2018年04月14日

遠い世界。

歳を取ったんだか、日々が忙しいのか。
日記を書かなくなった。

ブラックバードが夜の死の中で歌ってる。
壊れてしまった羽で飛ぼうとしながら。
この瞬間のために生きてきたのだ。
ブラックバードよ飛んでくれ、闇の中の一縷の光を求めて。

ビートルズのブラックバード、翻訳は僕なのであまり正確ではないかもしれない。
アフリカを走っていた頃よく聴いていた曲だ。

この曲は非常にシンプルだ。
伴奏はギターだけの弾き語り。
ギターはきちんと弾こうと思うと割と難しいようなこともするのだが、何となく弾くだけなら初心者でも弾ける。ただ、弾きながら歌うのは難しい。
歌も歌で激しい抑揚もない。
歌詞も実にシンプルだ。絶望の中を生きてきた黒い鳥が今こそ飛ぶ時だっていうだけのことを繰り返すばかりだ。
歌詞は暗いが、曲は優しく暖かだ。

ブラックバードとは日本名ではクロウタドリという鳥のことらしい。
30センチほどで体は黒く、クチバシは黄色い。
ヨーロッパなんかでは公園なんかにいるそうだ。
鳴き声が綺麗な鳥だと言う。

アフリカの強い日差しの中でブラックバードを聞くのは実にヘンテコなことだったと思う。
南米を走っていた時にはグレングールドの後の方の演奏のゴルドベルグ変奏曲だったが、こちらは割としっくり来る。パタゴニアの荒野で聴くにはグールドの孤独な美しいピアノ演奏っていうのは、まさにピッタリだった。ソニーのCDウォークマンを持って行っていたのでブエノスアイレスで三枚ほどタンゴのCDも買ったし、他のCDも2枚あったけれど、結局グールドばかり聴いていた。

旅の最中に聴く音楽とは不思議なもので、日本では大してきちんと聴いていたわけでもない曲を聴く。
アフリカでは知り合ったヨーロッパ人の旅人がすすめてくれた南アフリカのソウェトゴスペルコラールというグループの曲も好きだった。
ただ、自転車に乗って聴いていたのはブラックバード。

ーーー

かつては文を書くのが日々の唯一の癒しだった。
文を書くと正直あまり良いことが起きない。
何でもかんでも書くもんじゃないよ、と言われたり、アレコレ文句を言われたりもする。
沈黙は金とは言うが、黙して喋らないというのは確かに害がない。
しかし、害がない代わりに何も誰にも喋らないと、思考は頭を回っているだけでしばらくすると消えてしまう。
書いたとしたって消えてしまうには違いないし、特に反応なんかもあまり帰ってこないので、喋るほどは思考にコダマがあるというわけでもない。
それでも、文を書くと考えがコダマする。

世界はめまぐるしく変わった。
正確には僕がめまぐるしく変わったのかもしれない。それでも、世界っていうのはあくまで主観的なものだろう。木が生えて、動物が生まれて死んで、人間に関しては利害をめぐって戦争したり貿易してみたりの規模のことから少額訴訟にちょっとした買い物の細かい契約やら、五分の遅刻の嘘の理由やらあれこれ小競り合いをしたりと、そういう変わらないこともあるけれど、世界は刻一刻と変わり行く。
あくまで世界は主観的なものであって、変わっていく。
昔と違って暑くなった、でも、平均気温はグラフにするとさほど大きな変化はない、冬は寒くなった、ここ数十年一番の大雪、そんなことが毎年言われる。

そういうのってあまり関係ない。
風呂の水をじゃぶじゃぶ使ったって水道代もガス代も知れている。エアコンはつけっ放しにしていてもあまり電気代は変わらない。
地球は相変わらず痛んでいる。

小説を読んでも映画を観ても、あまり感動しなくなる。
どこかで聴いたような話。
音楽もビルエバンスを聴いていた頃よりはいくらか聴くプレイヤーもジャンルも増えたけど、どこか上の空だ。

マネジメントや会計なんかの本を読んでみても、それがどこに通じるんだろう。
売るための方法を考えて、たくさん売って、それからどうなるんだろう。
僕は静かに自転車を売っていたいだけなのだが。

どうしてアイツはギターを弾くのを辞めてしまったんだろう。
それはきっと君が大道芸をやめたのと同じような理由さ。別に飽きたわけでもなく、単純にやる気が起きないんだ。
何かをし続けるには縁が必要だ。
気付けばずっと自転車に関係する生き方をしているようにね。

小学校の教師をやめた男が偉そうにして、人の言うことに耳を貸さない。

ーーー

どこのことを考えているのか自分にも分からないけれど、とにかく遠い。
それは遠い。
遠い世界の中の僕はこの世界の僕を探しているのかもしれない。


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2018年04月11日

葉桜など眺めたこと。

葉桜など眺める。
桜を眺めるのは嫌いじゃないけれど、好きでもない。そりゃ、桜は良い。桜ってのは文句無く良い。そりゃ、間違いない。
幼稚な反逆心ってわけでもないけれど、桜を眺めるのは芸がない。
葉桜を眺めるってのは芸がある。
そんな馬鹿な考えを持っているのだけれど、現実問題としては、花の桜はチヤホヤするけれど、葉桜などありがたみもなく通り過ぎる。
そもそも葉桜は毛虫がいるから、葉桜には近づかない。
それでも、今日は葉桜を眺めた。


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2018年04月09日

雲まで届くような塔を。

自転車屋をして死んでいく自分の人生を考えると何とも悲しいような気持ちがした。
自転車屋に限らずどの仕事もいずれ死に行くのは変わらず、目先の給料や名誉、ステータス、やりがいなんかはいくらかは違うにせよ、ベルトコンベアでコンビニ弁当の具財を並べていたって、大手企業でそれらしいことをしていても、本質的には人生に大差ないような気がする。

そんなことを言っていても仕方がない。

お酒を飲んでも、自転車をこいでも特に何も満たされない。
夜の桜に妙な寂しさを感じたりする。
咲き始めは冬の終わりを喜べるか、散る頃には一つの季節が通り過ぎる、年月が進むのを感じ、少し北に行くとまだ満開の桜に出会って、その頃にはもう美しさじゃなく寂しさを感じる。

何とかせねばならない。
自分の人生は自分でなんとかするしかない。
しかし、どうやって。

個人拠出型年金の話など持ち上がったりして、話している相手の方は良い話だと思っているのだが、私の方はどうもそんなに長く生きる気もしないし、生きたとして、そんな時にお金があって何に使うんだろうなどと考える。お金があれば人生に憂いがないか。お金がなくて困ることはあるが、お金があるからって幸福とはまた関係ないことのように思う。

暖かな土地でビールを飲もう。
それがいい。
それから先はビールを飲んでから考えよう。
それでいいのか。

例えるなら雲まで届くような塔を作っていたい。
誰のためでもなく、何のためでもなく。
ただ、なにかを積み上げるように終わることなく作り続けなくちゃいけない、雲まで届来そうになった頃に随分と高くなったなと見上げたい。

そんなこんな。


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2018年03月28日

良いもの、人気のあるもの。ジャズギターなど始めてみる。

定住するとあっさり完全にウツ状態になってしまったが、ジャズギターなんか習い始めた。
元々クラシックギターはいくらか弾けるのだが、ジャズはからっきし分からない。
音楽は人生を豊かにしてくれる。
そんなわけで30歳からのジャズギター。

学費は結構かかる。
教室も隣の町まで30分ちょっとかけて自転車でえっちらおっちら行く。
それでも、きちんとやって、一年ほどで基本的なところさえ習得出来れば先の人生ずっと楽しめる。

当面は五線譜で弾けるようになる練習らしい。
とにかくジャズギターはまずは理論らしい。その上で五線譜を読めるのは重要らしい。
和音の複雑なクラシックと違って単音だけなので、五線譜も頑張れば、まあ、読めそうだ。
コードについてはギターは基本的に押さえ方のパターンは同じで指の位置を平行にずらせば良いだけなので、さほど難しくもないだろうと思っている。
問題は五線譜をすらすら読めるようになるのと、コード理論、アドリブ理論だ。

ーーー

群馬にはジャズのレコードを大きい音で流してくれて、お酒が飲めるバーはないかということも聞いてみたが、ないらしい。
ライブハウスみたいなのはあるらしいけれど、良いレコードを長して聴くのを楽しむってのはないらしい。
まあ、そんなご時世なんだろう。

先生も、地方のライブハウスって、言ったって大して上手くもないアマチュアが演奏してて、その知り合いが聴きに来てるくらいで、そういうのってどうなのかなと思うこともあるなんて言っていた。

まあ、ジャズを聴きながらコーヒーと本をたしなむなんて時代は終わったんだろう。

ーーー

良いものはいつまで経っても良いってのは間違いない。
ただ、良いものを人々が聴くかどうかってのは、時代に左右されるんだろう。

人々は良いものを求めていないのか。

J-POPを安易に否定するのも良くないが、J-POPは音楽自体の良さというより、世間的に人気のある、話題性のあるアーティストがやってるかどうかってところになるような気がする。
良いかどうかじゃなくて、人気があるかどうか。

J-POPに限らず、いろんなものがそうだろう。
良いかどうかじゃなくて、人気があるかどうか。

人気がある=お金になるっていう図式になってしまっている以上どうにもならない問題かもしれない。
良いものがお金になるとは限らないのだ。

自転車を売って生計を立てているが。
やはりこれも良いものとお金になるもの、人気のあるものってのは違う。

大道芸の時なんかが実に分かりやすかった。
難しい技、良い演技よりも、凄さが分かりやすくてインパクトがあり人目を引くものってのが人気があり、お金になった。

結局、お金がないと食ってはいけない。
仕事としてやるからにはお金を稼がないといけない。
そうなると、良いものを売っている店はなくなっていかざるを得ない。

ーーー

東京が良いところはそこかもしれない。
単純に人口が多いのといろんな人がいるので、良いものを求める人も少なからずいるし、良いものを売る店っていうのもある。
観光地なんかもそういう風潮がある。
街並みが良くて、歴史のある町ってのは、そういう傾向がある。

お金持ちが多い=そうなるわけでもない。
良いものが好きな人が多いかどうかってのは、生活感じゃないだろうか。
やっぱりベッドタウンってのは生活感だ。
生活に便利っていうものと良いものは少し遠い。
むしろ、良いものって、なくても生活自体は成り立つっていうタイプのものの方が多い。
生活の中に文学は必要ないし、音楽もなくたって良い。

焼肉屋やラーメン屋でもジャズが流れていたりすることもあるけれど、あれは鑑賞するための音楽としてではなくBGMとしての音楽だ。
良いものとしての音楽じゃなく、生活の一部としての音楽だ。

ーーー

お金持ちは良いものが好きみたいなイメージもあるが、はっきり言って金戦力と良いものが好きかってのは相関性は高くないと思う。
たとえば、僕の働く自転車屋で考えてみても、お金持ちだから良い自転車を買うって人もいくらかはいるにせよ、お金持ちじゃなくとも自転車が好きだから良い自転車を買うって人の方が明らかに多い。
100万円近い最高級クラスとなると、お金持ちの比率も高くなるが、20〜40万円あたりのそこそこ良いロードバイクというところについてはお金持ちかどうかはあまり関係ないように思う。好きな人が好きだから買っている。
最高級クラスではないものの、十分に値段の高い自転車だが、お金持ちだから買うってのはちょっと違う。

あとは時代の問題もあるのだろう。
昔はお金持ち、ステータスの高い人ってのは、ある程度良い趣味を持っていないと少し恥ずかしいような文化もあったのだろう。
最近は高いものを所有していれば、恥ずかしいことはないって時代なのかもしれない。
はたまた趣味が良いってものを選ぶのを代行するビジネスみたいになっているのかもしれない。
高いもの=趣味の良いものみたいな。

ーーー

良いもの=高いわけでもない。
ただ、安いもので良いものってのは探すのが難しい。
基本的には良いものって安くはない。
例えば、良いジャズのCDや良い小説は高くはないけど、すこぶる安いってわけでもない。小説は100円で買えることも多いけど。小説ってのは実に例外かもしれない。
服なんかは高いもの=良いかっていうと、全くそうとも限らなくて、趣味の悪い人は値段の高い服も趣味悪く着る。良い服を着こなすってのは難しいってのもある。

ーーー

お金があればなんとかなってしまうという時代だからかもしれない。
お金が全てじゃないけれど、お金はある意味では全てだ。
お金じゃ買えないものも存在はするけれど、お金で買えるものが増えた。例えば時間だってそうだ。昔はいかにお金を積んでも時間を買うのは難しかった。今は新幹線を使うだとか、コンパクトでどこでも仕事が出来るパソコンを買うだとかで時間って作りやすくなった。
技術革新ってのは、要はお金で買えるものが増えるってことだ。

お金はある意味で全てになりつつある。
結婚だって、お金って大きい。
昔から結婚する上でお金って大きかったに違いない。
それにしたって、昔よりもお金がかかる時代にはなってるだろう。
正確に言えばお金のかからない生き方ってのを人々が嫌になってしまっているのかもしれない。
冷暖房だとかを見たって、昔の人より今の人の方がよく使っている。
いろんなものが省エネになっているはずなのに、電気代とかってあまり変わらない。

給料が少々増えてもあまり意味がないって自論がある。
給料が少ない頃には、身丈にあったそれなりの生活をしてやり過ごす。
ただ、給料が増えれば、その分使うようにもなる。
実のところあんまり意味がないのだ。

ーーー

まあ、ジャズギターでもしてみる。
ジャズギターやってりゃ平和だ。
誰かとセッションする日は来るんだろうか。
ギターってジャズの中では弱いのだ。あってもなても問題ない楽器みたいな立ち位置なのだ。
ピアノ、ドラム、ベースは間違いなく必要だ。管楽器もあればあったで歓迎される。
ギターは本当にどっちでも良い。

まあ、それはそれで良いのだ。
アドリブなんかのかけ方が分かれば楽しいじゃないか。
人生が豊かになるじゃないか。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 02:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月26日

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明日にでも死ねる男を私は待ってるの。
おれは明日を待たず今死ねるよ。
違うの明日にでも死ねる男よ。
はるか未来に死ぬはずなのに、今日死なず、明日死んでも良い男?なおかつ。明日、実際には死なない男のこと?
そんな難しく言われたって分からないよ。

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posted by ちょろり at 23:45| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月25日

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理由はなくとも、生きてるのがつらくなることが今もたくさんある。
ストレートに言えば死にたいと感じることが数え切れないほどある。
死にたいなどと考えながら生きるなら、死んだ方が良いのだろうと思う。
生きているなら生きるのに一生懸命であるべきだろうと思う。

何かの不安があるのだろうか。
それには原因があるのだろうか。

ひどく嫌だ。
生きているのがひどく嫌で仕方ない。

そうは言ったって、本当に死にたいやつはすでに死んでいるのだ。
おれはどうせ死なないのだ。
明日も生きるんだ、きっと。
死にたい気持ちと本当に死にたいってのは全く別のものなのだ。

眠って起きれば死にたい気持ちもきっと薄らいでいる。
ただ、忘れるだけだろう。
生きて何がしたいってこともない。いろんなことを忘れたって、事実は変わらない。したい何かなどない。すべき何かもない。

生きているのがつらい。
それはきっと明日の朝には忘れている。
明日も多分生きている。
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2018年03月14日

どう生きたいかを考える。

どう生きたいかを考える。
現状に絶望していても仕方がない。
現状の分析をしてみたって、にっちもさっちも行きはしない。

海のある町は良い。
チャリで気持ち良い峠のある町は良い。
歴史ある観光地も良い。
アウトドアのフィールドが近い町も良い。
そういう良い町に住みたい。

好きな女の子とにこにこして生きていたい。
好きな女の子のことを心からずっと好きでいられるような生活は良い。そういう女の子は素晴らしい。

自転車で時々遠くに行きたい。
アフリカや南米とまでは言わない。
北海道や鹿児島とまでも言わない。
それでも、二泊三日くらいで遠くまで。

美味しい珈琲を飲みたい。
美味しい煙草を吸いたい。
逆を言えば、一緒に過ごしていて煙草や珈琲が美味しくなるような友人がいて欲しい。

好きな音楽を聴きながら、本を読みたい。
必要な本じゃなくて、全く実用的でも何でもない、読んでも何も利益やメリットなんか得られるわけでもない、ただ読んでいて幸福な気持ちになれるような本を読みたい。

はたまたそういう本を書きたい。

偉い文章家になりたい。
これは昔と変わった。
昔は偉い小説家になりたかった。
偉くなりたいってのは変わらない。
単純に褒められたいとかお金が欲しいって欲求もあるにせよ、書くからには良いものを書きたい。
ただ、その書く媒体が小説に限らなくなった。
何でも良くなった。
何でも良いから読んでいて幸福な気持ちになったり、世界の平和のためになるような、読んだ誰かが満たされるような文章なら何でも良い。

犬の散歩をしたい。

トレーニングをしたい。
筋肉むきむきとまで言わずとも、ある程度引き締まった健康な体と精神でいたい。

お金はたくさんはいらないにせよ、困らない程度には欲しい。
まあ、お金に困らないって、かなりたくさんの金額になるのかもしれないけど。
でも、お金のことを考えた時に心配になったり悲しくなったりは嫌だ。

アフリカの人に少しでも恩を返せるようなことがほんの少しでも良いからしたい。

機構の穏やかな土地に住みたい。

可能なら自転車屋さんはしたい。
自転車屋さんって平和だと思う。
自転車って良いなと思う。

どうすればそういうことが出来るか考えて頑張っていこうじゃないか。

ま、そんなこんな。


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2018年03月11日

生きてるだけで丸儲け。

仕事ってのは60歳まで続けられる仕事じゃないと困る。
転々と職を変えて生きていくってのはくたびれる。

最近、あっさりとウツになりかけている。
仕事って難しいものだ。
自分のメンタルが弱いってのもあるんだろうが、厄介な職場だ。
店長職ってのは当たり前だけれど、失敗すると何百万円っていう損害の責任を持たないといけない。
何となくきになる商品を入れる、好きなように自転車乗ってるだけではやっていけない。
あまり責任を抱え込むのも良くないが、実際そういうものなのだ。

本来、大きい責任を一人の人が背負うようにすると危険なので、普通は副店長みたいな役職があるのが優良企業だが、ボーナスなし、盆休み正月休みなし、年間休日72日という素晴らしい企業なので、当然、そういうシステムはない。
そういう企業に入った自分が悪いので文句は言えないのだが。
真面目に死にたいとこの三ヶ月で10回くらい考えた。
もうアフリカも行ったし、自分の人生にはこれから先、特別面白いことは起きないのかもしれない。大根おろしのように削られて生きていくのなら、思い切って死んだ方が潔いんじゃなかろうか。

まあ、生きてるだけで丸儲け。
理由はよく分からんが、生きてるだけで、人間、丸儲けなのだ。

仕事で大変といえば。
山小屋も大変だった。
山小屋はもう無理だろうと思う。体力と精神力が続かない。
時間も長いし、仕事内容もきついし、家に帰れないし、プライベートの時間もない。基本的に24連勤、6連休という変則的な勤務体系もしんどい。
個人的には休めないし病院に行けないってのが一番つらかった。
山小屋で風邪をひくと、気温も低く乾燥もしている。のど飴を買いに行くコンビニもない。そういう意味では割と地獄なのだ。
山小屋でずっと働き続ける人っていうのは、本当にすごいと思う。山で暮らすっていうのが本当に好きなんだろう。
まあ、楽しいは楽しい。
一歩出れば大自然のど真ん中だ。
やっぱりそういうのって素晴らしい。
確かにきついけれど、プライスレスな暮らしだ。

ーーー

生きてるだけで丸儲け。
何でだろう。

精神的に落ち込んでしまっている今の僕には人間潔く死んじまった方が丸儲けな気がしてしまったりする。

楽しいこと。
楽しいことなんかあるだろうか。
生きてて楽しかったことと言えば、自転車で旅するのは楽しかった。これはもう何をどう言おうと楽しかった。日々、犬も歩けば棒に当たるの暮らし。そういうのってすごく楽しい。ステキな景色に出会ったり、ヘンテコなやつらに出会ったり。
シャカシャカと自転車こいで。
程よい速さだ。

旅の本質って、どこか行き先があるのではなく、日々、違うどこかに苦労して行くってことなんじゃないかと思う。
目的などない。
ただ、違うどこかへと進む。
コツコツ進んで行く。
それを繰り返して大陸の中を動いていく。
人々の暮らしを眺め、大地を眺め。
そういうのは感動がある。

それにしたって、そんな暮らしにも限度がある。
単純にしんどいのだ。
旅をするにはお金もかかる。
短期の仕事ってアルバイトだったり、季節労働だったり、何ともしんどいものが多いのだ。
年収なんか考えても低い。みんなが自動車を所有しているのに、僕は今まで一台も車を持ったことがない。
そういった苦労を厭わない熱意こそが旅の原動力なんだろう。
逆にその程度のことを我慢できる熱意がないなら、旅なんて出来ないと思う。特に自転車旅なんて熱意が全てだろう。

ーーー

多分、そういう熱意がなくなってしまった今、僕は途方に暮れてしまっているのかもしれない。
新しい土地、群馬には友人もいない。
相談できる相手もいない。

お酒が好きなのでバーを探してみるけれど、気に入ったバーはなかなか見付からない。暇と時間さえあれば毎日でも行きたくなるようなステキなバーは見つからない。
東京はその点素晴らしかった。
素敵なバーがいっぱいあったし、そこに素敵な人たちもいた。
故郷はもう遠い過去に埋もれてどうだったのか今や分からない。

先日、東京に行くことがあった。
ただ、東京も時間が過ぎていた。
そこにいた人々ももういなくなっていた。
いろんなことが過ぎ去り変わっていた。

ーーー

みんな結婚して、子供も出来る。
どんどん過ぎ去って行く。
アフリカの思い出話などする相手などいるわけもない。

僕一人だけが変なところにたどり着いてしまったのだ。
アリとキリギリスの教訓は、夏の間サボっていたからキリギリスが敗北するのではなく。
アリのように集団生活、そしきで生きることに適応した生き物が生き延び、一人で生きたキリギリスは敗北するという話なのだろう。

じゃあ、アリになれば良かったかと言えば、アリだってハッピーなやつもいれば、巣に帰れなくなって死ぬやつもいる。
夏に歌をうたって、好きなことをして、冬には潔く死ぬ。キリギリスは偉いじゃないか、そんな話なのかもしれない。
したいことだかどうだか分からないことにしがみついたり、アリしてみたりしたって、巣からはぐれてアッサリ死ぬアリもたくさんいる。
まあ、生き残るアリもたくさんいる。
巣の中でぬくぬく春を待つ。

その点、キリギリスは偉いんだ。
一匹もキリギリスは冬を越えない。

ーーー

生きてるだけで丸儲け。
何が丸儲けだか知らないけれど。
きっと人間、生きてるだけで丸儲けなんだ。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 23:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月03日

何で真逆に物事が進むってことがあるんだろうって最近考える。

何で真逆に物事が進むってことがあるんだろうって最近考える。

一生懸命やるほど真逆に進む。

社会をよくしようと思って。
全員の幸福を考えて今の日本のシステムって進んで来たし、世界各国やって来たはずなのだ。
それが、真逆に進んでしまう。

お金のことを考えるとそう思ってしまう。
社会がより良くなっていくためにお金のシステムが生まれたのに、お金のせいで悪くなることがいっぱいある。

京セラの稲盛和夫先生の本を読んでいると思う。
正しいことをすることがお金にもなるし、社会貢献にもなるし、人類の発展にもなるって書いているけど、今の現実世界でそのやり方はやっぱり厳しいんじゃないかって。
稲盛和夫先生のように貫ける力がある人ばかりなら良いけど、現実そうはいかないでしょう。
そうなると、お金を稼ぐ方法って、やっぱり正しさや社会貢献と違うところになっちまう。
悪が罰せられることもある。どんな巨大な悪も撃ち落とされることもある。
でも、正義が上手くいかないことって、巨大な悪が撃ち落とされる確率よりも低いんじゃないかなって。

ーーー

文を読む。
昔より遥かに多くの文に触れられる時代になった。
圧倒的に情報に到達できる速度が速くなった。

それなのに何故だか本を読まない人が増えている。

本ってフェアだ。
アンフェアなところもある。
内容の正しさよりも有名な人の書いた文の方が評価される。

それでも、ジャッジは読者がして良い。
内容を基準にしたって良いし、読みやすいからとか、商売の役に立つからとか、どんな基準でしたって良い。
読み手こそ神様だ。
書き手も神様だけど。
どちらもある意味でものすごくフェアに神様だ。

なかなかそういうことってない。

文ってフェアだと僕は思う。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 00:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

上司の退職。

自転車屋でお世話になっていた上司が退職した。
自転車屋で働き初めて最初に一から販売のやり方を教えてもらった人だ。
改めて趣味用品の業種で働くって難しいと感じざるを得なかった。

たしかに、この人は自転車屋向きじゃなかった。
販売のスキルは高かった。
自転車も好きだった。
ただ、ロードバイクを売るプロショップの店員として正統派ではない乗り方だった。
プロショップの商品ラインナップって物凄く難しい。正統派の乗り方をしていないとどうしても分からないところがある。
ストリート系、もっとライフスタイルに寄り添ったタイプの自転車ショップならその人はもっと上手くいったのかもしれない。

自転車業界はつらい。
低賃金で休みが少ない。
好きな自転車のイベントに参加したくても、土日は販売って忙しくてなかなか泊まりがけでイベントに行けない。

そういう業種、条件の悪い仕事だからなかなか人材も集まらない。
せっかく来てもガッカリして辞めてしまったり、どんどん働くモチベーションを失ってしまう。

人材を大事にしない会社の多い業種だと思う。
上司は会社ともめて去ることになった。

ーーー

当然、私より年上の人なので、次の職探しには相当難儀するだろう。
何とも心痛んだ。

しかし、当人は辞めると決まると明かるかった。

「いや、君も以前退職する前はそうだったよ。えらくお客さんに対して丁寧になったなと思ったもん」
今夜飲みながら話していると上司は言った。
「たしかに言われるとそうだったかもしれませんね。そりゃ、良くしてもらったお客さんに自分が離れて迷惑かけることになりますからね。申し訳ないですからね。お客さんへの最後の恩返しっていう気持ちはわきますよね。それで丁寧になるんですかね」
そうは言っても私の場合、アフリカに行こうという明確な理由があって辞めていたのもあって暗くならなかったし、お客さんに明るく丁寧に接客出来たのかもしれない。

世話になった上司が良くない形で会社を去る。
理由の一端に私が戻ったのもある。私が店長になったことで、枠が一つ押し出されてしまった。
言うなれば私を雇用する費用のために、その上司は職を失ったという側面もある。
会社が私の方を店長に選んだ理由はいくつかあるのだろう。自転車の経験値だったり、文章での広報ができる能力を買ってもらったというのもあるだろう。
ただ、若い私の方が無理を言いやすい。扱いやすいという理由もあるだろう。

会社にも都合があるので、解雇ってある程度は仕方ないとも思う。
それにしたって、もっと平和的な形での解雇の方法もあったように思う。

まあ、自分は経営者じゃないので本当のところは分からない。ビジネスとしての事情は分からない。
それでも、人間として、今回のことはどんな事情があれど正しくないことだと感じた。
辞める人間にも残る人間にも悲しいやり方だと感じた。
本音を言えば、こういうことをする会社で働き続けるって物凄く不安だと感じた。

ーーー

不安であれ、嫌であれ、悲しいことであれ。
残るからには良い仕事をするしかない。
会社の良い面を信じるしかない。

その人の未来なんか考えてる余裕はないかもしれないけれど、次の職場が良い職場に巡り合ってくれたらなと思う。

好きなことを仕事にする。
そういうのって、ここまで難しいことなんだろうか。

まあ、そんなこんな。


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