしないで欲しいので、これはこれとしてやっていくのだが。

ーーー

なんかどんどんと話はそれていくけど。

とりあえず、宅建士の試験頑張ろ。
明日は前日なのに一日遊びに出掛けるんだけど。

まあ、大学受験の時もそうだった。
受かる人間は直前まで勉強しなくたって受かるのだ。前日ギリギリまで勉強しないとどうにもならない人って、そもそも間に合っていないのだ。
まあ、滑り込みセーフとか、最後まで諦めないとか、言いようは色々あるけど。

ーーー

自転車屋をやめて時間や気持ちに余裕が出来ているからか、最近はそういうどうでもいいようなことを、若い頃のようなことを考えることが多い。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 03:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月26日

箱庭、茅野。

来月から茅野という土地に住むことになったので、妻君とアパートを探しに出掛けた。妻君の腹はもう随分と大きくなっていて、留守番しているのが良いかとも思ったが、妻君としては見知らぬ土地、本当に全く一度も行ったことのない土地なのだから住む前に一度は自分の目で見て家を決めたいということで、二人で出掛ける。

茅野という土地は長野県にある。
長野県という土地は山ばかりである。
ボコボコと山ばかりある中に少しへこんだような形で盆地がある。長野の人は平、タイラと呼ぶらしい。
盆地は大きく分けて三つで長野市のある平、松本市、伊那市のある松本平、そして諏訪市、岡谷市、茅野市のある諏訪平といった具合だ。
さて、その諏訪平に住むことになるのだが、諏訪平は三つの盆地の中では比較的小さい。その上、諏訪湖という大きな湖がある。
湖とは景色は良いけれど、車が当然通れない。湖の反対に行くにはぐるりと湖沿いに行くことになる。人が住む平らな土地は少なく、湖周りの交通の便は良くない。
しかしながら、この諏訪平というのはミニマルで箱庭といった様相があり、非常に文学的な雰囲気のある土地である。
箱庭的美しさというのは、長野県の三つの平にいずれもあるが、諏訪平は一番狭いからか非常に箱庭感がある。
その中でも茅野とは八ヶ岳に向かって少しずつ登っていく土地であり、坂の美しさがある。少し行くと、気付けば坂を登っているので、箱庭的美しさのある諏訪平、そして美しい八ヶ岳を見られる。
そのまま映画を撮りたいと思わせるような土地である。

群馬から一つ目の山、軽井沢を越えて佐久に行き、そこから二つ目の山、八ヶ岳を越えて諏訪平に着く。
この二つ目の山を越えるには高速道路がない。随分遠回りをしないと高速ではいけないし、当然、平らな土地で行ける道はない。非常に不便である。しかしながら、途中で白樺湖がある。
白樺湖はさほど大きな湖でもない。
今の時期は紅葉もしていない。
しかし、標高が1400mほどあり、周囲の山の形も美しい。
長野の山は同じ県内でも場所によって随分と形が違う。険しい北アルプスに対して、八ヶ岳は緩やかで優しいカーブがある。八ヶ岳より東の群馬側になると妙義山で有名なギザギザの形の山になる。
こうも分かりやすく山の形、雰囲気が変わるというのも珍しい。

妻君と二人、何軒か見て回ったが、想像以上に賃貸の相場が高い。
このくらいの町の規模なら、普通もう少し安いように思うのだが、全くもって安くない。
群馬の市街地と同じくらいか、ちょっと高いかくらいだろうか。
群馬も大都会ではないが、仮にも関東平野である。東京までのアクセスも決して悪くないので、新幹線通勤で東京の本社に通う人も住んでいる。そう、新幹線が通っているのだ。新潟、長野、金沢につながる主要高速道路、新幹線とがある。企業もスバルなどの大メーカーもある。単純に人口だけ見ても諏訪平の岡谷市、諏訪市、茅野市を合計しても高崎の方が倍くらいはある。まあ、高崎も広いので都会じゃない土地もあるのだが。
そう考えるとなぜ茅野の賃貸がこんな値段するのだろうと思うのだが、なぜか高い。

高い、高いと文句を言っていても仕方ないので、何軒か比較して相場を掴んでいく。

それにしても、この土地は面白い。
狭い箱庭的な土地なので、少し場所が変わるだけで随分と環境が変わる。まず標高が変わる。特に茅野は東側は八ヶ岳に向かってゆるやかに登っていくので、直線距離で数キロ離れるだけで気温が1〜2度くらい変わってしまう。気温だけじゃなくて空気の感じも違う。眺めも違う。
西の岡谷、諏訪方面の方が諏訪平の中心なのでそっちの方が平らで家や店も多い。

狭い平なので道は細く曲がりくねっている。
その上、電車の線路もあるし、川も流れているので、行きたい方に道がつながってくれない。くねくねと曲がってしまう。
狭い平も全てが真っ平らなわけでもなく、小さな丘みたいになっている場所もある。
また長野県というのは道路を作るのに予算を出さないのか、主要国道も狭い。
言うなれば町全体がどこか古い。

これ、悪い意味じゃない。
狭い平に大きな湖、細くて曲がりくねった道、鉄道と川、そして八ヶ岳に向かって緩やかに登る地形。
映画撮るならここじゃないか、と思わせるような箱庭感がある。

残念ながら古い町並みなどはあまり保存されているわけでもないらしい。
でも、僕としては逆にそこが好きでもある。
僕の故郷は倉敷、町並み景観が保存された観光地である。そういう町も良いけれど、どこか気取ってる。
最近の倉敷はもう分からないけど。
何だか観光客も昔より増えてしまって、大きなショッピングモールが駅の反対に出来てしまって。町並みを保存しているエリアもハリボテみたいになってしまっていた。
町並み保存地域から少しのところにマンションが建ち並んでもいる。
たまに帰省する度に思うのだが、故郷はどんどんと気品を失ってしまう。
それは過去の記憶が美化されてしまっているせいかもしれない。
それでも、僕らが学校をサボって麻雀をしていた神社も謎の観光客が増えた。神社に観光ってなんだそりゃって気はする。
そこの神社は高校生が学校をサボったり、御百度参りするおばちゃんがいたり。そういう地方の町の普通の神社であるべきだと思うのだが。
まあ、散歩するにはとても良いところなので観光コースになっても不思議ではないのだが。
それにしても、どうも気品を失っていくように僕には感じられる。
そんなこと言うのは年寄りになっていっている証拠なのかもしれないが。
それでも、昔の思い出の町云々だけじゃなく、やはり気品に欠ける気がする。
まあ、元々気品などない観光客にこびた観光地、そんなもんだったのかもしれないけど。

そう考えると、僕は変に町並み保存した観光地よりも、自然と残っている古くさい、少しうらぶれたような町の方が好きなのだ。
それこそ、狭い平の箱庭みたいな町の、さびれた景色など素敵だと感じるわけだ。

諏訪湖のわきの安い民宿に泊まって、妻君と新しく生まれてくる子どもと暮らす家も決まった。
子どもとしては茅野ってどうなんだろう。

長野出身の知人の話を聞くと、
「山に囲まれて閉じ込められているみたいで嫌だった。大人になったら東京に出たいと思った」
という話が多いけど。
僕と妻君にはとても素敵な土地のように映るのだが。

そりゃ、茅野の極寒の冬をまだ体験していないからだろうか。
注意しないと水道管が凍結して破裂するらしい。

「僕らが小学校の頃は校庭にプールの水をまいて、それが凍った上でスケートの授業なんかしたんですよ。最近は暖かくなったから出来なくなったみたいですけど」
そんなこと、日本国内でありえるのか、などと驚きつつ。

大人になって選んで行くには良い土地だろうと僕と妻君は思うのだが。
住む土地を選べずに生まれてくる子どもにとっては、寒くてつらいかもしれないが。

妻君と二人での旅行はこれで最後になってしまった。
これからはしばらく家族三人での旅行になるのだろう。もちろん、喜ばしいことだけど。
若い時代が過ぎ去って行く。
人生が急に加速して過ぎ去って行く。

最近の僕はランニングで走るようにしている。
そんなにストイックなわけでもない。
むしろ、客観的に見ればイージーな部類だろう。週に2日ほど五キロずつ走る。月に8日走れば一応四十キロだ。まあ、サボることもあるんだけど。

自転車でどこか遠くに、たっぷり時間をかけて行くことは当面できない。
子どもが生まれると一日中かけて、ゆっくりロングライドするのも難しくなるだろう。

それでも、僕は走るべきだろう。
理由なんかないけど。
何でも良いから走るべきだろう。
そんなにハードじゃなくても良い。フルマラソンで何時間を目指すとかでもなくて良い。
汗をかいて、息を切らせて、一生懸命走るべきだろう。

自転車でも良いんだけど、自転車は時間がかかるので、当面難しそうだ。

一日に30分とかで良い。
毎日とかじゃなくても良い。
週に何日とか決めなくても良い。
体が走りたいと思った時、走りたいと心が感じた時、汗をかきたい、息を切らせて動きたい時。

理由などないけど、何かしらの形で僕は走り続けるべきだろうと思うのだ。

ま、そんかこんな。
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2019年09月22日

ふとJAL123便の事故についてインターネットで検索などしてみたりする。

ふとJAL123便の事故についてインターネットで検索などしてみたりする。

JAL123便が群馬に墜落したのは1985年。
僕が生まれる前のことだ。
そんなわけで僕の世代はこの事件のことを全く知らない。
政治家が悪いことしたんだか、アメリカが悪いことをしたんだか。
そもそもそんな陰謀などの存在すら知らず、飛行機が落ちていっぱい人が死んだ大惨事としか知らない。
JAL123便については、非常に不可解な点が多く、様々な推論が飛び交っているが、真実は謎のままだ。

日本政府って時々、結構な悪事を働く。

フクシマの原発についても安全を確保するために必要な事実を公表しない。
今でも日本国内の食品の安全性について国は必要な調査、対策をしているかといえば僕ら国民には真実は分からない。

最近だとドカンと消費税が上がるのに、オリンピックに合わせてキャッシュレスを進めるという建前で5%戻って来るよ、などと言っているが、甚だ色々胡散臭い。
悪事の予感しかしない。

ゲノム編集食品について表示義務なしでOKなどということにもなりつつある。

ーーー

JAL123便についての真相は謎のままだが、ある意味では平和な時代の悪意に満ちた事件だったのかもしれない。

というのも、フクシマについては原子力という人間の手に負えないものの暴走についての隠蔽である。

ゲノム編集食品についても、これは完全に人間の手に負えないものだ。

キャッシュレス決済についても、お金がなくなり、お金の概念のみで人々が信用をやりとりする時代の幕開け、これもある意味で人間の手に負えないものじゃないだろうか。

その点、JAL123便の事故は人為的な悪意の犯罪。言うなれば何かしらの利権をめぐる問題。人間の領域を越えていない問題だったんじゃなかろうか。ある意味では人間の領域の泥臭い悪事の証拠隠滅だったとも言えるんじゃないか。
まあ、真実が謎なので本当のところは分からないし、もしかすると、人間の領域を越えた問題だったので、こうして真実が表に出ないままなのかもしれない。

ーーー

JAL123便についての真相は謎ではあるが、概ね有力なのは日本が核兵器をコッソリ作って輸出していたのを隠蔽するためか、松下の作っていたOSトロン(WindowsとMacよりも優秀だったそうな)を妨害するためか、自衛隊か米軍がミサイルを撃って撃墜し、その後、自衛隊か米軍の特殊部隊によって証拠隠滅のため生き残った乗客を火炎放射器で皆殺しにしたといった説がある。

もちろん、それらは仮説、推測であり、真実は今なお謎ではあるが、事件から30年以上経った現在でも、当時のことについての情報を政府はもちろん、テレビ局なども公開しないし追求しようとしない。胡散臭いテレビ番組なんかでも絶対に触れない。

こういう個人のブログで諸説飛ぶ程度までなのだ。
そんなわけで、今僕の書いているものも特に信憑性はない。
それにしても、30年経ってもずっとそんな具合ってことは、まあ、何かあるのだろう。
ネス湖のネッシーでも真相究明されてるのに、そんな大事件の真相が究明できないってことはなかろう。究明しない理由があるか、公表しない理由があるのだろう。

核兵器の輸出云々については、そんな危険なものを積んでいたとしたら飛行機を撃墜などというリスキーな方法じゃなくもう少し別の方法で闇に葬る気はする。
松下の開発していたOSトロンについても、たしかにWindows、Macより優れたOSだったらしいが、わざわざ民間旅客機を派手に落として処分するだろうか。
ましてや、何百人もの乗客、中には著名人もいたのに、それを皆殺しにするとなると、一体どういった事情があったのか。
何か裏の目的があるにしたって、あまりに目に付くやり方だ。

民間機に対して外部からミサイルなりをぶつけて落とすなど、バレないわけがない。
救助が遅くなったのも誰の目にも明らかに不審にしか映らない。
ましてやほぼ全員死亡するなど明らかにおかしい。

JAL123便の事件とは実に謎に包まれた事件であり、テレビ局などのマスコミも絶対に触れないタブーだ。

ーーー

そんな事件なのでインターネットを掘り進めても真相には辿り着くわけもないので、深追いはしない。

まあ、どこの国も多かれ少なかれ悪いことはしている。

ーーー

それにしても、僕らの国、日本っていうのは悪事し放題の国だなとは改めて感じる。
消費税を10%にする、ゲノム編集食品解禁、かなり深刻な問題なのだが国民は何も出来ない。
デモ行進も起きない。
学生運動もない。

先日、親しくしているおじいさんに、
「最近の若い人が選挙に行かないのは問題だよ。選挙以外に民意を反映する方法がないのに、こんなに投票率が低いんじゃ、民意はほとんど反映されない」
と言われたが。

この辺り、僕らの世代っていうのは、もう国家に大して手を上げられないように徹底的に教育されてしまっていると言っても良かろう。
ちなみに僕自身、選挙にはいかない人間なのだが。

ストレートに言えば、金持ちが政治をしたって金持ちに有利な国にしかなるわけがないし、政治家になれば金持ちになるというシステムである以上、何をどうしたって金持ちのための国にしかならないじゃないか。
って話なのだ。

そう、ゆとり世代、さとり世代というやつである。
すぐに諦めてしまう。
国家や偉い人に弱い。
拳を上げて反抗できない。

そして、僕らの世代は一番元気な働き盛りの年齢にいまなっている。

ーーー

さて、このゆとり、さとり世代についてだが。
僕は、僕らの世代のことをコンドーム世代と呼びたいと考えている。ちなみに僕らはゆとり世代一年生くらいだ。高校の数学から複素平面がなくなった世代だ。余談だが複素平面をなくすなんて、文部省は頭がおかしいんじゃないかと思うのだが。

さて、コンドーム世代。

僕らの世代より若い人はセックスの時にコンドームを付ける人が多い。
僕らより少し上の世代の人はコンドームなしでセックスして、中絶なんかの話もあった。

まあ、まったく有意な統計データもない、僕の個人的な感覚の話ではあるのだが。
他人のセックスのことをそんなに嗅ぎ回っているわけでもないが、まあ、男として生きていると、他人のセックスの話を無駄にあれこれ聞く時期ってのはある。

単純にゆとり教育の一環として性教育について進歩したとも言えるが、それ以上に国民をより従順にする教育制度が成功したとも言えるんじゃなかろうか。

ゆとり世代、さとり世代、今は何世代なのかは分からないけれど、着実に僕らは諦める国民として教育され、反社会的なこと、国に疑問を抱くことはいかがわしいという風になってきているんじゃないだろうか。

フクシマ問題についてあれだけ国際的に批判されても相変わらず日本は原発を辞めようとしない。
国民も黙っている。

千葉県の停電についても、今のご時世に首都東京のすぐ隣の県でライフラインが断たれて何日も復旧しないなど、やはりおかしいことだらけである。
やっぱり国民は黙っている。

まあ、僕も黙っているんだけど。

ーーー

ところで東海地震、南海トラフ地震はどうなったのだろうか。
あと数年で来る、どうしようと騒がれていたのに。
台風一発で何日も復旧しないのに、太平洋側の広域に被害の発生する大地震が起きたら、これ、為すすべないんじゃなかろうか。

ーーー

アレコレ考えてみても、特に建設的な話はないのだが。

ま、そんなこんな。
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2019年09月20日

人間、なりたいものになる。

人間、なりたいものになる。
最近、思う。

自転車屋を退職するに際して切に思う。
自転車屋をやりたいなら、さっさと開業してしまうべきだったのだ、と。
そして、それは今からでも遅くはない。今すぐにでも開業に向けて何かを始めれば良い。
でも、つまるところ、僕は本当のところ自転車屋をしたいわけでもないのだろう。
本当にしたいならアレコレ理由を付けずにやってたのだろう。

自分の周りを見ても山岳ガイドをしながら、雑誌の記事を書く人もいるし、写真で食っている人、映像で食ってる人、文章で食っている人はいる。
彼らがなにか特別だったのかと言えば、存外そんなわけでもないと今更気付く。
それで食っていこうと決めて、それを仕事に出来る会社に入っただけのことだ。
あるいは独立したか。

ーーー

たしかに僕が自転車をやってきたのは稼ぐためではない。
単純に好きということと、小説の引き出しになりそうだと思ってのことだった。
だから、自転車で飯を食おうってのは元々なかった。
偶然、仕事になったので、仕事としてやるからには一生懸命やろうっていうことで一生懸命やってきたということなのだ。

小説に関しても飯が食いたいならライトノベルを勉強しただろう。
あるいは編集者や雑誌屋なんかの就職を探したろう。

改めて考えると、小説家になれなかったことも、自転車屋を開業できなかったことも納得してしまう。
小説家については一冊くらいは大手の出版社から出してもらえるような文を生きてる間に書きたいとは思っているけど。

ーーー

今度の転職は工務店の営業マンだが。
これは稼ぎたくてやる仕事だ。
なぜその仕事にしたのか。稼ぎたいのだ。
家を売るって一番稼げる仕事だと思う。
単純に単価が高い。

人生の三大支出は住宅、教育、老後資金と言われている。
この中で住宅というのはかなり異質で商品一つで三代支出の一つになりうる。
現実には賃貸に住む期間もあるし、固定資産税だの修繕費だのも含まれるが、家の購入費っていうのが大半だ。
あとの教育については学校は小中高大と分かれるし、老後資金もアレコレ分かれる。

衣食住と人間の必要なもので考えても、衣食は細々と買うが、家は一発でドカンと買う。

ものすごく単純な理屈だが、家が売れれば一番儲かる。
それゆえに販売も一番難しいとも言えるのだが。

それでも、医者などの特殊なスキルなしで、年収一千万が実現するのは家を売るか、株などのお金でお金を膨らませるかの二択である。

ーーー

なぜお金が欲しいのか。

今まではお金って必要なかった。
多分これからもそこまでたくさんのお金は必要ない。
何だかんだで日本でまじめに正社員してる限り餓死することはないし、子供を学校に行かせることもできる。

強いて言うなら、これまでしたことがなかったことだからやってみたいっていうのが大きい。

目標は家とスバルのフォレスターを買うこと。
そんなのそこまで大金持ちじゃなくても出来るのだろうが。
正直なところ、僕には他に思いつかない。
ブランド物の服が欲しいわけでもないし、豪邸が欲しいわけでもなく、レクサスが欲しいわけでもない。
マウンテンバイクが積める大きい車、家族でキャンプに行ける車があれば良い。

じゃあ、年収一千万円を目指して何にお金を使うのか。

正直、分からないんだけど、何か寄付でもしたいと思ってる。
世のためになるようなことってわけでもなく。
国立公園の整備とか。マウンテンバイクのトレイル整備のためとか。あるいは誰でも使える音楽室を作るとか。冒険家のために出資するとか。
僕の友人でユーラシアをオートバイで横断したいってやつがいるんだけど、そういうやつに200万くらいホイッてあげちゃうような感じか。
別にオートバイでユーラシア横断なんかやってる人はいくらでもいるんだろうけど、でも、何だか面白そうじゃない。
世間でいう立派なことに寄付したいわけじゃなくて、面白そうな人が面白そうなことをするのに寄付したいわけだ。

面白い遊びをする誰かが喜ぶような何かにお金を使って、面白い遊びをお裾分けしてもらいたいなんて思うのだ。

言うなれば昔の貴族みたいなものか。
パトロンになりたいわけだ。
センスある若者にお金を出して、面白いことを味わいたい。

まあ、そんなこと言ったって、まずは自分の家族の生活ありきで、よほど稼がないと難しいんだろうけど。

ーーー

まあ、要は別にお金の使い道は決まってはいないのだ。
単純にたくさんお金を稼ぐと面白そうだな、っていうだけのことだ。
もちろん、大前提として家族でキャンプに行きたいとか、家族が安らげる家が欲しいっていうのが第一で、その余ったお金でやる程度のことだから夢見たって仕方ないけど。

でも、やるからにはお金が余って困るかもしれないって心配をするくらいじゃないといけないと思うのだ。

子供の教育に注ぎ込むかっていうと、そういうのはあまり考えてない。
子供はかわいいけれど、人生って理不尽だ。
才能のあるやつが面白いことをする。
才能って天性のものだとは思わない。努力や運、きっかけ、なによりも人柄だろうと思う。
なので、息子がそういう才能溢れる人間でお金を出せば面白いことをしそうだなと思えば注ぎ込むかもしれないけど、才能がなければそれはそれで良いと思うし、それならお金は別の人が使った方が楽しいような気がする。

いざ育っていくと、自分の子供にじゃぶじゃぶ使ってるのかもしれないけど。
はたまた妻君がそういうことに使って、それを横で眺めているしか出来ないのかもしれないが。

まあ、なってみないと分からない。

でも、個人的には面白い人が集まる面白い場所なんか作るのに使いたいと思ってはいる。

もしかすると、自転車で南極点を目指すのかもしれないけど。

ーーー

人間、なりたいものになるのだ。
どういうものになりたいと思うか。
思いつけるか。
そして、それをどれだけ強く思えるか。

大人になるにつれて、いろんなことが出来るようになって、いろんなことが出来なくもなっていく。

何に使うんだか分からないけど、とりあえずたんまりお金を稼いでみたいと思ってる。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月12日

人生が目まぐるしく進んで、何を目標に生きていこうか。

人生が目まぐるしく進んでいく。

子どもが出来て、転職することになって。
車を買わなくちゃいけなくなった。
工務店で働くので、いずれ自分の家も建てようと思っている。

数年前、自転車でアフリカを走っていたのが実に遠い過去のようで、改めて考えればつい三年ほど前のことだ。
マラウィのことをよく考える。その国ではマラリア対策で蚊除けになるんじゃないかと、村で3ドルで半ば押し売りされたマリファナをぷかぷかとテントで吸って野宿していたのを思い出す。
あんまりマリファナの話なんかするのもどうかとは思うけど、別にマリファナ大好きってわけでもないし、日本で吸うことはない、要は潔白なのでこうして書くのだが。
(日本国内で高い金を払って、警察に捕まるリスクを押してまでマリファナをするのは馬鹿だけだ)
そこの国ではずっと下痢もしていたので、マリファナ茶みたいに下痢の治療にならないか、なんて思ってぷかぷかやっていたわけだ。

貧乏な国だったし、ある日突然全裸の黒人に殴られたりするし。僕も珍しくよくマリファナをやっていて。
どことなく幻想のような思い出のある国だ。
四国くらいの大きさの小さな国だったから、本の数週間の滞在だったし、特に観光すべきポイントもなかったけど、不思議と印象に残っている国だ。

首都について日本大使館に電話して、駐在のドクターに相談しようとしたら、しばらくドクター不在なんです、なんて言われたりして。
実に楽しい国だった。

笑えるレベルの苦労ってのは楽しい。
これが下痢なんかじゃなくて深刻な病気だと楽しくはないが。
まあ、下痢も深刻に困ったのだが。

マラウィのヘンテコな話といえば、これは現地で知ったことではなくニュースで読んだことだが、一部の地域で大人になる通過儀礼として12歳の少女がセックスしないといけないってのがあるそうな。
しかも、それでHIVが随分広がったりする。

まあ、ヘンテコな国なのだが、どこか愛すべき国。
もう一回行くかと聞かれると、行こうとはあまり思わないのだが。

ーーー

それにしても、そこから3年ほどで急に人生目まぐるしく進む。

急にいろんなことがきちんとして、身が重くなる。
妻と子のため生命保険にも入った。
もしもの時のために毎月1万円以上払うわけだ。
もしもの時って何なんだ、って話だが。

こんなにいっぱい税金やら社会保険やら年金やら払っているのに、もしものことがあった時のために別途で生命保険に入らないといけない国って、なんだそりゃ、って気はする。

マラウィに住もうとは思わないが、ある意味では日本も随分と変な国ではある。

ーーー

何はともあれ、僕は随分と変な国日本で妻と子どもを育てて行くことになったのだ。

日本も少しマリファナ解禁でもして、イージーに生きるっていう選択肢もアリにしても良いんじゃなかろうか。
でも、きっと日本でマリファナ解禁しても、日本人は上手く遊べないだろう。
まあ、マリファナを上手に遊べている国なんて少ないんだろうけど。
でも、別にビールやウイスキーと大して変わりないんだから、解禁してリラックスして生きていっても良いんじゃないかって気はする。

根底のところで日本は少し変な国なんじゃないかと僕は思っている。
何を基準にして、どういうところが変なのか。
そんなこと日本以外の国で生きたことがないからよく分からないけど。
何となく感覚的に日本ってヘンテコな国だなと僕は思っている。
忖度、出る杭打たれる。
正しいことが正しいってならないことが多い。

ブーブーと文句ばかり言っても仕方ないが。
貧乏な自転車屋を引退して、外の世界を見渡すことになると。
何だか、随分と変な世界に僕はいるような気がした。

ーーー
ーーー

そういえば、最近、憧れの人、人生の目標の人、尊敬している人はいますか?っていうことについて考えることがあった。

ふと考えると、最近、そういう人がいない。
もう少し若かった頃って、割とそういう人っていくらでもいた。
たとえば、村上春樹みたいになりたいとか。
でも、次第に有名人なんかに憧れなくもなったし、お金持ちにも憧れなくなった。
それは実現する可能性が低くなったからってわけでもない。
誰かに憧れるというよりは、自転車屋してて、そこそこお金も困らなくて、景色の良いところでコーヒーが飲めて、家族が健康で、僕は僕で自分の好きな自転車やランニングなんかをそれなりに楽しめれば、そういうのが良いかな、って。

まあ、向上心がなくなったのかもしれないし。
はたまた、それなりに自分が何が好きで、どんな感じで生きたいかってのが見えて来たのかもしれない。
何にせよ遠い夢を見なくなった。
どこか寂しくある。

こんな風に生きたいということで。
しいて言うなら自転車仲間のSさん夫婦の暮らしっていうのは確かに憧れではある。定年後、世界の至る所を旅するという生き方も素敵だし、家が素敵だし、生活も総じて素敵だ。奥様が芸術家だからというのもあるのか、家全体はもちろん、家具や絵、彫刻など、全てが非常に美しくまとまっている。

もちろん、Sさん夫婦にもアレコレ苦労はあろう。
別に大金持ちってわけでもないだろう。
人生で何か偉業を成し遂げで何か残したかということもないのかもしれないし、僕が知らないだけで実はすごく偉い人なのかもしれない。まあ、実のところは分からない。
でも、まあ、多分、普通の人だと思う。多分ね。もしかすると、偉い人かもしれないけど。

そう、別にこれがスゴいって説明もしにくいわけだ。

それでも、Sさん夫婦は生き方に芯みたいなものがあり、それが行動、暮らしや家、趣味、所有物などに一貫して滲み出ている。
統一感があるのだ。
下衆だったり嫌味な感じがない。
何だかんだで自転車や乗馬など、結構お金のかかる趣味も多いのだが、成金趣味的なところがなく、当然ながら貧乏くささもない。好きなのでやっているだけで、必要な分はお金をかけるが、無駄なお金はかけない。

中庸というべきものかと言えば、中庸とも違う。

じゃあ、一体僕はSさん夫婦の何に、どういうところに憧れているのか。

改めて考えると難しい。

ーーー
ーーー

随分と人生が変わる。
これから何を目指して生きて行こうか。
家族の健康はもちろん。
僕は一人の人間として何を目標に生きていこうか。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 00:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月07日

欲なんかかくから性善説も性悪説も。

人間は性善説ベースなのか性悪説ベースなのか、なんてことを最近考える。

チームって、基本的に同じ目標で動かないと強くない。
小学生の野球チームなんかにしても、みんなが勝つためにやっているチームと、親に習い事に行きなさいということで何となく野球をしているチームだと差は歴然となる。

あ、嘘だ。
中学校くらいまでの野球はピッチャーで決まる。ピッチャーが一人だけ良けりゃ大抵勝てる。特に小学生の野球となるとまずストライクを普通に投げられるピッチャーがいるかどうかだ。バッターが打てない球を投げるピッチャーじゃなくて、ストライクが入るかどうか。これがないと試合にならないんだけど、小学生くらいだとストライクに投げるって難しいのだ。
フォアボール=100パーセント出塁できる=打率10割だから、こういうことになってしまう。

小学生の野球で勝つための戦略は2ストライクまではオールバントだ。もちろん、見送りもする。とにかく走らせる。最初はほとんど見送って2ストライクからのヒッティングメインにして、バントしないと向こうが思った辺りから実際にバントも混ぜていく。
これ、ピッチャーはすごく疲れる。バントの処理ってピッチャーは物凄く疲れる。

ただ、そういうことをするとバッシングが来る。
勝ててもバッシングが来る。
そして、プレイヤーである子供たちもつまらない。

野球とはホームランを狙って盛り上がる遊びでもある。

でも、基本的には勝った方がスポーツは面白い。
だから、露骨になりすぎない範囲で、なおかつ子供たちが楽しめる範囲でセーフティバントとバスターの技術、ピッチャーを疲れさせる技術っていうのは教えておいた方が良い。

何よりも大事なのは、勝つためにやろう、っていう目的を統一することだ。

ーーー

勝つために試合はする。
当たり前のようだけど、意外とチーム全員で勝つためにやろう、って意識を統一するのは難しいのだ。
もちろん、みんな勝ちたいのは勝ちたいのだが、勝てるなら勝ちたいっていう程度の話なのだ。

少年野球の場合、土日に朝起きて一生懸命やって、親に誉められれば、それでとりあえずはOKだし、そこで友達が出来て、放課後にポケモンが出来ればサイコー。
つまり、勝ちたいのは勝ちたいけど、勝てなくても、まあ、どっちでも良いのだ。

高校野球くらいになると、割と監督も厳しかったり、先輩との上下関係も厳しかったりして、勝つために頑張ろうって話にはなるのだが。
可愛いマネージャーと良い関係になれるのと、試合で勝てるのと。
そりゃ、可愛いマネージャーとウキウキする方が優先だし。
怖い先輩に怒られない、監督に罰のランニングをさせられない。
そういう方が試合の勝ち負けより大事っていう高校球児の方がよほど多いのだ。
もちろん、タテマエとしては勝つためにやっているにせよ。

ーーー

じゃあ、どうやって高校球児、あるいは野球少年たちを勝つために統一していけるか。
勝ちの味を覚えさせるというのに尽きる。
勝てばモテる。勝てば親に誉められる。
世の中、勝てば官軍ってのは当たり前のことではあるのだが、実際には勝ち続けられる人間は少ないので、負けても他のことを頑張れば良いなんてことを人間覚えるようになる。

まあ、実際、野球が全てっていう人間は少なくて、野球で勝つよりも勉強を頑張りたかったり、まあ、アレコレあるのだ。
それでも、勝てば嬉しいっていう、勝ちの味を覚えさせれば、また勝ちたくなる。
これが出来ればチームは強くなる。

だから、強豪校はずっと強いのだ。
勝って当たり前、勝てばチヤホヤされることを知っている。
だから、勝ちに向かって統一されている。
だから、強い。

ーーー

これ、仕事でも同じで、売上を伸ばそうって統一するのは難しい。

儲けるために働く。

これ、非常に当たり前なのだが、全員が儲けるために働くって統一するのは非常に難しいのだ。

例えば、僕もそうだが、たくさん売っても給料が変わらない。休みも増えない。
こうなってしまうと、頑張れにくくなる。
頑張っても意味がないっていうのはツラい。
特に頑張っている人間ほどツラい。

でも、当然だが頑張らないと会社は傾くし、そうこうしていれば、自分の給料も怪しくなってくる。

だが、これまた不思議なことに頑張らなくても、大抵の企業はそう簡単には潰れないし、給料も明確な理由なく大幅に減ることもない。

そういう構造の儲かっていない中小企業の場合、
「儲けるために働く」
っていう考えで統一していくのは難しい。

ーーー

じゃあ、給料を上げればせっせと儲けるために働くかというと、これまたそうでもない。
給料が上がれば、そのことに対してありがとうございますと感謝こそすれど、その分、余計に一生懸命働くのは数ヶ月のことで、しばらくすればその給料が普通になってしまって、以前の通りと変わらない程度にしか働かなくなる。

ーーー

保険屋のおばさんから聞いたが、お金は遺産として残すのは良いが、死ぬ前に配ってはいけないという鉄則があるそうな。

死ぬ前に贈与してしまうと、もらう前ともらってしばらくは感謝して、せっせと恩も返すが、三年も経てば過ぎ去った過去である。
贈与してから三年以内に死ぬなら良いが、現実問題、そうもいかない。

これに対して、
「世話してくれてありがとう、遺産はお前に多く残してやるからな」
と約束すると、死ぬまではせっせと世話してくれる。

もちろん、みんながみんなそうではないにせよ、生前に贈与するよりは遺産として贈与した方が間違いないっていうのは鉄則らしい。

ーーー

こうして話が進んできて、やっと最初の話題、人間は性善説なんだから性悪説なんだかって話に辿り着く。

自分で言うのもなんだが、自分は割と真面目な人間なので、少年野球をするにしたって勝つために頑張ったし、ホームランで盛り上がるためにも頑張った。
仕事にしても、やるからには会社が儲かるように、なおかつお客さんが喜ぶ仕事を目指すのが当たり前と思って努力してきた。
遺産についてはまだ親が元気なので分からないが、故郷から遠く離れているので、この点は不義理をするかもしれない。

自分で言うのもなんだが、真面目だと思う。
何事もやるからには結果を目指して頑張る。みんなが幸福になるように自分が出来る最大限の努力をする。
それが当たり前だと思って生きてきた。

もちろん、サボることもあった。高校のバレーボール部は部室に昼寝とタバコを吸いに行ってただけだ。
勝つなど一ミリも考えなかった。
そのくせキャプテンなんかしてた。

ーーー

31歳にして分かったのだが。
会社が儲かるために努力しない人っていうのは存在するのだ。
働くからには儲かるように努力するのは決して当たり前のことではない。
それこそ、バレーボール部の部室にタバコを吸いに行っていた馬鹿がいるように。タバコじゃないにせよ、会社の利益を増やすため以外の目的で仕事に行く人っていうのは決して少なくない。

本当に何も考えず、朝になったら起きて、仕事に行って、職場で何かして、叱られないように過ごして、時間が来たら帰る。

なぜ儲けようというやる気が起きないのか。
単純に実家暮らしで、近所の人なんかの目を気にして正社員という世間体のためだけに仕事に行く人もいる。
実家暮らしなので食うに困らないというわけだ。
実家暮らしじゃなくても、近くに親がいて、何かあれば助けてくれるので、そんなにお金にシビアでもないという場合もある。
はたまた、公務員や大企業の場合、個人の頑張りは仕事全体にあまり反映されないので、頑張ってもサボっても組織はそれなりに儲かっているということもある。
はたまた、頑張っても評価されないどころか、厄介な仕事や責任ばかり増えてしまう仕事というのもある。

ーーー

これ、単純にやる気の問題なのだ。
性善説、性悪説、要は生まれつきの問題なのだ。

宅建の試験勉強なんかしていても思うが、やる気次第なのだ。
もちろん、やる気があっても落ちることもあるにせよ。やる気がある人の方が受かる可能性は間違いなく高い。

ーーー

問題は善か悪かって、どっちがどっちなんだという話だ。

会社で仕事をしていて、特に仕事に関しての話の場合、儲けるために頑張るやつが善である。
会社の目的は儲けることだ。
利益を出さない団体、非営利組織でさえ運営上必要な最低限の利益は必ず作らないといけない。
もちろん、利益を上げる営みを通して、それが社会貢献になるというのも大事ではあるが。
とにもかくにも利益が出ないことには会社ってのは進まない。
少なくとも人を毎日八時間拘束して仕事をさせるためには、その人の食い扶持を確保しないといけない。

ただ、少年野球のバントの話がまた出てくるのだが。
勝つために何でもしていいってわけでもない。

やはりホームランを狙うブンブン丸が必要なのだ。

それでも、やっぱり会社は利益を出さないといけないわけで、働く人間として同僚にも儲けるための努力、お客さんに喜んでもらう努力はして欲しい。
勝つためにチームとして頑張って欲しいと思うわけだ。
いかに給料が悪かろうと、休みがなかろうと、実家暮らしだろうと。
それが、真面目というものであり。
性善説でものを考えていたいのだ。

そんなわけで、転職を前にした僕は性善説、性悪説なんてことを考えた。

ーーー

目から鱗だったのは、次の転職先の社長の書いた本にあったことだ。

次の転職先も10人程度の小さなところだ。
ただ、社長は10個くらい会社を持っていて、ビジネス書なんかも何冊か出している。
内容としてはピンキリというのが正直なところだ。そりゃ、文章家ではない実業家だからね。本として面白く仕上がるかは出版社の企画、編集の腕が問われるところだ。

その本の中に中小企業の経営者向けのものがあるのだが。
その中で如何に従業員を育てるかというのが書かれている。

中小企業では特に人が少なく余剰の人材を雇う余裕がない。
だから、個々が頭を使って会社が儲かる方法を考え行動できるようにしないといけない。
いかにしてそういう人材を育てるか。

ただ、中にはそういう風に育たない人もいる。
そういう人をどう捉えるか。
そういう人も必要だと書いているのだ。

言い方は悪いが、向上心のないサラリーマン気質の人はそれはそれで会社にとって必要なのだ。
ただ、大事なのはそれを明確に本人に認識させることなのだ。

理想は会社が儲かるように考えて行動できる社員が育つということだ。
でも、出来ない人にそれを求めるのは酷だ。
それに、逆にそういう人は与えられた作業をあまり考えずに黙々とこなしてくれる。

だから、ある程度まで教育したところで、本人に選択させるのだそうだ。
儲かるように考えて動く社員になるか。向上心も必要だし、大変だし、成長すれば責任もついてくる。それでも、儲かった分はちゃんと払う。
それか、黙々とこなす社員になるか。そういう人材も会社にとって必要なのだ。ただ、儲かる方法を考えて動く社員より収入は落ちることになるが、向上心などは求めない。

どちらが良い悪いではなく、それは価値観次第なので本人の自由な意思で選ばせてやるべきだ。選んだからには責任を持って、その方向で頑張ってくれ、と。

もちろん、やる気が全くない人を雇うわけにはいかないので、最初の教育の段階で会社に合わない人には辞めてもらうのもアリだとしている。
厳しくすると社員が辞めてしまうかもしれないと臆してしまう会社も少なくないが、厳しくしたら辞めてしまう社員をなあなあで雇い続けると会社にとっても当人にとっても良いことにならない。特に40歳くらいまでなあなあで雇い続けて、若い有能な人もある程度育ったところで不必要になって解雇などは当人にとって地獄である。
どうしても合う合わないというのはあるので、合わない人には早い段階で辞めてもらって別の会社で活躍するチャンスにしてもらう方が良いだろう、と。

こういう風に徹底するのは本当に難しい。
人をクビにすることは難しいことだし、また雇用するのも大変なことだ。

可能な限りは仕事ができない奴も雇ってやりたいっていうのは経営者の心理だろう。ある日突然、仕事ができる人間に変わってくれないかと淡い期待を抱きつつ。
そして、いくらか無理をすれば何人かくらいならそういう人間を雇うくらいは出来てしまう。
でも、それがなあなあになってしまうと、気付くと出来ない人間の方が多くなって、真面目な人間が負担を背負いこんで無理をして馬鹿を見ることになる。

そういうことは誰でも分かることなのだが、人間、自分が当事者になるとじわじわと悪くなっていく物事っていうのには対処出来ないものなのだろう。

そこをズバズバっと徹底してやっていくっていうのは本当にすごい。

ーーー

まあ、自分の会社に都合の良い理屈とも取れるが、実際、中小企業で人材を育てていくってそういうことである。

僕が自転車屋さんをしていて、会社に対してよく思ったのは、正社員の数は減らしてバイトを雇って欲しいということだった。
正社員は少数精鋭で店長として動けるレベルの人だけ、あるいはそこまで成長する見込みのある人だけにして、あとはアルバイトにして欲しい。
そうしないと、モチベーションの低いスタッフの食い扶持を稼ぐために、自分の給料が伸びなくなってしまうのだ。
正社員が少ないと売上が伸びていくと人手不足になる可能性もあるが、やる気のない正社員はどちらにせよ一人にカウントできるほどの仕事が出来ない。

そりゃ、自転車っていうのが利益率の高い商品なら良い。
あるいはママチャリのように日用品として全国民に需要のある商品でも何とかなるだろう。
でも、ロードバイクとは利益率は低いし、その上、数がたくさん売れるものでもない。
自転車操業とはよく言ったものだ。

ロードバイクを売るというのは、いかに常連を育てるかだ。
ロードバイク愛好家である限り、馴染みのショップが一件は必要だ。
だから、きちんと常連として付いてくれると長く安定して購入し続けてくれる。
さらにその人の知り合いがロードバイクを始めるときに紹介してくれる。
ロードバイクを始めようと思った時に知り合いでロードバイクが詳しい人がいたら相談するだろう。その時に店を紹介してくれるかどうかっていうのはとても大事なのだ。

常連さんが常連さんでい続けてくれるっていうのはとても難しい。
ただ、安いだけだと別の店でもっと安いところが見付かったら、そこに移ってしまう。
常連だからと値引きばかりしていると意味がない。
ただ、たくさん知り合いを紹介してくれる人にはそれ相応のサービスもすべきだ。
用事がなくてもふらりと店に立ち寄りたい、あそこの店の人と用はなくとも世間話をしたい。
そういう関係性が出来れば良い。
世間話だけでは利益にならないので、これを嫌う店も少なくないが、趣味の仕事は紹介ありきだ。ぶらりと立ち寄ってくれるほどの信頼関係が出来ていて、なおかつきちんとお店とお客さんというマナーがお互いに出来ていれば、頻繁に店に顔を出してくれるお客さんはいずれ必ず良い常連さんになってくれる。
ただ喋るだけで何も買わないっていう変わった人もいるけれど、そういう人は少数だし、そういう人はお店とお客さんっていう最低限のマナーを作れていない。

要は一人の人間の人生を通しての趣味のパートナーになれるかどうか。
これがロードバイクを売るという商売の核心だ。

もちろん、そういう常連さんじゃなくて、ぶらっときて買って行って、それきりというお客さんも売上にはなる。
ただ、そういうお客さんを狙って増やしたり、安定して減らさないようにするのも難しい。
ぶらり客は運の要素が大きい。

もちろん、ぶらり客を逃さず売上を作れるかっていうのも大事ではある。
ぶらり客だって接客が悪いと、そのままぶらりと別の店に行ってそこで買ってしまう。
売り逃がしになる。

常連さんにせよぶらり客を逃さないようにするにせよ。
どちらもきちんとした接客や会話力が必要になる。

そういうビジネスなのに社員の数ばかり多くて、モチベーションの高い社員は少ない。

ーーー

今の仕事の愚痴にもなったが。
でも、僕は心底、自転車屋さんで平和き生きていたかったのだ。
別にそんなに高い収入もいらないし、休みも多くなくて良い。
ただ、家族が困らない程度のことは欲しかった。
だから、仕事も頑張ってきたし、数字も出してきた。

だから、同僚には求めるのだ。

ーーー

でも、それは僕の間違いだったのだ。

現実世界ではいろんな人がいる。
勝てれば嬉しいけれど、勝つために一丸になってやるチームっていうのは多くはない。
みんなそれぞれに価値観がある。

ーーー

次の職場は徹底して勝ちに行く職場だ。
まだ入ってもいないが、入社前に社内チャットなどに入れてもらって会話を読んでいるがすさまじい。

全員が一丸になって勝つためには宗教が必要だ。

強豪校の野球部だって、アレは半分は宗教だ。
まず選ばれた選手ということ。
そして、勝って当たり前ということ。
野球こそ人生ということ。
そういう思想のベースがあるから、凄まじい量の練習が出来る。
その中の競争に勝った精鋭がレギュラーとして試合に出る。
野球が上手いということこそ、試合に勝つために必要な選手であるということ、それこそが至上の目的であり、それに向かって一丸となる。
これ、宗教である。

はっきり言って高校野球ですごい選手だからって人生どうこうなるわけでもない。
結果論としては、そういう体育会系でもまれて、忍耐力のある人間はたしかにその後の人生も上手くいきやすいってのはあるにせよ。
甲子園に出たからって、プロ野球選手になれるわけでもないし、野球関連の仕事で食っていけるわけでもない。野球こそが人生っていう日々は遅かれ早かれやってくる。
でも、チームにいるあいだは野球こそ全て。
疑う余地がない。
信じる信じないではない。
言うなればその思想は神であり、信じないなどという選択肢があるわけもなく、意識して信じるようなことでもない。

基本的に勝つためのチームとは何かしらそういう宗教めいたものがある。

ーーー

正直なところ、一人でのんびりと自転車屋をしつつ。コーヒーでも出していたいのだが。近所の学生のママチャリのパンク修理なんかしたりね。馴染みの常連さんと走りに行ったりね。
細々と食うに困らない程度の収入で。
でも、平和で。
空を眺めて。
文でも書いて。

何とも無気力な本音だとは我ながら思うが。

ーーー

昔よく行ってたバーも随分変わってしまったらしい。
昔は大した金にもならない呑んだくれが集まってのんびりと音楽を聴いて下らない話をしていたのが、領収書を切って経費で飲んでくれる飲み会の客をターゲットにした居酒屋みたいになってるとか聞く。

僕はいっぱいお金を手に入れて、仕事の出来る男になって。
家でも立てて、良い車でも買うんだろうか。

静かに文章を書いて、旅をして。
そんな暮らしはやってこないんだろうか。

まあ、とりあえずは子どもが元気に育ってくれれば良い。
それでも、子どもが大人になったとき、そんな父親どう思うんだろう。

静かに生きていたいなら、静かに生きていりゃ良いのに。
アレコレと欲ばっかり出すからいけないのだ。

そう、勝つために一丸になれる会社は少ないし。
自分の求めることのために全力を尽くして生きれる人は少ないってことなのだろう。
アレコレといらない欲だったり、仕方ないといって言い訳を作ってみたり。

アレコレ言っても仕方ないので、まずは次の仕事を全力で頑張って、お金をたんまり稼いでみようじゃないか。
アレコレ言っても仕方がないのだ。
仕方ないって言い訳作って生きていくんだ。

まあ、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年09月02日

安い給料で働き続けてはいけないという話。

安い給料で働き続けてはいけないという話をしようと思う。
同時に給料が安くてもやりたい仕事は一度はしてみるべきだという話も。

ーーー

転職して年収が上がった。
そんなCMが世の中にはたくさんある。
ーーそんなに都合良く行くわけないだろ。
と前までの僕は思っていたのだが。
現実には転職をして年収が上がるということはさほど珍しいことではないらしい。
ちなみに今回の僕は年収は変わらず。
とは言っても店長=社長の次に偉いポストから、未経験の新人になるのに年収は同じで休日は30日近く増える。

ーーー

安い給料の会社で働き続けてはいけない。

これにはいくつか理由がある。

まず周囲の人だ。

安い給料の会社は、同僚も給料が安い。
給料が安いと向上心とかって低くなりやすい。

今の会社は正に典型的だ。
仕事ができる人、向上心のある人たちはみんな辞めていってしまって、残ったのは給料は安くても問題ない、今のままでも別に良い、そういう人たちばかりが残ってしまった。
なので、仕事について積極的に何か自分からしようという人はいない。仕事の指示をしても、「それは私の仕事じゃありません」「私はこれをしたので、それはしません」ということを平気で言ってしまう。
会社が潰れず、叱られるような責任を出来るだけ背負わず、とりあえず出勤して何か仕事しているような雰囲気で1日を過ごして日々を生きる。売り上げを伸ばして、仕事を評価してもらって、給料を上げてもらいたいとかっていうのはない。
とにかく無難に叱られないように生きる。

ーーー

ここで重要なのは、その人たち、仕事に向上心のない人たちに罪はないということだ。
夏目漱石の「こころ」ではKは向上心のないものは馬鹿だ、と言っているが、向上心を持たずに生きるのも、人生の選択の一つだ。

人間、失敗はしたくない。
ヒルクライムレースに出るにしても、レースの前から予防線を張る。練習が出来ていないから今回はダメだ、体調が悪い、様々な理由で失敗しても仕方ないと予防線を張る。
予防線を張っておけば失敗してもダメージは少ない。場合によっては失敗にすらならない。
別にタイムはどっちでも良いんです。
そう言っておけば、遅くても失敗にはならないし、完走しなくても別に失敗にはならない。

逆に何分を目指す、今年は練習を頑張っているなどと言うと、タイムが届かないと失敗になってしまう。

人間はなぜ失敗したときの心配をしてしまうか。
答えは成功することだけを考えていると失敗した時のダメージが大きいからだ。

向上心を持つとは、チャレンジすることであり、失敗がつきまとうことだ。

トップアスリートはとにかくメンタルが強い。成功イメージを絶えず持って練習する。勝つために練習する。
失敗に負けないハートがあり、向上心を途切れさせず挑戦し続ける。
だから、僕ら凡人はどんな競技であれトップアスリートを尊敬するのだ。

ーーー

人間、みんなトップアスリートであれ、っていうのは無理があるし、酷だ。

向上心を持たず、責任のある仕事を避けて、向上心なく無難に、ただ出社して就業時間を何か仕事らしいことをして時間を潰して毎日を過ごして月給を手に入れる。
食うために生きる。

これはある種の防衛本能だし、ある意味で無欲であり、実際問題として、こういう人たちが存在しないと世の中はケンカや戦争だらけになってしまう。

今回のテーマとは矛盾するが、安い給料で働き続ける人もいるから世界は成り立っているのも事実である。

ーーー

向上心のない人たちに囲まれて生きる。
向上心なく生きることが特に問題ないという人は安い給料で働き続けるのも良い。
ただ、そういうのが耐えられないという人は、給料はそれなりに良い会社に入るべきだ。

給料の安い会社は人材に対して安く使える人間を求める。高い賃金を払わないといけない優秀な人間は求めない。そこそこの安い賃金でそこそこの仕事をしてくれる人間。
そういう会社にいる限り、会社はあなたに期待はしていない。
優秀すぎる人間になって欲しくないとさえ思っている。

安い給料でも文句なく働く、あまり能力のない、他に応用の効かない人間であって欲しいと考えている。

そういう会社には長くいるべきではないと僕は思っている。

ーーー

従業員の方に向上心のある人間とない人間がいるように、会社も向上心のない会社がある。

個人と違って会社については基本的には売り上げ、利益を大きくしたいとはどこの会社も考えている。
ただ、違うのは何かを良くしていくこと、工夫することで成長したいと思っているかどうかだろう。

向上心のある会社は、社員の平均年収を上げて、優良企業になりたいと思っている。

平均年収が250万円のスタッフの店と400万円のスタッフの店なら、当たり前だが平均年収400万円のお店の方がきちんとした接客を期待出来るだろう。給料の安いアルバイトスタッフにきちんとした接客を期待しても無理がある。
しっかりした良い店を持つか、アルバイトばかりの店を持つか。
付く客層も変わる。

年収の低いスタッフは良い店で買い物が出来ないので、良い接客というのを知らない。
年収が低いと心もすさむ。
貧乏=必ずすさむわけではないが。
やはり、生活カツカツの余裕が全くない暮らしっていうのは、仕事の勉強のための本を買おうとかっていうことにはならない。

向上心ある会社は良い店を持ちたいと考える。
もちろん、安いお店も需要はあるので持ちたいが、高級店も構えておきたい。可能な限り自分たちのサービスの引き出しを多く持っておきたい。引き出しがある状態で意図的に事業として成績の伸びない方を縮小することはあれど、可能な限り質の高いサービスを提供して、業界内でのアドバンテージを作りたいと考える。
質の高いサービスをして良いビジネスを広げていきたいと考える。

向上心のない会社は逆で、失敗したときに痛みが少ないようにとにかく経費削減する。
特に人件費を削る。
あるいはサービスを削ろうとする。
そのくせ原価などを抑える努力や、本当に削るべき無駄な経費の削減っていうのは少なかったりする。

原価を抑える努力というと、販売戦略と予想を立てられる知識と経験などが必要になる。

極端な話だが、小売っていうのはその年の販売量が完全に予測出来れば必ず儲かる。
売り上げが少なくても、完璧に予測出来れば、ギリギリに必要な量だけ仕入れれば良い。
仕入れが少なければ掛け率が悪くなるし、掛け率を良くするためにまとめて多く仕入れすぎると在庫処分をしないといけなくなる。
必要な人件費も分かる。
予測の売り上げに必要なだけの人材を雇えば良い。

売り上げが少なくても、売り上げが完璧に予測出来れば、売れた分の粗利の利益は確実に儲かる。
大量仕入れをして原価を下げても不良在庫を抱えてしまっては意味がない。不良在庫=現金化出来ないもの=粗大ゴミだ。実際はゴミじゃなくてセール商材として使えないこともないのだが。

ーーー

一口に言えば向上心のある会社とない会社の違いは、投資するものが違う。
人材育成っていうのは時間もかかるし、失敗するリスクもある。
人間、合う合わないがある。
仕事に合う合わない。環境に合う合わない。
入社面接時は全員、頑張りますと言って入るけれど、いざ入ると頑張りたくなくなってしまう人っている。

大企業なんかは典型的だが、人材を採用しても全員が成長するとは期待していない。たくさん採った内の何人かが優秀な人材に育ってくれることを期待して採用するし教育していく。

中小企業はそれが難しい。
無駄な人材は採れない。
そこで向上心が分かれてしまう。
少々ダメな人間で良いので、安く使える人材を求めるようになってしまう会社が出てきてしまう。
これが当たり前になると負のループに入る。

ーーー

ただ、一個人と同じで会社にしても向上心のない会社が悪いわけではない。
向上心ある会社、向上心を求められる会社はしんどいという人も多い。
売り上げはそこそこで良いから、何とか細々食いつないでいきたいという会社もあるから世の中は上手くまわっていく。

ーーー

安い給料で働いてはいけない理由の一つに休日がある。

安い給料の会社っていうのは、社員に出すものを出さない。
「給料は安いけど、福利厚生が良くて休日は多い」
っていう会社も存在はする。
でも、給料をたたく会社って基本的に社員を大事にしないので、やっぱり休日も少なくて、福利厚生も良くないっていう場合の方が多い。

給料の多い少ないは金銭的な価値観もあるけれど、休日の多い少ないについては多い方が良い。
人間、体力、気力には限界がある。長時間働き続けても、仕事の質が落ちる。
休日が充実していないと何のために頑張って働いてるんだか分からなくなる。
仮に休日返上で仕事がしたければ、休日に仕事の勉強をしたって良いわけだ。

仕事の質と、仕事を頑張りたいと思えるモチベーションのために休日は多い会社の方が良い。

家庭を犠牲にして仕事をしたって、結果として後悔が残る。

ーーー

もちろん、給料と休日の良い仕事は求められるものは高い。
それが嫌っていう人はいる。

テーマとは矛盾するけれど、安い給料の会社で働くっていう選択肢も決してナシではない。

ーーー

少し脱線はするけれど、ホームレスってのも生き方としてはアリなのだ。
春先や秋の季節の良い時期に大阪の西成区のホームレスタウンに行ってみてワンカップを飲むと分かる。
西成には一泊千円のドヤという簡易宿があるのだが、そこで一泊して、昼からワンカップを道端に座り込んで飲んで、空を見上げてみると、これが実に気持ち良いのだ。

時間とお金が許すなら、自転車持ってアフリカのタンザニアなんかに行って、自転車で走った後、小さな村の売店で冷えてないビールを買って飲んでみても良い。
タバコを吸おうとすると人が寄ってきて、自分が吸うよりもたくさん吸われてしまう。
彼らには仕事がない。
ビールは何だかんだでアフリカでも百円くらいはする。
彼らの日当は三百円とか、あるいはゼロ円だったりもするのだが、ぼんやりと木陰で黄昏ているわけだが。
彼らと通じない言語でやりとりしてぼんやりとビールを飲むと、これは実に美味い。
可能ならビールではなく、ビニール袋に入った五十円しないくらいのジンを飲む方が良い。あまり美味くはないが、すぐ酔える。コーラを一緒に買って混ぜて飲んでも良い。僕はお酒は強いのをストレートやロックで飲むのが好きなので、袋のまま喉に流し込んでいたが、このスタイルは現地の酒飲みと同じなので親近感を持ってもらえる。
彼らはこれをよく飲む。安く酔えるのだ。ちなみにアル中が増えるので社会問題にもなっているらしい。

仕事をせずに昼から飲む酒は美味い。
仕事後のよく冷えたビールが美味いなんて言う人がいるが。
酒は仕事などせずに、昼間から路上に座り込んで飲むのが一番美味い。

ーーー

働きたくない、怠惰でいたいというのも人間の正直な欲求の一つなのだ。

なので、給料も休日などの待遇もいらないから、出来るだけ楽な仕事をしたい、食べる分だけもらえればそれで良い。
これもまた正しいと僕は思っている。

昨今の自己啓発本はそういうのを断固として否定するが、ホームレスの暮らしにもメリットはある。
止むを得ずホームレスをせざるを得ない人も中にはいるが、日本の場合、選ばなければ仕事はあるし、国としてはホームレスは減らしたいので安く住める公営住宅などもある。
それでも、ホームレスをする人がいるのは、ホームレスは気楽なのだ。

持たない暮らしとは気楽で気持ち良いのだ。

いつでも、全てを手放して、自分の行きたい場所に行ける暮らし。
何かを維持するために毎月多くのお金を払い続けなくても良い暮らし。
今生きていることだけを考えれば済む暮らし。

ーーー

持たない暮らし、持つ暮らしでいうと、僕は本当は持たない暮らしの方が好きだ。

でも、転職すると年収も上がるし、転職後は取らないといけない資格も増える。覚えないといけない仕事もてんこ盛りだろう。
まず車を買わないといけない。仕事で車を使わないといけない。

一人で生きるなら買うとしても軽トラかバンだったろう。
でも、今度は子どもも生まれる。
子どもを連れて家族で西日本まで帰省しないといけなくもなるので、クルーズコントロールの付いた普通車を買おうと思っている。

家を建てる会社なので、タイミングが合えば家も建ててしまおうかと考えている。
家族のためにも良いし、自分が実際に商品を購入するっていうのは一番の勉強にもなる。

そうやって、持たない暮らしから離れていく。

持たない暮らしが好きな僕には分かるけど、持たない暮らしっていうのも逆にくたびれてしまうところもある。

まあ、何よりも子どもが多数決の世の中で少数派で生きていかないといけないっていうのはかわいそうだと思うわけだ。
かと言って金持ちの家庭に育ててやりたいわけでもないが。
子どものためにも家族でいろんなところに行っていろんな遊びをしたいし、妻のためでもあるし、僕自身のためにも。
家族みんなでいろいろ遊んでみたい。

そう考えると、持たない暮らしから離れるのは寂しい気もするけど、お酒に溺れる夜には別れを告げて、収入の良い、休日の多い仕事に転職して、仕事をバリバリやって。
それが僕の次の生き方なんだろう。

ーーー

安い給料で働き続けてはいけない。
そんなタイトル、テーマにしてはみたものの、実のところ、安い給料の仕事をしてみるのだって良い。その気になれば、転機さえ来れば、そういう仕事から離れるタイミングも来る。年齢的に難しくなることもありえるけど。まあ、その辺りは運だろう。

若い頃の自分に言いたいことは、自分には決してマトモな仕事は無いなんて思い込んではいけないということだ。
安い給料の仕事でも、好きなこと、誇りを持てる仕事っていうのはとても素晴らしいことだ。
ある意味ではそういう仕事に就職するのって難しい。
多分、安い仕事から高い仕事に転職するより、逆の方が難しい。
特に家族を持ったりすればなおさらだ。

自転車屋での仕事って、して良かったと本当に思う。
これから先、ふと何かのきっかけですこぶるお金持ちになる日が来たとしても、若い時代を自転車の旅と自転車屋、山小屋で過ごせたことについてはずっと感謝し続けるだろうと思う。

でも、安い給料で働き続けてはいけない。

正確に言えば、安い給料で働きたくないと感じる日が人生突然やって来たりする。
その時にはスパッと動けないといけない。

でも、別にそういう日が来なければのんびりと生き続けるのも、それはそれで良いのだけど。

でも、のんびり生きるなら自分で会社を作るべきだろう。
誰かの会社で安い給料で働き続けていていると、段々と周囲の人間が仕事の出来ない人、仕事にやる気のない人ばかりになってしまう可能性がある。

そうは言っても自営業すると、なかなかのんびりとやってはいけないのだろうが。

まあ、人生、一度は良い給料の会社に入ってみといた方が良いんだろう。
その上でホームレスライフを選ぶのもそれは自由だけど。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月17日

宅建の模試を受けてみる。

宅建士の勉強を進める。
次の仕事で実際に使うか微妙なのだが、勉強し始めたからには取る。

七月に勉強を始めて、スマホでぽちぽちと練習問題を解いたり、帰宅したら参考書を眺めたりと勉強を進めて来て、やっと一通り読むのが終わった。まだ読めてないところもいくらかあるが。

この段階でとりあえず模試を買って解いてみることに。

50問中29点であっさり不合格。合格ラインは35点前後だそうな。
まあ、現段階としては悪くない。

試験勉強はとにかく答え合わせが大事だ。
まずは一通り網羅して、あとは試験を解いて出来ていないところを把握して、一度間違えた問題に類似する問題については二度と間違えないようにする。

特に模試はプロが作っている。
ヤマが当たらないところもいくらかはあるが、模試を作るプロはヤマ張りのプロだ。その中から実際に出題される問題はある程度ある。
つまり、模試で満点が取れるように理解出来れば、本番の試験もそれなりに取れるのだ。
とにかく模試の問題をきちんと理解する。

そんなの最低限のことじゃないかと言えばその通りだが、四択問題の試験について言えば、最低限の知識があればある程度は解けるというのも事実だ。

予定通り勉強が進んでいる。
本音を言えば予定よりもう少し進んでくれてれば良かったのにな、と思いつつ。
まあ、そう甘くはないのだ。

国家資格とはフェアだ。
勉強さえすれば、きちんと社会で生きていける力になる。
もちろん、使い方次第ではあるものの。

ま、そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする