2018年07月30日

金を持ってロクでもないやつになること。

いくらか金を持っていたり、ハッタリをかましたり、地位や名誉があったって、そういうのはあまりその人の人間性には関係ない。

人間に大事なものはいくつかあるが、最終的には強さだ。
ただ、強さってのは誰かを屈服させるってものじゃない。
誰かに助けてもらう力だ。
結局一人でどんなにいばったって、強がってみたって、そんなものは5人くらいで束になってかかればすぐに倒れてしまう。
一緒に助けてくれて戦ってくれる人が何人いるかが人生だ。

そういう意味で人を大事に出来ない人間には未来がない。
短い目で見れば良くたって、長い目で見たとき、人を大事にしなかった人は痛い目を見る。そして、そういう時に誰も助けに来てくれない。

人は優しくあるべきだ。

ーーー

優しい人は足元をすくわれる。
馬鹿を見る。

それも一つの真実だろう。
真面目にやってると、悪い奴に足元をすくわれる。

火のないところに煙は立たない。
悪い奴って言われる奴はやっぱり何かしら悪いことをしているのだ。

ーーー

今さら、普通の仕事を夢見たりする。
あまり難しいことを考えたくない。
特に人を半分騙すようなことはしたくない。

それは騙しているわけではない。

そんな風に言いくるめるようなこと。

そういうのは騙してるってことなのだ。

事実を都合よく語るってのは、ある程度は仕方ない。どちらかから見て都合の良いように物事は進められる。
ただ、事実ではない嘘をさも本当のことのように語るのは良くない。

ーーー

貧しさは悲しい。

しかし、正しくないことはもっと悲しい。

正しくて貧しことは悲しいところもある。ただ、救いはある。

正しくなくて富めることは空虚だ、救いがない。

ーーー

さて、問題は正しくない人間が強大な場合だ。
まあ、強大である。
悪くて強大だから、財を築く。

もう自転車の仕事は二度と出来なくなるだろう。

まあ、それも人生か。

そんなこんな。


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2018年07月26日

仕事で心がウンゲツィーファー。

相変わらず心が折れてしまっている。
どんどん人が退職して、僕にてんこ盛りの仕事が乗っかる。残った社員は点検も出来ないか、対人コミュニケーションに半分くらい障害のあるような人間。そして僕。このメンバーは無理がある。一人でやってる店ならそこまで売り上げを伸ばさなくても良いが、そうもいかない。
仕事の多さもそうだが、そうやってサクサクと人が半ばクビのような形で自主退職に追い詰められて行くのを見ていて、ある日、もう働けないとなってしまう。都合が悪くなれば自分もいずれ自主退職に追い詰められる日が遠からず来るだろう。

辞めようと思っても辞めるに辞められない。
こちらの都合での退職っていうのは、どんな形にせよ会社に対する裏切りではある。円満退職というのは難しい。
ましてや店長なので、非常に厳しい。
退職届けを書いて出せば法的には問題ないことになってはいるが。

さらにその後の無職の期間、次の職探し、何のために長々と自転車屋なんかしてきたんだか、様々なことを考えると、隕石でも降ってきて即死しないかと考える。
「あの人、隕石に当たって死んだんだって。かわいそうねー」
何とも収まりの良い最期だ。
ストレートに言えば、こちらに非のない完璧なる事故死だ。
これは楽チンだ。

雷が鳴ると、不思議と当たるのが怖いと感じる。夏の夕暮れの雷。ヘンテコな雲がどんどん積み上がって空が光る。
昔は雷など鳴ったって怖くもなかった。
普通は子供の頃怖くて、大人になると怖くなくなるものだが、なぜか最近の僕は雷が鳴ると怖い。

雷に当たって即死なら隕石同様、完璧なる事故死になる。
だから、むしろ雷の中を積極的に出掛けて落雷に当たって行くべきところなのだが、どうしてだか雷が怖い。
音や光が怖いんじゃなくて、痛そうだなと思うわけだ。
死ぬなんてのは何でも痛いに決まっている。
首吊りだっていくらかは痛いだろう。
糞尿垂れ流して死ぬ。
何より自殺なんてのは実に縁起が悪い。響が悪い。

そうは言っても何かと面倒で、やる気も起きない、エネルギーもないとなると、
「あー、ある朝目が覚めたら自分が巨大な毒虫に、じゃなくて、ページすっ飛ばして死んでてくれねーかなー」
などと思うわけだ。
「もう仕事行きたくねー。でも、行かないと電話掛かってきて、多分、社長が直接家に来るしなー。どこの高校生だよ、誰かに叱られるのが怖いって。あー、行きたくねー。理不尽な仕事割り振られて、他の社員誰も助けてくれない状態、もう無理ー、行きたくねー、行きたくねー、金もねー、次の仕事もねー、あー、ページすっ飛ばしてグレゴール・ザムザ死んでてくれりゃ良いのに」

カフカの変身は、仕事に行きたくない人、生きている意味を失ってしまった人をよく表している。
ある朝起きたら毒虫になっていて、家族からの暴力で死に至る。そして、ラストシーンで家族は、「やっと死んでくれた」と言ってウキウキしながら列車で気晴らしのピクニックに出掛ける。

実際には、鬱病になっても残念ながら人間の体は毒虫にならない。毒虫だったり、単なる虫だったり表記が翻訳によって違うが、原文ではウンゲツィーファーUngeziefer、ドイツ語でとにかく人から忌み嫌われる虫、菌といったものという意味だそうだ。この辺りはカフカは実に巧妙だ。ゴキブリとかムカデとか言ってしまわない。読み手の想像力が膨らむ。悪い方、気味悪い嫌な生物にも伸ばせるし、グレゴールが可愛そうとも思わせてくれる。ゴキブリやムカデなどと断定してしまうと、ただ気持ち悪い、ましてやグレゴールを可愛そうだとは思えなくなってしまう。

ウンゲツィーファーになってしまった兄に対し、妹は何とか優しくしようと思うのだが、やはりウンゲツィーファーで気味悪くて、結局、父親の攻撃を中心にグレゴールは負傷して死に至る。

介護でボケた老人がクソを壁に投げたり、ひどい罵声を浴びせてきたりするのに似ている。親だから優しくせねば、しかし、我慢がならない。
鬱病なんかもそうだろう。

しかし、現実世界では人間はウンゲツィーファーにはならないのだ。
これはある意味残酷ではある。
ウンゲツィーファーとなれば、家族はやっとアイツと縁が切れた、ピクニックに行こうと晴れやかな気持ちでラストシーンを迎えられるわけだ。

生きていく希望を失った人間の精神の極みが表されている。
誰かに助けてもらいたい、優しくしてもらいたい、しかし、自分はもはやウンゲツィーファーであり、外見的には人間だとしても、もう精神的にウンゲツィーファー、生きてはいけないものになっていて、自分が死ぬことで周囲の人間がむしろ幸せになれる、自分が死ぬことで汽車に乗ってピクニックに行って欲しい。

ただ、カフカの変身の面白さは、主人公グレゴールは外見的にはウンゲツィーファーなのだが、内面は別段何ということはない、全く普通の青年で自殺願望などがあるわけでもない。何の予兆もなく、理不尽にもある朝突然ウンゲツィーファーになってしまったわけだ。

まあ、ある意味では鬱病、自殺願望なんかもそういうものだが。
ある朝、突然、精神がウンゲツィーファーになってしまうのだ。

ーーー

それにしても面白いのが、単に仕事を辞めるにも辞めづらい、そんな単純なことで僕は死のうとしているということだ。
多分死なないと思うけど。

単純に退職届けを出せないということ。
昨日今日と二連休だったのでよかったが、明日、出勤できるのだろうか。

これまた面白いことが、たかが退職届けを出せないってことで死のうって人間の存在もそうだが、誰もこれを助けることは出来ないということだ。
「じゃあ、オレが代わりに退職届け書いて出して来てやるからさ、とりあえず今晩飲みに行こうぜ!明日から一緒に次の仕事探しに行こうぜ!」
実際、ニュースに流れる、仕事を辞めるに辞められなくて自殺した人々には、そんな助けが必要だったんだろう。言うなれば、困った時に現れる正義のヒーロー。或いは明るいニートの友人。

ニートの友人って必要だと思う。
自分が困った時に、声を掛ければ大抵暇していて、茶でも飲みに行かないか、奢るよといえば、金はないけど時間はいくらでもあるからな!と言ってやって来る。
誰にでもニートの友人は必要だし、或いはホームレスでも良い。
心の相談ホットラインの電話など必要ない。ある程度のホームレス、ニートがいて、その公園に行けばハトにエサやりしながら話を聞いてもらえる。
「金はないけど時間はあるからな!」

ーーー

好きなことを仕事にして、やっと店長にまでなったが、残念無念ではある。
自転車はもう全て捨てようかなと考えたりもする。最近、自転車に乗っていても、悲しみがある。アフリカも南米も遠い過去に埋もれてしまった。

生きてさえいれば何とかなる。
まあ、何だかんだで死ぬことはないんだろうけど。

ある朝目覚めたらウンゲツィーファーになってるかもしれない。

そんなこんな。


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2018年07月22日

ワンミスで死ぬこと。

ワンミスで死ぬ。そういうことって普通の人生じゃ起こらない。そういう風に我々は信じている。だけど、現実には生き物はワンミスで死ぬ。
ちょうど最近の僕は、取り返しの付かないワンミスをやってしまったことに今さら気付いて、こりゃ、もう死ぬしかないかなと思っている。

逆を言うと、大抵のヤバイ状況ってのは、過ぎ去って仕舞えば、まあ、そんな頃もあったなというものだ。
何だかんだで時間は過ぎるし、物事進んで行く。
そうしていると、何だかんだヤバイ状況ってのも過ぎて行く。

人生、良い時もあれば、悪い時もある。

ただ、死んでしまうと良い時も悪い時もやってこない。

ーーー

人間、幸せな時に死ぬべきか、不幸な時に死ぬべきか。

幸せな時に死ぬと悲しい。
不幸な時に死ぬと苦しみからの解放がある。

ーーー

生きる権利は死ぬまである。
死ぬ権利は死ぬ時にしかない。

死ぬ時をどう決めるか。

生きていたって仕方がない。
そうなったら死んでも構わない気もする。
しかし、逆を言えば生きていてどうだと言うのだろう。
生きているうちにこれをしたい。あれをしたい。
例えば芥川賞を取りたいとか、か。

じゃあ、芥川賞は取れないとなったらどうするべきだろうか。
取れないじゃなく、取りたいと思えなくなった時には。
何かしたいことを見付けた方が良いだろう。

したいことが見付からない。
こういうのが鬱病の本質かもしれない。

もちろん、芥川賞が欲しいなどというのは、欲しいは欲しいのだ。
ただ、取れないと感じる、絶望してしまう。
実際には芥川賞なんかは小説さえ書いて投稿していれば、確率はあるのだ。ゼロではない。

いや、実際にはゼロの人が大半だ。
芥川賞が何なのか。
芥川賞ってのは文学だ。
文学作品を書かねばならない。
文学作品とは何たるや。
最後まで誰かが読みたいと感じることが出来る文章であり、読み終わって何かしらの満足があるもののことだ。
何を読めば人は満足するか。
それは分からない。
それを探求、発明するのが文学をするってことだ。
これから外れている限りは可能性はゼロなのだ。誰かが時間と労力を使って読み、満足を感じるもの。それは狙って書く方がいいのかもしれないし、狙わずにただ書く方が良いのかもしれない。
どちらにせよ、人が最後まで読み、誰か一人でも満足を感じない文章。これは可能性がない。

何にせよ労力がいる。
眠って起きたら欲しいものが手に入っている。
そういうことってありえない。

労力を惜しまず継続すること。
それが生きるということだ。

ーーー

しかし、もう労力を使いたくない。
こうなると終わりなのだ。

したいことがなくても、しなくちゃいけないことがあれば人間は生きていける。

したいことを失って、しなくちゃいけないことを廃棄すれば、人間は生きていかなくて良くなる。

そういうののトリガーって意外と一つだ。
ワンミス。
そこからいろんなことがほつれて破綻していく。

ーーー

大人になれば自分の死ぬ時を決めるくらいしたって良いだろう。
誰だって苦労して大人になったのだ。
自分の生き死にくらい自分で決めたって、誰かに非難されたり、馬鹿にされたりすべきものではない。


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2018年07月20日

四面楚歌

四面楚歌している。
職場にて部下はヤル気がなくて、社長は屁理屈こねて、飲みに出てもしっくり来る場所がなかなかない。
家では同居人が群馬から出たいと言っている。

群馬には知人も頼れる人もなく、四面楚歌。
どこに行っても敵の国の歌が、あいつを倒せと響いている。
一つの言動の誤りで敵軍が流れ込んで来る。

おれは呑気に自転車を売って、休みの日になれば自転車に乗って、夜は時々酒を飲みに出て、気楽に生きていたいだけなのだ。
たくさんのお金はいらないし、立派な家も車も必要ない。
気楽に人と話をしていたい。
「間違えたことを言ったらどうしよう。地雷を踏んでしまったらどうしよう」
そんな心配などせず、特に考えなどせず、頭に浮かんだ話したいことを何となく口にしてみて会話がしていたいだけだ。

そういうところに至って改めて、人間として致命的だということだ。
人と話したり、人と会うことが恐ろしいのだ。
間違えた言動をしてしまったら、地雷を踏んだらどうしよう。
そんなの人間として致命的だ。

友人もどこかへ去って行ったし、正直、楽しいこともない。
生きていて楽しみがないのだ。
何かがしたい。

今の仕事をやめて、何かしたいということもないし、何か出来ることもない。

死にたいなら早く死ぬべきなのだ。

ーーー

不思議なことといえば最近雷が怖いと思うようになった。

雷なんか最高じゃないか。
当たれば即死、気づく暇もなく。
理想的じゃないか。
そもそも滅多に当たることなどない。
それなのに雷が怖くなった。
当たったらどうしようか。
どうしようもないし、どうするということもないじゃないか。
しかし、雷が怖い。

そんなこんな。
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2018年06月22日

お金を欲しいと思わない気持ち。

お金を欲しいと思わない。
非常に大事なことのような気がする。

お金ってのは実にヘンテコなものだ。
愛とお金、どちらが強いか。
多分、今の世の中、お金じゃないだろうか。
もちろん全ての人がそうではないにせよ。
それでも、お金なんて全く欲しくないって人はゼロじゃないだろうか。
今に限らずいつからそうなんじゃないだろうか。

ヘンテコな話ではあるけれども、お金なんて欲しいと思わないようになるには、お金がたくさん必要なのだ。
お金がない人がお金なんて必要ないと感じるのは難しい。
知人の株屋さんみたいにお金がありすぎて、そう、彼はもうお金がありすぎる、株の中でピコピコと動くお金ってのは、もう現実世界で実際に使うお金とは桁が違い過ぎるから、別に現実世界でお金を使いたいなんて思わないのだ。
自分のしたいことがお金を必要とすることの場合にはお金を使うけれど、高いものだから欲しいとかってのは全くなくなるらしい。
高級ブランドでもホームセンターの作業着でも彼にはどっちでも良いらしい。

彼が高い金額のものが欲しいと感じるためには、彼は貧乏にならなければいけない。

自分で燻製をしたいとか言って近所の畑を買って燻製小屋を建てたりはする。
金が掛かるとかっていうのは、本当に彼にはどっちでも良いことなのだ。
必要になれば、株の海から少しすくってくれば良いし、必要なければすくわずにいれば良い。

ーーー

それにしても、お金があって、お金が欲しいと思わない暮らしってのは難しいんだろうなと思う。
貧乏だとコンビニで買うビールが嬉しい。
それはビールが好きだからってのもあるにせよ、ビールは高いからたまにしか買えないからってのもある。
僕なんか正にそれでビールはそんなに好きでもないのだが、やはりビールを飲めると幸せになれる。
でも、海外にいる時はビールばかり飲んでいたことを考えると、やっぱりビールは好きなのかもしれない。

ビールが百円になると僕の幸福度は下がるのか。
実際、南米、アフリカあたりだとビール百円ってのはさほど珍しくもない。
1リットルで二百円だったり、350mlで百円だったりと国で違いはあるにせよだ。
それにしても、改めて考えるとやはりビールは海外でも安くない。百円って結構な良い金額だ。特にアフリカなんか日給三百円もらえれば万歳、今日は仕事があって運が良かったみたいな人も少なくない。それでも、人々はビールを飲むのだ。

人々はビールの美味しさを飲むのか、高い飲み物という喜びを飲むのか。

本来は、高いもの=美味しいものっていう図式は成り立つようにお金って作ろうとされている。
ただ、今の現実ではそれってあまり成り立たない。
白米、納豆、味噌汁、卵焼き。
我々日本人には、実に美味しい。
でも、高くはない。

僕はメロンって好きじゃない。
そんなもん個人の好き嫌いだろと言われればそれまでなのだが、全くもって好きじゃない。別段嫌いってわけでもない。ただ、ポテチとメロン、どっちか選ばせてくれるなら、ポテチが欲しいっていうレベルだ。シュークリームとポテチだとシュークリームだろうか。
でも、メロンは高い。

単純に需給バランスで価格は決まる。
メロンはみんなある程度お金を出してでも食べたいからこそ高いのだ。安くすると売り切れになってしまったり、作る人が労力の割に報酬が少ないからということで辞めてしまったりすることになる。
お金を出してでも食べたいってのは何なのか。美味しいからなのか。
これが難しい。

「あたい、朝はフルーツしか食べないの」
映画だか漫画だかでそんなセリフがある。マダムが言うわけだ。
これは美味しいからってわけではないだろう。マダムはマダムだから朝はフルーツしか食べたくないのだ。

まあ、もちろん、美味しいからっていう理由もあるんだろうが。

まあ、さらに言えば健康志向とかってのもあるんだろうが。
余談ではあるが、アフリカでは毎日マンゴーばかりかじっていたが、確かにマンゴーをかじってばかりいる時は体調が良かった。
マンゴーを休んで、パンとかウガリ(アフリカの小麦粉なんかの粉を混ぜ合わせたモチみたい食べ物)の炭水化物ばかりで生きていると体調がいまいちになった。
フルーツは健康に良いってのは確かにあるんだろう。

ただ、日本でフルーツばかり食べるというと、それが間食やデザートならフルーツが好きなんだね、で終わるにせよ、一食まるごとフルーツだけとなると、贅沢というか、少々成金趣味な気もしてくる。
まあ、確かにフルーツで朝ごはんは羨ましいとは思う。朝から美味しいだろう。

でも、メロンは好きじゃない。

まあ、フルーツはそれなりに美味しいから値段が高いというのも事実ではあるのだ。
それでも、やはり高いから美味しいと感じる部分があるってのもやはり事実だろう。

ーーー

お金が欲しいと思うのは悪いことじゃない。
むしろ、大事なことだ。
お金を稼ぐって大事だ。
お金を稼ぐことが好きで得意で、なおかつお金を使うことが好きって人が増えれば経済はよくなるだろう。

問題は経済が良くなったら世界は良くなるかといえば、そこは案外何とも言えない。

ーーー

お金を欲しいと思う気持ち。

ま、そんなこんな。


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2018年06月21日

休みの日は休むということ。

夜が伸びる。
時々、そんな風になる。
酒を飲んで夜が伸びて、昼過ぎまで眠り、夜が伸びる。

人生がドン突きに当たる。
一体なんのために生きてるんだか。

「うん、休みはね、休むのが一番いいよ」
最近、ちょくちょく行くバーのマスターが言う。
「家が一番、何もしないのが一番」
そうは言うがマスターはスノーボードと海釣りが好きで、休みの日は割といろいろ遊んでいる。

まあ、そんなもんだ、と言えばそんなもんなのかもしれない。
働いて、週に一度飲みに出掛けるのが楽しみ。
特別、やることもない。仕事もそれなりにやってりゃ良い。すべき勉強もない。
飯食って、息吸って、眠って、働く。
そんなもんだ。それが普通になるのさ。

たまに大学を出てれば良かった気もする。
数学をしていたって良かったかもしれない。何かエンジニアとか研究職とか。とりあえず、生きることに飽きないような仕事をすべきだったんじゃないかって。
自転車屋してると、時々、人生に飽きてしまいそうになることがある。
まあ、どんな仕事をしてても、同じかもしれない。
自転車屋に限ったことじゃない。

どこか静かな峠でも自転車で走りに行くべきか。
そういうのは癒しがある。
でも、どこか途方も無い。

「休みの日は休むのが一番だよ。特に内容ある面白いことを語る必要なんかないんだよ。空っぽなことで笑ってるのが一番。会話ってそんなもんだよ」
まあ、人間、そんなもんかもしれない。

そんなこんな。


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2018年06月13日

群馬に来てから人間関係が作れない。

群馬に来てから人間関係が作れない。
職場は相変わらずだし、こっちに知り合いと言ってもSさんくらいしかいない。
全く知り合いがいないとなると、もしも何かあった時にどうしようなどと考えたりするし、普段アレコレあっても相談する相手もいない。

東京にいた頃は、バーに行けば知り合いは出来た。さほど仲が良いと言うほどじゃないにせよ、世間話が出来る程度の知人は出来た。
東京は冷たいとは言うけれど、言うなれば全員、地方から出て来た人同士、同じような境遇なので、知人を作るって難しくなかった。
群馬は難しい。

逆に職業を隠して自転車の愛好会、サークルなんかに入ってみても良いのかなと思う。
でも、やっぱり厄介なことになる気はする。
自転車屋の店長という素性が後になってから分かると、嘘つきということになる。
かと言って、自転車屋の店長とわかっていると、店に来られるのも困る。友人が店に来るのって少々困るのだ。どうしても安くして欲しいとか、そういうことになってしまうことがある。僕個人の店なら、良くしてもらってるからそのお返しにこれは安くしますよとかってしても良いんだけど。
同じ理由でお客さんと一緒に走りに行くっていうのもしにくい。

ジャズ作戦はそういう狙いもあった。
ジャズを通して友人、知人を作ろう、と。
残念ながらジャズはいまいち上手くいかなかった。月謝が高い割にあまり教え方も良くなかったので、辞めることにした。

引っ越した土地で知人を作るとは難しい。
ヨガ教室でも通おうかなんて真剣に考えたりするほどだ。
飲みに出掛けるより健康だし、お金もさほど掛からない。
それでも、行ったとしても、そんなに社交的でもないから別に友達なんて出来ないだろう。普通にヨガして帰ってくるだけだろう。

でも、友達、知人なんてのは無理をしてまで作るものなんだろうか。

まあ、職場で一人くらい一緒に自転車乗りに行く人がいれば全て解決する話なのだが。
自転車屋なんだからさ。
そのくらいいれば良いのにね。

まあ、生きるってのはそもそもに孤独なのかもしれない。
大人になったら友達が欲しいなんてみんな思わないのが普通なんだろう。
或いは職場に何人か友達がいるか。
地元にいるか。

はたまた、昔、良い友達がいてくれたから、こんな風に感じるのかもしれない。

みんなそんなもんなんだよ、と言われれば、まあ、そんなもんなのかもしれないな、と。
生きるって孤独なものだし、自分のことは自分でして当たり前だし。

職場では部下にはなめられているし、上からはアレコレ言われて四面楚歌だ。東京の頃よりクレーマーが少ないのが救いではある。
友人もいないし、ストレスを抱え込んでしまうと、簡単にウツになってしまうような環境ではある。

はてさて、どうしたものやら。
あまり深く考えすぎないのが一番か。

群馬脱出するにも、店長してるとそう簡単には辞めさせてもらえるわけもないし、良い仕事もないし。脱出したところでどこに行こうというアテもなく。
人生、途方に暮れてしまう。

ま、そんなこんな。


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2018年06月11日

農業大学校に入ろうかなと考える。

農業大学校に入ろうかなと考える。
農業で飯食うのは難しいだろうけど。
キャンプ場とレンタル自転車と農家の3本立てにすると面白いんじゃないかなって。
体験農家とかね。

自転車屋は頑張ってはみたのだが、あと三十年続けられるかというと自信がない。
やっぱり年間休日80日で、ボーナスも何もなしで、責任ばかり重いなんて仕事は心が折れる。
死にたい死にたいと考えながら働くくらいなら本当に死んだ方が良いだろうし、実際に死ぬんなら別の仕事をしてみた方が良いんじゃないかなって。

ーーー

一本でやるから行き詰まるのだ。
どんな仕事も利益を出そう、ビジネスにしようと思うと行き詰まる。結局、お金に勝てない。儲かることは大企業が資本を投げて取ってしまう。
儲かることは基本的にお金を持ってる人たちに勝てない。
スキルで何とか出来るかっていうと、難しい。
例えば、僕には自転車のスキルがある。でも、大企業がその気になれば自転車のスキルを持っている人間を雇えば話は済む。

だから、逆を突くんなら、あんまり儲からないことをやるってことだと思うのだ。
農業もキャンプ場もレンタル自転車もそれ単体ではお金にはならない。
ただ、それを組み合わせると相乗効果も出るし、互いの儲からないところを補填し合える。
兼業で出来ることを三つ以上持つってのが大事だと思うのだ。

ーーー

キャンプ場はしたい。
アフリカを走っていた時から思っているが、キャンプ場って良い。
だって、キャンプって気持ちいい。野宿って素晴らしい。
キャンプ場だけで儲けようとすると上手くいかない。オートキャンプだとかにして値段を高くしないといけない。
キャンプ場が難しいのは日本は土地が高いからだ。
でも、現実には日本では余った農地、働き手のいない農地が増えてきている。
この一部をキャンプ場にして、レンタル自転車で昼間近くをふらふら出来て、農業体験なんかが出来て、美味しいコーヒーが飲めてっていう空間にすれば良いと思うのだ。
メインの収入は農業で最低限の食う分だけ確保して、プラスアルファでキャンプ場をすれば良いんじゃないだろうか。

マウンテンバイクでくるくる回れる簡単なコースも作ってさ。

ーーー

まあ、そんなのは夢物語だろうか。
工場とかで働くってのが現実だろうか。
ひどく心を痛めてしまっている。対人関係でストレスのない工場で働くのが良いなと感じてしまう。

夢かもしれないけれど。
農業しながら休憩しながらギター弾いたりして。
のんびり暮らしたいのだ。

そんなこんな。


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2018年06月10日

ーーねえ、アフリカの話を聞かせておくれよ。

ーーねえ、アフリカの話を聞かせておくれよ。
ーー残念だけど全て忘れてしまったんだ。
ーー覚えていることはないの?
ーーあるよ。
ーーそれを話しておくれ。
ーー残念だけど無理みたいなんだ。

意味がないじゃないかね、溶けるさかなクン。私は鯖の方が好きなんです。そうかね、消しゴムがずっと角になるとね、これは君サボテンだよ、ずっと空を飛ぶんだ、豚ですね?ああ、そう、豚だね。

お金が大変なことになっているんですよ、地震でね、そう、火事かもしれない、じゃあ、君、橋を渡れなくなるじゃないか、渡ったって構うもんですか、でも、それじゃ火傷してしまうぜ、そこに塩とワサビを塗りましょうよ、そんなら浄水器を付けないとな、カルシウムが取れなくなりますよ、豚め、あの豚め。

三百円拾うマシーンを開発したんだよ、一日三百円、それでビールを飲んでしまっちゃ意味がないじゃないですか、だから無粋なのさ、三百円じゃタバコも買えなくなりましたね、ずっと向こうの煙突があるだろう、あそこから入っていけば良いと思うのさ、ひっかかりますよ、三百円なんだから良いさ。

壁が崩れているでしょう、構わないさ、テレビを置きましょう、サッカーはしないか、日が落ちてからするとしますか、じゃあ、目玉焼きを作ってきてくれ、でも、もう九回裏ツーアウトですよ、そうそう、そこに注いでくれ、どんどん注いでくれれば良い、友達が出来ないんですって。

羽毛ぶとんに柄を付けてはいけません。

そうだ、二人ばかり養子を取ることにしよう、長靴とペンキはどうしますか、ずっと伸ばしたら良いよ、ハシゴは買ったばかりですよ、橋の下にぶらさがっていれば良いのさ。

犬なんか拾ってきて、ビール瓶くらい何とかしてくれないかい、赤茶けた夕焼けの裏側に住むトンボはずっと筋肉を気にしているんですよ、胸の筋肉だろ、悪いやつじゃないんだ。

おーい、おーい。
おいー!
おーい。

そうだ、派手な羽を付けておこう。
きっとそういことなのだ。


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2018年06月06日

ハロー、ワールド。何も分からないね。

自転車でアフリカと南米を走るってのは、やってる人は少ない。世界一周の人でも厄介なルートなのでどちらかは外すという人もいる。
それでも、やってみた感想としては、さほど難しくはなかったと思う。

ただ、実際問題としてやるのは難しい。
死んだらどうするか。
僕は残念ながらそういうのはあまり考えずにやったからこそ出来ただけのことで、そういうのはある意味ではルール違反なのだ。
死ぬと迷惑がかかるとかそういう理由じゃなく、死んじゃったらどうしようってのを考えないってのは生き物としてダメだと言えるだろう。

そうは言っても、実際に行った時には死ぬ気で行ったわけでもない。
95%生還できるだろうと思えばこそ出発出来た。80%だったらさすがに行けなかっただろう。

僕の95%の根拠とは単純だ。
自転車で走る道=車が走る道=バスか何か走っている=いざとなれば金さえ出せば空港か日本大使館まで辿り着ける。

逆に5%の死ぬ理由は何か。
交通事故は不可避だ。それでも現地人は事故に遭わずに生きている人が大半だ。
病気もまた不可避だ。それでも、病気にかかる人ってのもそんなに高い確率ではない。マラリアなんかも怖いといえば怖いけれど、現地人たちはその環境でも生きている。
人が住んでいる場所=人間が生きられる環境=僕もまた人間であるから生きられる。
それでも、やはり死ぬかもしれない。
それが5%なのだ。

そうは言っても、現地人もパタゴニアの荒野やボツワナの象の出るエリアを自転車で走ったりしない。
あの辺りに関しては危険だ。
僕の感覚としてはボツワナの象の出るエリアは本当に危なかったと今でも思う。もう一回走れって言われたら断るだろう。野生の象は恐ろしい。

ーーー

最近、少々、仕事に関して考えることが多い。

自転車屋という仕事は好きなことを仕事にしているので満足感もあるが、恐ろしく待遇が悪い。僕の働いている会社が特に悪いってのもあるのかもしれないが、収益の構造として、どうしても待遇が悪くなる。

なぜ自転車屋はそんなに収益構造が悪いのかといえば、組み立てに時間がかかり、しかも専門の技術が必要で、なおかつ専門学校も国家試験もないので人材がいない。
車体を組み立てられて修理もきちんと出来るという人材は稀少なのだ。
単純に形になれば良いってわけでもない。
レース機材ってのはユーザーの要望が必ず出て来る。それに応えるチューンが出来ないといけない。

なおかつ販売のためにも知識と接客技術が必要だ。

なおかつ宣伝や仕入れなどの一般的小売店のスキルも必要になる。

そういった人材はなかなかいない。
僕自身、全て兼ね揃えているかと言えばそうでもない。というか、多分、そういう人はいないと思う。
一人で全て出来るなんてのは、自転車に限らずどんな仕事でも無理がある。

なので、普通の仕事は部署に分かれている。
服屋の店員でデザインから縫製、仕入れ、販売、修理までするなんて人間はいない。
システムエンジニアだって営業からコーティング、プロジェクトのプランニング、保守まで一人で全部するなんて、個人でやってない限りありえない。

会社ってのは歯車だ。
歯車ってのは、悪いフレーズでよく使われるけれど、全てを一人でできなくても仕事が出来るってのはものすごく素晴らしいシステムだ。

そういうシステムが機能しない会社、歯車じゃない会社ってのは無理がある。
それが自転車屋だ。
全て出来ないといけない。

そうなると人件費がかさむ。
結果、売っても売っても給料は増えない。
休みも増えない。

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はたまた構造としてどこかが大量に取ってしまっているかという問題もある。

業界とは怖いもので、その世界の中だけで常識が作られる。
自転車屋は給料が安くて当たり前。
自転車に限らず小売の店員は給料が安くて当たり前。
この常識はいかんとも崩し難い。

何せ崩す必要がないからだ。

自転車は完全に供給過多になってしまっている。
需要が少ない。
十万円以上の自転車が欲しいという人は多くはない。
もちろん誘導すればいくらかはそういう層は増える。
誰しも最初は初心者なのだ。
欲しいという潜在的な層があるのは間違いないが、結局、10万円なのだ。
値段的に考えて、やはり趣味のアイテムであり、一般企業のように何人も従業員がいて、きちんと休日と給料を出すことが成立するほどの需要はないのだ。
せいぜい二人くらいで、プラスでアルバイトを雇って経営するくらいまでが自転車屋の需給の現実だ。
僕の知り合いで人並みの給料と休みをもらっている自転車屋従業員はメーカー直営店くらいしかない。
メーカー直営は収入構造が違う。その店舗で売っても売らなくても良い。どこの店でも良いから、そのメーカーの車体さえ売れれば良い。あくまでショールームだ。

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働き手の現実っていうのは、雇い主には関係ない。
なぜって、自分が死ぬまでの食い扶持に関係ないからだ。
雇い主、つまりオーナーってのはそれなりの資金がある。親から継いでいる場合もあるし、自分で作ったとしたらそれなりの歳になっている。
親から継いでいる場合、そもそも金はある。経営に困ればタイミングを見て規模縮小すれば良い。食い扶持には困らない。
歳を食っている場合、あと何年か維持出来れば良いので、人材は使い捨てでも良い。

そんなわけで、自転車業界からはたいていの人が去っていく。だいたい結婚と前後して去っていく。
残るのは僕のような他に仕事がない人間くらいだ。元選手という人もそうだ。
僕は選手ほど命をかけて自転車のトレー二ングはしなかったけれど、大人になってから自転車で食ってきたし、自転車のことしかしてこなかったっていう点では選手あがりの人と同じだ。

山小屋なんかも結婚と前後して人が去っていく。

それにしても、僕のような去るにも去る先のない人間は歳を取ってどうすれば良いのやら。
アリとキリギリスじゃないが、キリギリスだってキリギリスなりにせっせと頑張ってきたのだから、何とかならないかとは思う。

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かと言って自転車屋を去りたいわけでもないのも事実だ。
やはり好きなことを仕事にするってのは良い。

逆を言えば好きなことを仕事にしていけるだけの能力がないのが問題だとも言える。

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問題なのは給料でも休みでもないのだろう。
働き甲斐なんじゃないだろうか。
不思議と今の会社は働いていて、とても気分が落ち込む。
自転車屋と一口に言ってもいろいろ違う。
服屋だってユニクロもあればセレクトショップもある。レディースだけの店もあるし、値段帯も違う。

どうすれば自分の働く場所を自分が働き甲斐を感じられる環境に変えられるかってのが問題だろう。

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今日、人を送りに成田空港まで行った。
群馬から車で行くと随分遠かった。
自転車で行っても遠いには違いないが、多分自転車の方が楽だったろうと思うほど疲れた。
何よりも成田はかつて初めて異国に出発した空港だ。
その後、ドイツの友人を見送りに行ったこともある。
自分が出発するわけでもない空港ってのは随分と考えさせられる。

僕は南米やアフリカを走りに行って何を得たんだろう。
そして、これから先の人生で、どこか異国をまた走りに行くことがあるんだろうか。
故郷の友はみんな大人になった。奥さんがいたり、子どもがいる。別にそういうことを比較したりはしない。
年金のことなんか話したりする。
北海道から歩き続ける若いカップルと知り合うことがあった。
ニュースで20代、30代の旅人が季節労働で人材不足の農家の助けになってるなんて記事を読んだ。

時々、帰りたくなる。
どこに帰るんだろう。
帰る場所。
故郷。
故郷は帰れないのだ。少し帰るくらいは良いにせよ。
なぜ。
多分、ちっぽけなプライドと下らない事情のせいだろう。
そんな理由も、もうしばらく経てば。いつになるかは分からないにせよ、親も死んで、帰ろうにも頼る人もいない、頼れないという理由でなくて、もはや存在しなくなる。
自分に子どもが出来れば、その子どもにはその生まれた土地が故郷になるのか。
そういう故郷になるような土地はあるのか。
子どもが育てられるだけの仕事のある土地はあるのか。

ハロー、ワールド。
世界の反対側まで見てきたけど、僕にはまだ何も分からない。

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最近は飲んだ夜に変に陽気になることが多い。
そんな時には、絶望を書くのは辞めて希望を書こうと思える。
でも、希望ってなんなのか。
酔った夜に書けば良いのだけれど、起きたら昨夜の感情だけ思い出して、しかし、希望の中身は何も覚えていないのだ。

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昔から思っているんだが。
みんな何を希望に生きているんだろう。
希望なんか無くても生きていくものだろうか。

僕には希望のない人生を歩いて行くのはしんどいことのように思えるんだけど。
希望は作るものなのか。
どこかに存在するものなのか。
そもそも無いものなのか。
忘却こそ人生なのか。

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そんなこんな。


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posted by ちょろり at 21:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする