2018年08月07日

最近、ぼんやりと。アフリカを思い出す。

最近、ぼんやりと生きている。
向上心のないものは馬鹿だ。
漱石は小説の中でそう言っていた。
そういう意味では最近の僕は馬鹿だ。

なかなか生きるとは分からないものだ。
ご飯を食べて、明日に困ることなく生きていればそれだけで良いのか。

答えはシンプルで、それで良いのだろう。
人間、生きてりゃそれだけで良いのだろう。

最近、独立開業のことなど少し考えたりした。
雇われもくたびれた。
そうは言っても経営となると、ますます面倒くさい。
自転車業界は貧乏業界と言っても、独立すれば、それなりの収入にはなる。
自転車って何だかんだでそれなりに高額だし、それなりに売れる。世間一般の人が考えているよりは自転車って売れるのだ。

ただ、サラリーマンやってる限りは自転車業界の昔からの悪しき伝統でとにかく給料をたたいて、休みは少なく働かせるってのがある。
自転車をいじるっていう特殊なスキルと、中途半端な高額商品、車ほど高くもないし、かと言ってパソコンよりは高い。そして、在庫金額が高い、店舗面積が必要など。
独立しにくい要素が多く、ライバルが現れにくいので、給料を上げて人材を募る必要もなかったりする。メンテナンスや修理は基本的に買った店でやるから、家の近所で買う人が多いということもあるので、特別なことをしなくてもそれなりに売れる。
そんなわけで人材を大事にしない業界だ。

かと言って、独立すれば良いかと言えば、金策に走るのが考えるだけでも嫌なのだ。
毎月支払いがいくらあるから、いくら売らなくちゃいけない。
経営って基本的に借金ありきで、どうやって返済しながら利益を膨らませて行くかってことになる。

最終的に経営ってお金が欲しいかどうかだろう。あるいは商売を通してやりたいことがあるかどうか。
その点、金はまあそこまでいらないし、休みもサラリーマンしてる方が休みは休みなので呑気ではある。
雇われと言っても自転車を売って、話して、修理して、言うなれば自転車屋さんとしての仕事は変わりない。仕事内容としては好きなのだ。
そうなるとブツブツ言いながらも雇われで働いている方が良いような気もする。

そうやって「向上心のないものは馬鹿だ」になるわけだ。

ーーー

群馬に来て友人、知人がなかなか出来ない。
群馬に原因があるのではなく、ちょうど三十歳くらいってそんな歳なのだろう。
普通は転々としていなければ、友人や知人なんてある程度いる。そうなると友人、知人を増やそうってなかなかならない。
仕事や日々の生活でつまづいた時に会話出来るような友人。

その点、アフリカの村なんかって良いなとは思う。
とにかくどこかで群れている。
別段、何をするわけでもなく何人かで黄昏ている。
もちろん、水汲みやらアレコレすることもあるんだろうけど。
国にもよるけど、一日三ドルとかで生きている。
お金もないし、仕事もないから家族や隣近所の人と話したり、ぼんやりして過ごす。
基本的には村人は全員知り合いだ。

もちろん、そんな楽天的で平和なばかりではないのだろう。本当の貧困とは実に大変だろう。マラリアの蚊も飛んでいれば、綺麗な飲み水もない。
ただ、少なくとも僕の記憶の中のアフリカの人々はすごく平和に見えた。少なくとも寂しそうな人ってのは少ないように見えた。

そうは言ってもアフリカでも大都市となれば全員知り合いってわけにもいかない。
それでも、路上に座り込む暇そうな人々は何かしらしゃべっていた。

家で一人で過ごすってのがあまり選択肢に入らないらしい。
日本と違って、家の中は風が通らないので、外の木陰の方が涼しいってのもあるのかもしれない。
はたまた、仕事がないように見えても、実はバス停で観光バスを待ち伏せてギブミーマネーと頼むための待機時間、つまり実は立派な仕事なのかもしれない。

仕事がないってのは悲しいことでもあるけど、暇ってのはそれなりに良いことなのかもしれない。

ーーー

暇が欲しいのかもしれない。
ふと、暇ってものを思い出す。
ここ最近、暇の思い出がない。
休みは少ないとは言えどある。それでも、何かしている。何か内容があるのだ。

自転車で旅していた時にはいつも暇だった。
その日の目的地は一応はある。大陸を一つ自転車で走るってのはなかなか途方もないようで、案外1週間も走れば500km程度、東京〜大阪くらいの距離にはなる。東京大阪なんか小さな日本の中の距離じゃないかと思うかもしれないけれど、2週間走れば1000キロ、1000キロとなると青森東京くらいにはなるし、4週間も走れば北海道から鹿児島くらいにはなる。
僕なんかは実際は途中の町なんかで休んでばかりいるので、そこまでの距離にはならないのだが。
日本も小さいように見えて、アフリカでの走行距離が4000から5000キロ程度、僕は走った距離に関しては非常にどんぶり勘定なので本当のところは地図をたどってみないと分からないし、くねくね走っているので、まっすぐ突っ切ればもっと短くなるのだが、北海道から鹿児島まで行って、また北海道まで戻れば一応は大陸を横断出来る程度の距離にはなるわけだ。
地球をぐるりと回る赤道の長さは約四万キロだから、五千キロも走れば大抵の大陸は横断出来るのも当たり前と言えば当たり前で、南北に言ったって二万キロなわけで、単純計算4倍なわけだ。

そんなわけで大陸を横断するってコツコツ日々走って、何か食べて飲んで眠っていると、何だかんだで気付くとゴール出来てしまう。
もちろん、大変は大変だ。
今から資金は出してやるからアフリカを走って来いって言われても怖いので嫌だ。それなりに腹をくくらないといけない。まあ、腹をくくる時間を少しもらえれば喜んで行くのだが。でも、次は予防接種してから行きたい。

毎日ぼんやりと、
「今日はこの村かこの村くらいかなー」
なんて見当を付けて走り始めることもあるし、道路の看板に町までの距離が書いてあるのを見て決めることもあるし、2時くらいまで走りながらその時に決めるなんてこともあるし。
一応目的地みたいなところ、一応の目安みたいなものはあるのだが、いちいち街の名前などリストアップするようなマメなタイプでもないので、何となく自転車こいでたどり着いた村で何とかするわけだ。

これがある種の究極の暇で、目的地があるなら、そこまでバスなり飛行機なりで行けば良いのに、チンタラと自転車こいで進むわけだ。腹が減ったなーと思えば何か食べながら。
景色の良し悪しに感動するなんてのも、まあ、いくらかはある。
シマウマが横切ったりすると嬉しい。
象が出ても最初は嬉しい。象の恐怖が分かると怖くてたまらないが。
村で暇そうなやつに絡まれて、タバコを取られたりしながら。

象に関しては本当に最悪だ。
まあ、冷静に考えれば当たり前なのだが、檻がない動物園、しかも、みんなワイルドライフだから元気モリモリ、怖くて当たり前なのだ。
ライオンは出なかったので良かった。
パタゴニアもピューマが出なくて良かった。

冷静に考えてはいけないってところもある。
冷静に考えると家から出るのも危なくなってしまう。
それこそ冗談抜きで最近の日本は外が暑くて危ないので不要な外出はやめましょうなんて本気で言っているけれど、その理屈で言うと生きていると死んでしまう可能性があるので生きるのはやめましょうなんてことになってしまう。
「そんなの極論過ぎる」
なんて言われるかもしれないけれど。

それでも、熱中症が危ないから室内でエアコンを付けましょうってのは、実に問題の解決になっていないのだ。
酷暑だの何だの、昔と違って暑くなった、最近の暑さはひどいだのなんだの、そうは言ったってその暑い地球で生きていく他ないのだ。
家の中を冷やして、外に熱を出してなんかじゃイタチゴッコにもなりゃしない。
それどころかどんどん外が暑くなる一方だ。
最近、日本が暑いのはエアコンの使い過ぎなんじゃないかとさえ思う。

やはりこれもアフリカは優秀で、暑いから木陰でぼんやりしよう、である。
実際、アフリカの暑い地域って、仕事どころじゃないと思う。最低限、生きていくために必要な水汲みなんかはするにしたって、それにプラスして何か労働するかって話になると、そんなの暑くて無理だよってなる気はする。
とりあえず、最低限、食うだけは動くにせよ、あとは日陰で何かおしゃべりでもしながら、ぼんやりしていようぜ。太陽が傾いて少し涼しくなってから何かしようぜ。
暑さへの対策としては一番良い方法なんじゃないかと思う。
暑くて動けない時は動かずぼんやりする。
そうしてると、それなりに暑さに慣れてくる。
結局、生き物やってる限り環境に適応していくっていう以外に生きていく方法はないのだ。

ーーー

不要な外出はどんどんすべきだし、暑ければ日陰で涼めば良い。
冷静に考えて、危険なことを避けて。
それじゃ一時凌ぎにしかならない。

とりあえず、あまり深く考えずにやってみて、駄目そうなら逃げる。
そういう意味では逃げの方法は考えておかないといけないのだが。

象が出てどうしても危なければヒッチハイクでもすれば良い。
ちなみにボツワナの象エリアではこっちから頼まなくても、車がちょくちょく声をかけてくれるので、特に無理をする必要はない。

ーーー

それにしたって、そんな危険なことに自ら意図的に突撃しなくて良いじゃないか、なんでそんなことするのだ、と言われるとこれは実に難しい。

まず、象エリアを通らないと目的地にたどり着かないから象エリアを通るだけだ。
そういうと嘘になる。意図的にそこを通るようにルートは組んでいる。パタゴニアもそうだが、暴風の無人地帯を意図的にルートに入れている。いや、パタゴニアはフィッツロイに行きたかったので仕方ないと言えば仕方ないのか。
いや、そうは言ったって、結局はスタートおうち、ゴールおうちなわけだから、そもそもに家から出なければ良いわけだ。

凄いことをしたいのか、誰かに自慢したいのかといえば、まあ、いくらかはそういうのもあるんだろう。
きゃー、鼠くん素敵!
まあ、モテたい。可愛い女の子にモテたい。素敵って言われたい。あわよくば一夜を共にしたい。
そうは言っても、別にモテはしないのは分かりきっていることだ。
誰かに自慢するにしたって、自転車友達は少ないので話してもあまり理解してもらえない。旅人なんかには話すといくらか気分が良かったりはする。

まあ、単純に野生の象がふらふら歩いてる道なんか行ってみたいじゃないか。台風どころじゃない風で木が根っこから抜けて転がっているような大地に行ってみたいじゃないか。アフリカで一番高い山の頂上の景色を見てみたいじゃないか。
それも、自分の足で、自転車で行ってみたいじゃないか。

つまるところは単純なそういう欲求なわけだ。
飯が美味いからどこそこの国に行きたいとか、何か有名な美術品があるからとか、人気があるからとかじゃなく、単純に行ってみたいというだけだ。
海辺の浅瀬フラミンゴがいっぱい群れていたりね。
写真で見たいじゃなく、生の目で見てみたいし、生の足で自分の力で行ってみたいじゃないか。

ーーー

暇が欲しい。
ま、そんなそんな。


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2018年07月30日

金を持ってロクでもないやつになること。

いくらか金を持っていたり、ハッタリをかましたり、地位や名誉があったって、そういうのはあまりその人の人間性には関係ない。

人間に大事なものはいくつかあるが、最終的には強さだ。
ただ、強さってのは誰かを屈服させるってものじゃない。
誰かに助けてもらう力だ。
結局一人でどんなにいばったって、強がってみたって、そんなものは5人くらいで束になってかかればすぐに倒れてしまう。
一緒に助けてくれて戦ってくれる人が何人いるかが人生だ。

そういう意味で人を大事に出来ない人間には未来がない。
短い目で見れば良くたって、長い目で見たとき、人を大事にしなかった人は痛い目を見る。そして、そういう時に誰も助けに来てくれない。

人は優しくあるべきだ。

ーーー

優しい人は足元をすくわれる。
馬鹿を見る。

それも一つの真実だろう。
真面目にやってると、悪い奴に足元をすくわれる。

火のないところに煙は立たない。
悪い奴って言われる奴はやっぱり何かしら悪いことをしているのだ。

ーーー

今さら、普通の仕事を夢見たりする。
あまり難しいことを考えたくない。
特に人を半分騙すようなことはしたくない。

それは騙しているわけではない。

そんな風に言いくるめるようなこと。

そういうのは騙してるってことなのだ。

事実を都合よく語るってのは、ある程度は仕方ない。どちらかから見て都合の良いように物事は進められる。
ただ、事実ではない嘘をさも本当のことのように語るのは良くない。

ーーー

貧しさは悲しい。

しかし、正しくないことはもっと悲しい。

正しくて貧しことは悲しいところもある。ただ、救いはある。

正しくなくて富めることは空虚だ、救いがない。

ーーー

さて、問題は正しくない人間が強大な場合だ。
まあ、強大である。
悪くて強大だから、財を築く。

もう自転車の仕事は二度と出来なくなるだろう。

まあ、それも人生か。

そんなこんな。


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2018年07月26日

仕事で心がウンゲツィーファー。

相変わらず心が折れてしまっている。
どんどん人が退職して、僕にてんこ盛りの仕事が乗っかる。残った社員は点検も出来ないか、対人コミュニケーションに半分くらい障害のあるような人間。そして僕。このメンバーは無理がある。一人でやってる店ならそこまで売り上げを伸ばさなくても良いが、そうもいかない。
仕事の多さもそうだが、そうやってサクサクと人が半ばクビのような形で自主退職に追い詰められて行くのを見ていて、ある日、もう働けないとなってしまう。都合が悪くなれば自分もいずれ自主退職に追い詰められる日が遠からず来るだろう。

辞めようと思っても辞めるに辞められない。
こちらの都合での退職っていうのは、どんな形にせよ会社に対する裏切りではある。円満退職というのは難しい。
ましてや店長なので、非常に厳しい。
退職届けを書いて出せば法的には問題ないことになってはいるが。

さらにその後の無職の期間、次の職探し、何のために長々と自転車屋なんかしてきたんだか、様々なことを考えると、隕石でも降ってきて即死しないかと考える。
「あの人、隕石に当たって死んだんだって。かわいそうねー」
何とも収まりの良い最期だ。
ストレートに言えば、こちらに非のない完璧なる事故死だ。
これは楽チンだ。

雷が鳴ると、不思議と当たるのが怖いと感じる。夏の夕暮れの雷。ヘンテコな雲がどんどん積み上がって空が光る。
昔は雷など鳴ったって怖くもなかった。
普通は子供の頃怖くて、大人になると怖くなくなるものだが、なぜか最近の僕は雷が鳴ると怖い。

雷に当たって即死なら隕石同様、完璧なる事故死になる。
だから、むしろ雷の中を積極的に出掛けて落雷に当たって行くべきところなのだが、どうしてだか雷が怖い。
音や光が怖いんじゃなくて、痛そうだなと思うわけだ。
死ぬなんてのは何でも痛いに決まっている。
首吊りだっていくらかは痛いだろう。
糞尿垂れ流して死ぬ。
何より自殺なんてのは実に縁起が悪い。響が悪い。

そうは言っても何かと面倒で、やる気も起きない、エネルギーもないとなると、
「あー、ある朝目が覚めたら自分が巨大な毒虫に、じゃなくて、ページすっ飛ばして死んでてくれねーかなー」
などと思うわけだ。
「もう仕事行きたくねー。でも、行かないと電話掛かってきて、多分、社長が直接家に来るしなー。どこの高校生だよ、誰かに叱られるのが怖いって。あー、行きたくねー。理不尽な仕事割り振られて、他の社員誰も助けてくれない状態、もう無理ー、行きたくねー、行きたくねー、金もねー、次の仕事もねー、あー、ページすっ飛ばしてグレゴール・ザムザ死んでてくれりゃ良いのに」

カフカの変身は、仕事に行きたくない人、生きている意味を失ってしまった人をよく表している。
ある朝起きたら毒虫になっていて、家族からの暴力で死に至る。そして、ラストシーンで家族は、「やっと死んでくれた」と言ってウキウキしながら列車で気晴らしのピクニックに出掛ける。

実際には、鬱病になっても残念ながら人間の体は毒虫にならない。毒虫だったり、単なる虫だったり表記が翻訳によって違うが、原文ではウンゲツィーファーUngeziefer、ドイツ語でとにかく人から忌み嫌われる虫、菌といったものという意味だそうだ。この辺りはカフカは実に巧妙だ。ゴキブリとかムカデとか言ってしまわない。読み手の想像力が膨らむ。悪い方、気味悪い嫌な生物にも伸ばせるし、グレゴールが可愛そうとも思わせてくれる。ゴキブリやムカデなどと断定してしまうと、ただ気持ち悪い、ましてやグレゴールを可愛そうだとは思えなくなってしまう。

ウンゲツィーファーになってしまった兄に対し、妹は何とか優しくしようと思うのだが、やはりウンゲツィーファーで気味悪くて、結局、父親の攻撃を中心にグレゴールは負傷して死に至る。

介護でボケた老人がクソを壁に投げたり、ひどい罵声を浴びせてきたりするのに似ている。親だから優しくせねば、しかし、我慢がならない。
鬱病なんかもそうだろう。

しかし、現実世界では人間はウンゲツィーファーにはならないのだ。
これはある意味残酷ではある。
ウンゲツィーファーとなれば、家族はやっとアイツと縁が切れた、ピクニックに行こうと晴れやかな気持ちでラストシーンを迎えられるわけだ。

生きていく希望を失った人間の精神の極みが表されている。
誰かに助けてもらいたい、優しくしてもらいたい、しかし、自分はもはやウンゲツィーファーであり、外見的には人間だとしても、もう精神的にウンゲツィーファー、生きてはいけないものになっていて、自分が死ぬことで周囲の人間がむしろ幸せになれる、自分が死ぬことで汽車に乗ってピクニックに行って欲しい。

ただ、カフカの変身の面白さは、主人公グレゴールは外見的にはウンゲツィーファーなのだが、内面は別段何ということはない、全く普通の青年で自殺願望などがあるわけでもない。何の予兆もなく、理不尽にもある朝突然ウンゲツィーファーになってしまったわけだ。

まあ、ある意味では鬱病、自殺願望なんかもそういうものだが。
ある朝、突然、精神がウンゲツィーファーになってしまうのだ。

ーーー

それにしても面白いのが、単に仕事を辞めるにも辞めづらい、そんな単純なことで僕は死のうとしているということだ。
多分死なないと思うけど。

単純に退職届けを出せないということ。
昨日今日と二連休だったのでよかったが、明日、出勤できるのだろうか。

これまた面白いことが、たかが退職届けを出せないってことで死のうって人間の存在もそうだが、誰もこれを助けることは出来ないということだ。
「じゃあ、オレが代わりに退職届け書いて出して来てやるからさ、とりあえず今晩飲みに行こうぜ!明日から一緒に次の仕事探しに行こうぜ!」
実際、ニュースに流れる、仕事を辞めるに辞められなくて自殺した人々には、そんな助けが必要だったんだろう。言うなれば、困った時に現れる正義のヒーロー。或いは明るいニートの友人。

ニートの友人って必要だと思う。
自分が困った時に、声を掛ければ大抵暇していて、茶でも飲みに行かないか、奢るよといえば、金はないけど時間はいくらでもあるからな!と言ってやって来る。
誰にでもニートの友人は必要だし、或いはホームレスでも良い。
心の相談ホットラインの電話など必要ない。ある程度のホームレス、ニートがいて、その公園に行けばハトにエサやりしながら話を聞いてもらえる。
「金はないけど時間はあるからな!」

ーーー

好きなことを仕事にして、やっと店長にまでなったが、残念無念ではある。
自転車はもう全て捨てようかなと考えたりもする。最近、自転車に乗っていても、悲しみがある。アフリカも南米も遠い過去に埋もれてしまった。

生きてさえいれば何とかなる。
まあ、何だかんだで死ぬことはないんだろうけど。

ある朝目覚めたらウンゲツィーファーになってるかもしれない。

そんなこんな。


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posted by ちょろり at 13:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月22日

ワンミスで死ぬこと。

ワンミスで死ぬ。そういうことって普通の人生じゃ起こらない。そういう風に我々は信じている。だけど、現実には生き物はワンミスで死ぬ。
ちょうど最近の僕は、取り返しの付かないワンミスをやってしまったことに今さら気付いて、こりゃ、もう死ぬしかないかなと思っている。

逆を言うと、大抵のヤバイ状況ってのは、過ぎ去って仕舞えば、まあ、そんな頃もあったなというものだ。
何だかんだで時間は過ぎるし、物事進んで行く。
そうしていると、何だかんだヤバイ状況ってのも過ぎて行く。

人生、良い時もあれば、悪い時もある。

ただ、死んでしまうと良い時も悪い時もやってこない。

ーーー

人間、幸せな時に死ぬべきか、不幸な時に死ぬべきか。

幸せな時に死ぬと悲しい。
不幸な時に死ぬと苦しみからの解放がある。

ーーー

生きる権利は死ぬまである。
死ぬ権利は死ぬ時にしかない。

死ぬ時をどう決めるか。

生きていたって仕方がない。
そうなったら死んでも構わない気もする。
しかし、逆を言えば生きていてどうだと言うのだろう。
生きているうちにこれをしたい。あれをしたい。
例えば芥川賞を取りたいとか、か。

じゃあ、芥川賞は取れないとなったらどうするべきだろうか。
取れないじゃなく、取りたいと思えなくなった時には。
何かしたいことを見付けた方が良いだろう。

したいことが見付からない。
こういうのが鬱病の本質かもしれない。

もちろん、芥川賞が欲しいなどというのは、欲しいは欲しいのだ。
ただ、取れないと感じる、絶望してしまう。
実際には芥川賞なんかは小説さえ書いて投稿していれば、確率はあるのだ。ゼロではない。

いや、実際にはゼロの人が大半だ。
芥川賞が何なのか。
芥川賞ってのは文学だ。
文学作品を書かねばならない。
文学作品とは何たるや。
最後まで誰かが読みたいと感じることが出来る文章であり、読み終わって何かしらの満足があるもののことだ。
何を読めば人は満足するか。
それは分からない。
それを探求、発明するのが文学をするってことだ。
これから外れている限りは可能性はゼロなのだ。誰かが時間と労力を使って読み、満足を感じるもの。それは狙って書く方がいいのかもしれないし、狙わずにただ書く方が良いのかもしれない。
どちらにせよ、人が最後まで読み、誰か一人でも満足を感じない文章。これは可能性がない。

何にせよ労力がいる。
眠って起きたら欲しいものが手に入っている。
そういうことってありえない。

労力を惜しまず継続すること。
それが生きるということだ。

ーーー

しかし、もう労力を使いたくない。
こうなると終わりなのだ。

したいことがなくても、しなくちゃいけないことがあれば人間は生きていける。

したいことを失って、しなくちゃいけないことを廃棄すれば、人間は生きていかなくて良くなる。

そういうののトリガーって意外と一つだ。
ワンミス。
そこからいろんなことがほつれて破綻していく。

ーーー

大人になれば自分の死ぬ時を決めるくらいしたって良いだろう。
誰だって苦労して大人になったのだ。
自分の生き死にくらい自分で決めたって、誰かに非難されたり、馬鹿にされたりすべきものではない。


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posted by ちょろり at 22:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月20日

四面楚歌

四面楚歌している。
職場にて部下はヤル気がなくて、社長は屁理屈こねて、飲みに出てもしっくり来る場所がなかなかない。
家では同居人が群馬から出たいと言っている。

群馬には知人も頼れる人もなく、四面楚歌。
どこに行っても敵の国の歌が、あいつを倒せと響いている。
一つの言動の誤りで敵軍が流れ込んで来る。

おれは呑気に自転車を売って、休みの日になれば自転車に乗って、夜は時々酒を飲みに出て、気楽に生きていたいだけなのだ。
たくさんのお金はいらないし、立派な家も車も必要ない。
気楽に人と話をしていたい。
「間違えたことを言ったらどうしよう。地雷を踏んでしまったらどうしよう」
そんな心配などせず、特に考えなどせず、頭に浮かんだ話したいことを何となく口にしてみて会話がしていたいだけだ。

そういうところに至って改めて、人間として致命的だということだ。
人と話したり、人と会うことが恐ろしいのだ。
間違えた言動をしてしまったら、地雷を踏んだらどうしよう。
そんなの人間として致命的だ。

友人もどこかへ去って行ったし、正直、楽しいこともない。
生きていて楽しみがないのだ。
何かがしたい。

今の仕事をやめて、何かしたいということもないし、何か出来ることもない。

死にたいなら早く死ぬべきなのだ。

ーーー

不思議なことといえば最近雷が怖いと思うようになった。

雷なんか最高じゃないか。
当たれば即死、気づく暇もなく。
理想的じゃないか。
そもそも滅多に当たることなどない。
それなのに雷が怖くなった。
当たったらどうしようか。
どうしようもないし、どうするということもないじゃないか。
しかし、雷が怖い。

そんなこんな。
posted by ちょろり at 23:17| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

お金を欲しいと思わない気持ち。

お金を欲しいと思わない。
非常に大事なことのような気がする。

お金ってのは実にヘンテコなものだ。
愛とお金、どちらが強いか。
多分、今の世の中、お金じゃないだろうか。
もちろん全ての人がそうではないにせよ。
それでも、お金なんて全く欲しくないって人はゼロじゃないだろうか。
今に限らずいつからそうなんじゃないだろうか。

ヘンテコな話ではあるけれども、お金なんて欲しいと思わないようになるには、お金がたくさん必要なのだ。
お金がない人がお金なんて必要ないと感じるのは難しい。
知人の株屋さんみたいにお金がありすぎて、そう、彼はもうお金がありすぎる、株の中でピコピコと動くお金ってのは、もう現実世界で実際に使うお金とは桁が違い過ぎるから、別に現実世界でお金を使いたいなんて思わないのだ。
自分のしたいことがお金を必要とすることの場合にはお金を使うけれど、高いものだから欲しいとかってのは全くなくなるらしい。
高級ブランドでもホームセンターの作業着でも彼にはどっちでも良いらしい。

彼が高い金額のものが欲しいと感じるためには、彼は貧乏にならなければいけない。

自分で燻製をしたいとか言って近所の畑を買って燻製小屋を建てたりはする。
金が掛かるとかっていうのは、本当に彼にはどっちでも良いことなのだ。
必要になれば、株の海から少しすくってくれば良いし、必要なければすくわずにいれば良い。

ーーー

それにしても、お金があって、お金が欲しいと思わない暮らしってのは難しいんだろうなと思う。
貧乏だとコンビニで買うビールが嬉しい。
それはビールが好きだからってのもあるにせよ、ビールは高いからたまにしか買えないからってのもある。
僕なんか正にそれでビールはそんなに好きでもないのだが、やはりビールを飲めると幸せになれる。
でも、海外にいる時はビールばかり飲んでいたことを考えると、やっぱりビールは好きなのかもしれない。

ビールが百円になると僕の幸福度は下がるのか。
実際、南米、アフリカあたりだとビール百円ってのはさほど珍しくもない。
1リットルで二百円だったり、350mlで百円だったりと国で違いはあるにせよだ。
それにしても、改めて考えるとやはりビールは海外でも安くない。百円って結構な良い金額だ。特にアフリカなんか日給三百円もらえれば万歳、今日は仕事があって運が良かったみたいな人も少なくない。それでも、人々はビールを飲むのだ。

人々はビールの美味しさを飲むのか、高い飲み物という喜びを飲むのか。

本来は、高いもの=美味しいものっていう図式は成り立つようにお金って作ろうとされている。
ただ、今の現実ではそれってあまり成り立たない。
白米、納豆、味噌汁、卵焼き。
我々日本人には、実に美味しい。
でも、高くはない。

僕はメロンって好きじゃない。
そんなもん個人の好き嫌いだろと言われればそれまでなのだが、全くもって好きじゃない。別段嫌いってわけでもない。ただ、ポテチとメロン、どっちか選ばせてくれるなら、ポテチが欲しいっていうレベルだ。シュークリームとポテチだとシュークリームだろうか。
でも、メロンは高い。

単純に需給バランスで価格は決まる。
メロンはみんなある程度お金を出してでも食べたいからこそ高いのだ。安くすると売り切れになってしまったり、作る人が労力の割に報酬が少ないからということで辞めてしまったりすることになる。
お金を出してでも食べたいってのは何なのか。美味しいからなのか。
これが難しい。

「あたい、朝はフルーツしか食べないの」
映画だか漫画だかでそんなセリフがある。マダムが言うわけだ。
これは美味しいからってわけではないだろう。マダムはマダムだから朝はフルーツしか食べたくないのだ。

まあ、もちろん、美味しいからっていう理由もあるんだろうが。

まあ、さらに言えば健康志向とかってのもあるんだろうが。
余談ではあるが、アフリカでは毎日マンゴーばかりかじっていたが、確かにマンゴーをかじってばかりいる時は体調が良かった。
マンゴーを休んで、パンとかウガリ(アフリカの小麦粉なんかの粉を混ぜ合わせたモチみたい食べ物)の炭水化物ばかりで生きていると体調がいまいちになった。
フルーツは健康に良いってのは確かにあるんだろう。

ただ、日本でフルーツばかり食べるというと、それが間食やデザートならフルーツが好きなんだね、で終わるにせよ、一食まるごとフルーツだけとなると、贅沢というか、少々成金趣味な気もしてくる。
まあ、確かにフルーツで朝ごはんは羨ましいとは思う。朝から美味しいだろう。

でも、メロンは好きじゃない。

まあ、フルーツはそれなりに美味しいから値段が高いというのも事実ではあるのだ。
それでも、やはり高いから美味しいと感じる部分があるってのもやはり事実だろう。

ーーー

お金が欲しいと思うのは悪いことじゃない。
むしろ、大事なことだ。
お金を稼ぐって大事だ。
お金を稼ぐことが好きで得意で、なおかつお金を使うことが好きって人が増えれば経済はよくなるだろう。

問題は経済が良くなったら世界は良くなるかといえば、そこは案外何とも言えない。

ーーー

お金を欲しいと思う気持ち。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 00:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

休みの日は休むということ。

夜が伸びる。
時々、そんな風になる。
酒を飲んで夜が伸びて、昼過ぎまで眠り、夜が伸びる。

人生がドン突きに当たる。
一体なんのために生きてるんだか。

「うん、休みはね、休むのが一番いいよ」
最近、ちょくちょく行くバーのマスターが言う。
「家が一番、何もしないのが一番」
そうは言うがマスターはスノーボードと海釣りが好きで、休みの日は割といろいろ遊んでいる。

まあ、そんなもんだ、と言えばそんなもんなのかもしれない。
働いて、週に一度飲みに出掛けるのが楽しみ。
特別、やることもない。仕事もそれなりにやってりゃ良い。すべき勉強もない。
飯食って、息吸って、眠って、働く。
そんなもんだ。それが普通になるのさ。

たまに大学を出てれば良かった気もする。
数学をしていたって良かったかもしれない。何かエンジニアとか研究職とか。とりあえず、生きることに飽きないような仕事をすべきだったんじゃないかって。
自転車屋してると、時々、人生に飽きてしまいそうになることがある。
まあ、どんな仕事をしてても、同じかもしれない。
自転車屋に限ったことじゃない。

どこか静かな峠でも自転車で走りに行くべきか。
そういうのは癒しがある。
でも、どこか途方も無い。

「休みの日は休むのが一番だよ。特に内容ある面白いことを語る必要なんかないんだよ。空っぽなことで笑ってるのが一番。会話ってそんなもんだよ」
まあ、人間、そんなもんかもしれない。

そんなこんな。


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2018年06月13日

群馬に来てから人間関係が作れない。

群馬に来てから人間関係が作れない。
職場は相変わらずだし、こっちに知り合いと言ってもSさんくらいしかいない。
全く知り合いがいないとなると、もしも何かあった時にどうしようなどと考えたりするし、普段アレコレあっても相談する相手もいない。

東京にいた頃は、バーに行けば知り合いは出来た。さほど仲が良いと言うほどじゃないにせよ、世間話が出来る程度の知人は出来た。
東京は冷たいとは言うけれど、言うなれば全員、地方から出て来た人同士、同じような境遇なので、知人を作るって難しくなかった。
群馬は難しい。

逆に職業を隠して自転車の愛好会、サークルなんかに入ってみても良いのかなと思う。
でも、やっぱり厄介なことになる気はする。
自転車屋の店長という素性が後になってから分かると、嘘つきということになる。
かと言って、自転車屋の店長とわかっていると、店に来られるのも困る。友人が店に来るのって少々困るのだ。どうしても安くして欲しいとか、そういうことになってしまうことがある。僕個人の店なら、良くしてもらってるからそのお返しにこれは安くしますよとかってしても良いんだけど。
同じ理由でお客さんと一緒に走りに行くっていうのもしにくい。

ジャズ作戦はそういう狙いもあった。
ジャズを通して友人、知人を作ろう、と。
残念ながらジャズはいまいち上手くいかなかった。月謝が高い割にあまり教え方も良くなかったので、辞めることにした。

引っ越した土地で知人を作るとは難しい。
ヨガ教室でも通おうかなんて真剣に考えたりするほどだ。
飲みに出掛けるより健康だし、お金もさほど掛からない。
それでも、行ったとしても、そんなに社交的でもないから別に友達なんて出来ないだろう。普通にヨガして帰ってくるだけだろう。

でも、友達、知人なんてのは無理をしてまで作るものなんだろうか。

まあ、職場で一人くらい一緒に自転車乗りに行く人がいれば全て解決する話なのだが。
自転車屋なんだからさ。
そのくらいいれば良いのにね。

まあ、生きるってのはそもそもに孤独なのかもしれない。
大人になったら友達が欲しいなんてみんな思わないのが普通なんだろう。
或いは職場に何人か友達がいるか。
地元にいるか。

はたまた、昔、良い友達がいてくれたから、こんな風に感じるのかもしれない。

みんなそんなもんなんだよ、と言われれば、まあ、そんなもんなのかもしれないな、と。
生きるって孤独なものだし、自分のことは自分でして当たり前だし。

職場では部下にはなめられているし、上からはアレコレ言われて四面楚歌だ。東京の頃よりクレーマーが少ないのが救いではある。
友人もいないし、ストレスを抱え込んでしまうと、簡単にウツになってしまうような環境ではある。

はてさて、どうしたものやら。
あまり深く考えすぎないのが一番か。

群馬脱出するにも、店長してるとそう簡単には辞めさせてもらえるわけもないし、良い仕事もないし。脱出したところでどこに行こうというアテもなく。
人生、途方に暮れてしまう。

ま、そんなこんな。


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posted by ちょろり at 02:21| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

農業大学校に入ろうかなと考える。

農業大学校に入ろうかなと考える。
農業で飯食うのは難しいだろうけど。
キャンプ場とレンタル自転車と農家の3本立てにすると面白いんじゃないかなって。
体験農家とかね。

自転車屋は頑張ってはみたのだが、あと三十年続けられるかというと自信がない。
やっぱり年間休日80日で、ボーナスも何もなしで、責任ばかり重いなんて仕事は心が折れる。
死にたい死にたいと考えながら働くくらいなら本当に死んだ方が良いだろうし、実際に死ぬんなら別の仕事をしてみた方が良いんじゃないかなって。

ーーー

一本でやるから行き詰まるのだ。
どんな仕事も利益を出そう、ビジネスにしようと思うと行き詰まる。結局、お金に勝てない。儲かることは大企業が資本を投げて取ってしまう。
儲かることは基本的にお金を持ってる人たちに勝てない。
スキルで何とか出来るかっていうと、難しい。
例えば、僕には自転車のスキルがある。でも、大企業がその気になれば自転車のスキルを持っている人間を雇えば話は済む。

だから、逆を突くんなら、あんまり儲からないことをやるってことだと思うのだ。
農業もキャンプ場もレンタル自転車もそれ単体ではお金にはならない。
ただ、それを組み合わせると相乗効果も出るし、互いの儲からないところを補填し合える。
兼業で出来ることを三つ以上持つってのが大事だと思うのだ。

ーーー

キャンプ場はしたい。
アフリカを走っていた時から思っているが、キャンプ場って良い。
だって、キャンプって気持ちいい。野宿って素晴らしい。
キャンプ場だけで儲けようとすると上手くいかない。オートキャンプだとかにして値段を高くしないといけない。
キャンプ場が難しいのは日本は土地が高いからだ。
でも、現実には日本では余った農地、働き手のいない農地が増えてきている。
この一部をキャンプ場にして、レンタル自転車で昼間近くをふらふら出来て、農業体験なんかが出来て、美味しいコーヒーが飲めてっていう空間にすれば良いと思うのだ。
メインの収入は農業で最低限の食う分だけ確保して、プラスアルファでキャンプ場をすれば良いんじゃないだろうか。

マウンテンバイクでくるくる回れる簡単なコースも作ってさ。

ーーー

まあ、そんなのは夢物語だろうか。
工場とかで働くってのが現実だろうか。
ひどく心を痛めてしまっている。対人関係でストレスのない工場で働くのが良いなと感じてしまう。

夢かもしれないけれど。
農業しながら休憩しながらギター弾いたりして。
のんびり暮らしたいのだ。

そんなこんな。


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posted by ちょろり at 00:35| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月10日

ーーねえ、アフリカの話を聞かせておくれよ。

ーーねえ、アフリカの話を聞かせておくれよ。
ーー残念だけど全て忘れてしまったんだ。
ーー覚えていることはないの?
ーーあるよ。
ーーそれを話しておくれ。
ーー残念だけど無理みたいなんだ。

意味がないじゃないかね、溶けるさかなクン。私は鯖の方が好きなんです。そうかね、消しゴムがずっと角になるとね、これは君サボテンだよ、ずっと空を飛ぶんだ、豚ですね?ああ、そう、豚だね。

お金が大変なことになっているんですよ、地震でね、そう、火事かもしれない、じゃあ、君、橋を渡れなくなるじゃないか、渡ったって構うもんですか、でも、それじゃ火傷してしまうぜ、そこに塩とワサビを塗りましょうよ、そんなら浄水器を付けないとな、カルシウムが取れなくなりますよ、豚め、あの豚め。

三百円拾うマシーンを開発したんだよ、一日三百円、それでビールを飲んでしまっちゃ意味がないじゃないですか、だから無粋なのさ、三百円じゃタバコも買えなくなりましたね、ずっと向こうの煙突があるだろう、あそこから入っていけば良いと思うのさ、ひっかかりますよ、三百円なんだから良いさ。

壁が崩れているでしょう、構わないさ、テレビを置きましょう、サッカーはしないか、日が落ちてからするとしますか、じゃあ、目玉焼きを作ってきてくれ、でも、もう九回裏ツーアウトですよ、そうそう、そこに注いでくれ、どんどん注いでくれれば良い、友達が出来ないんですって。

羽毛ぶとんに柄を付けてはいけません。

そうだ、二人ばかり養子を取ることにしよう、長靴とペンキはどうしますか、ずっと伸ばしたら良いよ、ハシゴは買ったばかりですよ、橋の下にぶらさがっていれば良いのさ。

犬なんか拾ってきて、ビール瓶くらい何とかしてくれないかい、赤茶けた夕焼けの裏側に住むトンボはずっと筋肉を気にしているんですよ、胸の筋肉だろ、悪いやつじゃないんだ。

おーい、おーい。
おいー!
おーい。

そうだ、派手な羽を付けておこう。
きっとそういことなのだ。


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posted by ちょろり at 00:09| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする